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2007.01.30

埼玉県の競輪事業とか

 あれは何だったのだろうか。社会党か共産党の集会だったのではなかったかとも思う。なぜそんなところに自分がいたのかも思い出せない。私が小学生のころだから昭和40年代である。映画を見せられた。話は、父親がギャンブルに狂って家庭が破壊していく悲惨と人情と社会正義の物語だが、子供心にその雰囲気が異様に怖かったことと、その諸悪の根源が西武園だということで、子供心に楽しい遊園地裏というのは怖いんだと理解した。ありがたいトラウマである。おかげで私はこの歳までギャンブルというのをやったことがない。抑圧がものすごくて関心ももたない。ついでにスポーツにも関心がないのはなぜだろうかと思うがネタな話はさておき、今朝のラジオで所沢市が競輪事業からこの三月いっぱいで撤退するという話を聞いた。へぇ。
 所沢市の競輪事業は昭和二十五年から始まっていて、西武園競輪場で年二回都合十二日間競輪を開催していたのだそうだ。公営ギャンブルというやつだ。胴元であるな。上がりは市財政になるはずだが、平成十年度を境に赤字が目立つようになり、十七年度は五千五百万円の赤字。十八年度も四千万円の赤字見込みとなり、それ以前の利益の繰越金で補填ができなくなり、同市は埼玉県に撤退を申し込んでいたとのこと。簡単に止めるわけにもいかないのだな。
 市と県の話し合いで市は県に対して従業員の離職に伴う慰労金・損失保証金として二億六千万円を払うことで合意した。追い銭と言ってはいけないのだろうが、損失が年間四千万円であるのに停止に二億六千万円というと六年分くらいということか。ふーん。
 西武園競輪場(参照)についてはこう。


1950年(昭和25年)5月22日に開設。開設当初は村山競輪場だったが1954年(昭和29年)5月から西武園競輪場に変更となった。1992年(平成4年)6月から大規模な施設改修工事が開始され、1997年10月に完成。客席がすべて屋根で覆われた、独特の形状へと変貌した。

施設の所有者は西武鉄道。実施は関東自転車競技会。主催は後述。1周は400m。電話投票での競輪場コードは26#。


 所有は西武鉄道ということだ。そりゃね。
 所沢市サイドのこの問題の経緯を調べると、へぇってな話がある。〇一年のものだが読売新聞”競輪開催告示 経済産業省、所沢市を削除=埼玉”(2001.4.4)より。

 競輪事業の赤字対策で、所沢市が日本自転車振興会へ納める交付金の不払いを宣言したことを受け、経済産業省は今年度の自治体の競輪開催回数を定める告示(二日付)から、同市を削除した。不払いに対して開催権をはく奪する事実上のペナルティーで、同省は「支払えば告示を見直して開催を認める」としている。

 経済産業省が日本自転車振興会との関係で所沢市を恫喝していたわけですね。というかいろいろもめていたらしい。知らなかった。
 交付金回りについては、読売新聞”[大手町博士のゼミナール]岐路に立つ、公営ギャンブル 税金で赤字補てんも”(2001.9.4)ではこう説明されていた。

 日自振への交付金は、自転車を含めた機械工業の振興に売上金の1・7%が充てられるほかに、その他の公益事業の振興にやはり1・7%が使われている。自治体側には自転車関連産業以外に交付金が利用されることへの反発が根強く、二月には西武園競輪を開催する埼玉県所沢市が、交付金の一部の支払いを一時、拒否する騒ぎも起きた。

 世の中の仕組みってやつですね。
 関連してだが、二七日付け日経”埼玉県の競輪事業、来年度からの包括委託業者決定”(参照)ではこんな話があった。

埼玉県は26日、競輪事業の運営を包括的に委託する民間業者を発表した。車券などのコンピューターシステムを開発・販売する日本トーター(東京・港、福島晋社長)で、委託は来年度からの5年間。県が年間売り上げの0.85%(最低でも3億7000万円)の収益を受け取り、赤字補てんをしない「収益保証型」の契約で、極めて県に有利な内容となった。

 対象は大宮競輪場(さいたま市)と西武園競輪場(所沢市)で開催する県内の全24レース。競輪事業は県以外のさいたま市、川口市など開催自治体が累積赤字を理由に相次いで撤退を表明したため、来年度からは県が一括で開催を引き受けることを決めていた。


 胴元は埼玉県になり運営は日本トーターということだ。これって昭和を懐かしむ親孝行爺さんじゃなかったっけと見るとそうだ(参照)。

日本トーター(にっぽんとーたー)は東京都品川区に本社を置く、公営競技の業務委託やトータリゼータシステム製造を主な業務とする企業。

競艇の生みの親笹川良一の子である笹川尭が設立に関わり、ほとんどの競艇場での設備運営に携わり約半数の公営競技場で同社の製品が使用され、運営を行っている。特に船橋オートレース場と浜松オートレース場では車券発売、従業員管理、開催広告に至るまでの完全委託を受けており、その重要性は高い。


 別にきな臭い話があるわけではないが、世の中ってそういうもんかな、と。
 公営ギャンブルも運営次第では儲かるという展開になるのでしょうかね。団塊世代が昭和を懐かしんで興じるとか。

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2007.01.28

自転車は歩道を走れと、では歩行者を何処を歩くべき

 まいった。朝日新聞が学校給食費を「払わない」は親失格だ(参照)とか言っているのは毎度ながら世間も人情も統計の見方もわからんやっちゃなと思うのでどうでもいのだが、こっちの話にはまいった。こっちの話というのは、自転車は歩道を走れ、だ。さて、では、歩行者はどこを歩けばいいんだよ。
 まいった理由は、結論を先に言うと、じゃ、自転車はどこを走ればいいんだよという反論で議論がめちゃくちゃになるからだ。車道を走って事故れってかとか批判されるわけだ。
 つまり、つまりだね、この問題は、歩道で自転車事故に遭うリスク+人様に向かってチャリンとか鳴らすんじゃねー不快感、に対して、これから膝の痛むよろけた老人自転車やケータイメール中・無灯火・二人乗り若者自転車が車道で事故+自動車業界の都合、という二極のリスクを社会がどう選択するかということだ。
 ちょっと話が急ぎすぎた。
 教えてもらった情報からなのだが、ブログ「松浦晋也のL/D」エントリ”よびかけ:自転車を歩道に閉じこめる道路交通法改正に反対のパブリックコメントを”(参照)が詳しい。


 警察庁が、次期国会の道路交通法改正で、自転車を原則車道通行から、原則歩道通行へと変更しようとしている。
 これはとんでもない暴挙だ。こんな無理筋の法改正を許してはならない。
 この問題については、“自転車ツーキニスト”で有名な疋田智氏が精力的に反対運動を組織している。
 
疋田氏のメールマガジン「週刊 自転車ツーキニスト」
 
 疋田メルマガから、現状を簡単に簡単にまとめると、警察庁は、自動車の車道における制限速度を引き上げようとしている。そこで邪魔になる自転車を歩道に上げようとしているのだ。
 ところが現在の統計では自転車の事故は出会い頭の衝突が多い。つまり歩道を走行していた自転車が車道を横断する時に自動車と衝突するのだ。もちろん歩道の歩行者は自転車に脅かされている。
 普通に考えるならば、自転車を車道オンリーにしてもおかしくはない状況なのに、逆をやろうとしているのである。
 どうやって逆の話を通すか。
 警察庁はその部分を隠蔽して隠蔽して、いかにも官僚的な言葉遣いで、一見強制ではないように読めるが、実は警察が自由に自転車の車道走行を禁止できる条文を作ろうとしている。

 この話を私が知ったのは昨晩である。パブリックコメントの締め切りは今日なので、率直に言って焦ったし、この問題の構図を私が十分に理解しているとはいえない。なので、ホワイトカラー・エグゼンプション問題を残業代ゼロにマスメディアがすり替えたような問題のすり替えを私がしている可能性もある。その点は関心ある方は資料に当たって考慮して欲しい。
 私個人は、歩道を自転車が走るのは大反対であるし、基本的に、それが許可されていない歩道での通行はべたな違法なので、数年前までことあるごとに自転車をしかりとばしてきた。そこから得た教訓はいくつかある。特に二つある。
 一つは、違法に歩道を走る自転車の運転者に何を言っても、どう言ってもほとんど無駄だということ。お巡りすら違法に歩道を走っているのを数度しかりとばしたが逆に不審者のごとく扱われたこともある。
 なぜダメなのか。私の個人的な観察での結論だが、そもそも市中、違法に歩道を走っている自転車の大半は自転車に乗る必要がないのに乗っている輩ばかりなのだ。もっと単純に言えば、自転車で二十分以上の距離に利用されているわけではない。大半は三十分も歩けばいい距離をちんたら自転車で走行しているのだ。歩けよと思う。だがそれができない人たちなので、その時点で何を言っても通じないのはしかたないんじゃないかと思うに至った。また、自転車走行が認可されている歩道でも歩行者が優先され、歩行者の歩行を自転車はじゃましてはならないのだが、後ろからチリンと鳴らす馬鹿がいる。日本語しゃべれないのか以前に、人間と人間が向き合う基本ができてない。こういう人に何を言っても無駄だとしみじみ思った。
 なのでせいぜいの妥協点で私の主張は、以前に書いたように、「極東ブログ: 自転車に課税しろ」(参照)くらいに留まる。
 もう一点は、私は個人的にこの問題を警察と話し合ったことがあり、警察は口頭でだがしぶしぶというかいやったらしく自分たちの違法性や取り締まり怠惰を認めた。そこでなにが起こったか? 呆れたことに自転車通行禁止の歩道を許可に変更したよ。煩い市民をさっさと黙らせろだ。やるなぁと思った。
 この一件はしみじみ考えさせられた。警察もすげーことするなというのではない。しかたがないのだろうか、ということだ。
 老人がふらふら歩くような自転車走行で幼児にぶつかって怪我を負わす自転車事故と、その老人が車道で事故る自動車事故と、どっちか選択、という判断を公的にするなら、自転車事故が軽視されるのはしかたないのだろう。それに、日本はさらに自動車社会にしなければならない圧力がある。
 かなり逡巡する。
 パブリックコメントは私は取り敢えず控えることにする。問題の構図がよくわからないのと、重症事故と軽傷事故では後者を選ぶしかないかという暫定的な私の判断からだ。ただ、正直言ってその私の判断を人に勧めることはできない。
 しいて言えばこのエントリをもって私の取り敢えずのパブリックコメントにしたい。つまり、急いで法改正しないでほしい。


関連資料

●道路交通法参照


第54条
車両等(自転車以外の軽車両を除く。以下この条において同じ。)の運転者は、次の各号に掲げる場合においては、警音器を鳴らさなければならない。
 1.左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上で道路標識等により指定された場所を通行しようとするとき。
 2.山地部の道路その他曲折が多い道路について道路標識等により指定された区間における左右の見とおしのきかない交差点、見とおしのきかない道路のまがりかど又は見とおしのきかない上り坂の頂上を通行しようとするとき。
2 車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。

第63条の4
普通自転車は、第17条第1項の規定にかかわらず、道路標識等により通行することができることとされている歩道を通行することができる。
2 前項の場合において、普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分)を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない。

●警視庁のホームページ 「交通安全広報用テープを作成しました」参照


 自転車のマナーが大変悪くなっています。
 信号無視、スピードの出し過ぎ、二人乗りなどは交通違反です。
 歩道は歩行者優先です。ベルを鳴らす前に、降りて下さい。
 交通事故を起こしてからでは、遅すぎます。
 交通ルールを守りましょう。


●ウィキペディアより 日本の自転車参照


自転車の通行路と位置づけに関する問題
さらには歩道における徐行と歩行者優先の義務が遵守されないことも多い。ベルで歩行者をどけようとする行為は、原則として禁じられているにも関わらずよく見受けられる。これにとどまらず、歩行者を巻き込んだ事故も発生しており、時として重傷や死亡という重大な結果を引き起こす。自転車といえども人を死傷させた場合は重過失致死傷罪(5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金)に問われうる。また自動車等における自動車損害賠償責任保険にあたる自転車総合保険については、強制加入もなく普及しているとは言い難いうえ、近年は損保会社の取り扱いも減っている。保険が付帯するTSマークも一般的とはいえない。無保険状態では、人を死傷させた場合、巨額の損害賠償金を自己負担し、あるいは自己破産することもありうる。


●(交通)視覚障害者 自転車にヒヤリ/東京 (参照


視覚障害者の多くが歩道を走る自転車にヒヤリとした経験を持つことが、NPO法人「コミュニケーション・スクエア21」(東京都新宿区)のアンケート調査でわかった。車道では、交通弱者の自転車が、歩道では逆に、障害者を脅かしている実態が浮き彫りになった。


質問と回答の主なものは以下の通り。

歩道などを歩いていて、「ヒヤリとした体験があるか」(複数回答)
 全員が「ある」と回答。
  自転車関連が最も多く25人と4分の3を占めた。
  「自転車と接触して白杖が曲った」放置自転車にぶつかり、軽い怪我をした」等の深刻な事例も有り。
  横断歩道で横断中に、すぐ前を自転車や自転車が横切ったなどと答えた人が13人。
  歩道のない道路で、トラックなどの荷台や、ミラーにぶつかるという答えも目立った。
自転車の接近が察知できるか
  「音や雰囲気でなんとなくぼんやり判る」16人。
  「全く分からない」との回答が4分の1にあたる8人。
自由回答
  「自転車の人はどんな狭い歩道でも、ほとんどスピードを緩めてくれない」など、マナー違反を問う声が強かった。


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2007.01.26

ナンのいい加減な作り方

 好例、食い物の話でも。で、何だろ? 何だろ、ナンだろ。というべたな洒落でナンのいい加減な作り方。きちんとした作り方についてはぐぐると情報があると思う。
 必要な物は、量り、計量さじ、小麦粉強力粉、イースト、塩、砂糖、油、それと水。
 強力粉はカメリア粉でいい。薄力粉を半分まで混ぜてもいい。これが200グラム。これに砂糖を大さじ2、塩小さじ1、イースト小さじ2を入れて箸でよく混ぜる。油を大さじ2を入れ、水120CCを入れて練る。油はなんでもいい。バターを入れると美味しい。
 手がべたべたになるのがいやなら、「極東ブログ: 手抜きうどんの作り方」(参照)みたいに水回ししてから練るといい。練るものだいたいうどんと変わらないが、ナンの場合はもうちょっとゆるくなる。
 練りながら耳たぶよりちょっと柔らかい感じで均質になったら丸めてボールか鍋に入れて濡れ布巾でも被しておく。室温でいい。待つこと小一時間。おやぁ二倍くらい(立体なので8倍)になったら半分に切って(スケッパーがあると便利)、平たく円盤にする(麺棒があると便利)。厚みは1センチくらい。ここでもう30分くらい待ってもいいけど待たなくてもいい。
 丸めた生地がうまく膨らまないならもっと待つ。夜中に丸めておいて朝に焼いてもいい。小一時間とかにはこだわらなくていい。膨れたら食える。
 さてこの円盤をフライパンで焼く。中華鍋がいい。油は引かない。弱火でちろちろと片面10分くらい焼く。焼くときは鍋蓋かなんかで蓋をする。ひっくり返してもう10分(蓋してね)。焼くのを焦らないのがコツ。
 生地を薄くしているならもう少し短時間で焼ける。急いでいるならそのほうがいいかも。

photo

 これでできあがり。
 のこり半分の生地はビニール袋に入れて冷蔵庫に入れておいてもいい。焼いてから冷蔵庫に入れておいてもいい。もちろん、焼いて食ってもいい。
 レトルトカレーに付けて食う。原価は全部で三〇〇円しないんじゃないか。二〇〇円くらいかな。
 最初はうまくいかないけど、生地が膨らんでいたらとにかくナンにはなって食えるよ。
 応用編。
 その1。薄く丸く焼いたナンってなんだかピザ生地みたいじゃん。あたり。ピザ生地になる。ピザソースを塗って、それにちぎったとろけるチーズとサラミを乗せてオーブントースタで焼けばまんまピザです。
 その2。ナンを膨らますとき、深いテフロン鍋に入れておいて、半日くらいおくと鍋一杯に膨らむ。これを超弱火というかガス台に餅網のせてその上で三〇分くらいかけて焼くとけっこうマジなパンになります。私はこの簡単パンを十年くらい食っていた。沖縄暮らしでめんどくなってべーカーリー・マシンを買ったので、ナンを作るときもこれで作ってしまうことも多いけど。

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自動ホームベーカリー HBD816
私もこれ使ってますよ
 その3。ピザ風よりさらに薄く焼いて(これだとすぐ焼ける)ソーセージとか炒めた挽肉(クミンと塩炒め吉)とかを巻き巻きして食べる。生タコスっていうのかシェルじゃないタコス風。市販出来合のハンバーグを崩してレタスと一緒に巻いて食っても良い。サルサ吉。これを英語でロールアップとか言うんじゃなかったか。なんか具を巻いて食うだけ。海老甜麺醤吉。天ぷらウスターソース末吉。巻き方はこぼれないようにすればなんでもあり。
 貧乏生活は粉食ですよ。

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2007.01.24

最近の二件のトラック事故で気になること

 不二家バッシングがまだ続いているようだが私は皆目わからない。被害者がいたのだろうか。何か違法性があるのだろうか。わからないものはわからないのでただ関心が持てないというだけになる。それに比較してブログ・天漢日乗のエントリ”風見しんごの長女を轢いたトラックは花王の配送車”(参照)には関心を持った。
 この事件には明確な被害者がある。違法性についてはわからない。該当エントリを読み進めるについて、気掛かりになったことがあり、それをこのブログに書くべきか悩んだ。
 最初にお断りしておきたいのだが、私は特定企業をバッシングしたいという意図はまるでない。また気掛かりになった点について裏は取れていない。その意味で不確か情報の伝搬になることを恐れる。しかし、それでももしこの気掛かりになんらかの事実性が含まれているとしたら、私たちの市民社会にとって考慮すべき課題が潜んでいるのでないかと思う。なので、簡単に書いておきたい。
 ブログ・天漢日乗のエントリ”風見しんごの長女を轢いたトラックは花王の配送車”についてだが標題には「花王の配送車」とあるが正確には花王ロジスティクスの配送車であり、法人格としては別なのだろうと思う。ただ、花王が花王ロジスティクスの経営にどの程度の影響力を持つかについてはわからない。
 該当エントリは2ちゃんねる情報をベースにしているので、私にとってはまず不確か情報ということに分類される。だが、この情報は現在発売中の週刊朝日(2007年02月02日号)”風見しんご「なぜ娘が・・・」-10歳愛娘がトラックにひかれ死亡”のレベルでの確認はできるので早速雑誌で確認してみた。


加藤容疑者は04年9月、「花王ロジスティクス」に契約社員として入社。トラック運転手として、せっけんや洗剤などの「花王」製品を世田谷区内のスーパーやコンビニに配送して回る仕事に携わっていた。


 トラックが走ってきた路地は歩行者専用のスクールゾーンだったというが、広報担当者はこうも言った。
「配送先の順番は決めているが、ルートまでは(社で)決めていない」

 雑誌記事のレベルで確認できることは、まずこのトラックが花王ロジスティクスであることだ。私が気になったのは、スクールゾーンでの事故だと確認できるのかということと、それに対する同社の指導の責任はどうなのだろうかということだ。
 話を戻して、ブログ・天漢日乗のエントリでは、冒頭「発掘! あるある大事典II」のスポンサーとして花王についての言及があり、昨今の空気としてはそれに関連させてしまいがちな心情の反映はあるかもしれない。が、その問題とこの問題はかなり別だと言っていいだろう。
 以上の話だけであれば、トラック事故はとても悲劇的な話だがそういうことも世の中あるということで終わる。私が気掛かりになったのは、続けて該当の2ちゃんねるの「花王ロジスティクスってどうよ」(参照)を読んで知った、昨年十二月のひき逃げ事件の言及についてだ。

593 :国道774号線 :2006/12/06(水) 05:25:45 ID:xQvSJVFV
今度は、ひき逃げの死亡事故が起きたんだって?
「死亡事故発生。安全運転を心がけましょう。」だけってアホか。
どういう道で、どういう状況で発生したのか、詳細な説明がないと
参考にもならない。
「運が悪かったね」で所詮、ひとごとだよ。

594 :国道774号線 :2006/12/06(水) 17:06:05 ID:OHR480j0
日曜日に、センター長とマネージャーと誰だっけ3人位、緊急召集とやらで本店に出掛けたよ

595 :国道774号線 :2006/12/06(水) 17:11:56 ID:OHR480j0
書き忘れ。山道って言ってと思うけど巻き込んだの気付かずに3キロ位走って、信号待ちで後ろついて同業者に言われてはじめて気付いたって聞いたぞ!しかも32年間無事故無違反だったらしい。


 この事件の報道にはなんとなく記憶に残っていた。ネットをサーチすると、共同ソースだと思われるが「事件ですニュース:イザ!」”トラックに3キロ引きずられ死亡 茨城の陶芸家”(参照)が該当するのだろう。短い記事であり内容は事実報道に限定されいるのであえて全文引用する。

12/03 11:01
 2日午前10時15分ごろ、茨城県笠間市片庭の県道で、自転車に乗っていた近くに住む陶芸家林秀行さん(62)がトラックにはねられ、車体の下に巻き込まれたまま3.2キロ引きずられて死亡した。
 笠間署は業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の現行犯で宇都宮市御幸ケ原町の運転手、山口二三男容疑者(51)を逮捕した。調べでは、山口容疑者は林さんをはね、バンパー裏側に巻き込んだまま逃走、死亡させた疑い。後方にいた乗用車の運転手が事故を目撃、クラクションを鳴らして停止させた。

 ニュース記事にはトラックの所属について言及されていない。2ちゃんねるの情報ではその所属についての暗示がある。
 このトラックの所属がどこであったか、私からはなんとも断定的なことが言えない。ただ、それが2ちゃんねるの情報の示唆の通りであるなら、一市民社会の構成員として偶然なのだろうかという憂慮を覚える。
 たかがブロガーである私にはこれについて一時情報を持っていない。マスメディアもジャーナリズムもその情報は明らかにしていない。明らかにしなくていい問題なのかもしれない。ただ、私は知りたいとは思う。知りたいのは、特定企業をバッシングするためではなく、なにか特定企業と限らず社会的な構造的な要因がないか懸念を覚えるからだ。

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2007.01.23

ファイザーの来し方行く末

 予想されていたことではあるがファイザーの縮小戦略が実施段階に移るとちょっとぞっとするものがあるなと思った。朝日新聞”米ファイザー、1万人削減 愛知の研究所も閉鎖へ”(参照)より。


 愛知県内の中央研究所の正社員は約400人。ファイザーの広報担当者は「日本の他部門への異動などを検討する」としている。だが、同社は05年12月にも日本法人の社員のうち約300人に退職を勧告し、労使対立が深刻化した経緯がある。外資系で最大級の研究・開発拠点を構え、日本の医薬業界に定着してきただけに閉鎖をめぐる反発が強まる可能性もある。

 いろいろと波及はありそうに思える。
 ファイザーの抱えている問題については、朝日新聞の同記事に特許切れの話があるが、これに加えた状況については、日経”米ファイザー、世界で1万人削減・愛知の中央研究所閉鎖”(参照)が簡潔にまとめている。

 追加リストラに踏み切るのは、後発医薬品との競争が厳しくなる一方、収益のけん引役となる大型の新薬が不足しているため。06年10―12月期には、後発医薬品との競争が厳しくなり、抗うつ薬「ゾロフト」が79%の大幅減収になった。主力製品に育つと期待されていた高脂血症治療の新薬開発も中止に追い込まれた。

 高脂血症治療の新薬はトルセトラピブである。グーグルのフィーリングラッキーで検索すると〇五年六月二九日付けのハッピーな時代のプレスリリース”ファイザー社、トルセトラピブ/アトルバスタチン合剤の生産工場が稼動 可能性を秘めた心血管疾患治療薬の新しい展開”(参照)が出てくる。

LDL(いわゆる悪玉)コレステロール値を下げる薬剤として世界で最も処方されている「リピトール」は有効性と安全性が立証されており、トルセトラピブ/アトルバスタチンは、そうした「リピトール」の実績を踏まえてファイザー社が開発を進めている合剤です。男女を問わず世界の主要死亡原因である心血管疾患のリスクを減らすためにはLDLコレステロール値を引き下げることが非常に重要であるということは、スタチン系薬剤の数多くの試験によって証明されています。ファイザー社の研究開発部門では、HDLコレステロール値を上げると同時にLDLコレステロール値を下げることで心血管疾患のリスクを更に減少することができるという仮説の検証を進めています。

 しかしこれは中止になった。日本語で読める記事を探すと昨年一二月八日付けでフォーブスの邦訳記事”Pfizer製薬、新薬の開発中止で苦境に”(参照)があった。

製薬最大手の米Pfizerが、非常に有望視されていた医薬品の開発を中止する決定を下した。臨床試験の結果、服用によって死亡率が増大することが明らかになったためだ。Pfizerにとっては手痛い開発中止となった。


Pfizerは、トルセトラピブの試験に8億ドルもの研究資金を注ぎ込んできた。他のどの医薬品の試験にもこれほどの費用はかけていない。同社が夢に描いたのは、リピトール(Lipitor)の成功を再現することだった。リピトールは、世界でも売上高トップクラスの医薬品で、年120億ドルを生み出すPfizerのドル箱だ。Pfizer幹部らは「トルセトラピブが製品化されれば、リピトールに劣らない成功を収めるだろう」と話していた。

 ファイザーの合理化はその夢が崩れ落ちた後始末でもあるのだが、それにしても新薬開発のリスクというのはここまで高いものかなと考えさせられる。製薬会社の経営というのはどうあるべきなのかいわゆる経営学的な枠組みで対応できるものなのだろうか。
 それほど関連がある話ではないが、同分野のニュースとしては一八日三菱ウェルファーマと田辺製薬が合併へ協議を開始が気になった。FujiSankei Business i”総合/三菱ウェルファーマと田辺製薬、合併へ協議”(参照)より。

三菱ウェル、田辺両社ともに同日朝、協議を認めるコメントを発表した。三菱ケミカルが合併後の新会社に50%超出資し、三菱ケミカルグループの新たな製薬企業とすることで最終調整しているもようだ。合併会社の売り上げ規模で国内6位になる。

 関連エントリとしては〇四年二月に”極東ブログ: 国内製薬会社再編成がようやく始まる”(参照)を書いたが時代は変わっていく。
 FujiSankei Business iの同記事ではまたこうも触れていた。

 国内市場は薬価(薬の公定価格)引き下げの流れの中もとで今後も伸びが鈍化することが見込まれる中、製薬企業は海外市場に活路を求めなければならなくなっているが、18年9月中間期決算での海外売上高比率は三菱ウェルが6.8%、田辺が9.9%にとどまっており、武田薬品工業(48.5%)やエーザイ(59.3%)などの上位4社に比べ大差が開いていた。

 拡大はむしろアジア市場など市場全体に依存していくのかもしれない。

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2007.01.22

東国原英夫宮崎県知事

 タレントそのまんま東が宮崎県知事選で当選したのには驚いた。この選挙に関心がないせいか泡沫候補ではないかと思っていたからだ。蓋を開けると大勝である。今日付の朝日新聞”宮崎知事選、そのまんま東氏が大勝 自公推薦候補ら破る”(参照)より。


 宮崎県知事選は21日投開票され、無所属新顔のタレント、そのまんま東氏(49)=本名・東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)=が新顔4氏を破り、初当選を果たした。官製談合事件に絡む前知事の辞職に伴う出直し選挙で、県政の信頼回復が争点になった。東氏は特定の政党や団体の支援を受けず、「しがらみのなさ」を強調。圧倒的な知名度を生かして無党派層や各党の支持層から幅広く支持を集め、政党の支援を受けた候補らを大差で破った。任期は同日から4年。投票率は64.85%で、前回03年7月の59.34%を上回った。当日有権者数は93万2127人。

 投票率アップにそのまんま東立候補の影響があったのかもしれない。票差は次のとおり。

そのまんま東 266,807
川村秀三郎  195,124
持永哲志   120,825
津島忠勝    14,358
武田信弘     3,574

 川村と持永の票を合計すると東を上回る。川村は前林野庁長官。自民党の衆院宮崎一区支部推薦を受けたことがあり、今回は民主、社民、連合宮崎の支援も受けた。持永は自民、公明推薦。ということは、持永を担ぎ出さなければ東の目はなかったのだろうから、戦犯は公明党ということかなという印象を持つ。自民党的には川村をひっこめろということかもしれないが。いずれにせよ、東は漁夫の利ではあるのだろう。
 公務についてからは東国原英夫となるそうだがそれにしても「ひがしこくばる」とは珍しい名前なので、新聞の過去記事などを検索すると鹿児島県などに数名あったが、大半はそのまんま東が逮捕されたり書類送検された記事であった。ウィキペディアを見ると(参照)と「トレードマークは禿頭。ちなみに、東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域においては少なくない氏姓である。」とある。選挙にはそれがプラスだったか。ちなみに「原」を「ばる」と読むのは沖縄などでも同じだ。
 そのまんま東は私と同い年なので、その分昔からなんとなく関心を持っていた。もともとインテリなのではないかと思うし、風俗店で一六歳の少女と関係したというあたりも身につまされるものがある……いやそれはないない。美人の奥さんがいていいなと思うがと、かとうかずこのことを思い出し、彼らの離婚の直接的な原因は夫東の政治家転身ではなかったかと思った。今ならかとうかずこは知事夫人だし、そんなふうに縒りを戻してもいいのではないか。だがなんとなく、かとうはそうしないのではないか。ここで東がかとうに三千顧の礼でも縒りを戻すなら、ああ、こいつはたいした男だなと私は思う。
 連想はかとうかずこに向かう。彼女は昭和三三年産まれだが二月なのでやはり私と同級生である。率直に言うとかとうかずこは私が好きなタイプの女優ではないのだが、それでも私の世代には大きな意味を持つのは、田中康夫作「なんとなく、クリスタル」(参照)の映画(八一年)の主人公であり、私自身まさに青春のまっただなかの思い出に結びついているからだ。アマゾンを見たらDVDはない。これは映画としてはハズレだったのだろう。
 ところでウィキペディアを見て知ったのだが、「かとうかずこ」ではなく「かとうかず子」と「子」のところだけ漢字に昨年改名しているのだった。知らなかった。
 彼女が結婚したのは九〇年だった。東は再婚のようだ。かとうが三二歳、東が三三歳といったところだったか、確認してみると九〇年三月一五日入籍で二人とも三二歳とある。同年に長男出産、三歳離れて長女出産。お子さんたちももう随分大きくなる。というあたりで、東の心に父親として立派になりたいという欲望があったのかもしれない。
 〇一年の読売新聞”女優・かとうかずこ(3)いつまでも果敢に挑戦”というインタビュー記事が面白い。

 彼(夫、そのまんま東)とは同い年です。二十代の私は自分本位で、男も見た目と思ってた。それが三十歳過ぎて彼に出会ったら、同級生の男の子もこんな風に大人になるんだ、と分かって。成長の具合がお互い、ちょうどよかったのかなあ。お金で買えるものはもういい、と思えるようになっていた。
 三年前、主人が参考人として警察に事情を聞かれ、騒動になった。マスコミは、私が彼をどう怒ったのか聞きたがったけれど、私が罰する前に、仕事がなくなったり、一番痛手を受けたのが彼だったじゃないですか。
 私はまず、子どもたちが傷つかないようにするにはどうしたらいいか考えた。つまらない情報が流れ、よその親から子どもの口を通じてわが子に聞こえるのがいやだった。そして、親がこういう職業だから子どもがいじめられるのなら、親が責任を取らなければならないな、と。

 良妻賢母というところだと思う。いい奥さんじゃないか、東国原英夫知事がんばれとでも言いたくなるが、そういうものでもないのだろう。
cover
そのまんま東へ
FUNKY MONKEY BABYS
 東国原知事の選択は宮崎県民にとって失敗になるのではないかと青島幸男を選んでしまった都民は思う、いや私はそのとき沖縄県民だったな。
 東国原知事の失敗を願うものではない。だが、失敗したらそれも妙に男の人生かなと思うのでしばらく見続けていたい。ま、がんばれ同級生、とは思うな。今年は五〇歳だな。

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2007.01.21

納豆の健康効果

 「発掘!あるある大事典II」第140回「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」でまさに新事実が発覚し、関西テレビ放送も「視聴者の皆様へ」(参照)で公式にアナウンスした。この番組は何年か前数度見たことがあるが今でも継続してやっているとは知らなかった。先日スーパーに行ったら納豆が売り切れていて、この番組の影響と知り呆れた。とはいえこの回は見たら面白かっただろうとちょっと残念に思った。


テンプル大学アーサー・ショーツ教授の日本語訳コメントで、「日本の方々にとっても身近な食材で、DHEAを増やすことが可能です!」「体内のDHEAを増やす食材がありますよ。イソフラボンを含む食品です。なぜならイソフラボンは、DHEAの原料ですから!」 という発言したことになっておりますが、内容も含めてこのような発言はございませんでした。

 爆笑。なかなかないいジョークなんじゃないか。楽しめるエンタイメントでFA(参照)、でいいような気もするが、DHEAが日本のお茶の間に出てくる時代なのか。ちなみにウィキペディアにDHEAの解説があるかなと思ったら、あったのだが(参照)。

デヒドロエピアンドロステロン(Dehydroepiandrosterone、略称 DHEA)とは、副腎から分泌される男性ホルモンの一種である。

 「男性ホルモンの一種」と言い切っていいのだろうか。エストロゲンにも変化する前駆体のはずだが。英語版を見ると(参照)ちゃんと書いてある。

Dehydroepiandrosterone (DHEA), is a natural steroid hormone produced from cholesterol by the adrenal glands, the gonads, adipose tissue and the brain. DHEA is the precursor of, androstenedione, testosterone and estrogen. It is the most abundant hormone in the human body.

 DHEAはホルモンには違いないが、コレステロールの一種と見てもよいのではなかったか。いずれにせよ米国では十年来サプリメントで事実上人体実験をしているが特に効果はなさそうだ。という以前になぜそれが納豆?
 ついでにウィキペディアで納豆の項目(参照)を見ると親切というかなんというか。

とくに関東地方以北と南九州で好まれている。特有の匂いのためか、その他の地方(特に関西・四国地方)ではあまり消費されなかったが、製法や菌の改良などで臭いを少なくしたり、含まれる成分のうち「ナットウキナーゼ」の健康増進効果がテレビなどのメディアで伝えられるようになった結果、1990年代後半にはほぼ日本中で消費されるようになった。また、ビタミンKも豊富で、大豆由来のタンパク質も豊富であり現在でも重要なタンパク質源となっている。総務省統計局の全国物価統計調査の調査品目に採用されているほどである。

ただし、一部マスコミが主張するような、ナットウキナーゼが直接体内の血栓を溶かすなどという現象は現実にはあり得ない(ナットウキナーゼは分子量が大きいのでそのままの状態では腸から吸収されない)ので、非科学的な煽動に踊らされて過剰な期待をよせることには注意を要する。


 というわけでナットウキナーゼが血栓を溶かす効果はないと断定し、しかもその理由は分子量が大きいので腸から吸収されないからだそうだ。つまり、それは非科学的な煽動なのだそうだ。へ~ぇ。
 英語のウィキペディアを見るとそこまで非科学的な記述はしていない。

Natto for example contains a compound Pyrazine, which not only gives natt? its distinct smell, but also reduces the likelihood of blood clotting. It also contains a serine protease type enzyme called nattokinase[1] which may also reduce blood clotting both by direct fibrinolysis of clots, and inhibition of the plasma protein plasminogen activator inhibitor 1. This may help to avoid thrombosis, as for example in heart attacks, pulmonary embolism, or strokes. An extract from natto containing nattokinase is available as a dietary supplement. Studies have shown that oral administration of nattokinase leads to a mild enhancement of fibrinolytic activity in rats[2] and dogs. It is therefore plausible to hypothesize that nattokinase might reduce blood clots in humans, although clinical trials have not been conducted.

 数例だがラットと犬の実験では血栓溶解が示されたと記し、それを元に人間でもその効果が期待されるが臨床実験はいまだなされていないとしている。概ね正しい。
 ”The enzyme of enzymes - Nattokinase”(参照)には臨床試験の示唆がある。

Nattokinase has been the subject of 17 studies, including two small human trials. Nattokinase's most intriguing role promises to b e its involvement in coagulation homeostasis. While other soy foods contain beneficial enzymes, it is only the natto preparation that contains the specific nattokinase enzyme.

 この試験についてはPub Medでは確認できなかった。恐らく、倉敷芸術科学大学須見洋行教授の研究だろうと思われる。
 まあ、納豆を食べることで血栓溶解を期待するというのと、納豆から血栓溶解の薬品を作り出す研究をするというのは話が別だが、この数年の動向から見るとそれほど納豆に期待できそうにはない。やっぱりここはミミズですかねとかふざけて書くわけにもいかない。
 十年以上前だがラットの研究”Thrombolytic effect of nattokinase on a chemically induced thrombosis model in rat.”(参照)ではナットウキナーゼをウロキナーゼと比較している。
 ウロキナーゼと言えば小渕元総理の怪死とその総理大臣権限の委譲の闇が思い出される。がまだまだ語るべき歴史には所属していないだろう。ましてブログに書くこっちゃないでしょう。

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2007.01.20

アメリカシロヒトリの思い出

 正月NHKの「日めくりタイムトラベル」(参照)で昭和四二年をテーマにした番組をやっていて面白かった。私が十歳の時代である。出演者は昭和四二年生まれと、その時代青春だった人だった。


昭和42年を知りたい会 (昭和42年生まれ)
会長:伊集院光
会員:生田智子、香田晋、玉ちゃん(浅草キッド)、デーブ大久保、ピエール瀧、松村邦洋、南野陽子、渡辺真理  (50音順)

昭和42年を知ってる会
会長:中尾彬
会員:伊東ゆかり、猪瀬直樹、小林亜星、里中満智子、奈美悦子、ムッシュかまやつ


 昨日のケロロ軍曹でもパロディになっていた少女鉄仮面伝説も今年は四十歳か。昨日だったかNHKで斉藤由貴が出ていたが2ちゃんのAAのリアルの母みたいな雰囲気だった。まあ、歳月というものだ。
 この年の話題はこうまとめられていた。

1月
  明治大学紛争 →学生運動広がる
  第31回 日劇ウエスタン・カーニバル
2月
  ザ・タイガース、デビュー →GSブーム
  羽田空港ビル爆破事件
3月
  日本航空が世界一周航空路開始
  高見山、初の外国人関取に昇進
4月
  美濃部革新都政始まる
  天井桟敷が旗揚げ公演
  藤猛世界タイトル獲得
5月
  東京六大学野球で「法政の怪物」田淵幸一が新記録
6月
  美空ひばり「真っ赤な太陽」発売
7月
  リカちゃん人形発売
8月
  ラジオ深夜放送開始
  新宿に「フーテン族」集まる
9月
  四日市ぜんそく訴訟提訴
10月
  「ウルトラセブン」放送開始
  第1次羽田闘争
ツイッギー来日 → ミニスカートブーム
  吉田茂国葬
11月
  第2次羽田闘争
12月
  帝国ホテルライト館解体 
  銀座線など都電廃止
  「ブルー・シャトウ」がレコード大賞を受賞

 いろいろと覚えていることがある。歴史感覚としては吉田茂国葬が思い出深い。子供ながらにも日本人の大半がつまり庶民が吉田を愛していたことがよくわかった。
 都電廃止前の東京も覚えている。安全地帯の記憶もある。
 「真っ赤な太陽」のリアル記憶もある。番組では扱わなかったが「ウルトラセブン」はこの年だったか。ということは私が好きだったあのめちゃくちゃな「キャプテンウルトラ」(参照)もこの年だった。
 枕話が多くなったがあの時代で何か忘れているなと、解体された駅でも見に国立に散歩に行き、冬枯れの桜並木を見て、アメリカシロヒトリのことを思い出した。連想したのは先日のニューズウィーク日本版(2007-1・24号)の「生態系壊す外来種の脅威」で、現在の中国でアメリカシロヒトリが暗躍しているのを知ったこともある。

中国では、外来種の蛾アメリカシロヒトリが毎年130万ヘクタール以上の森林を食い荒らす。政府が投じた対策は約80万ドル相当にのぼる。

 今でも中国ではアメリカシロヒトリに悩んでいるのだろうと近年のニュースをサーチすると人ごとではない群馬県前橋市では昨年大発生したいたようだ。もっとも自然観察少年だった私は今でもアメリカシロヒトリの成虫をよく見かけるので、あれがいるだろうことは知っていた。写真は群馬大学の「アメリカシロヒトリ」(参照)がわかりやすい。
 とはいえ最近都会では大発生ないようだ。だから、アメリカシロヒトリに都下の桜が全滅しそうだったあの時代を知るのも私の世代から、つまり五十歳以上ということになるのだろう。奇妙な感じだ。記憶では昭和四十二年ごろだったように思うがいつだったか。
 ネットを見ていたら「泉麻人の東京版博物館」に”アメリカシロヒトリの夏”(参照)というエッセイに詳しい話があった。読むと一昨年の記事だが新宿では発生があったらしい。

 ことしはアブラムシが大発生している、と聞くけれど、40年も前の都市型害虫というと、もっぱらこのアメリカシロヒトリであった。昭和38年の6月……僕は記事と同じ新宿区内の小学1年生だった年である。写真の“殺虫剤散布”の様子も見おぼえがある。こういう部隊がやってくると、「アメリカシロヒトリが来たわよ!」母の号令のもと、縁側のガラス戸を手早く閉めるのだ。

 泉麻人は私より一つ年上なのでだいたい同じ世代だ。昭和三十八年といえば私がまだ幼稚園だったことになるが、それ以降も数年あったように思う。私の記憶では桜並木の下にぼたぼたと毛虫が落ちてくるのだった。
 どうでもいいが、ウィキペデイァの泉麻人(参照)の項目を見たらこんな話が。

自分の青春のアイドルは「栗田ひろみ」であると公言していた。

 うぁ、ツボだな。栗田ひろみ(参照)は同い年。つまり今年五十歳か。曽我ひとみさんに似ているかもしれない。

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2007.01.18

夫婦同居しない社会

 一六日ニューヨーク・タイムズに半数を超える女性が配偶者と同居しないという記事があった。”51% of Women Are Now Living Without Spouse”(参照・要登録)である。国内では産経新聞”シングル女性 米国で過半数 日本42%”(参照)がこれをネタとして引いていた。ヒキはこんな感じ。


いまや米国女性の過半数は「シングル」-米国勢調査局がこのほど発表した2005年の国民の生活実態調査で、変わりゆく家族の形が明らかになった。「女性解放」が発展した先進国で進む男と女の“別離”。夫と一緒に暮らす女性は少数派に転落し、家族のイメージや社会政策のあり方も様変わりしそうだ。

 一読へぇ~と思う人もいるかもしれない、というか私もへ?くらい思った。産経の子引き記事の標題は日本指向なのだが、オリジナルでは「51%」と半数を超えたところに意味を持たせていた。つまり既婚同居がマイノリティになったという展開だが、実際には大きな社会変化ではない。00年時点で49%という数字が出ている。

In 2005, 51 percent of women said they were living without a spouse, up from 35 percent in 1950 and 49 percent in 2000.

 むしろこの五年間は微増というかむしろ抑止的な傾向もあったのではないかと推測される。どうでもいいが、そういうことなので以下の産経の書き方はちょっとよろしくない。

60年には35%だったシングル率が、70年に40%に、90年には47%と右肩上がりに増え、2005年、ついに半数を上回った。

 ついでに。産経はこう進めているのだが、それはなぁ。

 平均寿命の短さなどから男性のシングル率は女性より低いが、増加傾向は同じ。夫婦そろって同じ屋根の下という家族の最小単位像もすでに崩壊に向かっている。伝統的な家族の価値を重んじるブッシュ大統領が家族像をどう取り戻すのか、内なる試練になりそうだ。

 そんな話の展開はちょっとお作文が過ぎるわけで、オリジナルにはそんな示唆はない。というか産経のお家の事情が入りまくり。
 とはいえ、「日本でも15歳以上の女性で配偶者がいない割合は42%(2000年)と、半数近くはシングルというのが実態だ」という指摘はそれなりに、消費動向などの点では重要だろう。
 オリジナルのほうに戻って、ふーんと思ったことがいくつかある。

Only about 30 percent of black women are living with a spouse, according to the Census Bureau, compared with about 49 percent of Hispanic women, 55 percent of non-Hispanic white women and more than 60 percent of Asian women.

 黒人の配偶者同居女性は30%。ヒスパニックだと49%。いわゆる白人は55%。アジア人では60%を越える、とのこと。これが民族・文化的な傾向なのか、米国社会のエスニシティの状況との相関なのか、所得階層などの影響なのか、簡単にはわからないが、エスニシティ社会の問題のようにも見える。というのは、アジア人が同衾の傾向を持つとは一アジア人として私は想定しづらい。
 結婚や同棲の制度的な問題もありそうだ。

Ms. Zuzik has lived with a boyfriend twice, once in California where the couple registered as domestic partners to qualify for his health insurance plan.

 健康保険などの待遇において同居者が優遇されることが行動に影響を与えるだろう。このあたりは日本の場合はどうだろうか。いわゆる社会的な要因よりも大きいと言えるのだろうか。
 もう一点、離婚との関係では。

"Men also remarry more quickly than women after a divorce," Ms. Smock added, "and both are increasingly likely to cohabit rather than remarry after a divorce."

 米国では男性のほうが再婚しやすい。そして男女ともに離婚後は再婚より同棲が多い。これらも法制度的なメリット・デメリットの問題かもしれない。
 こうした統計を見て私なりの結論は特にないが、結婚が女性の生き方というのは、日米ともに大筋でどんどん軽減されていくのだろう。むしろ、女性の生き方における結婚・同棲という意味合いが変わるだろう。それと、意外と社会制度側の要因は大きいのかなと思った。フランスでは出生率が2・0を越えたというが、婚外子を扱う社会制度の側の要因は少なくはないだろう。

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2007.01.17

このところの穀物高騰など

 暖冬で石油需要が減り原油価格が下がってきたと言われる。それはそうなんだろうがこれまでの原油高騰は振り返って多分に投機が原因だったと見てよいのではないか。もちろんベースのニーズが増えているので原油価格が九〇年代のようになることはないだろう。ただ、ベースのニーズというなら次は穀物が問題になりそうだ。一六日付けFujiSankei Business i”エタノールブームでトウモロコシ高騰、養豚農家が悲鳴”(参照)では米国の状況について畜産関連で触れていた。


 代替燃料として注目を集めているエタノールの増産ブームに養豚農家が悲鳴を上げている。豚の飼料であるトウモロコシがエタノールの原料として使われるため価格が高騰、採算が合わなくなってきたからだ。

 記事ではエタノール生産について個別的には触れているが国策としてのエネルギー問題とのリンクについては触れていない。
 同じくFujiSankei Business iの九日付の記事”バイオ燃料高騰 進む鶏脂肪油燃料 穀物より低コスト ”(参照)では標題通り鶏脂肪油燃料について触れている。

 バイオディーゼル燃料向けの需要拡大で急騰する穀物に代わり、家畜の脂肪を原料とする低価格燃料が米国で急速に普及しそうだ。食肉大手や中小ベンチャーが相次いで事業化に向け始動。5年後にはバイオ燃料の半分を占めるとの予測も出ている。

 私はディーゼルについては大豆原料バイオ燃料が主流になるだろうと思っていたので、記事はネタかなという印象も持つ。がそうとばかりは言えないかもしれない。

 大豆油燃料の場合、1ポンド(約0・45キロ)のコストは33セントなのに対し、鶏脂肪燃料は19セントと6割以下で製造できるという。
 このため、家畜脂肪燃料は急速な普及が見込まれており、同紙によると、ミネソタ大のバーノン・エイドマン教授は5年後に大豆油燃料がバイオ燃料全体の2割にとどまるのに対し、家畜脂肪燃料は5割を占めると予測している。家畜脂肪燃料の生産が本格化すれば、穀物油燃料の価格低下にもつながりそうだ。

 以前ネタで書いたエントリ”極東ブログ: ベトナムで期待されている新しいバイオ・エネルギー”(参照)がネタとも思えなくなるような時代の変化だ。
 話を穀物ベースのバイオ燃料に戻すと、この傾向はかなり進むらしい。四日付け共同”エタノール拡大で穀物急騰 トウモロコシの半分燃料に”(参照)では、〇八年というから来年トウモロコシの米国生産量のほぼ半分がエタノール向けになるらしい。もっともこの話の出所を見たら”極東ブログ: 中国はもはや食料輸入国”(参照)や”極東ブログ: 世界市場の穀物価格は急騰するか?”(参照)と同じくレスター・ブラウン、またかよ、だった。しかしまた君かというわけにも行かなくなるかもしれない。
 穀物高騰は日本国内の畜産への影響もあるだろうし、それはけっこう社会問題として大きく浮上してくるかもしれないが、世界的に見るとやはり中国経済にどう影響するかということが大きいだろう。すでに中国国内での大豆油は値上がりしているし、さらに全体的にインフレを加速する要因となるだろう。そのあたりがどのくらいの中国経済の動向にインパクトを持ちうるのかわからないが意外と大きくなるかもしれないなという印象はある。
 穀物高騰の理由は以上のような流れからみると米国のエネルギー問題が主軸のようでもあるが直接的な原因は国際的な干魃らしい。オーストラリアが特にひどかったようにも聞く。またインドがかなりの穀物買い付けも行ったらしくそうした情報を元にした投機的な要因は大きいだろう。このあたりの要因を外すと、原油価格高騰のように一時的な問題と言えないこともないだろう。
 だが気になるのは、米国では一二年までに七五億ガロンのエタノールの生産体制を義務づけており、今後は構造的に二〇%がエタノールに回されるらしい。するとうがった見方だが、米国の政策によって穀物を飼料とするかエタノール原料とするかが決定できるとすれば、それを梃子に世界経済に影響を与えることが可能になるとも言える。そのあたりにどのくらい米国の国家意思のようなものがあるのかよくわからないが、陰謀論的に考えなくても、この配分がけっこう強い外交カードになっていくのだろう。

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2007.01.15

歌会始の儀の天皇家の歌

 歌会始の儀のニュースをラジオで聞いた。御製と皇后の御歌は祝詞のようにというのか古式というのか、有り難たそうではあるが聞いてもよくわからないので、ネットを覗くと、朝日新聞サイトの記事”皇居で歌会始の儀 お題は「月」”(参照)に掲載されていた。
 天皇家の方たちの歌は巧まざる秀歌が多い。今年はいかにと読み、私は感動を覚えた。まあ、そんなことを書くとネットの世界では右翼呼ばわりされるか、あるいは逆の方向からお前は歌がわかってないなと言われることであろう。が、写して感想を書いてみたい。

  天皇
  務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり

 天皇という存在は戦前戦後を問わず日本国の憲法の下に置かれているが、日本の歴史はその意味を多様に変えてきた。特に近代では古代の天皇家を模して、すでに近江領主の一家系に過ぎない家を王家として持ち出してきてしまった。それを伝統と呼ぶか歴史と呼ぶかわからない。思想と呼ぶべきにも思う。
 いずれにせよ、具体的な天皇個人にとって天皇とはその存在自体が務めであり、その個人の心の思いとしては、個々の務め終える安堵や困難があるだろう。帰る先には天皇ではなく普通の家人としての生活があり、そこに至る道程を祝福するかのように月は白く光る。古代であれば日の皇子であろう存在に月が優しく一人の人間の影を与える。

  皇后
  年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて

 歳旦祭(さいたんさい)は辞書には、「元旦に、宮中・諸神社で行う祭祀。皇祖・天神地祇をまつり、五穀豊穣・国民安寧を祈る」とある。御歌の「君」は天皇を指し、天皇は歳旦祭に向かうのであろうが、この「君」の言葉に万葉の古語のように恋人の響きが感じられ、美智子様の愛情に胸打たれる。送る立場から見る天皇は天皇であっても恋人の君であり、送る前まではまさに恋人たちの空間にいた。そこから「公」の空間に君を天皇として見送らなくてならない。それが美智子様の後半生の役目であったことが「月の在りどを確かむる」に響き美しい。
 歳旦祭と四方拝の違いについて私はよく知らないが、元旦の早朝には月が残るのであろう。明治以前に起源を持つ行事であるから旧暦で行うべきではないかと思うが新暦で行われるのであろう。旧暦ならば「年ごとに月の在りどを確かむる」ことはない。常に新月として見えない。その「在りどを確かむる」ことは近代化の天皇家を結果的に暗示してもいる。
 四方拝はウィキペディアには(参照)「平安時代初期、宮中を始源とし、これに倣って貴族や庶民の間でも行われ、四方を拝して豊作と無病息災を祈っていたが、次第に宮中だけの行事となった」とある。辞書には、「鎌倉以降は堂上家中心の行事となり、江戸時代には内裏だけとなった。明治になって新たに元朝4時,神嘉殿南庭に座を設けて行なうようになった」ともある。歳旦祭との違いについては触れてない。
 ウィキペディアには拝する先について近代の変異について言及がある。


1月1日 (旧暦)の寅の刻(午前4時ごろ)に、みかどが綾綺殿で黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう:みかどの朝服)を着用し、清涼殿東庭に出御して天皇の属星(ぞくしょう:誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星のなかの星)、天地四方の神霊や父母の天皇陵などの方向を拝し、その年の国家・国民の安康、豊作などを祈った。


元旦の午前5時半に、黄色の束帯を着用して、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南の庭に設けられた建物の中で、伊勢神宮の二宮に向かって拝礼した後に四方の諸神を拝するように改められた。

 道教の儀礼が近代の擬古的な神道にここでも変更されているようだ。

  皇太子
  降りそそぐ月の光に照らされて雪の原野の木むら浮かびく

 御歌で私が連想したのは実朝の「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」でありその小林秀雄の評であった。小林は実朝の歌を繊細で悲しい歌と見た。それもそうだろう。大海原の小島の波を見つめる視線は若者特有の繊細さであり運命の悲劇の予感をも含むものだ。
 皇太子の御歌にはそうした細い繊細さはなく、荒涼とし毅然とした世界のなかで強く起立するものだけを見つめている峻厳さがある。しかし、その峻厳さにだけ向き合っている孤独も感じられる。

  皇太子妃雅子さま
  月見たしといふ幼な子の手をとりて出でたる庭に月あかくさす

 皇太子妃の御歌でなければただ幼子と母の微笑ましい光景であり、もちろんそうした微笑ましい私的な愛情の空間も意味しているはずだ。月があかくさす庭に将来の女帝の暗示を読むべきではないだろう。しかし、この月の光が御製の月の優しさと同じ位相にあることを感じないわけにもいかない。

cover
昭和天皇のおほみうた
御製に仰ぐご生涯
鈴木正男
 私のいない半世紀後の日本国の帝は誰であろうか。愛子様であればこの歌に籠もる愛情と悲しみをその時も胸に秘めておられるだろう。

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2007.01.14

ドブネズミとクマネズミ

 不二家問題はそんなに騒ぐことかなとあまり関心ももてないでいたのだが、そういえば藤井林太郎って藤井家直系だったっけかと気になって調べてみるついでに、当のニュースを読みながらネズミほうに関心が移った。というわけで、ネズミの話に移る前に、まず不二家創業は藤井林右衛門。「統合VPN」ソリューション「株式会社不二家様」(参照)によると、明治四三年、二五歳の林右衛門が横浜市元町2丁目86番地に洋菓子店を開店。この屋号が不二家だったかよくわからない。青年は明治四五年から翌年にかけて渡米。その後順調に菓子屋を広げていくようだが、関東大震災で大きな被害を受けたようだ。そのあたりの歴史を何かのおりに調べてみたい気がする。というか洋菓子普及の歴史も知りたい。
 ペコちゃんのキャラを考案したのが林右衛門の次男で二代目社長藤井誠司(参照)。現社長の林太郎は誠司の子供になる。ただこの間、林太郎のいとこの藤井俊一が社長をしておりそれ経由で現社長となった。
 さて、ネズミの話だが、不二家問題のニュースを追っていると、工場にネズミがいて不衛生でいかんということのようだ。一二日付け毎日新聞” [不二家]問題隠ぺいの形跡?「雪印の二の舞い」と内部文書”(参照)ではこう。


不二家によると、昨年6月8日に埼玉工場(埼玉県新座市)で製造したシューロールで、基準を超える細菌が検出されたが、そのまま113本を出荷した。消費期限を社内基準より1日長くしたプリンの出荷も判明した。また、同工場では04年に1カ月で50匹のネズミを捕獲、06年夏以降も2匹捕獲しており、衛生上も問題があった。

 一か月で五〇匹というのはすごいなと思うが、昨年は二匹ということなので、それほど問題なのだろうかというのが私の最初の印象で、そういう印象を持ったのはそのくらいは普通にいるんじゃないかと思っていたからだ。
 というのは都市部や住宅街で私はよくネズミを見かける。私は目が良くないのだがネズミはよく見つける。連れがいると、ついほらそこにネズミがいたよとか教えるのだが、どうもわからないらしい。ネズミを見る人と見ない人がいるのではないだろうか。というか、どうも私のような人間はネズミが出てきそうなところをなにげなく見ているようだ。地下鉄とかにもネズミがけっこういるのだが、無意識に出てきそうなところを見張っている。
 そうした印象からなのだが、都会にネズミがけっこう増えている。住宅地にも多い。ニュースをちょっと調べてみたのだが、不二家の工場で大猟だった〇四年ころは多少話題になっていたようだがその後はあまり問題視されていない。ネズミが減ったとはどうも思えないのだが。
 都会で増えているのはクマネズミ(参照)らしい。東京についていえば、十年くらい前までは寒さに強いドブネズミ(参照)のほうが多かった。図体はドブネズミのほうが大きい。というか、あれだけ都会にネズミがいるのにネズミというのは小さくて可愛いと思っている人が多いようなのだが、ドブネズミは体長二十五センチ。クマネズミが二十センチ。見るとわかるが、けっこうでかい。足下なんかに死んでいると、なんじゃこれと思うくらい。英語でいうとどっちもラットであってマウスではない。
 運動神経はクマネズミが優れていて電線とかにちょろちょろ走っているやつがそうらしい。区別は耳の大きさのようだがそんなの観察できるほどじっとしていない。もともとは、ドブネズミが都会のネズミで、クマネズミのほうが田舎のネズミだったようだが、イソップ童話のようにはいかない。
 ネズミはいろいろとトラブルを起こす。衛生問題もだが、電線やガス管などもよく囓るので都心での不審な火事などの背景にはけっこうネズミがいそうに思うが、実態がよくわからない。いずれなにか社会問題になるのでしょうかね。

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2007.01.13

人民元と香港ドルの逆転とか

 香港ドルと人民元の通貨価値が十一日逆転した。変化自体は突然ということではないし、今後さらに急激に変化するということもない。が、いずれ香港ドルは人民元に飲み込まれるだろうというお話も出てくるし、風景も変わってくるようだ。単純な話、香港ドルの存在感は低下する。例えば、九日付け中国株投資情報”人民元レート上昇で香港ドル支払い拒否の店も”(参照)より。


人民元の為替レート上昇に伴い、既に中国国内と香港の銀行などでは、顧客が両替する際の人民元レートが香港ドルレートを上回った。1月5日現在、中銀香港の店頭では100香港ドルが99.5人民元と交換されている。こうした現状を受けて、広東・珠江デルタ地域の商店では、以前は歓迎していた香港ドルによる支払いを拒否する店がでてきた。8日付で中国新聞社が伝えた。

 香港はじり貧か。中国本土で工場経営している香港資本にとってはやりにくい時代になるのだろうが、観光業としてはこれから本土から落としてもらえるカネが増えるので歓迎光臨といったところだろう。が、本音のところでは香港の人は人民元を信じてないんじゃないか。
 ネットを見回していたら産経新聞”マネー受け皿、香港の限界”(参照)が面白いといえば面白かった。それだけのことかもしれないが。

香港の隣、中国・深センでタクシーに乗ったら香港ドルでの支払いを拒否された。人民元高のためだが、人民元が香港ドルに取って代わるという俗論に気をとられてはいけない。わずか東京都の半分の面積でしかない香港の株式・不動産市場がバブル化し中国本土や産油国など世界の余剰マネーの受け皿としてもはや限界に来たとみるべきである。マネーを本土自体が吸収する態勢を整えないと、中国圏はもとより世界経済の安定は望めない。香港ドル・人民元の逆転はその黄信号である。


アラブ産油国の金持ちや日米欧の機関投資家はまずは香港市場に出て香港ドル建て資産で運用しながら人民元資産へ投資するチャンスをうかがう。一方で、中国の輸出は増え、2006年の貿易黒字は1775億ドル、前年比で74%増となった。投資家は巨額の黒字をみては人民元相場の一層の上昇を期待する。
 香港ドル建ての資産市場では世界の余剰マネーをさばき切れない。香港バブルが崩壊すれば、上記の香港活用方程式は消滅し、中国経済が揺さぶられる。中国不安は世界の金融市場に伝播(でんぱ)する恐れもある。

 いやはやそうなのか。問題はバブルが崩壊したとしてその規模なのだが、そんなに深刻なものだろうか。
 見回った記事では人民元の強さを強調しているものが多いのだが、このところの相場を見るとドルが弱いということの相対性でもあり、ドルの行方も同じくらいどうなんでしょという問題にも思える。
 ざっくり言えば、それでも人民元と香港ドルの逆転という事態は、中国様って偉くなったね的心理的なインパクトとしてはガチだろう。中国様もそれなりに振る舞わなくてならないということでもあり、布石も進んできているようだ。
 話がずっこけるが正月”極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)”(参照)をもう一度読み返していた。ウォルフレンの言っていることはどのくらい現状妥当かな、と。いくつかより好意的にとらえられる点もあるのだが、この本はやはり中国様というときに上海閥と胡錦涛系の差が考慮されていないしそこを捨象できる視点でもないのが痛いか。
 ”極東ブログ: 胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもね”(参照)でも触れたように、これまでの何かとお怒り中国様や媚中派さんたちのお好きな物語も、上海閥の崩壊とともに終了してきてしまった。なので、新しい物語が出てくるでしょと思ったら、渦中、中国様ってば分かり易すぎ。昨年十一月中国中央テレビが「大国崛起」を放映。全十二回で基本的に一回ごとに歴史の大国を充てるのだが、スペイン・ポルトガル、オランダ、イギリス(上下)、フランス、ドイツと、ベタな西洋史というか、九〇年代のポール・ケネディ「大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争」(参照上参照下)を連想させる。続いて、日本、ロシア、ソ連、アメリカ(上下)、そして総括という仕上がり。
 この並びでどのくらい美しい日本を描いていただけるのか日本人としてはワクテカなのだが、見た方の感想はブログ「不易と流行:路地裏の中国経済」”大国崛起(CCTVドキュメンタリー)☆☆☆☆”(参照)ではこう。

 中国で製作されたこの種のドキュメンタリーの中での比較感で言えば、かなり冷静、客観的に作られていて、少しほっとしました。明治維新から所得倍増計画まで、特に、岩倉使節団の派遣、大久保利通の殖産興業政策、澁澤栄一の思想、ソニーの勃興などにスポットを当てて、日本の発展の「秘訣」を探っています。お決まりの「軍国主義・侵略・南京大虐殺」→「まったく過去の歴史を反省しない民族性」→「アジア人民、世界人民に尊敬されない国」という「あの歴史観」では無く、その代わり日清戦争から第二次世界大戦までを一まとめで「軍国主義化」として、20秒くらいで飛び越してしまいました。

 産経新聞の記者ブログのエントリ”【中国を読む】余裕か焦りか「大国崛起」ブーム”(参照)でもこう。

 《約150年前、太平洋西端に位置する島国日本は、西洋植民者の堅固な船による砲撃の脅威のもと、巨大な生存の危機にさらされていた…。しかし、日本はこの歴史のチャンスを迎えうち、東方世界で最初に国家の現代化を実現し、列強の仲間入りをし、アジアに植民地を打ち立てたのだった…》
 テレビからこんなナレーションが流れてきた。風邪でダウンしているとき、ぼんやり眺めていた中国中央テレビ(CCTV)制作の歴史ドキュメンタリー番組「大国崛起(くつき)」12集DVDの第7集「百年維新」である。熱のせいの幻聴かと思った。これまでの中国の歴史観と違う。中国の歴史番組で憎むべき侵略者として描かれてきた日本が、列強の侵略をうまくかわし自ら侵略者となり、敗戦後も驚異的な経済成長をとげた大国として評価された。

 そういうことなんでしょう。
 現在米国は中国に対してスーダンが国連の平和維持軍を受け入れるように説得しろとしているのだが(参照)、そのあたりを受け入れたら、中国も普通の大国への道を進みだすのかと半分くらい思う。あとの半分は、民主主義国じゃねーこんなでかい国ってなんだろとか思うけど。

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2007.01.11

中国とパキスタンの反テロ合同軍事演習「友情2006」

 たいした規模ではなさそうなのだが、昨年年末実施された中国とパキスタンの反テロ合同軍事演習「友情2006」(the Friendship 2006)についてなんとなく気になりつつ、全体の見取り図のなかでどういう意味を持つのか今一つよくわからないでいた。かく思案している間に七草が過ぎ鏡開きとなる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか。
 「友情2006」について国内報道がなかったわけではない。人民日報の日本支部というわけでもない朝日新聞にも転載されていた。”中パ反テロ合同軍事演習、実際の部隊による演習”(参照)より。


 両軍の部隊は現地時間17日午前に合同指揮演習を開始。合同監督部を設置し、司令部設置、情況分析、作戦決定の3点を訓練した。合同軍事演習は11日から18日まで実施され、第1段階では装備の展示、戦闘技術の訓練と交流、第2段階では実際の部隊による演習を行う。山地での反テロ作戦のノウハウの共有と、両軍の反テロ作戦能力の向上が目的だ。

 両軍というのは中国軍とパキスタン軍である。友情だね。熱い男の、薫る……。場所はパキスタン北部アボッタバード地区とのこと。CRI”中国とパキスタン、11日から合同反テロ軍事演習を実施”(参照)では邪推されないように親切な注意書きもある。

今回の軍事演習はテロリズムを共同で取り締まり、域内の平和と安定を維持することにあり、第三者を対象とせず、他国の利益を害さないことを前提にしているとのことです。

 なかなか含蓄のある注意書きなんでしばし考え込んでしまうのだが、この微妙なニュースをブログしておこうかと思ったのは、八日実施された新疆での大規模鎮圧作戦との関係をどう見るかということだった。こちらのニュースは朝鮮日報”中国公安当局、新疆で9年ぶりの大規模鎮圧作戦”(参照)が地図や年表を加えていてわかりやすい。公式報道としては、新疆ウイグル南部パミール高原付近の「東トルキスタン・イスラム解放組織(ETIM)」基地を襲撃し、そのメンバー一八人を射殺、一七人を逮捕というもので、それほど大きな規模の鎮圧でもないようには見える。

 今回の衝突は、1998年4月に新疆自治区伊寧一帯で、公安とETIM側が十数回の銃撃戦を繰り広げて以来、9年ぶりに起きた最大の鎮圧作戦だ。
 中国現代国際関係研究所反テロ研究チームの李偉チーム長は「今回の事件を通じ、中国がテロ無風地帯ではなく、中国にも独自の武器調達能力を備えた武装テロ組織が存在していることが初めて明らかになった」と評した。
 国営チャイナ・デーリーは「2002年8月、国連によりテロ組織の一つとされたETIMの中心人物らがパミール高原の山岳地帯に潜入し、テロ活動の訓練基地を建設した。そこでは少なくとも1000人のETIM所属員らが“アル・カイダ”の支援を受けていた」と主張している。

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ETIM地域
 このあたりの話もどう受け止めていいのかあまりに微妙すぎるし、言葉面を追っていくとわかりづらいのだが、地図を見れば一目瞭然、パキスタン国境であり、こりゃどう考えても、「友情2006」との関連があるとしか思えない。が、さてその意味はとなるともどかしいのだがよくわからない。ただ、関連情報として”東トルキスタンイスラム運動”(参照)は念頭においておくべきだろう。

 中国政府は、1990年代以来新疆で続発する爆弾テロや2002年にキルギスタンで起きた中国の外交官暗殺事件をETIMの犯行と断定し、ETIMをアルカーイダと関係があるテロリストグループであるとしているが、ETIM側は犯行もアルカイダとの関係も否定している。
 パキスタン軍スポークスマンがAFP通信に語ったところによると、 ETIMのリーダーのハサン・マフスームは、2003年10月2日、パキスタン領内のアフガニスタン国境近くでアルカーイダ掃討作戦中のパキスタン軍が殺害したという。

 話を「友情2006」の外交戦略的な文脈の意味だが、これは中国系のソースでは触れてないがどう考えても米国とインドの関係の文脈に置かれるだろう。Jane's Information Groupの記事”Foreign friends - China expands relations with India and Pakistan”(参照)あたりがわかりやすい。

While Pakistan and China share a perceived threat from Islamic non-state violence, and despite the counter-terrorism nature of the exercises, the small Friendship 2006 does not appear to be primarily designed to actually help prosecute counter-terrorist policies.

Rather, the real impact of the exercises is political. Friendship 2006 followed up on Chinese President Hu Jintao's November 2006 visit to India and Pakistan, where he tried to balance and expand relations with both rivals. China's main strategic partner remains Pakistan: Beijing remains responsible for much of the technology in its nuclear capabilities, as well as significant weapons in Pakistan's army, air force and navy.

For China, decelerating or neutralising India's growing alliance with Washington is the greater goal. Improbably, it hopes to do this while sustaining its strategic relationship with Pakistan, which has a leading role in the Islamic world. Both would advance China's objectives for Central Asia, which include securing access to energy sources and creating overland rail, road and pipeline routes to reduce reliance on vulnerable sea lanes through the Indian Ocean and Southeast Asia.


 試訳を添えるかなとちょっと悩んだけど、そうでもなくて誤解されがちなブログでもあるので、ちょっと控えておこう。

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2007.01.10

週休三日の時代は来ないのだろうか

 ホワイトカラー・エグゼンプション(white collar exemption、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度)の問題は、すでに導入されている裁量労働制の延長かと思ったくらいで、私にはよくわからなかった。いずれにせよ、当面の問題ではなくなると今朝のニュースで聞いた。
 ウィキペディアの同項目(参照)には詳しい解説があるが、それでも私にはよくわからなかった。雇用者側でも意見不統一というのが事実なら、よくわからない問題だというのが正しい現状認識かもしれない。
 ネットなどを見ると、ホワイトカラー・エグゼンプション導入で残業代が支払われなくなるから問題なのだ、または、残業代なしで過剰労働になるというふうでもあった。
 残業代が支払われないならそこで仕事を止める。労働環境が劣悪ならその職場を辞める。それでいいのではないかと私などは思うのだが、現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になるということかもしれない。原理的には労働者全体で正規雇用と非正規雇用と同じように扱えればいいのではないか。
 記憶によるのだがドイツだったか北欧だったか、同一内容の労働をしているなら正規雇用・非正規雇用に関わらず同一の賃金を払えということが立法化されているらしい。私などはそれをさっさと日本社会にも導入してしまえば、ホワイトカラー・エグゼンプションの問題も従属的に解決するのではないかと思うのだが。
 現代の日本では非正規雇用が労働者の三分の一を占めるようになった。ということは、ホワイトカラー・エグゼンプションが問題になるのは多くても残りの三分の二。そして現状では非正規雇用のほうが社会問題だろう。ホワイトカラー・エグゼンプションが問題になるだけ恵まれた人が多いなとも思う。
 もっとも、それとこれとは問題が違うということか。
 話が少しずれるのだが、この問題が社会で騒がれているとき、私はちょっと別のことをぼんやり考えていた。日本の労働者はいつになったら週休三日になるのだろうか、と。
 そう書いてみて、ありえない滑稽な話のようにも感じられるのだが、昔、思想家吉本隆明が小説家埴谷雄高と論争したおり、吉本は未来において労働者は週休三日になるだろうと予言していた。日本の大衆はもっと中流意識を持つようになる、とも。彼はそれに国民の可処分所得の規模が国民経済の半数を超えたことを加えていた。
 さてその未来にいる私はどう日本の社会を見るか。どうも週休三日にはなりそうにもない。国民は中流意識を失いつつある。家計の可処分所得もそれほどないようにも思える。どうしたことか。
 話が散漫になるのだが、案外問題は、現代日本では経済的な貧しさをそのまま経済的な貧しさとして受け止めることはできなくなったということかもしれないとも思った。ちょうど、正月NHKで昭和四十二年の特集をやっているのを見て、十歳のころを思いつつ懐かしかったのだが、あのころの日本の貧しさのようなことも思い出していた。
 貧しくても生きていた時代があった。今はあの時代に比べればはるかに豊かになった。だったら労働を減らし、所得を減らして、もっと自分の時間を持つような選択というのもよいのではないか。
 吉本が週休三日の世界を想定したとき、そこにはどのような前提があったのだろうか。大衆が所得向上のために休日を減らすということはないという前提だったのか。あるいは、強制的に労働者の週休を三日とすることか。前者であれば、どこかで収入と労働時間のバランス点が想定されることになる。が、今の日本を見回して、そうした想定ができそうなふうにはなっていない。
 それでも私は週休三日の社会というのをいろいろと想像してはみた。想像していくうちにそれほど不可能ではないようにも、少し思えた。

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2007.01.08

チョコレート・フォンデュ

 正月、御節料理だのに辟易としたので、チョコレート・フォンデュを作った。スーパーマーケットに行くとなにやら苺がたくさん並んでいたので、そうだなと思いたったのだった。

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 チーズフォンデュはけっこう難しいが、チョコレート・フォンデュはすごく簡単。というか簡単にする。フォンデュのセットは使わない。小さい金物のボールにチョコレートを溶かし、これをフォークで刺した苺にちょいと掬って付けて食うだけ。コツはちょいと付けること。たっぷり付ける必要はない。苺以外でよくやるのがパンの耳。クッキーとかを手でつまんでというのも。
 チョコレートはミルクチョコレートが美味しいと思う。安物のチョコレートでもそれなりに美味しい。
 チョコレートは湯煎で溶かす。お鍋に湯を沸かしその上に金物のボールを乗せる。チョコレートを入れる。しばらくすると溶ける。それだけ。どんぶりに電子レンジでチンでもいいのかもしれないが怖くてやったことない。

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Le Creuset
ミニ・フォンデュ・セット
 サーブするときも湯煎のままでいい。つまり、湯を張った鍋に金物のボールを乗せたまま。堅くなったら湯を沸かし直す。しかし、ちょっとお洒落じゃないなという人はセットがあってもいいのかもしれない。っていうか私も買うかな。アロマポットでもそうだけど、火の扱いがめんどくさいので使わないのだけど。
 昨年の記事らしいが、@nifty:デイリーポータル Z”チョコレートフォンデュ具検討会”(参照)でいろんな物をチョコレート・フォンデュで食う話があった。意外なものではハムカツとキムチのチョコレート・フォンデュが美味しいらしい。でも、ネタでなかったらそのコンビネーションは引くな。
 そういえば商戦はすでにバレンタインか。

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2007.01.06

安藤百福、逝く

 安藤百福が五日亡くなった。九六歳。天命とも言うべきかもしれないが、死に際して心筋梗塞で苦しくなかっただろうか。チキンラーメンの開発者であり、カップヌードル開発の事実上の総指揮者でもある。近年の連ドラ「てるてる家族」やプロジェクトX「魔法のラーメン 82億食の奇跡」などで生前から伝説化が進んでいた。確かに日本的な苦労とジャパニーズ・ドリームを実現したような人生である。が、日経新聞に掲載されていた「私の履歴書」の書籍化「魔法のラーメン発明物語」(参照)を読み返すと、そうしたわかりやすいグレートマン伝説とは少し違う、昭和史を体現した興味深い人物が浮かび上がってくる。

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魔法のラーメン発明物語
私の履歴書
安藤百福
 安藤が伝説のチキンラーメンの開発に取り組んだのは私が生まれた年、昭和三二年のようだ。その時、彼は四七歳。翌年開発に成功する。ざっくり見て、安藤百福の今日の栄光のスタートは五〇歳であった。顧みて四九歳の自分には人生をやり直してチャレンジするような気力はない。まるでない。安藤はもの凄い人だと思う。
 安藤にとってこの開発は人生七転び八起きの一つに過ぎなかった。彼は製塩業に失敗し、次に理事長をしていた信用組合が破綻した。「魔法のラーメン発明物語」にあるこのエピソードが面白い。彼の信用組合は都銀を「母店」としていた。

やがて不足金が設定融資限度を超えると、母店の姿勢は一層厳しくなった。「担保もあることだから、もうしばらく猶予がほしい」とお願いしたのだがだめだった。
 ついに不渡りを出し、取り付け騒ぎが起きた。信頼していた母店が、真っ先に担保に入れていた組合の建物と敷地を差し押さえた。その時の銀行の冷たさはひとしお身に染みた。信用組合は破綻し、私は理事長としてその社会的責任を問われた。
 私はまたしても財産を失った。残ったのは大阪府池田市の住まいと、身を焦がすような後悔だけだった。バチが当たるというのはこういうことを言うのだろう。責任を持てない仕事は、いくら頼まれても軽々に引き受けてはいけないのだ。必ずだれかに迷惑をかける。

 さらっと読み過ごしてしまうが、この手の話はある程度類似の経験した人でないと分からない娑婆の本性というものがある。安藤はこのことを忘れなかった。

 ある取引先の頭取から「安藤さんの会社はカネを借りてくれないから面白くない」と言われたことがあるが、日清食品を創業して以来、無借金経営を貫いている。

 そう貫かれてしまうのもどうかと思うが、この気概は昭和史を見る一つの視点にはなる。そして彼はこう考えた。

 私は過ぎたことはいつまでも悔やまない。「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」。ある日そう考えると、また新たな勇気がわいてきた。

 この勇気からチキンラーメンが生まれる。
 このエピソードを読み返しつつ、なぜ彼が信用組合の理事長となったのかが気になった。というのは、彼は戦後史においてウォルフレンの言うような信用権を授与された人ではなかったか。
cover
プロジェクトX挑戦者たち
第4期 Vol.2
魔法のラーメン
82億食の奇跡
カップめん・どん底
からの逆襲劇
 チキンラーメン開発に至る安藤百福の人生をそうしたジャパン・アドミニストレーターズと信用権の関係で見直すと、少し違った風景が現れる。彼はある意味で選ばれた人だったが、同時にその選択と信用権に常に距離を置いていた。国家というものに対して「私」の本義ともいうべき感性を持っており、そのためには死に瀕するのも厭わないようだった。その辺りに彼の本当の成功の意味がありそうだ。
 気になるエピソードが二つある。彼は一つは戦中、憲兵の拷問で殺されかけたことだ。その頃安藤は軍用機エンジン部品の製造会社を共同経営していたのだが、官給品の横流し疑惑で憲兵にしょっぴかれた。

「そんなことはありません。私は被害者なんです」と懸命に主張したが、有無を言わさぬ暴行が加えられた。棍棒で殴られ、腹をけられた。揚げ句は、正座した足の間に竹の棒を入れられた。拷問である。


 いつの間にか、私を犯人にした自白調書が作られ、判を押せと強要された。罪を認めれば、この責め苦からは解放される。しかし、私は抵抗した。死んでも正義は守りたかった。

 まったくひどい話で、しかも真相は憲兵と横流し者が親戚で彼を陥れたことらしい。こうした歴史のエピソードを読むことで時代の感触がわかる。この不正極まる世間が常態でもあった。
 この拷問の後遺症で彼は二度の開腹手術をすることになるのだが、そこまで耐えた悲劇からどのように脱出したか。それは彼の仲人だった陸軍中将によるものだった。この辺り、安藤に対する疑念というのではないのだが、すでに選ばれた人でもあったことが伺われる。
 戦後も安藤は似たような罠に嵌められる。起業し若者に奨学金を出していたのが脱税とみなされGHQにしょっぴかれた。

乗り出してきたのは税務署ではなくGHQだった。大阪の軍政部で裁判が開かれ、たった一週間で「四年の重労働」という判決が出た。裁判では、こちらの言い分は一切聞いてもらえなかった。
 大阪財務局から財産が差し押さえられ、泉大津の家も工場も炭焼きした兵庫県の山林も、私名義の不動産はすべて没収された。身分は巣鴨プリズン(東京拘置所)に移された。


 巣鴨には、戦争犯罪の容疑やパージで逮捕された政治家、言論関係者、財界人らが収監されていた。面識のあった岸信介さんとも偶然、一緒になった。

 安藤はこの罠にも抵抗し、裁判闘争に挑んだ。

 裁判が進むうち、税務当局の役人が「訴えを取り下げてくれないか」と言ってきた。取り下げるなら、即刻自由の身にしてもいいという。もし私が裁判に勝てば、反税運動を勢いづかせることにもなりかねない。旗色が悪くなったので、妥協を迫ってきたのだと思った。

 日本権力のいい加減な挙動が浮かび上がる奇妙なエピソードでもある。その内部抗争や時代の空気の流れで、多くの日本人が事実上抹殺されてきたのだろう。安藤は残った。成功した。その人生は多くの敗者と死者の義を暗示させていると思う。
cover
食欲礼賛
安藤百福
 

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2007.01.05

ブログと金銭的インセンティブの辺り

 どういうふうに書いたらいい話題なのかよくわからないが、気がかりなので書きながら考えてみたい。発端は、ブログBigBang”オーマイニュースを巡る匿名性の問題について(2)---小倉弁護士に答える/ 心苦しいが鳥越編集長には勇退をお奨めする。”(参照)を読んでいて思ったことだ。最初にお断りだがエントリの批判ではないし、オーマイニュースへの批判でもない。
 エントリの中心的な話題も、それはそれでとても重要なのだが、読後私はちょっと別の方向を考えていた。編集長が勇退する契機にはいろいろあるだろうが、一般的には経営状態である。雑誌なら編集長を変えることで刷新し売り上げを向上させたいものだ。そうした視点からすると、オーマイニュースと鳥越編集長の関係はどうなのだろうか。内容面で批判があるにせよ健全に運営されているのだろうか。つまり、利潤が上がり、投稿者=市民ジャーナリストに十分なキックバックが与えられているのだろうか。というあたりで、この問題がぼけてしまう。
 BigBangさんの該当エントリでもそういう印象を受けるのだが、参加型ジャーナリズムないしネットジャーナリズムが短期的な経営より重視されるようだ。その場合、経営戦略としてはどうなのだろうか。補助線的に言えば、ユーチューブなどは当初から売却のためのビジネスであり、おそらくグーグルを釣るためのビジネスであったのだろう。その観点からユーチューブの過去の経営を見ると最適化されているように見える。オーマイニュースもそうした中長期的な隠し球の経営戦略があるのだろうか。
 オーマイニュースの経営については同じくブログBigBang”「ゴミため」から投げつけられた毒饅頭----オーマイニュースは大丈夫なのか(1)”(参照)が詳しい。


ビジネスモデルとしては、広告モデルであることはもちろんだが、市民記者とその「係累」を中心にしてアクセスを稼ぐ構造であるため、市民記者の登録数が大きな鍵となる。韓国Ohmynewsでは登録数が4万人を超えている。日本法人が、当初から市民記者の登録数に過敏になっているのもこのためである。

その他に韓国では、日本法人ではまだ導入されていない、市民記者原稿料の“投げ銭(カンパ)”制度があって、1000ウォンから30000ウォン(116円~3495円/1ウォン=0.12円)を個人が寄付でき、その50%を手数料としてOhmynewsが取ることになっている。


 引用が長くなって申し訳ないがBigBangさんはこれをうまくまとめている。

要は単純化すればオーマイニュースのインカムは広告費であり、アウトは市民記者への原稿料、システム運用費、広告費等、その他事務所経費などであるが、常勤で抱える記者は既存のメディアに比べて相当少ないため、(韓国で現在40名程度とされている。常勤:非常勤(市民記者)の比率は1:1000にも達していることになる)固定費は相当少ないと予想される。また原稿料も、仮に試算として2,000円の原稿料を支払う記者が毎日50名発生したとしても、月額で300万円程度であるが、実際にはもっと少ないだろう。通常メディアで相当量を占めると思われる取材費は、市民記者の記事に関しては基本的に支払われないため、比重は少ない。かなり身軽な事業形態であることが予想される。

 もともと書き手の側へのキックバックが少ないビジネスモデルなのかもしれない。当然そのことから、カネを得たいと思う書き手にとってはオーマイニュースはインセンティブが少ないとも言えるのだろう。
 オーマイニュースの経営サイドから見れば、ベースは広告でありPV(ページビュー)獲得が運営の基本になるのだろうが、そのPV傾向についてはすでに諸処で指摘されているのでここでは割愛する。
 話を少し戻し、BigBangさんが指摘している「市民記者とその「係累」を中心にしてアクセスを稼ぐ構造」はどうだろうか。現在のオーマイニュースはその点から見ると経営のラインにあるのだろうか。この場合、一見さんのPVを増やさなくても仲間内の輪のようなものを広げていけば経営的に十分なモデルが仮定される。例えば、いわゆる「クチコミ」的なビジネスモデルなど。
 話が少し逸れて、一般的なブログとインセンティブの関係に移るが、この点ではブログ404 Blog Not Found”Amazonアソシエイト決算2006”(参照)が興味深かった。アマゾンによるアフィリエイト(アソシエイト)でかなりの売り上げがあるとのことだ。

まず驚くべきは、売り上げ増が未だに続いているということです。特に12月がすごくて、「クリスマス商戦」のおこぼれがこちらにも来たのではないかというほどで、第四四半期の売り上げの過半が12月単体でした。この一月だけで、2005年一年の倍近い売り上げを達成しました。

 金額ベースはわからないしそのあたりの推測は下品なので控えるとして、ブログとアフィリエイトによってかなりの収益を上げるモデルの先行例に見える。単純に言えば、ブログはよい書き手によって儲かるというインセンティブが確立したかのようだ。
 売るという観点からは、ブログ404 Blog Not Foundのdankogaiさんは次のようにまとめている。

著者blogでは自著はよく売れる
共著もまた然りです。特に私は単著よりも共著、しかも雑誌が多いのでこういう売れ方は嬉しいですね。

やはり好意的な書評の方がよく売れる
それが炸裂したのが、「神は沈黙する」と「はじめまして数学」だと思います。この二冊とも12月紹介なのに、この勢いですから。なお、ベスト40の紹介ではシリーズの各巻がばらけてますが、最初はその中で一番売れたもの(たいていシリーズ最初の巻)だけを順位にのせようと思った位です。集計の手間を考えてそれは断念しましたが。

書評は早いほどいい--が、早ければいいとは限らない
「早ければいいとは限らない」の例が、「渋滞学」です。これらはすでに他に書評も多く出ていて、本blogは完全に出遅れていました。


 自著は売れるという点は一般的なブロガーには当てはまらない。好意的な書評は一般的な営業的なセンスからでも納得的できる。できるだけ早い書評が有利というのは早押し合戦というか謹呈書勝ちみたいな印象も受けるが、dankogaiさんの指摘ではそれほど重要ではないとしている。要するに、良書をきちんと好意的に書評することが購入者のインセンティブとなると言えるのだが、だとすれば結局はブロガーの資質なり読書スタイルなりに還元されてしまい、一般的なビジネスモデルにはまだならない。
 もう一カ所の引用なのだが。

それでもまだ第三四半期に関しては、引用元記事で説明されているようにいくつかの要因も思い当たるのですが、第四四半期、特に12月に関しては「クリスマス商戦」ぐらいしか思い当たるフシがないのです。確かに「はじめまして数学」などのヒットが連発したのも事実ですが、他の本まで売れているのです。blog全体のアクセス数はさほど増減していないことを考えると、嬉しいを通り越して首を傾げてしまいます。

 これは興味深い現象なのだが、アマゾン側の要因はないのだろうか。関連のエントリは”Amazonからのお年玉”(参照)ではないかと思うが、よくわからない。繰り返すが、ブログに対してアフィリエイトが金銭的なインセンティブとなるビジネスモデルをアマゾン側が先行して進めているということはないだろうか。
 もう一点、ブログと書籍化による金銭インセンティブについて某人気日記をケースとして考えてみようかとも思ったが、無用な誤解を招きそうなので控えておこう。もともと書籍化の成功例はネットやブログというカテゴリーとは異なるようにも見える。
 全体の枠組みとしては「ウェブ人間論」(参照)にあるように広告業界のシフトだろう。梅田望夫さんによれば世界の広告市場は五十兆円であり、内ネットの広告は三兆円とのこと。その差から見ればネットの広告はこれからも成長できるし、そのカネはネットに流れこまざるをえないのだろう。
 この問題は広告側以外に流通側もある。少し古いがブログGoodpic”Amazonアフィリエイトの5%は超優良書店? リアルとネット書店の収益構造の分析”(参照)が興味深い。
 話が散漫になるが、年末二九日の日経記事”資生堂、ヘアケア市場のシェアで年間首位に”(参照)も関連して気になっていた。話は、資生堂が〇六年販売の「TSUBAKI(ツバキ)」のヒットより、ヘアケア市場で首位となったということなのだが、気になっていたのは広告とその効果のバランスだ。

資生堂は「ツバキ」の広告宣伝費にヘアケア分野として過去最大の50億円を投資。「ツバキ」の初年度の出荷額目標は100億円だが、大幅に上回り180億円に達する勢い。「ツバキ」としては初の追加商品となる「美髪ヘアマスク」を来年3月に発売し、拡販に取り組む。

 広告に五〇億円。当初売り上げ目標がその倍だったとのこと。一商品でこれだけ大きな市場が当初から想定されているので広告の初期投入費用が大きいのは理解できる。
 全体の商品市場からすると、このような商品の広告についてはネットの出番はないのかもしれない。だがネットの広告費と対価が見合う市場はロングテール的に存在しているなら、現状よりもう少しブログやネットへカネの流れが起きてもよさそうだ。
 すでにアマゾンがなにか進行させているのか、ダークホースのような一極が出てくるのか、全体的なベースアップになるのか、よくわからない。なんにも起きないのかもしれないし。

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2007.01.04

[書評]「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか(リチャード・クー)

 リチャード・クーの最新刊『「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか』(参照)の奥付を見ると〇七年一月四日。今日である。すると謹呈本? そんなことはない。年末書店で平積みだった。
 一言で言うと、面白い本だった。
 正確に言うと私レベルにとって面白い本だった。

cover
「陰」と「陽」の
経済学
我々はどのような
不況と戦ってきたのか
リチャード クー
 面白いってどう面白いんだと突っ込まれると、ちと照れる……いや照れるっていうのではないな。ネタ満載? ある意味ではそう。まあ、面白いですよ。一昨日のエントリ”極東ブログ: 経済談義、五年前を振り返る”(参照)でちらと触れた「エコノミスト・ミシュラン」(参照)の応答としても、落とし前を付けるっていうくらいあったりして、もしかしてリチャード・クーのハンドル(ネット上のニックネーム)を知らないのは俺だけ?とか思った。「バーナンキの背理」の背理も載っているし。
 話のスジは前著「デフレとバランスシート不況の経済学」(参照)と同じ。その前の「日本経済 生か死かの選択―良い改革悪い改革」(参照)とも同じ。という意味で食指が動かんという向きもあるかもしれないが、なんというかいざなぎ超えを背景にリチャード・クーの勝利宣言と取れなくないこともないこともないかもしれないと思う人がいるかもしれない。俺とか。
 バランスシート不況説は、日本の失われた十年(十五年?)の長期の不況は、バブル崩壊がもたらした企業と銀行のバランスシート毀損が原因であるとする考え方である。そしてこれに対処するには財政政策のみが有効とする。
 バランスシートは言うまでもなく企業の資産状況を示した財務諸表のことだ。バブル崩壊以降、日本の大多数の企業の財務内容が悪化した。それが社会にばれて企業が立ち行かなくなるのを企業が恐れ、一斉に利益を借金返済にまわす行動に出た。この一斉行動が経済学でいう合成の誤謬を産んでデフレが生じたとクーは主張する。
 さらに、通常の経済学(マクロ経済学)では企業の基本行動は利潤追求であってそれを借金返済が勝るとは想定していないのだが、そういう事態が数十年に一度起きる。そういう時代は「陰」の時代であり、通常の経済学の「陽」の時代の理論が当てはまらない。かなりの企業が財務諸表改善を最優先課題として行動するため、投資が控えられる(クーは大きく触れてないが雇用調整も大きいだろう)。こうしたダークサイドの時代になると、日本銀行がいくら金融政策をしてもデス・スターの債務返済バリアの前に無効になってしまうとのこと。
 と、スター・ウォーズの世界観みたいな感じだ。信じる?
 経済政策論議的には、米国を中心として流行の、あるいは日本の一部で盛り上がるリフレ派的な金融政策優先論の批判という枠組みになっているのだが、そのために結果がすごい違いになるのだが、理論サイドではクーの立場はリフレ派とそれほど違いはない。単純に言えば、リフレ派は諸悪の根源はデフレだからデフレの解消に有効な金融政策をせよという論法を取るのに対して、クーはデフレの原因はバランスシート毀損だからその根源の問題が時間を回復するまで待つのが基本であり、政府はその補助として財政政策をせよということ。あれです、失恋の対処と同じ。新しい恋人をめっけるのがリフレ派的、痛手が癒えるのを待つのがクー的……いやそれは違うか。
 今回の本では、クーの従来からのというか九七年以降のバランスシート不況の最新状況を解説しているもので、率直に言って私のような経済学あんぽんたんにはとてもわかりやすい。ただし、ワタシ的にはさらに根幹のバブルがなぜ生じたのかについての解説になると、リフレ派のたとえばクルークマンのようにそんなことどうでもいいでしょ論も、クーのように歴史を忘れた人々の愚かさの循環だよ論も、それって全然違うんでねとか思う。っていうか、陰陽の経済学って、長期の景気循環論としてはハメハメ波(Kamehame wave)みたいなコンドラチェフ波(Kondratieff wave)と同じでねーのかと訝しく思う。
 もう一点今回の本の特徴は、実はこれで読んでめっかと思ったのだが、一九三〇年代の世界大恐慌もバランスシート不況であり、それで説明するという点だった。というのは、昨今のマクロ経済学(日本のコンテクストではリフレ派)の考えでは、当時の大恐慌も金融政策で対処可能という考え方が主流になっていて、いわば経済学の定説であるかのように見える。そこに赤手空拳、リチャード・クーの独創的経済学で挑むのである。野次馬が寄ってこないわけがない。野次馬の一人はどう思ったか? 微妙。ただ、経済学的な定説では否定されているんだろうが、戦争っていうのはやっぱ財政政策かなとはちと思った。
 関連で釣りと目次をご紹介。

 1930年代の世界大恐慌も今回の日本と同じバランスシート不況だった。
「大恐慌の教訓」を拠り所にする主流派経済学の分析・理論を日本の経験をもとに論破。
戦後最長の景気拡大に潜むリスクを考察する。

第1章 我々はどのような不況と戦ってきたのか
第2章 景気回復期に留意すべきバランスシート不況の特性
第3章 七〇年前の大恐慌もバランスシート不況だった
第4章 バランスシート不況下の金融・為替・財政政策の論点整理
第5章 「陰」と「陽」の景気循環とマクロ経済学の統合
第6章 日本国内における論調
第7章 世界経済を待ち受けるチャレンジ
補論 新古典派経済学が軽視してきた貨幣の存在理由


 1章は概論。ここだけ読めばクーの考えかたはわかる。2章はそのサポート。3章は先にふれたように経済学のメインストリートへの異論。歴史学的に面白いといえば面白い。4章と5章は経済学的な展望。5章は単的に言えばリフレ派への応答。けっこうきちんと応答しているのはさすが。
 7章は現在の世界経済への見通し。ここだけ読んでも面白い。石油の価格がドルである米国の有利性という問題は、いわゆる陰謀論的な枠組みにも見えてどうなんだろとも思っていたが、それは重要なんだとするクーの説明には説得力があった。また、エントリ”極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)”(参照)で触れた中国が米債を売るかも問題にも示唆を受けた。
 補論の貨幣論は個人的にはとても面白かった。私はマルクスやケインズ経済学が教養だった時代の人でそれからポランニ的な考えに移っていった。そうした視点から国家と貨幣について考えてなおしてみたいと思っていた矢先なので示唆を受ける。関連して、以前のエントリ”極東ブログ: グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)”(参照)についてもクーの議論が説得力を持つかなとは思った。セントラルバンカー論としては小宮隆太郎が言うように技芸としてアートの妙味みたいものも感じた。
 本書とリフレ派の衝突点だが、私なんぞに手に負えるものではない。が、大筋ではクーの見解に説得力を覚える。論戦的な展開があるなら、日本のデフレが九七年から発生したものかという点ではないかということか。個別には、昨年の量的緩和解除の評価についてクーの言うようにあれで良かった論の反論とか読んでみたい気がする。
 本書は現在の日本の好景気とこれまでの金融政策があまり効果を出していないと見えることなどから、クーのバランスシート不況のほうが一般受けするだろうと思うが、私としては三点異論というか疑問点がある。一つは、この間の為替操作による非不胎化介入はリフレ効果をもっており、それはかなり重要だったのではないかということ。もう一つは、リフレ政策が重要になるのは、現在の消費の停滞のスパイラルに対して、家計の保持金の叩き出しに今後使われるのではないかという点だ。三点目の疑問は、デフレの原因はさらに別なんじゃないかなのだが、これは自分の考えがうまくまとまってない。

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2007.01.02

経済談義、五年前を振り返る

 恭賀新年。
 ”年号年齢早見表 極東ブログ・リソース”を 2007年版(参照)に差し替えた。今年百歳のかたは明治四〇年生まれになるのかと感慨深い。
 年末のエントリで”極東ブログ: [書評]エコノミストは信用できるか(東谷暁)”(参照)を書いたが、その後同書のエコノミスト採点をぼんやり見ていて、おやっと思ったことがあった。同書は〇三年一〇月刊行なのでずばり五年前、〇二年時点のエコノミストの採点というわけでもないが、こうした話題が沸騰したのが五年前だったかなということもあり、切りよく五年前としてもそう間違いはないだろう。
 おやっと思ったきっかけは、同書で最高得点のエコノミストって誰だったっけという疑問で得点を並べてみたことだった。

   一位 七七点 野口悠紀夫、池尾和人
   三位 七六点 岩田規矩男、小宮隆太郎
   五位 七五点 クルーグマン

 おやっというのは、一位が野口悠紀夫と池尾和人だったのか。いや、無防備に言うとだな、そりゃないよ、だが、次点が岩田規矩男、小宮隆太郎、そしてクルーグマンとなるのだが、どうも正月ほろ酔いの馬鹿話につきあわされているような珍妙な気分になった。五年も前の話だしな。しらふで考えてみれば「エコノミストは信用できるか」はそうしたエンタテイメント本ではある。
 とはいえどうしてこんな結論が出たのか、しばし考え込んだ。野口悠紀夫と岩田規矩男が上位に並んでいるのはいかなる判定基準からか。どのような立場であれ論旨の一貫性ということか。しかし、となると池尾和人はそうだったのか。そうかもしれないが。
 からくりはすぐにわかった。


この章では、本書で言及したエコノミストを登場順にならべ、評価を「前後の一貫性」「議論の整合性」「説得力」「市場供給力」「市場需要力」の五つについて、それぞれ二〇点満点に採点し、それをレーダーチャートといわれる蜘蛛の巣グラフに表してみた。

 前後の一貫性についてはそれほど主観は入らないだろう。普通に読んでも意見ころころ変えているなこの人というのはわかるものだ。議論の整合性もその類。説得力はべたに主観が入るがそれはそれで、東谷をどこまで信頼するかで、反論があれば別の評点をすればよい。問題は残る二つだ。

念のために申し上げておくが、点数がそこそこだからといって、論者として評価したとは限らない。「市場供給力」とは論文・著作数などから判断した「エコノミストの市場」への能動性、「市場需要力」はマスコミ登場回数などから判断した「エコノミストの市場」からの引き具合を示すに過ぎないからだ。

 つまり「市場供給力」はオレオレ度、「市場需要力」はセンセー度ということか。
 これらをエコノミストの力量評価に含めるのも面白い観点ではあるけど、日本経済の状況というのを客体としたとき、これらの変数を含めると客体としての対象性をより曖昧にしてしまう。別の言い方をすれば、ランキングには論戦に外的な指標が求められるのに、論戦の内部要因が含まれることになる。
 ほいじゃということで、この二要素を外して先の上位をみるとだいたいこんな感じ(チャートから見ての概算)。

   小宮隆太郎 五〇点
   池尾和人 四九点
   岩田規矩男 四六点
   クルーグマン 四四点
   野口悠紀夫 四三点

 他にも高得点になるエコノミストが出てくるが、それでも、小宮隆太郎と池尾和人が頭一つ抜いている感じはするし、このほうが私としてはエコノミストの実力に近い感じがする。

cover
金融政策論議の争点
 というところで、小宮隆太郎かぁと、〇二年小宮隆太郎+日本経済研究センターとして出された「金融政策論議の争点 ― 日銀批判とその反論」(参照)を読み返してみた。といって、まえがきにあるご忠告、お急ぎの読者はまず「第Ⅱ部」から読みはじめ、よ、とのことで、七面倒臭い経済プロパーの論文は抜いて談義のほうを読んでみた。
 はたと思い出した。というか、そのまえがきで、そうかと思い出したのだが、この本、小宮隆太郎+日本経済研究センターということだが、後者の日本経済研究センターの会長は香西泰なのである。つまり、香西泰の企画といってもいいし、そのバックアップが小宮隆太郎ということか。
 そのエッセンスたる「第Ⅱ部」は討論から成り立っていて、香西泰の発言もある。香西の発言に関心を持ちながら読み直してみると、あれから五年が経ったこともあるのだろうが、いろいろ面白い。推理小説というのはやはり犯人がわかってから読むものである。と言えるほど犯人が分かっているわけではないのだ。

香西 素晴らしい論文がたくさん出て、たいへんありがたい。お礼を申し上げる。
 せっかくだから感想的なことをいえば、いま日本経済で何がいちばん問題かというと、実物セクターの問題がいちばん重要ではないかと思う。マネタリーの問題は短期的には貨幣は非中立的であろうが、これだけ長い不況ということを考えると、実物セクターに大きな問題があったのではないか。

 この物言いに性格が出ているように思えた。総じて、香西は経済学の基本がわかっていて政治調整タイプという感じの御仁なのだな。この調整力がこの間、国民側からは有益だったようにも私には感じられるし、ざっくり言えば今後の税制議論でも同じようにベースとのころで信頼はできそうだ。
 ついでにもう少し引用。

 その意味で、いちばん基本にあるのは実物セクターの問題で、その実物セクターの問題が現実のデフレに結びつくかどうかは、為替レートがどう決まるかによる面が大きい。ただ、円とドルの関係はGDPベースのPPPでみても一四〇円~一五〇円で、それほど問題がない。やはり中国やアジア諸国との為替関係である。
 アジアや中国は、構造的に過剰労働である。つまり、労働力無制限供給をまだ脱していない。それはちょうど日本の高度経済成長と同じで、為替調整をしろといわれても、簡単にはしない。つまり、自分たちの雇用が近代化するまでは、成長したいと考えていると思う。

 へぇとか思ってしまった。もう一点、重要な税制面では。

香西 (略)
 財政が破綻する問題については、増税しか手はない。今のままほうっておけば必ず破綻するわけで、どういうかたちで増税するか。結局、金利を上げて増税するというのが、終局の脱出路になるだろう。
深尾 その場合、デフレが加速するのではないか。
香西 一時的にはそれは仕方がないのではないか。

 このあたりの五年前の香西の考えが、今後の税調になんらかの整合性を持つのか、よくわからない。ちょっと皮肉な言い方になるが、東谷暁が「エコノミストは信用できるか」で「香西氏が多くの仕事をしてきたことは間違いない。しかし、あまりにも辻褄合わせの発言が多くはなかったかだろうか」と聞きようによっては酷評しているのだが、これは逆に、香西の辻褄合わせ力を肯定的にとらえていいのかもしれない。一貫性のなさは政治に関わるエコノミストのメリットなのだ。ああ、そんなネタでいいのか。
 対談を読み返しながら、なんか脳内に悪魔の声でこの対談への反論対談のようなものが聞こえるような気がした。しばらく雑煮(参照)を食っていたら思い出した。「エコノミスト・ミシュラン」(参照)である。
cover
エコノミスト
ミシュラン
 当時はエコミスト百家争鳴の陣地取りとかその手の類にしか思ってなかったし、正直マクロ経済というのはわからんのでふーんと読み過ごしていたのだが、こちらの対談は、小宮・香西ら対談の対抗だったのではないか。
 その対抗路線の文脈で読み返すといろいろ思うことがあった。あまり馬鹿野郎コメントをもらうふうでもなければ別エントリで書くかもしれない。

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