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2006.12.30

[書評]エコノミストは信用できるか(東谷暁)

 首相の諮問機関、政府税制調査会の会長を本間正明が辞任し、その後釜には税調委員伊藤元重東大大学院教授が噂されていた。私は安倍政権というのは実質リフレ政策というかインタゲ政策というか、いずれにせよ強制的にインフレを起こす金融政策に舵を切るんじゃないかと予想していたので、これもスケジュール通りなのかなと内心少し思っていた。そうか、マジ看板でリフレか。
 ついでに、日本の失われた十年とはなんだったのだろう、そういえばバブルっていうのも結局なんだったのだろう、と、自分が生きていた時代が歴史になっていくヴィジョンに捕らわれ、この歴史をどう見ていいのか少し戸惑った。そんなのある程度自分の考えがまとまっているかと思ったが、案外そうでもなかった。ニューズウィーク日本語版は創刊からずっと読んでいるが、クルーグマンが札を刷れといってから十年経つなと懐かしく思った。

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エコノミストは
信用できるか
 税調だが伊藤教授は固辞し、香西泰日本経済研究センター特別研究顧問が内定した。おやという感じがした。考えようによっては税制が問題であって金融政策ではないから、このポジションにリフレ派というわけもないのかもしれない。ネットのリフレ派さんたちもあまり関心ないようでもあった。
 それにしても香西泰かと、思い出したのが本書「エコノミストは信用できるか」(参照)である。二年前の本だ。当時、名立たるエコノミストをジャーナリスティックに撫で斬りした論考は当初文藝春秋だったかで読み、その後この新書で読んだ。新刊書時点に読んで、ふーんと思ったが率直なところ私はよくわからなかった。手法としては面白いし、エコノミストというのはこういうふうに見えるものだろうなと思った。気になったのは、エコノミストに意見の一貫性と言われてもその意見の奥行きのような部分は個々の引用からはわからないのではないかということと、自分は日本経済はリチャード・クーの見立てでいいと思っていたので、こういう評価もあるのかということだった。
 読み返してみて面白かった。意外というくらいバブルや不良債権の経済学的な意味をスルーしているのが爽快でもあった。そういえば、文藝春秋に載っていた東谷暁の郵政民営化議論はけっこう変なしろものだったなというのも思い出した。ちょっとしたエンタテイメントなのだ。出てくるエコノミストもキャラの描き方として見ないとな。
 そんななかで香西泰は格段に軽い感じのペーソス・キャラで描かれていて含蓄があった。本書のまとめではこう。

香西氏が多くの仕事をしてきたことは間違いない。しかし、あまりにも辻褄合わせの発言が多くはなかったかだろうか。八〇年代バブルを見誤り、九〇年代アメリカの動向を見抜けず、IT革命に肩入れし、「仮説」によって構造改革を支持し、不要債権処理でも最悪の方法を答申した。日本経済新聞系のシンクタンクの長を続け、日本経済新聞と同じ誤謬の道を歩んだのだろう。別の研究機関、たとえば大学などで活動していた場合は、別の香西氏がいた気がして惜しまれる(合計=六〇点 九九年=B3 〇一年Ba3)。

 評者の思い入れが同情的なのは、実際に団体の長となるにはそんなものという了解があるのだろう。たぶん、税調でもそういうことが期待されているに違いない。めでたしめでたし。
 本書を読み返しながら、今の時点で考えると、IT革命騒動の六章と不良債権処理の七章については、前者は昨今のウェブ2・0論、後者は地方自治体破綻とだぶって読める部分があり、本書のようにこの問題を済んだこととして歴史の外側から冷やっと見ているのも違うかなとも思った。
 いずれにせよ、安倍政権下ではマジ看板でリフレ政策もインタゲ政策もないのだろう。永遠にいざなぎ超えを続けていくなだらかな坂道が続くのだろうか。しかし、来年からは二〇〇七年「問題」が起きる。失われた十年に取り残され、排除された人々の数が日本社会の中心部に移動しつつあるのと対照的に、潤沢な一部の老人たちが社会活動や投資を活発にやってくれるようになるのだ。ふふふ。

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2006.12.29

アルファブロガーなど雑感

 数日で2006年が終わる。どういう年だったか自分に問うてみてうまく焦点が浮かばない。このブログについて言えば今年で三年が経過した。エントリ数もたぶん初夏のころ千を超えた。自分なりに感慨があったが、そうしたことを振り返ってここにエントリの形で書いてみたいとは思わなかった。うまく言えない疲労感のようなものもあった。秋頃、体調を崩したこともあって一日一エントリを書く気概は抜けたのだが、顧みるとこの三年は気概のようなものを自分なりには持っていた。
 そうした一つのきっかけとなったのは、FPN主催の「アルファブロガーを探せ 2004」という企画で、論壇系のアルファブロガーとして選ばれたことだった(参照)。嬉しく思ったことは確かだが、困惑もした。「あんなくだらねないブロガーがアルファブロガーなんてちゃんちゃらおかしい」という趣旨のコメントもすでにいただいていたし、たぶん耳を澄ませばもっと聞こえることだろう。

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アルファブロガー
11人の人気ブロガーが
語る成功するウェブログの
秘訣とインターネットのこれから
 私がその時思ったのは、自分がアルファブロガーだという達成ではなく、一つの原点としてみようということだった。そこから自分ができる限りでいいから、アルファブロガーになってみようと。もちろん、そう努力してなれるものでもないが、努力というのか意志というのは、その本質は、宣長先生の言うように倦まずたゆまぬことが肝要なものだし、自分の生きた時間のなかにそうした石碑のような何かをもう一つ作ってみたいとも思った。
 思い出すことがあった。私は高校時代皆勤賞を取っている。こっそりと意志を持ち努力をした結果だが、誉められたいとは思わなかったし、そうした賞が存在することも知らなかった。卒業式間近に校長先生に呼ばれてこっそり賞状をもらった。こういうのを大っぴらに誉めてはいけない時代になったのでねと彼は微笑んだ。
 話をFPN主催「アルファブロガーを探せ」に戻す。今確認したら、今年2006のアルファブロガー選出の投票締め切りは来月二〇日まで(参照)とのことだ。今回は投票に加えて以下のように選考されるらしい。

 なお、今年は単純な人気投票ではなく、皆さんに投票いただいたブロガーをノミネート候補として、サイドフィード、ライブドア、はてな、テクノラティ、日本技芸などの企業の方々にもご協力を頂き、多角的な分析をした形で結果発表をする予定です。

 どんなブロガーが選ばれるのか、私のまったく知らないブロガーかもしれないなと興味深い。
 なんか先輩風を吹かしたような物言いでむっとされるかたもあるだろうが、どんなブロガーでも、よほどのことがなければ、一年は継続された人がよいと思う。ブログの世界では、私のように匿名のブロガーが多い。匿名だと無責任に言いたい放題を語るものだと批判されることも多い。だが、最低でも二日に一エントリくらいのペースで一年継続されたブロガーはそのエントリの総体がそのブロガーを定義しうるし、いわゆる匿名とは違うものになるだろう。
 私もできるだけ多くの人にブログを勧めたい。ふと思いつく理由は二つ。一つは、人の脳というのは、どうやら出力的にできているらしいということ。書いて表現する・出力することで知識が組織化されるようだ。書いてみることで自分が何を考えているのかがはっきりする。もっとも人様に見せるものを書くなら考えをまとめてから書けという意見もあるだろう。それでもブログのエントリというのは、思考の生成過程的なものでもいいのではないか。
 もう一つの理由は、エントリが蓄積されることで、自分を客体化することだ。言ってることがころころ変わってもそれでいいとは自然に行かなくなる。過去のエントリには、それなりの一貫性が求められる。また間違ったことを書いたらそれがきちんと残ることで自分の限界が見える。自分探しをする人なら、一年ブログを書けばそこに文章で客体化した自分がいることがわかる。
 実際にブログを始めて、ある程度注目されるようになると、というか注目されるということ自体が反感を持つ人を吸い寄せることでもあるので、心ない罵倒のコメントなどをもらうことになる。これはとても嫌なものだし、嫌なものだよということはブログを一年くらい書いてない人には本当のところは通じない。反面、その頃には、本当のところが通じるブロガーを見つけるセンスが身に付く。

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2006.12.27

ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル

 この間というかこの数年ハイデガー「技術論」のゲシュテル(Ge-stell)の視点から情報技術や超国家性について折に触れて考えているのだが、うまくまとまらない。そんなことを書くのはつらいし、およそ読みに耐えるものでもなかろうと思っていたのだが、なんとなく年越し前に少し書いておきたくなった。
 ハイデガーの「技術論」は一九六三年に発表されたもので、その後七〇年代から八〇年代、九〇年代と、いわゆるテクノロジー対本来の人間という枠組みで問われてきたように思う。子細に見るなら、七〇年代はサルトル流実存主義の系譜、八〇年代にはニューアカ的な例えばデリダの背景的な後期ハイデガー論とも関係しているだろう。九〇年代には浅薄にジャーナリスティックなハイデガー論も起きたが、今となっては収束したかに見える。現在、ハイデガー「技術論」がどのように問われているのか、もはや時代に問われることはないのか、よくわからない。自分にとっては、インターネットの登場以降の情報技術の関係でハイデガー「技術論」のゲシュテルが気にかかっている。

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ハイデガー入門
竹田青嗣
 ハイデガーについて手っ取り早く知るには、後期哲学までを俯瞰した竹田青嗣「ハイデガー入門」(参照)が簡便かと思う。ただ、竹田のハイデガー観は彼のフッサール的な視点のせいか初期ハイデガーに重きを置いているため、後期像が見えづらい。また前期についても木田元「ハイデガー『存在と時間』の構築」(参照)が指摘しているように七〇年代的な実存主義的な理解は文献学的に是正されるべきなのだろう。ただ、この木田の読み直しから後期ハイデガー像がどう描かれるかなのだが、入門書的な「ハイデガーの思想」(参照)はやはり前期の「存在と時間」に焦点が当てられている。哲学を学ぶという点では一つの手順としてやむを得ないのだろうが、後期ハイデガー「技術論」の今日的な意味を考えるには迂遠すぎるし、おそらくハイデガーが晩年意図したところでもないだろう。
 竹田の入門書ではこうまとめられている。

 ハイデガーは一九六三年に『技術論』を刊行する。これは一九五〇年前後におこなった一連の講義がもとになっているが、その概要はつぎの通り。
 まずハイデガーは、技術は技術の本性と同じものではない、と言う。では「技術の本性」とは何か。それを表わすのは「ポイエシス」という言葉だが、これはもともと「出で・来・たらすこと」(=その本性を露わにさせる)という意味を持っている(アレーテイアやピュシスと同じ構造だ)。すぐ分かるように、「ポイエシス」は「ピュシス」の概念と深く繋がっている。「フューシス(注 ピュシスのこと)は最高の意味においてポイエシスである」。

 技術の本性はポイエシスであるという理解に誤りがありそうにも思えるが、もう少し続ける。

 もう詳しい説明は不要だと思うが、ハイデガーによれば、もと「ギリシャ人の意味において」は、「ポイエシス」、「ピュシス」、「アレーテイア」、そして「テクネー」という言葉はすべて根本的な意味において連通管のように底でつながっていた。それはすべて、「ほんらいあるもの」をその本来性において「出で・来・たらす」、「露わにする」、「隠されないさまにする」といった意味をもっていた。ところが、

 ここでハイデガーの技術論が引用されるのだが、その前に、竹田はこの本来性をスタティックに見ていることに注目しておきたい。ハイデガーは言う。

近代技術を終始支配しているこの露わに発くということは、しかし今では、ポイエシスの意味における出で・来・たらしの形で展開されているのではない。近代技術のなかで統べている露わな発きとは、自然にむかって、エネルギーとして搬出され貯蔵されるような、エネルギーを供給すべき要求を押し立てる挑発(ヘラウスフォルデルン)なのである。

 竹田はこう解説する。

 いまや農夫の仕事でさえ、近代的な意味での「挑発」になってしまった。「挑発」とは、自然を、人間の観点から、一方的に人間に役立たせるために利用すること、を意味している。しかもそれだけではない。自然は形而上学的な(つまり人間中心主義的な)視線の中で、「挑発」の対象とするものだが、そのことはじつは、「人間自身の方がすでに自然エネルギーを搬出するように挑発されている限りにおいてのみ」可能になっているのである。そうハイデガーは言う。
 つまり、近代技術の本質は、「人間」-「自然」の双方がともに全体的な「挑発」の対象となっている構造として、はじめて理解できる、ということになる。近代技術のこのような本来的な構造を呼ぶのに、ハイデガーは「立て・組」(ゲシュテル)という言葉を示す。

 この竹田の理解も微妙なところだ。彼は、総じて、挑発は人間対自然の関係性に置かれ、その上でそれらを支配する全体構図として理解しているようだ。また彼はハイデガーの技術論を、「存在と時間」における本来性と非本来性との対立と類似の構造のなかに流し込み、自然と人間に介在する技術の本来性をハイデガーが問うているのだというふうにまとめていく。

こうして人間が近代的に歪められた技術の本性、「挑発」=「立て・組」を棄てて、「真理」を露わにするもの」として技術の本来性に目覚めるべき道すじをもつ、というストーリーは、人間が「頽落」した世人自己を棄てて、「本来的」的な実存の可能性に目覚めるのと同じ構造になっていることが分かる。

 ここまでまとめられると、私は竹田のゲシュテル理解が違うのではないかと思えてくる。私は、ゲシュテルそれ自体が存在のダイナミックな開示性であり、そのなかに人間と自然が仕組まれていると解釈したい。比喩的な言い方をすると、私たち現在の人間はガンダムスーツのようなゲシュテルのなかでどのように自覚するかということだろう。
 竹田のような理解によるハイデガー「技術論」的な世界からはすでに今日的な視点や問題意識は見えてこない。ただ、竹田のフッサール的なコギトからの視点からは、それ自体を超越的に包み込むダイミックな存在の歴史というものは無根拠なおとぎ話に見えることだろう。
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ハイデガーの技術論
加藤尚武
 疑問を原点に戻して、ハイデガーの「技術論」とは何か?
 この考察・再考に役立つのが、原文対訳の多い加藤尚武編「ハイデガーの技術論」(参照)である。まえがきはこうだ。

 この本は、ハイデガーの技術論をすこし本格的に研究しようとする人のための入門書である。ハイデガーのドイツ語を読みこなす練習書という意味もこめてある。ドイツ語を習っていない人は、ドイツ語をまったく無視して読んでいただいて差し支えない。それでもハイデガーの技術論が言葉の意味をしっかり押さえ込んでいかないと読めないという性質のテキストであることが分かるだろう。手っ取り早くハイデガーの技術論について要点を知りたいと思う人は、そういう手引き書は存在しないし、存在しえないことを思い知るべきだと思う。

 確かにそういう趣があり、哲学の授業を丹念に学ぶ喜びを感じさせる本でもある。ただ、この本で編者となっている加藤尚武自身のゲシュテル理解がこれでいいのか、こう言うと僭越なのだろうが、私はやはり疑問に思える点はある。しかし、それについてはここではふれない。
 本書ではゲシュテルは「徴発」と訳されている。戦時の意味を込めている。

 ハイデガー自身、「兵士の召集」とか「軍事物資の調達」とかいう日常語と近い意味で、このゲシュテル(Gestell)という言葉を使っている。

 そして加藤はその先に炭坑採掘機械がゲシュテルと呼ばれていたという経験談からこの語の語感を語る。
 私の関心事は二つである。一つはゲシュテルと情報技術の関係である。もう一つはゲシュテルと国家の関係である。
 ゲシュテルは、自然が内包するエネルギーを徴発するというイメージでまず描かれている。だが徴発されるのは自然のエネルギーや資源だけではない。ハイデガーの原文を受けた加藤の説明を借りる。

 この文章は「シュテレン」(stellen)づくめで書かれているが、この「シュテレン」の元締めが「ゲシュテル」(徴発性)である。
 たんに資材を調達するだけではなく、世論とか、意見とか、文化とかまで調達し、取り立てていくというあらゆるものを駆り立て、取り立てていく見えない力が働いている。誰かが私腹を肥やすために世論操作をしているということをハイデガーが言いたいのではない。近代技術の文化の根底には調達のための調達、取り立てのための取り立てという奇妙な性格がある。

 徴発の対象は、情報であり大衆の関心でもある。ここで、いわゆる情報化=マスメディアとして新聞・テレビ、そして対価されるコマーシャルメッセージを考えれば、それらがすべて商業主義や特定のイデオロギーに情報と大衆の関心を徴発するゲシュテルであることがわかる。
 だが現在の私たちはこのゲシュテルの上に、Googleのような奇妙なゲシュテルを見つつある。ここでいうGoogleは象徴でしかないのでべたにGoogleでなくてもよい。いずれにせよ、ネット検索技術や情報共有技術というものもゲシュテルとして露わになりつつある。これらは、旧メディアとしてのゲシュテルと現象面で対立しているのか、ゲシュテル自身の別の発現なのか。おそらくゲシュテルそれ自体の新しい発現なのだろう。ではその意味、つまり人間によるその存在了解はどのようにありうるのだろうか?
 もう一つの関心、国家と超国家の関係もまさにGoogle的なもので比喩的に描きやすい。その前に。随分と考えたのだが、国家がその経済成長なりでゲシュテルの発現を内部に生み出すのか、ゲシュテルそれ自体が国家を生み出すのか? 加藤尚武編「ハイデガーの技術論」には轟孝夫の関連した興味深い論考がある。私としては、ゲシュテルが国家を生み出すのだと考えてよいように思う。つまり近代国家を特徴付ける国民皆兵それ自体がゲシュテルの現れなのだろう。
 このゲシュテルは世界なかで各国家を対立的に生み出していく。だが、他方現在Google的な超国家の情報機構は本質的に国家を超える徴発(ゲシュテル)として現れている。これはいったい何なのだろう?
 単純に言えば、Googleが世界を支配しようとしているのだ、というように単一帝国的な志向を持つゲシュテルと理解することもできるだろうし、そうした警告も少なくない。だが、GoogleというゲシュテルはGoogleという単一の機械である必要もなく、それらが均衡しても特異な発現が止まるわけもない。やはり国民皆兵的な徴発性を無化するゲシュテルとなっていくように見える。
 ハイデガーの「技術論」の視野に、こうした情報を駆り立てるゲシュテル、国家を開くゲシュテルということがあるだろうか? ただ、この裏側で、国家と結託した貨幣操作技術としてのゲシュテルが大きく動いているのも事実だ。

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2006.12.26

トルコのEU加盟問題近況メモ

 トルコのEU加盟問題のメモ書きをこの時点で残しておくべきか、確か来月に会議があるのでそれを待ってからにするか。しばしためらっていたところ、先日ぼんやりヴィデオレコーダーに貯まっているクローズアップ現代を見ていたら、二十一日付けで「遠ざかる融和 ~トルコ・EU加盟交渉凍結の波紋~」(参照)をやっていたのを知り、ざっと見た。

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トルコのものさし
日本のものさし
内藤正典
 内容はなんとも微妙。間違ってもいないのだが、ローマ教皇ベネディクト一六世のトルコ訪問がトルコのイスラム勢力の反発を買ったというあたりは、おいおいと突っ込みそうな自分に苦笑した。教皇のトルコ訪問の目的は正教との関係の問題であり、キリスト教対イスラム教といった枠組みは余波的な問題である。
 番組ではしばらくすると内藤正典が出てきてかなり正確な話をしていた。トルコ問題をごく簡単に言えば、これはEUがひどいでしょとなるかと思う。余談ぽくなるが、内藤正典の「トルコのものさし日本のものさし」(参照)はもう十年以上も前になるが、自分が見て感じたトルコをきちんと描いていて面白かった。面白いといえば、漫画「トルコで私も考えた」(参照)も面白いには面白い。
 トルコのEU加盟について、昨今の情勢の簡単なまとめとしては、InterPress Service”TURKEY: New Pitfalls on the Road to EU”(参照)あたりがあり、この記事の抄訳がJANJAN「世界・トルコ:EU加盟に新たな落とし穴」(参照)にある。

 EUは凍結の理由を、トルコがEU加盟国キプロスへの港湾、空港の開放を繰り返し拒否していることと説明している。1974年にトルコが北部を占領して以来、キプロスはギリシャ系とトルコ系で南北に分断されている。国際的には南を支配するギリシャ系政府が全土を統治する政府として承認され、北のトルコ系政府を認知しているのはトルコのみ。2004年にギリシャ系政府だけがEUに加盟した。

 この問題に関連して二年前だが「極東ブログ: キプロス問題雑感」(参照)を書いた。JANJAN抄訳では以下のようにトルコ側についてのみふれている。

 過去2年間でトルコにおけるEU好感度は78%から32%に急落し、およそ1年のうちに総選挙を迎えるなか愛国心の台頭が予想される。それでもトルコのエルドガン首相はドイツのメルケル首相が提唱した「特権的パートナーシップ」の地位に甘んずることなく、完全な加盟国となることを目指すとしている。

 このあたりの話は、クローズアップ現代の内藤の指摘のほうが公平で、EUが変わってしまったことの要因が大きい。余談だが、JANJANももう少し複眼的にこの問題が扱えないものかとも思う。
 EU側の表向きの問題はキプロス港湾だが、実際にはアルメニア人虐殺問題のほうが重要だと思われるし、ここはクローズアップ現代もきちんと取り上げていた。関連する内藤の指摘も正確だった。
 アルメニア人虐殺問題自体については「極東ブログ: アルメニア人虐殺から90年」(参照)でもふれた。今回の問題は、十月十二日フランス下院でアルメニア人大量虐殺否定は犯罪とする法案を可決したことで、シラク大統領はこの歴史認識をトルコのEU加盟の条件してしまった。
 同法案は〇一年成立のアルメニア人虐殺認定の法律を拡大すべく野党社会党が提案したものだが、同法成立にあたっては五〇万人もの仏在住アルメニア人社会を背景とするロビー活動も効果があった。結果、アルメニア人虐殺否定者は一年間の禁固刑または四万五千ユーロの罰金を科すとなった。この法案はすぐにわかるように、ユダヤ人大虐殺否定と似ている。ちなみにこちらの問題の関連は「極東ブログ: 親日家ブリュノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch)発言の波紋」(参照)でふれた。
 ざっくりと見ると、トルコのEU加盟は不可能と言っていいだろうが、それでいいのかEUもトルコも、といったところ。EUは歴史の大きな流れというか人口の推移からするとイスラム圏にならざるをえないし、一見原理主義化しているかに見えるトルコだが世俗化は止められない。どこかで合理的な均衡点を見いだすべきなのだが、どうもそうはいかない。この問題の枠組みは米国のラティーノ化問題にも似ている。
 クローズアップ現代ではトルコ内でのイスラム原理主義化を強調していた。この問題の関連は「極東ブログ: 幻想のクルディスタン、クルド人」(参照)で扱ったが、都市化にも関係しているだろう。イラク内に事実上クルド国家ができてしまったことから、さらにクルド人問題は潜在的に深刻化している。
 トルコ内での現状の軋轢は、軍部による一九九七年のイスラム主導連立政権エルバカン首相の辞任と同じような結末になる可能性がある。EUにそれがわからないわけがない。
 たまたまウィキペディアを見たら「トルコの政治」(参照)という項目があり、ある程度専門のかたが書いているのだろう。間違っているわけでもないのだが、どちらかというとトルコ軍部に批判的な印象を受ける。人権という観点から見れば、そういうストーリーになるのはわかるのだが、現状のEU側のトルコの追い詰め方はそう単純に割り切れないものを私などは感じる。

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2006.12.25

アーヴィング・バーリンのこと

 アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, May 11, 1888 ~ September 22, 1989)はホワイト・クリスマスの作詞作曲家だ。


I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten,
and children listen
To hear sleigh bells in the snow

 曲想はバーリンが別の作曲仕事の徹夜明けに思いついたものらしく、冒頭「夢見る」にはリアリティがありそう。彼は早朝オフィスに着くや秘書に楽譜として書き留めさせたという。一九四〇年のこと。大ヒットは、ビング・クロスビー(Bing Crosby)による一九四二年のミュージカル映画「ホリデー・イン」の歌だ。時代背景もあった。前年の十二月七日(米国時間)に米国は真珠湾攻撃を受けた。戦争の最中であり、兵士たちは望郷の思いで口ずさんだと言う。嗚呼南国に雪が降るの趣きもあっただろう。
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ゴッド・ブレス・アメリカ
セリーヌ・ディオン
 バーリンには有名な歌が多いが、自然とナショナリズムの文脈が見えてくるのも興味深い。「ゴッド・ブレス・アメリカ(God Bless America)」は事実上の国歌のようになった。セプテンバー・イレブンで歌われたのもある程度は自然な成り行きに近いのだろう(参照)。歴史家は皮肉なコメントを残すだろうが、民衆に自然な愛国心があれば国の歌を生み出してしまうものかもしれない。作曲されたのは一九一八年というから第一次世界大戦の終結年ではあるが、これもやはり時代的な背景を考えざるをえない。
 バーリンは愛国主義的な作曲家と見られることもあるが米国生まれではなく、移民の子であった。ユダヤ人の家庭に生まれたと書かれることが多く、ユダヤ人であると書かれることはないようだが、それでも祖父はユダヤ教会の牧師とも言えるラビであったので、家族は深くユダヤ教に関わっている。バーリン自身も生まれたときの名前は、あえて米語風に記すと「イズラエル・イジドア・バリン(Israel Isidore Baline)」となる。イズラエルと聞くと国名を連想する人が多いが、旧約聖書にあるようにイサクの子ヤコブを意味する。イスラエルという国名もヤコブの子孫という含みがある。バーリンは米国社会に合わせてイスラエルという名前を捨てた。BalineがBerlinとなったのは最初に出版した曲「Marie From Sunny Italy」の楽譜に "I.Berlin"とミスプリントされたことによる。彼はそれをそのまま生涯受け入れた。
 バーリンが生まれたのは一八八八年五月一一日。日本では明治二一年。同年生まれの日本人には九鬼周造、菊池寛、梅原龍三郎がいる。T・S・エリオットも同年の生まれなのが興味深いと言えば興味深い。生まれた場所は、ラプスーチンと同じくロシア連邦シベリア西部の都市チュメニであるとされているが、現ベラルーシの都市モギリョフという説もある。米国に家族が移民したのは、一八九三年(九一年説有り)。バーリンは五歳といったところなので彼自身にはロシアの記憶は少ないだろうが、彼は八人の兄弟姉妹の末子でもありファミリーの歴史はよく聞かされたことだろう。移民のきっかけはポグロムであると言われている。ポグロムはユダヤ人に対する集団的な襲撃・破壊・虐殺で、ロシアで特に一八八〇年代以降激しくなった。ポグロムについては一九〇三年キシナウ・ポグロムが有名だが、日本ではあまり語られることがないように思える。
 移民後家族は同じく貧しい移民ユダヤ人の多いニューヨークで暮らしていたが、彼が八歳のとき父親が死去。兄弟たちに加わってこの時から働き出すようになる。現在の感覚からすると子供への労働として厳しすぎるようにも思えるが、そうした街の文化に関わることで音楽での生計を見いだしていった。
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アーヴィング・バーリン
ソングブック
 著名な音楽家でありながら彼自身はピアノの黒鍵しか扱えなかったとも言う。猫ふんじゃったばかりではない。移調ピアノというのを使っていたとも言われる。いずれにせよ曲想の才能は楽器には拘束されないものがあったのだろう。
 一九六二年ミュージカル「ミスター・プレジデント(Mister President)」の興業失敗をもって引退とした。死んだのは一九八九年というから、百歳を超えた。

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2006.12.24

finalvent's Christmas Story

 KFFサンタクロース協会に奇妙な裏の顔があることを知ったのは数年前のことだった。退職した老人たちを集めて、途上国の貧しい子供たちに些細なプレゼントを渡すありがちなキリスト教慈善団体と思っていたし、その行事につきあった五年間は、この世界の圧倒的な貧しさも実感したが、どのような境遇に生まれても子供たちというのはすばらしいものだと確信できたことで、とてもよい思い出となった。
 数年前協会から突然の再依頼があったときは、もう歳だからということで断った。しかし、特命の任務だという。話を聞いて驚いた。世界でも有数の大富豪の家に行ってほしいというのだ。トナカイのソリというわけにはいかないが、飛行機も自動車も用意するという。身なりはもちろん世間のイメージ通りのサンタクロース。
 その格好がこの季節一番不審に思われないでしょう、とマリーは言った。上品なおばあさんのようでいて、彼女は協会の最高幹部の一人だった。特命について少し説明したいとのことだったが、マリーから詳しい話はなかった。そんな富豪の子供に何をあげるっていうんですかときいてみたが、マリーは少し含み笑いをして、ボブ、その袋にいっぱい入っているじゃないのと答えた。
 袋のなかにはがらくたが入っていた。腐ってしまいそうなものは除いたが、砂漠の風土に咲く花なのだろうか、いくつか自然にドライフラワーのようになっている。貧しい国の子供たちにプレゼントをすると、子供たちは数人、お礼にということでいろんながらくたを私にくれた。いや、がらくじゃない。それはとても大切なものだ。だから私はサンタクロース袋のなかに入れて大事にしていたのだ。
 それが大切なものだと大富豪の子供にわかるものだろうか。そう疑問を口にしたが、マリーは微笑むだけだった。そんなこと問うまでもないでしょという自信に満ちていたようだった。
 実際問うまでもないことだった。昨年と一昨年訪問した大富豪の子供は、こう言うのも皮肉に聞こえるかもしれないが、恐ろしく賢かった。親たちの社会的な意味と自分たちの未来と、そして世界の苦しむ姿も知っていた。普通の子供と違うのは、不思議な孤独を抱えていることくらいだ。
 「マリー、その仕事は引き受けてもいいのです。でも、この仕事は私でなくてもいいし、私は金持ちの人間というのがあまり好きではないのです。」
 「ボブ、あなたの言うことはわかります。これは私からあなたへのプレゼントの仕事なのだと受け取ってください。」
 私は難しいことは信じないが、マリーのいうことは信じることにした。昨年訪問した富豪の家庭は巨額な資金を抱える慈善団体を持っているのだが、その富豪の死後五〇年以内に財団の財産をすべて寄付するというニュースを先日聞いた。私にはその意味がよくわからなかったが、マリーには何か思うところがあったのだろう。
 シアトル空港を後にして、二時間ほど車に乗せられた。アシスタントスタッフは私の安全か何かの秘密を守るためか青年らしく緊張しながら黙っていた。こういうのは苦手だな。人の良さそうな中年の運転手に、私の格好は滑稽でしょと話しかけてみた。運転手は、大変、ご苦労様ですと答えた。心の底からそう答えているのがわかって。私は冗談を続ける機会を失った。
 富豪の家のゲートに着いた。ここもゲートから玄関までが長い。自動車の窓の外を見る。遠くの丘から少し明かりが漏れているくらいで本当に今日はクリスマスイブなのだろうか。暗く静かな夜だった。
 「サンタクロースさん、ようこそ。」
 明るい声に、用意された部屋に入る。背格好から見るに、十歳くらい女の子が私を受け入れてくれた。ブルーのドレスを着ていた。似合わないわけではない。可愛い女の子には違いない。
 「ハッピー・ホリデーズ! もう寝ているかと思ったよ。本当のサンタクロースは煙突からこっそり入ってプレゼントを置いていくものだしね、お嬢さん、お名前は?」
 「マーサです。メリー・クリスマス! 本当のサンタクロースは、でもそんな格好はしないんですよ。」
 「そうなの。マーサは本当のサンタクロースというのを知っているのかな。」
 「本当のサンタクロースというのは、私たち人類の無意識が生み出した願望のようなもの。歴史的には現在のトルコのミラに実在した司教がモデルになっているのよ。」
 「難しいことを知っているんだね。」
 マーサの話ぶりは大人そのものだった。そういう一群の子供たちがいる。
 「私が知っていることはそういうことばかり。そして私が大人になるために知らなくてはいけないこともそういうことばかり。」
 「本当にそうかな。」
 「本当は違うわ。」
 「そう。本当は違う。本当のこと学ぶためには笑ったり泣いたりしないといけない。」
 「ええ、サンタクロースさん。あなたがそうして学んだことはどんなことか少し話してださい。」
 私は、お安いご用だけど、それでいいのかなというと彼女は微笑んだ。齢は六十歳以上も違うのに、マリーのように老成した子供だ。私の上司という貫禄だ。話を始めると、彼女は、私の体験談のなかから政治的な核心となる要素に関心を持っていることがわかった。私はせいいっぱい話した。考えようによっては難しい話にもなる。だが真摯に傾聴している。その姿勢にしかし彼女はまだ子供なのにと少し哀れにも思った。いや子供だからそうした純粋さのような持っているのだろう。それを人はいつまで持っていられるだろうか。くじけそうな心を何が支えてくれるだろうか。
 時間は限られていたので、話を切り上げると、彼女もそれを心得ているかのようだった。この子はスケジュール管理のようなこともできるのだ。
 「お話はこのくらいにして」と私がゆっくり言う。
 「プレゼントをくださる時間ね」と彼女がいたずらしたように笑いながら答える。
 「本当は私が選んであげるべきなんだろけど、よくわからないんだよ。その袋のなかから一つ選んでくれるかな。ただし、その袋のなかに何が入っていても……」
 「笑ったりなんかしませんよ……」
 彼女は興味深そうに袋のなかを覗いた。もしかするとそこには彼女にとって本当の世界に近い何かがあるのかもしれない。
 「これをください」と彼女は星形の金具のようなものを選んだ。
 「アルミの板でできた星の飾りだね」と私が言うと、マーサは「あら、ご存じないの」と言って少し沈黙し、「本当の価値がわかることが富豪の能力なのよ」と笑った。
 「そうだね。そういう能力を与えられている人は少ない。ところでそれは何なんの?」
 「クッキー型よ。」
 「なるほど、そういえばそうだ。」
 「それでクッキーを作るのかい?」
 「もちろん。でも、大人になったら。」
 彼女は玄関まで見送ってくれた。寒い外で私を待っているスタッフが少しほっとしたようだった。
 「おやすみ、マーサ。プレゼントは気に入ったかい。」
 「ええ、サンタクロースさん。これからの私を支えてくれる大切な秘密になるわ。」
 空港に向かう自動車に乗りながら、少し眠気にとらわれながら、私が死んだ後の世界で、大人になった彼女がクッキーを焼いている姿を想像した。

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