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2006.12.01

Throw the Gem down the well

 今週の日本版ニューズウィークのカバーが「ボラットが来た」であった。カバー写真を見て、おや?、これを採用したのかと思った。というのは、ロイター”映画『ボラット』のポスター、イスラエルで廃棄される”(参照)で話題になっていたからだ。


コメディアン、サシャ・バロン・コーエンの別人格であるがさつなカザフスタン人ジャーナリスト「ボラット」が股間を強調した下着姿で現れたポスターが、イスラエルでは不適切であると判断され、廃棄された。

 「アメリカで大ヒット英国最新コメディー『Borat』」のすべてともある。ああ、このネタを日本で取り上げるのかとちょっと困惑しつつ、そういえばと思ってユーチューブをひねったら案の定すでに何本が上がっていて、いくつか覗いたが、涙が出るくらい笑った。
 特に、れいの歌は実際に聴いてみると、というかその映像の作りもだが、すごいもんだと思った。これを一発撮りでやったのかと思うと、サシャ・バロン・コーエンというのはものすごい才能だ。モンティ・パイソンにしても、ミスター・ビーンにしてもそうだけど、英国のインテリってどうしてここまで徹底的におばかなことができるのだろう。以前NHKの番組で見たが、オックスフォードやケンブリッジにこうした喜劇を志向する組織があるらしい。英国が世界に誇るものはジェントルマンとかいうが、それにおばかを加えていい、ブラボー!
 ローワン・アトキンソンのビーンを最初に見たのは国際線の映画だった。ありえないばかばかしさに隣に座っていたシーク教徒も受けていた。これはユニバーサルな芸だなと思った。喜劇も国際市場かと。だが、その後、彼のライブの映像を見て考えなおした。基本は言葉にある。シェークスピアの国だな。
 ライブもいろいろ面白かったが、インド人レストランのカルチャーネタもけっこうなしろもので、これをやれるっていうのはすごいな、でもこの先にもっとすごいのもできそうだとも思ったが、世界がだんだんナーバスになり、せいぜいサウスパークの米国カナダ戦争くらいまでがこの手のギャグの限界かと思っていた。
 そうではないのだ。やるやつはいるな。世の中にはとんでもないやつっていうのがいるな、こういうのは一種の革命家だなと、ユダヤ人の本当の強さを思うなと、バロン・コーエンを見て思う。先のロイター記事を借りると。

 イギリス生まれのバロン・コーエン(35)はユダヤ人で、母親はイスラエル人。キブツで一年間過ごしたこともある。

 しかし、残念なことに、私は英語がよく聞き取れないので肝心のところがわかってないようだ。みなさんは聞き取れるかもしれないのでユーチューブをエントリ末に貼っておく。
 話がそれるが、偽ドキュメンタリー映画、『ボラット:偉大なる国家カザフスタンに利益を生むためのアメリカ文化学習』を見ていて、ちょっとしんみりと二つのことを思った。一つは初期シャガールの絵である。もう一つはボラットにその暗喩はないのだろうとも思うが、カザフスタンの歴史である、というか、カザール人(Khazar)のことだ。まあ、この話に突っ込むのはやめとこう。
 コメディということに戻ると、おばかに笑えて涙が出るのは久ぶりだろうか。そして日本にはこれに匹敵する芸人はいるかな、電線音頭のリバイバルとかないだろうか、ホタテマンもばかさ加減ではけっこうなものだった。ビートたけしはいつのまにか、なんか全然違う知識人もどきになってしまった。まあ、日本にも芸人はいるでしょ。鳥肌実か?
 本物の笑いとはみたいな無粋な話もなんだが、バロン・コーエンのように、自分であることを笑いのめすことである。嘲笑は最低の笑いである。

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2006.11.30

カラーテレビの思い出(ずっこけ)

 自民党復党議員問題を書こうかどうか考えてやめた。復党議員に投票した有権者はどう思っているのだろうか。政策じゃなくて人柄で選んだんですからということか。で、ぼんやりカラーテレビのことを思い出した。
 このところいざなぎ景気(参照)を超えたという話をよく聞く。いざなぎ景気は、一九六五年から七〇年にかけて五年近く続いた好景気のことで、ちょうど私の小学生時代に相当する。ああ、あれが発展途上国の好景気というものなのかとなつかしく思い出す。好景気というわりには、今の生活水準からすると貧しいものだったなという思い出もあるし、それでいてなんか毎年のごとく家を改築してたような記憶もある。
 三種の神器(参照)の話はもううんざりなので先に進めるとして、いざなぎ景気のころは、3Cというのがあった。カラーテレビ、クーラー、カーである。と、ふと英語でこれをなんて言うのかとまどった。カーは Carでいいだろう。cdr のわけはない。クーラーは、coolerのわけはない。和製英語なのか当時の米語とかにあったのだろうか。air conditioner にはなにか口語があったか。カレーテレビは、color television set だろうか。意味的にはそうだが、米語ではどう呼んでいただろうか。もっとも今では、そんなふうに「カラー」と呼ぶわけもない。
 ウィキペディアを覗いてみた(参照)。歴史的な記述はあまりない。


カラーテレビとは、映像に色がついているテレビ放送あるいはそれに対応した受像器のことである。日本で登場したばかりのころは「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。

 「総天然色」という言葉は懐かしい。真実の色というわけでもないが。

カラーテレビ放送の搬送波では輝度と色差の信号が送られ、受像器で両者を合成しカラー画像を作る。輝度の信号はそれまでの白黒放送に相当する。白黒テレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、下位互換性を保っている。

 このあたりの技術を最近の技術者たちは知っているだろうかとちと思う。これはなかなか面白い。最近のデジタル技術というのがよくわからないのだが、HTMLなどはRGB色空間だが、カラーテレビの色空間はYCbCr色空間というのを使う。
 YCbCrというのは、輝度信号がY、色信号の青味成分がCb、赤味成分がCrで、この三成分を合成する。ということは、Yだけ取り出すと白黒テレビになる。日本が採用しているNTSC方式だと、輝度信号の副搬送波に色信号を変調させている。懐かしいなぁ、CCITT。
 で、これをRGBに変換するには、次の式を使う(8ビット表現のときは色に+128)。

Y = 0.29900 × R + 0.58700 × G + 0.11400 × B
Cb = -0.16874 × R -0.33126 × G + 0.50000 × B
Cr = 0.50000 × R -0.41869 × G - 0.08131 × B

 まあ、式自体はとりあえずどうでもいいんだが、このなんとも微妙な係数がどっから出てきたかというと、人間の色知覚は輝度変化に敏感だが色変化には鈍感という心理学的な特徴をもっているからで、そのあたりの実験値からこの係数が出てきている。実験をなんども繰り返して、こんな塩梅ではなかろうかというのが技術であり科学でありCCITTだったというわけで、なんか私はそんな歴史の空間のなかに技術屋の父親とすごした少年だった。
 この手の話はもう切り上げようと思うのだが、ついでなんで、この近似値は次のようになる。

7 × Y = (2 × R + 4 × G + B)

 つまり、人間の目というのは、緑色が青色より四倍明るく感じ、赤い色が青色より二倍明るく感じるようになっている。なので、基本ソフトが落ちたときはブルースクリーンにするし、ブログの背景には緑色を使うんじゃないよということがW3Cで決められている。
 こんな技術もうどうでもいいでしょとか思っていたのだが、この色空間はJEPGにも採用されているので、工学というのは無駄にならないものだなと思う。
 これに反して、カラー印刷の世界は昔は、色分解の天才的な職人がいて、今ならNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」とかに出演してうんたら言いそうなんだけど、こちらの技術はほぼ完全に廃れてしまった。神業的な技術でも跡形もなく消えてしまう技術がある。そういえば、植字工などはどうだろうか。
 そういえばで思い出すのだが、二十代のころだが、たまたま私がアスキーを持っていたらどっかのオヤジさんが、そいつらには泣かされたねという話をしてくれた。常識破りのデザイン持ってきて刷れっていうのだというのだ。愚痴かと思ったら、そうではなくて、そういう熱気に負けてチャレンジしてみたくなったよ、おまえもがんばりなという話であった。
 あー、カラーテレビの思い出の話でも書こうと思ったのだが、話がずっこけ(死語)てしまった。

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2006.11.27

牡蠣のオリーブオイル掛け

 簡単クッキングの時間ですよ。牡蠣のおいしい季節。今日は、牡蠣のオリーブオイル掛け。牡蠣を乾煎りして塩で味付け、オリーブオイルを掛けるだけという、まじシンプルな一品。
 素材は、加熱用の牡蠣。量は適当。多いほうがいい。一人で食うだけだからそんなに要らない? いいからできるだけ買え。お、こりゃうまそうというのを選べ。生食用のは買うなよ。
 そると、塩。塩はうるさいこと言わない。私が使うのは岩塩。アルペンザルツ。「極東ブログ: 塩の話」(参照)もご参考に。
 そしてオリーブオイル。オリーブオイルは極上を使え。ここで味が決まる。極上ってなんだという話は、「極東ブログ: [書評]アーリオオーリオのつくり方(片岡護)」(参照)などを参照のこと。わからんかったら、五〇〇ミリリットル一五〇〇円くらいので偉そうな感じのエクストラバージンを買え、と。
 牡蠣は水洗いする。水はできるだけ切る。できたらクッキングペーパーで水気を取る。
 フライパンはテフロンの安物でよい。
 中火にしてフライパンに牡蠣を入れる。

photo

 しばらくすると泡と一緒に水気が出てくる。

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 ここで塩を振る。量は牡蠣の量を見て適当に。たくさん振るとしょっぱくなり、少ないとシオタラン。塩は出てきた水分に溶かすようにする。
 フライパンを揺すりながらしばらくすると、水気が飛んでくる。牡蠣はぷっくりとしてくる。でも、牡蠣あんなに入れたのにというくらい少なくなったような感じがするが気にしない。
 粗方水気が無くなったら火を止めて、オリーブオイルをひとまぶし。フライパンを揺すりながらオイルを全体に回す。

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 これでだいたいできあがりだし、もう食ってもいいのだが、できたら、皿に盛って冷やす。冷えたところで、オリーブオイルをもう一回し。この最後のオリーブオイルがうまさの秘訣。
 できあがり。シャルドネなんかでどうぞ。
 ということなのだが、たくさん作って余ったら、もうちょっとオリーブオイルを足して瓶に入れとけばそのまま牡蠣のオリーブオイル漬けになり、日持ちする。

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2006.11.26

バブルという時代を思い出す

 日経新聞のコラム春秋の今日の話題がバブル時代のことだった(参照)。枕はホイチョイ・プロダクションズの来春の映画「バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式~」(参照)である。


 800兆円まで膨れ上がった債務に悩む財務省が秘策の発動を決断した。極秘裏に完成させたタイムマシンで1990年の日本に女性工作員を送り込み、バブル崩壊を阻止するという。しかし好景気にわく東京を初体験した彼女は浮かれ気分に取り込まれ……。

 公式サイトの釣りはこう。
 街中が浮かれ、踊っていたバブルの絶頂、狂乱の1990年3月の東京を舞台に、当時のファッション、文化、風俗を満載!
 人類史上最もハイテンションだった時代の男女が織りなす、底抜けに明るくノー天気で、恋愛あり、活劇あり、親子の絆ありの、グッとくる王道エンターテインメントを壮大なスケールで、笑いいっぱいに描きます!!

 あの時代を映像で見るだけでもなんかすごいものがありそうだ。面白い映画になるかもしれない。
 春秋はこんな話で締めていた。

若い人から「バブルって、いい時代だったそうですね」と真顔で聞かれたことがある。不況しか知らない世代に、あの時代の空気を説明するのは意外に難しい。喧噪(けんそう)に紛れ見えなくなったもの。消えた街。人生を狂わせた人々。崩壊後の混乱。「バブル」という言葉につきまとう苦さも、きちんと伝えていきたい。

 私も最近バブルを知らないと言う三十歳過ぎの人に遭遇した。え?とか思ってしまう私は来年五十歳。ちょっと考えなおすと、今の三五歳以下の人は大人になって世の中に出てからバブルというのを見たことはないのだ。あれから随分時が経ったか。
 ウィキペディアの「バブル景気」(参照)を見るとバブルの時代は年代的にはこうらしい。

バブル景気(ばぶるけいき)とは日本の経済史上で1980年代後半~1990年代初頭にかけてみられた好景気である。指標の取りかたにもよるが、概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月間を指すのが通説となっている。

 当時私も株少し持っていたので覚えているが、「日経平均株価は1989年の大納会(12月29日)に最高値38,915円87銭」が印象的だった。あれはすごい光景だったな。長谷川慶太郎が、これから日経平均五万円時代だとか息巻いていたし。
 九一年にはバブルは崩壊しはじめたのだが、と自分の歳と関連つけて思い出すと、三四歳か。会社を潰しにかかるころでバブルに踊っていたという感じでもない。その前、三十歳を超えた当たりで父親が死に、堰を切ったように身近な災難がやって来た。バブルがちょうど潰れたあたりではなんだか人生から解放されたような感じでよく旅をした。あれから遅れてITバブルがやって来た。立ち話でン万円貰えた時代だ。もう少しうまい立ち回りもあったかもしれないとも思うがすべて過ぎ去ってしまった。
 二十代の終わり、八〇年代後半、よい思い出があるかというと、若造なのであまり銭もないせいかしょぼかった。が、マッキントッシュに百万円。引っ越し一度に百万円だったな。
 仕事にかまけてよく夜の都心で食い歩いたか。六本木とかで外人と遊んでいたのはまだバブルが始まる前だったので地味といえば地味だった。その後、コンサルめいてバブルの片隅を覗いたこともあるが巻き込まれはしなかった。
cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 総じて、バブル時代というがそれほど庶民には関係なかった。バブルは基本的に不動産に限定されていたわけで、「ウォルフレン教授のやさしい日本経済」(参照)が指摘するようによく統制されたものだった。
 不動産関係のオヤジはぎらっとして若い女性と遊んでいたので、あの時代に青春だったお嬢さんたちが今の負け犬世代なのではないか。私より十歳下の世代。来年からは彼女たちも四十代になる。
 ネットを見ていたら「教えて!goo バブルの時代というのは」(参照)というのがあり、読んでいるといろいろ思い出す。

【男性】当時一番景気がよかったのが、不動産(地上げ屋)さんで、のちに「バブル紳士」と呼ばれる。
スーツ・・・アルマーニ Vゾーン広めのダブル(日本人にはムリ)
ネクタイ・・・ヴェルサーチ まっ黄色、まっ青の柄物それも大柄
小物・・・金ムクのロレックス ダイヤがまぶしい
特徴・・・ゴルフ焼けでまっ黒だが、左手だけ白い(手袋で)

【女性】 バブル前期
洋服・・・体にピタピタの金ボタン付きスーツなど
化粧・・・太い眉毛に青みがかった濃いピンクの口紅
髪型・・・ワンレングス
小物・・・スカーフ・太いベルト・チェーンベルトなど
特徴・・・アッシーくん(足=運転)、メッシーくん(飯=ごはん)、ミツグくん(貢=プレゼント)を自在に操る
前期に流行ったディスコは、マハラジャやトゥーリアあたり。
後期にはジュリ扇ギャルが出現しました。(ジュリアナのお立ち台で羽扇子片手に踊り狂う)


 あのころ深夜近い時刻だったが新宿ワシントンホテル前にぞろっとアッシー君が並んでいたのを思い出す。自分はすでに三十歳のオッサンになっていたので、随分若い子たちだなと横目で見て、もらったタクシー券を握りながらタクシーを捕まえるのに難儀していた。

私はその頃まだお子ちゃまでしたが、バブルといったら女子大生がすごかったですね(>_<)

ワンレンにボディコンに毛皮を着て、ブランド品に身を固めた女子大生自体がブランドのような!
ものすごいチヤホヤされてたような…(髪型はソバージュも流行りました。)


 飯を食うのに髪を抑えているのをX攻撃とか言うのだったか。
 バブルとは関係ないが、あの頃を境にいつのまにか日本人女性の美人が瓜実顔ではなくなったような感じがする。
 バブルが終わってしばらくしてオウム事件の時代になった。私は本土を遁走してしまった。流れた先の沖縄ではそれはそれで熱い時代が始まっていた。

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