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2006.11.25

レバノン、ジュマイエル産業相暗殺を巡って

 レバノンで二一日反シリア派のジュマイエル産業相が暗殺された。事件の真相はわからないがこの時点で気になることをメモしておきたい。
 基本的な構図は、レバノン内の親シリア派対反シリア派の対立である。二年前のエントリ「極東ブログ: レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える」(参照)でもふれたが、シリアはレバノンに軍を置き事実上支配していた。
 が、このシリア軍がレバノンから撤退したことでレバノン内のヒズボラへの重石が消えたような状態となり、先日のイスラエルとの小競り合いに発展した。他、関連の話は「極東ブログ: シリアスなシリアの状況」(参照)や「極東ブログ: レバノン危機の難しさ」(参照)など。
 反シリア派は大雑把に言って親欧米派と言っていいだろうし、ジュマイエル産業相はマロン教徒なのでキリスト教的な欧米からの親近感もあるのだろう。ただし、マロン教徒がすべて反シリア派というように宗教対立で読めるものでもない。
 ジュマイエル産業相の葬儀は二三日ベイルートで営まれ、反シリア派が十万人集結した。親シリア派でもあるヒズボラへのレバノン国民の反発を強めた形になったようだ。共同”レバノン産業相に別れ 首都で葬儀、10万人参加”(参照])より。


 シリアの支援を受けているとされるレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは、シリアの関与が強く疑われている元首相暗殺の国際特別法廷設置の国連最終案を承認したシニオラ内閣の決定を批判。閣内でのシーア派閣僚を増やすよう要求し、街頭での大規模行動を呼び掛けるなど圧力を強めていたが、産業相暗殺を機に、これまで防戦気味だった反シリア派が巻き返した形となった。

 シリアが関与したと疑われる要人の暗殺はハリリ元首相暗殺を含め数名に及び今回の暗殺も単発的なものではないが、この時期べたにジュマイエル産業相をシリアが暗殺するものだろうかという疑問は特に陰謀論趣味でなくても思い浮かぶだろう。暗殺直前にハリリ元首相国際法廷設置が議論されていたことも気になる。朝日新聞一四日”ハリリ氏暗殺、国際法廷設置に同意 レバノン”(参照)より。

 事件の捜査は現在も進行中だ。国連の調査委員会は、05年までレバノンに軍を駐留させ間接支配していたシリアの関与を示唆する報告書を出している。法廷設置に積極的な米国は、法廷をシリアの影響力排除にも利用しようとしているとみられる。シリアは事件への関与を否定している。
 レバノンではヒズボラなどの親シリア派が、閣僚ポストの割り当て増などを求め、系列閣僚の辞職戦術などで揺さぶりをかけている。先に辞意を表明したヒズボラなどシーア派5閣僚に続き、キリスト教徒の親シリア派のサラフ環境相が13日、辞意を表明した。
 親シリア派は内閣改造や内閣総辞職を求める街頭行動も辞さない構えを見せており、政局は緊迫している。このため、シニョーラ首相は今週に予定されていた来日の延期を決めた。

 こうした空気だったのだが、ジュマイエル産業相暗殺で反シリア派を活気づかせることになった。あまりに鮮やかな転換すぎてどうも腑に落ちない。だからといって反シリア派が仲間を自派を活気づけさせるために連続暗殺しているというのはありえない話ではある。陰謀論的な推測をする気もないのでこの話はここまで。
 直接関係するわけではないのだが、やや関連して気になることがある。単純な構図で描くと、レバノンにおいてヒズボラは親シリア派とされているのだが、そのあたりの対立はどうなっているのだろうか。
 シリアのムスリムの半数はスンニ派であり、政府はかつてのイラクと同様にスンニ派バース党が権力をもっている。彼らが米国統治下のイラクに関与していたということは、米国中間選挙後の米国イラク政策から見ても明らかだろう。ベーカー元国務長官早速シリアへ動いた。AFP”ベーカー元国務長官らがシリア当局者と接触=米紙”(参照)より。

【ワシントン18日】米紙ニューヨーク・タイムズは18日、シリアのムスタファ駐米大使の話として、イラク政策の洗い直しを進める米国の超党派独立委員会「イラク研究グループ」のメンバーであるベーカー元米国務長官≪写真≫がシリア当局者と数回にわたって協議したと伝えた。

 この報道が一八日。数日後、シリアとイラクの関係は修復されることになった。朝日新聞”イラクとシリア、四半世紀ぶりに関係正常化”(参照)より。

 米国では中間選挙での共和党敗北を受け、これまで対話を拒否してきたシリアやイランを含めた包括的なイラク政策づくりが模索されている。シリアとすればこうした動きに反応してイラクとの国交を回復することで国際的な孤立状態を打開し、米国の「テロ支援国家」指定解除などにつなげたいとの思惑があるとみられる。

 とりあえず米国とシリアの関係は微妙に保たれて、さらにチェイニー事実上大統領はまたまたサウジに飛んでサウジ・スンニ派の取り込みも進んでいる。残る問題はイランでありシーア派だ。このあたりになにか理由でもあるのか国内報道からよく見えない。
 イラクは内戦状態に近い状況にあり、日本のジャーナリズムでは単純に米軍の問題だけを取り上げるのだが、内戦というからには二極があり、大雑把に分ければ、スンニ派親シリアとシーア派親イランという構図があるのだろう。もうちょっと言うと、イラクの混乱が話題になるのだがクルドはあまり話題に上らない。クルドは事実上独立を果たしたかのような状態だし石油も囲い込んだかのようだ。問題は南部の石油をかつての権力層であるスンニ派がどう分け前を取るかという争いにありそうだが、このあたりの露骨な状況も報道からは見えない。
 いずれにせよ事実上の対立はイラクにおけるシリア勢力とイラン勢力であり、シリア側のほうはとりあえず抑えたとして、イラン側の動きはどうか。朝日新聞”イランとイラク、首脳会談へ シーア派組織解体など協議”(参照)より。

 イラクのタラバニ大統領が25日にもイランを訪問し、アフマディネジャド大統領と会談する見通しであることが明らかになった。イラク政府高官が20日、AP通信などに語った。イラクで悪化する宗派対立や、シーア派民兵組織の解体問題などが協議されるとみられる。会談が何らかの成果を上げれば、これまでイランとの対話を拒否してきた米国の姿勢に影響を与える可能性がある。

 イラクの治安問題の大きな課題のひとつはイランが関与しているとみられるシーア派民兵組織だ。邦文で読める最近の記事ではJANJAN”世界・イラク:治安を悪化させる『死の部隊 - death squads』”(参照)がある。

 イラク内務省所属の秘密特殊部隊が、バグダッドで誘拐・拷問・虐殺を繰り返しているとの証拠が次々と出てきている。そして、この部隊を支配するのは、シーア派民兵組織、死の部隊(death squads)であるという。
 バグダッドでは9月、1,536体もの遺体が死体安置所に運び込まれた。イラク健康省は先月、1日に250体まで収容できる新しい死体安置所を2箇所に設置する予定であると発表した。一方、イラク住民は政府が今後さらに多くの殺害に関与していくものと懸念している。
 誘拐事件の犠牲者の1人(匿名)は「警察の特殊部隊が関わっている事件は現在、バグダッドの至るところで発生している」とIPSの取材に応じて答えた。
 (標的となっている)スンニ派有力政党の『イスラム党』は、政府や米軍との関係が深い残虐な民兵組織を強く非難した。一方、米軍は殺害に関与したことはないと否定している。

 JANJANにもその雰囲気を感じるのだが、ネットをざっと見回したところこうした死の部隊を煽っているのは米軍だという陰謀論もあるようだ。イラン攻撃の口実にしたいというストーリーらしい。死の部隊はイラク内務省にまで組織を伸ばしているのは事実のようだが、そのあたりをどう読むかは難しい。
 死の部隊(death squads)については、最近欧米ではテレビの特集番組などで注目されているようだ。”Truthdig - A/V Booth - ‘The Death Squads’”(参照)より。

Watch this chilling, full-length documentary (produced by UK’s Channel 4) showing Shiite militia groups waging a campaign of ethnic cleansing in Baghdad. It contains footage and details never before seen in the West. Watch it, and read the accompanying article.

 欧米ではこれは民族浄化、つまり、ジェノサイドにつながる文脈で注視しているようだ。
 話が散漫に長くなったが、このエントリを書き出すにあたって一番気になっていたのは、ジュマイエル産業相暗殺前、一七日付けInternational Herald Tribune”Previously unknown group warns of 'Shiite death squads' preparing to attack Sunni Muslims in Lebanon”(参照)である。

BEIRUT, Lebanon: A previously unknown extremist group has warned that "Shiite death squads" acting under Iranian religious edicts are preparing to attack Sunni Muslims in Lebanon.

In an Internet statement, the group, called the Mujahideen in Lebanon, also lashed out at Hezbollah, accusing the Iranian-backed militant Shiite Muslim group of aligning itself with "Lebanon's Crusaders" to eliminate the country's Sunni community.

The group urged Lebanon's Sunnis to prepare to defend themselves in the face of "Shiite death squads."


 シーア派死の部隊(death squads)はジュマイエル産業相暗殺前にレバノンのスンニ派への攻撃を準備していたようだ。
 イラクの治安の大きな問題の一つシーア派死の部隊は、レバノンやシリアとも関連の構図にありそうなのだが、はっきりとは見えてこない。

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2006.11.21

沖縄県知事選雑感

 沖縄県知事選挙についていろいろ思うことはあるが特にブログに書くことはないような気持ちでいた。しかし、昨日現地の話をいろいろ直に聞いていろいろな思いが少し溢れた。我ながら矛盾しているなとも思うのだが、簡単にメモしておこう。
 知事選について仲井真弘多が候補に立つまでの過程というか、いや糸数慶子がすったもんだしてようやく候補に立つまでの過程には関心を持った。が、その後は関心を失った。糸数が落選すると確信していたからだ。そして実際にその通りになった。私がそう望んでいたというわけではない。私は沖縄で政治活動をしたことはないが、糸数さんとは直接会ったこともあるし、今回の選挙でいえば私が沖縄で知り合った人は彼女の支持者のほうが明らかに多い。もうちょっと正直に言うと、糸数がようやく立った時点で、やったな橙鯨、GJ、おめーはただのわたぶーじゃない……まあそんな感じがした。
 選挙速報はワッチしなかった。その必要もないと思っていた。夜なんとなくラジオをつけて仲井真当選を聞いた。あ、そ、とか思ったのだが、ふと票差が気になり、そして票差を見て驚いた。仲井真34万7303、糸数慶子30万9985。私は僅差と見た。なるほどいわゆる革新側が浮かれていたのも宜なるかな、というところだったのか。
 昨日現地の人に僅差だったねと話すと、別に仲井真側の人というわけでもないが、大差でしょとかも言われた。その語調に、君まだ沖縄のこと分かってないねをまた感じた。まあ、そうだろう。
 私が僅差と思ったのは投票率にもよる。64・54%だった。稲嶺二選の前回〇二年は57・22%であり、差は7・3%。すごく増えたというわけではないが、この差に偏りがあれば、選挙は逆転した可能性はある。ではこの差が仲井真を利したか糸数に利したか、そこをどう見るか。共産党まで巻き込んだ民主党の共闘路線の強みということなのか。この問題は現地の空気を離れた自分ではよくわからないのだが、おそらくどちらかといえば仲井真を利したように思う。
 それでも糸数票が多い。昨日の本土大手紙の社説などを見ると、沖縄県民は基地問題よりも経済振興を選んだというトーンで書かれているし、本土朝日新聞などがそう書くと、おめーら内心うちなーんちゅをダシにしてんだろ、とかむっとくる。が、それが間違いとだけは言えないのだが、負け惜しみを言い散らすよりも、糸数票の多さの意味をどちらの陣営も考えたほうがいい。
 選挙というテクニカルな部分できわどい言い方をすれば公明党を崩せば仲井真は落選しただろう。本土側から見ると公明党は自民党の寄生でありキャスティングヴォートでありその大きな構図からは沖縄でも同じなのだが、それでも沖縄の公明党は基地問題が大きく沖縄の人の心を打てば別の動きを示すところがある。沖縄では公明党というくくりよりもうちなーんちゅのくくりが大きい(自由連合については私は沈黙したい)。今回の選挙では共産党を組み込んでも沖縄公明党の内部の人の心をうまく取り込めなかったようにも思えた。
 糸数擁立が間違っていたかという線で考えてみると、これも難しい。これもずばり言ってしまえば、糸数を候補に立てたのは裏の人々が操りやすいからだろう。私は、率直に言えば、山内徳信を立て大田県政の構図を初心に戻って立て直すべきだったように思うが、しかしそうすれば結局大田県政時代の混乱のようになってしまったか。
 この問題について私には矛盾がある。私はかつて沖縄県民だった意識としてはどちらかといえば大田県政を支持していたが一期の稲嶺に投票した。私はある沖縄の古老の思いと活動にうたれたからだった。沖縄のむずかしさを実感した。
 自分のそうした矛盾した思いからすると、そして現状ですら小沢民主党を支持する自分からすると、たとえば、長島昭久衆議院議員を私は支持するのだが、それでいて今回の選挙についての意見にはなかなか素直には聞き取れない。長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』”面舵いっぱい! 方向転換する勇気”(参照)より。


沖縄で「反基地」を掲げて6派連合を組んで、左のエースといわれた糸数女史を立てて戦った。それで、敗れたのだ。
つまり、野党共闘路線は破綻したといわねばなるまい。
驚くなかれ。すべての市町村で野党候補は与党候補に負けている。
しかも、基地の抱える宜野湾市や嘉手納町では票差が拡大しているのだ。
もはや、現実から乖離した「反基地」一辺倒では、沖縄の民意は動かない。
それが証拠に、与党候補は無党派の4割に食い込んだ。
かくて、私たちに残された選択肢は方向転換しかない、と思う。

 それはあまりにナイチ的に今回の選挙を見過ぎている。沖縄にはあまりに沖縄固有の問題が多く、そしてそれはなかなか語られない部分が多すぎる。
 

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2006.11.19

チョムスキーとチェイニーと

 秋も深まりというわけではないが、イラク戦争についてつらつらと考えることが多くなった。米国中間選挙の結果を機に、日米ともにジャーナリズム的にはイラク戦争は間違った戦争という空気になっている。いや歴史的にもそういう評価が固まるだろうか。問題があったのは統治であって開戦ではないという議論は、だから間違った戦争ではないという反論にはならないだろう。イラク戦争が間違った戦争なら開戦そのものも間違っていたと、朝日新聞や小林よしのりのように息巻くほうが理が通っているようにも思える。私にはむずかしい問題だ。
 米国政治の辛辣な批判者でもあり、いいだももの訳書からの馴染みでもあり、私も沖縄にいたとき米軍問題で支援のメールをもらったこともあるが……そうチョムスキー御大はイラク戦争についてなんと言っていたか。
 ネットに”ZNet Iraq Noam Chomsky Interviewed"(参照)があり、その翻訳”ノーム・チョムスキーが語る イラク侵略戦争の真実”(参照)もあった。訳文のほうが読みやすいので引用する。日付は二〇〇三年四月一三日。


あれから今までつづく経済制裁のために、[100万人もの]人びとが死に、社会が荒廃しました。同時に、サダムが支配力を強めています。人びとが生き延びるためには、食料や生活必需品を(実に効率よく)配給する彼の体制に依存するしかなかったからでした。こうして、イラクの民衆が蜂起する可能性は、経済制裁によって摘み取られました。

 気になるのは、経済制裁で死んだとされる人数が百万人とされていることだ。原文にはそのような記載はない。

The murderous sanctions regime of the following years devastated the society, strengthened the tyrant, and compelled the population to rely for survival on his (highly efficient) system for distributing basic goods. The sanctions thus undercut the possibility of the kind of popular revolt that had overthrown an impressive series of other monsters who had been strongly supported by the current incumbents in Washington up to the very end of their bloody rule:

 訳者が勝手に補ったのかもしれないが、そういう批判をしたいのではない。私もそれに近い数値の記憶があるが、はっきりとしない。
 この経済制裁とは、同時に石油・食糧交換プログラムでもあった。石油・食糧交換プログラムはフセインの独裁を深め、かつイラク民衆を苦しめるための世界システムとして機能していた。チョムスキーはここでは語らないが、石油・食糧交換プログラムは国連と仏露の不正の温床でもあった。この問題は当ブログで執拗に扱ってきた。
 石油・食糧交換プログラムをどうすればよかったか、それを制裁という問題だけに絞るなら、チョムスキーの回答はこうだ。

経済制裁がなければ多分サダムも[他の怪物たちと]同じ最後を迎えたことでしょう。デニス・ハリデイとハンス・フォン・スポネックがずっと指摘してきた通りです。[イラクで国連による石油食料交換プログラムを指揮していた]このふたりはイラクのことを一番よく知っている西洋人です(けれど、彼らの書いたものを見つけようと思えば、カナダやイギリスなど、どこか外国を探さなければなりません)。

 つまり制裁がなければ民衆蜂起が起きて独裁者は倒されていたというのだ。
 私はここで少しだけ苦笑する。たぶんそうはならかっただろうと思うからだ。現状と似たアノミーを起こしていたのではないだろうか。この点については別の見解もあるだろう。
 チョムスキーの話にはイラク戦争がなぜ引き起こされたかという考察もある。

最初の質問にもどりましょう。侵略の理由の一つは確かに、世界第2位の石油資源を支配することにあります。[軍事研究者の]マイケル・クレアが言うように、[石油で]「世界経済の喉元を押さえる」ことができれば、世界を支配する上で、アメリカの地位はさらに強力になります。彼によると、この長期目標を達成することが、侵略の主要な動機でした。しかしそうすると、時期の説明がつきません。どうして今でなければならないのか。

 私はチョムスキーのこの洞察が正しいと考えている。ただ引用だけ見ると、イラクの石油を米国が支配しているかのようにも聞こえるが、チョムスキーはそこまで阿呆なわけはない。これは石油市場を支配するという意味だ。そしてこのことは、チョムスキーのレトリックを外すなら、端的に石油市場を意味している。石油が市場から通常の商品として調達できるという状態そのものが、チョムスキー的には米国による石油支配である。
 私は皮肉を言っているつもりはない。チョムスキーの考えが間違っていると言うわけでもない。私が考えていることは、その市場なくして日本は存立できないだろうという思いだけだ。そうでなければ、現在の中国がやっているように原油の囲い込みに日本も奔走しなければならない。それが達成されれば、あるいは中国がそれを達成すれば、米国による世界の石油支配は終わる。日本はどうなるか。
 考えのスジがそのままイラク戦争を肯定するものだと先読みしないでいただきたい。そう直線的には考えていない。というのは、日本という国は、その石油市場から富を生みだし結果的に米国という帝国を支える世界システムに組み込まれている。それは米国が日本を支配するシステムもであるし、その支配とは、自由主義なりグローバリズムというものと同質であろう。単に言い方を変えてみるという程度のことだ。
 話をもう一コマだけ進める。チョムスキーの問いでもあり、私も疑問に思っていたのだが、なぜあの時期だったのか? チョムスキーはそれなりの回答の試みをしているが私は納得していない。
 私は、これはチェイニーの心の問題ではないかと思う。日本のジャーナリズムも米国のジャーナリズムを真似てブッシュ大統領をよく叩くが、彼はある意味でチャーリーブラウンのようなものでたいした脳というか能があるわけでもない。本当の米国大統領はチェイニーである。セプテンバー・イレブンのテロなどチェイニーにとってはイラク攻撃の口実でしかなかった。
 ということで、つらつらとこのところ湾岸戦争時代のチェイニーの活動を振り返る。興味深い。たとえば九〇年八月四日読売新聞記事”サウジアラビアに侵攻すれば、イラク本土の空爆も/米大統領言明”より。言うまでもなくこの記事のブッシュ米大統領はパパ・ブッシュのほう。

ブッシュ米大統領は三日、イラクがもしサウジアラビアに侵攻した場合、サウジの支援要請があれば「できることは何でもしたい」と述べ、軍事介入に踏み切る考えを公式に認めた。大統領はこれに先立ちチェイニー国防長官から、万一の際の軍事作戦の説明を受けた。当局筋によれば、その中にはサウジに対する兵器類の提供、海上封鎖、イラク本土への空爆などが含まれていたという。
 また米国務省報道官は同日午後「クウェートに侵攻したイラク軍はサウジ国境八―十六キロにまで迫った」と述べ、深刻な懸念を表明した。イラクは五日を期して撤兵するとしているが、米政府は「我々の要求は即時・無条件の撤収だ。まだ多くの疑問があり、事態を見守らねばならない」(大統領報道官)と依然、警戒的な姿勢を保っている。

 このあと、チェイニーはサウジアラビアの守護神のように東奔西走する。八日”対イラク 米、サウジに派兵 戦闘機や兵4000人 多国籍部隊構成へ”では。

 サウジアラビアが自国の基地に米軍の派遣を受け入れたのは前例がない。クウェートを占領したイラク軍のサウジアラビア侵攻に備える抑止力になると同時に、国連安保理決議による各国の対イラク経済制裁、石油輸送海上封鎖作戦計画と並び、軍事面からもイラク軍クウェート撤退へ圧力をかける包囲態勢の準備が整ったと言える。
 米海軍は七日、空母サラトガを米本土から地中海に出発させており、約十日後には、イラクをとりまく海域に空母三隻(艦載機合計約二百機)を含む三十隻の艦隊が結集、サウジ派遣部隊と合わせ、米軍にとってベトナム戦争以後最大の戦力集結になる。このほか、ソ連、英、仏などの軍艦約十隻もペルシャ湾に到着しているという。
 これに先立ち、ブッシュ大統領は六日、サウジアラビアにチェイニー国防長官を派遣した。長官はファハド国王らとの会談でイラク軍による同国侵攻の脅威が切迫していることを示す情報資料を大量に持ち込んで米軍受け入れの説得につとめた。

 湾岸戦争のときのフセイン大統領の目的はサウジの支配ではなかったかと私は考える。そして、チェイニーもまたそう考えていた。
 チェイニーにとっては、このころからサウジを脅かすイラクフセイン大統領を除去することが、事実上生涯の目標となったのではないか。
 ではチェイニーは虎視眈々とその機会を待っていたのかというと、そういう単純なものでもない。九〇年九月一八日読売新聞記事”バグダッド空爆発言の空軍参謀長を解任/チェイニー米国防長官”より。

米国防総省は十七日、マイケル・ドゥーガン米空軍参謀長(53)を同日付で解任したと発表した。同省によると、同参謀長は、さる十六日付のワシントン・ポスト紙とのインタビューで、湾岸危機がイラクとの戦争に発展した場合、イラクのサダム・フセイン大統領を標的とするバグダッド空爆が必要であり、これが、イラク軍をクウェートから撤退させる唯一効果的な手段であると述べていた。国防総省筋によれば、チェイニー国防長官は、この発言に激怒し、「同参謀長には、このようなコメントをする権限はない」として、異例の解任に踏み切った。同長官は、ブッシュ大統領とも解任問題を協議、大統領も同意したという

 あの時点で空爆などできるわけがない。だが、チェイニーの激怒の理由はそれだけだったのだろうか。
 先日解任されたラムズフェルドはチェイニーの上司であったこともあるし、その後も事実上の師弟関係にあった。ラムズフェルドがやれると言うならチェイニーもしかたないとしてイラク戦争が始まった……ということはないだろうか。
 言及するまでもないが、チェイニーの娘メアリーは同性愛者である。イラク戦争にも反対していた。チェイニー・パパはそうした娘も受け入れていた。私はこの娘の存在はチェイニーという人の存在の矛盾を表しているようにも思う。

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