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2006.11.04

チーズの雑談

 チーズについては以前書いたことがあるような気がして検索すると、「極東ブログ: フェタチーズ」(参照)だった。


 チーズは一時期各種食いまくったことがあるのだが、フェタなんかも歴史的にはモッツァレラチーズみたいなものではないか、というかトルコの濃いヨーグルトというかサワークリームなんかもみんな似たようなものなのではないかとも思う。
 今回ようやくフェタはギリシア限定ということだが、ロックフォールはすでにフランス産に限定のはず。こちらについては、そのほうがいいだろう。いわゆる青カビチーズと上質なロックフォールは、え?というくらい味も香りも違う。ゴルゴンゾーラもそう。スティルトン? それは食べてないのでわからん。

 その後もスティルトンは食ってない。チーズは以前各種取り寄せて食っていたのだが結局よくわからん。というかワインと同じで、なんとなく自分なりに了解した感じがしたので、各種食ってみるというのはやめた。その後はなんとなく好みのを食う。チーズについては基本的に乳製品なんで、ミルクがしっかりしてないとダメなんだなぁというのが食いまくりの後の自分なりのひとつの結論だった。
 ウォッシュタイプはいろいろ食った。丸い木枠みたいのに入っているタイプが多く、暖めてめてとろっとさせてスプーンで掬って食うと旨いというのだが、まあ、旨いには旨いけど、結局ウォッシュタイプは自分には合わないなと思った。なんつうか、あれです、人の体臭の微妙な匂いみたいななにかがあって、どっちかというと人間嫌いっぽい私は苦手。ちなみに私はレバーパテとかも苦手。血の匂いが苦手というか。
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ゴルゴンゾーラ
(楽天・レクリューズ)
 くっさいチーズは全部だめかというとそうでもなく、青カビものは昔から好き。ドレッシングとかも大好き。で、以前に書いたけど、上質なロックフォールやゴルゴンゾーラとかだと、青カビチーズは青カビチーズなんだけど、なんつうか高貴な香りっていうか、へぇと思った。乳質も違う。こういうブランドの品質は維持されたほうがいいのだろう。
 カマンベールもちゃんとしたブランドのは旨かった。現在ではカマンベールの名前は限定されいるから、ちゃんとしたのが選べる。これも最初へぇと思った。もろに乳質のうまさがある。ただ、白カビ系は、北海道なんとかでもけっこう美味しいなと思うしよく食べる。個人的にはバラカという馬蹄形のチーズが好きだ。
 シェーブルはよくわからないのだが、私は山羊臭いものがけっこう好きなので買う。こんとこ秋深まり冷えてきたので夜中に赤ワインにちょっと飲みつつ摘んでいるのが、何だろ、……サンモールというのだ。よくわからないけど、板のないかまぼこみたいな形状で、中の状況がなかなか微妙。つまり、均質じゃなくて、とろっとしたころ、乾いてきたっぽいところっていうか熟成に差があるのが面白い。シェーブルだとあと灰まぶしみたいののも好き。シェーブルとオリーブの塩漬けと焼き鰺オリーブオイルかけでもあれば、私はけっこう幸せ。
 クリームチーズはそこいらのスーパーで売っているキリというのでけっこう満足。朝食用というかパンに載せて食う。適当にロンドレとかブルサンとかローテートする。他に朝食では、エダムとかゴーダとかも。
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エメンタール
(楽天・MeatGuy)
 二十歳になったばかりのころハーフの先輩のところで食わしてもらったゴーダチーズがうまくて結局自分もその生活習慣が伝染した。彼はというかガールフレンドの北欧系の彼女の趣味なのか、すげーでかいカーリングの弾みたいなゴーダをスライスしてくれた。アルプスの少女みたいな映像ではよく見かけるけど、あれはどっかで売っているのだろうか。まあ、買っても食いきれないなと思いつつ、いつか一升餅みたく背負ってみたいなと思っている。トムとジェリー風エメンタールもでかいの買いたいな。
 駄文を書いてて思いだした。もう十五年くらい前か、ソノマとかいう会社だったか農場だったか手紙をやりとりしてチーズを十キロ単位で送ってもらう段取りができた。ところが土壇場で日本に送れないとかいうことになった。検疫かなんかだろうか。まあ、普通個人が十キロ単位でチーズを海外から買うわけもないし、実際買っていたらどうするつもりだったのだろう。友だちに配っていたか。と思い出すに、アメリカもけっこう乳質のいいチーズが多い感じだった。ワインもそうだが米国の農産物というのはけっこう旨い。
 ついでに思い出す。沖縄で暮らしているとき、そんな話を米兵としていたら、そうアメリカのチーズはおいしいというのだ。で、どさっとチーズをもらった。クラフトの。
 常備系のチーズだとグラナパダーノ。パスタをゆでてバターを溶かし、それからこいつをどっさり削って撒いて食う。もんくあっかっていうくらい。味というか風味はパルメジャーノ・レジャーノのほうがいいといえばいいのだけど、私はけっこう乳質がよければいいじゃんなのでグラナパダーノが好きだ。なんかケチをつけるようだけど、スーパーとかで売ってる小さな紙の筒に入っているパルメジャーノの粉末って、あれは本当は何からできているのか?
 小泉元総理の干からびたチーズで有名になったミモレットだがこれも三年熟成とか食ったことがある。フルーティっていうのはわかったけど高額なんで、グラナパダーノの削りかすでもかじっているだけで最近は満足……とはいかなないか。ミモレット買いに行くか。
 なんか変な話になってしまったが、あとマスカルポーネ。ガラスコップにパンをちぎって、それに甘いエスプレッソをかけて匙つついて、その上にどばっとマスカルポーネ。表面にココアの粉。じゃーん、手抜きティラミス、あがり。でも、これかなり旨いですよ。卵黄とか入れたりとかしなくても十分旨いと思うが。

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2006.11.03

高校必修逃れ騒ぎは誰が得するのだろうか

 高校の世界史履修漏れ問題だが、私にはよくわからない問題だし、すでに「極東ブログ: 高校の世界史履修漏れ雑感」(参照)でも書いた以上はないと思っていたのだが、どうも、率直にいうとムカつく。なにがムカつくかというと「救済」という表現だ。なんでこんな問題にいちいち「救済」というのだろうか。知らぬ高校生は被害者なので、被害者救済ということなのだろうか。確かに、学校側が組織的に行なったもので高校生は被害者だというのはわかる。しかし、結局履修時間を五十時間にするということが「救済」なんだろうか。というか、被害というのは、表面的には卒業できない被害の可能性ということなのだろうが、実際には入試前にそんなのやってられるかよ被害ということなのだろう。私の感覚では、こうした議論がどうも感覚的に受け入れられない。が、所詮、私の個人的な感覚というだけで、社会的に合意するなら、そして私の利害に関係しないのだから、どうでもいいことではあるのだろう。
 だが。どうも腑に落ちない。いったいこの問題はなんなのだろう? 現時点で突然そんなに大きな騒ぎになることなのだろうか。気になって過去の関連ニュースを先日調べてみたのだが、例えば九九年にこういう事件があった。 読売新聞”県立高での必修未履修 「再発防止へ強く指導」 県教育長が議会で陳謝=熊本”(1999.6.23)より。


 熊本市内と菊池郡内の県立高校二校で世界史など必修科目を未履修のまま生徒を卒業させていた問題で、佐々木正典・県教育長は二十二日、県議会文教治安常任委員会で「あってはならないことで、心配と迷惑をおかけした」と陳謝した。


 今月上旬、熊本市内の私立高校で三年間にわたって世界史を未履修のままにしていたことが表面化。その後、県立高校でも同様に必修科目を履修させていなかったことが相次いで分かった。

 世界史について組織的な履修漏れが「相次いで分かった」とある。もう一例、これは〇一年。読売新聞”必修科目の未履修問題 13高校でも判明 受験に不必要で外す?=広島”(2001.9.15)より。記事が短く重要なのであえて全文を引用する。

 県立海田高で学習指導要領で必修科目になっている世界史の代わりに日本史を履修させ、生徒の調査書などでは世界史を履修したと偽って記載していた問題で、県教委は十四日、別の県立高十三校でも必修の世界史、倫理などの未履修があり、海田高と同様の処理がされていたと発表した。県教委は、卒業までに履修するよう指導した。
 県教委によると、新たに判明したのは広島皆実、呉宮原、三原、尾道東、尾道北、福山葦陽、廿日市、世羅、府中、庄原格致、高陽、広島井口、安芸南の各校。必修科目を履修していない生徒は、延べ二千九百十四人に上るという。必修になっていても受験に必要でない科目を授業から外したとみられる。

 この時の規模は「延べ二千九百十四人に上る」という。しかもこれは特定の高校だけのことではない。しかし、この時もそれ以上問題にならない。
 これでこの問題は収束したと考えるべきだろうか。むしろ、その後は、事実上公然の黙認だったと見るほうが妥当だと思える。
 今回の事態は富山県立高岡南高校の高校側からの声がきっかけとされている。読売新聞”3年生197人卒業ピンチ 必修「地理・歴史」全員履修漏れ/富山県立高岡南高”(2006.10.24)より。

 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長、生徒数557)で、3年生の全生徒197人が、2年時に世界史など地理歴史教科の必修科目を履修していなかったことが24日、わかった。生徒の要望に応じ、大学受験に特化した授業を行ったためで、年度内に補習授業を行わないと卒業できない事態となっている。同校は同日、県教委に報告し、対応を検討している。

 規模的にはたかだか二百名といったことであり、しかも一校に限定されている。なぜ、それがこんな日本全国馬鹿騒ぎになったのだろうか?
 どうにも解せない。
 二日の読売新聞社説”[必修逃れ救済]“騒動”で見えた高校教育の課題”(参照)でもこう指摘がある。

 今回の騒動は一体何だったのか。その検証作業が必要だ。
 必修逃れは5年ほど前にも広島、兵庫などの高校で発覚した。文科省は各教委の担当者を集めた会議で口頭指導するだけで、全国調査などは行わなかった。
 必修逃れは、多くの高校で「公然の秘密」として次年度に引き継がれ、教委には虚偽の履修届が提出されて来た。
 その教委も「知らなかった」では済まされまい。必修逃れの高校の校長が後に教育長になったところもある。

 つまり、事実上公然の黙認だったわけだろう。
 とすればなぜ富山県立高岡南高校の報道からこの騒ぎが発生したのだろうか。富山県立高岡南高校で何が起きていたのだろうか。いや、履修漏れについてではなくどのようにこれがメディアに伝搬したのかということだ。先の記事によるとこうらしい。

同校によると、昨年度の授業内容を決める際、生徒から「受験に必要な科目以外は勉強したくない」との声が出たため、各教科代表の教諭でつくる会議で相談。篠田校長も了承し生徒に地理歴史教科の履修科目を選択させたところ、197人のうち165人が世界史を選択せず、残る32人は世界史A・Bのみを履修した。

 まず、履修漏れの原因は、生徒である(”救済”対象の生徒だな)。そして教員会議で民主的に決定し、校長が承諾し、布告したところ、生徒も大歓迎。
 なんかこの構図って近代日本のアレと似てねーかとも思うが。
 そして、発覚の経緯だが、わからない。何かがあって、それから同校は「県教委に報告し、対応を検討した」という事態から一応マスコミに漏れていく。しかし、マスコミに漏れてもかつての例では問題にもならない。地方のベタ記事で終わった。
 何があったのだろうか。
 初期の報道に関わると見てよさそうな北日本新聞社の二五日の記事”虚偽の教育課程編成表を提出 高岡南高校”(参照)によると、「今回のようなケースは過去にはなく、現在の二年生からは一部の教員から「おかしい」との声が出て要領通りに戻ったという」とのことだ。
 つまり、一部教員が発火点なのだろう。民主的な決定に違和感を持っていたということだ。
 そして、ここからもわかるし関連の記事を追ってもわかるが、富山県立高岡南高校は今年だけの措置だったようだ。
 履修漏れカリキュラムが出来た由来は、生徒側としては、他校のようにしてほしいと意識表明だったのだろう。学校運営側については、この履修漏れカリキュラムは前校長が作成したもので、現篠田校長の赴任は平成一七年四月なので、意識のズレがあったかもしれない。
 いずれにせよ、いったいなぜそんな薄いところから全国規模で発火したのだろうか。
 産経新聞”地理歴史履修1科目…授業70回分不足 富山の県立高校3年生卒業ピンチ”(2006.10.25)には気になることが書かれている。

 高岡南高校のケースについて文科省では「学校運営に問題がある学校の典型」として県教委を通じて指導している。

 関連事実がよくわからないで、少し大胆な推論をしてみる。違っている可能性も高いが。
 富山県立高岡南高校の履修漏れカリキュラムは、他校並にして欲しいという生徒からの要望で、いわばそれが地方の進学校なら当たり前の空気で教員たちも民主的に合意、御前会議でも、校長は諾とした。たぶん、この民主主義的な合意には威圧感もあったのではないか。ところがそこへ兎がやってきてじゃない新校長がやってきて、なんだコレ?というところに一部の教員もようやくおかしいと声を出せるようになり、教育委員会に持ち上げた。普通なら、ここでつぶすはずだが、それがさらに上に持ち上がり、文科省に届いた。文科省はこれを「学校運営に問題がある学校の典型」、つまり、ティピカルケースというか、日本権力的に言えば、見せしめケースに決定した。で、まず地方からマスコミに着火させ、数年前の事件や教育現場を知らなそうなマスコミに焚きつけ、うまい具合に炎上させた……ということではないか。
 問題は炎上のメカニズムの推測より、このネタが文科省にいつ届いたかという点ではないか。この時期さえわかれば、今回の馬鹿騒ぎのからくりがかなりわかる。つまり、文科省がどのように時期をみて関与したかだ。
 推論でしか言えないが、おそらく着火者は文科省だろう。文科省にはどのような意図があったのか。簡単に推論でつながるのは、自分たちが決めた教育要領を地方の分際で無にしやがってくぉのぉ怒り、そして、軽いところで見せしめ、ということだが。
 が、そんだけだろうか。どうも時期的に安倍政権とその官邸側の教育再生会議との権力構図に関係があるとしか思えない。ここでも問題は文科省がいつこのティピカルケースを認識したかにかかっている。
 難問事件を解くには、刑事コロンボの公理がよく適用できる、こんなふうに。「私はバカだから単純に事件というものを考えるのですよ。犯人の意図はなんだろう、とね。」
 高校必修逃れ騒ぎは、いったい誰が得しただろうかというあたりから、構図を描き出すべきかもしれない。公明党のあたふたの図もどうも利害に関係しそうなのだが、そのあたりの話もあまり見かけないように思う。

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2006.11.01

フリー・ハグ(FREE HUGS)

 フリー・ハグ(FREE HUGS)。直訳すると「無料の抱擁」だろうか。「ただで抱いてあげる」という感じもある。フリーという言葉には自由の意味合いがあるので、「ご自由に私を抱いてくれ」という感じもあるか。街中で、二行で書いたこのプラカードみたいのを掲げて、見知らぬ人が同意したら、そのまま(もちろん着衣のまま)抱き合う、という社会運動だ。言葉でうまく説明できないのだが、ユーチューブの映像を見ると誰でもすぐにわかると思うので、このエントリの末につけておく。
 なぜ見知らぬ人が抱き合わなければならないのか。それ以前に社会運動? いやそれはちょっと違ったかもしれない。ウィキペディアを見ると、Free Hugs Campaign (参照)としている。英語の「キャンペーン」という言葉だとちょっと軍事行動的な意味合いもあるかもしれない。ウィキペディアの解説だと、なぜ?の理由は、Random act of kindness(親切を示す無作為の行動)(参照)というのの一例だそうだ。昔あったダイインみたいな政治性もなく、昔あったストリーキングのような反体制的なものでもない。
 フリー・ハグについてのウィキペディアの解説を読むと、始まったのは二〇〇四年ということだが、特記してあるように、この広がりはユーチューブの影響が大きい。たしかに、街中で抱き合うというのは、そう言葉で言われているのと、映像として見るのとでは印象がかなり違う。というか、この映像は見る人にある種の感動を与えると思うし、そのように意図されているふうでもある。そう悪い作りの映像ではないが意図的な操作を感じないものでもない。
 実際にはこの映像がオーストラリア発であったようで、フリー・ハグもオーストラリア発と受け止められているようだ。映像の主人公は自称ホワン・マーン(Juan Mann)という人らしい。”Free hugs priceless in a culture of violence”(参照)に記事がある。米国では先月一五日の人気番組「シックスティ・ミニッツ」で有名になったようだ。
 これを中国で実践しようとしたグループがあったというニュースを今日見かけた。ロイター”見知らぬ人との抱擁キャペーン、中国では冷ややかな反応”(参照)より。


中国では、街で見知らぬ人と抱擁(ほうよう)するオーストラリア発祥の「フリー・ハグス」運動に対し、冷ややかな受け止め方が一般的なようだ。この運動への参加者が警察の質問を受けるなど、一部では混乱も出ている。現地メディアが30日に報じた。

 中国に対するなんらかの政治的な意図があるのかもしれないが、他にも、韓国(参照)やイスラエル(参照)でもフリー・ハグの活動のようすがユーチューブにあるので、それほどどういうことでもないのかもしれない。たぶん、日本でも一部ではすでに実践しているのではないか。もっともブログを見渡した限りでは、話題はあるが実践はまだのようだが。
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The Art of Hugging
William Cane
 ところで、抱擁というと日本語では重たい言葉だが、英語のハグは子供でもよく使う。ハグ・ミー。日本の子供の「だっこー」に近いのかもしれない。ただ、このあたりの、アイ・ミス・ユー、ハグ・ミーというあたりの感覚は中国人と限らず、日本人にはついてけないものがある。
 東洋人一般がそうかというとそうでもないようだ。以前岡田英弘先生の講義でモンゴルの人々の話を聞いたが、人の出会いでは熱烈に抱き合うらしい。考えてみたら、隣の国のキムさんと隣の国のプーチンさんも、どちらもよろしいオッサーンだが、熱烈に抱き合っていたのを以前テレビで見た。っていうか、社会主義にはありがちな光景でもあったな。
 そういえば現在ではどうか知らないのだが、八〇年代にはエンカウンターグループというのが流行っていたことがあった。この中には統制された状況下で見知らぬ人とハグするというレッスンが含まれていることが多い。関連書籍を読むにこれは日本人にはけっこう衝撃的な体験でもあるようだが、もともとは米国発のもので、米人にとっても強い印象をもたらすようだ。偏見的な言い方だが、フリー・ハグとか見ていてもそれがいわゆる外人同士なら文化的にそんなものでしょというふうに見る日本人も多いだろうが、あながちそうでもなさそうだ。

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2006.10.31

タミフルと大淀病院問題と報道

 ちょっと散漫なエントリを書く。考えがまとまらないからだ。というか、このままこの話題は書かずに済まそうかなとも思っていた。まず、枕の話。タミフル。
 一年近く前になるが、タミフルと報道について「極東ブログ: タミフル副作用報道雑感」(参照)というエントリを書いた。参照リンクは当然切れている。


 該当の毎日新聞記事は十二日付け「インフルエンザ薬:タミフル問題、学会でも論議」(参照)である。ざっとメディアの情報の流れを見ると、この毎日新聞の記事が発端となり、共同で増幅という印象を受ける。そのせいか、毎日新聞では十五日社説「タミフル 副作用の可能性十分伝えよ」(参照)で他紙社説並びネタではなく取り上げている。

 当時の報道の流れを見ていると毎日新聞がなぜと思ったものだった。
 先日厚労省研究班がタミフルについての報告書をまとめた。あえて毎日新聞の記事”タミフル:服用と異常言動に関連性ない 厚労省研究班”(参照)を引用する。昨日付で一点ネットにあった。まず概要はこうだ。

 インフルエンザ治療薬のタミフル(一般名オセルタミビル)の服用と、インフルエンザの子供が起こす理由なくおびえる、笑うなどの「異常言動」との関連について、厚生労働省の研究班(班長・横田俊平横浜市大教授)が「明らかな有意性はなかった」とする報告書をまとめた。研究班は明確な結論を導くため、この冬も詳細に調査するという。

 毎日新聞的なまとめはこうなっている。

 タミフルでは、マンションからの飛び降りなどの「異常行動」が副作用で起きるおそれがあると問題になっていた。これに対し、今回調べたのは「ニヤリと笑う」なども含めた「異常言動」の率だった。研究班は「異常行動」が広く報道されたため、うわ言などまで「異常言動」として報告され高い率が出た可能性があるとみており、今冬も調査を続けることにした。

 単純な疑問がある。厚生労働省研究班は昨年の騒ぎについて、異常行動が広く報道されたことに疑義を投げている。これに報道社は答えなくていいのだろうか。もっと単純な話、昨年のタミフル報道について検証する必要はないのだろうか。
 話を変える。本当はこちらの話がこの間気になっていた。奈良県大淀町の町立大淀病院で重体の妊婦が多数の病院に搬送を断られて死亡したとされる問題だ。
 まず、報道の端緒を簡単に確認しておきたい。報道は共同通信としては十月十七日だったようだ。徳島新聞の記事”処置遅れて出産後に死亡 奈良の妊婦、転送拒否続き ”(参照)より。

 奈良県大淀町立大淀病院で分娩中に意識不明になった奈良県の妊婦(32)が、受け入れ先の病院に次々断られ、大阪府の病院に収容されるまでに約6時間かかっていたことが17日、分かった。妊婦は転送先で緊急手術を受け出産したが、約1週間後に死亡した。
 県福祉部によると、奈良県では緊急、高度な医療が必要な妊婦の約3割が県外に転送されており、態勢の不備が問われそうだ。

 として十七日の時点で「態勢の不備」として報道されている。
 問題自体の発生は八月のことだった。

 大淀病院によると、妊婦は今年8月7日、分娩のため同病院に入院。8日午前零時すぎに頭痛を訴えて意識不明になった。主治医は分娩中にけいれんを起こす発作と判断し、県立医大病院(橿原市)に受け入れを打診したが満床を理由に断られた。

 ちなみに同日の朝日新聞記事”奈良の妊婦が死亡 18病院が転送拒否”も類似で、報道の経緯は書かれていない。八月七日から共同の報道の十七日までの間の報道社はどうしていたのだろうか。
 発表時間の経緯をネットから見ると、内容の詳しさや署名記事という点から”分べん中意識不明:18病院が受け入れ拒否…出産…死亡”(参照)が詳しく、また、同紙二二日”支局長からの手紙:遺族と医師の間で /奈良”(参照)から察するに毎日新聞のスクープから共同へと伝搬したようだ。毎日新聞かと思ってそういえばタミフルのことを私は思い出したのがエントリの冒頭である。

 今年8月、大淀町立大淀病院に入院した五條市の高崎実香さん(32)が容体急変後、搬送先探しに手間取り大阪府内の転送先で男児を出産後、脳内出血のため亡くなりました。
 結果的には本紙のスクープになったのですが、第一報の原稿を本社に放した後、背筋を伸ばされるような思いに駆られました。

 これをそのまま受け取れば毎日新聞奈良支社が報道の発端ということにも思える。
 この先が重要なのでもう少し引用する。

 というのは、今回の一件はほとんど手掛かりがないところから取材を始め、かなり時間を費やして事のあらましをどうにかつかみました。当然ながら関係した病院のガードは固く、医師の口は重い。何度足を運んでもミスや責任を認めるコメントは取れませんでした。なにより肝心の遺族の氏名や所在が分からない。
「これ以上は無理」
「必要最低限の要素で、書こうか」
 本社デスクと一時はそう考えました。
 そこへ基礎取材を続けていた記者から「遺族が判明しました」の連絡。記者が取材の趣旨を説明に向かうと、それまでいくら調べても出てこなかった実香さんの症状、それに対する病院の対応が明らかになりました。それがないと関係者にいくつもの矛盾点を突く再取材へと展開しませんでした。

 この話をそのまま受け取ると、当初最小限の記事となるはずが、遺族が判明したことで遺族側からの取材、遺族側から見た病院の対応というふうに記事がまとめられていったようだ。

 支局の記者たちも、ジグソーパズルのピースを一つずつ集めるような作業のなかで、ぼやっとしていたニュースの輪郭がくっきりと見えた感覚があったに違いありません。手掛かりある限り、あきらめないで当事者に迫って直接取材するという基本がいかに大切で、記事の信頼性を支えるか。取材報告を読みながら、身にしみました。

 毎日新聞としては記者お手柄スクープということなのだろうか、記者の視点を二六日に”記者の目:「次の実香さん」出さぬように=青木絵美(奈良支局)”(参照)として掲載している。

 取材は8月中旬、高崎さん一家の所在も分からない中で始まった。産科担当医は取材拒否。容体の変化などを大淀病院事務局長に尋ねても、「医師から聞いていない。確認できない」。満床を理由に受け入れを断った県立医科大学付属病院(同県橿原市)も個人情報を盾に「一切答えられない」の一点張りだった。

 記者の意識は次のようであったようだ。

 報道以降、多数のファクスやメールが届いている。「医師の能力不足が事態を招いた印象を与え、一方的だ。医療現場の荒廃を助長する」という医師の声も少なくない。だが、記事化が必要だと思った一番の理由は、医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったからだ。居住地域によって、助かる命と失われる命があってはならない。

 こういうまとめでいいのかわからないが、記者は今回の問題を、助かるはずの命が病院搬送システムの機能不全によって失われたとして捕らえられているのだろう。
 ここでようやく原点の問題が浮かびあががるのだが、ようするに、そういう問題だったのだろうか?
 十七日以降の報道の経緯のなかで、問題の構図についての疑問は、私の見る限りかろうじて二三日付け朝日新聞記事”奈良の妊婦死亡、産科医らに波紋 処置に賛否両論”に見られた。

 奈良県内では3月にも、大和高田市立病院で出産直後の妊婦が大量出血で死亡し、産科医が同容疑で書類送検された。今回、妊婦の受け入れを打診されたが、満床を理由に断った病院の産科医は「担当医なりに一生懸命やった結果、立件されるようでは、ますます産科医をめざす若者がいなくなる」と漏らす。


 死亡した妊婦は当初、頭痛を訴え、間もなく意識を失った。その1時間半後にけいれんを起こしたため、主治医だった常勤医は、妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)によって起こる「子癇(しかん)」の発作と判断。脳の異常を疑わなかったとされる。「出産中に脳内出血を起こす例は1万人に1人程度。自分も子癇とみて治療を進めた可能性がある」と、奈良県内の50代の開業医は同情する。

 今回の問題については、ブログ「天漢日乗」が”「マスコミたらい回し」とは? 医療現場で起きていること”(参照)以降一連のエントリで、ネット上の情報、特に、医師の側の本音ともいうべき匿名発言を多く掲載して興味深い。
 だが、私のように非専門の立場や情報が限定されている立場からこの対処の是非については問えない。ただ、問題の構図は毎日新聞の当初のスクープの構図でよいのか、検証のプロセスが必要になっているのだろうとは思う。そしてそのことがジャーナリズムに問われていることだろうし、ブログにもし意味があるとすればその経緯の監視のわずかな機能を担うことだろう。

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