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2006.10.28

高校の世界史履修漏れ雑感

 高校の世界史履修漏れの事件だが、以前は私も高校・大学の歴史の先生とか交流もあったのでいろいろ現場の声を聞いていた。しかしもう十年くらい聞かない。あまり変わってないのではないかとも思うが、現場の感覚を失うとピンとこない。
 しかし、今回の事態は基本的には、世界史がどうの大学入試がどうのということより、学校経営の問題であり、どちらかというと岐阜県庁とかの組織ぐるみの裏金作りなんかと同質の問題ではないかと思う。
 この件について最新のニュースはどんなだろうと、朝日新聞のサイトを見て”「補習出ない」「学校ふざけるな」 履修漏れ、受験生ら”(参照)に驚いたというか、なーんだというか。


 学校への同情を口にする生徒もいた。秋田県立秋田南の男子生徒は「テストを受けていない世界史の成績表には日本史と同じ点数が記載されていて変だと思っていた。だけど、学校は僕らの受験のためにやってくれたことで仕方がなかったとも思う」と話した。

 すべてがそうじゃないだろうとも思うが、こういう実情について笑っていいのか泣いていいのか、少なくとも怒るべき部分があるのになんとも気が抜ける。
 実態がよくわからないので的はずれかもしれないが、事態は相当に深刻だろう。というのは、たぶん、今年度だけの問題ではないのに、事実上、今年度の学生だけが、なんというか処罰みたいな対象になるのだから。これを公平性の問題とかで問うていいのかもよくわからない。
 話をちょっと素っ頓狂に世界史という学問のありかたに移すと、「世界史」ってなんだろというのは、私にとっては長年根の深い恨みのような問題だった(数学もそうだったし英語もそうだったが)。
 高校生のときから「世界史」というのに違和感があった。かなり単純にいうと、高校の世界史というのはアカデミズムの史学のイミテーションみたいなもので、背景理論は大筋でマルクス・エンゲルス主義であり、その対象は、経済制度・法制度など諸制度の変遷になっていた。そんなものに若い人が関心を持てるはずもなく、しかも、これらの対象は、世界史といいつつ実際は西欧史でもあった。
 私は高校時代にその社会主義臭さにむかついて図書館でトインビー全集かなんか読んでいた。トインビー(Arnold Joseph Toynbee)は史学者の受けは悪いが、高校生にはというか当時の高校生にはそれなり68へぇくらいな高校生向きの学者ではあったように思うし、なかなかよい爺さんだったのではないか。コリン・ウイルソン「オカルト」(参照)だったがトインビー翁には一種の超能力もあったのかもしれない。そういえばトインビーの対話というとドンビキばかりの印象があるが、若泉敬との対談「未来を生きる―トインビーとの対話(1971年)」(参照)もあった。若泉敬(参照)か。
 歴史について自分のなかでようやく何かがわかってきたのは岡田英弘に学んでからだった。「極東ブログ: [書評]世界史のなかの満洲帝国(宮脇淳子)」(参照)の宮脇ではないが、私の疑問は氷解したという感じがしたものだ。
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世界史の誕生
岡田英弘
 一九九二年に出版された「世界史の誕生」(参照)では、まえがきから「世界史」が強く意識されていた。

 十九年前、私は「世界史は成立するか」という一文を書いたことがある(『歴史と地理』二一一、一九七三年四月)。「世界史という言葉が我々の心に呼び起こす映像には、ほぼ二つの相矛盾する概念が重ね焼きになって、全体の輪郭がぼけて何となくつかみにくい感じがする」と書き出して、その二つの概念の第一が、明治以来の「万国史」の概念であること、第二が中国の伝統的な「正史」の概念であることを指摘した。

 岡田はこの矛盾は決定的なものだと話を進める。

世界史Bの高校用教科書は、その無理がありありとうかわれるものばかりである。本来、東西それぞれ縦の脈絡がついていたものを輪切りにして、一つ置きに積み重ねたのでは、教える方も学ぶ方も、まるっきり話の筋が通らない。聞くところによると、高校の先生方には、西洋史なら西洋史の部分を拾って教え、あとで東洋史の部分を拾ってつなぎ合わせて教えている人も多いという。これでは「世界史」以前と変わりない。
 それに不都合なことに、東洋史と西洋史が合体した「世界史」には、「国史」に由来する日本史が含まれないのである。その結果は、日本抜きの世界を日本を日本の学校で日本人が学習する、ということになってしまう。まるで日本は世界の一部ではないかのごとくであり、日本の歴史は世界史に何の関係もなく、何の影響も与えないものであるかのごとくではないか。これでは、「世界史」で扱うべき事項の選択に、我々日本人との関連が観点が入ってこず、事項を増やせば増やすほど筋道の混乱がひどくなり、やたらと雑駁になるばかりなのは当然である。

 ではどうすればよいのか。

 この「世界史は成立するのか」の一文の結びは、「少なくとも現在の日本では、本当の意味での世界史は成立しない。それでも世界史を教えなければならない。この矛盾を解く道はただ一つ、大学入試の科目から世界史を廃止することである」となっていた。

 岡田がそう語ったのは七〇年代の初めであった。その後も岡田がそう考えていたわけではないのは、世界史というものがどう記述されうるか、この本で示したからだ。

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2006.10.25

原油下落と中国の謎

 原油下落についてだが、これまでの高騰はやっぱただの投機じゃんて書こうと思いつつ逸していたことを思い出す。で、書くべきことはやっぱ投機じゃんというだけで終わりそうなのでエントリのネタにもならない。こんなときは愉快な陰謀論でふくらましておくのがブログっていうもんだ。
 この夏まではWTI(West Texas Intermediate)がぐんぐん上がって、原油一バレル百ドル時代の到来かとか言われもした。なわけないでしょ。だぶだぶ原油抱えてカトリーナ・リターンズを狙ってたのでしょ。で、来ない?なに?藪さんから電話があった?ほいじゃ、ってな具合でがたがたと下落が始まったというだけでもなく、ただ単に季節が変わったのでホットマネーが株式市場に移っただけでしょ、と思っていた。
 先日NHKの解説番組を見ていたら、原油価格下落について、景気が好調なのでお金が株に移ったという説明をメインに、投機がシフトしただけという説もあると付け足していた。ほぉ、すげーマネーが動いていても真相っていうのはわからないものか。
 原油下落でもう一つ思ってたことがある。原油高騰期間、中国のエネルギー事情がしばしば語られた。曰く、エネルギー価格の上昇にもかかわらず大幅に需要が増加している中国……ってな具合である。あながち嘘でもないが急騰の理由にはならんでしょに加え、「極東ブログ: 中国の石油消費はそれほど伸びない?」(参照)でふれた奇妙な動向が気になっていた。


 なぜ中国の石油消費が伸びなくなったのか。理由とされる説明は単純で、高いから、だそうだ。で、中国様はこの事態をどう考えているかというと、これでいいのだ、らしい。年率七%経済成長をさせてかつ四%ずつ石油消費量を減らすというのだ。うぁ、さすが中国様でなくちゃ吹けないお話、ぷうぷう。

 年率七%経済成長ぷうぷうのくだりは笑ってさておき、中国様が原油を買わないのは高いからというのはありだろうな、それと非効率な石油消費はなんとかなる部分だろう。っていうか、原油高騰のチキンレースの勝ち目はそのあたりにあったのではないか、という感じがしていた。ほいで、結局中国様のがまん勝ちなのか。
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”俺様国家”
中国の大経済
 中国のエネルギー効率の悪さに加え、気になることがあった。山本一郎「”俺様国家”中国の大経済」(参照)のこのくだりだ。

 産業分野での電力需要の伸びや、家計部門での電力消費は上がっているはずだが、中国は実は精油施設が不充分なのである。じゃかすか原油を輸入しておきながら、精油能力が足りなくて輸入したはずの原油がどこかに消える怪奇現象が発生している。一億バレル単位で輸入原油と精油能力と発電能力が釣り合わないので、中国大陸のどこかに原油を飲み干している、知られざる中国人集落が存在しているのかもしれない。中国の電力関係は銀行融資と並んで中国経済最大の底なし沼である。

 原油を飲み干す民族といえば猪八戒のモデルとなった朱八戒の居留地烏斯蔵にその伝説があるとかないとかあるわけないじゃんというかなのだが、要するにエネルギー需要とは別の話もありそうだ。そんなのが適当にバランスというか清算したあたりがレースの勝ちを導いたのか。いや陰謀論にするにはもっと壮大にふかさないと。
 「銀行融資と並んで」といえば、十八日のフィナンシャルタイムズに愉快な奇譚”China's reserve riddle”(参照)が掲載されていたが、このあたりがネタになるかも。

Yet in spite of the renminbi's undervaluation, private capital seems to be leaving China. That is a conundrum. But even if the phenomenon is real it will not erase the pressure for, or the logic of, a higher real exchange rate.

人民元が過小評価されているのに、民間資本が中国から出ているようだ。これは謎である。この現象がもし現実にあるのだとしても、切り上げ圧力や機構の現実が打ち消せるわけもない。


 なんだか不自然なカネが中国からどばどば出ているようだが。

That might mean that "hot money" is departing China.

 中国がホットマネーを操っているのかもな、と。
 中国様、いったいなにかたくらんでいるのだろうか。というか、原油値下げのホットマネーがもし中国様の仕業だったら、す・ご・い、な。
 では、今日の愉快な陰謀論を終わります。また明日。

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2006.10.24

おフランスのパリ症候群ですか

 パリ症候群なんてネタは内田樹先生の合気道的ブログエントリ「内田樹の研究室: パリ症候群」(参照)が出てしまった昨年二月二日時点でブログ的にはもうペンペン草も生えないネタかなと思っていたが、ABCを見てたらこの話題が出てきて驚いた。ロイターのネタだった。十月四日の朝日新聞社説的にいうと「荒川選手のイナバウアーではないが、思わずのけぞりたくなるようなこと」って感じだろうか。まあ、つまり、国際ニュースっていうことだ。
 それにしてもパリ症候群かぁと思って、まさかと思ってウィキペディアを引いたら、ちゃんと載っていてこれも若干朝日新聞的イナバウアーだった(参照)。簡単な概説にはいいので引用する。


パリ症候群(ぱりしょうこうぐん)とは、「パリは流行の発信地」であるという日本におけるイメージに憧れてパリで暮らし始めた者が、現地の習慣や文化などにうまく適応できずに精神的なバランスを崩し、鬱病に近い精神状態になることを指す新語・流行語である。精神科医の太田博昭が創った言葉とされ、彼は同名の著書も出版している。

 太田博昭の「パリ症候群」(参照)は一九九一年の刊行なんで随分と古い。あのころ私もパリではないが海外旅行にうろうろした時期でもあり、あの頃と今のパリ症候群はだいぶ違うようにも思うのだがどうなのだろうか。ロイターの記事でもパリ症候群がフランスで最初に紹介されたのは二〇〇四年だとある。
 ウィキペディアの同項目をざっと見ていくと、女性への言及が多いが事実を元にしているのだろう。例えば、「発症者は、20~30代の日本女性に多いといわれている」「日本の若年女性の社会が、他の社会に比べて他罰主義的な社会であるために、発症者が20~30代女性に集中しているとの指摘もある」といった感じ。極めつけはこれか。

外的な要因としては、表層的な情報を過剰に収集することによって生じる、西洋への過剰な憧憬と自国への極端な卑下、日本で自分が認められないのは日本社会の男尊女卑のためであると思い込み、パリで自己実現ができない原因を、「日本人男性によって自分が妨害されている」と責任を転嫁せざるを得ず、その結果、上記のような精神疾患に近い症状を発症するとも言われる。

 なんか変な話だなと思いつつ、読み直してみるに、これはあれかな、と過去エントリ「極東ブログ: あの時代、サリン事件の頃」(参照)を思い出した。この話に突っ込むのはやめてロイターに戻ろう。

Around a dozen Japanese tourists a year need psychological treatment after visiting Paris as the reality of unfriendly locals and scruffy streets clashes with their expectations, a newspaper reported Sunday.

"A third of patients get better immediately, a third suffer relapses and the rest have psychoses," Yousef Mahmoudia, a psychologist at the Hotel-Dieu hospital, next to Notre Dame cathedral, told the newspaper Journal du Dimanche.

(フランスの日曜新聞「ル・ジュルナル・デュ・ディマンシュ」によれば、パリを訪れた日本人のうち年間十数名が精神科の治療が必要になっている。日本人の期待に反して現地は不親切で市街も汚い。ホテル・デュ病院の精神科医師ユセフ・マフムデァによると、患者の三分の一は早期に回復するが、残り三分の一は後遺症が残り、さらに残りは精神病になる。)


 かなり深刻なケースが年間四、五人ということだろう。基本的には無視してもいいような少数でもあるし、記事もそれほど深刻に受け止めていない。ちょっとネタに釣られたか。

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2006.10.23

前頭側頭葉変性症と才能

 前頭側頭葉変性症と才能についてちょっと変わったニュースを見かけて、ちょっと考え込んだ。よくわからないのだが、気になる部分もあるので簡単にブログにでも書いておこう。
 話はたまたま米国立衛生研究所のサイトにあるロイターで見かけたもので”Why brain damage may spark artistic ability ”(参照)。標題を訳すと「なぜ脳障害が芸術的な才能を誘発するのか?」。確かに、ある種の脳のトラブルは芸術的な才能を開花させることがあるようにも思えるし、「なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異」(参照)ではないが脳にはなにか奇妙な謎がある。
 今回のニュースだが、脳障害といっても、前頭側頭葉変性症(FTLD: frontotemporal lobar degeneration)に限定されている。


The condition known as frontotemporal lobar degeneration (FTLD) occurs when sections of the frontal and temporal lobes of the brain deteriorate, leading to dementia. There have been reports of previously inartistic people becoming talented visual artists after developing FTLD. But it is not clear whether the brain atrophy is releasing dormant talent, or the disease itself has somehow triggered the artistic expression.

この状態は前頭側頭葉変性症として知られているもので、前頭葉・側頭葉に障害は起こり、認知症となる。発症後に視覚面で芸術的な才能を開花させることがあるという報告もあった。しかし、脳萎縮が才能を解放しているのか、病気自体がなんらかの芸術的な才能の引き金になっているのかについては不明である。


 今回のニュースでもそのあたりは不明という感じだったので、なーんだということでもあるのだが、研究ではその産物を芸術として多面的に評価し、感情表現などにおいてはそれほど優れてないともしていた。つまり、芸術的な才能と手放しで言えることではないようだ。小林秀雄が山下清の絵について優れているが人間が表現されていないと表していたことを思い出した。
 またニュースでは、絵画的な能力が前頭側頭葉変性症によって障害を受けていないということだが、肯定的にその部分の能力を引き出す可能性については言及していないようだった。
 歳を取ると能力が劣化するのは、私も来年は五十歳ということで、そりゃそーですよねということにしている。べたな記憶力は悪くなっているようにも思う。が、正直能力が劣ってきているのかと問いかけると、別に勝ち気に言うわけでもないが、よくわからない。むしろ、直感的な側面では以前よりアップしているのかもと思い、ちょっとそう思うときに検証してみるのだが、そういう面もありそうだ。経験則からなにかメタな部分を引き出しているのだろう。そのあたりはそういうものかということで、吉本隆明「家族のゆくえ」(参照)に内省されている老人の能力ということも頷ける。ただ、自分だけが特例というわけでもないだろうが、経験性でもない感覚面でも若いときよりもきつくになっている面もあるので奇妙な感じがする。
 話を前頭側頭葉変性症にシフトすると、ピック病も含めてだが、こうした病気ほど深刻な状況ではなくても類似の緩和な状態というのがあるのではないかとときおり思う。ネットを見ると「さまざまな認知症:前頭側頭葉変性症」(参照)にはこうあるが。

前頭側頭葉変性症(frontotemporal lobar degeneration)は一次性認知症の約1割を占め、アルツハイマー病に比べ発症が若い傾向があります。もの忘れはみられますがあまり目立たず、人格変化が中心になります。自己中心的、短絡的な行動や、意欲低下、だらしない行動がみられるため、精神科疾患のようにみえることもしばしばあります。食事の好みの変化(甘いものや大量飲酒など)、繰り返し行動、言語障害(漢字が書けない、読めない)などもみられるようになります。

 歳を取るとそういう変化をある程度緩和に示すケースは多いのではないかと思う。「ピック病」(参照)についてはこんなページもある(この病気自体がよくわからないので情報についての正確さもよくわからない)。

ピック病は、アルツハイマー病に比して少なく(アルツハイマー病の1/3~1/10といわれている)、40代~50代にピークがあり、平均発症年齢は49歳である(アルツハイマー病の平均発症年齢は52歳)。

 ちなみに私はその四十九歳。

たとえば、人を無視した態度、診察に対して非協力、不真面目な態度、ひねくれた態度、人を馬鹿にした態度などで、病識はない。その他、会話中に同じ内容の言葉を繰り返す滞続言語(滞続言語とは、特有な反復言語で、質問の内容とは無関係に、何を聞いても同じ話を繰り返すもので、他動的に誘発され、持続的で制止不能である)も特有である。

 なんか藻前ずばりこれじゃんとか言われそうだが。まあ、病識はない、と。
 こじつけたいわけではないが、今日の産経のニュースで”家庭のストレス?退行現象? 万引に走る50~60代男性”(参照)を連想した。

 ボールペン、塗料…。1000円にも満たない物を万引し、人生を棒に振る年配男性たちが目立つ。NHK放送局長。警視庁課長。地位も収入もあるのに、ホームセンターで安い日用品を万引した。50~60代の万引検挙者数はこの10年間で倍増しているという警察庁の統計もあり、関係者は「家庭のストレス」「欲求を吐き出したいとする退行現象では」と分析する。

 医学的には前頭側頭葉変性症ということでは全然ないというのはわかるのだが、なにか類似の傾向というのはあるような気がするし、単に老化の心理的な傾向というだけかもしれないのだが、脳の機能面ではなく構造面での変化がありそうにも思える。

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