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2006.01.28

ヨガブーム雑感

 ヨガが流行っているらしい昨今を見ているとちょっと時代に乗り遅れたような不思議な感じがする。いや不思議でもないか。十年前日本ではヨガといえばまだオウム真理教みたいに思われることもあった時代だった。が、アメリカではすでにヨガブームだった。東京在の米人たちも米国から講師を招いてワークショップを開いていた。私も著名な講師ロドニー・イーのワークショップに参加した。彼とも少し話をしたこともある。
 あのころ三年くらい私もヨガをしていた。けっこう熱心にやっていて、初級のインストラークター向けのワークショップも終えた。昨今ちまたにあふれるヨガの写真とか見ると、あ、ここが違う、とか思う。千葉麗子のヨガとかきくと、このお師匠さんはSri Swami Satchidananda(参照)でしょとか思う。で、どうよではあるのだが。
 あのころヨガを熱心に学んでいたといっても正式なヨガのインストラクターとなるわけでもなく、他のボディワークにも関心を持ちつつ、なにかと曖昧な感じでいた。
 ヨガといえば、私も最初はいわゆるインド系のヨガに関心をもっていた。カルカッタまで行き欧米で有名なパラマハンサ・ヨガナンダの関連も見て回ったりもした。いろいろ思い出すことはあるが、私はヨガに神秘的なものを求めることもなく、インドのヨガというのも実際の歴史は浅いものだろうと考えるようになっていた。
 ミルチャ・エリアーデの著作などを読むと彼も若い日にヨガの実践者でもあり、百年くらい前のことがなんとなくわかる。そういえば、日本の中村天風などの逸話でもそうだ。ヨガを指導できるヨギたちは十九世紀くらいまでいたのだろう。エリアーデのヨガ修行以前になるだろうがトマス・バーナードの修行記には、ある階梯以上の秘技はすでにインドには残されていないというくだりもある。
 私はインドのヨガにそれほど関心をもたなくなり、今はやりの米国風のヨガにシフトした。ただのワークアウトでもある。プロップ(小道具)なども使った。当時日本にはなくて船便で送ってもらった。なぜこんなプロップがあるのか疑問に思っていたが、未だによくわからない。アイアンガー自身の考案によるようではある。
 アイアンガーは誰にヨガを習ったかも私ははっきりと知らない。Sri K Patthabi Joisを介しさらにその師匠はT.Krishnamacharya(参照)でもあるようだ。そうなのかもしれない。このあたりの系譜から、アイアンガー・ヨガにも似たアシュタンガ・ヨガなどもある。現在のパワーヨガみたいなのはこの系統なのだろう。もっとも、米国では師弟の系譜はそれほど重視されず、ロドニーのヨガも必ずしもアイアンガーの系統でもないようだ。ま、そういうのもあまり関心なくなった。
 いつだったかアイアンガーの高弟らしいおばあちゃんのワークショップに参加したことがある。リラクセーション関連だった。プロップなども使った。リハビリテーションかなという印象も持つほど、のったりとしたヨガだったが、私のやっているヨガをちょこちょこと直してくれた。このとき、私はそれまでのヨガというのを抜本的に勘違いしているのではないかと思った。今でもそんな感じがしている。ヨガはたぶん、TMS(参照)などと関連した、無意識と身体の技法なのではないか。そのあたりは、同時に学んでいたフェルデンクライスからも感じるものがあった。
 そういえば昨今呼吸法みたいのも流行っているようだ。胸式ではなく腹式がいいとか、ヨガの呼吸法は腹式だとかいろんなことをいろんな人が言っている。グルジェフが「注目すべき人々との出会い」(参照)で理解していしない呼吸法訓練は長期には危険をもたらすのではないかと示唆していた。そういえば、クリシュナムルティも学校の先生としては教科でヨガを教えていたようだが、彼の指導は、対談などから想像するに、呼吸を理解させることから始まっていた。
 我々が身体に対してどういうインサイトを持つか、そのインサイトのありかたそれ自体を身体の運動に分離させないようなありかたとはなんなのか。そんなことは今でもぼんやり思うことがある。

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2006.01.27

シンガポールにおける政府系出会い系

 英語の"Social Development Unit"をなんと訳すか。英辞郎をひいたらなんも出てこなかった。Unitを消して"Social Development"なら出てくる。「社会開発」とか「社会的発展」とか。"Social Development Research Center"だと(財)社会開発研究センターだそうだ。ふーん。これも何かのご縁というものだ。ちとサイトを覗く。事業分野とやらを見る(参照)。


財団法人社会開発研究センターでは、以下の事業分野において、研究調査業務を行っております。
 ・計画制度・計画システムの研究・提案
 ・国土計画・広域圏計画・市町村計画の調査・立案
 ・地区整備・施設整備の計画・管理
 ・調査研究・計画づくりのコーディネート・情報交換等
 ・地域振興・産業振興
 ・福祉介護計画
 ・行 政 経 営
 ・教育・人材育成

 わかんない……五十秒沈黙……はっ、復活。
 話を戻して、"Social Development Unit"だが、内容面でずばり言うと、子作り促進センター、というか、違うか。シンガポールのお役所だ。
 ネットを見ると東証のサイトに記事がある。"お見合いだって国家事業、図書館だって出会いの場 "(参照)より。

「社会開発局(Social Development Unit)」という名称から、みなさんはどのような仕事を想像されますか?実はこのSDU、シンガポールの「国営お見合いセンター」なのです。

 正解は「国営お見合いセンター」。

ともあれ、多くのカップルをまとめるために、SDUでは知恵を絞っており、昨年は2時間で17人の相手と出会えるという「Speed Dates」を導入し、今年に入っても未婚のカップル向けの「デート指南書」を発行したりと新機軸を打ち出しています。

 こ、これだ!っていう感じもするが、なんか記憶にひっかかる。日本にもすでにあったんじゃないか。いや、アレは国営じゃなかったか。
 っていうアレは、戦後の集団見合い。いや、集團見合というべきか。三百人近くが多摩川に集まったというスゴイ映像を見たことある。なんかの宗教かみたいな。昭和二十三年頃にはなんどか開催されたようだ。それで生まれたのが、っていうか団塊世代?
 話をシンガポールの「国営お見合いセンター」に戻す。
 対象は大卒。二年間無料、さらに二年延長も千五百円くらい。でも、当然というか、それほど人気がない。十年ぐらい前からある組織だけど効果は微妙。会員は一万人ほどで成婚はその十分の一、年間千人くらいだったか。
 最近の「国営お見合いセンター」はどうかなと、少子化だよな年末とかだとさ、みたいになんとなく年末に気になっていたのだが、今朝ラジオで最近の話を聞いた。
 驚いた。盛況と言っていいらしい。二〇〇三年二万五千人の会員が〇四年に三万二千五〇〇人と増加。成婚は四千人。なんかイノベーションでもあったのか。
 よくわかんないのだが、各種イベントとかネットの活用がよいらしい。政府系出会い系っていうことだ。
 って書いててちょっと変な気持ちにはなるよな。

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2006.01.26

大学全入時代というのだそうだ

 昨日だったか朝のラジオを聞いていたら、白石真澄東洋大学助教授が「少子化時代の大学の生き残り策」という話をしていた。現在の日本の大学について私はあまり関心はないが、なにげに聞いていたら面白かった。
 えっと驚いた思ったのは、青学の厚木キャンパスってもう無くなっているのかということ。知らなかった。なんどか行ったことがあるので懐かしい。ネットを見たら「今は無き、青山学院大学 厚木キャンパスを懐かしんで・・・ 」というリードのある「青山学院大学  厚木キャンパス」というブログを見つけた(参照)。チャペルも無くなったのか。トンネルの写真とかちょっと胸きゅんものだな。
 ラジオの話は、少子化が進んだ結果、来年から大学全入時代というのになるのだそうだ。そりゃそうか。すでに大学側でも優秀な学生を高校から青田買いみたいにしている実態は知っていたので、それほどには違和感はない。
 私立共済事業団とかいう団体の調査では、私立の三割で定員割れだそうだ。と、話をさらに聞いていると、短大の四割で定員割れともあった。ということは、大学の定員割れというより、短大がなくなりましたということか。そういえば、沖縄にいた頃、沖縄キリスト教短期大学原喜美学長による、沖縄キリスト教学院大学創立への向けての話を聞く機会があり、大学の経営というのは大変なものだなと思ったものだ。前向きな経営の短大はすでに四年制化しているのだろう。
 定員割れは地域差もあるとのこと。それは常識でもわかる。定員割れが進む地域としては、中国、四国、北海道、九州あたりらしい。沖縄は九州ということになるのだろうか。もう少し地域の状況を知りたいとも思ったので、なにかのおりに調べてみたい。
 私大の場合定員割れ半数になると補助金がなくなり、つまり、自動的にといっていいだろう、つぶれる。大学全入時代はイコール大学統廃合時代でもあるし、人気のある大学と不人気な大学との二極化でもあるのだろう、と言ったものの、「二極化」というタームにだまされているかな。
 大学はどうするかというと、当然経営努力とかマーケティングとかするわけで、先の青学の厚木キャンパス閉鎖もそうした一環だろう。あれは、ちょっとすごい所だったし。
 キャンパスの作りは学生の人気の重要ポイントでもあるらしく、明治大学はリバティタワーによって志願者を一万人増やしたそうだ。へぇ。
 いずれにせよ、大学こそ都心回帰が激しくなる。親御さんも子供を自宅から通学させやすいし、夜間など社会人教育というビジネスも開ける。……逆に言うと、キャンパスを八〇年代以降山奥に移転していたのはなぜだったのだろうか、少子化が予想されてなかったのかとも疑問に思える。
 当然ながら、大学も政府みたいに歳出削減に尽力するらしい。で、人件費だよね。いや、そうなると、非常勤講師とかになかなか美しい話がいろいろありそうなのは予想が付くが、ラジオの話では、もっとマーヴェラスなのは助手のようだ。期限付き採用というのがあるらしい。学者さんも厳しい世界になるか、いや以前もそうだったか。
 大学というものの社会的な意味が変わるということなんだろうが、その変化後のイメージが今ひとつよくわからない。大学というのは、教育・研究・地域社会貢献とかが重要と言われているが、自分の経験でも思うのは、大学は青春というもののプロバイダーでもあるだろう。そのあたりの若さの活動の充実度が、単純に都市性に還元されるのは、ちょっと違うかなという感じもする。

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2006.01.25

[書評]山本七平の日本の歴史(山本七平)

 「山本七平の日本の歴史」()は昭和四十八年雑誌「諸君」一月から二十二回にわたって連載された「ベンダサン氏の日本歴史」が昨年書籍化されたものである。

cover
山本七平の日本の歴史〈上〉
 オリジナルを見るとわかるように当時の著者はイザヤ・ベンダサンであった。それが「山本七平の」と変わるには著作権の移動の問題などがあったのだろう。二人は別のコピーライト保持者でもあったからだ。しかし、この問題についてはこのエントリでは立ち入らない。当時のオリジナルを読んだ私としては著者をベンダサンとしておきたい。
 本書が書籍として刊行されたのは没後の評価に衰えのない山本七平の著作の関連ということもあるだろうが、二〇〇三年の高沢秀次「戦後日本の論点 山本七平の見た日本(ちくま新書)」(参照)も大きな要因ではなかっただろうか。「ベンダサン氏の日本歴史」の意味を従来になく深く掘り下げている。
 このエントリでは本書の全体については扱わない。下巻十四章「タブーに触れた北条高時」について、ほんの少しだけど書いてみたいと思っただけだ。
 太平記などを読んだ者は、と言いたいが、現代においてはオリジナルを読み下した者はそう多くはなかろう。一般には吉川英治「私本太平記」(参照)などで読まれている。平成三年のNHK大河ドラマ「太平記」も吉川英治を原作としていた。北条高時は片岡鶴太郎が好演していた。
 太平記の物語では北条高時は痴れ者というか悪人として描かれている。なぜかとあらためて問われると、そういうもんじゃないですかと太平記的な物語の文脈で答えたくなるものだが、歴史学的には答えがたい。

さて、その非難・嘲罵の裏付けとなる政治的行為を立証すべき史料となると皆無に等しいからである。このことは逆にこの非難すべき”逆賊”に、特に大きな失政がなかったことを立証しているのであろう。


彼は生涯、自分の方から天皇に対して何事かを積極的に行なったことはない。常に受け身であり、常に、執拗きわまりない攻撃にさらされていただけである。従って彼に関する史料が皆無であっても不思議ではなく、もし時代が平等に推移すれば、彼は、その前任者の基時と同じように、歴史から忘れられた平凡な執権の一人となったであろう。

 ではなぜ、北条高時は失脚し、そして歴史の物語に汚名として残ったのか。
 ベンダサンは彼がタブーに触れたからだろうと考えている。
 では、北条高時が触れたタブーとはなんであったか。現代からすればなぜと思えるが、それは田楽と闘犬であったようだ。武家は天皇を奉るという国体の建前からすれば仮の権力者であるのだから、質素におごそかに統治者の振る舞いをすべきはずの立場である。だが彼は遊興に耽っていた。そのために民に苦を強いたりもした。それがタブーであった。建前の規則を破ってしまっていた。
 ベンダサンは社会現象を見るとき、どの社会にもタブーというものがあるという視点を強調する。

 言うまでもなく、北条高時政権の崩壊と、アメリカでのニクソン政権の崩壊には、共通する面もあれば、共通しない面もある。共通する面をあげれば、高時の失脚が「武家政権」の崩壊にはならなかったように、ニクソンの失脚は大統領制の崩壊にはならないこと、もう一つは、両者とも、政策の失敗よりむしろタブーに触れて失脚した、ということであろう。従って厳密にいえば政治的失脚ではない。


 タブー これは政治における最もやっかいな要素であり、通常、歴史家も同時代の批評家もこの点には触れない。ニクソンの辞任について、日本でもさまざまな批評が出ていると思うが、その中にもおそらく、「ニクソンはアメリカのタブーに触れたから失脚した」という批評はないであろう。

 タブーはどのように形成されるのだろうか。ベンダサンは歴史が結果的に作り上げるものだとしている。それはそうかもしれない。
cover
戦後日本の論点
山本七平の見た日本
 どの社会でもその世間はタブーというものを明瞭に言語化しないが、およそその世間を生きる構成員は知っている。そしてその違反者を結果的に罰せずにはおかない。恐るべき事に、タブーは法よりも強い。近代国家なら法がタブー違反者を守るべき役目にあるはずなのに。

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2006.01.24

ホリエモン、逮捕

 昨日九時過ぎにDVRのようすをチェックしたら、楽しみにしていた八時からのNHK「地球、ふしぎ大自然」が録画されていない。変だなと思ったら、ホリエモン逮捕の特番のようになっている。ホリエモン逮捕なんてどうでもいいから「追跡!カブトムシ大繁栄の秘密」が見たかった。その番組は来週になるらしい。
 で、ホリエモン、逮捕。
 確かにこの一週間の流れに乗ればさすがにそうなるのだろうなとは思った。ただ、一週間前「極東ブログ: ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを」(参照)を書いたときは、こんな微罪でどうすんだろと思っていた。この手の犯罪は執行猶予が付き刑務所入りはありえないので「この件で、ホリエモン、豚箱へということはない」と書いた。今朝になって一週間前のエントリに愉快な匿名コメントが付いていたの見た。


>この件で、ホリエモン、豚箱へということはない。

おもいっきりハズシましたね~w
次回のエントリを楽しみにしています。

名前: SS | 2006年1月24日 午前 12時24分


 ご愛読ありがとう。豚箱=拘置所ならハズシだろうし、イノシシ逮捕とか息巻いていた検察マンセーなブログが大当たりなのだろうね。そんなことはそれほどどうというものでもないが、少し落胆したのは、その後の世情を見ていると、ホリエモン逮捕がそんなに嬉しいか、藻前ら、という感じ。
 誤解されないように書くが、私は一貫してホリエモンのシンパではない。私がどうホリエモンを見ていたかは、過去のエントリを読んでいただけばわかるが……と、この機にまとめておこう。一見関係なさそうに見せたエントリもあるが。

  • 2005.02.09 新年好! ホリエモン(参照
  • 2005.02.23 負けたのか、ホリエモン(参照
  • 2005.03.05 ホリエモン・オペラ、間奏曲(参照
  • 2005.03.18 釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世(参照
  • 2005.03.19 モーソーモーソーとホリエモンは言う(参照
  • 2005.03.27 終わったのか、ホリエモン(参照
  • 2005.04.19 ホリエモン騒動終結、私的総括(参照
  • 2005.05.20 [書評]希望格差社会(山田昌弘)(参照
  • 2005.09.09 二〇〇五年衆院選挙予想(参照
  • 2006.01.17 ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを(参照
  • 2006.01.18 フィナンシャル・タイムズがホリエモンを称える(参照
  • 2006.01.19 マネックス・ショック(参照
  • 2006.01.20 国際連帯税とかトービン税とか(参照
  • 2006.01.21 ライブドア騒動、現状の感想(参照
  • 2006.01.23 日本文化の誤訳のほうがわかりやすいとか(参照

 話を戻す。
 昨晩十時になってからNHKのニュースを見た。よくわからない。単純な疑問は二点。一つは、これはそんなに特殊な犯罪なのか。もう一つは、熊谷史人取締役は今回のスキームから外したのか。私の関心はむしろこっちにあるのだが。
 NHKのニュースが要領を得ないので、切るか、くだらね、と思っていると、専門家らしき人のコメントが出てきた。曰く、今回の容疑だが、個々の事例ではグレーだが、流れとして見ると犯罪だという認識に検察が立ったのだろう、という感じ。専門家はちゃんと言うじゃないか。
 今朝になり、朝飯買いにコンビニに寄ったついでにライブドアのお仲間か宿敵かの産経新聞を買った。一年前から少数の東京地検特捜部が動いていたという記事もあった。他、ネットの毎日新聞記事”ライブドア:関係者から詳細資料 堀江社長追い詰める”(参照)を見るとこうもある。

 東京地検特捜部は、成田国際空港を巡る官製談合事件の強制捜査に着手した昨年秋ごろ、極秘に捜査を本格化させた。官製談合事件に特捜部外からの応援検事を投入しながら、特捜部内に数人の検事を残す専従班態勢を維持した。
 端緒はマスコミなどからの情報提供で、その後、グループ会社の元幹部から重要な証言を引き出した。“動かぬ証拠”である幹部間の電子メール、財務諸表なども入手して、強制捜査の準備を進めた。

 「マスコミなど」について野暮な補足は不要だろう。ライブドア側も特捜部の動きは察知していたようだ。

 だが、後に“真犯人”が判明する。関係者によると、特捜部が昨年参考人聴取したライブドア関係者が、会社側に事情聴取を受けた事実を伝えていた。特捜部が「内部通報者」と信じた関係者が、実はライブドアグループ側の人間だった。特捜部は現在、専門家の協力を得て削除されたデータの復元に努めている。
 18日夜に飛び込んだエイチ・エス証券副社長(38)自殺の情報も、特捜部を驚かせた。ライブドアグループの子会社社長を務め、宮内取締役と関係が深い副社長が、那覇市のホテルで失血死していた。19日朝、地検幹部らは普段より早い時間に出勤して対策を協議したが「副社長は事件に深くは関与していなかった」と判断した模様だ。

 「判断した模様」がナイス。
 同記事では、ホリエモン逮捕には「もう少し時間をかけたい」という「現場の本音」も伝えている。法務・検察幹部にしてみても、ここは一発押し通すかということでゴリっとやってしまった。その後の東証の経緯を見れば、メンツ優先で市場への配慮などなかったのだろう。ひでーもんだな、検察は、と私は思う。
 新聞各紙の社説もざっと読んだが、コメントすべきこともなし。ブログもざっと見回したら、早々に散人先生がきちんと検察のドジをついていた(参照)。

そんな投資家も、検察が動かなかったら、損失をこうむらなかった。検察がアホ投資家の損失を具現化したとも言える。


ホリエモンもいい加減だが、彼の逮捕に一種の「嫉妬感情」と「国家権力」の法律の恣意的運用を感じるのは思いこみ過ぎか。

 まったく同感。
 他に、「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」” 「正義」のコスト”(参照)も同感。

そして、内部で事実関係を確認しようにも、今回のようにいきなり強制捜索がなされ、一切合切の書類が差し押さえられてしまえば、何も対応のしようがありません。アメリカであれば、弁護士の最初の仕事は、こうした書類の提出に関する範囲や手続について捜査機関との合意です。日常業務への影響や被疑者側の防御の権利を図りつつ、捜査の便宜や証拠隠滅を防ぐための手順について、捜査機関と弁護士が合意をし、その合意に従って、捜査機関側への書類の提出手続が内部調査と並行して粛々と進められていきます。


私にとっては、ライブドアが「最終的に」どれだけのことをやっていたかではなく、「この1週間の間に」ライブドアに起きたことが、とても恐ろしいことのように思えてなりません。

 私もそう思う。ここに日本の国家が恐怖として顔を覗かせていて、マスコミも法も無力になっている。
 起訴・捜査権限を持っている検察が暴走したとき、しかも世論がその犯罪の詳細を知らされずプリミティブな勧善懲悪の空気を醸し出したとき、どうしたらいいのか。
 多分、どうにもならないのだろう。ま、今になって始まったことではないが。

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2006.01.23

日本文化の誤訳のほうがわかりやすいとか

 雑談である。昨年の日本版ニューズウィーク12・14号のカバーは「ニッポンを誤訳するアメリカ」というものだった。話は映画『SAYURI』に寄せて書かれたもので、リードには「芸者を演じるのは中国人女優、せりふは英語。話題作『SAYURI』が映すハリウッドの誤解と偏見の元凶に迫る」とある。記事の英語版はネットに見あたらないようだが、あるだろうか。で、この記事だが、日本通のデーナ・ルイス女史も加わっているせいか、読めたもんにはなっている。もう一つ釣りを引用する。


いよいよ日米で同時公開される映画『SAYURI』が描くのは
中国人女優が英語のせりふで芸者を演じる、ファンタジーとしての日本
文化を「意訳」するハリウッドの手法はステレオタイプを助長し
日本への誤解やアジア文化の混同をさらにアメリカ人の間に広めかねない

 そうはいっても、日本文化を広く米人に理解させようとしても無理は無理。となると逆に、相手の固定観念に乗ったほうが理解が得やすい。ハリウッドらしいじゃないか。
 理解が得られるように書くとか演じるとかいうのは、それがカネを出しての演出となれば、とても重要なことだ。
 よくわかりやすい文章書き方とかのコツとかがブログのネタになることがあるが、わかりやすい文章なんていうのは、読み手の固定観念に沿ったものではなくてはならない。
 コミュニケーション技術といったってそうだ。相手の固定観念を前提にしなければ通じるわけがない。日本人がどんなに米国牛肉に疑問を持っているかなんて米人に通じるわけはないので、米人に通じるような仕掛けが必要になるというものだ。
 もっといえば、異文化間でなにか伝達するなら、その聴衆の固定観念に沿って演じるに限る。たとえば、日本人には不可解なことでも、そうか日本人っていうのはそういうものか、という米人とかの固定観念があるなら、それに乗っ取った演出をすれば、行動やできごとのメッセージは単刀直入にぶすりと伝わるものだ。
 そういうわけで、米人に日本文化を理解させるより、米人とかが日本文化をどう誤解しているかをリストアップしてそのコードを考えていくほうがいいだろう。
 ということで思い出すことがある。私事になるが、昔米人のインテリと一緒の部署で仕事をしていたことがあった。こいつがインテリでなんつうか、とてもポライトなんだが内心日本人を軽蔑とまではいかないにせよ未文明国家の国民と見ているような感じがした。なんだかんだあって、こいつと仕事させるには、私のようなズレた日本人が適任じゃないかと白羽の矢が立ったようだ。
 で、ま、それなりに対応した。双方、気が合う相手ではなかったが、それなりに認め合ったようでもあり、雑談などもしたのだが、そのひとつテーマが日本文化だった。ちょっと辟易とした。
 こやつ、漢字とか勉強している。「ちみもうりょうって漢字で書けますか」とか訊かれたときは、そんなもの書けるわけないだろ、と脊髄反射的に答えるや、こやつ、さらりと、魑魅魍魎とか達筆で書きましたね。「巷間に魑魅魍魎が跋扈する」……そんな日本語使わないって。
 そのうち、こやつ、でっかいウェブスターをあてどなく見ているているので、さては日本語熱も冷めたかと思ったら、そうじゃない。英語になった変な日本語リストを作っているのだ。ヲイ。
 それで知ったのだが、torii(鳥居)とか英語の辞書に載っているのな(参照)。そんな言葉、英語の辞書に掲載する意味があるのかわからないが、後、沖縄で暮らして、Torii Stationというのを知った。
 他に、「つつがむし、知ってますか」とか訊かれた。んなもの名前しか知らないよと答えると、辞書を見せてくれた。あった。ネットのウェブスターを見ると、tsutsugamushi disease(参照)である。なんでそんな言葉が英語になっているかと見ると、なんか歴史がありそうだ。

Etymology: Japanese tsutsugamushi scrub typhus mite, from tsutsuga sickness + mushi insect
: an acute febrile bacterial disease that is caused by a rickettsia (Rickettsia tsutsugamushi) transmitted by mite larvae, resembles louse-borne typhus, and is widespread in the western Pacific area -- called also scrub typhus, tsutsugamushi

 その手の話で、そう驚きもしなかかったの言葉が、hara-kiri(腹切り)である。
 ウェブスターに載っている(参照)。普通、「腹切り」なんて日本人は言わないよ。では、なんというのか? 切腹、seppukuだよ。これですか(参照)。そんな言葉が載っているのか。と見ると、hara-kiriを見よである。

Etymology: Japanese harakiri, from hara belly + kiri cutting
1 : ritual suicide by disembowelment practiced by the Japanese samurai or formerly decreed by a court in lieu of the death penalty
2 : SUICIDE 1b

 まんじりと語義を見ると、え゛っ、hara-kiriってsuicideってか。うーむ。確かに、自決ともいうが、自殺というのは違うような……と思った。
 ま、hara-kiriなんていう英語は普通に英語をしゃべる外人も知らないだろうが、そういう日本文化特有の自殺の方法というのはそれなりに知られているし、日本人が腹を切ったら=自殺、というのは、あまりにもわかりやすいディスプレイ(演出)だよなと思っていたら……先日、二〇日付けでロイターで”Japan suicide latest of many sparked by scandal”(参照)という記事を見つけた。

But the incident surprised few in Japan, where suicide is not prohibited by religious beliefs and death has long been seen as a way to escape failure or protect loved ones from shame.

Indeed, ritual disembowelment, or "harakiri," was an accepted form of punishment for the samurai warrior class for hundreds of years.


 やっぱ外人はそう見るか。そんな記事を書くか。まったく、誤解も甚だしいな……と思うのは日本人だけで、伝達したい相手にわかりやすいって考えると全然違う文脈になるかもしれない。
 誰にとってわかりやすい話だったかといえば、日本人じゃないってことなんだろう。

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2006.01.22

ショコラ・オランジェを作るの巻

 デパ地下に行ったらやたらとチョコが売られているのでそうかパレンタインデーかと思った。そんな記念日は私には追憶以外に意味はないのだが、ついでにうまそうなチョコはないかと物色してみた。が、ダメっぽい。
 私はアソートがそれほど好きではない。単純なのがいい。フェアトレードのですら、ちょっと味がしょっぱげなのだがなんだが、いいかという感じ……でもないか。基本的にビターで舌触りがよくて云々。
 ゴディバが苦手。そんなに悪くないんだけど苦手は苦手。意外とあれっておいしくないんじゃないのとか言う気はありません。でもなぁ、ゴディバのオランジェはいただけないなぁ……そうだ、オランジェ。

cover
大東カカオ・チョコレート
ビター
 以前はフランスのをオーダーしていた。なんでもオランジェ作り三代というので日本チョコレートが直輸入していたのだが、もう輸入しないのだそうだ。
 こういうときは、作るか、無謀にも。なのだが、さすがにうまくいかない。オレンジピールがね、うまくできないんだよ。チョコの部分は大東カカオのチョコレートのビターでけっこういいのだけど。
cover
オレンジピール
 で、そうか、ピールの部分だけ買えばいいじゃんと発想の転換。偉そうなピール(ラメル)をめっけたので作ったら、簡単で、激ウマーでしたよ。味はピールで決まります。どうやらオレンジ自体がいわゆる米国オレンジとかじゃだめみたいだ。ついでにレモン・ピールのも作ったけど、これもよいです。っていうか、レモンもけっこうよい。
cover
ディップ後
 作り方は簡単。普通にチョコで型を作ったことのある人なら特にどってことない。チョコを湯煎して溶かして、ピールをディップ。そいだけ。
cover
ヴァンホーテン
でかいでしょ
 あとは冷やすだけでいいのだけど、あれ、冷え切る前にココアまぶし。ヴァンホーテンがよいですよ。ちなみに、ヴァンホーテンはでかい缶のがいい、あまり売ってないけど。
 うーむ、話はそれだけ。意外に簡単なんで作ってみるといいですよ。

cover
これで完成

追記(2006.1.23)
 antiECOさんから、「まぶした残りのココアパウダーは何処へ?」というコメントをいただく。言い忘れていた。このあと、ころころと転がして裏面などにパウダーを付ける。これでほとんど無駄はないのだが、それでも多少残るのでかき集めて、オランジェを納めたボックスの上から撒いておく。オランジェがなくなって最後に残るパウダーは? それはホッチョコ。

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