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2006.09.23

ヨガ雑感

 以前「極東ブログ: ヨガブーム雑感」(参照)を書いたが、私はもうヨガとかやらなくなっていた。が、このところ秋めいて涼しくなり長年使っていたマットを取り出して少し練習を始めた。アイアンガー・ヨガの初級ヨガ指導者のコースを終了していたこともあり、どう練習すればいいかというのはだいたいわかっているつもりだし、この歳になると中級レベル以上にまで精進することもないだろう。そもそも、また止めてしまうかもしれない。

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Yoga:
The Iyengar Way
 世間ではヨガのブームは依然続いているようで、コンビニで売られている女性雑誌などでもよく見かける。ああ、これは間違っているな、ここはこうとかいろいろ思うのだが、各人自由にすればいいのだろうな、若い人が多いのだろうしと思い直す。
 初心者のヨガの自習には「Yoga: The Iyengar Way」(参照)という本が一番よいと思うが、邦訳もないようだし、いずれ書籍では学びづらいものだろう。ヨガ全般についてはアイアンガー先生ご自身の名著「ハタヨガの真髄―600の写真による実技事典」(参照)があれば十分だろう。プラナヤマについては「ヨガ呼吸・瞑想百科」(参照)が詳しく、練習方法も詳細に書かれているが、グルジェフの教えのように呼吸法というのは理解せずして行うものではないし、理解が進めば自然にその発展があるだろう。というか、私は昔習った少しの呼吸法を自然に深化できるかなと思うくらいだ。
 手元の「ハタヨガの真髄」をめくっていたらこういう話があったのを思い出した。

ウッディーヤーナやムーラ・バンダを一人で試みるのは大変危険である。ウッディーヤーナ・バンダを誤って行うと、精液の放出を招き、活力が減退する。ムーラ・バンダも正しく行わなければ精力の弱い者はさらに弱くなる。ムーラ・バンダは正しく行ってもそれなりに危険性を伴う。性交時間を伸ばす効果があるので、濫用におちいりやすい。濫用の誘惑にまけると我を失い、潜在しているすべての欲望を目覚めさせて、棒で打たれた眠れる蛇のように致命的になる。

 「棒で打たれた眠れる蛇のように」というのがインドの歴史・文化とその蛇の神話を思うと含蓄が深い。
 そういえばアイアンガー先生はご存命なら九十歳近いのではないかと思ってネットを見るとウィキペディアに項目があった(参照)。ご健在のようす。八十八歳かと思う。八十八歳といえば、ヨガについてだが佐保田鶴治の「88歳を生きる―ヨーガとともに」(参照)という本があった。が、たしか彼は実際には八十八歳まで生きてなかったように記憶しているので、ネットを見る。「日本ヨーガ禅道友会」(参照)によると一八九九年生まれ一九八六年没。八十七歳だったようだが、享年は数えなので八十八としてもよいのだろう。彼は六十歳からヨガを初めてそして長命であったとは言えるだろう。
 そういえば彼のお弟子の番場一雄は何歳だろうとネットを調べて驚いた。「日本ヨーガ光麗会(お知らせ)」(参照)によれば三年前にお亡くなりになっていたのか。

番場一雄名誉会長の急逝と会葬のおしらせ
 番場一雄名誉会長が8月1日(金)に入院先の病院にて急逝いたしました。
 師は4月1日に名誉会長に退いた後、NHKおしゃれ工房出演の準備を調えつつ、17年間講師を続けてきた京都市シティーセミナーへ出講、海外視察など多忙な日を過ごしておりました。
 そうした中で、6月末に体調をくずし、入院加療致しておりましたが、8月1日午後6:10に心不全のためになくなりました。66才でした。

 私などから見ると野口晴哉ではないが人間六十歳くらいまで生きたらいいのではないかと思うが、社会通念からすれば六十六歳は若い死と言えるだろう。佐保田ヨガの第一人者が長命でなかったのかというのはアイロニカルな思いがよぎる。そして自殺した牧康夫のことを少し思い出す。
 連想で沖正弘のことを思い出したが、私の記憶では彼も六十四歳くらいで亡くなった。噂によればヨガ的な修行の最中であったというが、確かにあのころの沖ヨガはスーフィズムのようになっていたかと記憶している。奇妙にも思える荒行みたいなグループレッスンみたいのに参加していた若い人たちがいた。といっても私より上の世代で、松本智津夫などもそうした時代の空気の中にいた一人ではなかったか。あのヤングな人たちは今でも沖ヨガというのを支えているのだろうか。関心を失って久しい。
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あるヨギの自叙伝
 連想が続く。名著「あるヨギの自叙伝」(参照)で世界的に有名になったヨギ、パラマハンサ・ヨガナンダは六十歳に及ばず亡くなったはずだった。ウィキペディアの同項目(参照)を見ると、五十九歳だ。私は彼に関する旧跡を見にコルカタに行ったことがある。晩年の写真だろうが、その肥満は小錦を超えていたようだった。死因の実相はエルビス・プレスリー的なものかと思ったが、当地のインド人は人間の寿命は五十年だから長生きなのだという感じで説明していた。ヨガナンダのヨガ、クリヤ・ヨガはたしかその実態は特殊なプラナヤマだと思うのだが、ハタヨガのような身体実技は弟のムクンダが興した。彼も兄と同じく短命だったようにと記憶している。時代であろうか。

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2006.09.22

安倍ジャパンになんとなく思う

 ネットから眺めている限り、あまり安倍晋三新総理の支持者というのは見かけないように思うがどうなんだろうか。朝日新聞社の世論調査では約六割が好感を持ったということのようだし、自民党内の支持などを眺めても、だいたいそんなところだろう。気になるのは男女差が目立つことだ。その朝日新聞記事”安倍新総裁「よかった」57% 本社世論調査”(参照)より。


 安倍氏の選出を「よかった」と思う人は男性52%、女性62%。自民支持層では85%に達するが、公明支持層では44%と与党支持者でも落差がある。安倍氏に親しみを「感じる」は男性51%、女性66%だった。

 単純に女性受けするという以上の意味がありそうに思うのだがよくわからない。こうした支持は何かのきっかけで逆転しそうでもあるし。
 安倍総理で今後の自民党がどうなるかということについては、この世論調査ではあまり変わらないとする人が多いようだ。「変わらないさ」という投げやりな思いと、「変わって欲しくない」という願望も多少あるのだろう。

 一方、安倍氏が総裁になって自民党が「よくなる」と思う人は17%、「悪くなる」は3%で、「変わらない」が70%と最も多かった。安倍氏のもとで、自民党改革はそれほど期待されていないようだ。

 小泉時代に自民党は変わってないと言えないこともないだろうが、単純に考えれば変わった。なので、この朝日新聞の問いかけと答えをどう受け止めていいのかは難しい。
 日本の外側からはどう見えているか?
 二一日付けのフィナンシャルタイムズ”Japan after Koizumi”(参照)ではこう評価していた。

Mr Koizumi's greatest achievements were not in foreign policy or in economic reform, but inside the LDP, where he undermined the influence of the old political factions and modernised the party to make it more fit to govern Japan. Mr Abe will be judged on his ability to build on this legacy. If he succeeds in accelerating economic reform and in restoring good relations with China, he will be a worthy successor to Mr Koizumi.

 小泉総理の業績は外交にも経済にもなく、自民党旧勢力の影響力を弱体化させた党内改革であったとしている。そして、安倍新総理がその遺産(自民党改革)を継ぎ、経済構造改革を進め中国友好に努めるなら、小泉時代を継いだと言いうるだろうというのだ。ほぉ。
 フィナンシャルタイムズが期待するように、安倍新総理の下で自民党改革が進むかどうかについては私は期待薄だが、期待したい思いもある。
 経済政策面では、フィナンシャルタイムズは小泉時代をそれほど評価しないふうでもあるが、安倍新総理にこんな提言もしているのが面白い。

Rather, Mr Abe should learn from Mr Koizumi's premiership that Japanese voters are better disposed to reforms than many LDP leaders and their friends in business and the bureaucracy. If Mr Abe is wise, he will follow the example of his predecessor - whose favourite economic troubleshooter was Heizo Takenaka, an academic and an outsider - by choosing his economic policymakers on the basis of talent rather than their standing in the LDP.

 小泉総理の流儀に習って経済政策には竹中平蔵氏のような専門家を自民党外部から登用せよというのだ。誰を選ぶかというのはいろいろ議論もあるだろうが、確かに日本の経済政策では専門家を選ぶほうがいいし、専門家となると学術面だけではなく米国との繋がりも求められるだろう。
 他、外交面では、フィナンシャルタイムズは米国メディアとは異なり、安倍新総裁をそれほど鷹派だとは見ていない。それどころか中国との関係修復に動く示唆もある。
 まあ、フィナンシャルタイムズの記事をぼんやり読みながら、概ね、参院選まで政策を日和っているようなら安倍政権の未来はたいしたことはないだろうと思う。では、実際どうなるのかと再考する。意外と小泉流とは違っていても、早々に衆目を驚かす手を出してくるのかもしれないな、経済政策面とかで。

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2006.09.21

[書評]郵政省解体論(小泉純一郎・梶原一明)

 「郵政省解体論(小泉純一郎・梶原一明)」(参照)は一九九四年九月にカッパブックスで出版された本なので、もう十二年も前のものだ。

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郵政省解体論
 アマゾンを見ると、カバーのデザインを変えていまだ販売されているようだが、確かに今読み返してみても面白いし、今読み返す面白さもある。古本では一円よりともあるので配送手数料三百円程度で買える。たぶん、古本屋なら百円ではないだろうか。ついでアマゾンの素人評が二つあり、二〇〇五年の八月と九月に付いている。あまり参考にならなかった意見のようだが一つ引用する。

21 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
★☆☆☆☆ 置き去りの拉致問題, 2005/9/1
レビュアー: カスタマー
拉致被害者はどうでもいいのだろうか。
この本を読んで悲しくなった。
「世に倦む日々」というブログが上手く説明しているので
そちらも参考にするといいでしょう。

 そのブログには拉致被害者について上手に説明しているとのことなので覗くと”世に倦む日日 : 金英男の会見 - 韓国三大紙の日本右翼との結託は亡国の道”(参照)ではこんな意見のようだ。

以上の問題とは別に、この二日ほど考えたことは、ひょっとしたら横田めぐみは死亡していて、横田早紀江はそれを知っていて、娘の死を知っているからこそ、あのように強硬な態度をとっているのではないかという推測だった。本当に生存を確認していれば、あれほど強硬に北朝鮮との戦争を主張するだろうか。北朝鮮と日本が戦争を始めたら、真っ先に生命の危険が及ぶのは捕われの身の拉致被害者ではないか。横田めぐみの死を横田夫妻が知っていたら、という仮定を入れるとパズルが解けように理解できる。横田早紀江の本心は、愛娘の救出ではなくて報復なのだ。復讐が真の動機なのではないのか。

 こういう意見が参考になるのものなのか私にはよくわからない。が、本書にはあまり関係なさそうな気がする。なので、話を本書に戻す。
 本書でわかるのは、小泉純一郎という人は髪の色が変わったくらいで考えていることは十二年前からかわらんなということだ。そしてただ愚直に一念岩をも通すというわけでもなく、今読み返してはっとさせる発言もある。

小泉 そういう見方は必ずしも誤りではないですね。つまり、細川政権、羽田政権のときは、第一派閥の自民党が反主流になったんです。私は自民党のなかでいわゆる反経世会の構築をやってきた人間ですから、自民党が野党になってもうろたえなかったし、国民的な反自民感情はよくわかりました。旧連立の面々が反自民を構築したことは間違いない。
 とにかく、自民党から社会党まで、ほとんど差がなくなったわけだから、どういう組み合わせでもできてしまうんですね。
 だからこれは戦国時代と一緒なんです。織田、豊臣、徳川とあったわけですが、大して理念に差はない。どことくっついたら勝つか、あるいは排除できるかということが一面であることは否定できない。
梶原 ただ、普通、混乱期というのは短く、安定期が長いものです。もっといえば、これが逆になてもらうと国民は非常に困ります。
小泉 でも、四十年も自民党政権という安定期が続いたんです。そして、変化が訪れた。変化には混乱が憑きものなんですね。いまはその混乱期なんです。
梶原 しかし、いかんせん、混乱は長く続くと困る。
小泉 でも、五年や十年はこの混乱が続くのではないかな……。

 小泉政権がなぜ長期政権だったかと考えるとき、こうした冷徹なビジョンを最初から持っていたのだと考えると納得できてくる部分もある。さらにこういうビジョンも彼は持っていた。

小泉 これは厳しい問題です。その意味では、遅かれ早かれ、自民党は過半数を割らなければならない時期が来ていたのんでしょうね。もはや、どの政党も一党だけではみんなの支持は得られません。
 すべての有権者にいいことをやらなければならないとなると、どうしても無理が出てきますからね。
 だから、私はこういう場合、連立政権のほうが多くの仕事をできると思いますね。連立だと、一つの政党が過半数を取らなくてもいい。新しい方向を出しておいて、それで選挙に負けてもいいんです。
 ところが、一政党で過半数を取ろうとすると、うまいことをいおうとして、逆に何もできなくなってしまう。だから、どの政党も過半数が取れず、連立を組んだほうが大改革というのはしやすいと思います。したがって、今回の自社連立の村山政権には、国民のみなさんはぜひ、その点で期待してもらいたい。

 最後の村山政権のくだりは「極東ブログ: 「どこに日本の州兵はいるのか!」」(参照)を思い返すと苦笑せざるを得ないが、その後の公明党との連立を小泉がどう考えていたかはよくわかるし、今後の安倍政権を彼が内心どう見ているかもわかる。このあたりは勝負師というものの勘なのだろう。
 郵政改革の批判にもこの時点で見越していたふうでもある。

小泉 それはいままでやってきたことなんです。郵貯にしても必要だといわれれば、既得権がありますからね。そこで少しでも有利なことをやれば、国民の信用が背景にありますからね。
 こういう状況のなかで、細かい議論をすると、もう民間と境を接する分野がとめどなく広がっていってしまいます。専門家の枝葉末節の議論、商品の議論になってしまうんです。そうなると政治が介入する問題ではないというふうに議論がスリ替えられてしまうんです。
梶原 そういうところに議論がいってしまうと、基本的な問題が抜けてしまって、非常に危険なわけですね。
小泉 商品の話に踏み込んでしまうと、役人の仕事になってしまうわけだ。
梶原 政治家がはじき出されてしまう、と。そうするとやはり原則論が大切です。
小泉 混乱期ほど原則が大事なんです。

 転写しながら、これだけ心を固めて生涯の決戦に挑んだというのは並の人間ではないなとあきれてくる。小泉は誰かに操られていたと言う人もいるが、「第126回国会 逓信委員会 第6号」(参照)などを読み返すとなかなかそうも思えない。
 私は小泉純一郎という人が好きではない。政策もそれほど評価しない。ただ、政治家というものの一つの原型をきちんと示している点で、歴史に残る政治家だろうとは思う。

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2006.09.20

フォートラン、五十二歳

 コンピューター史上最初の高級言語フォートラン(Fortran: Formula Translatorの略とされるが異説もある)が実行されたのが一九五四年九月二〇日と言われている。それから五十二年が経った。フォートランも五十二歳ということになるのだろう。
 フォートラン誕生の時刻は米国時間なので日本時間でいうとおそらく翌日の一九五四年九月二一日になると思うが、その頃日本はどうだったか。何か変わったことでもあったかというと、洞爺丸台風(参照)が発生した日だった。台風は日本では通し番号で呼ばれるのでそれでいうと台風十五号。英名ではMARIEだが真理絵を当てたものではない。日本列島横断のようすは”Digital Typhoon: Single Sequence View (Typhoon 195415 / MARIE)”(参照)に掲載されている地図を見るとわかる。山口県を二五日ごろ通過しているが東京にはそれほど影響はなかったようだ。
 二六日、日本海を経て北海道に再上陸。そこで惨事が起こった。北海道上磯町七重浜沖で洞爺丸が沈没。船体は裏返しになったという。死者千百五十五名。世界海難史上、死者千五百十三名のタイタニック号沈没に次ぐ惨事ともいわれる。なお、洞爺丸(参照)は一九四七年就航開始。国鉄がGHQの許可をえて建造した青函連絡船で、沈没の一か月前には昭和天皇北海道ご訪問のお召し船となったものだった。同台風では「北見丸」「日高丸」「十勝丸」「第11青函丸」も沈没。岩内町では大火により三千三百戸が焼失した。
 お隣の国韓国では一九五四年九月二一日は、一九四八年四月三日に始まった済州島四・三事件(参照)が収束した日ともされている。ウィキペディアを見ると、その後「完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される」ともある。またこう書かれているが日本人もよく知る事件ではあった。


日本による韓国併合以来、複雑な歴史背景によって本国の待遇が悪かった島民は、新天地を求めて日本へ移住あるいは出稼ぎに行き、併合初期に日本へ最初に来た20万人ほどの朝鮮出身者の大半は済州島出身であった。敗戦による「開放」によって、そのほとんどが帰国したが、この事件によって済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。

 あくまでウィキペディアの解説を元に仮に思うだけだが、八万人が殺害され三万人に残ったとして残る十七万人の内、どのくらいが在日コリアンとなったのだろうか。少なくとも数万の単位ではあるのだろう。隣国の一つの大きな事件の結果は一九五四年九月二一日ごろを目安に日本国の歴史にも関わってくるとしても不思議ではないだろう。
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白木蓮抄
花郁悠紀子
 一九五四年九月二一日生まれた著名人を調べてみると、漫画家花郁悠紀子(参照)がいる。ファンサイトは”花郁悠紀子ファンページ ~花に眠れ~”(参照)にある。このサイトによると、彼女は、「高校時代に坂田靖子主催の同人誌『ラヴリ』に参加、その後、萩尾望都の住み込みアシスタントとして上京」とある。夢を抱いた高校生の一人だった。漫画家として名を成すも一九八〇年胃癌により二十六歳で死去した。それからまた二十六年過ぎた。

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2006.09.18

農地改革メモ

 ぼんやりと戦後史のことを考えていることが多くなってきているのだがその一環で農地改革のこともときおり考える。農地改革については二つの思いが錯綜する。一つは学校で学んだ、なんというか農奴解放みたいなお話。もう一つは私の母方が庄屋の系統だったので近親者からの体験的な話だ。その二つが入り交じる。もっともそうした錯綜感は農地改革に限らない。私は基本的に戦後民主主義の申し子みたいな人なのでGHQによって日本は解放されたと原点としては考えるのだが、五十年近く戦後の後の日本人として生きてみると違和感は多い。
 農地改革について当然一時期の政策としては成功としか言えないだろう。だが、大局的には失敗だったのではないかという思いがあり、そのあたりをきちんと社会学的にまとめた書籍などないものかと探すのだが、知らない。ないわけもないだろうに。簡単に読めるウィキペディアの同項を読むと(参照)私が中学校時代に学んだこととさして変わらない話がある。


 敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。
 当初、農地改革に対するGHQの姿勢は当初は消極的であったともいわれるが、当時の農相である松村謙三は貧農救済の立場を優先し、より厳しい改革を断行する(ちなみに松村自身の所有の土地も対象とされた)。
 これにより、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ(事実上の没収)、小作人に売り渡された。これは、全国的に行われ実に7割余りの農地が地主から小作人のものにかわった。日本の農家はこれによって基本的に自作農となった。自分の農地になったことにより生産意欲が湧き、日本の農業生産高は飛躍的に増進した。

 GHQと日本政府側の関係について踏み込んで書かれていないが、概ね記述は嘘ではない。読売新聞”戦後体制 農地改革=下”(1998.12.25)には、当時の小作の体験談もある。

 山形県余目町の農業、池田利吉さん(75)は、その時に自分たちの農地を手に入れた。今も売り渡し書を大事に持っている。
 池田さんは二十五歳で農家の養子になった。聞けば、祖父は小作地さえなかった状態から、やっと一・五町歩(約一・五ヘクタール)を借りるまでに汗水流して働いたという。「田んぼを買い、家を建て、土蔵を造るのが夢だった。小作地が自分の家の土地になり、とにかくどの農家より収入を増やそうと頑張った」。池田さんは往時をこう振り返る。
 農地改革によって、農村経済は戦前と比べよくなった。一世帯あたりの年間所得でみると、五〇年が二十一万円だったのが、六五年には八十三万円に上がった。小作料の負担がなくなり、農機具への投資も増えた。生産性も旧農林省の統計によると、五〇年―五二年を一〇〇とすると、六五年には一六〇に上昇した。

 ざっと読むと農地改革の成果のようだが、所得の増加と生産性の向上が比例していないことに気が付く。記事はこう続く。

 機械化が進むにつれ、農村人口は減少した。総務庁の産業別就業人口統計で五〇年と六五年を比較すると、農業人口は全体の45%だったのが23%に低下し、対照的に製造業人口は16%から六五年には24%に増加した。農村から流出した労働力が工業地帯を支えた。大内力・東大名誉教授は「高度経済成長は、農地改革がプラスに作用したからといっていい」と総括する。

 これはいったいどうしたことだったのだろうか。小作が自作になることで収入が増えて万歳という光景ではない。むしろ農地が放棄されていく一端のように見える。この記事では農機具投資が増えたことが問題の端緒のようにも読めるがそもそも機械化した農機具を小規模自作農が分散して持つメリットがあったのだろうか。なにより、大内力の発言が私にはよくわからない。
 持論とまでまとまらないのだが、農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者ということではないのだろうか。いわゆる看板の「農地改革」とはほど遠いのではないか。
 そうした思いのなか、先日ラジオで農地改革について、えっと思う話を聞いた。農地改革で開放された農地は一九四万ヘクタールだが、すでに二五〇万ヘクタールが改廃されているというのだ。単純に考えれば、農地改革は無駄だったということではないのだろうか。このあたり、冒頭述べたのように私の祖先の関連もありそうした思いも少し混じるのだが、小作たちは農地を転用とまで言うのは語弊があるかもしれないが、その子供たちの住居地に変えたりしていた。道路になって巨額の利を得た人も少なくない。農地が失われていくようすは私も見てきた。
 話は少しずれるのだが、農地改革はボトムでは農地委員会が実施してきた。これが一九五一年に農業委員会になる。以前「極東ブログ: 教育委員会は本質的に地域教育の点では欠陥組織」(参照)で触れた教育委員会のように農業委員会もGHQに起源を持つ組織と言っていいだろう。この農業委員会が現在も存在する。読売新聞社説”地方自治体 画一的な組織が問い直される”(2005.07.04)によるとこうだ。

 現在も市町村は農業委員会を原則設置しなければならない。農地がない、あるいは農地面積が一定の基準より小さい市町村は設置を免除されているが、全国の市町村の5・8%に過ぎない。
 全国に6万人近い非常勤の農業委員がいる。地方議会の総議員数並みの数である。年に約170億円(2000年度)の報酬が支払われている。
 農地の不正転用などに関与した農業委員が逮捕される例も少なくない。
 全国市長会は「業務処理件数の減少で形骸(けいがい)化したり、農家が少ないにもかかわらず、各戸の農地面積が大きいため設置している場合もある」として、選択制を主張している。地域の実情に応じ、弾力的な制度に見直す必要があるだろう。

 それから一年が経つが制度の見直しがあったようにも思えないし、社会問題としてさして取り上げられたふうでもない。が、たぶん市町村合併で農業委員会は全体には縮小しているのだろう。

【追記(2006.9.19)】
 bewaadさんより貴重な示唆をいただいた。ありがとう。

 ⇒農地改革の光と影 : bewaad institute@kasumigaseki(2006-09-19)(参照

 実はエントリを書きながら、「農地改革によって、農村経済は戦前と比べよくなった」とは経済学的に見て言えないだろうと思っていたが、そのあたりはきちんと述べることはできなかった。
 他、ご示唆の点については以下を含めて概ね納得できるものだった。


したがって、「農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者ということではないのだろうか」との問いに対しては、農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者の抑制であったと答えることができるでしょう。

 このエントリであえて曖昧に書いたのだが、私の関心は開放された農地の転換と富の創出の問題だった。農業委員会について後半で触れたあたりで、HPO:機密日誌さんのように問題点の匂いを嗅ぎわけられたかたもいらっしゃったが。

 ⇒HPO:機密日誌 - 成功した革命としての2.26事件(参照

 bewaadさんのご指摘の文脈では次の部分に相当する。


まず、日本の農地面積は2005年で約470万haですから(この数字は、日本の農地面積には、採草・放牧地等を含まないということなので、わざと低くなるよう農地を定義している気がしないでもありませんが)、農地改革で解放された194万haとその後改廃された250万haはまったく重ならないこともあり得、これだけで「農地改革は無駄だった」というのはいかがなものか、とジャブを。

 さしあたっての問題は農地改革で開放された194万haとその後改廃された250万haの重なり具合についてで、まったく重ならないという客観的なデータが出れば私の疑問はまったく解消する。おそらく、実態はかなりヘクタール単位でみるとそれほど重なっていないだろうと思うが、重要なのは重なった部分がどのように富に化けたかという点だ。
 単純に言えば、農地改革で事実上無料に近い金額で取得された土地が、農業委員会というしかけを介して、宅地や道路に転じさせることで発生させた富の問題だ。これは日銀が札を刷るかのようにあたかも無からカネが創出できる仕組みだったのではないかと思う。

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2006.09.17

ギャップイヤーって制度化しているのか

 先日ラジオの話を聞いていて英国のギャップイヤー(gap year)についてあれれと思うことがあり、ネットを調べてみてへぇと思った。英国だと高校を卒業してから大学に入学する前に一年間と期限を決めて社会勉強とかすることがある。この期間をギャップイヤーと言うのだけど、私は個人的なというか家庭的な風習だと思っていた。が、ネットをざっと調べて見ると社会制度ってなことが書いてある。たとえば、三省堂の辞書には(参照)こうあった。


イギリスで 1990 年代から普及した制度で,利用する学生はこの間を旅行やボランティア,職業体験などで過ごす。

 すでに国が推し進めている制度っぽくなっていたのか。
 平成十三年九月の文部科学省委託調査「社会奉仕活動の指導・実施方法に関する調査研究」には次のような話があった。

 ギャップイヤーの利用者とっては、大学で何を専攻したいかの目的が明確になる等の効果があるとされている。ギャップイヤーをとった若者は、大学を中退する割合が少ない。イギリスでは、大学の途中退学者は20%程度いるが、ギャップイヤーを利用した若者に関しては3~4%に途中退学者の数が減ると言われている。企業も、ギャップイヤーによって様々な社会体験を経た若者を評価している。
 ギャップイヤー中の若者を支援するエージェント団体が数多くある。エージェント団体を通すと、出国前から帰国までの手続きを全部代行してもらえたり、適切なアドバイスをもらえたりすることができるため、多くの若者がこれを利用している。政府は優良なエージェント団体を22団体集めて協会をつくっており、そのうちの一つにギャップ・アクティビティ・プロジェクト(GAP)がある。

 よくわからないし、平成十三年というとニートという言葉もなかったわけだが、概ねニート対策っぽい響きがしないでもない。引用が長くなるが、続けてギャップイヤー支援の団体についても触れていた。

<GAPの団体概要>
■ 1972年に設立した。最も古く大きいエージェント団体である。
■ GAPの活動に対する政府からの資金援助はなく、活動財源は企業寄付が主である。
■ 約200人の現役を引退した高齢者が、若者のためにボランティアをしている。
■ ボランティアのほかに21人のフルタイムの有給スタッフがいる。
■ 年間に2,000件の申し込みがある。世界33か国に1,500人の若者をボランティアとして送り出し、21か国から600人のボランティアを受入れている。
■ ほとんどの若者が5~6か月のボランティア活動をしている。
■ 海外でのボランティア活動の内容としては、英語を教えることが最も多い。高齢者の介護や、孤児院や障害者を対象とした活動もしている。農業のボランティアや子どものキャンプの手伝い、環境問題を改善するたるのボランティア、病院ボランティアなど多様である。

 なんとなく日本でもそういう団体を作ろうという空気が読み取れるがこの報告書から五年が経った現在どうなのだろうか。
 英語のリソースを見ているといかにもというかガーディアンにFAQの特設ページ”Gap year special report”(参照)があった。最初の問い"Are gappers really the new colonialists?"がふるっている。「ギャッパーっていうのは新しい形態の植民地主義者じゃねーの?」ということで、行き先は第三世界とか旧植民地も多いのだろう。この答えは……Yesとある。洒落ているね。
 そういえば私が大学生のころは大学卒業に世界旅行とかいうのが流行っていたが最近はどうなんだろう、あまり聞かないが。そういえばのついでだが、大学の先生とかにはリーブ(leave)があったが、普通の企業でもリーブのような制度を設けてはどうだろう。そう呑気なこと言ってられないか。
 ネットを眺めていると、安倍晋三政権では若者を強制労働させるぞみたいな噂が飛んでいるけど、ギャップイヤーの変形みたいなものになるのだろうか。ちなみに八月三〇日産経新聞”首相主導で教育改革 安倍氏当選なら「推進会議」設置へ”(参照)にはそんな話はなく、こんな感じ。

 推進会議が設置されれば、安倍氏が主張する(1)学力の向上(2)教員の資質向上(3)児童・生徒が学校を選択し、自治体などが配布する利用券を授業料として納める教育バウチャー制度の導入-などが論議されるとみられる。
 同じく安倍氏に近い山谷えり子内閣府政務官は来賓あいさつで、「推進会議と国民運動の連携が望ましい」と述べ、教育再生に向けたネットワークが必要との認識を示した。

 ところで話が飛ぶが「安倍氏に近い山谷えり子」かぁ。山谷親平の娘だなぁとか思う私も歳を取ったもんだ。山谷親平は昭和五十九年に急性白血病で死んだ。六十二歳だった。若いなと思ったが私の父も六十二で死んだ。手塚治虫は平成元年の死で六十一歳だったな。人生短いといえば短い。生き急がず、ギャップイヤーとかも人生に数回あってもいいような気がする。

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