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2006.09.09

サンフランシスコ講和条約についてのメモ

 結局私は苫米地英人の本は全部読んでいる……あ、違うな、「大好き!今日からのわたし。 ~愛される心とからだををつくる秘密の呪文集」(参照)は読んでいない。というかその続きで「脳と心の洗い方 『なりたい自分』になれるプライミングの技術」(参照)もパスでいいかなと思ったが、書店で見かけたのでぱらっと見ると最終章にサンフランシスコ講和条約の話があったので買って読んでみた。

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脳と心の洗い方
「なりたい自分」に
なれるプライミングの技術
 興味深いといえば興味深い指摘があるのだがどう評価していいかよくわからない点もある。批判というわけではないが、そのあたりをちょっとメモしてみたい。

 そこで実際にSan Francisco Peace Treatyの英文原文を読んでみますと、条約が効力を発する翌年四月二八日をもって終戦を宣言する第一条(a)に続く、独立を認めたとする第一条(b)の文面は、"The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over Japan and its territorial waters. "となっています。これは、日本語訳では「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」と訳されています。
 訳文は確かに「日本国」の独立を認めた文言にも読めます。ところが、原文はJapanese peopleと小文字でpeopleと言っているのであり、これは「日本人」「もしくは日本の人たち」と訳すべきでしょう。「日本国民」と訳すのは誤訳です。

 とあるのだが、私はこれは「日本国民」でいいのではないかと思うし、英語の場合はpeopleの冒頭文字を大文字することで意味を変える慣例も文法もないはずだ。
 続いて、苫米地はsovereigntyは「自治」という訳語がよいとして。

 ですから、「連合国は日本の人民による日本とその領海の十分なる自治を認める」程度が本来の翻訳でしょう。

 とするのだが、私はあまり違いがわからない。ただ、これに続くJapanについての認識は興味深い。

条約のJapanは「日本国」ではなく「日本」と訳すべきところを、日本語訳のほうで、「日本国」という独立国が認められたかのような訳し方を意図的にしているだけです。
 少なくとも、主権国家の定義である「国内統治権」と、「対外主権」の二つのうち、半分の統治権しか認められていないことは間違いないでしょう。

 この対外主権(最高独立性)についての苫米地の指摘はそうかなという感じもする。
 話はもう一点ある。

 驚くべきことにサンフランシスコ講和条約の最後の一文は、こうなっています。"DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951, in the English, French, and Spanish languages, all being equally authentic, and in the Japanese language. " この一文を発見して私の正直な感想は「やられた!」です。もしかしたらこのことに気がついた日本人は五五年たって私が最初ということなのでしょうか?

 苫米地の指摘は、この条約の正文は英語、フランス語、スペイン語の三語のみであって、日本語は参考とされているだけだというのだ。そして苫米地訳をこう付けている。

訳せば、「一九五一年九月八日にサンフランシスコ市で成立した。英語、フランス語並びにスペイン語各版において全て等しく正文である。そして、日本語訳も作成した」と書かれているのです。

 どうなのだろうか。私の拙い英語の感覚だとそうは感じられない。むしろ、対日条約なので、英・仏・西が同一でこれに対して日本語版があるというように思える。ちなみに、この訳文は衆議院で正文として承認されているようだ。
 関連して、少し長いのだが、これまでの極東ブログの内容にも関連するので。

 一九五一年九月七日に吉田茂主席全権は、サンフランシスコ講和会議でのスピーチで以下のように語っています。"It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and reinstate us as a free and equal member in the community of nations." sovereigntyを「主権」という言葉であえて私が訳せば、「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と自由を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員として再参加させるものである」ぐらいになるでしょう。
 スピーチを通して英文で示唆されているのは、日本の人々は、帝国主義より軍部に取られて失っていた主権を、この連合国との条約のおかげで取り戻すことができたので、世界のコミュニティに参加できるようになります、という意味合いです。

 苫米地のこの解釈は多少正確ではないのではないか、と思うのは「軍部」ではなく「政府」に取られていたという点だ。また、「取られていた」というのも貸借の関係にあるはずだ。これについては「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)や「極東ブログ: 日本憲法は会社の定款と同じ」(参照)を参照していただきたい。
 苫米地はさらに次のように考察しているが、この点については妥当だろう。

 ところがこれが、そうではなく、当時の内閣は「連合国の占領から、この条約で日本国が独立国家としての主権を取り戻した」といった意味合いで訳し、国会に報告しています。これも誤訳です。吉田茂首相のスピーチを全文読みましたが、文章からアメリカ人によって書かれたものであることは明らかで、その日本語訳を吉田茂首相は読み上げただけというのが真相です。米国側公文書館の資料ではそう記録されています。

 余談だが、小林よしのり関連と言っていいのか、一部でサンフランシスコ講和条約第一一条の訳が問題になっているようだ。

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.

 承認された訳は次のとおり。

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。

 目下の話題は、judgmentsの訳語が「裁判」であるのは誤訳で「諸判決」とせよということらしい。私は日本語として「裁判」には「裁判結果」が含まれるのだから、たいした違いが感じられないが、ようは極東国際軍事裁判の判決は受け入れたが、その裁判自体を受け入れたわけではないと小林よしのりなどは主張したいらしい。よくわからないのだが、極東国際軍事裁判の正当性をすべて日本国は受け入れたはずだということへの反対論のようでもある。
 私にはそうした議論の重要性がよくわからない。いずれにせよ、この第一一条だが。

第十一条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない

 ようは、極東国際軍事裁判所の判決によって執行された刑について、日本が主権を回復したからって勝手に執行取りやめとかするんじゃないよ、というだけのことではないのか。とすれば、受刑者の存在しない今、もう終わった話ではないかと思うが。

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2006.09.07

中国の新破産法

 中国はすでに共産主義とは言えそうにないが、それでも資本主義なのかと問われるとどう返答していいかわからない。専門家はどう答えるのだろうか。政治体制としては明確に民主主義とは言い難い。強い統制的な政治体制のなかで資本主義が機能するものなのかも私にはよくわからない。もっとも日本がその成功例だったじゃないかと言うなら皮肉なのか事実なのか判断が難しい。いずれにせよ、歴史はものすごい圧力で進展していく。
 そうしたなか、中国が本当に資本主義に近くなるのだなと感慨深く思えたのが、新破産法の導入だった。先月二十七日中国全国人民大会常務委員会で新しい企業破産法が圧倒的多数で採択された。ネットではFujiSankei Business i.”中国/破産法成立で国有企業ピンチ 外資の投資意欲優先(2006/8/30)”(参照)が詳しい。


 中国の国会にあたる全国人民大会(全人代)常務委員会がこの27日、企業破産法を賛成157票、反対2票、棄権2票で採択した。金融市場の対外開放を視野に、銀行など金融機関に関する規定が盛り込まれたほか、破産法の成立で、企業が破産した後の清算手続きが明確になる。これまで破産にあたって特別扱いされてきた国有企業の従業員も同法によって処遇されることになる。(上原隆)

 破産法自体は中国にも以前から存在していたが、四十三条の簡素なものであり、しかも裁判所が破産宣言するのではなく、行政機関が行政の一環として実施するものだった。計画経済の一端としての規則のようなもので、悪く言えば政治的にどうにでもなるものだったのではないか。また、国有企業対象の四十三条の破産に関する法律外に国有企業外企業に適用する法律もあったらしいが十分には機能していなかったようだ。今回の新破産法によって国営企業も私企業すべて一括化される。銀行や金融機関も含まれることになる。
 全体的には今回の新破産法の成立は中国のWTO加盟の影響と見てよく、国際ルールに馴染むものになっている。破産は裁判所の管轄になり、社長の責任や民事賠償なども問われる。
 中国の内政的には労働者の保護が問題になるかもしれない。先の記事でもそこにポイントを当てていた。

 新破産法の成立で、10万社ともいわれる不採算の国有企業が破産宣告を受けた場合、従業員たちの処遇が従来とは大きく変わることになる。

 十万社というと大きな数だが破産整理の速度はそれほど早くは進まないだろう。昨年までに整理されたのが三千六百五十八社だが、向こう二年で二千社程度らしい。斬新的な改革であることはその影響力が本質的であればしかたがないことだろう。
 今回の破産法の成立によって、企業経営の透明性が増すと見なされているし、「外資の投資意欲優先」ともされている。だが、投資に見合う担保を明確に評価する作業などで外資投資が難しくなる面もあるだろう。こう言うと悪口のようだが、従来は国営企業の破産は行政の管轄だったので要人とのコネなども担保の部類だったのではないか。中国ビジネスは人脈が鍵とも言われてきたが次第にビジネス・ルールも変わるのだろう。
 新破産法の施行は来年の六月ということでまだ間があるし、施行後の動向を見ないと実際のところどうなっていくかはわからない。
 こうした資本主義のルール整備を見れば中国も世界市場に調和して変わっていくものだなと思うが、本当に変われるのだろうか依然疑問にも思える。清算された国有企業からあふれた労働者は外資による私企業で吸収せざるを得ないのだろうが、そううまくいくものだろうか。

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2006.09.06

近代天皇家と新井白石

 文仁親王妃、男のお子さまご出産、おめでとうございます。

 お子さまの皇位継承順位は、第一位皇太子、第二位文仁親王に次いで第三位となる。たぶん、この順で皇位が継がれていくか、あるいは皇太子の次となるかだろう。
 何年先のことになるかわからないが私はもうこの世にいないだろう。が、この慶事を聞いて私なども日本がそのころまで中国に飲み込まれることもなく存続していたらいいなという仄かな希望を覚える。
 テレビなどから見る日本庶民の喜びのようすは遠い親戚の本家の世継ぎが出来てよかったという気持ちのように受け止められる。もともと日本の庶民にはごく例外を除けば血統意識がなくあっても実際には家名の継続があるだけである。つまり、家の財産のシステムでもある。
 これで皇室典範改正は見送りになるだろうし、一世紀近くは女帝の登場もないということになるのだろう。私個人としては、「極東ブログ: 英国風に考えるなら愛子様がいずれ天皇をお継ぎになるのがよろしかろう」(参照)にも書いたように次第に女帝容認という流れになるかと思っていたが、そうはならないだろう。
 近代日本人は明治時代以降に意味付けられた日本歴史の意識のなかに生きているせいか、天皇家が古代から首尾一貫して続いていたような幻想を持つが、とまでは言ってはいけないか。いろいろ意見もあるだろうから。ただ、紆余曲折はあった。
 ネットを見ると橋爪大三郎の東工大講議「尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学」(参照)のレジメがあり、そこに江戸時代の天皇家について簡素に書かれている。


 当時の天皇家は、山城の国の一領主。法的に幕府の支配下に置かれていた点は、浅野家の赤穂藩と変わりません。もし、天皇を絶対視し、その確認不能な「意志」を自らの志として行動する人間が出現したら? 赤穂義士の場合と同じで、それを肯定するほかないでしょう。幕末には、薩長や水戸藩ばかりか、幕府も会津も、国中が尊皇を旗印にするようになります。そういう雰囲気が、攘夷の主張(外国に侵略されるのは、政治的な正統性が誤っているからだ)と結びついた結果、尊皇攘夷思想→倒幕運動が成功したのです。

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現人神の
創作者たち
 これは山本七平が「現人神の創作者たち」(参照)で示した史観であり、これを小室直樹が受け止めその弟子の橋爪大三郎に影響した。
 この史観についてはこのエントリでは触れないが、この「当時の天皇家は、山城の国の一領主」ということ今回の皇統断絶の危機を救った男児をぼんやり考えながら、新井白石のことを少し考えていた。現代日本人にも新井白石のような合理主義的な考えをする人もいるだろうが、いても、どうしようもないか。いやどうだろうか。
 江戸時代中期の政治家新井白石はその時代、既存の宮家はすでに皇統と縁が遠くなりつつあったこともあり、皇統の断絶を懸念して閑院宮を創設した。ウィキペディアの同項目にはこうある(参照)。

皇統の断絶を危惧した新井白石は、徳川将軍家に御三家があるように、皇室にもそれを補完する新たな宮家を必要との建言により、享保3年(1718年)、霊元上皇から、直仁親王に閑院宮の称号と1000石の所領を下賜された。 こうして、寛永2年(1625年)の有栖川宮が創設されて以来の新宮家誕生となった。

 閑院宮を創設したのが新井白石だ、という表現でよいのか微妙なところがあるにせよ、概ねそう言っていいだろうし、この創設ということはつまり千石の所領を与えるということ。形の上では徳川家が与えたというわけでもないが実際はそう見てもいいだろうから、つまり、閑院宮というのは千石の新藩主に近い、たぶん、かなり。ちなみに私も武家で祖先は江戸時代そのくらいあったかなと思うのでその規模の領主の経世について親近感がある。
 白石の予感は当たり、後桃園天皇は安永八(一七七九)年在位中崩御。二十二歳。子は内親王のみ。女帝を立てず、新設閑院宮家より養子を迎え光格天皇として即位させた。余談だが現在の皇室典範では養子はできない。
 光格天皇についてはウィキペディアより「北摂箕面の春夏秋冬」という個人サイトの「光格天皇についてのメモ」(参照)が機微を簡素に表現している。

(2)傍流から養子に入り女帝に育てられたとか聞きますが?
 後桃園天皇が22才で没した時、皇子がいなかったので、急遽、当時9才の閑院宮師仁親王が、後桃園天皇の養子となって践祚したのが光格天皇です。
 傍系から来たために周りの人々から軽く扱われましたが、母代わりとなって養育した後桜町院が、人から軽ろんぜられないためには学問をしなさいと導き、彼もまた、周囲の軽視をはね除けたい一心で、猛烈に勉強したようです。

 この「一心」がなにをもたらしたかというのも興味深い話題だがそれはさておき、この光格天皇から、仁孝天皇、孝明天皇と続き、明治天皇となる。

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2006.09.04

マヨネーズの正体

 マヨネーズの正体は、卵、油、酢、塩、コショウということだが、ざっくり言えば、それは、油である。作ってみると、げ~それはないんじゃないのというくらい油を使うことがわかる。ケーキを作ってみるとげ~それはないんじゃないのというくらい砂糖を使うことがわかるのと同じだ。あるいはクッキーを作ってみるとわかるけどげ~それはないんじゃないのというくらいバターを入れるのがわかるのと同じだと言ってもいい。人生の真実を少しずつ理解し、なぜ世の中にデブが多いのかがわかってくる瞬間である。なんの話だったっけ。マヨネーズ。

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Multi Chef
スティックミキサー
 マヨネーズは簡単にできる。ただし、バーミックスタイプのハンドミキサーがないとどうだろう。ネットを眺めると泡立て器だけでできるという人がいるし、外人とかでもちょこちょこっとうまく作っている人がいるが、私は小型兵器がないとだめだった。ミキシングに「ウィクス」というのがアタッチできるタイプのミキサーならOKだと思う。
 問題は、マヨネーズの本質が油だということで、まず、原料をカップに入れるとこんな感じ。不味そうとか言うんじゃないよ。

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 まず全卵を一個カップにそっと入れる。黄身がくずれないように。卵は常温に戻しておくのがポイント。これに塩コショウをちょっと入れる。写真がなんかきたないっぽいのは写真がへたというはなしとして塩コショウがそう見えるのだ。
 ほいで、油を二〇〇CC入れる。コップ一杯。つまり、この写真はほとんどが油ということ。油の下に申し訳なく卵が潰れている感じなのだ。
 これをうにょ~っとミキシングするのだが、これにはちょっとコツがある。コツはたぶんミキサーのマニュアルに書いてあると思うのでここでは詳しく説明しないが、最初静かに黄身の部分から混ぜていくこと。混ぜ上がるとこんな感じ。つまりマヨネーズ。

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 これに酢を大さじ一杯程度入れてさらに攪拌する。慣れれば簡単にできるようになる。

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ニッポン全国
マヨネーズ中毒
 まあ、話はそんだけのこと。できてみるとマヨネーズなのだが、その正体はほんと油なのだ。だから、新鮮な卵を使ってますとかよりも油のほうを意識したほうがいい。「ニッポン全国マヨネーズ中毒」(参照)ではマヨネーズについて単に油の取りすぎで味覚が変になるというくらいしか書いてないけど、問題は油の質だと思う。
 マヨネーズ買うなら油の品質で選ぶべき。っていうか買うより作るのを薦めたいけど。

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2006.09.03

岸信介とA級戦犯

 今年の夏は小泉総理の靖国参拝を巡ってA級戦犯の話題をよく見かけた。A級戦犯について私は関心ないとまでは言わないのだが私の関心は昨今の騒ぎとは若干ズレたところにあり、またそのズレについて説明するのも億劫な気がしていた。日本と限らないのだろうが文化戦争(参照)的な状況においては議論は二極化し是非だけが問われがちになる。というより現時点では文化戦争的な枠組みでのA級戦犯議論にあまり意義を感じない。
 A級戦犯についてウィキペディアの同項目(参照)を覗いてみると、当然というべきかあまり情報はない。冒頭はとりあえずは適切な説明であろうと思うが。


A級戦犯(えいきゅうせんぱん)とは、第二次世界大戦の敗戦国日本を戦勝国が裁いた極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人をさす。起訴された被疑者や名乗り出たものを含む場合もある。刑の重さによってアルファベットによってランク付けされたものではない。近年はA項目戦犯という呼称もされている。

 これだけでは曖昧なので補足的な説明が続く。

詳細な定義
極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)の以下の定義
「平和ニ対スル罪即チ、宣戦布告ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。」
を犯したとして、極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指す。

 この記述は当然間違いではないのだが、同種の説明を含めて、このような説明で十分なのだろうかという疑問を持つ。

なお、A級のAとは、同条例の英文 Charter of the International Military Tribunal for the Far East において同条(イ)が (a) となる事に由来する分類上の名称であり、罪の軽重を示す意味は含んでいないが、当該裁判では侵略戦争の開始は一番重い戦争犯罪と解釈され適応された刑も重かった(極東国際軍事裁判の被告人のうち、松井石根は同裁判の判決においてA級に該当する犯罪容疑では全て「無罪」とされており、A級戦犯ではないとする説もある)。

 これも概ね間違っているというわけではないのだろうが、結局のところA級戦犯とは何かというと、「極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指す」という結果論になる。この点はいわゆる左派・右派とも同じ理解が成立しているようだ。
 しかし、どのような基準でA級戦犯として起訴されたについては結果論からはわかりづらい。実際の極東国際軍事裁判においてどのようなプロセスで特定の人々が起訴されたかを考察しないとA級戦犯の意味ははっきりしてこない。結果論として有罪となった人ではなく、どのような人がA級戦犯起訴となったのかがまず事実・歴史認識として問われるべきだろう。
 この点で重要なのは「当該裁判では侵略戦争の開始は一番重い戦争犯罪と解釈され適応された刑も重かった」ということで、実際的には極東国際軍事裁判では戦争開始の決議を導いた責任者がまず問われていた。
 ウィキペディアのこの項目の執筆者たちが先のように記しながら、実際にはこの点ついてそれほど十分に了解していないのかもしれないという印象を私が持つのは、「極東国際軍事裁判の被告人のうち、松井石根は同裁判の判決においてA級に該当する犯罪容疑では全て「無罪」とされており、A級戦犯ではないとする説もある」という補足があるからだ。この補足は不要で、松井石根はA級戦犯ではない。
 松井石根についてはウィキペディアで別項目(参照)があり、そこではきちんと彼がA級戦犯ではないと書かれている。

 松井は東京裁判で起訴されて有罪判決を受けたが、「a項-平和に対する罪」では無罪であり、「b項-戦争犯罪、c項-人道に対する罪」で有罪となったため、厳密にはBC級戦犯である。しかし、世間では東京裁判が日本の戦争犯罪人を裁く裁判として強く印象に残っていること、東京裁判は「a項-平和に対する罪」によって有罪判決を受けた被告で殆ど占められたために「東京裁判の被告人=A級戦犯」という印象が強く、松井石根がA級戦犯であるという誤った認識が浸透している。

 いずれにせよ松井石根はA級戦犯ではないので、仮に靖国神社がA級戦犯を所謂分祀なりをしても彼は該当しないのだろうし、それには逆説的な意味合いを含む。
 キーナン首席検事の起訴状では容疑の対象期間は昭和三年一月一日から昭和二十年までとされているし、実際の裁判過程は広範囲に及び複雑なので、私には強く言う自信はないが、概ね、極東国際軍事裁判は太平洋戦争という犯罪の共同謀議についての裁判であり、実際のところA級戦犯の容疑とは、太平洋戦争の開戦決議に関与する点が問われていたと考えるとわかりやすい。
 同じ意味合いで先月十五日読売新聞社説”[終戦の日]「『昭和戦争』の責任を問う」”で次のように開陳されている議論もA級戦犯容疑をそれほど考慮してなかった印象を持つ。

 また、同じく「A級戦犯」で、終身刑の判決を受けた賀屋興宣蔵相には、日米開戦時の閣僚だったという以外の戦争責任は見当たらない。しかも、開戦には反対していた。

 実際上A級戦犯容疑は、戦争によって日本人や他の諸国の人々に被害を与えたがゆえにその責任が問われる者という倫理的な意味合いより、実際にはもっと形式的で、太平洋戦争開始の決議を導いた責任者がまず問われていると見てよさそうだ。
 この点についての一つの重要なケーススタディとなるのが岸信介である。「岸信介」(原彬久・岩波新書赤368)(参照)では、岸信介の獄中の状況や審問について触れた後、この問題について次のようにまとめている。

そもそもA級戦犯容疑者が起訴ないし不起訴となったその分岐点の一つは、太平洋戦争開始前にもたれた日米交渉(第五章)に関連して対米開戦の国家的意思決定に彼ら一人ひとりがどうかかわったかということであった。いま少し具体的にいえば、当時の最高政策決定機関たる大本営政府連絡会議、とりわけ対米開戦を決定した昭和一六年一二月一日の連絡会議(御前会議)に出席したかどうかが、国際検察局(IPS)の最大の関心事であったということである。したがって、商工大臣岸信介もまたこの点をIPSから厳しく追及されたことはいうまでもない。

 基本的にA級戦犯の容疑の核心は、昭和一六年一二月一日の御前会議に出席したか、ということとしてよいだろう。そしてその文脈での犯罪とは、その開戦の意思決定にどれだけ強く関与したかということになる。
 話が少しそれるが、この開戦の意思決定をおこなったのがつまり政府である。「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)で日本国憲法をあえてベタに直訳したがそこではこの関連がこう描かれている。

and resolved that
 またこう決意した、

never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government,
 その決意は、政府の活動が引き起こす戦争の脅威に二度と私たちが見舞われないようにしようということだ、


 日本国憲法のロジックでは、日本国民は政府の活動が引き起こす戦争の脅威に見舞われたことになっている。そしてこの政府の活動とは、極東国際軍事裁判のA級戦犯を考えると、昭和一六年一二月一日の御前会議の決定とそれに続く活動とするのが案外素直な解釈であろう。太平洋戦争の責任は日本国憲法のロジックでは日本国民にはなく当時の日本の政府にあったことになっているし、この政府とはA級戦犯のことと言えるのではないか。

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