« 2006年8月20日 - 2006年8月26日 | トップページ | 2006年9月3日 - 2006年9月9日 »

2006.09.02

[書評]岸信介(原彬久)

 「岸信介」(原彬久・岩波新書赤368)(参照)は一九九五年に小冊子ふうの岩波新書として出たものなので、その後の研究を含めてバランス良く、かつ研究者以外が読んでも理解できる他の岸信介論もあるのかもしれない。なお本書には「極東ブログ: 下山事件的なものの懸念」(参照)で少しだけ触れたハリー・カーンへの言及は明確にはないようだ。

cover
岸信介
権勢の政治家
 とはいえ同書に優る岸信介論を私は知らない。著者原彬久は「岸信介証言録」(参照)の著者でもあり生前の岸に直接触れていただけあってその人間的な洞察は岩波新書にも反映されている。
 岩波新書「岸信介」は岸の生い立ちから青春期、戦前の満州時代、戦中、戦後とバランスよく描かれている。ただ、今日的な課題からすれば、安倍晋三の祖父というだけではなく、安倍晋三がどのように祖父の意思を継いでいるかが問われるところだろう。
 話を端折るが岸が設立に関わる自由民主党が元来どういう党是の政党なのかというと改憲政党であった。読売新聞”自民党50年 時代と共に変革”(2005.11.22)より。

 1951年9月、吉田首相はサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を締結し、「軽武装、対米協調」路線を明確にした。これに反発した鳩山一郎氏、岸信介氏らは54年11月に「対米自立、自主憲法制定」などを掲げて日本民主党を結成した。55年10月に左右両派社会党が再統一し、危機感を覚えた保守陣営から保守合同の必要性が叫ばれ、自由党と日本民主党が同年11月に合同して自民党が誕生した。党政綱には「現行憲法の自主的改正をはかり、占領諸法制を再検討し、国情に即して改廃を行う」と明記され、自民党は吉田路線の是正という形で出発した。

 なお、この自民党の改憲路線は一九九五年に変更された。河野洋平総裁時代に護憲を掲げる社会党への配慮から、結党以来の党是である自主憲法制定は自民党基本文書から削られたことになっている。
 戦後の改憲への意思は岸など第一世代では強く意識されたものの、実弟佐藤栄作の時代では事実上改憲を遠ざけていた。岸にはこれに強い違和感があり、その先に政治活動への復帰が意図されていたことが同書に記されている。

岸はとくに池田、佐藤両内閣が意識的に「憲法改正」を遠ざけていることにきわめて強い不満をもつようになる。注目すべきは、ここで岸が、「非常に後退した」改憲機運を再び盛り上げるために密かに政権復帰の道を模索したことである。岸はこういう。「もう一遍私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えた」(岸インタビュー)。彼によれば、みずからが再び政権をうかがったのは、昭和四七年に終息した佐藤政権の「次」である。「割合(首相を)辞めたのが早かった」し、「まだ年齢も七〇いくつで元気だった」から、「密かに政権復帰を思ったことは随分あった」というわけである(同前)。

 昨今では中曽根に見られるような老人特有の妄言と読むことができるが、この時代を顧みると図柄にはやや異なった印象が出てくる。佐藤栄作政権後、田中角栄政権が二年ほどで終わったのだが、これを立花隆=文春ジャーナリズム的には、田中政権=カネの亡者の巨悪のように捉えることになっている。が、陰謀論めくという留保を明確にするが、田中後の三木武夫時代の動向を見ると田中の失脚には岸的なものの復権を阻止するという図柄がなかっただろうか。もっともその線を濃く出すならダグラス・グラマン疑惑が先行していたかもしれないのだが、当面は田中の除去もありそこに岸の影もあったのかもしれない。

 しかし、岸のこうした政権復帰への思いが政治舞台に具体的な波紋を呈して現実の政局を動かしていったという形跡はない。

 現在の歴史考察からはそのようになっている。
 岸は田中をどう見ていたか。その前に岸と福田康夫の父っつあんの関係がある。

それよりも、彼が佐藤政権の後継首班として実際に推したのは、福田赳夫である。岸内閣のとき福田に政調会長、幹事長を歴任させ、最後には農相のポストに就けて終始その政調に手を貸してきた岸は、政権を離れてからは岸派を福田に譲ってなお彼を支えてきた。

 岸が後継させたかったのは福田康夫の父っつあんのほうだったというのは、今日では忘れやすいことかもしれない。

その福田が四七年七月の自民党総裁選挙で田中角栄に完敗したとき(田中二八二票、福田一九〇票)、岸の落胆ぶりは、長女(安倍)洋子によれば「見るに忍びない」ものであった(『私の安倍晋太郎―岸信介の娘として』)。

 この「わたしの安倍晋太郎―岸信介の娘として」(参照)の著者安倍洋子は安倍晋三のおっ母さんである。ちなみに、晋三の父っつあん安倍晋太郎は安倍寛(参照)の息子であり、気風は安倍寛に似た印象を持つ。読売新聞”憲法改正は当面考えぬ/安倍氏強調”(1987.10.03)では、総務会長時代の安倍晋太郎はこう言っている。

 自民党の安倍総務会長は、二日、都内のホテルで記者会見し、安倍氏の政権構想では触れていない憲法改正問題について、「党の綱領では自主憲法制定をうたっており、憲法をよりよいものにするという立場から常に勉強し、研究するのは大事だと思う」としながらも、「(改正問題は)現実的な政治のアプローチとしてとらえていかねばならない。例えば(憲法改正を)政治日程にのせるなどと言うべき時ではないと思う」との考えを表明した。

 なんとなく息子晋三が言いそうな雰囲気でもある。
 話を岸と安倍洋子に戻す。田中角栄を岸はどう見ていたか。

 「なぜ田中さんではいけないのか」と洋子が尋ねたとき、岸はこう答えている「田中は、湯気の出るようなカネに手を突っ込む。そういうのが総理になると、危険な状況をつくりかねない」(同書)。


岸は田中を評してこう言う。「僕をしていわせれば、田中は幹事長もしくは党総裁としては第一人者かもしれない。しかし総理として日本の顔として世界に押し出すとなれば、あの行動を含めて、やはり教養が足りない。柄が悪いね。……総理ということになると、人間的な教養というものが必要だ。(岸インタビュー)

 じゃ岸にはそれほど教養があったのかよと脊髄反射的に突っ込みをするとしたら阿呆だ。あったのである。
 ……エントリとしては少し長くなりすぎた。当初、同書の関連で岸と戦犯の問題についても触れたいと思ったが別の機会に。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006.09.01

イランの年代別人口構成を眺めて悩んだ

 評論家田中直毅が最近イランに行き現地の経済学者たちと懇談したという話を朝のラジオでやっていた。これはきっと微妙な形でイラン擁護をぶちかますのだろう。ワクテカ。手品のようなお話かな、と耳を傾けた。
 枕はもちろん昨今のウラン濃縮関連。続いて日本や世界はイランの国内社会・経済を考えましょうと来た。で? イランの経済は国際社会から排除されている、と。ほぉ。それが一九七九年の通称ホメイニ革命後二十六年も続いている。国際決済システムがないし米国の金融も入らない。民間航空機の部品すらまともに買えない。外人向けホテルでクレジットカードすら使えない。ほぉ。でインフレだ、と。そういえばもう十年以上も前だが私がトルコに行ったとき紙幣の数字の桁に驚き、トルコ現代経済の歴史をちらと調べたことがあった。インフレっていうのはすごいものだなと思った。
 イランがインフレだと聞いても発展途上国ってフツーそんなものかなと思っていたのだが、田中が言うにそうではない、と。現代世界では発展途上国のインフレが少ない。世界経済の連動が先進国のインフレ抑制を通じて発展途上国にも及ぶらしい。ふーん。ところがイランは世界経済から隔離されているのでそうはいかず、インフレ率は二十パーセントを上回るらしい。その関連で失業率も高い……で話はよかったか。与太話とまではいかないが、いい味出してきたぞと思っているとちと意外な話に転換。
 ホメイニ革命後イイ戦争があって、イランでは産め世増やせよということだったらしく、出生率が高まったとのことだ。それで現在二十歳までで総人口の半分を占めるらしい。三十歳で総人口の三分の二。すごいな。当然そこに失業問題が直撃するわけか。田中の話はそれからイランの閉じた国内の金融政策に移る。イランでは預金者金利も貸出金利も政府で操作・調整しちゃえということをやっているそうだ。ここは笑いのポイントだよな。とりあえず笑っておこう、ふふふココリコは面白いなと話は終わる。
 田中の話を聞いた後で、なんとなく気になったのはイランの人口構成だ。本当にそうなのだろうか。米国国勢調査局のIDB Population Pyramids(参照)で調べてみた。余談だが、このページで各国の人口構成を見ると面白い。

photo

 米国国勢調査局の今年の推計は田中の話とぴったり合っているわけではないが、大筋合っていると見てよさそうだ。が、グラフを見ていて気になったのだが、十五年くらい前からがくんと落ちている出生率の意味はなんだろ? これはどうみてもイイ戦争(参照)の終わり(正確には停戦)の影響と言ってよさそうだが、戦争が終わると出生率が落ちるものなのだろうか。それとこういう人口構成の国は一般的に今後どういうふうになっていくのだろうかとしばし考え込んだが、わからない。
 田中の話は嘘とまでは言わないが各方面の思惑もあってフカシだろう。イラン経済の現在はもっと微妙だ。端的に言えば、年間六百億ドルのオイルマネーで政府側はじゃぶじゃぶしている。ニューズウィーク日本版8・16/23”間違いだらけのイラン政策”ではこう伝えている。


 テヘラン市内のショッピングセンターに群がるティーンエージャーを見ると少年の髪形は両側を長く伸ばしたダックテールで、少女たちは派手なサングラスにエリオ・ブッチで決めている。若者たちはコーラを飲み、iPodで音楽を聴き、衛星テレビで違法に受信してジェニファー・ロペスやマドンナに熱狂する。

 そんな風景らしい。

 何よりもいいのは、原油価格の高騰による収入増で社会の隅々まで潤っていることだろう。テヘラン市街では、あちこちで高層ビルの建設が進んでいる。

 ニューズウィークとしてはイラン政府がオイルマネーで国民を買収しているというわけだが、じゃあ国際社会はこの国にどう向き合うべきかとなるとはっきりしない。
 他国のあり方について間違っとるとか言うことはできないのだが、どうもイランについてはその人口構成も含めて、なにか基本的なところで考え直さないといえないのではないかという気がすごくする。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.08.31

下山事件的なものの懸念

 安倍晋三政権がほぼ確実という流れになってきた。私は安倍晋三は評価しない。父っつあんの晋太郎みたいにきちんと外交の仕事とかしてきたわけでもないのにというのが理由。つまり評価しようがないというのがより正確。経歴を見るにあまり頭もよさそうでもないが、それを言うなら森喜朗とか鈴木善幸とか指三本とかなので特に言うまい。この間の官房長官としての仕事はというとそう悪くもなかった。経済面での発言などを聞くに、ブレーンの説明を理解しているようではある。うまく人を使える人なのかもしれないが、そのあたりは蓋を開けてみないとわからないところはある。
 個人的に気になるのは、祖父岸の亡霊が出てくるってことはないのかというあたりだ。先日安倍晋三が統一教会に祝電したと左翼っぽい感じの人たちが一部騒いでいたが、率直に言って君たちそんなことも知らないでこれがネタだと思っているのとか驚いた。昭和の歴史が忘れられて久しい光景なのだろう。祝電問題自体はそれほどどうというほどでもないが、それでも関係は続いていたのだろうなとは思った。
 岸の亡霊ということで、なんとなく気になるのは、うまく言葉になってこないが下山事件的なもので、これがまさに戦後の亡霊みたいなものでもある。下山事件自体についてはウィキペディアの項目(参照)に簡素にまとまっている。


下山事件(しもやまじけん)とは、第二次世界大戦敗戦後の連合軍による占領中の1949年(昭和24年)7月5日、時の日本国有鉄道(国鉄)初代総裁・下山定則(しもやま さだのり)が、出勤途中に公用車を待たせたまま三越日本橋本店に入り、そのまま失踪、15時間後の7月6日午前零時過ぎに常磐線・北千住駅―綾瀬駅間で轢死体となって発見された事件。事件の真相が不明のまま多くの憶測を呼び、「戦後史最大の謎」と呼ばれる。また、同事件から立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせて国鉄の戦後三大ミステリーとも呼ばれる。

 近年この事件が顧みられたのは、森達也の「下山事件・シモヤマケース」(参照)がきっかけだろう。当時の報道を見ると、共産党の犯行が示唆される、世間の空気が感じられる。だが、森が改めてこの事件を追っていくと歪曲された目撃証言や事実隠蔽があり、政府首脳や国鉄幹部らの世論誘導があったのではないかというのだ。つまりこの事件はその後日本が反共かつ対米追随路線を取るきっかけとなった、と。森の意図をさらに乱暴に言えば、昨今の北朝鮮脅威論みたいなものはメディアの誘導ではないか、踊らされてはいけない、という主張を込めたかったのだろうと思う。
cover
下山事件
最後の証言
 ところが森のこの著作のネタとなるべき証言者柴田哲孝が翌年「下山事件―最後の証言」(参照)を著した。これが森の著作を補うようであればいいのだが、そう読める部分もあるにせよ、私が見るかぎり異なったストーリーを展開していた。森の見る、政府側の反共・対米追随路線もだが、当時の国鉄売却の攻防から満州史の亡霊を示唆しているのだ。当然ここに岸の存在が浮かんでくる。
 柴田の著作ではさらに驚くべきことに森達也「下山事件・シモヤマケース」の情報誘導まで暴露されており、私はこれまで森達也の著作をある程度信頼して読んできたこともあり、軽い衝撃感を受けた。とりあえず、森達也はボーガスとしていいだろう。
cover
昭和史の
謎を追う
 ここで問題なのは、まず前提として、「下山事件」は他殺なのか自殺なのかということだ。前二著は他殺論に立っている。この他殺論の系譜は松本清張の「日本の黒い霧」(参照〈上〉〈下〉)にひな型を持ち、柴田の著作などを読むと自殺論はありえないかのようだが、史学的には(柴田が集めた証言が考慮されていないこともあるが)秦郁彦「昭和史の謎を追う〈下〉」(参照)でまとめられているように、またウィキペディアのまとめもそうだが、自殺か他殺かわからないとしか現状では言えない。
 歴史の謎としてはそこまでが精一杯なのだが、「下山事件―最後の証言」は他殺論の追求というよりも、当時の日本の政治状況と満州史への闇に考察を伸ばしていき、それが興味深い。思わせぶりな書き方でもあり、柴田自身も未整理なのかもしれないが、事件に深く関係がありそうな亜細亜産業の矢板玄のつぶやきを重視している。

 事件の背後には、大きな三つの流れがあった。莫大な国鉄利権を守ろうとする者。事件を反共に利用しようとする者。大局を見つめ、すべてを操ろうとする者。三者の利害関係が一致した。たまたま三つの流れの合流点に、下山定則という男が存在した。すべては、運命だった。そういうことだ。
 だが、たったひとつだけ、最後まで理解に苦しむ謎が残った。矢板玄が生前に言った、あの一言だ。
「ドッジ・プランとは何だったのか。ハリー・カーンは何をやろうとしていたのか――」

 同書はこのあと、ハリー・カーンの考察を数ページ進めていくのだが、いうまでもなくハリー・カーンについてはジョン・ロバーツらの「軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男」(参照)が詳しい。もっとも、当然というべきか、下山事件とハリー・カーンの関係についてこの書籍が扱っているわけではない。むしろ、下山事件は現状では判断しかねる問題でしかないのに対して、ハリー・カーンが戦後なにをしていたのかという問題はその延長の歴史を生きる日本人にとって重たい課題を残している。ごく簡単にいえば、GHQの施策を逆行させたのがハリー・カーンの一派だということ。これにはサウジアラビアの石油の問題も関係しているし、今日日本国憲法として残されたGHQの遺産が奇妙な形でねじれているのもハリー・カーン一派の影響が大きい。
cover
軍隊なき占領
 そのハリー・カーン一派の日本の政治へのほぼ直接的な関与のインタフェースとして浮かび上がってくるのが岸信介と彼らに関わりさらに韓国を巻き込む諸団体である。このあたりが、冒頭亡霊といった懸念を連想させる。
 しかしことは簡単ではない。ハリー・カーン・プラス・岸であたかも陰謀の根が同定されるわけではないからだ。ここでロッキード事件にやや隠れた形のダグラス・グラマン疑惑が関係してくる。このあたりから私が生きている時代の歴史になるのでいろいろ考えさせられることが多い。
cover
巨悪vs言論
田中ロッキードから
自民党分裂まで
 話を端折ってしまうのだが、立花隆「巨悪vs言論―田中ロッキードから自民党分裂まで」(参照〈上〉〈下〉 )に描かれているように、ダグラス・グラマン疑惑とはハリー・カーンを失脚させるための事件であった可能性が高い。余談だが、当然同じようにロッキード事件を考えることもできそうだが、立花はシンプルに田中角栄を巨悪に置いている。そしてこの構図が以降文藝春秋ジャーナリズムの呪いとなっていく。いわゆる左翼も立花・文藝春秋ジャーナリズムと同じ見解に立っているようだ。
 ダグラス・グラマン疑惑がハリー・カーンを失脚させるものであれば、それを失脚させた側の構図が描かれなくてはならないし、その構図がその後の現在の日本にまで影響してはいるのだろう。このあたりはやや陰謀論的な発想になりがちなので要注意だが。
 参考書が多く、話が錯綜してしまうのだが、もし岸の亡霊というのがあれば、それは一旦大きな挫折を経由し歪んだ形のものではあるのだろう。その一例は可視だが可視ではない部分がどれほどあるのだろうか。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.08.30

バンコク郊外で逮捕された脱北者についてメモ

 先日タイ警察がバンコク郊外で逮捕した北朝鮮からの脱北者についてなんとなく気になっている。見えない部分が多いのでもう少し見えてから、というか考えてから書くべきなんだろうと思っているうちに書く機会も逸しそうなので現時点の感想をメモ書きしておこう。
 話は毎日新聞記事”タイ大量脱北:ミャンマー経由の新ルート、検挙で判明--韓国系NGOが支援”(参照)が詳しい。


タイ警察が北朝鮮からの脱北者175人をバンコク郊外で逮捕した事件で、脱北者が中国雲南省からミャンマーを経てタイ北部に陸路で入国する新たな脱北ルートが24日、判明した。また、その過程で韓国の非政府組織(NGO)が支援していたことも明らかになった。

map
脱北ルート
 ルートは、中国雲南省から陸路でラオスを避けてミャンマーに入り、タイ北部チェンライ県メーサイを経由してバンコクへということらしい。百七十五人全員が一丸となっていたのではないようだ。移動の期間だが一気にということではなく、三年くらい前からパラパラと動いていたらしい。
 脱北者というと命からがら北朝鮮を抜けてと思うしそれで間違いでもないのだが、九〇年代から中国側への難民が多い。ウィキペディア”延辺朝鮮族自治州”(参照)より。

1990年代の北朝鮮水害や旱魃と経済破綻によって、豆満江を超えて中国側に逃れる脱北者と呼ばれる人々が増加し、数万人から数百万人とも言われる北朝鮮の人々が中国や東南アジアに潜んでいると考えれらるが、多くがこの自治州にいると思われ、中国政府が警戒している。

 すでにかなりの難民が中国領内にプールされているのが現状なので、そうした人々への人道的な救済だったのではないかという印象を持った。今回の脱北者百七十五人の構成で、この記事には言及がないが、内訳は女性百三十六人、男性三十九人ということで、圧倒的に女性が多い。子どもも多いらしいが内訳はわからなかった。いずれにせよ女性が主体である。
 経路でラオスを避けるのは地形的なことで特に意味がないのかもしれないが、メーサイが気になる。言うまでもなく、黄金の三角地帯である。このあたりで取れる台湾高山烏龍茶がうまいことは中国茶通なら誰でも知っていることだというつまらんギャグでお茶を濁すが、メーサイの意味はなんなのだろう。
 支援者は記事では韓国の非政府組織(NGO)とあるが韓国のキリスト教団体らしい。そのあたりの背景と国際的なネットワークはどうなっているのだろうか。
 全然関係ないのかもしれないが、横田めぐみさんの拉致事件を題材にした米国ドキュメンタリー映画「アブダクション(拉致) 横田めぐみ物語」を製作したのは、カナダ人クリス・シェリダンさんと妻のパティ・キム(Patty Kim) さん。製作のきっかけはキムさんがワシントンポストで〇二年に拉致事件を知ったからだというのだが、その後の反響には在北米の韓国人のネットワークなりも背景にあるのではないか。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006.08.29

政党ビラ配布の無罪判決、雑感

 夢のハチミツご飯ほどには私には関心のない話題でもあるのだが、政党ビラ配布の無罪判決ついて、これって「地裁判決」かぁと思いなおす。とするとこの先の展開があるのだろう。現時点で簡単に少し触れておいてもいいかもしれない。
 この問題だが、ビラ配りが理由で逮捕し二十三日間も拘束というのは警察の行き過ぎだろうというのに異論はない。総じてこの問題について私はそれほどどうあれという意見はなく、今回の司法判断についても大筋で違和感はない。
 だが、この事件の報道をよく見ていないせいもあるだろうが、話のポイントを表現の自由が守られたとのみするのは、ビラ配りと、それと率直に言ってだが、新聞勧誘に困惑する実際の庶民感覚とはずれているように思えた。そのあたりの庶民的な実感から書いてみたい。
 この問題で当初私が気になったのは「オートロック」の扱いである。今回のケースでは、朝日新聞社説”ビラ配り無罪 うなずける判決だ”(参照)によると、エントランス部にオートロックはなかったようだ。


 判決によると、被告の住職、荒川庸生さん(58)は、オートロックのないマンションに玄関から入り、最上階から順に各戸のドアのポストにビラを入れて回った。配ったのは共産党の区議団だよりや都議会報告などだった。

 単純な話、オートロックがあったらどうだったのだろう。この十年に建築された現在都市部の大半のマンションはオートロックになっていると私は思うので、実際の大半のケースで今回の判決はどういう意味を持つのか理解しづらかった。
 毎日新聞社説”政治ビラ配布 知恵絞り表現の自由守ろう”(参照)ではこのマンションがオートロックでなかったことにはふれていないものの、状況をもう少し詳しく説明している。

被告は1階の集合郵便受けでは他のチラシ類と紛れてしまうと懸念し、各戸のドアポストにビラを投かんしていた。見とがめた住民が110番通報し、急行した警察官が住民の求めに応じて逮捕したという。宅配業者や水道の検針員などを装った強盗、窃盗犯が増えている折、一般的には、他人の住居に立ち入った者が身元を明かさない場合、警察が住居侵入容疑で逮捕するのは無理からぬところだろう。政治ビラを配っていても、偽装工作の可能性を否定しきれないからだ。

 社説としては、身元が不明の場合は逮捕もやむを得ないととしており、それはそれで共感できる。ただ、この問題はまずオートロックとの関係が気になる。同社説では一般論としてオートロックにふれている。

 判決が指摘するように、最近はオートロックシステムなどで部外者を排除しようとする集合住宅が増えており、共有部分は私的領域としての性格を強めている。ビラを配る側も、プライバシーを重視し犯罪多発に警戒心を強める住民の心情を酌み取りながら、無用な疑念やトラブルが生じないように細心の注意を払わねばならない。

 実際のところオートロックシステムは住人が入るのを見計らってついていけば自動的にスルーになるので、セキュリティの機能は低い。むしろ、オートロックの機能は住民の意思表示として見るべきだろう。この意思表示がどのような意味をもつのだろうか。なお、今回のケースでは、該当マンションではビラ配りなどを禁止するとの張り紙があったようなので、明示された意思表示はあった。
 毎日新聞の指摘で今回のビラのありかたが問われている点にも触れておきたい。今回のケースでは「1階の集合郵便受けでは他のチラシ類と紛れてしまうと懸念」したわけだが、その懸念は、「ビラを配る側も、プライバシーを重視し犯罪多発に警戒心を強める住民の心情を酌み取りながら」ということを考慮すれば、あまり肯定できないということになるだろう。政党ビラが他のビラよりも重要であるとマンション住民が判断することはなかった。
 私も沖縄で安い賃貸マンション暮らしをしたことがある生活感覚でいうと、「順に各戸のドアのポストにビラを入れられる」のは、戸口までやってくるしつこい新聞勧誘と同じく、相当に嫌なものである。共用廊下に住民外や配送外の見知らぬ人が歩かれるもの緊張する。先日、知人の家に行ったら、ドアのポストがガムテープで封鎖されていたので、何かトラブルがあったのかと聞いたのだが、火のついたものを投げ込まれる事件を聞いて恐くなったとのことだった。ジャーナリスト山岡俊介はそれで火災になった事件があった。
 住民の意思表示に関連して今回の事態ではマンション住民が直接警察に通報したようだが、管理組合のセキュリティ対策の手順としてそうなったものかも、オートロック問題と合わせて気になる。推測でしかないのだが、管理組合のセキュリティ対策もなかったのではないか。とすると、今回の問題は、オートロックがなく管理組合のセキュリティ対策もないマンションでのみ発生する問題ということになるだろうか。

| | コメント (23) | トラックバック (6)

2006.08.28

夢のハチミツご飯

 なんの意味もない夢の話。でも目が覚めてみるまで夢とわからなかった。
 辺りは夕方である。なんだったか七時以降に用事があるので早い夕飯でもと思い、いつものエスニック屋に行くとまだ準備中。でも戸が少し開いているので覗くと週刊誌を読んでいるオヤジがいて、「おっ、おまえさんを待ってたところだよ、来るんじゃないかと思って用意していたんだ」と言う。にやにやしている。よからぬ雰囲気。ポンテギのアラ不思議風でも出てくるのか。
 「また変なものこさえたのかい」と私。
 「変なものじゃないよ、すごーくシンプルな料理だ」 すごーくの音引きが長い。
 「いただくよ、なんでもいいや」
 「まだ完成してないんだけどね。何かが足りない感じがしてさ。おまえさんの味覚だとなんか言うんじゃないかと思ってね、ほれ」
 出てきてのはただの白いライスなのだが、妙につやっとして、甘い香りがするっていうか……。
 「食えるよ」とオヤジ。
 「いただくよ、ナマステ」
 匙で掬って一口ライスを口に入れる。甘い。少し塩味がある。
 「これ、ハチミツご飯ってことか」とこっちを見つめているオヤジに言う。
 「そう、わかった?」となにやらオヤジは嬉しそうだ。
 「わかったよ、っていうか、わかるよ」
 「甘いだけか?」
 「いや、これね、かなりいいハチミツ使ってるでしょ。でないとこの香りが出ないから」と答えると、オヤジはさらに嬉しそうな顔をする。
 「そうそう、甘さがポイントじゃないんだ、ハチミツの香りがポイントなんだよ」としたり顔。
 「そんな上質のハチミツ使ったんじゃ、また採算合わないよ」
 「ところでひと味何か足りないと思うのだがなんだ?」
 「なんだ、って言われても、俺、ハチミツご飯なんて食べたの初めてだよ。どっかの国の料理なのか?」
 「エジプトだったかチュニジアだった、記憶違いだったか……なにかライスに赤い感じのものがぱらっと降りかかっていたような気もするし」とオヤジ。
 「ナッツかな。コショウってことはないし。ピンクペパーとか合いそうけど、うーん、せっかくの上質のハチミツの香りが消えちゃうしね」
 オヤジもしばし考え込んみ、「あとさ、飯、もうちょっとつやっとした感じなんだよね、油かな」
 「どうなんだろ。ハチミツってさ、あれだよ、なんか酵素があって、飯と炊き込むとなんとかとか言うじゃない」と私。気が付くとハチミツご飯は食い終えている。
 「それね」とオヤジはからっぽの皿を指さし「炊き込みじゃなくて、まぜたんだよ。少し岩塩入れて」
 私も少し考えて言う、「ミツロウ(蜜蝋)じゃないかな」
 オヤジはちょっと目を丸めて「ああ、そうかもしれないな。いやそうかもしれない。あいつらいつもミツロウ付きのハチミツ食ってたしな」と自分の世界に入っていくオヤジ。
 「他に食うものなんかないの?」と私が呼び返す。でも聞いてない。
 「今度ミツロウで作ってみるからまた食う?」とオヤジ。
 「食うよ。けっこううまかったよ。でも、採算に合わないってば」
 ……というあたりで夢の記憶が途絶える。
 目覚めた私は夢の味覚と香りを思い出す。私はけっこう夢のなかで物を食うし、味や香りの記憶をもっている。
 とはいえ、ハチミツご飯なんて本当にこの世に存在するのだろうか。
 朝飯に冷や飯の残りにオレンジハチミツと岩塩をまぜて食ってみた。
 うん、うまいな。だいたい似た感じ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.08.27

無門関第十四則南泉斬猫を愚考す

 洒落たことを書く意図はないが、時折「無門関」(参照)第十四則南泉斬猫を思う。


南泉和尚、東西の両堂が猫児を争うに因んで、泉、乃ち提起して云く、「大衆、道得ば即ち救わん、道得ずんば即ち斬却せん」。衆対無し。泉、遂に之を斬る。晩に趙州外より帰る。泉、州に挙似す。州乃ち履を脱して頭上に安じて出ず。泉云く「子、若し在らば、即ち猫児を救い得たらん」

 古来難関とする所。私はわかったような気がしたことがあるが、今の気持ちとしてはとんとわからんな、いかれてるな南泉、と思うくらい……とまで言い切らないが、これを「異類中行」と呼ぶのであればむかつく。南泉斬猫を喝破し「異類中行」に一喝すべき禅師も日本いなかったじゃねえか。十年前によ。あのときに、いなかった。末法とはかくのごとし。という感じだがこの問題にはどうしようもなく暗いものがある。
 禅の世界ではこの公案にいろいろ言う。だが私はなんか変だな、猫かわいそうじゃんというあたりで抜け目のない州のごとくにはあらず、我もまた泉に叩き斬られる身の上となる。凡夫であるからな。南無南無、とすべきか。ただ私は仏法をそう見なかった。
 私は自然に道元を慕うようになった。南泉斬猫について禅師の語りように優しさを覚えるからだ。「正法眼蔵随聞記」(参照)で、懐弉が如何是不昧因果と道元に問うコンテキストで、道元は南泉斬猫を語り出す。なぜなのか。もちろん道元の答えはおそらくパーフェクトというものだろうが、私は懐弉の心の動きのドラマに惹かれる。彼は私のようにたぶん子猫のことが気になっていたのだ。

弉云く、是れ罪相なりや否や。云わく、罪相なり。弉云く、なにとしてか脱落せん。云く、別別無見なり。云く、別解脱戒とはかくの如を云か。云く、しかり。亦云く、ただしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ。

 漫談を聞いてる趣もあり、なんのこっちゃという感じもするので、長円寺本(参照)を見ると岩波面山本とは違う。ありゃま。「別別無見なり」じゃなくて「別、並ビ具ス」だ。無見をいかに受け取るべきかよくわからんが、仏行と罪相並ビ具スというのはおだやかではないな。というかもともと南泉斬猫がおだやかならざるお話。
 悟りなんぞ私はとんと関心がないのでその辺りはスルーするとして、「ただしかくの如きの料簡、たとひ好事なりとも無らんにはしかじ」がよい。禅師の心の優しさがここにある。いかなる理屈があろうとも子猫を殺すんじゃねえよと。
cover
無門関
 懐弉も納得したのではないだろうか。というか、このメモワールは懐弉の禅師の心根の優しさを忍んだものではないかと私は思う。
 悟りなぞいらぬ禅師がいっらっしゃれば……まさにその禅師のありようが悟りそのものと懐弉に思えたのではないか。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

« 2006年8月20日 - 2006年8月26日 | トップページ | 2006年9月3日 - 2006年9月9日 »