« 2006年1月8日 - 2006年1月14日 | トップページ | 2006年1月22日 - 2006年1月28日 »

2006.01.21

ライブドア騒動、現状の感想

 ライブドア家宅捜索からその経営の実態がわかるにつれ世間でも大きな話題になってきた。現状のニュースからは巨額のマネーを幹部数名で操作していたようでもあることに加え、ライブドア子会社の元取締役で堀江貴文社長側近だったエイチ・エス証券の野口英昭副社長が怪死を遂げたこともあって、ある年代以上の人なら、十年前のオウム真理教事件や昭和六十年の豊田商事事件などをつい自動的に連想してしまうだろう。もちろん、共通点もあり、その共通性が日本の変わらない暗部を示していると考えたくもなるものだ。
 事の推移で私が気になっていることとしては二つあり、簡単に世相に対するログとして記しておきたい。
 一つは、株式全体が暴落といった波及はないものの、そして先日書いたマネックス・ショック(参照)や東証のシステム不備や対応のまずさをさておくとしても、株式市場への影響は自分が予想したより大きかったかなということ。2ちゃんねる創設に関わったひろゆき氏が”小を捨て大を取るためにライブドアを上場廃止にするんじゃないかなぁ。”(参照)という愉快なエントリをあげていたが……。


 昨日、東京証券取引所は注文件数がさばけなくて途中でシステムを停止しました。
 さて、ライブドアの売り注文は2億6000万株とか出ているわけですが、東証が1日に処理できる件数は400万件しかありません。
 単純に計算しても65日かかるわけです。

 釣られるのもブログの醍醐味なので野暮な突っ込みはなしとして、FujiSankei Business i.”上場廃止への不安広がる 売買単位で全市場の3割超”(参照)は、へぇと思った。

 ライブドアの株式数が全市場で流通する株(単元株ベース)の三割超を占めていることが二十日分かった。株式分割による投資単位の極端な引き下げで、多くの個人投資家が同株の取引に参加。同社が上場廃止に至った場合、相場にどこまで影響を与えるのか不安が急速に広がっている。

 我ながら株に疎いというのは情けないもので、二〇〇四年度の株式分布調査では単元株ベースで見るとライブドア株は株式分割の影響で市場全体の三割を占めていたそうだ。すでにある意味では異常事態だったわけだ。とすれば、東京地検特捜部は今回の家宅捜索でなにが連鎖されることは織り込み済みだったのだろう。そして、この事件を契機に、日本の株式の大きな部分が変わることになる。
 もう一点は、エイチ・エス証券の野口英昭副社長の怪死だが、ニュースをよく追ってないのでわからないのだが、メディア的には自殺ということに落ち着いたのだろうか。殺人事件的に考えるとその具体的な手口が想定しづらいのでその分、他殺説は込み入ったものになるだろう。
 気になってそういえばと2ちゃんねるを覗いたら案の定奇っ怪な情報があげられていて、そのわりに基礎的な裏が間違っているというのがわざとかなのか釣られる熊なのか、またこれをネタにふかしブログが政局へ向けて愉快に書いてくれるのか……それもまたネットやブログに求められるニーズというものだろう。かなり詳細に答えられそうな人はなぜか沈黙しているのも問題の複雑さを暗示しているのだろう。
 ブログでは、すでに他殺でしょ警察はちゃんと調べろみたいな息巻きの稚拙なエントリも見かけたが、警察としても言われるまでもないんだけどなであろう。全体構図で見ると、自殺・他殺であれ、機能的には口封じというかある重要な情報は闇に葬られたということであり、さて、その葬られた情報とはなんだったのだろうかということと、本当に情報は埋葬されたのかというあたりの疑問は残る。
 改めて自殺であったのだろうか、とぼんやり思うのは、私は、人はカネでは死なないんじゃないかと思っているからだ(カネたのめで殺すはよくあるが)。いやそんなことはない、人はカネで死んでいるじゃないかと言われそうだが、それはある程度心の病気にまでなったか、他の理由があるからだ。つまり、カネに追いつめられた他の理由というのがけっこう人を殺す。で、その大半というのは、端的に言えば、絶望か、愛情か、だろう、悲しいことだが。
 絶望はカネに結びつかなくても人を殺す。そういうものだ、とりあえず。そして、他面、人というのは愛情というものが確信できたら、死んでもしかたないか、死ぬかということになる。
 エイチ・エス証券の野口英昭副社長が怪死が自殺なら、絶望だっただろうか、愛情だっただろうか、と考えて、気分が悪くなった。愛情のない人間のほうが絶望を超えられるものかもしれない。

| | コメント (17) | トラックバック (7)

2006.01.20

国際連帯税とかトービン税とか

 ライブドア錬金術の要の一つに海外ファンドがあるのだが、この海外ってなんだろねと疑問に思いつつも、この手の話題には深く関心はもたないこととして、と、他になにか心にひっかるなとぼんやりしているとトービン税を思い出し、ついでに昨日だったかラジオで聞いた国際連帯税を思い出した。
 話はちょっと古いのだが昨年十一月二十三日フランスが国際連帯税を決め、今年の七月から実施ということになった。ネットを見るとあまりニュースは残ってないというか、元々それほど国内では報道もされていなかったように思う。が、ロイターぱくりの共同記事”航空券に「国際連帯税」 フランス、来年導入へ”(参照)が残っていた。概要がてらに引用しておく。


フランス政府は23日の閣議で、貧困国のエイズ治療などへの支援資金に充てるため、航空券に「国際連帯税」を課税する方針を了承した。ロイター通信によると、今後、法案を議会に提出、来年7月からの新税導入を目指す。

 税額は同記事では、欧州内のエコノミーで1ユーロ(約一四〇円)ということ。ラジオではフランス国外について、約五六〇円としていた。クラスでも違うのだが、ビジネスクラスやファーストクラスではその十倍になるらしい。つまり、フランスからビジネスクラスで国外に出ると五千円は上澄みで取られて、貧困国援助に寄与できるというわけだ。
 日本国内で国際連帯税を扱っているオルタモンドもこのフランスの決定を受けてであろう、昨年十一月二十九日からブログ「航空券税アップデイト~ほっとけない国際連帯税ブログ」(参照)を開始している。が、それほどたいしたエントリもないし、現状トップに引用という明示もなく産経新聞の記事がベタと貼ってあるが産経新聞と提携しているのだろうか。
 その産経記事にもあるが、今回のフランスの国際連帯税導入で見込まれる収入は日本円にして約三百億円ほど。ちなみに、日本政府が昨年のサミットでエイズなど感染対策として五年間で支援すると約束した額は五千億円。日本は国際連帯税導入に乗り気ではないと言われることもあるが、実際には年間一千億円の支援をすると約束している。国際連帯税導入を日本にもという場合は、全体像のバランスも考慮すべきではあるのだろう。
 で、この国際連帯税だが、昨年のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でまだまだEU憲法が行けると思いこんでいたシラクがぶち上げたものだった。過去記事”エイズ対策の財源 「外為取引・航空券に課徴金」シラク仏大統領が大胆提案”(読売2005.01.28)ではこう。

 講演の中でシラク大統領は、エイズ対策費として「少なくとも年間100億ドル(約1兆300億円)が必要なのに、現状では60億ドルしか集まっていない」と指摘。その上で、必要な財源確保のため、〈1〉外国為替取引に最大0.01%の課徴金を義務付ける〈2〉航空券一枚当たり1ドルを徴収する〈3〉飛行機や船舶の燃料費に一定の課徴金を課す――などの案を示した。

 それなりに約束は果たしたということはあるだろう。
 話を冒頭のぼんやりに戻すと、国際連帯税は昨今トービン税の文脈で語られている。トービン税とは……、とウィッキ先生を見たら、あれ、ない。ないのか、ほんとに。じゃ。これは、ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・トービン教授が一九七一年に提唱した国際的な税のありかたの提言。国際為替税とも言われていたのは、為替の取引に一パーセント未満の税金をかけることで投機マネーを抑制しようとしたため。
 検索しなおすと、オルタモンドに関連記事があった。なんか道に迷って同じところに出てきた感じでもある。とにかく、”altermonde いま、なぜトービン税!?”(参照)が詳しい。個人的には”altermonde トービン税にまつわる10の神話”(参照)に書かれている理屈がネットのリフレ派さんみたいな感じでおもしろい。
 このトービン税(国際為替税)だが、日本では元の主旨どおり九〇年代に投機の加熱をさますために検討されていたことがあったはずだ。十年前になるが、”円高対策 “奇手”続々、実現性は「?」 政府与党、意気込むが…”(読売1995.04.13)より。

 〈トービン税導入〉 ジェームズ・トービン米エール大学名誉教授らが提唱している外国為替取引税の導入構想を支持する声も出始めている。外為取引をするたびに取引高に応じた税金を課せば、短期売買を繰り返すほど負担が大きくなるから投機的な動きを抑制できるというものだ。
 ただ、世界中が同時に実施しなければ、効果が薄いのも事実で、「日本が検討を宣言するだけでは即効性が薄い」(大蔵省)。

 この間、この話はどうなっていたのか知らない。勘違いかもしれないが、導入しておいたら、貧困対策は別としてもそれなりに現在の日本にとって意味があったんじゃないか……とお茶を濁してみる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.01.19

マネックス・ショック

 昨日ボケなエントリを書いているさなか、東証が全面安で売買停止となった。あれま。世の中では、ライブドア・ショックということになっているらしい。ま、それはそうかもしれないんだが。しかし、これはマネックス・ショックでしょ。
 時事としてはロイター”[焦点]信用取引の投げで連鎖安、東証システム問題も加わり予断許さず”(参照)がわかりやすい。


 <マネックス・ショックの余震も継続>
 一部の証券会社が17日にライブドアの株券について、信用取引の担保掛目をゼロとする措置を実施したことも、影響が継続している。マネックス・ビーンズ・ホールディングス<8698.T>傘下のマネックス証券は、ライブドア<4753.T>および同社と関連のあるライブドアマーケティング<4759.T>、ライブドアオート<7602.T>、ターボリナックス<3777.OJ>、ダイナシティ<8901.Q>の計5銘柄の代用有価証券掛目をゼロに引き下げたが、17日の後場に下げが激しさを増したのは、これが要因との見方が出ている。
 17日の朝方は“ライブドア・ショック”だが、17日後場からの下げを“マネックス・ショック”と呼ぶ関係者も少なくない。

 「マネックス・ショック」は狭義には一七日のマネックス証券の信用取引の担保掛目ゼロ措置を指しているが、この記事のように広義にとらえていいように思う。事態の基本的な話は、FPN-ニュースコミュニティ”許されざるマネックス証券”(参照)がイロハから書かれていてわかりやすい。
 ニュースではそのあたりどう報道するのかなと十時のNHKニュースを見たら、マネックス証券の名前は出てこないものの、一応この事態と経緯をそれなりにきちんと取り上げていた。が、新聞報道などではあまりこのスジがはっきりと出てこない。今朝の新聞各紙社説では完全にネグられていた。
 多少扱った例として、読売新聞”ライブドア株、問い合わせ殺到”(参照)はこうなっている。

 一方、ネット証券各社の調査部門は、ライブドアグループに東京地検特捜部の捜索が入ったことから、相次ぎライブドア株の評価を下げた。楽天証券は最高のAから最低のEに。また、マネックス証券は同株の担保価値をゼロにした。

 株の評価を変えるというのと担保価値をゼロにするというのは全然次元の違う話ではないのか、というか、マネックス証券がこういう対処を取らなければ、事態は違っていたのではないか。
 マネックス証券としてもその事態の推測ができなかったのかもしれないし、私もこの措置を十七日の時点で知っていたがこんなランドスライドを起こすとは思ってもいなかった。デイトレの規模はそれほど大きくないし、むしろオイルマネーみたいのがどかんと流れているわけだから大きい枠の運動で決まるだろうなと思っていた。違っていた。
 そういえば当のマネックスの松本大社長のブログの今朝のエントリ”金融列伝 JM その2|松本大のつぶやき”(参照)は含蓄がある。

 JMは金融界の英雄です。本来は近づきがたい存在であるJMと親しくできることに、私はいつも感謝しています。
 今日はとても辛い日でしたが、そんな時に笑顔で現れて、励ましてくれたJMは、文字通り地上に降りた天使のようでした。

 私の勘違いかもしれないのだが、マネックス証券としては今回の措置がまずかったとは考えていないのだろうし、新聞報道などが「マネックス・ショック」をなんとなく避けているのもそれが違法行為でもないという配慮でもあるのだろう。
 代わりに日本の報道では、いや海外でも同じようなものだが、東証のシステムの不備が指摘されていた。たしかにそれはあるだろうが、日経社説”脆弱な構造映した株式市場の混乱”(参照)のユーモアは秀逸だった。

東証は19日以降、取引時間を短縮する一方、証券会社に投資家の注文をまとめて発注することで注文件数を抑制するよう要請した。インターネットを利用する投資家の小口注文がシステムへの負荷を高めていることに対応し、投資家に冷静な判断を促すための措置だが、これといった決め手がないのが実情だ。

 そうじゃないだろ、火に油を注いだんじゃんとか野暮は言うまい。ユーモアといえば……と他にも思うがそれほどたいしたことでもない。
 私は株については塩鮭を持っているだけなので昨今のことはわからなくなったが、株式市場というのは波乱もまたネタだし、今朝の寄りつきはいいんじゃないかとは思っていた。日経”日経平均、大幅反発で始まる・買い戻しの動き優勢に ”(参照)を見るととりあえずはいい。ま、これが終日続くかわからない。
 当のマネックス・ショックについては、特段対応というのもないので、デイトレによいお灸というくらいの話になるのだろう。もっとも、現場にいた人はきつい鉄火場であろうが、株は昔からそんなものでもあった。

| | コメント (16) | トラックバック (3)

2006.01.18

フィナンシャル・タイムズがホリエモンを称える

 またホリエモン・ネタもどうかなと思うけど、フィナンシャル・タイムズ論説”Old guard's revenge”(参照)を読んで、ふーんと思ったのでふーんと書いてみる。ふーん。
 じゃ、話にならないので、印象というか感想をごくわずかに。今回のスラップ・スティックを海外がどう見ているかというのは気になるといえば気になるというかとても気になるじゃんかではある。で、フィナンシャル・タイムズ論説が言うというのだから、気になるわな。なんとおっしゃっておじゃるかというと、ホリエモン、あんさん、偉い、というのだ。フィナンシャル・タイムズがだよ。ふーん。
 理由があるらしい。しかも、三つも。干からびた猿の手のミイラの指を折るように、ひとーつ。


First, as one of its few large-scale successful entrepreneurs, he is an invigorating breath of fresh air in a country where individual initiative and new ideas are too often stifled at birth by hidebound bureaucracy and rigid corporate conformism.

 最初は、だ、ホリエモンは日本に元気をもたらしてくれたじゃないか。みんながんばろう。油絵画家みたいな亀井を打ち負かそう……みたいな。
 二つ目は。

Second, by doing deals that have frequently tested financial market rules, Mr Horie has highlighted the rules' inadequacies. That has provided much-needed impetus for reforms to improve transparency and fairness in Japan's clubbish capital markets.

 ほぉ。そーゆーのは由緒正しい日本語では、噛ませ犬、というのだな。あるいは、肥やし、とかも言うか。偉かった、あんさんのおかげで今日の日があるんや的。
 三つ目が通る。

Third, and most important, his aggressive methods have sent a shiver of apprehension through sleepy managements and challenged them to perform better.

 改革の呪いをあげた……狼煙だったか……ってやつか。
 ……そんな理由で……かどうか知らないがフィナンシャル・タイムズもなんか論旨になってないなボケみたいではあるが、とにもかくにもホリエモンを好意的に見ているよ熱烈というのだけはわかる。カネからカネを作っただけじゃんてことはないとかいうくだりもある。そんなの普通の資本主義でしょ、がたがた言うなということかも。
 にしても、フィナンシャル・タイムズのこの好感というのは、想像するに、該当記者がホリエモンに実際に会ったことがあるからなんじゃないか。ホリエモンというのは、それなりにカリスマな人なんだろう。私は個人的面識はないけど、ワンクッション置いた感じだと、そういうのはひしひしと伝わった。
 でもねぇ。随分と広げたライブドアの風呂敷の端っけに具体的に乗ってみると、つまり私なんぞも顧客になってみると、なんか経営って感じがしないんだよね。という私も、フィナンシャル・タイムズに批判される旧体制側の人間なんだろう。
 ここでちと考えてみるに、勘で言うだけなんだけど、たぶん、フィナンシャル・タイムズの言っているホリエモンの評価は、ボケ、とか日本人が言っても無意味で、外の世界はそういうもんか、と田舎のネズミ的に心得ておくべきなのだろう。
 そういえば、R30さんとこの”ライブドア死すともデイトレは死なず”(参照)でもこう。

 だから、たとえ今ライブドアを潰しても、日本の証券市場では短期売買の方が儲かるという(個人)投資家の信念を変えない限り、第二、第三のライブドアは生まれてくる。ライブドアの存在は、資本市場のプレーヤーの信念と持ちつ持たれつなのだから。霞ヶ関の方面に黒幕な方々がいらっしゃるようでしたら、ぜひそこんとこをよくお考えくださいな。

 ま、それもそゆことではあるんだろう。
 日本も確定拠出年金(401k)的にならざるをえないというか、カネのぶち込み先は株でしょにならざるをえないのなら、長期ホールドの投資の環境ができないといけないのだろうが、そのあたりで、よくわかんないなぁと思う。直接株ではないけど、郵貯の投信とか売れてるし。

| | コメント (3) | トラックバック (5)

2006.01.17

ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを

 あまり気のしないが世事をログするブログとしては昨日のライブドア家宅捜索についてふれないわけにもいかない。
 予想された事態だったかというと、そのスジでは予想されていたのではないか。私は事情通ではないので知らなかった。が、違和感はなかった。昨日夕方NHKが報道のフライングをしたかのようでありそのあたりを疑問視するむきもあるようだが、私はそういう疑問は持たなかった。
 今回の家宅捜索は端的に言ってそれほど重罪というわけでもない。この件で、ホリエモン、豚箱へということはない。
 むしろ当面はメディアを巻き込んだ大げさな見せしめショーだろうし、しばらくまたお茶の間の話題提供だろう。今日は阪神大震災の追悼日、宮崎勤被告判決日、ヒューザー社長喚問といった話題が控えているのでそのカバーかと見るむきもあるようだが考え過ぎだろう。特にヒューザーの件では自民党衆院議員伊藤公介・元国土庁長官の関連が問われるかという期待もあるが、れいのきっこのブログまわりの不発弾拾いくらいだろう。小嶋進社長が耐震偽装の黒幕という線は出てきそうもない。問われるのは彼が偽装を知ってからの隠蔽工作ということで、当の問題の大筋からは早々に逸れているのである。
 ライブドアの家宅捜索だが、問題はなぜ当局がこれほど華やいだショーを演出したのかという意図にある。その華やぎの分だけ陰謀論を誘うのはさけがたい。いくつかメニューをご披露しよう。
 一、ライブドアの株式分割という錬金術に不正がありそうなので解明したい。このあたりの話は、松井証券松井道夫社長が一昨年の時点で”ひと烈伝 松井道夫氏 怒りを力に喧嘩を糧に(日経ビジネス)その1”(参照)が背景としてわかりやすい。どう見てもライブドアです。


 単刀直入を旨とする松井道夫も、この時ばかりは「しまった」と思ったのではないだろうか。ネット証券評議会が9月4日(土)午後に東京・渋谷公会堂で開いた個人投資家セミナー。評議会の会長として講演した松井は、個人投資家に人気のある何社かを念頭において「地獄に堕ちろですよ、これは」と口を滑らせたのだ。
 具体的な社名こそ上げなかったが、この発言を挟んで「株価水準が利益からでは説明できないぐらい高い」「訳の分からない株式分割をする」「投資家心理を手玉に取っている」「市場を自分の財布のように考えている」などと批判したから、会場にいた千数百人の個人投資家の大半はピンときた。
 実際、市場では1対100、1対11といった大幅な分割をして、株価水準を大幅に下げ資金力が乏しい若い投資からの投機資金を招き寄せ、何百億円もの資金を調達しようという企業が目についていた。株式分割の権利落ちから新株発行までの上場か部数が少なくなる局面で大量の自社株買いを仕掛けた会社もある。「株価を何だと思っているのか」と思わず問いただしたくなることが起きているのだ。

 このあたりの全体像については早々に解明が進行している模様。日経”ライブドア、本体でも株式交換偽装か”(参照)より。

 ライブドア関連会社を巡る証券取引法違反事件に絡み、ライブドアも2件の企業買収の際、自社株と買収先企業との株式を交換するとの虚偽情報を公表していた疑いがあることが、16日分かった。同社は03年以降、公表前後に株式分割を繰り返して株価をつり上げ、同社側に残った自社株を売却する一連の不正取引で、少なくとも数十億円の売却益を得たもようだ。

 二、ダイナシティとホンニャラ団関係。正月のラジオだったか対談で、宮脇磊介元内閣広報官が耐震偽装問題など気になる事件の背後に関東に移動しつつある暴力団の動きがあると力説しており、インタビュアーがじゃ何と突っ込むと、今は言えないという珍妙な応答があった。ま、このネタはネットにもころころしているし、お好きな方にはたまらないだろう。ま、そのスジがゼロということもないだろうし。
 三、フジテレビの逆襲。これで晴れて提携がチャラにできる云々。ま、ネタとしてはおもしろいが、フジへの傷手が大きい。読売新聞”ライブドア強制捜査、フジテレビに衝撃…提携に影響も”(参照)より。

 また、フジテレビは2005年9月末現在、ライブドアに12・75%を出資しており、堀江貴文社長に次ぐ第2位の大株主でもある。
 フジテレビは、ニッポン放送争奪戦の和解の一環として、ライブドアによる第三者割当増資を05年5月に440億円(1株329円)で引き受けたが、16日の終値は買値の2倍以上の696円で、今のところは大幅な含み益を抱えている。
 ただし、保有するライブドア株は、ライブドアの同意がなければ07年9月末まで第三者に譲渡できない制限がある。17日以降のライブドア株の株価次第ではフジテレビにも痛手になりそうだ。

 このままいけば莫大な含み損というストーリーにもなるのでそこまでしてやるのか。損得考えようでもある。
 四、コイズミの独裁、飯島秘書官の暗躍、チーム世耕の陰謀……、まぁ、愉快なストーリーをひねってくれ。パス。
 五、ライブドアへの資本の流れを解明。これは楽天についてもいえるのだが、いったい巨額なマネーの根っこはどこなんだろう(棒読み)という話。子細にはふれず。
 ま、そんなところか。
 私としては、五の線ではないかと思っているのだけどね。

| | コメント (15) | トラックバック (20)

2006.01.16

[書評]ハウルの動く城

 そういえば正月「ハウルの動く城」(参照)を見た。いろいろ前評判なども聞いていたのがバイアスになっていて、ちょっと不安な感じもしたが、特に物語り上の破綻もなく、また映像としてもよく出来ていた。ジブリのなかではある意味で一番よく出来た作品ではないかと、言ってみて、ある意味っていうのは、外人が見てということかなと思い直した。

cover
ハウルの動く城
 宮崎駿の作品で一番重要なことは私にしてみると、なんであれ楽しめるかということであり、楽しめるという点では「紅の豚」(参照)に次ぐものだった。なんであれ楽しいではないかと中途まで見つつ、半ばあたりで奇妙に考えこまされた。率直に言うと、この映画の主題は、東京大空襲ではないのか。誰かがそんな指摘をしているか知らない。欧米人もこの映画を評価していただろうから、ロンドンの空爆やドレスデン空爆などの連想があり、その意味で一般的な空爆のイメージでとらえられるのだろう……しかし、やはり、これは、東京大空襲なのではないかと、映像による歴史の無意識へに問いかけが強くなってきた。
 ならば、しかたないな、その線でこの映画のメッセージを解いてみようかという気持ちになった。もちろん、それは私の個人的な趣味にしかすぎないだろうが。
 プロットにはわかりやすい一つの謎が仕組まれている。カルシファ(炎)とハウル(鳥)の謎だ。どのような趣味的な解釈であれ、この謎解きをベースにするしかあるまい。
 スポイラーになるが、謎は……、ハウルの子供時代、天界から地上に落ちてきた星の子をハウルが受け止め、飲み込み、その心臓(ハート)を与えることで星の子は悪魔カルシファーとなりハウルは心臓(ハート)を失う……という関係になったこと。
 言うまでもなく、原作のカルシファー(Calcifer)は、これはルシファー、つまりルシフェル(Lucifer)の洒落である。イザヤ書に「黎明の子」とある(14-12)。

黎明の子、明けの明星よ、
あなたは天から落ちてしまった。
もろもろの国を倒した者たちよ、
あなたは切られて地に倒れてしまった。

 また、同じくイザヤ書の炭火のイメージもあるだろう(6-6)。

 その時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるにふれたので、あなたの悪はのぞかれ、あなたの罪はゆるされた」

 セラピムには鳥のイメージがあるのでこの構図は、ハウルの物語とはネガのような関係になっているが、しかしそれほどの対応ではないだろう。ついでに言えば、ソフィー(Sophie)は知恵であり、知恵はロゴスであり、ヨハネ書の言う、世の始めにいたロゴスに等しい。そして世の始めのエロヒム=神もまた鳥に擬されているのだが、そうした心象の世界は欧米人にはなじみやすいものだろう。
 物語の謎は、ハウルとカルシファーのそのような経緯からすれば、ソフィーがカルシファーに水をかけた時点で終わるべき命が生き延びることにある。これは端的に、ソフィーがハートをカルシファーに与えたことであり、ハート=愛が、物語に奇跡をもたらしたということだ。
 物語の必然は、ハウルがソフィーを愛するがゆえに戦う、死もいとわないという関係のなかで展開することでもある。ここでは戦争が外部性・外来性ではなくなる(逃げる対象ではなくなる)。世の中から戦争というものがなくなればいいのに、というようなナイーブなありかたはない。また、個の倫理性が人を救うというナイーブさも棄却される。愛を知ることは罪を知ることであり戦うことだ。これは多分に戦禍の日本人と日本の兵士を暗喩しているだろう。
 ではどのように戦禍を終わらせることができるのか。ソフィーの愛という奇跡はどのように戦争を終わらせるか。それは、つまり、東京大空襲をどう鎮魂するかという問いかけに変わってくる。
 と、筆が飛躍しすぎて、トンデモない話になってしまったが、私の解釈の図では、日本の戦禍の情念をどう鎮魂し止揚するかということにテーマが絞られる。
 ハウルという戦人は必然的に死ぬほかはなく、空爆も終わることはない。が、奇跡の物語はソフィーの愛(英知=老いのシンボル)によってハウルとカルシファーを再生させた。
 その愛とは、日本の戦後の意味だろう。戦後の日本史のなかにどれほどの愛が打ち建てられたか。その愛だけが戦人を鎮魂し再生の命を生かすということなのだろう。
 もうちょっと丁寧に書くべきなんだが、ま、そんなことを思った。

| | コメント (3) | トラックバック (4)

2006.01.15

[書評]事故のてんまつ(臼井吉見)

 高校生のころ読もうと思って機会を逸したままだった本で、それから三〇年して読むという感じだ。話はノーベル賞作家川端康成の自殺を追ったフィクションだが、かなりの部分は事実ではあるのだろう。内容の紹介がてら帯を引用するが、あまり釣りの文言とは言えない。


72歳で自ら命を絶ったノーベル賞作家の、死の前の半年間を描いて、一生涯抱きつづけていた哀しみの根源をたどり、その人と文学に新しい光をあてた力作中編小説。

 当初雑誌「展望」(一九七七年五月号)に掲載されすぐ単行本として出版(三〇日付け)されたものの、川端家から販売差止めの民事訴訟を受け、絶版となった。臼井が謝罪し、八月一六日、和解が成立した。
cover
事故のてんまつ
 日本文学史研究の上でも貴重な資料ではあるが、「エーゲ海に捧ぐ」(参照)などと同じく、当時ベストセラーとなったこともあり、現代でも古書の入手はたやすく、価格も千円程度である。ネットの古書店でも簡単に見つかるので、気になるかたは読んでみるといいだろう。文学作品として優れているかというと私の結論としては微妙というところだ。傑作ではない。失敗作に近い。個人的にはディアスポラの信州人として信州の微妙な筆致がわかるところは多い。
 たしか小谷野敦だったかと記憶によるのだが、臼井吉見は本書が訴訟沙汰になったことで、事実上文壇から排斥されたと見ていた。私もそういう印象はもっていた。
 少し歴史を振り返る。臼井吉見については、はてなダイアリーのキーワードに年譜があった(参照)。なにかから引き写したものではないかと思うが(文学館であろう)、本書の言及は、当然のごとく、ない。

明治38年
(0歳) ●6月17日、長野県南安曇郡三田村(現安曇野市)田尻の農家に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。

 明治三八年というと「年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版」(参照)を見るとわかるが、一九〇五年である。昨年は誕生百年祭でもあったのだろうが、そういう話題は聞かなかった。本書の初出である「展望」は昭和二十一年筑摩書房の創刊だが臼井は事実上の立役者であり、筑摩書房の創業者古田晁とも中学時代からの友人だった。なにより、臼井は「筑摩」の名付け親でもある。筑摩は私が高校生のときに使った現代国語教科書の出版社であり、臼井はその主編纂者でもあった。筑摩書房が一旦つぶれことがあるにせよ、現在の臼井への事実上の沈黙は意図的なものか、横光利一のようにただ忘れ去られた作家なのか判断は難しい。
 本書が執筆されたとき、臼井吉見は何歳だっただろうか。年表を見て奇妙なことに気が付く。一九七四年に主著「安曇野」第五部完結し刊行したのが六十九歳である。「事故のてんまつ」はその三年後に刊行されるのだから、臼井は七十三歳である。つまり、本書執筆時は川端康成の自殺の歳とほぼ同じであった。
 川端康成の年譜を顧みる。川端は明治三二(一八九九)年生まれである。臼井より六歳年上だ。同時代を生きた二人の作家とはいえるが、年代的には臼井からは川端はかなり年上に見えたのではないだろうか。川端の死の歳を待って書かれたといえば言い過ぎではあるだろうが、臼井にしても七十年の人生経験の一つの決算のありかたではあっただろう。
 川端康成が自殺したのは、昭和四七(一九七二)年四月一六日。満で七二歳だった。はてなダイアリーのキーワード川端康成をのぞくとやや奇妙なことが書いてある。

1968年にノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺から、ガス自殺した。73才だった。

 三島由紀夫の割腹自殺は昭和四五(一九七〇)年十一月二十五日。葬儀は翌年一月二十四日になされたのだが、この時の葬儀委員長は川端康成だった。川端が文学界の長にいたということよりも、文学美学の志向において三島由紀夫は川端康成の事実上の弟子を任じていたことが大きいだろう。川端もそれを認めてはいただろう。そして当時の文学界的には川端の死は三島の死の翌年という雰囲気はたしかにあったことだろう。
 ここで話が少しそれるのだが、川端は三島をどう評価していただろうか。どちらも文学的な資質は病者に近いものがあり、そのあたりで川端は三島を認める感じはあっただろうが、案外三島は文学の体をなしていないと見ていたかもしれないと思う。そう思うのは、私が今年四九歳になるからだろう。
 三島由紀夫は大正十四(一九二五)年生まれ。私の父は大正十五年、吉本隆明は十三年生まれ。私の父の世代になる。三島由紀夫が自死したのは四五歳。そして、今の私からすると、まさしく彼の文学は青年の文学の延長でしかないように見える。たしか、三島は川端を評するおり、川端のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」の仏界・魔界から魔界入りがたしを引いて魔界の人だとしていた。存外に三島は川端ほどの魔人ではない自身への焦燥のようなものがあったのではないかと思う。余談ついでだが、三島由紀夫が埋葬されたのは一月十四日。四十九日が過ぎたその日であるが、この日こそは三島由紀夫の誕生日であった。埋葬される日を自分の誕生日から逆算して自死したしたたかさは、今の私にしてみると狂気的な思想というより、やはり特異な不達・焦燥感だったのではないか。
 本書に関わるが、魔人川端の死はどうであったか。臼井の描写の前に、たまたまであるがネットで伊吹和子の「川端康成の瞳」(参照)を見つけた。このようなものが公開されているとは驚いた。伊吹証言は分断的には臼井証言と表裏をなすものでもある。

 昭和四十七年四月十六日の日曜日、北鎌倉の東慶寺で、その年の田村俊子賞の授賞式があった。毎年、命日であるこの日に、お墓のあるこの寺で行われる式である。北鎌倉の駅から境内に至るまで、桜、連翹(れんぎょう)、桃、木蓮等々の花が咲き満ち、青々と晴れ渡った空がひときわうららかであった。
 式の後、同じ墓地にある高見順氏のお墓にも詣で、帰りに川端先生のお宅に寄ろうか、と思っていると、同じ授賞式に出席しておられた立原正秋氏と、宇野千代氏とに呼び止められた。


 先生の急逝を聞いたのはその夜遅くであった。
 編集長の指示で、サイデンステッカー氏と同乗した車で駆けつけると、顔馴染みの福田家の女将さんが、泣きながら案内して行き、先生の顔にかけられた白布を取ってくれた。
 先生は、白い布の中で眠っておられた。はっと声を呑むほど安らかで、幼児のようなあどけない寝顔であった。父の死を見た七歳の時以来、私はどれほど多くの死顔に逢っただろう。しかし、こんなにうつくしい、こんなに穏やかな死顔は初めてだと思った。
 十八日の密葬の時、私は例によって出版関係の人達と一緒に、雑事を手伝っていた。


 何日かして会社の人が、不思議な経験をした、と私に話をした。彼は鎌倉に住んでいるのだが、あの日曜日、七里ヶ浜の先まで魚釣りに出かけていたそうである。「輝くほどよく晴れた青空だったよね」と彼は言った。私が立原氏の庭から眺めた空のことである。
「そう、そうなんだよ。波も穏やかでね、いい気持で岩の上にいて、夕景になって江の島の方を見たら、美しい雲が光って、こんなきれいな夕焼け雲は見たことない、とびっくりしたんだよ。そしてしばらくしたら、急にその雲が赤紫とも茜色とも、何とも言えない色に変って、風がざあっと吹いたと思ったら、何百とも知れない千鳥が、どこからか一斉に飛び立ったんだ。それが、発表された川端先生の死亡推定時刻に合うんだよ。あの時なくなったんだと、僕は思いますね……」

 この描写に嘘があるとは私は思わない。むしろ、その美の光景は決定的なものだったかもしれないと思う。江藤淳が評論「小林秀雄」で、若い日の小林秀雄の自殺前の遺書のような詩文を読解していくのだが、小林が自死に至らなかったのは、海が美しくなかったからだ、という部分を強調していた。ある種の若い感性なら説明するまでもないが、美しい光景があれば死ねるものでもある。
 本書は、俗に言うなら、川端の自死の原因は、若い女性への恋慕の敗北によるとするものだ。初読後、私が思い浮かんだ言葉は「ツンデレ」であった。自分がいかれているなと思うが、そして、「不幸萌え」が接いだ。冗談のようだが、たぶん現代の若い人が本書を読めば、ツンデレ論と不幸萌えになるだろう。不幸萌えっていうのが現代にあるかどうかわからないが。
 「事故のてんまつ」の事故は川端の自死だが、「てんまつ」は本書の主人公でもある十八・九の女性に川端が不幸萌えを起し、自滅したと言えるように思う。とこなれない表現でいうのもなんだし、さらに話がお下劣になるのだが、2ちゃんねるなどを以前見たとき、ブス専というのがあって、考えたことがある。ブス萌えというのがあるのかどうか知らないが、美人でなくても、ある若い女性の不幸な境遇に萌えてしまうという心性がある。これはただ萌えて思慕するというのではなく、その女性が不幸に耐えてツン状態であるのに、いじいじと心理的に虐待的に接することで萌えてしまうという……とんでもない心性だ。この心性については、もう少し議論もできるが、まあ、そういうものなんだろうなと思う。私にはこの心性はそれほどないが、宇多田ヒカルの最近の歌にある種不幸萌えの美を味わうことはある。
 臼井吉見にはこの感性はほぼない。そのため、主人公のツン的心性にそのまま乗っかってしまっい、「眠れる美女」と「片腕」(参照)をばっさりと捨てている。臼井は冷徹な批評眼からその近似に接近したものの、その魔の領域を文学的に仕上げることなく評論の擬態をしたために本書は社会的に失敗したのだろう。
 臼井の眼は内的な了解は伴わないまでも事態を正確に見ていた。彼は山口瞳をこう引用していた。

……最後まで少女と心中したいと言っていたのは、冗談ではなく本音であり、それ以上強い願望であったと思う。私は川端さんの自殺の真因は、誰かに失恋するとまでは行かなくとも、少女と戯れることの出来なくなった肉体の衰えに絶望したのではないかという気がしてならないのである。

 山口には山口なりのもう少し思いがあっただろうし「わたしの読書作法」(参照)なども考慮されなくてはならないだろう。ただ、山口は魔人ではなかった。
 本書では、川端の自死の事件から川端康成という文学者の内面に接近しようとして、慣れもしない奇妙な精神分析論のようなものも出てくる。この議論、石川啄木に関わるもので、私も思うことはあるのだが、本書の批評方法論としては、失敗している。
 あと、二つの事項をメモしてこのエントリを終わろう。一つは、川端康成の都知事選応援の話はもう少し深い子細があるように思えた。もう一つは、川端康成の妻への臼井の考察だ。臼井は川端康成の年譜に夫人とのなれそめの経緯が十分にないことに疑問を感じている。が、この点については、川端の死後、秀子夫人による「川端康成とともに」(参照)である程度明かになっている。ネットを見ると、”川端康成「新婚時代」を歩く”(参照)という記事もあり、これを見れば、誰もがあることに気が付くだろう。
 臼井吉見が亡くなったのは昭和六十二(一九八七)年、八十二歳。しかし、昭和五六(一九八一)年、七六歳のときに再発した脳血栓で左半身不随となる。この時点で文学者の生命は絶たれていたに等しいだろう。幸い「獅子座」は二部まで執筆できた。そういえば、私はこの作品も読んでいない。人生の宿題を思い出す。
 川端秀子が亡くなったのは、二〇〇二年九月九日。九五歳。その長命は川端康成が残した最強シールドであったといえば皮肉な言い方になるが、それはそれとして川端康成が示した愛のインカーネーションでもあっただろう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2006年1月8日 - 2006年1月14日 | トップページ | 2006年1月22日 - 2006年1月28日 »