« 2006年7月9日 - 2006年7月15日 | トップページ | 2006年7月23日 - 2006年7月29日 »

2006.07.22

米産牛肉輸入再開、雑感

 米産牛肉輸入再開がこの二十七日に決定された。これに昨日ラジオで聞いた話を含めて少しメモ書きしておきたい。
 米産牛肉輸入再開については今日付の読売新聞”米産牛肉、輸入再開27日決定…現地査察「問題なし」”(参照)にこうある。


 BSE(牛海綿状脳症)の特定危険部位である背骨の混入で米国産牛肉の輸入を再停止した問題で、農林水産省と厚生労働省は27日に輸入再開を正式決定する方針を固めた。
 両省が米国に派遣していた調査団が21日、日本向け食肉処理施設35か所の現地査察を終了し、再開に向けて深刻な影響を与える違反などが見つからなかったためだ。

 背景にはいろいろ議論があったがこのエントリではそこは触れない。
 国内的にはというべきかネットの風景ではというべきか、米国牛肉への不信は大きいように見受けられる。反面カナダ牛の問題への指摘はあまり見かけない。ニュースはあった。十四日付けCNN”カナダで7例目のBSE感染牛を確認”(参照)より。

カナダの保健当局は13日、同国内で7例目の牛海綿状脳症(BSE)感染牛を確認した、と発表した。同国西部アルバータ州の乳牛で、生後50カ月。カナダ食品検査庁(CFIA)は、感染牛の処理は確実に行っており、食用や飼料用に混入することはないと述べている。

 カナダの牛は米国民も食べるため、生後三〇か月以下の牛や牛肉の輸入に限定されている(日本は二〇か月)。
 メキシコ産牛肉や中国産牛肉について現在日本では規制がない。BSEを含めた実態がよくわからないのだが、なによりその総量や流通が素人の私には見えない。
 というような関心を持っていたのだが、庶民感覚として例えば私が食べる牛肉は全部といってほどオージービーフである。その国内市場の実態がどうなっているのか気になっていた。
 ラジオの話の受け売りなのだが、日本が米国産牛肉を禁止する以前の二〇〇二年度時点の輸入牛肉については、四九パーセントがオーストラリアで、四五パーセントが米国であったようだ。この比率は薄ら私の記憶にもあり、だいたいフィフティ・フィフティなら米国経路を潰してもなんとかなるのだろうと思っていた。と同時に当時、オーストラリアではこれを機会に日本向け牛肉を増やすべきか悩んでいたという話も聞いていた。あの時点では、オーストラリアとしては日本の米国牛禁止が短期的なものであると想定したらしく、増産の体制を取るのが恐かったようだ。それでも今考え直すと、ある程度の余剰はあったのだろう。
 その後米国産牛肉はゼロとなり今日に至るのだが、二〇〇五年度ではオージービーフが八八パーセントにまでアップしたらしい。これは生活実感にも合っている。逆に言えば、大丈夫かメキシコ産牛肉・中国産牛肉という懸念は一二パーセント内の問題だということになる。それほどたいしたことはないとも言えるし、あるいは流通経路が特定されるのかもしれない。
 オージービーフについては、結局この三年間で徐々に増産体制に切り替えたということになるのだろう。日本側の対処は意外に巧妙なものだなという印象を持つ。
 これで今回米国産牛肉輸入解禁となるのだが、これをオーストラリアがどう見ているかというと、かつてフィフティ・フィフティ状況の再現という予想はなく、それほど脅威とは見ていないようだ。それなりの市場調査の上での予想なのだろうが、これも日本の庶民生活の実感としてはそうなるように思える。ということは、今回の米国産牛肉輸入解禁は日本の市場全体からするとごく名目的なものだろうし、日本が米国産牛肉の市場となるのはかなり先のことになるのだろう。
 国産牛肉はどうなっているのか? よくわからないのだが、輸入牛肉八八パーセントのオージービーフは国産牛肉を含めても五〇パーセントを超えたそうだ。ということは、二〇〇二年時点と二〇〇五年時点の国内牛肉マーケットが同じなら、この間国産牛肉は若干の伸びにとどまったということだろうか。これも庶民的感覚でいうと、高級肉が国産という棲み分けの期間だったような気がする。
 特に話のオチもないのだが、表向きのこの間の米国産牛肉の禁止というのは、BSE問題がというより、牛肉市場の構造変化のための猶予期間だったんじゃないかという印象もある。

| | コメント (6) | トラックバック (4)

2006.07.21

昭和天皇靖国参拝発言、雑感

 昭和天皇靖国参拝発言について簡単に思うこと書いておきたい。最初に疑問に思ったのは、この文書の出現の経緯である。私が見た最初の報道は日経”昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ ”(参照)であり、それには次のように「日本経済新聞が入手した」とある。


 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。

 その後、朝日新聞”昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀”(参照)でも見かけ、ネットで読む分にはこちらのほうが記事の量は多い。が、出現の経緯について触れていなかった。富田朝彦氏の親族からどのように報道機関に流れたのかについてジャーナリズムは沈黙しているように思えるのが訝しい。あるいは経緯の報道はすでにあるのか。
 内容からはすぐに「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」(参照)を連想する。寺崎日記に描かれる昭和天皇像と齟齬もなく、またかねて徳川義寛・侍従長が発言している主旨(参照)とも齟齬がない。
 今朝の産経新聞社説”富田長官メモ 首相参拝は影響されない”(参照)にあるように説としては想定されていたことではあった。

 天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。

 その意味で今回の史料は後者の説を補強することになるだろうし、恐らく昭和天皇自身の言葉であろうと推測される。
 が、寺崎日記が出現した経緯を思い出していただきたいのだが(というあたり知らない世代もネットには多いのであろうが)文藝春秋が発掘から発表までの経緯の責を担った。そうすることで史学対象になりえた。同じふうに考えれば、今回もこのメモの全文が最初にきちんと提示されなくてはならないだろう。
 実際史料としてみるとやや奇っ怪な印象を受ける。以下、検討に必要なので画像を掲載する。
 先の朝日の記事で見たオリジナルは以下のように提示されていた。

photo

 産経新聞”昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感 ”(参照)掲載の全体写真を見ると、この部分だけメモに貼り付けていることがわかる。さらに、朝日新聞の掲載部分がトリミングされていることがわかった。

photo

 天皇の発言とされる文脈が知りたいのでネットを探すと、以下のようである。

photo

 朝日新聞がトリミング・アウトしたのは次の文章のように読める。


前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言.
=奧野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも.

 これに朝日新聞のトリミング「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」が続くのだが、全体の文脈が掴みづらい。
 こうした文書はきちんと全体が校訂され、歴史学者の基礎的な検討が入ったのち、史料として提出される類のものだと思える。
 今回の事態で、さらに二つほど違和感を覚えたことがある。一つは、連想される寺崎日記の位置づけだ。今朝の読売新聞社説”[A級戦犯合祀]「靖国参拝をやめた昭和天皇の『心』」”(参照)に驚いた。

 90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で、昭和天皇は松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。

cover
昭和史の謎を追う
 このくだりがあたかも史実のように語られているのだが、寺崎日記の背景を読売新聞社説子は知らないのだろうか。この件について関心のあるかたは、「 昭和史の謎を追う〈下〉(秦郁彦)」を一読されたい。
 とはいえ、読売新聞社説が引用した有名な箇所はおそらく昭和天皇自身の考えを反映していたとは言えるだろう。つまり、彼は三国同盟について疑念とある種の怒りを持っていたようだ。特に寺崎日記では松岡洋右に厳しい。

松岡は二月の末に独乙に向かひ四月に帰ってきたが、それからは別人の様に非常な独逸びいきになつた。恐らくは〈ヒトラー〉に買収でもされたのではないかと思はれる。


一体松岡のやる事は不可解の事が多いゝが……彼が他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない

 今回の富田長官メモもその系統にあり、であれば、A級戦犯がという問題より、昭和天皇の私人としてこの特定の人物に対する忌避の強い思いと読むほうが妥当に私には思われる。 そのあたりが二点目の違和感だった。
 いずれにせよ、この天皇発言とされるものについては、歴史学者の検討が含まれた、まとまった書籍なりで読んでから考え直してみたい。

| | コメント (74) | トラックバック (13)

2006.07.20

東京が世界の中心なのかも

 「東京が世界の中心なのかも」とか書くと釣りですか失笑とかなりそうだが、今週のニューズウィーク(日本版)7・26”さあ新メガロポリスの時代へ”を読むと、そんなことを考えさせられた。極東ブログ的な関心のスレッドで言うと、「極東ブログ: 進展する世界の大都市化」(参照)に続く。
 中心というのが最大規模を指すなら、「東京が世界の中心なのかも」ではなく、マジで中心としか言いようがない。先の記事の話から見るとこうなる。

ボストン・ワシントン・NY   5480万人
大東京圏  5470万人 
上海・南京   5050万人 
欧州低地地帯  5000万人
大ロンドン圏  4910万人 
シカゴ・ピッツバーグ  4500万人 
大ソウル圏  4300万人 

 ボストン・ワシントン・NY圏に東京が微妙に負けているけど、ほぼ同格だろう。地域的に見れば、日本の場合、これに中部日本(大阪・名古屋)3610万人がほぼ隣接するのだから、最強と言っていいのではないか。もっとも、大阪ですかの溜息は「極東ブログ: 夕張市自治体破綻、雑感」(参照)とか見るとあるが。
 それにしても、地方がなんだかんだとか言っても結局日本は大東京に国の人口の半分近く集約したことで、事実上最強のシフトを固めていた。傍の国から見ると、恐ろしい国だなという感じがするのではないか。ちょっとノドンを打ち込んでみたくなるくらい。この大東京で足りないのは、消費と若い人の活力か。でも、爺・婆パワーがそれを十分に補って席巻したりして……いや、これも案外マジで。日本人訳もなくみたく長生きしているし。


 日本は国というよりも、大東京圏を中心につながり合った巨大都市圏のようだ。地図を見ていると、日本の三つの主なメガロポリスが、人口1億人以上の巨大な一つのメガロポリスに思えてくる

 日本はこれから人口縮小にはなるが、クリティカルな領域にすぐ突っ込むわけでもないので、二十年スパンでこの構造が維持できるだろう。
 ニューズウィークの記事の議論のほうに戻ると。

 中国の経済は急成長しているが、繁栄しているのは国全体ではなく上海など東部の一部地域だけ。同様に、インドでハイテク産業が栄え、雇用が増えているのは、主にバンガロールからハイデラバードまでの限られた地域だ。
 世界の繁栄の原動力となっているのは国ではなく、活力に満ちた地域といっていい。

 この地域のようすがわかるように経済力を高山に見立てた地形図ができてそれが記事にも掲載されているのが非常に面白い。

 そこで私たちは新メガロポリスの世界地図を作ろうと考えた。人工衛星がとらえた画像を見れば、宇宙から見える地表の光で各地域の輪郭はわかる。そこに、人口や経済力などのデータを盛り込んで地図を作った。

 この地図は記事には一部掲載されているがネットにはないものか?
 いずれにせよ、世界の実態というのはこういうことなのかというのが一目でわかる。
 数字からは突出と地域内の分散がよく見えないが、例えば大ソウル圏といっても突出はなく実は韓国(南朝鮮)をほぼなだらかに覆っている。また、大ロンドン圏などもそれに近い。突出した集約度からすれば東京がダントツである。
 中国については、この一部の繁栄は他の部分の労働の流入で成り立っているのだから、それだけまだまだ余力があるともいえるし、それってマジこいて問題ではないかとも言えるかもしれない。いずれにせよ、国の割で考えていくと見えないことは多くなってきている。
 こうした巨大都市がイコール繁栄と消費かというとそのあたりは難しい。記事ではつまらんオチが付いているが本質的な問題というか、日本への課題でもあるのは、巨大都市が未来の富を産む構造になっているかということだ。
 「文化の中心地」みたいな与太話はさておき、新しい産業構造やエネルギー問題にこうした構造がどう対応するのだろうか。
 それ以前に、日本人がほぼ自覚してないのにこんなものを作り上げる日本の底力というのは、さらにその慣性というか延長として、何をもたらそうとしているのか。もしかして、出会い?

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2006.07.19

パロマ湯沸かし器死亡事故、雑感

 パロマ湯沸かし器死亡事故についてよくわからないのだが、存外に世間の話題になっているようで、新聞の社説でも取り上げられるようになった。この問題について私は特に考えもまとまらないが世相のブログということで少しだけ雑感を書いておこう。
 いつからニュースになったのか、とりあえず今回の世相面での表出の発端を見ると、十四日の経産省の発表のようだ。十四日付け時事”パロマ製湯沸かし器で15人死亡=CO中毒、事故原因を究明へ-経産省”(参照)あたりがネットから見える最古の記事のようだ。


 パロマ(名古屋市)が販売した瞬間湯沸かし器4種で1985年から2005年までに一酸化炭素(CO)中毒が17件発生し、15人が死亡していたことが14日、経済産業省の調べで分かった。同省は、パロマと機器を扱うガス事業者に対し、当該機種のほか類似3機種の点検の実施と原因究明を指示。他メーカーでも同様の事例がないか調査に乗り出した。

 私がこの時点でなんとなくラジオで聞いたのは、被害者遺族の疑念追求の話だった。そのあたりはどうなっているのかと調べ直すと十五日付けの読売”「パロマ」事故多発判明、母の執念による再捜査が契機”(参照)が見つかった。

 「息子の死の真相が知りたい」――。パロマ工業製ガス湯沸かし器で一酸化炭素中毒事故が多発していることが発覚するきっかけは、今年3月、ちょうど10年前に起きた死亡事故を巡って、息子を失った母親が警視庁に再捜査を依頼したことだった。

 一遺族の問題提起が今回の話題の発端になっていたようだ。毎日”パロマ 無念の10年なぜ今ごろ 遺族の怒り捜査動かす”(参照)にはもう少し詳しい話がある。

 東京都港区のマンションで一人暮らしをしていた敦さんが死亡した当時、健二さんは警視庁赤坂署から死因について「心臓発作ではないか」としか聞かされていなかったという。今年になって、息子の友人の勧めもあり、当時の監察医務院の医師に問い合わせたところ、「死因は一酸化炭素中毒。それも考えられない濃度。事件性がある」と教えられたという。
 今年2月から3月にかけて警視庁に原因究明を訴え出た。再捜査のきっかけだった。
 健二さんは「警察は10年前に事件性を把握できたのではないか。なぜすぐに捜査をしなかったのか納得がいかない」と批判。

 当時に気が付かないものだろうかと疑問に思っていたが、中日新聞”母の思い通じ再捜査 パロマ製ガス湯沸かし器事故”(参照)にはこういう情報がある。

 1996年3月、松江市の自営業山根健二さん(57)の長男敦さん=当時(21)=が東京都港区の一人暮らしのマンションで遺体で発見された。ギタリストを目指し高校中退後に上京。仕事も軌道に乗った矢先の訃報(ふほう)だった。赤坂署は死因を「心臓発作」と説明。発見が死後1カ月後ということもあり、母の石井聡子さん(53)は敦さんの顔を見ることができず「母として息子に申し訳ない」と後悔し続けた。

 遺体が発見されたのが死後一ヶ月後。このことが警察の対応のまずさに影響していのかもしれない。しかし、検視はきちんとされていたようだ。

 それから10年が経過した今年2月、悩んだ末「息子の写真を見たい」と署に問い合わせた。同時に監察医務院の医師にも連絡をとると「通常では考えられない高濃度の一酸化炭素中毒だった」との説明を受けた。「息子は病死じゃない」。署に何度も電話をかけ、真相究明を訴えた。

 この事件について言えば、明白に警察の落ち度と言っていいだろう。
 ここで少し考えるのだが、この事件は、死者二十人と言われる今回のパロマ湯沸かし器死亡事故発覚のきっかけであって、その事件の中心部分ではないのかもしれない。死者が集中しているのは一九八五年から九〇年製造の機器のようだ。毎日”パロマ事故 85~05年に27件、20人死亡…会見で”(参照)とある。

パロマは14日、80年から89年に製造した屋内設置型の「半密閉式瞬間湯沸器」4機種で17件の事故が発生し、15人が死亡したと発表していたが、その後の調査で、同じ機種から新たに秋田、福岡など5都道県で10件の事故と死者5人が判明した。これで事故は8都道府県に拡大した。

 事件発覚のきっかけになった山根敦さんの事故は一九九六年だが、この期間の機種だったのだろうか。
 この事件は現状考えられているよりもっと裾野の広い問題を秘めているのかもしれないと思った。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2006.07.17

3+2×4をどう読む?

 学力低下問題に関心ないとか言っておきながら昨日のエントリの続きのような話。今度は算数。産経新聞”3+2×4=20? 四則計算、小6の4割誤答”(参照)で、標題のような誤答をする生徒が多いという話題。


 一貫した論旨の展開や数学的な思考が苦手な小中学生が多いことが14日、国立教育政策研究所が実施した学力テスト(特定の課題に関する調査)の結果で明らかになった。「3+2×4」(正答は11)という基本的な四則混合計算では小5の3分の1、小6の4割強が誤答し、深刻な計算力不足がうかがえる。国際調査で学力低下を示す結果が相次ぐなか、現在進められている「ゆとり教育」(現行の学習指導要領)の見直し作業にも影響を与えそうだ。

 新聞的にはだから困ったもんだという話なのだろうが、私は、「3+2×4」をどう読ませているのだろうかと疑問に思った。昔、家庭教師をしていたころ、数学が苦手な子に数式の読み方を教えたことがある。読めないものはわからないというところで学習がブロックしているように思えたからだ。
 数式には意味がある。意味があるものは文章で表現できる。だから、「3+2×4」も読み下せるわけである。漢文と同じ。読み方も漢文と同じで、白文素読と返り点などを付けて読み下すかであろう。
 で、「3+2×4」を、「3・たす・2・かける・4」と読み下すと間違い。読み下しだと、「3・に・2・かける・4・を・たす」であろう。読み下すことができれば計算はできる。というか、読み下しでパージングも行われる。ちなみに、なでしこ(参照)で「3に2掛ける4を足して表示」とやったら落ちた。
 では白文素読的に読めるか?読んでよいのかとなると、よくわからない。
 いずれにせよ、教育の場では、数式を読み下しさせればいいのではないか。「3+2×4」を「3・たす・2・かける・4」という読み下しで子供が表出すれば間違いのプロセスが明示される。読まないでいると、思考のプロセスがわからない。
 ただおそらく、数学ができる子とそうでない子の差は、こうした数学という言語をそのまま、英語のように外国語として理解する能力なのではないか。ジョン万次郎が作った英語の教科書を見たことがあるが、英文に返り点などがついていた。そういう教育もありなんだろう。
 話がずっこける。昔岡田英弘先生の講義で、先生が冗談で漢文のようなものを書いて、これは何語だかわかりますかと訊かれたことがあった。生徒がきょとんとしていると、英語ですよ、と英語で読み下した。なるほどなと私は思った。先生が言われるのは、漢文と中国語は違い、漢文というのは英語も表現できるということだった。
cover
数と計算の意味がわかる
数学の風景が見える
 数式のこうした読み下しについて、あまり書籍で読んだことはないのだが、野崎昭宏先生が監修された「数と計算の意味がわかる―数学の風景が見える」(参照)では考慮されていた。

 2たす3は5
 つまり2+3=5
であるが、これを読むとき
 2と3を加えると5
と言う人と
 2に3を加えると5
 という人がいる。どちらも5には違いないが、イメージは微妙に違う。

 として図で示し。

とのほうを合併、にのほうを添加と呼ぶことにする。

 として概念を分けていく。
 些細なことのようだが、恐らく数学をきちんと学んでいくときには、こうした差をきちんと理解することが重要なのではないかと思う。
 プログラムをやっている人なら、仮にだが、オペレーションとオブジェクトのメソッドの差は感じられると思う。

add(2,3)
というのと
a = new Number(2);
a.add(3);
という感じだろうか。

 冗談のようだが。
 野崎先生の監修の本では、37℃+37℃は?という例もあった。とんちのようだが、重要な問いではある。他に、なぜ1に同じ1が足せるのかという疑問もあった。
 愚問に聞こえるかもしれないが、代数学の基礎にはこうした愚問が横たわっているし、むしろ数学という学の基礎を問う思考を含んでいる。
 もちろん、目下の問題は、3+2×4=11とする子を増やせということなのだろうし、それには、読み下しさせるのがいいのではないかと思う。

| | コメント (29) | トラックバック (4)

2006.07.16

「奮って御参加下さい」とか

 学力低下問題にはあまり関心はないのだが、今日の読売新聞社説”[読み・書き・計算]「基礎学力向上への指導法を探れ」”(参照)の次の話にはちょっと首を傾げた。


 「挙手」を「けんしゅ」と読む(小5)、「奮って」を「奪って」と書く(中3)などの誤答も多かった。

 「挙手」を「きょしゅ」と読めたとしてその意味がわかるということではないだろう。その意味がわかるということは、ただ「手を挙げる」と解することに加え、「では、賛成のかたは挙手をお願いします」といった日本語の状況を理解しないといけないはずだ。
 というところで、「手を挙げる」と書くべきか、「手を上げる」と書くべきか、をきちんと学校では教えるのだろうか。「手を上げる」と書かせておいて、「挙手」をそれと並行で教えるとしたらそれは矛盾してないか。
 とかいいながら「手を挙げる」ではなく「手を上げる」と書くべきだろう。では、「挙手」はどう教えるのか?
 そういえば、先日「人力検索はてな」で次の質問があった(参照)。

 「成果をあげる」の「あげる」は、漢字で書くと、「上げる」「揚げる」「挙げる」など、どれになりますか?
 推定ではなく、確信のある方の確実なご回答をお待ちしております。

 確信のある回答は集まったか?
 回答には、goo辞書の参照(参照)があったが、こういうことだ。

(ウ)利潤やよい成果をおさめる。《上・挙》
「多額の利益を―・げる」「好成績を―・げる」

cover
漢字と日本人
 結論を言えば、「上」でも「挙」でもいいというのだが、では、日本語としてどっちがより正しいのだろうか? あるいは「挙」でもいいところは「上」でもいいのだろうか。そんなわけはない。「国を上げて」とか「犯人を上げる」はまずいだろう。どっかに使い分けの法則があるはずだ。「式を挙げる」は挙式からだ。しかしとすると挙手から「手を挙げる」になり、振り出しに戻る。
 もともと訓というのは日本語であり、漢字になじまないものだと、高島俊男先生の「漢字と日本人」(参照)のようにわりきってもいいのだろう。
 話がずれる。
 そういえば、私が小学生のとき、「魚」を「さかな」と読んだらバツだった。「魚」は「うお」としか読めないというのだ。「さかな」は「肴」だとも教わった。でも、いつのまにか、「魚」は「さかな」と教えられているようだ。
 しかし、と考えあぐねるのだが、訓は「うお」と「さかな」で、音は「ぎょ」ということか。音は、呉音・唐音・漢音があるから複数あってもいいが、訓は大和言葉というか訳語で、それが「うお」「さかな」と並列するのはアリなんだろうか。アリとすればどういう原則なんだろうか。
 日常語では「うお」とは言わないしなと思っていたが、沖縄で暮らしていると、うちなーぐちでは「いゆ」である。「うお」の音変化であろう。うちなーぐちは言語学者の大半がとんちんかんなことを言っているが、やまとの室町時代の言葉である。やまとことばとしては「うお」でいいのだろう。広辞苑で「さかな」の古語を見ていると、やはり全部「肴」をあてているので、「うお」と「さかな」は古語では別だったのだろう。
 さらに話が反れる。
 先日、太平記を読んでいた。二十三巻で、美濃の守護土岐弾正少弼頼遠がこう言っているのだが……。

頼遠は酔ひも廻つてゐたらしいが、これを聞いてからからと打笑ひ、「何院といふか、犬といふか、犬ならば射て落さう。」

 この「犬」のところをどう読ませるのだろうか。「いぬ」であろうか。すると、「なにいんというか、いぬというか、いぬならばいておとそう」と読ませるのだろうか。ここは「院」と「犬」が駄洒落になっていないとおかしい。ということは、「犬」は「いん」と読むのであろう。というのは、室町時代の日本語を保持するうちなーぐちでは、「犬」は「いん」である。通常は「いんぐゎ」ではあるが。
 話は些細なことになったようだが、この「院」とは、魚を「さかな」と訓じる現代日本人としては「天皇」を意味するといってもいいだろう。だが、「天皇」とは諡である。そしてであれば、神皇正統記で親房は奇妙なことを言っている。冷泉院を指し、

此御門より天皇の号を申さず。又宇多より後、諡をたてまつらず。

 とあり実は天皇制とやらは万世一系どころではない。欠損がある。幕末に日本史を整理してその時点で諡を補っただけのことだ。
 話が散漫になったのでオチはないが、日本語についての学力というのは、まさに日本をどのように理解しているか、古語と古人の言葉をどう受け継ぐかに関わることだし、それ自体が愛国心そのものでもあろう。大人が日本の国とその文化と言葉を愛しているなら、子供もいつかそういう大人に成長するだろうと思う。

| | コメント (19) | トラックバック (0)

« 2006年7月9日 - 2006年7月15日 | トップページ | 2006年7月23日 - 2006年7月29日 »