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2006.07.01

橋本龍太郎の死、雑感

 橋本龍太郎が死んだ。享年六十八。平均寿命から考えると十年は早いような気もするが、古来希なりとする七十に手が届くくらいまで生きたら幸運の部類だろう。
 橋本龍太郎は、死なれてみてると、印象としては「晩節を汚す」という感じか。汚職と中国女性スパイのスキャンダルを払拭する間もなし。それも政治家としては無念だったろうが、そういう世間の悪評というより、彼自身の一番の無念は一九九八年参議院議員選挙の敗北を受けて辞任を表明したことだろう。ここで人生の勝負は決まった。二〇〇一年、森総裁後任の自民党総裁選に出馬して小泉に負けたのは滑稽というか悲哀というかよくわからん。勝ち目があると思ったのだろうか。
 九八年参院選敗北の理由は失政である。結果として失政になったということかもしれないのだが。
 橋本は前年公共投資を削減し、国債の発行額を減らした。歳出削減である。同時に、消費税を三%から五%に引き上げ、二兆円の所得減税も打ち切った。医療保険制度改革で医療費負担も二兆円引き上げた。計、九兆円の国民負担。つまり増税。
 彼の指導力と見るむきもあるだろうが、当時の大蔵省の意向に沿っただけではないか。大蔵省にしてみれば、九六年の実質成長率は三・四%と、バブル後遺症は終わり景気は上向きになったということなのだろう。
 結果はひどいものだった。経済成長率は落ち込み、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と連鎖して潰れ、金融破綻が起きた。
 橋本龍太郎の実質的な政治人生が九八年で終わったように、日本も再び暗い世界に沈んでいった。
 デフレを甘く見過ぎたということか、大蔵省も大したことないですねということか、私にはよくわからない。が、教訓は得た。今、また十年近く前のことをやれば、また日本は沈むかもなということだ。
 そういう意味で、橋本龍太郎の失政は日本人を賢くしたと思う。そうでなくちゃ、浮かばれないよな。
 以前、たまたまなんかのテレビで、橋本龍太郎の娘さんの話を聞いたことがある。父は立派な人ですときりっと言ってのけた。実の娘に尊敬される父であったのは間違いあるまい。鈴木宗男もそうだが、娘の誇りとなるような男というのは、それだけで立派、あっぱれである。

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2006.06.30

韓国人拉致被害者金英男さん会見、雑感

 私は自分の関心の持ち方ということから言えば、北朝鮮による拉致事件そのものにはそれほど関心はない。国際政治的に見れば、北朝鮮のミサイル核武装化や中国への難民の問題のほうが大きいし、人道的に見ればこの独裁政治の被害にあっている北朝鮮の人々が優先的な課題に思える。あまり指摘されていないような気もするのだが、北朝鮮から中国へ逃げた人はなぜか脱北者と呼ばれているが、これは明らかに難民であり、難民であれば国際的な規定に中国は従わなければいけないし、国際社会は中国を従わせなくてはいけない。ダルフール危機問題でも思うのだが、なにか日本のジャーナリズムは意図的なのか、人道問題の基本のネジが抜けているような気がする。が、それはさておき。
 韓国人拉致被害者金英男さんの会見だが、あまり映像を見ない私でもさすがに見かける。映像で伝えられることは予想された以上はないのだが、それでも北朝鮮という国の残酷さというものが伝わってきて震撼する。前近代の世界には公開処刑というものがあったが、それに近いもののにように思える。

cover
めぐみ、お母さんが
きっと助けてあげる
 日本での映像は、常に横田めぐみさんの両親が付随する。それが日本だからということだが、私の素朴な印象でも、横田めぐみさんの両親は「日本人の親」というものの象徴になってしまったからなのだろう。子を思う「日本の親」がいてほしいという願望でもある。そして、それは私も日本という国を愛国する人間として当然のことだと思う。というか、問題はそこにシフトしまっているし、その事が今となっては最大の外交カードにもなってしまった。
 あまり思いがまとまらないのだが、この機に関連のニュースを見ていて、いろいろ不思議に思ったので、ブログしておきたい。
 金英男さんの後妻とされる女性が若く美人(ちょっと美観が古いが)に思えた。これは、金英男さんへのご褒美なのだろう。とすれば、ご褒美に足るほど金英男さんが北朝鮮において優秀な人であるということだ。私はそんなことがあるのだろうかとなんとなく疑問に思う。海辺で遊んでいた田舎っぺの小僧がそんな有能な人材である確率が高いなんてことがあるのか。しかし、私は今回映像に出てきた金英男さんが別人にすり替わっていると言いたいわけではない。というのはこの疑問はもう一つの疑問に関係する。横田めぐみさんについてだ。
 横田めぐみさんだが、貶めて言うのではなく、彼女もまた普通の田舎っぺの娘である。しかし、現状伝聞で聞く限り、北朝鮮ではかなり優秀な人となり、金正日総書記の子供の家庭教師もしていたという。そんなことがありうるのだろうか。その子供が高英姫の子供であれば、そのサークルのベーストーンは日本である。
 そんなことはありえないと言いたいわけではないし、証言を十分に疑うにたる確証もないのだから、私はたぶん実際はそうなのだろうと思うし、おそらく、めぐみさんが優秀であったし美人でもあったから、同じくエリートの金英男さんと結婚したのであろう。
 拉致者がエリートになるという文化というのか民族性というのか、そこが私にはピンとこない。あるいは、私が知り得ないほど多数の拉致者がいたのでその数名は優秀だったということなのだろうか。あるいは拉致というのはかなり入念に優秀な人材を狙っていたのだろうか。愚問に近いのだろうが。
 なんとなく思うのは、北朝鮮の金王朝という王権がそういう拉致者のような血統のない異人を優遇するほうがよい構造があるのではないか。それは直接的にもそうであるだろうが、民族的にもそうなのではないか。
 現在、朝鮮半島では同一民族として南北融和がナショナリズムとして叫ばれているが、こういう金王朝的な文化性というのは必ずしも韓国(南朝鮮)の文化性とは一致しないだろうし、むしろ、韓国の文化・民族性というのは日本の一部に近いのではないか、とそんな気がする。
 そうしたなかでこの間のナショナリズムと文化は結局どのような機能をしているのだろうかと疑問に思うが、ま、別のおりに考えよう。

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2006.06.29

東宣公園からダーク国連への裏口

 日本の政局に関係ないよ変数宣言を最初しておき、ほいで過去エントリのフォローの意味だよとして、ごくわずかに、朴東宣の近況について。というのは外信を見ていると少し動きがある。日本国内の情報はというと、どっかにあるのか? ないわけないんだけど、知らない。
 過去エントリはとりあえず二つ。石油・食糧交換プログラム不正問題(参照)については今日はあまり立ち入らない。


  1. 極東ブログ: 朴東宣のことを淡々とブログするよ(参照
  2. 極東ブログ: 暗いニュースリンクでもたぶんあなたに熟考してほしくない暗いニュース(参照

 この間の経緯で一度エントリを起こそうか悩んでやめたのだが、朴東宣は今年の一月に米国で逮捕された。幸いブルームバーグに記事”South Korean Tongsun Park Seized in Oil-For-Food Case”(参照)やNBC記事”Korean arrested on oil-for-food scandal charges”(参照)が残っている。この時点での詳細はないが逃避行中だったらしい。というかマークされていた。極東ブログで昨年四月に扱ったころには親切な仲間の多い東京に潜伏しているだろうという噂もあった。
 最近のニュースのポイントはこのあたり。AP”Witness in New York oil-for-food trial describes work for Iraq”(参照)。Samir A. Vincentはイラクからの帰化した米人である。

Samir A. Vincent, who pleaded guilty last year to being an unregistered agent for Iraq, said he worked for years with South Korean businessman Tongsun Park to persuade U.N. officials to allow Saddam's government to sell oil to pay for humanitarian supplies.
(イラクの非公認スパイとして昨年有罪とされたイラク系米人セミール・ヴィンセントは、数年に渡り韓国人ビジネスマン朴東宣と共に、サダム・フセイン政府が人道的物資のための石油売買が認可されるよう国連職員を説得する工作をした。)

Vincent said he recruited Park to Iraq's lobbying team because of his friendship with then-Secretary General Boutros Boutros-Ghali.
(ヴィンセントが、朴東宣をロビー・チームに取り立てたのは、朴東宣がガリ前国連事務総長と親交があったからだ。)

Over two days of testimony in Manhattan federal court, Vincent has described numerous meetings and communications that he said Park arranged with the former U.N. chief, including some that occurred at Boutros-Ghali's residence. He also identified a series of letters in which he reported the results of those liaisons to top Iraqi officials.
(マンハッタン連邦裁判所での二日にわたる証言で、ヴィンセントは朴東宣が前国連会事務総長に合わせて手配した数多くの会合や交流に触れた。これにはガリ前国連事務総長宅での会合も含まれている。
またヴィンセントは、イラク高官との連絡結果について報告した一連の手紙の存在を認めた。)


 というわけで、現状のニュースは朴東宣がイラクからの帰化米人のつてでガリ前国連事務総長宅訪問したという程度しかわかっていない。
 なーんだという感じでもある。が、この背景には、この問題についての国連の独立調査委員会ではガリ前国連事務総長は無罪とされているので、ヴォルカーさん仕事したのかよぉというのがある。
 今後の展開、及び全体の構図ははっきりとは見えない。現在の世界情勢から米国の意図というあたりで考えていくといろいろ想像されることはあるが、ブロガーなんかが関心持つのやめとけ領域であろう。
 関連してであろう、ヤフーに奇妙な記事が上がっていた。”Tongsun Park Website Announced”(参照)である。朴東宣のオフィシャルサイトが数日前にできたというのだ。つまり、この機にだ。
 シャレのような名前のサイトTongsun Park(参照)はスルメのように噛めば味わい深い一品である。

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2006.06.28

勇敢な盾(Valiant Shield)

 グアム島周辺の海域で、先日十九日から五日間、米海軍、空軍、海兵隊などの統合演習「勇敢な盾(Valiant Shield)」が実施された。規模が非常に大きく、参加総員は二万二千人を超え、過去十年における最大規模の米軍演習となった。グアムは沖縄からの海兵隊移転先候補でもあるし、米軍再編成にもろに関わってくるので、国内でもう少し重視されるのかと思ったがあまりニュースにはならなかったような印象がある。
 朝日新聞記事”米軍演習に中国が初のオブザーバー参加”(参照)では、この米軍演習のオブザーバーに中国の軍関係者が招待された点を重視しているようだった。


 中国の新華社通信によると、中国の代表団は陸海空軍の6人と外交官、記者の10人構成。16~20日にグアムを訪れた。演習開始後は海軍基地で戦闘機の発着の模様などを見学。核心部分の見学は認められなかったが、代表団メンバーは帰国後、「両軍が交流を拡大し、信頼を醸成することは軍同士の関係だけでなく、米中関係全体にも利益となる」などと語った。

 記事を見てもわかるように「新華社通信によると」ということで、自社ソースではなく、パクリというか中国様へのヘタレを絵に描いたようなことになっている。記者の派遣ができなかったのだろうか、ネットリソースからは見えない。
 続けて。

 中国の軍拡路線の不透明性を問題視している米側にとって、今回中国の参加を認めたことで、中国の演習見学を求める基礎ができたことになる。

 というのだが間違いではないにせよ、一義には米軍による中国軍への威圧なのにその言及もない。この間、テポドン騒ぎがあったことも新聞社なら当然考慮すべきなのだが、そこは朝日新聞のヘタレここに極まっている。
 読売新聞は記者をグアムに派遣したようだ。記事”米空母3隻、グアム沖に集結…19日から演習”(参照)にはイロハのイくらいに「米国には軍事活動の透明性を確保しつつ、西太平洋における米軍の戦力を誇示する狙いがあると見られる」とコメントしている。
 読売記事は概ねフラットな印象。

 演習には、原子力型の「エイブラハム・リンカーン」「ロナルド・レーガン」、通常型の「キティホーク」の空母計3隻が参加する。米軍の空母3隻が太平洋上で同時に演習するのは、ベトナム戦争以降で初めてという。

 軍オタもそのあたりが狙い目っぽいので、ネットをざっとサーチするとそのあたりの写真なども目に付く(参照)。
 米国にとって今回の大演習がどのような意味を持っていたかというと、案外示威的なものではなかったか。ミリタリー・コム”McCain a 'Valiant Shield' Against Submarine Threats”(参照)の記事の標題からもわかるように、中国潜水艦への脅威というのはわかりやすい。極東ブログでも過去、「極東ブログ: 中国は弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN-Type094)を完成していた」(参照)や「極東ブログ: 中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件について」(参照)で関連の話題に触れた。
 中国の原潜が実際の脅威となるかについては、軍事的にはそれほど意味はないだろう。今回中国軍をオブザーバーにしたのも、誇示は誇示でも、もっと中国内政へのメッセージ的な意味合いが濃いのではないか。つまり、これがコミュニケーションってやつ。
 米軍関連のソースを二、三当たってみてそれなりに面白かった。本質的なことではないのだがろうが。例えば、Kuam.com”Meet the people behind Operation Valiant Shield ”(参照)には、スタインドル海軍准将の次のコメントがある。

Here in Asia, over 74% of the oil that comes in to Asia come in by ship and it's important to keep the sea lines of communication open. We're the world's pre-imminent anti submarine warfare fighting force and the way we achieve that is through a lot of practice and that's exactly what we're doing in Valiant Shield."

 このシフトはアジアの石油を守っているのだというのだ。端的に言えば、中国、日本、韓国を指すのだろうが、仮想敵が中国であれば言外の含みはわかるというもの。
 星条旗”Officials high on Guam's future as Valiant Shield wraps up ”(参照)では、あっけらかんとしたボウラ大佐の言葉を記している。

Military financial constraints are another issue, Boera said.

“Costs change on a daily basis,” he said. “The Air Force is undergoing budget restrictions.”

Still, basing Pacific air operations out of Guam is cheaper than flying from Japan, Korea or the continental United States, he said.


 軍事活動にはカネがかかるんだよ。グアムに居たら日本や韓国から飛んで来るより安上がりじゃん、というわけだ。
 おもわずツッコミを入れたくなる空気だが、これは正しいと言えば正しい。
 日本のジャーナリズムの空気だと、沖縄海兵隊のグアム移転に何兆円といった大金だせるかよとしみったれた議論花盛りだが(そのわりにこの演習の実態とかろくに取材もしない)、現状のまま有事となれば日本の負担はどかんと大きい。
 もっとも、沖縄の海兵隊はもともと冷戦シフト。佐世保の揚陸艦で動くようになっている。沖縄が戦略的に重要な意味を持っているから在沖米軍も重要だとかいう間違いが多過ぎ。グアムに移転しないと使い物にならない、使うのであれば。

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2006.06.27

[書評]藤巻健史の5年後にお金持ちになる「資産運用」入門

 先日石原真理絵がNHKの「英語でしゃべらナイト」(参照)に出るらしいとステラを見ていて知り、適当に録画しておいたら、定期録画だったらしく藤巻健史(参照)の回が入っていてついでに見た。存外に面白かった。話のネタは粗方、「藤巻健史の5年後にお金持ちになる「資産運用」入門」(参照)とかぶっているのでふーんまたかと思ったが、本と違って、ほぉと思ったのは、アメリカ人のビジネスの五時以降のことだった。
 九時から五時のビジネスにおいては藤巻もひけをとらないとのことだし、それは当然そうだろうが、五時以降酒も入った付き合いの話では教養がないとだめだという。私はあまりそうした経験があるわけではないが、ああ、あれだよなとちょっと思った。あれというのは、彼らというか若いビジネス・エリートの話題がけっこうアートに熱いのだった。
 私はあまりアートに詳しいわけではないというか今ではさっぱりだが、十代後半から三十代くらいよく展示会とか見て回った。池袋セゾン美術館の会員だったし、東京都庭園美術館もよく通った。ので、外人たちのアートの話で、なんだったかちょっとあれはこうだみたいなことを言うと、お?このジャパニーズ小僧なんでそんなアートに関心があるとかいう感じだった。その他、歴史の話とか聖書のこととか……日本人のビジネスマンだとあまりそういうのに関心ないのに……と思ったものだった。まあ、しかし、考えようによってはスノッブな話でもある。
 書籍「藤巻健史の5年後にお金持ちになる「資産運用」入門」だが、これはけっこう面白い。さらっと書かれているのだが、裏にはこういうのがある。


血ヘドを三度吐くくらい悩まないと、ディーラーとして大成しません。優秀なディーラーは、クビになって路頭に迷う心配をした経験が何度もあると思います。

 そうなんだろうなと思う。
cover
藤巻健史の
5年後にお金持ちになる
「資産運用」入門
 ところで、この本、アマゾンの素人評を見たら、案の定というか、評価が高くない。経済に詳しい人にしてみると、こんな初歩的なことは知っているということなのだろうし、またか感もあるのだろうが、これ、良い本だと思いますよ。三十代前半の人なら主婦を含めてこれを一読しておくことで二十年後人生変わりますよ、たぶん。

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2006.06.26

戦争犯罪としてのダルフール危機

 話は少し古くなるのだがこの間日本の報道や人道問題に関心を持つブロガーの動向などをブラウズしても話題になっていないようなので、やはりここで書くしかないのだろうか。
 話は、戦争犯罪としてのダルフール危機の問題である。私はダルフール危機の本質はジェノサイドではないかと考えている。ジェノサイドは集団虐殺とも訳されるが、genocideの語源から考えても欧米では語感があると思うが、特定の民族への組織的な抹殺である。日本人の場合、人道に関心があると思われる人たちですら、massacre(虐殺)との区別が付かない、あるいは区別を曖昧にしたいと意図する人たちが多いようなので困惑する。
 ダルフール危機の本質がジェノサイドであるとするなら、ポイントは組織的な殺害であることと民族の特定である。前者については、スーダン政府が関わっていることはすでに覆うべくもないことだが、後者については難しい問題があった。ダルフール危機を、スーダン南北問題のように政府対反抗勢力という内戦の構図に縮小して見せようとする勢力が存在するからである。確かに、そうした構図が存在しないわけではないが、危機の本質ではないのは、実際の殺害の状況を見ればわかることだ。
 多少余談になるが、ダルフール危機問題を曖昧にするもう一つのボーガスは、単純に個人の倫理が問われるような問題に縮小したがる勢力があることだ。ルワンダ虐殺についてですらそうした歴史修正とでも言えるような見解が見られるのが不思議でならない。ルワンダ虐殺については、一部で誤解されているようなものではない。”武内進一「ルワンダのジェノサイドが提起する諸問題」”(参照)が正しく指摘している。


ルワンダのジェノサイドについては、一般大衆が多数参加し、農民がナタを持って殺戮を遂行したとの理解が流通している。しかし、公刊された文書資料や聞き取りから状況を再検討すると、民間人が殺戮に関与した例もあるにせよ、多くの場合、軍や警察が近代的武器を持って殺戮を実践したことがわかる。また、殺戮の動員に際して重要な役割を担った民兵組織は、一党制時代に由来するものであった。殺戮実践の方法は、ポスト・コロニアル国家の構造と密接に関連している。

 ルワンダ・ジェノサイドは「軍や警察が近代的武器を持って殺戮を実践した」のが重要な点で、まさにその点において、ダルフール危機と重なる。映画「ホテル・ルワンダ」の作成に関わったドン・チードルとポール・ルセサバギナもこのように述べている(参照PDF

Government-backed militias, known collectively as the Janjaweed, are systematically eliminating entire communities. Villages are being razed, women and girls raped and branded, men and boys murdered, and food and water supplies targeted and destroyed. Victims report that government air strikes frequently precede militia raids.
( まとめてジャンジャウィードと呼ばれる、その政府が後押しする民兵たちは、組織的に、社会全体の排斥を行っています。村落は破壊され、婦人と少女はレイプされ傷つけられ、男性と少年たちは殺害され、食料と水は標的とされ破壊されています。被害者の証言によれば、政府軍による空爆が民兵の襲撃に先行しています。)

 組織的な殺害こそが重要な問題である。
 余談が長くなったが、第二点目の特定民族についてだが、十四日、ルイス・モレノ・オカンポ国際刑事裁判所検察官(Luis Moreno Ocampo)が、国連安全保障理事会での報告で一部を特定してきた。ソースは国際刑事裁判所のダルフールのページ(参照)から入手できる。該当レポートは”14.06.2006 -Third Report of the Prosecutor of the International Criminal Court, to the Security Council pursuant to UNSC 1593 (2005)”(参照)である。重要なのは次の部分である。

A large number of victims and witnesses interviewed by the OTP have reported that men perceived to be from the Fur, Massalit and Zaghawa groups were deliberately targeted.
(OTPがインタビューした多くの犠牲者や証言者は、意図的に目標とされた民族グループが、フール人、マサリット人、およびザガワ人と見なされた人たちであると報告した。)

 ダルフール危機において特定の民族が念入りに狙われていた容疑が高まってきていると言っていいだろう。
 この報告は欧米ではAPを通じてニュースとなった。CNN”U.N. hears of mass Darfur killings”(参照)も掲載している。報道で重要な点は次の部分である。

Those details are among the strongest indication so far that Moreno Ocampo, the chief prosecutor with the International Criminal Court, has uncovered substantial evidence of ethnic cleansing and crimes against humanity in Darfur.
(特定民族が狙われていたとする詳細は、モレノ・オカンポ国際刑事裁判所検察官が、ダルフールでの民族浄化と人道に対する犯罪の実質的な証拠を明らかにしてきたことで強く示唆される。)

 ようやく戦争犯罪としてダルフール危機が扱われることになりそうな動向に対して、当のスーダン政府は奇妙なことを言い出している。同じくAPを掲載したCNN”Sudan toughens anti-peacekeeper stance”(参照)より。

Sudan's President Omar al-Bashir has escalated his rejection of the United Nations deploying peacekeepers in Darfur, saying they would be neo-colonialists and accusing "Jewish organizations" of pushing for their deployment.
(スーダン大統領オマール・アル・バシル大統領はダルフールに国連平和維持軍が投入されることへの拒否をエスカーレートさせ、こうした政策を推進しているのは新植民地主義者だと言い、ユダヤ人組織を非難している。)

 というわけで、すっかりな世界に入ってしまっているのだが、アラブならスーダンを支持せよという国際世論は少しずつ広まりつつある。

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2006.06.25

奈良母子焼死事件の印象

 奈良県田原本町の医師(四七)の家がその長男の放火で全焼し、母子三人が死亡した事件について、この手の事件がいつもそうであるように、私は関心を持っていなかった。事件の概要すら理解していなかった。少年の父親も焼死していたと思っていたくらいである。たまたまラジオを聞いていて、父親が存命であることを知り、知った途端、事件の印象は激変した。私のその印象は率直に言って妄想に近いものだろう。これが事件の真相だとはまるで思わない。この事件には外面的にはそれほどのミステリーはなく、事件の核心は少年の心の中にある。私はその少年の心を洞察するわけでもない。できないし、率直に言ってあまりしたくない。そして、このことは、本当は書かないほうがいいのかもしれないが、簡素にだけ書いておこう。
 最初この事件をなんとなく知ったとき、少年はなぜ家出しなかったのかと思った。自分のなかに殺意を抱えるより、憎む対象と無関係になりたいと私などは思うからだ。もう一つ思ったのは、この事件は、たぶん古典的なフロイト理論的で説明されるものだろうなということだった。だが、その部分はあまり考えたくなかった。考えても妄想としか言われ得ないものだろうし。
 私は今年四十九歳になる。この父親に近い。私がもし三十歳ころに結婚して子供があれば彼または彼女は成人に近い。自分の思いはそうした複雑な父親の内面にどうしても向かうが、正直に言って、ただ苦いようなつらいような思いがするだけで混沌とする。この父親の人生の課題は息子とこれから向き合うことなのだろうが、それがどれほどつらいことか。人生というのは人にそこまでつらいことを強いるものなのかと思う。
 回り道していないで妄想的な私の印象を語ってこのエントリは終わりにしよう。私は、いつも事件というのをブラックボックスとして見る。ブラックボックスというのは入力と出力だけが見えるものだ。そうしてこの事件を見ると、入力側に少年の殺意があって出力に継母とその子二人の死がある。私はこの死がブラックボックスの機能なのだとまず考えてしまう。そしてその発想を入力側で解釈させると、この事件はその出力、継母子を殺害することが目的ではなかったかという仮説がどうしても浮かぶ。そして、ここから先は妄想である。少年のなかでその殺意を促す無意識があったのだと。その無意識――内面からの命令は誰の声かといえば、少年のなかに形成された心的な母親象ではなかったか。
 事件の報道を聞くと、当初少年は父親を殺すはずだったが失敗したとも言われる。父を殺せなかったのも、そしてこの放火事件が父を生存させるようになされたのも、少年の無意識の意志ではなかったか。繰り返すまでもなく私の妄想であるが。
 私はあまり宗教的な世界観というものを持たない。来世も輪廻転生も死後残る霊魂というものも信じない。が、人の無意識のなかには、こっそり来世への信頼や輪廻や霊魂があることも私は知っている。人はなにかを自分の意志でするかのようだが、無意識のなかの他者の命令であることが多い。あまりこう言うべきではないが、親に死なれることはつらいものだが、同時に無意識のなかで命令を下していた親という無意識との別れの契機になるし、自分の人生を歩むというのはそうした心の中の他者の命令に背いていくことではないかと思う。
 この事件で父親が長男を持ったのは彼が三十歳のころである。すると初婚は二十代の終わりであったのだろう。少年の実母が生別したか死別したか知らない。それが少年の心に映ったのがいつかも知らない。少年は実母の言葉にすら触れたことがないかもしれない。
 少年が継母と出会うのは十歳のころである。継母は三十歳になったばかりくらいである。少年が十二歳くらいちょうど思春期のただ中に継母に長女が生まれる。そのことが少年にどういう心象をもたらすのか、自然に私は心を寄せるものがある。
 ここでエントリを終える。一つだけ言い忘れた。この事件の悲劇的な結果は多分に偶然だろうと思う。普通の人もかなりの愛憎を抱えて生きていても、それが事件となって現れることは、偶然があまりないことで、守られている。

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