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2006.06.03

どうして、そう、なるのっ

 朝日新聞記事”村上代表を立件へ インサイダー容疑、東京地検近く聴取”(参照)が確かなら、東京地検特捜部は、村上世彰氏をインサイダー取引の容疑で立件するとのこと。ことは昨年のライブドアによるニッポン放送株の買い占めなのだが、なぜ今頃これが出てきたかというのがこの話の妙味なのだろう。記事によると理由はライブドア捜査を足がかりにしたようだ。


 特捜部は、この取引について、複数のLD元幹部らに対する事情聴取で、村上氏から同放送株の大量取得を提案されたとの供述を得た。さらに、村上ファンドの取引記録の分析や関係者の聴取を進めた結果、村上ファンドがLDの大量取得の方針を事前に知ったうえで株売買を行ったとして、証券取引法違反のインサイダー取引にあたる疑いが強いとみている模様だ。

 振り返って浮き上がった構図を見ると、検察によるライブドア潰しも狙いは直接ホリエモンというより、当初から村上世彰氏だったのだろう。ということは、その後ろにあるおカネなんだろうが。検察の目論みとしては「複数のLD元幹部らに対する事情聴取」ではなく、ホリエモン改心したかぁ、みたいな水戸黄門的正義の絵を描いていたのではないか。そこはコケたな、と。
 今回のインサイダー容疑がガチということなら、それはあの時点でわからないというものでもなく識者は臭いんでねーという声もちょろちょろと上げていた。そうならなかったのはそうならない理由というのもあった。今朝の朝日新聞社説”村上ファンド 本当のことを知りたい”(参照)でも触れているようにお茶目な抜かりがあったわけでもないだろう。

 一歩間違えば、危ない橋を渡ることになりかねない。そうした懸念に対して、村上氏は「私は決して法律は犯さない。コンプライアンス(法令順守)は大原則だ」と反論してきた。
 自身が旧通産省の官僚出身で法令に精通しているだけでなく、側近に大手証券出身者や警察官僚OBらもいる。情報の扱いには慎重だったはずだ。実際にはどうだったのだろう。

 実際はグレーマターということで、今回の話の根っこはインサイダー容疑よりも、村上氏の活動に対して国策がどう転ぶかだけの問題だったのではないか、というと陰謀論過ぎか。でも今回の騒ぎは共謀罪成立のための煙幕だぁとまで陰謀論は採らないけどね。
 私はホリエモン逮捕のときは検察が無茶苦茶なことをするなと思ったし、ホリエモンに勝ち目がないわけでもないと思った。では、今回のチェックメートについてはどうかというと、村上側はステイルメートには持ち込めないと思う。
 理由は、村上ファンドがシンガポールに拠点を移した時点で、なんであれ日本に居られねーと自らが認めたに等しいからだ。日本に置いておくにはやばすぎな物があったと疑われてもしかたないし、たぶんあるのだろう。村上氏よりもっとその懸念を持った牛筋があるだろう。なんていったってシンガポールじゃんか、ということで加えて言うべきこともない。
 日本にいることすらやばすぎなのかもと、ワタシ的には俊寛僧都島物語を連想して、よよよと哀れをもよおす。つい村上さんとさん付けになってしまう心情だ。村上さん、星港のほうがなにかとセキュリティが高いと思ったのだろう。しかし是乗せてゆけ具してゆけと海の彼方で叫ぶより、堀の中のほうが安全かもしれない。日本食だしヘルシーだし、たぶん。
 世界史のなんとか王朝とかのテンプレ的世代交代話では、王位が変わるときは前時代の忠臣たちはクリーンナップされる。今回きれいさっぱり焼け野原なら、なるほど見えないけどオルフェノクの王は出現していたということなのだろう。スマートブレイン社長は村上さんだったけど峡児でしたね。別人。

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2006.06.02

Scripps National Spelling Bee in 2006

 金曜日は基本的にニュースを見ないことにしているのでお金持ちの欽ちゃんとかその後どうなっているのか知らない。が、ちょっと調べ事の関連で覗いたSalon.comのトップニュースに今年のSpelling Beeの話があり、つい読んでしまった。記事は”13-Year-Old N.J. Girl Wins Spelling Bee”(参照)。Salonの非会員でも広告にちょっと我慢していると読めるはず。
 Spelling Beeは、英辞郎を引くとこうある。


スペリング競争、スペリング・コンテスト、単語のスペルを正確に書く・言う競争◆間違った者はその場でどんどん外される。◆【同】spelldown / spelling contest

 ちょっとわかりづらい。ネットに解説はないかとちょっと見ていると、昨年の大会をネタにしたallaboutの”米国で大流行!スペル・コンテスト賞金は300万円! 子供に勝てるか?スペルテスト!”(参照)がある。

 しかしその全国規模での大会は、歴史も古く、1925年に第1回大会が開催されました。子供たちが楽しく英語を学べるようにとの理由で始まったものです。
 全国大会で優勝すると、現在は賞金約2万8千ドル(およそ300万円)をもらうことができます。

 実際は全米だったかテレビ中継されるすごいイベントで、最近では映画やミュージカルのネタにもなった、とか書いたものの私はそのあたりまだ見てないのだが。
 もちろん、チャーリー・ブラウンとか見ていると、学校レベルでの大会というのもある。あっちこっちで小規模にも、よくやっているのだろう。Wikipediaには詳しい解説がある(参照)。
 今回の大会では十三歳の少女がチャンプとなった。女の子のチャンプは久しぶりのようだ。

June 01,2006 | WASHINGTON -- A 13-year-old New Jersey girl making her fifth straight appearance at the Scripps National Spelling Bee rattled off "ursprache" to claim the title of America's best speller Thursday on prime-time television.

Katharine Close, an eighth-grader at the H.W. Mountz School in Spring Lake, N.J., is the first girl since 1999 to win the national spelling title. She stepped back from the microphone and put her hands to her mouth upon being declared the winner. She recognized the word as soon as she heard it.


 天才少女出現!といった感じなのだろうか。決めの英単語は”ursprache”だったそうで、私はこの単語を始めて見たのだが、"sprache"は以前シュタイナー教育のシュプラッハを学んだことがあるのでドイツ語で「言葉」という意味だというのは知っている、とするとドイツ語だから、urは、フッサール哲学とかに出てくる Urdoxaのur、「元の」という意味だろうということで、意味は祖語だろうってか、印欧祖語は……Proto-Indo-Europeanか。
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綴り字のシーズン
 ところでなんでBee(ミツバチ)なのか。そういえば、映画Bee Seasonの邦題は「綴り字のシーズン」(参照)だったが、ミツバチの季節の洒落だ。なんでミツバチだったかひとくされ話を聞いたことがあるのだが忘れた。と、Wikipediaを見るに。

The etymology of the word "bee" is unclear. Historically, it has described a social congregation where a specific action is being carried out, like a husking bee, or an apple bee.

 よくわかってないらしい。
 映画Bee Seasonは見てないのだが、さわりは知っていて、あのときのキーワードがorigamiだったようだというあたりで、この言葉に米人はなにか東洋的なものを感じるのだろう。マイクロソフトあたりがいかにもパクつきそう。
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チャレンジ・キッズ
 エントリにオチもないのだが、この手のお子様勉強コンテストっていうのは日本でもないだろうか。差詰め漢字コンテストといったところだろうが、全国ネットでテレビで中継の大イベントっていうのは聞かないな。やったらいいのにと思うけど、やっちゃマズイんでしょうね、きっと、やっぱり、そのぉ、なんたらとか理屈がついてさ。

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2006.06.01

2ちゃんねるまとめサイト炎上・閉鎖

 2ちゃんねるまとめサイトの多くが炎上・閉鎖している。理由は存外に複雑なのかもしれないが、一つには2ちゃんねるコンテンツでアフィリエイト収入をあげているサイトに2ちゃんねるユーザーが強い不快感を持ったことだろう。
 今回の事態は、昨年の「のまネコ問題」に似ている面もある。あの問題は、エイベックス発売「恋のマイアヒ」CD特典映像の「のまネコ」が、2ちゃんねるのアイドル・キャラクターとして定着してたモナーの盗用ではないかということだった。が、反感のコアは、それによってエイベックスが利益を上げていくことだったように思える。
 まとめサイト炎上は、案外特定のネット・ユーザーのいさかいなのかもしれないが、薄目で見ていると、2ちゃんねるのコンテンツのありかたそのものに起因しているような気もする。
 というのも、同種の電車男話も2ちゃんねるの運営サイドの了解のもとに新潮社が出版し、テレビ化・映画化でビッグビジネスとなったが、富を生む可能性のあるコンテンツなのだから、たかがブログだからといってそのまま無断転載でいいとは運営側は考えにくいだろう。
 すでに消滅しているのかもしれないが、抗議というか疑惑糾弾を受けた側のニャー速の運営者は一応対応を試みていたようだ。そのなかの「脱税疑惑について」で「違法な行為は行っていません」というのがあった。んなこと言われてもねだが、詰問者はアフィリエイトによる利益を巨額なものと推定していたのだろう。
 すでにいくつかのブログで疑問視されているように、まとめサイトのアフィリエイトは本当に儲かっていたのだろうか? ブログ「ARTIFACT@ハテナ系」”VIP系まとめサイトのアフィリエイトは儲かるか?”(参照)に参考となる考察がある。


ただ、アフィリエイトで儲けるコツは月5万円ぐらい稼げるサイトを何個も作ることだ。もしかするとこれを書いた人はサイトを20個ぐらい作っているのかもしれない。しかし、そもそものソースがVIP板な訳で、そこから複数のサイトを作るのは大変難しい。やっぱり無理だ(笑)。

 さらに今回の事件に関連して”VIP系まとめサイトのアフィリエイトの話再び”(参照)では、儲かったとして月三十万円くらいではないかと推測している。
 実態がわからないものの月額三十万円近い収入があれば、運営規模にもよるが趣味のレベルを超えてビジネスといってもいい。なので、ネタの仕入れについてもそれなりのビジネス・ルールがあってしかるべきだろう。
 今回の事件がのまネコ問題とは違って難しいのは、落としどころが見えないことだ。あるいは、現状有名なまとめサイトがひとまず沈没して終了なのかもしれない。もちろん、今後も小規模なまとめサイトは出てくるだろうが。
 今回の事態に関連して、もうひとつ気になることがある。すでに一部で疑問が提出されているのだが、まとめサイトやその関連グループが2ちゃんねるにネタを仕込んでいたのではないか。こうした疑惑は電車男の時にも起きたので、定番的なものかもしれないが。
 ネットのなかになんとなく転がっているかに見える面白い話というのは、たまたま転がっているのではなく、誰かが話題作りのためにネットのなかに仕組んだものかもしれない。主体の見えない広告という時代がすでに来ているのかもしれない。

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2006.05.31

高学歴になるほど就職しづらい

 今週のニューズウィーク日本語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。


有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している

 まあ、そんな話。
 いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。
 では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈しておくのが良い。なにより私の存在は社会的にはかなりどうでもいいものだ……でも、大学を離れたころは自分がいかに矮小な存在かと頭でわかっていても、「あははは、俺は社会のゴミ」と現在のように明るく達観していたわけでもないので、現在大学院などで学究に志している人は、就職に大きな不安を持っているのだろうと同情する。そうした不安は未来に質を持っているので、いずれ十分な歳月がすべてをファイナンスしてくれるだろうが。
 単純に言えば学問の価値と社会の価値は違う。社会はその構成員のサービスの交換で成り立っているのだから、それに見合うサービスが提供できなければその存在価値はない。社会的個人の価値を決めるのは社会のシステムであって、その個人の属性と化した学歴などではない。では、スキルは?と連想が進むが、現実社会でのスキルというのは社会に出てみないと身に付かない。もちろん、例外もある。が、例外の人は悩む間もなくちゃんと食っていけているものだ。たいていの人は例外にはならない。
 ニューズウィークの記事は学歴に着目しているが、日本の場合が特にそうだが、大学は青春の場でもある。洒落のようだが、三十代から四十代になってみると、学問なり社会人なりとしてそれなりに成功していても端的に言えば家庭的というか個人の内面的な生き様としては崩壊しているというか索漠としている人々が目立つようになる。運命というのもあるので、なんらかの結果そうなったというものではないのが、なんとなくだが青春なりというものの始末の付け方に関連はしているだろう。生きるというのはけっこう難しい。幸福というのは金銭なり名声なりとイコールでもない。
 記事で面白かったのは、高学歴な人々が職を得られないというのは、高度な資本主義社会にとってある程度一般的な傾向なんだなと思わせるあたりだ。国家の施策でどうとなるものではないのかもしれない。

 高学歴者の就職難民化は、先進国共通の問題だ。韓国では大卒以上の失業者が33万人超に達し、ドイツでは年間の新卒数に匹敵する23万人の大卒者が失業する。ブレア政権が大学進学率の向上を推進したイギリスでは、単純労働の仕事しか見つけられない高学歴者が社会問題化している。

 もちろん日本というのは、大卒から一斉に就職というまるで一連の流れのように大学と企業・社会が連結する特殊な国なので、そうした点の考慮は必要だろう。が、傾向としては、資本主義社会の発展と高学歴者の就職難には関連があるのだろう。
 アメリカでは事情が違うようでもある。それはそれなりに特例かもしれないが。

 ただ、専門性を生かせない企業側の画一的な採用や処遇に問題があるという専門家も多い。外資系求人サイトを運営するCCコンサルティング代表のリチャード・バイサウスは、「社外の知識や経験を重視する外資系企業に比べ、日本の中途採用市場はまだ未成熟だ」と言う。
 確かに、学士より修士、修士より博士が就職に不利という逆転現象は、専門職の採用や処遇にたけたアメリカには見られない。

 記事は日本版のみで書かれたのではないかと思うので、こうした指摘が米国全体に当てはまるとは言えないかもしれないが、米国はそれなりにうまくやっているという印象はある。なので、日本の高学歴者就職難が問題なら、社会の方向性としては米国型に向かうしかないのだろうと思う。が、ブログとかでぶいぶいしているインテリ小僧からそうした認識(米国型がよい)は私にはあまり伺えない。たぶん、日本はそういう点で米国型にはならないのだろう。むしろ、学歴と高級公務員志向が結合し、さらに問題を深めていくような気がする。
 話が逸れるのかもしれないが、大学というのは、労働者を調節する社会施設でもある。日本の現状だと大学生がバイトに勤しむかのようだが、それですら正規雇用にバッティングするわけではない。そう考えてみると、現状大卒者・高学歴者の就職が難しいというのは大学の持つ労働者調節機能がより高度化しただけなのではないだろうか。そして、それはある意味で正常な社会機能に向かっているのではないか。

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2006.05.30

イグナチウス龔品梅枢機卿

 昨日のエントリの補足のようなもの。イグナチウス龔品梅枢機卿についてはWikipediaのIgnatius Cardinal Kung Pin-Mei(参照)に英語の情報がある。が、Catholic Cultureサイトの”Chinese Cardinal Ignatius Kung Pin-mei Dies in Stamford, USA”(参照)と違う点もある。中国語ウィキペディアの同項はより詳しい(参照)。以下、各情報を私の判断でまとめておく。
 龔枢機卿は一九〇一年八月二日上海近くP'ou-tongのカトリック教徒の家庭に生まれ、聖職に進む。一九四九年十月七日ローマ教皇より蘇州(江蘇省)の司教に任命、翌年上海の司教に任命された。一九五五年、反革命反逆集団の組織・指導罪で逮捕され、無期懲役となる。宗教事務局や愛国会などによれば、司教は中国共産党の政策に反対し、朝鮮戦争参戦や土地改革に従わず、外国に国家機密を漏らしたとされる。三十年後、八五年七月に仮釈放されたが、八八年まで自宅軟禁。その後、表向きは政治権利も回復されたことになった。
 一九八八年読売新聞社が龔司教とのインタビューに成功している(「30年ぶり出獄 中国カトリック“司教”と会見 今もローマ法王を信じる」1988.02 22)。


 --あなたは今も司教とお考えか。
 「その通り。一九四九年十月七日に(江蘇省)蘇州の司教に、翌五〇年八月に上海の司教にローマ法王から任命された。上海司教は上海のほか蘇州、南京も管轄する」
 --当時、あなたは何をして逮捕、投獄されたのか。
 「そのことについては、もうしゃべりたくない」(注)
 --刑務所内での生活は。
 「ずっと上海市監獄に収容され、常時、三―四人の囚人と相部屋だった。同房者には反革命罪に問われた者もいれば、殺人や放火などの刑事犯もいた。しかし、宗教関係者とは一度も同房にならなかった。小説や新聞は読めたが聖書だけは禁じられた。何度も聖書を与えてくれと頼んだが聞き入れてもらえなかった。苦しくつらいことだった」


 --この三十年間で考えが変わったか。
 「私の信仰は何ら変わらない。刑務所内でも心の中でいつも神に祈りをささげてきた。今もローマ法王を信じている。法王の説教を聞かない者を(カトリック)信者とは呼べない」
 --中国独自の愛国会と、今も地下で祈りをささげる信者についてどう思うか。
 「私は(愛国会に)参加しないし、関係もない。自分の考えと信仰を持ち、他の人々のことは関知しない。ただ、多くの信者は今もローマ法王を信じているし、多数の神父が(愛国会系の)教会に行くのを嫌がり、自宅でミサをしている。表立って布教活動をすれば逮捕されてしまうからだ」

 歴史を少しだけ前に戻す。ヨハネ・パウロ二世が龔司教を枢機卿とすることに決めた(in pectore)のは、一九七九年である。まだ彼が獄中にあった時代だ。正式な発表は一九九一年六月。枢機卿自身八八年まで知らなかったとも言われる。
 八八年に自宅軟禁が解かれると、五月、甥や姪が多数暮らす米国に親戚訪問と、投獄生活で患った高血圧と心臓病の治療を目的に出国。中国に戻ることはなかった。
 二〇〇〇年三月十四日、コネティカット州スタンフォードの親戚の家で胃癌により死去。九十八歳。
 死後、龔枢機卿をしのび、中国のカトリックの地下教会を支援する「キョウ(龔)基金」(参照)ができる。龔枢機卿の甥にあたる基金のキョウ代表は、枢機卿の死後であろうと思うが、無線機を持った信者によって守られたなか北京郊外の地下教会のミサに参加した。

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2006.05.29

多分、胡錦濤の屈辱

 中国とバチカンの争いについて少し書いておきたい。まず前提となるのは中国における宗教の扱いだが、ざっくりと言えば信教の自由はない(憲法上はあることになっているが)。というのも宗教活動は中国政府の公認を必要とするからである。日本人などの考えからすれば、まず宗教団体がありそれが政府に公認を求めるといった図を描きがちだが、そのあたりの宗教団体側の主体性というものがまず根底から否定されていると見ていいだろう。
 中国のカトリックは、国家公認の「天主教愛国会」と「天主教主教団」がある。後者のほうがより中国に批判的ではないと言われているが、その違いについては私はわからない。昨今の話題としては天主教愛国会になる。同会は四月三十日と今月三日、雲南省昆明教区と安徽省蕪湖教区について新司教の任命式典を開催した。多少世界史というか西洋史に関心がある人ならバチカン側からの命令と考えたくなるが、この任命(人選)は天主教愛国会が独自に行い、事後バチカンに報告した。が、バチカンはこれを承認せず、さらに、任命式を催行した司教と新司教二名は破門となるとの表明が出た(正式な破門なのかよくわからない点があるが)。
 天主教愛国会の独自性は中国政府への迎合でもあるし、また歴史の結果でもある。一九五一年に共産党中国はバチカンと断交し、以降は天主教愛国会がカトリック信者を支え、結果百七十人以上の司教を任命してきた。中国側からすれば、そういうものだろうという思いこみはある。なお、よく知られていることだが、バチカンは台湾(中華民国)と正式の外交を持っている。
 中国側の甘さには背景がある。昨年四月新ローマ法王ベネディクト十六世が就任し、これを機にバチカンは外相にあたるラヨロ外務局長が中国の外務省当局者と会談した。その直接的な結果かどうかわわからないが、その後天主教愛国会が独自に任命した司教二名をバチカン側が追認したといわれている(文匯報)。
 今回のバチカン側の破門の通告に対して応答したのは当然中国政府、その国家宗教事務局であり、応答内容は人選は民主的だったというものだ。バチカンの組織に民主的などありえないということも中国はまるでわかっていないか、毎度の俺様外交が通じる相手だと思っているのか。中国としてはそれなりに裏交渉をしていたという自負もあったようなので、総じて見ればむしろ今回の事態はバチカン側が強行に出ているという印象がある。
 しかし現実的に強行に出たかに見えるのは中国だろう。十四日天主教愛国会は三人目の福建省閩東教区の司教任命を敢行した。これでバチカンと中国の関係は事実上最悪の事態になったと言っていいだろう。そのあたり、中国様はわかってないかもなというガクブル感を、ラプスーチン佐藤(優)が”FujiSankei Business i. ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る/胡錦濤政権へのシグナル”(参照)で指摘している。


 バチカンにとって司教の任命権は譲ることのできない原則であり、現在、中国政府以外の国でこの問題をめぐってバチカンともめている国は一つもない。中国はバチカンの底力を見誤っている。カトリック教会が七八年にポーランド人司教を法王(ヨハネ・パウロ二世)に選出したのも、ソ連・東欧社会主義体制を崩す大戦略に基づくものだった。
 バチカンが本気になって中国人カトリック教徒の二重忠誠を利用するならば、ポラード事件とは比較にならない規模のインテリジェンス活動を中国政府の中枢で行うこともできる。今回、ローマ法王ベネディクト十六世の「天主教愛国会」関係者の破門は、バチカンが胡錦濤政権に対して「カトリック教会をなめてかかるとソ連・東欧の二の舞になるぞ」というシグナルなのであるが、どうも中国政府はそれを正確に読み取れていないようだ。

 私もそう思う。
 ここで重要なのはセンセーショナルなお話よりも、「司教の任命権」つまり叙任権だ。このあたりは世界史の「カノッサの屈辱」(参照)を思い出すといい。

ハインリヒ4世は北イタリアにおける影響力を増すべく自分の子飼いの司祭たちをミラノ大司教、フェルモやスポレトの司教などに次々と任命していった。教皇は司教の任命権(叙任権)は王でなく教会にあることを通達し、対立司教の擁立中止を求めたがハインリヒは聞き入れなかった(これを叙任権闘争という)。

 結果、ハインリヒ4世はどうなったか。

ハインリヒは武器をすべて置き、修道士の服装(粗末な服に素足)に身をつつんで城の前で教皇にゆるしを求めた。三日間、真冬の城外でゆるしを請い続けたため、教皇は破門を解く旨を伝え、ローマへ戻っていった。

 洒落でなく、胡錦濤の屈辱がやってくると思うのだが、彼は呑気にダヴィンチ・コード(参照)の映画でも人民に見せておけばいいとまだ高を括っている。もう少し現実的に言えば、カノッサの屈辱のような絵に描いたような胡錦濤の屈辱にはならないのだろうが。

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2006.05.28

初恋の味

 カルピス。なんてもうギャグにもならないのかと思ったら、JMAMというサイトの”「創業者から何を学ぶか」経営コンサルタント・市川覚峯第3回”(参照)が冒頭いきなりこれで飛ばしていた。声はできたら浜村淳で。


初恋の味といえばだれもが知っている、あのカルピス。もう80年もの間、初恋を続けてきている。甘酸っぱい独自の味を生み出したのは三島海雲という、純情一途の男であります。

 ここで歌が入るといいんだけど、先に進む。

 寺の息子として生まれた三島は、13歳で得度し、本願寺の大学寮に学び、“国利民福”つまり国の利益と人々の幸福を常に考える人生観を抱きます。
 25歳で中国大陸に渡り、大隈重信の勧めで蒙古の緬羊の改良に着手します。そして日本のために万丈に気を吐く大活躍をします。ある時彼は蒙古の家の軒下の瓶に入った、甘酸っぱい乳と出会います。蒙古の人々が健康で兵隊も元気があるのは、この乳のおかげであることを確信した彼は、この味を日本に持ち帰って人々を救おうと“民福”の心に燃え、何年も、何年もかかってカルピスの商品化を成功させます。

 「羊をめぐる冒険」(参照)を連想させるエピソードだが、彼が日本にもたらしたのは脳内羊ではなく、甘酸っぱい乳だった。いやあれは甘いってことはないけど。
 大隈重信はカルピス誕生のエピソードにも関わっているらしい。”COBS ONLINE:20世紀の発明品カタログ 第12回 「不老長寿の夢を求めて 初恋の味、カルピス」”(参照)はこうエピソードを伝えている。ちと引用が長いが、面白い過ぎなんで。

 明治天皇、崩御。その訃報を知った国民は悲しみに包まれ、大君の御霊を追って自害する者も少なくなかった。国中に末世的風潮が蔓延していたこの頃、ときの元老・大隈重信は、「国力の源は臣民の健康にある」との信念のもとに、大正元年、イリア・メチニコフの大著『不老長寿論』を大日本文明協会から出版した。
 メチニコフは大隈と同時代に生きたロシアの生物学者で、その主著『不老長寿論』は、文字通り不老長寿の実践的なテクノロジーを述べた快箸だ。いわく、人間の老化は、腸の中の廃残食物の発酵や腐敗によって有害な菌が発生することか要因で、それを抑えるためには乳酸菌飲料を摂ることが重要である……。その主張は、腸内の善玉菌と悪玉菌のバランスを保つことによって免疫カを高め、老化を抑制する、という現代医学の見解と一致し、今日の乳酸菌ブームの最初の医学的根拠となる。
 そして『不老長寿論』の出版から7年後、世界に先駆けて乳酸菌飲料の量産化に成功した男がいた。その男の名は三島海雲(かいうん)。商品名を"カルピス"という。

 「不老長寿の実践的なテクノロジーを述べた快箸」の最後のところは「怪著」とすべきかもしれない。私はポーリングとメチニコフの晩年のトチ狂いに関心をもって精力的に調べたことがあった。この分野のメチニコフ学説は単純に否定されているだろう(だって菌が腸に届かないんだし)と思ったが、日本では面白いことにヤクルトなんかでもそうだけど、メチニコフ学説のカルチャーが胃酸にも耐えてしぶとく生きていてなかなか無下に否定もできない空気が漂っていて、とか思っているうちに同じく辺境というか北欧で生き延びたメチニコフ学説がプロパイオティクスとして息吹き返してきて、なんだかわけわかんないになってきた。それはさておき。
 この時代の乳酸菌飲料の興隆はいまひとつわからないのだが、軍隊が兵士のカルシウム摂取のために牛乳を採用しようとしたけどゲリゲリな試験結果じゃんという背景があったと推測している。ちなみに日本人がカレーライスを食っているのも軍隊が不味い肉でタンパク質を摂取させようと工夫したもの。どっちも、戦後学校給食の柱となっているあたりが日本って今も戦時体制って感じだが、特定的なアジアからのツッコミはこのあたりにはない。知らないんでしょね。と連想だが、いつだったか、旧ソ連人生まれユーリ・イルセノビッチ・キムというカネも権力もあるオカタの個人的な趣味の映画セットの町をなんかのおりに映像で見た。ユーリさんは日本映画のファンでもあるらしく、そこに昭和初期の日本の風景セットもあって懐かしかったのだが、町のセットには乳酸菌飲料の張り紙広告なんかもあった。へぇって思った。それもさておき。
 でなんで牛尿なんだと昔知人の米人が笑っていた。いや日本ってそういう国なんだからさ。他にも、力塩基汗汁(ポカリスエット)とかじわっとクリープとか、いろいろ、ある。
 歴史的には「カルピスの誕生」(参照)にこうある。

「カルピス」の”カル”は、牛乳に含まれるカルシウム、”ピス”はサンスクリット語で、仏教での五味の次位を表す”サルピス(熟酥=じゅくそ)”に由来します。本来は五味の最高位である”サルピルマンダ(醍醐味)”から、”カルピル”としたかったところですが、音声学の権威である山田耕筰やサンスクリットの権威である渡辺海旭に相談をし、歯切れが良く、言いやすい「カルピス」と命名しました。

 音声学の権威やサンスクリットの権威も普通に英語は知らなかったと、Don't piss me off! 英語だとなのでCalpico。だけど、寺の子三島海雲の仏教の思いというか七カルマくらい思いが入っているのかもしれないカルピスもなかなかいいじゃん。
 「カルピスの誕生」を読んでいくと水玉デザインについての説明はある。

「カルピス」の発売は、大正8年の7月7日。七夕の日に発売されたことに因んで、天の川、すなわち銀河の群星をイメージした包装紙が、大正11年に当時の宣伝部員によってデザインされました。最初は青地に白の水玉模様でしたが、後年、白地に青の水玉模様に変わり、「カルピス」のさわやかさを伝えるものとして、いまだに古さを感じさせない優れたデザインと評価されています。

 だが、あれの説明がない。歴史を消しちゃうのもなと思い、ウィッキペディアを見るとあれについてこうある(参照)。

元々は、パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる様子の図案化イラストが商標だった。これは、第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うため、社長の三島海雲が開催した「国際懸賞ポスター典」で3位を受賞した作品を使用したものだが、1989年に“差別思想につながる”との指摘を受けて現行マークに変更された。

 ネットではThe Archive of Softdrinksというサイトの”Calpis Water”(参照)がもう少し詳しい。

 また、黒人マークは1923年(大正12年)に制定されたが、これは第一次世界大戦後のインフレで特に困窮している美術家を救うため、ドイツ、フランス、イタリアでカルピスのポスターの懸賞募集が行われた。その中から選ばれたのが黒人マークで、作者はドイツのオットー・デュンケルスビューラーという図案家であった。
 黒人マークは1980年代になると国際化時代の背景から人種差別的な問題を提起されたり、黒人差別をかかえる国々から反対意見を展開されるようになり、企業イメージの面で不利ということで1990年に使用を中止することとなった。

 あの絵もネットにあるだろうと思ったら、「こんなんみっけ」(参照)というページにあった。
cover
カルピス
マンゴー
 菅公学生服とか水原弘と由美かおるの大塚製薬ハイアースの看板とか、東芝エスパー君とか……廃れゆく日本の懐かしい風景でもある。
 あ、むりむりのアフィリエイトっぽいけど、カルピス・マンゴーはけっこう旨いです、いやマジで。

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