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2006.03.18

[書評]幸福否定の構造(笠原敏雄)

 「幸福否定の構造(笠原敏雄)」(参照)は以前から読んでみてはと勧められていた本だが、結果からすると私はこの著者を別の青年心理の専門家と勘違いしていたことや、なんとなくという敬遠する気分から、まだ読む時期ではないような気がしていた。が、ふと、今読むべきだと思って読んでみた。その直感はある意味で正しかった。というのは、私は最近密かにベルクソニアンを深めつつあり、その背景からより深く読み込めた部分がある。

cover
幸福否定の構造
 さて、ここで言うのは少し気が引けるのだが、本書は、一般向け書籍ということを考慮しても、精神医学の分野の書籍としてはトンデモ本だろう。おそらくこの分野に関心があり、所定の基礎知識を持っている人には受け付けないだろうとも思う。
 では、この本は、いわゆるトンデモ本のように笑い飛ばすことが目的かというと、そうではない。そうではないのは、この本で開陳されている理論はおそらくかなりの実効性を持つだろうと思われることだ。つまり、通常「統合失調症」とされさらに治療の効果がかなり期待できない対象にもある程度有効性を持つだろう。つまり、有効性という点に確信が持てるならこの理論の価値は高いとも言える。
 本書の主要命題は、帯を引用するが、こういうことだ。

「うれしいこと」の否定が心身症・精神病の原因となる。30年に及ぶ豊富な臨床経験から、人間の心の奥底に秘められた驚くべき仕組みを明らかにする。現行の人間観を覆す異色の理論。

 つまり、標題のように、幸福を否定することが心身症・精神病を作り出すというある意味で奇妙な理論でもある。もっとも、後期フロイトには死の欲動というテーマがあり、私は当初それに関連するかという予断を持っていた。それは違った。
 本書が掲載する、幸福否定のケースはそれなりに説得力を持つ。問題は、むしろ「幸福」の定義による。あえて引用しないが、笠原は、幸福と快感を区別している(その区別のためにベルクソンを援用している)。が、その区別は私には理解できなかった。という意味で私の了解だけの問題だけなのかもしれない。
 それでも、オウム事件における林郁夫を例とし、人は反省することによってより人格を高め幸福になるが、そうした幸福を否定することが精神的な病理をもたらすという展開には疑問を覚えた。私はこの分野ではラカンくらい古典的なフロイディアンなので、幸福に快感以上の意味を付与しない。余談だが、マズローやアドラーといった人々は幸福などの価値性を無前提に理論に導入するので同じように私には受け入れがたい。
 「幸福」がいわば括弧付きの超越的な道徳・倫理概念になっているなら、それは「善」と言い換えてもよく、そうなれば、幸福否定が問題というより、人間の本来的な善性の否定という構図になってしまう。ほとんど宗教の領域になる。
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平気でうそをつく人たち
虚偽と邪悪の心理学
 ただ、この問題はだから終わりとも言い難い。日本でもなぜかベストセラーになった「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」(参照)だが、これは標題やまたベストセラー時に多かった感想とは異なり、本質は、「悪」の心理学、というものだった。スコット・ペックの主張をよく読めば、それが神学的な領域に至ることへの方法論的な自覚もあった。
 実際の人生経験からすると、私も半世紀近くこの世にいるのだが、こうした善と悪の問題はそれほど抽象的なものではない。本書、「幸福否定の構造」でも注目している統合失調症(分裂病)患者特有の印象というものに近いある種の対人的な印象というものは、世間を生きるなかでも感受され、世間知に融合する。どんなに身の潔白を説いても、それがとりあえず表面的に辻褄が合っても、こいつは変だという感覚を人は対人判断に優先するようになる。もちろん、そこには個人差がある。
 本書の価値は、その実践的な有効性にあるだろうと先にふれたが、この関連で、本書で語られている小坂英世医師の理論形成史は私にはとても興味深いものだった。小坂が最終的に漢方医になってしまう点には、筆者笠原と同様に落胆するものを当初感じたのだが、読後しらばらくすると、この小坂の生き様には重要な意味があるようにも思えた。無意識というのは身体であるというテーゼを加えるなら、漢方医と東洋宗教的な解脱の融合は、同じ根の問題へのアプローチとしてありうるのかもしれない。
 他にもディテールにおいてとても興味深いことがいろいろあった。個別には見当識(参照)のとらえ方を変更する必要があるかもしれないとも思った。それら含めて、笠原の理論をどう自分の考えに受け入れていくかは多分私の課題になるだろう。その意味で、本書はたぶん、今後も何度も読み返す本にはなるだろうし、そうした経緯のなかで、評価を大きく変えるかもしれない。

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2006.03.17

おフランスの学生さん大暴れ

 フランスの学生暴動についてあまり関心が向かないでいた。興味が今ひとつわかないのはこんなバックラッシュしても大きな流れは変わらないだろうから、バックラッシュの常としてとんでもない鬼子のようなものが出てくるのはかなわないな。ユーロに移したわずかなゼニの動きはどうしようかくらいなもの。これがある閾値を超えれば、日本でもなんか勘違いした輩が出てくるんじゃないか。ブログとかも「使える」し……うへぇ。
 といきなり飛ばしたが、今朝の朝日新聞の関連記事標題もいきなり笑いを取っているし。”仏「若者解雇しやすくなる法」 学生反発、全土でデモ”(参照)。「若者解雇しやすくなる法」ですか、はぁはぁ。


 26歳未満の若者を雇えば最初の2年間は自由に解雇できる法律に反対する学生のストやデモがフランス全土に広がり、ドゴール体制を崩壊させた68年の5月革命の「再来」を予言する声も出始めた。だがドビルパン首相は、法律を施行する姿勢を崩していない。大統領選を1年後に控えて指導力を示したい首相は、あえて危険な「かけ」に出た。

 初っぱな舞い上がっているし。フランシーヌの場合ぁ♪、ぉっとそれは文脈違うってば。
 現状はこう。

 5月革命の舞台となったパリの学生街カルチエラタンでは連日、学生と警官隊の小競り合いが続いている。ソルボンヌ大学を占拠した学生が11日に排除された後、近くのコレージュ・ド・フランスに学生が突入する騒ぎが起きた。国立大学84校のうち学生が全学や一部を封鎖しているのは59校。15日にはパリの高校で生徒が占拠を始めた。16日も全国規模で抗議デモが行われた。

 ソルボンヌ大学ソルボンヌ大学五月革命か五月革命か五月革命か以下略。その気配がまるでないわけでもないのが不気味。
 日本とは違って旧態依然たるおフランス社会でエリートな学生さんたち大暴れの理由は、「若者解雇しやすくなる法」への反発。
 なんだその法?だが、初期雇用契約(CPE)を盛り込んだ新雇用機会均等法である。初期雇用契約(CPE)? 朝日新聞の同記事にもあるように、二十六歳未満の若者と無期限の雇用契約を結ぶ際、採用から2年以内は試用期間(強化期間)として解雇証明なしに解雇できるというもの。うっぷす、ひでーな、学生さん大暴れもご納得といきたいが、背景や詳細はそう簡単なものでもない。ブログ「L'ECUME DES JOURS ~日々の泡~ 」のエントリ”Contrat premiere embauche (CPE)”(参照)などが参考になる。
 英米圏では基本的に高見の見物のようでもある。日本版ニューズウィーク3・22「欧州を脅かす保護主義の亡霊」の次のコメントもその類であろう。

 イギリスやアメリカのように労働市場の流動性が高ければ、こうした法律も受け入れられやすいだろう。だが、フランスでは終身雇用が常識だ。
 「プジョーに就職すれば、プジョー一家の一員となる」と、ジャンルイ・ボルロー雇用・社会結束・住宅相は言う。「(終身雇用を)崩すことには根強い抵抗がある」
 しかし、グローバル化が進む今、温情的な雇用形態は維持しにくくなっている。変化に対応して迅速にリストラを実施できなければ、企業は破綻するおそれがある。

 三が出たらエントリの振り出しに戻るみたいなことだが、そういうことだ。
 ジャーナリズム的にはまだきちんとしたレポートを見てないが、学生さんを焚きつけているのはまさに五月革命か五月革命か五月革命かの爺層臭い。ずばり言うと……筆禍ぴょーんっぽいし、こんな話題では火中の栗を拾いたくもない。ただ、昨年通称EU憲法を支持していた日本のインテリ様たちからはおフランスの学生さんへの支援の声はあまり見かけないように思う。
 裏のもう一つは来年六月大統領選挙と統一地方選挙がある。なーんだ、選挙運動じゃん。ということなのだが、前回の大統領選挙を思い出せる記憶力がある人だと、こんなんで左派勢力が盛り返せるわけないっていうか、またルペンルペーン♪みたいなことにならなければいいのだが。もともと民衆運動連合(UMP)もヘタレっていうか足の引っ張り合いって楽しいなぁみたいなものなんで、政治不在はよくないと思うのだけど。
 ま、状況は流動的なんでワッチ。

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2006.03.16

媽祖廟

 明日十七日横浜中華街で媽祖廟の分霊式(開眼式)が行われるそうだ(参照)。関帝廟があるのだから、次は媽祖廟だろうなとも以前から思っていた。あそこからそれほど遠くない地域に以前住んでいたことがある。懐かしい思いがする。近いうちに行ってみるか。
 媽祖については現在の日本ではそれほどには知られてないように思えるがどうだろう。ウィッキペディアには一通りの説明があった(参照)。


媽祖(まそ、ピンインMazu)は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。特に台湾省・福建省・広東省で強い信仰を集め、日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ広まった。親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある。


中国大陸における媽祖信仰
媽祖は当初、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、福建省、広東省など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、元世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、清代康熙23年(1684年)には天后に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。

 現在でもこの地域では媽祖信仰が篤い。江戸時代の歴史風土の記憶を忘れることにした近代日本人からすると呆れるほどでもある。私なども、基本は海難除けであろうかと思うくらいだが。
 ウィッキペディアに天妃とあるように、また、横浜中華街媽祖廟のホームページでも説明があるように、沖縄(琉球)を日本史に含めるなら、日本初の媽祖廟は那覇にある(参照)。

 日本で最も早く祀られたのは那覇市で明の永楽二二年(一四二四)に当時の琉球王国の唐栄(営)が最古とされており、下天妃宮と呼ばれています。また、14世紀頃、中国との朝貢貿易始まった頃、福建よりもたらされた「上天妃宮」が一層古いという説もある。現在、那覇至聖廟内に天妃宮として祀られています。那覇市久米の上天妃廟跡は石門だけが保存されており、石門に続く石垣は布積みとあいかた積みから成る。天妃小学校の敷地内にある。
 http://www.geocities.jp/ryuuko5/210kumetenpi.html
 なお、久米島にも媽祖廟が祀られています。

 「天妃小学校」からもわかるように「天妃」は地名、天妃町であった。今は小学校名とバス停に名残を残すだけ(たぶん)。引用にある下天妃宮と上天妃宮にはいろいろ歴史の謎があるがここでは立ち入らない。現在の地名久米からわかるように、また那覇ハーリーでもわかるように久米の人たちの地域というのが歴史的な背景ではある。この話も長くなるので立ち入らない。
 同ページにはまた面白い指摘がある。

● 青森県大間町大間稲荷神社は元禄9年(1699年)に水戸から遷座したのが発祥という説もあり、現在も大間町の稲荷神社には天妃様が祀られていて、平成8年から毎年7月20日には天妃様行列が実施されています。http://www.jomon.ne.jp/~oomas/

● 茨城県北茨城市磯原天妃山
(参考)http://www.geocities.jp/gotos_room/_geo_contents_/tenpisan.html


 青森へなぜ水戸から遷座したのか、また茨城に天妃の名残があるのか、歴史を学ぶものにはピンとくるものがあるだろう。弟橘媛などもこのあたりの歴史に根を持っていそうだ。ネットを見たらこういう話に関心を持つ人もいるようだ(参照)。
 もう一点。

●鹿児島県笠沙町の野間神社は、廃仏毀釈以前は野間権現と呼ばれ、近世初頭には娘媽神が合祀されていたことから娘媽権現とも呼ばれています。
http://tabetabe.hp.infoseek.co.jp/kasasakikou2-3.htm

 このあたりも近代日本人が忘れた面白い歴史でもある。基本的に日本では近代以前は神宮寺からもわかるように、神仏は分離していない。いわゆる神道というのは江戸時代に再構成した宗教であろう。近代日本人がナショナリズムの神話として読む古事記も漢文で書かれているものであり、これを祝詞のような和文に仕立て直した本居宣長の創作をその後の日本人の多くは古代の言葉だと思っている。もっとも、宣長の言語学的な知識を考慮すればすべてが創作とは言い難い。いかん、話が逸れた。
 媽祖信仰は台南に盛んだ。四百くらいあると記憶している。ウィッキペディアはこう記している。

台湾における媽祖信仰
 台湾には大陸から移住した中国系の開拓民が多数存在した。これらの移民は媽祖を祀って航海中の安全を祈り、無事に台湾島へ到着した事を感謝し台湾島内に媽祖の廟祠を建てた。このため台湾では媽祖が広く信奉され、もっとも台湾で親しまれている神と評される事も多い。
 台湾最初の「天后宮」は台南市にある祀典台南大天后宮。
 この媽祖信仰は日本統治時代に台湾総督府の方針によって一時規制された。なお台北最大規模だった「天后宮」は台湾総督府により撤去され、かわりに博物館(現在の台湾国立博物館)が建てられた。

 この台南だが、八年ほど前だったか、私が媽祖信仰に関心があるのを面白がってか、では最大の神社を見せてあげようということで台南のかたに鹿耳門天后宮(参照)に連れて行ってもらったことがある。いや、ぶったまげた。東洋最大の寺院とかいうのも嘘ではないなというか、空中楼閣というか、なんだこのパワーはと思った。こんなのよく作るよなと呆れるあたりが、江原啓之で小じんまりする現代日本人には向いてないのかも。

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2006.03.15

量的緩和政策の解除だって

 量的緩和政策の解除について、私にはよくわからない。だから、ちょっとだけ書いておく。
 量的緩和政策は、庶民的な感覚からすれば、結果的に、家計部門から金融部門への所得移転、つまり、庶民の貯金が利息で増える分を銀行の儲けにしちゃったなということだった。その損失額は三百四兆円だという試算もある。日経”超低金利で家計に304兆円の「損」・日銀試算”(参照)より。


 日銀の白川方明理事は23日の参院財政金融委員会で、バブル崩壊後の超低金利で家計が得そこなった金利収入が累計で304兆円にのぼるとの試算を明らかにした。長引く金融緩和が家計に大きなしわ寄せをもたらしたとの見解を示した。

 もっともそれだけ金利が得られる状態という仮定は正しいかとか、金利がそれだけ得られる状況なら企業活動も活況であり所得も増えただろうといった議論も成り立つのかもしれない。私はよくわからない。が、たとえ所得が増えてもその再配分は現状より良かったかは疑問だ。老人や若者へはやはりしわ寄せになったのではないか。
 また、低金利時代でも銀行が儲けを出していたということは、ちょっと小狡い頭があれば、それ以上の金利はどっかで稼げたってことだろう。
 どっかって?
 ニューズウィーク日本版3・22、ピーター・タスカ「量的緩和解除の落とし穴」がヒントになりそうだ。

 もっと注目すべきなのは、バブル崩壊後の日本の投資家が停滞した自国経済を敬遠し、海外に資金を回したことだ。アメリカの債券市場を中心に、ニュージーランド・ドルなど高利回りの通貨や、債務担保証券やファンド・オブ・ファンズ、プライベート・エクイティーといった新しい金融商品にも資金が流れ込んだ。
 日本の資金が国内で投資されるようになれば、これまでの投資先は主要な買い手を失いかねない。日本の投資家のように、過大評価されている資産に喜んで大金をつぎ込む買い手は、二度と現れないだろう。

 皮肉屋のタスカらしいフカシと言いたいところだが、それでも前提として、日本の投資家は自国経済を敬遠して稼いでいたとは言えるだろう。ま、そんなことは庶民にはできないから銀行が儲けたんだよなと私なんぞは思う。
 タスカの懸念についてはよくわからない。この先を延長していくといろいろ愉快な陰謀論もできそうなのだけど、そうした推測は私には向かない。それ以前に、量的緩和=低金利という理解はどうよというのもあるだろう。
 話を戻して量的緩和政策の解除はこれでよかったのか。私は以前からそうだが、こうしたテクニカルな話は海外メディアのほうを信頼している。フィナンシャルタイムズはなんと言っていたか。
 ”Bank of Japan starts the return to normal”(参照)では、二点強調していた。

Two points need to be stressed: the first is that deflation has barely ended; the second is that monetary growth remains feeble. Note that the consumer price index (less food) in January was still 2.7 per cent below where it had been in December 1997 and was also no higher than in August 2002. Yet price levels as well as changes in price levels matter, since a long period of falling prices has increased the real burden of debt. Moreover, over the last two years the average rate of growth of broad money has been under 2 per cent. This hardly suggests monetary conditions have been too easy. The withdrawal of excess liquidity may shrink the money supply or at least slow its growth. That hardly seems wise after so long a period of deflation.

 一つは、日本のデフレは辛うじて終わった、つまり、ぶっちゃけ終わってないよ、ということ。違う? 私にはごく当たり前の現状認識だと思えるけど。
 二つめは、通貨供給量増加という点ではまだまだ弱々~、ということ。なので、過剰流動性が抑制されると通貨供給量増加もなくなる。"That hardly seems wise"というのは、馬鹿みたいじゃん、ということ。締めはこう。

The Bank of Japan has now taken a step towards the orthodox and is taking a risk in doing so. Let us hope that it will not, as a result, damage the recovery now under way.

 最後の一文はうっとりするような英文だな。シェークスピア演劇みたいだ。でも、この英国風の言い回しを普通の日本語にすると、馬鹿みたいな量的緩和政策の解除はヤメレってばさ、となるのではないか。
 とはいえ、事実上、短兵急な動きはないので、どうということでもない。ロイター”日銀の量的緩和解除に対し、市場は予想通り冷静な反応=IMF高官”(参照)はこう伝えている。

国際通貨基金(IMF)高官は13日、日本銀行による量的緩和政策の解除について、金融市場はこれを冷静に受け止めたとの見方を示した。

 つまり、やっぱり、とりあえず、どうってことはないのだろう。

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2006.03.14

あの時代、サリン事件の頃

 地下鉄サリン事件が起きた一九九五年三月二十日、私は東京に居なかった。沖縄の海辺で無意味に暮らしながら、かつで自分がよく乗った地下鉄のことを思い出していた。その一年前なら、私は殺されていたかもしれないとも思った。一九五七年生まれの私は、一九九四年、三十七歳だった。私より一回り年下の一九六九年生まれの人なら、あの時、二十五歳だっただろう。そしてその人は今年三十七歳になるのだろう。
 沖縄に持って行った本はごく僅かだった。本など読みたくもない時期だった。例外は「沖縄キーワードコラムブック」。この本にはあの頃の沖縄の現在が感じられた。初版は一九八九年、沖縄出版より。翌年続巻が出た。編集のまぶい組が後のボーダーインクになったかと記憶しているが違っているだろうか。ボーダーインクのワンダーはそれから購読していたが、昨年末に終刊した。先日バックナンバーフェアが開催されていたと聞いた。琉球新報”「ワンダー」が終刊 バックナンバーフェア開催”(参照)より。


足かけ16年にわたり編集長を務めた新城和博さんは、終刊について「これまで沖縄ブームを横目でにらみつつ、一つのサイクルが終わったかな、という感じ」と語った。
 フェアでは、同誌のバックナンバーをはじめ執筆者ら関係した人の著書を販売、表紙を手掛けてきた大城ゆかさんのイラストも展示されている。

 私も一つのサイクルが終わったのだと思う。大城ゆかのイラストも好きだし、「山原バンバン」(参照)は愛読書だ。いろいろ思いが去来するが、今でも、と言ってもいいだろう。ところで、なんで「山原バンバン」かって? 教えないよ。
cover
美麗島まで
 「沖縄キーワードコラムブック」のコラムニストのなかで、その名前をどうしても覚えてしまったのが与那原恵だった。「美麗島まで」(参照)の奥付で確認してみたが、やはり「よならはらけい」と読む。その読みの齟齬のような話も「沖縄キーワードコラムブック」には書かれていた。
 彼女は一九五八年、東京生まれ。私と同級生か一学年下か、いずれ東京で同じ時代の風景を見てきた。彼女はあの頃(今でもだろうが)頻繁に沖縄を訪れ、しかし東京に戻っていたことだろう。
 彼女のエッセイで忘れられないのは、当初「宝島30」に掲載された「フェミニズムは何も答えてくれなかった―オウムの女性信者たち」だ。これはその後、「物語の海、揺れる島」(参照)に収録された。書架にあるはずだと探したが、見つからない。貴重な写真が掲載されている本でもあるので、もう一冊購入するか。
 元の文章に当たることができないので記憶に頼るのだが、「フェミニズムは何も答えてくれなかった―オウムの女性信者たち」はまさに標題通りのルポだった。年代的には、与那原のように三十半ばから二十代半ばまでの女性たちが、ある何かをフェミニズムに求めたがそこから答えが得られずに、オウム信者となったというものだった。もちろん、私の記憶違いもあって重要なディテールを取り違えているかもしれない。が、私はそれを雑誌で読み、エッセイ集で読みながら、そうなのだろうと思っていた。フェミニズムに答えがなかった、というある感触はよくわかった。フェミニズムはここではもっと広義にしてもいい。
 もちろん、私は男で、女性の二十代後半からの生き様が抱え込む問題というのはわからない。だが、そう言っておきながら矛盾するが、わかるという感触は持っていた。現在、非モテとして若い男性が議論しているテーマのいくばくかはあの時代のフェミニズムへの希求に似ているのではないかと思うが、そういえば反論されるのでしょうね。
cover
笑う出産
やっぱり産むのは
おもしろい
 オウムに答えを求めたその年代の女性たちはその後どうしたか? わからない。たぶん、答えはさらになかったのだろうと思う。そして、その喪失の始まりは、やはり一九九四年頃のある時代の空気として覆っていたとように感じられる。書籍で象徴するなら、まついなつきの「笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい」(参照)が出たのが、一九九四年。ベネッセが「たまひよ」を出したのはその前年の一九九三年。失われるはずの十年の明るいといえば明るい前哨戦のようでもあった。アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
 そして十年が過ぎた。「わたしたち」はどこに行ったか。もっとも、そのレンジは、現在の三十五歳から四十五歳というあたりとぼける。世代論的な区切りというより、あの何かを求めた空気を背負った部分だ。
 私についていえば、ブログなんてもので饒舌に語り出した。しかし、言葉にもならない薄闇のような思いはある。そして、しだいに語りづらくなりつつもある。

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2006.03.13

ユダヤ人

 それほど多いわけではないが、昔幾人かユダヤ人の知り合いがいた。ユダヤ人といっても、イスラエル国籍ではなく米人であったり英国人であったりする。名前からベン・バーナンキのようにベタにわかる名前もあるが、米人なら普通にわかっても日本人にはわからないユダヤ人名もある。
 なぜ彼らがユダヤ人であると知ったかというと、二つの契機がある。他の人が、彼はね、彼女はね、となんとなく伝えてくれるのである。そんなこと伝えてもらってもねみたいだが、うまくいえないのだが、その、なんというか奇妙に絶妙に軽くふっと伝えるのである。伝えられてどうかというと、よくわからない。そういえば、ユダヤ教会(日赤の裏)でよくいろんな会合とか企画があったのだけど、なぜそこかって考えてみたらわかるよな。でも、当時私はよくわかってなかった。
 もう一つは、僕はあたしはユダヤ人なんだというふうに打ち明けられる場合。これにも二つある。何かの話題で、そうそうユダヤ人はこうやるんだ、そうそう、僕は、あたしは、ユダヤ人なんだ、という感じ。やー、ハッピーハヌカー、この巻きずしはコシャーだよ。
 そして、心に残るのは、そっと打ち明けられた場合だ。記憶のディテールは書かないが、ある男性だったが、そう自身から伝えてくれた。私のリアクションは今思うと滑稽なのだが、ユダヤ教を信じているのか?といったものだった。どう見ても彼は無神論者にしか見えないし、コシャーを食っているふうではなかった。自分が信仰とかで自己規定しないなら、国籍的も米国人なら、ユダヤ人であるかどうかということはあまり意味がないのではないか……とそんなことを思っていた。
 彼の答えは簡単だった。母がユダヤ人だったから。言われて、なんて私は馬鹿なんだと自分を呪い沈黙したことを思い出す。
 そうだった。母親がユダヤ人だと子どもはユダヤ人ということになる。それはどういうことなのか、と考える以前に、重たい歴史のようなものを感じた。ユダヤ人であることは、母と子の関係の歴史でもあるのだろう。
 うまく言えないのだが、彼は母親が好きでなかったようだ。それがユダヤ人であることに関係するのかどうかはわからない。いや、こういう問題は、知的にわからないと言ってすますにわけにはいかない何かがある。
 ユダヤ人の歴史がすべて母と子の歴史というものでもないだろうが、それが実際の西洋史にどのような陰影を残すのか、時折考える。
 マデレーン・オルブライト(参照)についてウィッキペディアを覗いてみる。


チェコスロバキアのプラハ生まれ。出自的にはユダヤ系であるが、本人は成人するまでその出自を知らなかった(ローマ・カトリック教徒として育ったため、ユダヤ人ではない)。 第二次世界大戦中は、ユーゴスラビアに避難し、ナチスの人種理論によるホロコーストを免れた。戦後チェコスロヴァキアが共産化したため、1950年、米国に移住。ジョンズ・ホプキンス大学やコロンビア大学で学ぶ。

 間違った記述とは言えないだろう。「ローマ・カトリック教徒として育ったため、ユダヤ人ではない」も正しいのだろう。しかし、とここで、ある何かがまた心を去来する。彼女がその出自を知ったのはまさに彼女が公務にあった時期であり、いろいろと彼女の思いを巡る文章を私も読んだことがある。
 英語のほうには少し陰影がある。

In 1996, Albright discovered that her grandparents had been murdered at Auschwitz and Terezin. Albright has stated that she did not know she was Jewish until she was an adult.

 成人してから、自分がどの人種かを知るということがある。そこでいう人種とは歴史でもあり、まさに肉親を巻き込んだ質感と重みのある歴史だ。こうした側面の問題については日本にも関わりがあるし、私も実際に知人との関係で考え込んだことがある。
 人というのは歴史的存在である。そして、その歴史的存在であるという限定は常にある思弁とそれゆえの正義を希求しがちだ。しかし、歴史の質感というものは、そうした思弁に抗う何かをもっている。オルブライトはカトリック教徒だろう。だから、ユダヤ人ではないというのは間違いではない。彼女の思いがそれで割り切れるわけではないことを知るには、人は実際に多様な人に出会って、その関係性の距離において、その人が担ってきた歴史の質感を知らなくてはならないのだろうと思う。

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2006.03.12

英国人デビッド・アービングがオーストリアで逮捕

 旧聞になる。二月二十日、オーストリア、ウィーンの裁判所は、英国の歴史家デビッド・アービングに禁固三年の有罪判決を言い渡した。罪状はナチスによるホロコーストを否定したことだ。オーストリアやドイツではホロコースト否定が法律で禁じられている。なぜ英国人がオーストリアで裁判という疑問もあるだろう。当然ながら、「極東ブログ: エルンスト・ツンデルはカナダからドイツに”送還”」(参照)も連想されるし、同じことはイランのアハマディネジャド大統領に当てはまらないのか、ちとタメっぽいが疑問も浮かぶ。
 今回の逮捕については、共同”ホロコースト否定の英歴史家に禁固刑 オーストリア”(参照)よれば待ちかまえていたかのような印象を受ける。


 同国司法当局は1989年、アービング被告がオーストリア国内での講演などで「アウシュビッツにガス室は存在しなかった」などと述べたとして、逮捕状を出した。アービング被告は昨年11月に講演のため同国を訪れた際に逮捕された。

 十五年以上も前の逮捕状だったわけだが、アービングは忘れていたのだろうか。報道されている逮捕時の彼の言い分は興味深い。ちなみに、一九九二年のドイツで彼は同罪で罰金刑を受けたことがある。

 同被告は法廷で罪状を認め、過去のホロコースト否定は誤りだったとして「後悔している」と表明。判決に対しては「ショックだ」と述べ、控訴する意向を示した。

 共同のお話で読んでいると、捕まっちゃったからごめんね、ボクちんほっぺをペチみたいに見えるが、実際はそうではない。ブログでは「セカンド・カップ」”思考を裁く”(参照)がこの問題の難所をよくとらえていた。

 話を整理すると、アービングという英国人がオーストリアで裁かれているのは、オーストリアにおけるホロコースト否定が問題だったからで、これは過去の一時点でのアービングの見解により、その一時点とは1989年、と。
 で、その後アービングはこれを否定して、俺は間違ってた、いろいろ知ろうとするといろんな文書が出てきて、自分は間違ってたってことはあるわけですよ、と言っている、と。


 間違ってましたと言ったところで、過去の「罪」は消えない、そしてその「罪」とはまったくの言論であり思考だ、という点がさらに強化されたといえるだろうと思う。

 この問題が日本でどう受け止められたかについては、ちょっと書く気力がわかない。ただ、同じく「セカンド・カップ」”余波はきっと続く”(参照)に引用されているGlobe and Mail紙の見解は参考になる。同ブログのパラフレーズを借りる。

「ホロコースト」は近代史の中で最も文書で立証されているケースの一つなんだから、アービングの世界観を覆すのは難しいことではない、獄に繋げるのは間違ってる、と締めている。

 とりあえずはそう言えるはずではある。しかし……と嘆息する部分はある。
 ニューズウィーク日本版3・8「ホロコースト否定を否定する不自由」ではこの問題について、米国エモリー大学デボラ・リップスタット教授が興味深い見解を述べていた。彼は、アービングを「ヒトラーの同志」呼んだことでアービングから名誉棄損で訴えられたことがある。今回の逮捕について彼はこう述べている。

 だが私は、祝杯をあげる気などなれない。言論の自由が狭められてしまうのが嫌なのだ。


 私はアービングに訴えられたとき、憎悪あふれる彼の発言に誠実さで対抗した。彼の言い分がすべてナンセンスであることを法廷で立証した。私の圧倒的な勝訴は、彼のホロコースト否定論者にも壊滅的な打撃を及ぼした。公の場で堂々と、彼らの論理を破綻させたからだ。
 もしイギリスにホロコーストを否定する発言を一刀両断にする法律があったら、否定論者がでたらめであることを暴く機会はなかったかもしれない。

 私もデボラ・リップスタット教授に同意する。と同時に、日本における別の風土を懸念する。同種の問題では、歴史の事実が問われず、イデオロギー的な審級に移行され、そしてイデオロギー対立から、「人間のクズだ」「人としてどうよ」としてそのままバッシングする傾向がある。繰り返す、歴史の事実が問われずにだ。
 この問題にはもう一つの側面がある。レイシズムの問題だ。彼はこうも加える。

 法で規制するより、事実と調査を突きつけて嘘つきや人種差別主義者を追い込むべきだ。

 人種差別主義に基づく主張は、その対象の差異はありつつも、ネットの興隆とともに日本でもよく見かけるようになってきた。

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