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2006.03.11

ラオホの実験

 最近の科学の話題ということでもないが、量子力学パラドックス関連の実験で私が時たま考えることのメモの関連をちょっと書いておく。本当は、ラオホ(Helmut Rauch)(参照)自身の論文にあたるべきなのだろう。が、ここでの話は「「量子力学の反乱」―自然は実在するか?(最新科学論選書)」(参照)の孫引きですよ。なお、基本的な話はネット・リソースとしては「アインシュタインの科学と生涯」(参照)によくまとまっているように思えた。
 ラオホの実験については後で触れるとして、話のテーマは、シュレディンガー方程式における波束の収束はどのように起きるか(という命題が哲学的にナンセンスな可能性はあるにせよ)、ということ。いわゆる観測問題もちょっと関係している。


 さて、ボーアの考えでは、観測の際にミクロの対象はマクロの装置と相互作用したとたんに制御不能な攪乱を受け、瞬間的にフォン・ノイマンが言ったような波束の収縮が起こるとしていた。しかし、前章で述べたように測定過程に量子力学を忠実に適用してみると、波束の収縮はミクロの感覚で言えば非常に長い時間をかけて起こることがわかった。だとすれば、干渉可能な純粋状態から測定後の干渉のない混合状態への移行は、この中間状態を通ることになる。この中間状態では、測定の必要条件である検出は途中まで行われ、干渉も残っているだろう。いわば”半検出・半干渉”の状態である。このときに粒子を見ようとすれば、”半粒子・半波”の状態であろう。ここで、”半”というのはもちろん1でも0でもないという意味で、その中間のどの値でもよい。このことは、測定装置を決めれば(つまり何を見るかを決めれば)、対象は波か粒子かどちらかとしてしか観測されないという相補性の議論に反する。

 いわゆるシュレディンガーの猫パラドックス的にいうと、半死半生状態がわかるというのものだ。
 ラオホ実験、その一。

 ラオホは中性子が波動関数で表される波の性質を持つとしたら、その干渉作用を次のような実験で確かめられると考えた。装置に1本の中性子線を入射し、これをいったん2つに分け、ふたたび合流させる。この合流点に検出装置を置いておく。2つの経路を対称的配置にすると、両方の通路を通ってやってきた波(波動関数)は検出装置で山と山、谷と谷が重なって強め合う。だが、もし片方の通路を通ってくる波の来方だけをずらせば、合流したときの重なりが違ってくるだろう。

 この前提で装置を作成し、各種の干渉を見た。
 で、なにわかったか。

 また、ラオホの実験では中性子線の粒子密度を非常に低くして、中性子が入射してから検出されるまでの間に実験系に存在する中性子の数は平均0.003個となっていた。ということは、観測される干渉は、1個の中性子がそれ自身との間で起こす干渉といっていい。それは1個の中性子が波として空間に広がり、両方の通路を同時に”通る”ことによってできたものである。

 ほぉ。
 町田はこう説明する。

 この実験における位相器の振る舞いは、「ミクロの対象がマクロの装置と相互作用すると、その瞬間に制御不能な攪乱を受ける」というボーアの学説に反している。前章で述べたわれわれ(筆者と並木)の観測理論でいえば、位相器の振る舞いは、検出過程がミクロ的には非常に長い時間をかけて起こっている場合に対応する。

 町田的には、波動関数の収束がゆっくり起きているのだと言う(んなの当たり前とか言われそうだが)。ちなみに、町田・並木理論についてのページもあった(参照)が、上位のページにいくとなんか奇妙。
 ラオホ実験、その二。

 次にラオホのもう1つの実験に移ろう。装置は前と同じだが、中性子を入射するやり方が違う。今度は中性子がポンポンとかたまりになって入ってくるようにする。それも1つのかたまりがちょうど1個の中性子が”粒子”的に空間の狭い領域内にあるような状態にする。
 (中略)量子力学に従うと、このかたまりは空間に広がった一定波長の波が重なったものである。そのいろいろの波長の波を自由に取り出せるはずである。そこでラオホは、干渉を見る検出装置の手前に波長分析器を置き、特定の波長だけが検出装置に行けるようにした。それは量子力学によれば”粒子”的なかたまりのずっと外まで広がっていなくてはならない。

 で、どうなったか。

位相器の厚さを”粒子”的なかたまりの干渉が見えなくなる厚さの数倍にしても、検出装置は干渉をとらえたのである。

 どういうこと?

 このことは、中性子のように電子の2000倍の質量をもち、陽子とともにわれわれのまわりのすべての物質の重さを担っている重い粒子でも、量子力学が予言するとおりの波的性質をもっていることを示した。そして、普通の実験で粒子的にかたまって見えたとしても、本当は波動関数が示す通り空間に広がった”存在”であることを明らかにした。

 で、どこまでそれが広がっているのか?

 ラオホの実験は室内で行われたが、広がりの大きさを制約するものは原理的には何もない。ホイーラーの宇宙規模の遅延選択実験でもこれを利用して、非常に狭い幅の波長だけを選んで観測することにすれば、1個の光子の空間的な広がりはいくらでも大きくすることができる。片方の光を光ファイバーで貯めておく以外に、この手段も併用すれば、干渉を観測できる可能性はさらに大きくなるわけである。ただし、波長の幅を狭くすればそれだけ光の強度が弱くなるから、その点では観測の困難が増すことになるだろう。
 こうしてみると、「1個の粒子の広がり」という言葉も、簡単ではないことがわかる。たとえば、1個の電子を考えるとすると、それは一定の質量、電荷、スピンをなどをもっている。その場合の1個というのは、質量や電荷などが1個分の値をもつという意味でははっきりしている。ところが、同じ1個の電子の空間的な広がりに注目すると、それはもっと複雑な意味を持っている。われわれが粒子の広がっている空間でそれを観測すると、粒子はある確率で見いだされる。その確率は波動関数の2乗だから粒子の広がりは波動関数の広がりで決まることになる。

 つまり宇宙の果てまで? そうらしい。なお、図18aは釣り鐘形のグラフ。

 1個のミクロの粒子は、すべての波長でまとめてみれば図18aのように局在していても、ある波長幅だけで見ればその広がりはずっと大きくなる。そして、波長を1つの数値に限定すると、その波は空間全体に、宇宙のすみずみまで一様に広がってしまう。このような無限の空間全体に広がったものが”1個の粒子”だとするのは、常識ではとうてい受け入れがたいことかもしれない。しかし、量子力学によればまさにそうなっているのであり、ラオホはそれが正しいことを実証してみせたのである。

 ちなみに、この不可分な性質を、私はEPRパラドックスやベル不等式の破れと同じ文脈で理解していたが、ときたまそういうことを書くと、違う、おまえは全然わかっとらんとかコメントをいただく。
 残念ががら、なにがどうわかっとらんのか今に至るまで納得できない。ただ、ラオホ実験のこの量子のビヘイビアというのは面白いものだなと思う。
 とりあえずそれ以上はない。昔は、存在とはなにかということで量子力学やら数学基礎論(自然数は実在するかとか)やらに関心を持った。歳とともにあまり関心はなくなりつつある。
 ネットを眺めていたら「量子測定と記録 遠藤 隆 はじめに」(参照PDF)というエッセイがあり、こう書いてあった。

 量子力学において記録という過程を考慮することが重要であることがわかった.これによって,状態収縮という量子力学の基本原理と矛盾する過程を導入しなくても済むようになる.ただし,このことは状態収縮が起きていないことの証明にはならない.しかし逆に言えば状態収縮が起きていることを観測によって示すことも不可能なのである.なぜなら状態収縮を検知する装置があるなら,その装置は,検知しなかったことによって収縮が起きていないこと,すなわち重畳状態が生じていることを表示することが可能であるが,重畳状態を検知する測定装置が存在しないことは証明されている.したがって収縮を検知する測定装置も存在しない.
 ではなぜ我々の認識は外部世界が収縮していると感じるのであろうか.その理由はわからない.ただ言えることは,外部世界が重畳状態にあっても,我々はそのことを知り得ないということである.これは,人間の認識が常に認識の認識を伴うことと関係があるのかもしれない.観測に伴う記録を常に再読しつつ観測を行うために重畳状態であることが認識できないのではないだろうか.

 この件については、自分なりにというか大森荘蔵的に思うことがあるが、それはまたなにかの機会でもあれば。

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2006.03.10

ココログ頓死記念にブログ論という与太話

 それほど理由を知りたいと思うわけでもないのだが、ココログが昨日からずっと死んでいた。昨日はエントリのアップもできなかった。なので、病欠というわけでもないが、極東ブログはまたしても欠を作った。
 私事だが先日過労で倒れて、ブログ千日回峰行もついに頓挫した。ブログ阿闍梨にはなれないものだった。千日回峰行を二度成した酒井阿闍梨が以前回峰行には必ず難所が来ると言っていたし、覚悟はしていたが、覚悟が足りなかった。阿闍梨の決意には遠く及ばない。彼らは難所を乗り切る決意のためにスイス・アーミー・ナイフを携帯しているらしいし、そういえば、相撲の行司もそうだったが、たしかこちらはゾルリンゲンだったと記憶している。
 ‥‥そんなワケで、私なんぞ一度ブログ行はだめかなと躓いていたので、昨日のココログの頓死も、しかたないかぁ、神も大石先生もサイコロを振るか、くらいの呑気な気持ちでいた。特にエントリのネタものない。といえば、今日もエントリのネタはない。二十年近いニフティのつきあいや、ヘビーユーザーの一人としてココログの悪口をたーんと書いてやろうとも思ったが、大人げない。なにごとも仏業の妨げとなるようなことは洒落であっても慎むべしであろう。
 とはいうもののブログの話でも。

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ネットは新聞を殺すのか
変貌するマスメディア
 今週の日本版ニューズウィークのカバーストーリーを見ると「ブログは新聞を殺すのか」とある。ほぉ、湯川さんですか、と思って読むのだが、湯川さんのインタビューはない。「ネット」と「ブログ」の違いはあれ、なんか仁義にもとるなという感じするがそのけっこうどうでもいい感こそ日本版ニューズウィーク編集者の見識なのだろう。釣りはこう。

ネットの急速な進化が名門NYタイムズをも存亡の危機に。
激動の最前線アメリカからニュースメディアの未来を総力リポート

 スポイラーっぽい言い方をするのだが、これって「激動の最前線アメリカ」ということで、このお冠から日高義樹とか落合信彦とか田中宇とかとか出てきそうなへなへな感がどーんだが、どうも米版のオリジナル記事はないようだ。日本版の特集なのだろうか。読んでみると、なんか変なパロディ文章のような印象もある。英題は、Will Blogs Stops the Presses? とあり、これもちょっと変な感じもする。
 関連記事が三本ある。「紙のニュースが燃え尽きる日」(Turbulent Times)、「市民メディアの夜明けが来る」(Power of the People)、「フリーペーパーは脅威か」(How Much Is "Freee"?)。人にもよるのでしょうが、どれも私にはピンとこなかった。標題から予想のつく以外の話もない。
 なんだろこのボケ感は。米国と日本が違い過ぎるし、その違いがまるで考慮されていないからではないかと思う。日本の新聞というのは、紙面を計測してみるとわかるけど、半分は広告である。チラシ広告を折り込むための大きな広告と言っていい。日本の新聞は戸配の広告媒体である。
 そして、紙面的には残りの半分の半分にニュースがあり、その残りが特集とか書評みたいなもの。後者の部分はブログでも足りる。が、NYTなんかではコラムニスト部分が有料になっているように、ゼニの取れるコラムの書ける人は限られている。
 前者がいわゆるジャーナリズムというべきかもしれない。ここは一次情報が問われる。ニューズウィーク日本版でもそこがいかに大切かということで、新聞がなくなればブロガーはイラクに特派員を出すのかというタメの疑問のようなものを出している。
 この手の一次情報についての議論は、最近はあまり見かけなくなったがブログで以前ちょいと話題になった。つまり、新聞は一次情報を扱うけどブログは二次的だというのだ。しかしねぇ。その一次情報たるも半分は記者クラブ・クローズのお上垂れ流しが大半。それに産経新聞と共同通信がいい例だけど、一次情報については通信社があればいいわけで、つまりは一次情報っていうのも新聞というくくりではそれほどどうというものでもない。ついでに言うと日本の新聞の外信ってけっこう海外紙のベタなコピペだったりする。
 と、書いていて退屈になるように、ブログか新聞かというフレームはどうでもいいよになりつつある。実際のところ、日本の場合は、新聞は戸配というインフラがある限り続く。新聞は戸に収納された高齢者向けのメディアということだ。すでに若い世代は新聞を読んでいない。高齢者はけっこう長生きするので、案外このフレームはあと二十年くらいもつのだろうけど、そして瓦解して終わる。というか、新聞が高齢者メディアに変質して、どうでもいいよ感のなかで黄昏を迎えるのだろう。
 問われるべきことがあるとすれば、若い人とジャーナリズムの関係だろう。これは基本的には、無料メディアに収斂していくだろうし、エンタテイメントに収斂していくだろう。ガセでもネタならいいじゃん的な。亀甲おもすれーとか。
 もちろん、そんなのがいいわけはない。本当は誰もが、ジャーナリズムがあるべきような真実の報道を欲しているはずだ、というか、そういうものがないと高度に情報化した社会はうまく機能しない。
 現状ではその、本当って何何何?という部分が、高度なクチコミ化している。ミクシって百万人以上いるのだっけ。いずれにせよ、そういう高度なクチコミのなかで、あいつが言っていたし、あいつも言っていたし、だから、ポーションの青色一号は発癌性があるんだって、ふーんみたいな。
 ホッブズの言う、万人の万人に対する闘争状態という自然状態ではないが、ネットの世界は万人の万人に対するフカシ状態という自然状態になるのだろう。
 そこで真理に対する審級性にコストが払われるかどうかが社会に問われるのだろうが、どうなっていくのかよくわからない。真理に対する責任のコストのようなものが経済活動のなかで欲せられるのか。いわゆるメディア論的にはそのあたりはだめぴょんということで公共放送の有意義性というのが出てきたのではなかったか。議論が巡回する。
 ブログ論とか考えるだけ無駄と思ってあまりこの手の話はする気はないが、考えてみると、若い人たちがどう社会に向うかというところで基礎的に信頼性の高い情報がどう提供されるのか、とても気がかりにはなる。

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2006.03.08

ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話

 ベラルーシの大統領選挙が三月十九日行われる。ルカシェンコ大統領の二期満了に伴うものだ。次は誰か、と言ってみる。ベラルーシの憲法では以前は大統領三選を禁じていた。が、二〇〇四年に三選を可能にする憲法改正の是非を問う国民投票を実施し、賛成多数で承認。なので言うまでもなく、ルカシェンコはまた選挙に出る。出て当選するのかというと、現状ではほぼ間違いない。ということなのでそれほど話題にもならない。
 昨年の一月時点では「極東ブログ: お次はジンバブエとベラルーシかな」(参照)でも少し触れたが、まだ米国の言挙げもあり、つけ込むのかなという雰囲気もあったが、現時点ではもう話題にならない。ロシア近隣国の民主化ドミノが終了し、米国ももう乗り気とも見えない。
 いわゆる西洋型民主主義ということでは問題は多い。最近では二日付け朝日新聞”大統領選目前のベラルーシ、野党系候補の身柄拘束”(参照)に外信があった。


 大統領選の投開票を19日に控えた旧ソ連ベラルーシの首都ミンスクで2日、野党系候補のカズリン前ベラルーシ国立大学長が治安機関に身柄を拘束された。ルカシェンコ大統領の強権的な政治手法への懸念が高まる中、対立候補の逮捕という異例の事態となったことで、国際的な批判が高まることは避けられない状況だ。

 紋切り、テンプレという記事だが、その後、それほどには「国際的な批判が高まることは避けられない状況」とも見えない。
 しかし、国民はその非民主的な状況に反対しているかというと、政府側の各種の弾圧があるのを差し引いてみてもそれほどでもないようだ。「極東ブログ: ロシアとウクライナ天然ガス問題」(参照)でも触れたが、ウクライナのどたばたを見て、ああなりたくないと国民は考えているようでもあり(天然ガスも安価にロシアから供給されている)、なにより失業率は一パーセントというのも、え?みたいな状況だ。もちろんその数値への疑念はあってしかるべきだろうが、実態もそれほどかけ離れたものでもないようだ。
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マリア・
シャラポワ写真集first
 ……ってなエントリを書いたのは今朝のラジオでベラルーシの大統領選挙の話があって、そうだったなと思い出したからでもある。ラジオでは、前振りにロシアのテニス選手シャラポワの話があり、それによると、彼女の母親はベラルーシ人でチェルノブイリ原発事故が原因で旧ソ連時代のソ連に移住した。もしあの事故がなければシャラポワはベラルーシ人だったかもしれないというのだ。
 私はテニスにまったくといってほど関心がないが(ゼロではないのは理由があるが)、この話は以前からちょっと気がかりだったので、調べてみた。
 まず、ウィッキペディアだが、チェルノブイリ原発事故の関連の記述はない(参照)。なんでロシア人なのかもよくわかんない記述になっている。

 両親はベラルーシ・ゴメリの出身。4歳の時からテニスを始める。6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

 英語のほうには説明がある(参照)。

Her parents are originally from Homiel, Belarus, but moved to Russia in 1986 in the aftermath of the Chernobyl nuclear accident. Sharapova was born in Nyagan, Russia, the following year. While having Belorussian roots and residing in the USA, Sharapova holds Russian citizenship.

 ちょっと補足的にまとめてみる。
 来年で二十周年になるがチェルノブイリ原発事故がウクライナで起きたのが一九八六年四月二十六日。影響はベラルーシにも及ぶ。
 翌年四月十九日、シャラポワはソ連下のニャーガニ市(ハンティ・マンシ自治管区)で生まれる(参照)。ということは、両親がニャーガニ市に移住してからの妊娠ということなのだろう。
 両親が原発事故以前にいたのは、ベラルーシのゴメリ(ホメリ)市(参照)ということで、この時点ですでに両親は結婚していたのだろうか。たぶんそうなのだろう。ゴメリ市はウィッキペディアにもあるようにチェルノブイリ原発の影響を受けた。

ウクライナの国境付近にあり、チェルノブイリ原子力発電所に程近いソジ川 Soz の右岸に位置する。ホメリ市庁舎の位置は北緯52度44分16.70秒、東経30度98分33.30秒。1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所の事故で大きな被害を被った。

 地図のほうがわかりやすかもしれない。ベラルーシ共和国情報サイト「ゴメリ州」(参照)に地図がある。また次の記載があった。

ゴメリ州はチェルノブイリ原発事故の影響を最も受けた場所でゴメリ、モギリフ、ブレスト州で16万人以上の住民が避難した。

 シャポア父母はその十六万人に含まれていたのだろう。
 その後なのだが、英語ウィッキペディアにはこうある。

At the age of three, Sharapova moved with her family to the resort town of Sochi, beginning to play tennis at the age of four, using a racquet given to her by Yevgeny Kafelnikov's father. At age five or six, at a tennis clinic in Moscow, Sharapova was spotted by Martina Navratilova, who urged her parents to get her serious coaching in the United States.

 シャラポワ嬢三歳のとき、リゾート地、ソチ市(参照)にさらに移住。ウィッキペディアのこっちにはシャラポワの記載がある。

スポーツ設備も充実しており、ソチのテニス・スクールはマリア・シャラポワやエフゲニー・カフェルニコフらを育てた。ロシアサッカー連盟もソチに年間を通じて利用できるナショナルチームの練習施設を建設することを発表した。ソチは2014年冬季オリンピックの開催都市に立候補している。

 ふーんという感じだが、なぜシャラポワ一家がリゾート地に移住したのかはよくわからない。案外三歳くらいで、この子はいつか四回転ジャンプをしますよとか期待をもたれていたのかもしれない。

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2006.03.07

農村問題鋭意尽力中全人代はまだ半ば

 第十期全国人民代表大会(全人代)は十四日まで続くので現在途中というところ。だが、農村問題が主要課題となっていることはすでに明白であり、このあたりでメモをしておいてもいいかもしれないという気になる。
 朝日新聞は昨日の社説”中国全人代 農民も病院に行きたい”(参照)でその標題からもわかるがパセティックに飛ばしていた。


 伸び盛りの中国。外見は元気はつらつだが、体内に多くの不安を抱える。思い切った手術を必要としているのが、農民、農業問題である。
 農民が一昨年、手にした現金は平均で800余元だった。日本円で1万数千円でしかない。一方、大学生1人には4年間で3万元以上もかかる。農民の30~40年分の年収にあたる。
 これで農民が子供を大学にやれようか。義務教育の小中学校さえ重荷だ。

 うぅぅ貧乏は惨めじゃという口上でもあるのだが、よく読め。「義務教育の小中学校さえ重荷だ」って何? いやね、義務教育は無料じゃないってことだ。朝日新聞もこの先で「すでに農産物にかかる税の減免がはかられてきたが、義務教育費の免除や医療システムづくりも進められる」とか触れているけど、今回の全人代でようやく「義務教育費の無料化」が打ち出せた。日本みたいにdisguised communismな世界ではないのだ、中国は。

 人口約13億人の中国で、戸籍の上では9億4千万が農民に数えられる。出稼ぎも増えたが、7億5千万は農村で暮らす。膨大な人々が発展から取り残され、都市住民との収入や生活水準の差は開くばかりだ。

 農民が出稼ぎもできない貧しさか、つらそうだ……おっと待ったぁ、ちょっと違う。中国では生まれたときから農村籍か都市籍かに分かれていて選択の余地はない。それは欧米でいう人権問題状態。日本でいうとなんだかよくわからないが。Welcome To 農村というサイト(参照)「大連の農村」の、これは写真のキャプションということで洒落も入っているのだけど……。

 好きでここに生まれたわけではない、何がどうなったのか僕は農村に生まれてしまったのだ。農村籍が付いてしまった以上都市では住めないのだ。一生百姓をやるしかないのだろうか?。
 都市で生まれた人は都市籍、農村で生まれた人は農村籍と決まってしまって都市籍の人は農村に住めるのに農村籍の人は都市には住めない。大連市籍を買うのに10万元以上掛かるそうだ。一生掛かってもそんな大金見る事も出来ない。

 とはいえ昨今多少籍の問題は緩和もある。なにより、実際の問題として、都市が農村籍の安賃金の労働者を必要としていたのでお目こぼし状態だった。
 さらに朝日新聞は……。

 高い医療費が社会全体の問題になっているが、ここでも農民は苦しい。「救急車に乗れば豚1頭がむだになる。入院したら1年の稼ぎがむだになる」。農村ではこんな言葉を耳にする。

 絶妙なフェイント、それは「農村では」だ。正確には「農村でも」。サンケイ・ビジネスi”全人代政府活動報告 農民の生活改善が主眼 医療体制も課題”(参照)より。

 九億の農民のうち、約一億五千万人が余剰労働力となっている。貧しい農村から都市に出稼ぎに流入した「民工」と呼ばれる労働者は最底辺の生活を強いられている。
 改革開放路線で先行発展した沿海部の都市でも低所得層は生活に困窮している。医療費が高額なため、病院に行けない都市住民が大勢いるのは農村と共通した問題だ。

 たしか、「民工」は「盲流」の言い換えだったと記憶する。
 ぼんやり飯食いながら流れてくるNHKのニュースを聞いていたら、二千年続いた農業税が廃止になったといっていた(それって史学的に正しいのかよ)。これは以前からその必要性が言われていた。で、このあたりよくわからないのだが、ではそれまで必要とされていた農業税の部分はどうなるのか。というか、ぶっちゃけ、農業税を誰が必要としてんだうりうりでもある。私の憶測だけど農業税の廃止ではそのうりうりあたりが当面の目的なのではないか。
 産経新聞もここぞと”中国、失地農民4000万人 突然の略奪、揚げ句…犯罪者扱い ”(参照)で悲惨な話をてんこ盛りにしていたが、もうちょっとおなか一杯状態。
 中国様も大変だなぁと思う。軍拡とか宇宙ロケットとかの費用を回したらいいんじゃないか。そういう足がかりが今回の全人代といいのだけど、ま、たぶん、違うでしょ。と言った手前、放言ぽくなるけど、中国人は基本的に政治闘争しかしない人たちだから、これもそういう流れなのではないのか。

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2006.03.06

米国財政赤字の実体は知的投資か

 ラジオ深夜便二月二十八日零時台、国際金融アナリスト大井幸子による「ニューヨーク・マーケットリポート」が奇妙に心に残り、それからときおり考えていた。
 最新のリポートとしては住宅市場の軟化ということ、また、アラブ首長国連邦でドバイに本社のあるDP Worldが米国内の六カ所の港湾施設管理を担う是非問題についても触れていた。この話題はこのブログで扱うべきか少しためらったなと思い出す。

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魂の求める
仕事をしよう
ニューヨーク発
よいキャリアの築き方
 大井の話はそれからなんといっても米経済は堅調、と続くところで、アナウンサーは財政赤字・貿易赤字問題はどうでしょうと突っ込む。彼女の回答はというと、バーナンキも懸念は示しているもののと切り出し、米経済のこの十年の構造変化に話を転じた。
 ポイントは、米国ではIT革命を経て知識による生産性が高まり、さらなる向上のために、優れた知識産業の人材を得るための教育費・研究費の費用が増えた――二〇〇〇年以来四十二%の伸び――という話は眠気を誘うふーんといったところのなのだが、その先、こうした費用が経費計上になっているが、これを投資として計上すると財政赤字はぐっと減るというのだ。ほんと?
 そういう話はネットにあるのかなと思ったら、ほとんど同じ話が彼女の会社のサイトにあった。”アメリカの底力について Knowledge-based economyの意味”(参照)である。

 財政赤字について、ビジネスウィーク誌は、これまでの政府予算では研究開発や教育活動を経費として計上しているが、これを国の将来への投資として計上すれば赤字はなくなる。米国では国富を産み出す人材にカネが回る仕組みが行き届いている。この点こそ、米国の経済成長を支える基本的な要因であり、米国の利点、底力といえるだろう。

 というわけで、大井自身のオリジナルの話というよりビジネスウィーク誌がネタ元らしい。それは私は読んでない。が、多分本当なのだろう。
 戦後日本のように製造業ベースの産業だと設備投資が経済発展の指標になるわけだが、知識が生産性を決定する社会にあっては、研究費や教育費が投資になるのは当然でもあるし、堺屋太一とかも言ってそう。問題は、そういうオヤジ・ビジネス書的な一般論ではなく、米国財政赤字の実体がそうした知的投資だったのかということだ。別の言い方をすれば、赤字に見えるのは経理上の問題ということか。
 当然、日本はどうだろと思うのだが、よくわからない。なんとなく思うのは、日本の財政は事実上国家コントロールの利く公益産業への投資ということで地域への富の再配分となっているだけではないのかということだ。日本の研究開発費や教育費が将来の知価を高めるためには機能してない気がする。
 話はそれだけで、これを機会にそのあたりちょっと視点を変えて見てみようか、と思った。

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2006.03.05

ダルフール危機がチャドに及ぶ

 三日付けUNHCR ニュース速報”チャドとスーダン双方から国境を越える人びとが続出”(参照)で、チャドとスーダンの国境地帯の治安が悪化したことから、その両方向の難民の移動が報告されている。端的に言えば、チャドのダルフール化が進みつつある。この機に、その後のダルフール危機についていくつか気になるところをメモしてみたい。
 二月二十八日共同”ダルフール人道危機、チャドにも拡大 米紙報道”(参照)はニューヨーク・タイムズの孫引きで次のように伝えていた。


 28日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、スーダン西部ダルフール地方のアラブ系民兵が隣国チャドに越境し、抵抗する住民を無差別に殺害、少なくとも2万人のチャド人が家を追われ、国内避難民化していると報じた。

 スーダン政府を背景とするジャンジャウィードがチャドに侵入していると見ていいのだろう。
 同記事ではアフリカ連合(AU)軍の限界も伝えている。

ダルフールには7000人規模のアフリカ連合(AU)部隊が展開しているが、資金難のため近く国連に任務を引き継ぐ見通し。国連は1万―2万人規模の新たな大型平和維持活動(PKO)部隊派遣計画の策定に入っている。

 識者は当初からAU軍では問題の解決にほど遠いことを認識してはいたものだが、私も含めてできればAUがこの問題を解決できればという期待を持っていた。もう限界とすべきだろう。
 およそ大規模な虐殺を制止させるにはそれなりの対処が必要になる。個々人の倫理に還元できる問題ではまるではない。
 ダルフール危機については死者数がわからない。日本での報道は私の見た範囲では初期の七万人説があるくらいでその後それ以上の被害であることがわかりつつあるが死者想定数が消えた。「極東ブログ: ダルフール危機報道について最近のメモ」(参照)で触れたように、四十万人という理解が妥当なのだろう。
 共同はニューヨーク・タイムズの孫引きをしていたが、同紙の二月二十二日付けの社説”Beyond Strong Words on Darfur”(参照・有料)では、一瞬これは本当にニューヨーク・タイムズかと疑問に思えるようなブッシュ大統領の支持から切り出されていた。

It's good that President Bush is now talking tougher about the need for more robust military action, including increased support from the NATO alliance, to stop the killing in the Darfur region of Sudan. What would be even better would be a United States commitment to provide specialized reconnaissance and air support for the United Nations force being planned for Darfur later this year.

 ちなみに結語はこう。

It's not America's job to police the world. But Darfur is a special case, which the Bush administration has rightly described as genocide. Mr. Bush has shown that he understands the scope and urgency of Darfur's crisis. The next step is for him to accept the role America needs to play in a timely solution, before thousands more people needlessly die.

 ベースにはAU軍限界の認識がある。それにしても、いわゆるリベラル派からようやくNATO軍もという線が見えてきたことはこの問題の認識の広がりを示すものだろうとも思われるし、EUの状況の変化も大きい。この間、イスラム暴動なども大きなうねりとなってか、フランス、というかシラク大統領は親米的な路線に転換した。
 日本もあまり対岸にいるということもできなくなるのだろう。二日付け共同”米大使、スーダンPKOで日本の部隊派遣に期待”(参照)ではボルトン米国連大使の日本への要望を伝えている。

 ボルトン米国連大使は一日の共同通信との会見で、国連が検討しているスーダン西部ダルフールへの新たな平和維持活動(PKO)部隊派遣について、PKO設置が決まった場合には「日本が(部隊に)参加してくれるなら大歓迎だ」と期待感を示した。

 問題のもう一つの軸はいうまでもなく国連である。改革は迷走しているかのようにも見える。なかでも国連改革の主眼とも言われる人権理事会設立がうまくいかない。今日付の共同”国連人権理、土壇場で難航 議長案に米が“拒否権””(参照)はこう伝える。

理事会設立は昨年9月の国連総会特別首脳会合で合意。現在の国連人権委員会(53カ国)には、政府系民兵による住民虐殺が指摘されるスーダンなどが名を連ね、「完全に破たんしている」(ボルトン米国連大使)との批判が出ている。このため、理事会に格上げし機能強化を図ることになった

 共同は曖昧にしか触れていないが、中国の思惑はある。

中国の王光亜国連大使も「(当面の課題が一段落する)6月末ぐらいまで議論を封印する方向に傾きつつある」と話しており、13日までに打開策が見いだせない場合は設立がずれ込む可能性が高まるとみられる。

 ちなみに同記事の次の結語は呆れて物が言えない。

常任理事国の拒否権を盾に、安全保障理事会を仕切ってきた超大国、米国。今回の動きは「一国一票、拒否権なし」の総会でも、状況次第では米国が事実上の拒否権を行使できる国連の実態を映し出した。

 先のニューヨーク・タイムズ社説の危機認識とあまりに差がありすぎる。

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