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2006.01.07

ロシアとウクライナ天然ガス問題

 年末年始にかけて世界が注目したロシアとウクライナ天然ガス問題は意外なと言ってほど急速に収束した。よかったと言えばよかったし、概ねブログで提言するようなこともないようだがどうも奇妙な後味が残るので、曖昧な意見にはなるだろうが少し記しておきたい。
 私の政治的な視点は基本的に欧米保守と大差ないのだが、ウクライナ問題についてはかつて通称オレンジ革命の際にややふざけて「極東ブログ: 美人だろうが民主化だろうが、私はチモシェンコ(Tymoshenko)が嫌い」(参照)を書いたように、あまり西側の論調に同調できない。また、私を揶揄する人たちは私を自民党マンセーだのブログを読みもしないで言うのだが、例えば、自民党原田義昭衆議院議員ブログ”仕事始め、そしてウクライナとロシア”(参照)など、私はまるで賛成できないどころかとほほな思いになる。


 ロシアがウクライナに対する天然ガスの供給をストップした。するとウクライナは自国を通過するパイプラインからガス成分を抜き取った。そのため今度はEU各国への供給が途絶え始めた。慌てたのはロシア・・・。この寒空、遠いヨーロッパでこんなことが起きている。ロシアがウクライナとの価格交渉で圧力をかけるために採った措置だが最も多くを失ったのは、勿論ロシア。経済関係に政治や軍事、非経済事象を持ち込むのは完全な禁じ手、ましてや天然ガスというライフライン(基本的生命線)、あの国の言うエネルギーの「安定供給」などいかにいい加減なものかが満天下に示された。
 先日訪れた、愛しのウクライナ!!あの人たちがこの寒空、国の誇りのために懸命に闘っていることを心から応援します。

 なにが「愛しのウクライナ!」だか。そのウクライナとは何を指しているのか。ちなみに、三月二六日の議会選挙に向けて現在ウクライナでユシチェンコ支持は一二・四パーセントに対して、親ロシアのヤヌコビッチ支持は一七・四パーセント(NHK)。こういう実態を原田義昭衆議院議員は知っているのだろうか。
 とはいえ欧米の論調も基本的に原田議員に似てロシアを非難していた印象を受けた。しかし、このロシアの態度は二〇〇四年ウクライナ大統領選挙の際に想定されていたことで、別に寝耳に水というものではない。オレンジ革命なんていう祭はどうでもいいから、この問題こそユシチェンコ政権の成立と共に対処すべき課題であったのが放置されていたに過ぎない。しかも、ウクライナ支持とかしていた自由主義諸国はこの問題でウクライナを援助していたわけでもない。昨年一二月二四日のワシントンポスト”Democracy's High Price”(参照)でもそのことは指摘されていた。

Will the West stand up for democracy in Belarus and Ukraine? So far there's not much sign of it. The European Union decided shortly after Mr. Lukashenko's announcement to postpone the launch of a radio service intended to provide uncensored information to Belarusans. Poland's foreign minister, Stefan Meller, spoke with Secretary of State Condoleezza Rice about Ukraine's gas price problems during a visit to Washington this week, but they did not reach agreement on a concrete response. Many in the administration remain unwilling to react to, or even acknowledge, Mr. Putin's aggressive campaign to undermine Mr. Bush's pro-democracy policy. As U.S. lassitude continues, Mr. Putin's price keeps going up.

 視点を変えれば、ロシア・プーチン大統領はウクライナ締め付けの暗黙の是認を読み取っていたとして不思議でもない。
 しかも、今回の問題で実際上パニックとなったのはウクライナの問題というより、ウクライナを経由するガスのパイプラインでヨーロッパ側へのガス提供が減ったことだった。
 この問題の詳細が報道などからはよくわからない。報道例として”欧州向けのガス供給回復へ増量 露ガスプロム ”(参照)はこう伝えている。

 ガスプロムは三日の声明で「ウクライナが違法にガスを抜き取っていることでエネルギー危機が到来することを阻止するため」として、一日に減らした供給量の約八割に当たる日量九千五百万立方メートル分の追加供給を再開したことを明らかにした。
 そのうえで、供給量低下は、ウクライナがガスを「盗んだ」ことが原因と糾弾し、増加分は「ウクライナ向けではない」と強い調子で牽制(けんせい)した。
 これに対し、ウクライナ側は、ガスの抜き取りは行っていないと弁明した。ただ、供給停止措置を前に「ウクライナを通過するガスの15%を得る権利を有する」とも表明しており、欧州向けガス供給が大幅に減少した原因をめぐり双方が激しく対立することも予想される。

 個人的な印象に過ぎないのだが、ウクライナ・ユシチェンコ側はヨーロッパをわざと問題に巻き込んだのではないだろうか。というのは今回の決着のケツがヨーロッパ側に回されているのも胡散臭いからだ。読売新聞”ウクライナ向け天然ガス、露が輸出再開合意”(参照)より。

 ロシアはEU諸国向けにガスを送るため、ウクライナ領内を通過するパイプラインを使っている。露側がウクライナ側に支払っているパイプライン使用料は、これまで1000立方メートルのガスを100キロ送るのに1・09ドルだったが、同1・6ドルに引き上げられる。これにより、ウクライナ側は、ガス買い付け価格上昇に伴う衝撃をほぼ吸収できる見通しだ。

 いずれにせよ、当面の問題は収束し、一応国際的にはというか西側の論調としては、ロシア脅威論と原子力活用という二面に移りつつある。典型的な論調としては、ワシントンポスト”Russia's Energy Politics”(参照)が一例になるだろう。

Even if Mr. Putin adopts this course, Western countries should absorb an important lesson. Without a prosperous or technologically advanced economy and with greatly reduced military strength, Mr. Putin hopes to restore Russia's world-power status through its control of gas. That inevitably means manipulating supplies to other countries for political ends. Western countries that do not wish to receive Mr. Putin's ultimatums -- from Germany, France and Britain to the United States, which is being pressed by Russia to line up as a major customer for new Arctic gas fields -- should realize that dependence on Russian gas is not consistent with "energy security." Instead they should develop alternative sources of supply, or a greater emphasis on nuclear energy. Russia cannot be allowed to hold its neighbors, or the world, hostage during a future cold winter.

 私はこうしたロシアを過剰に敵視していく論調は違うのではないかと思う。今回の問題の基底に、いわゆるオレンジ革命はイラク民主化と同じ路線が産んだものであり、ブッシュのレームダック化に伴うものだろう、と考えざるをえない。その路線を復興させればいいと単純には思わないが、対処にはグローバルな政治が問われなくてはならず、そこにかつてのリーディングとしの米国の力が薄れつつある。
 話が飛躍するが、今回の問題を日本の新聞が好きな言葉、他山の石、とするなら、中国のエネルギー囲い込みがどう日本を締め付けていくかが問われなくてならないだろう。ロシアと中国をどう適切なマーケットに引き出すかがイデオロギーの先に問われるべきだろう。残念なことにそれ自体がイデオロギーの様相を帯びつつ衰退しつつある。

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2006.01.06

独断的和食の味付けについて

 ときたまする料理の話。和食の味付けについて。もちろん、私が適任なわけもないのだが、私とって当たり前のことが世の中あまり当たり前でないことがある。そういう時は…大抵は私が間違い。もちろん、というわけで謙虚に独断である。

cover
割合で覚える和の基本
 が、村田吉弘の「割合で覚える和の基本」などを読むに、大雑把に考えると、私の考える基本と同じみたいだ。
 で、ずばり和食の味付けのヒケツは何か? ちょっと搦め手から言うのだが、砂糖と塩を使わないこと。和食の味付けに、砂糖と塩はほとんど不要。砂糖と塩を使うから味がブレるのだと言いたい。
 じゃ、どうするのかというと、味醂と醤油を使うのである。
 しかも、使い方は非常に簡単。両方を等量合わせて使うだけ。等量合わせるためには計量スプーンが必須。精密に計る必要はないが、大さじで計量したほうがいい。
 あとは、味の濃さについて、水量と大さじの関係を人数に合わせて一度決めておく。一度決めておけば、味にブレなど起こりようがない。私はしないけど、味醂と醤油を合わせるのがめんどくさければ、最初から合わせておいてもいいかもしれない。
 ここでやっかいなのだが、醤油は、薄口醤油を使うこと。和食の味付けの醤油は薄口醤油が基本。
 味醂と醤油が決まれば、あと、これにダシがあれば、和食の味付け終わり。
 ダシはうるさいこと言う人がいるけど、粉ダシかパックダシでいい。ダシ取りで料理に時間をかけるのはプロか暇人。
 味醂、薄口醤油、粉ダシがあれば、煮物から鍋からうどんまで和食はほぼオールマイティである。これで物を煮るというのが和食なのである。どのくらい煮るかは、煮る物の特徴で決まる。和食というのは、素材の質を覚えれば、レシピ不要。
 もうちょっと正確に言うと、肉や魚などたんぱく質の場合は、味醂の部分を味醂と上白糖で半々に分ける。味醂・上白糖・薄口醤油が、0.5:0.5:1、という感じだ。肉じゃがとか、煮魚とかだね。なお、酒についてはあえて触れない(難しくなるから)。
 各要素の上質化は、やりたければどうぞ。もちろん、比率をもう少し自分の好みに合わせるというのは当然どうぞ。醤油によって強さも違うだろうし。
 醤油は薄口醤油と言ったが、慣れないと薄口醤油の選びは難しいものだ。関東だとあまり選べない。決め手は香りである。が、偉そうな醤油は要らない。適当なところからまとめて通販しておけばいいと思う。迷うなら、私も使っている伊勢醤油本舗を勧めるが、オンラインでは薄口醤油が買いづらい。電話するといい(親切である)。
 味醂は、ミリン風とかいう偽物は論外だが、上質なのはきりがない。味に凝るなら年代物を試してもいいけど。っていうか、上質なのは、そのまま飲むと旨い。和風ソーテルヌという感じ(慣れるとちょっとやみつきになる危険性あり)。
 ダシも手間があるなら、ちゃんとカツブシを削ると、全然香りが違う(削り機は回転式のがよい)。昆布とかもだね。だが、これもキリがない。冬茹は一日かけて水で戻すこと。
 和食っていうけど、そんなんで江戸前というか東京味の料理ができるのか?
 できない。あのどす黒くて甘い東京の味は、これではできない。ので、どうするか。ここで、砂糖と濃口醤油が登場する。これも、砂糖と濃口醤油を等量使う。
 もともと江戸の食い物は東京(江戸)湾の臭い下魚みたいのを使うので、濃口醤油には臭み抜きが期待されていたのだろう。
 砂糖・濃口等量の合わせでいわゆる丼物とかはできる。ただ、卵丼とか親子丼でこれだと醜いので、砂糖と薄口醤油を勧めたい。照り焼きやすき焼き類は、逆に、味醂と濃口醤油、と言いたいのだが、この場合は、味醂と上白糖半々に濃口醤油を合わせる(0.5:0.5:1)。
 濃口醤油もいろいろあるが、これはもともと刺身醤油だったもの。醤油の品質はこの刺身醤油の観点からランク付けされているので、一般的な料理にはあまり関係ない。逆にいうと、掛け醤油(濃口)はそこそこに上質なのを少し使うといい。そして保存が大切。密閉して冷蔵庫に入れておく。掛け醤油は使うときだけ小分けにする。
 ちょっと余談だが、今でこそ江戸(東京)の料理はどす黒く甘いのだが、江戸時代はあれほど甘かったのだろうか。当時は水飴があっても上白糖はない。はっきりとはわからないのだが、明治時代以降砂糖の普及とともに、佃煮の味が一般化したのではないか。保存性を増すということもあったのだろうが。
 で、塩は?
 もちろん、塩は料理に使える。菜っ葉など塩をして食うだけでも旨い。海産物もそう。というか、塩はまさに素材に「塩する」ために使う。所謂和食の料理用の調味ではない(沖縄料理は別だけど)。もっとも、先のフォーミュラ(味醂・薄口醤油等量)で塩味が足りないときは、ちょっと加える。というか、そのあたりで好みの味を出す。吸い物は味醂等量だと甘過ぎだとか(吸い物に味醂入れるなとかのご意見もあろうが)。
 余計なお世話だが、他人の台所を見ていかんなと思うのは塩と上白糖を同じような容器に入れてあること。間違いの元。しかもこの間違いは破壊的にして不可逆的。容器を徹底的に別物にするか、三温糖など砂糖のように少し色付きを使うといい。いっそ、塩は振り塩だけにしてもいいのだが、昨今はやりの天然塩というのはじっとっとしているので振り塩が難しい。料理は塩振り三年とかいうが、そんなもの、さらっとした細かい岩塩を使えばいいのだ。
 というわけで、あの調味料の「さしすせそ」っていうのが、調味の大きな間違い、だと私は思う。さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=醤油、そ=味噌というやつだ。ついでなので、酢だが…というような話はまた。

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2006.01.05

[書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所)

 米国の有名なシンクタンクの一つであり、インターネットの生みの親とも言えるランド研究所が人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊の本のリストを昨年年末に提示していた。”50 Books for Thinking About the Future Human Condition”(参照)がそれである。各書籍にはなぜそれが重要かという簡単な解説もある。
 日本人にしてみるとこうした書籍はできるだけ邦訳で読みたいものだ。なので、この機に邦訳があるものの対比リストをざっくりとだが作成してみた。
 間違いもあるかもしれない。邦訳がないもので自分のわかる範囲については代替の本を挙げておいた。
 なお、米国のシンクタンクの重要性については、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文春新書)」(参照)を一読されるといいだろう。


    過去
  1. The New Penguin History of the World
    1. 図説 世界の歴史〈1〉歴史の始まり」と古代文明
    2. 図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明
    3. 図説 世界の歴史〈3〉古代ローマとキリスト教
    4. 図説 世界の歴史〈4〉ビザンツ帝国とイスラム文明
    5. 図説 世界の歴史〈5〉東アジアと中世ヨーロッパ
    6. 図説 世界の歴史〈6〉近代ヨーロッパ文明の成立
    7. 図説 世界の歴史〈7〉革命の時代
    8. 図説 世界の歴史〈8〉帝国の時代
    9. 図説 世界の歴史〈9〉第二次世界大戦と戦後の世界
  2. Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies
    1. 銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
    2. 銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
  3. Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed
    1. 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
    2. 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

    過去から見た未来
  4. The Economic Consequences of the Peace
  5. The year 2000: A framework for speculation on the next thirty-three years: Books: Herman Kahn
  6. Next 200 Years
  7. Coming of Post-industrial Society
    1. 脱工業社会の到来 上―社会予測の一つの試み
    2. 脱工業社会の到来 下―社会予測の一つの試み
  8. Future Shock
    人類の発展
  9. The Evolution of International Human Rights: Visions Seen (Pennsylvania Studies in Human Rights)
  10. Readings In Human Development: Concepts, Measures And Policies For A Development Paradigm
  11. Oxford University Press: Human Development Report 2000: United Nations Development Programme
  12. Oxford University Press: Human Development Report 2001: United Nations Development Programme
  13. Oxford University Press: Human Development Report 2002: United Nations Development Programme
  14. Oxford University Press: Human Development Report 2003: United Nations Development Programme
  15. Oxford University Press: Human Development Report 2004: United Nations Development Programme
    世界統治 未来
  16. Global Public Goods: International Cooperation in the 21st Century

    国際紛争 未来
  17. Understanding International Conflicts: An Introduction to Theory and History
    健康 未来
  18. Genomics and World Health

    人口問題 未来
  19. How Many People Can the Earth Support?
    技術革新 未来
  20. The Next Fifty Years: Science in the First Half of the Twenty-First Century
  21. Genome: The Autobiography of a Species in 23 Chapters
  22. Nanotechnology: Basic Science and Emerging Technologies
    情報技術 未来
  23. The Transparent Society: Will Technology Force Us to Choose Between Privacy and Freedom

    環境問題 未来
  24. The Two-Mile Time Machine: Ice Cores, Abrupt Climate Change, and Our Future
  25. Natural Capitalism: Creating the Next Industrial Revolution
  26. Ecosystems And Human Well-Being: Synthesis (The Millennium Ecosystem Assessment Series)

    エネルギー問題 未来
  27. Winning the Oil Endgame

    グルーバル化経済 未来
  28. Globalization and Its Discontents
  29. In Defense of Globalization
  30. The Lexus and the Olive Tree: Understanding Globalization
  31. Economic Development (The Addison-Wesley Series in Economics)
  32. The End of Poverty

    異文化問題 未来
  33. No God but God: The Origins, Evolution, And Future of Islam

    地域問題 未来
  34. Understanding The European Union: A Concise Introduction (The European Union)
  35. The Rise of China (Main Page)
  36. China's Second Revolution: Reform After Mao
  37. India: Emerging Power
  38. Modern Latin America
  39. A Peace to End All Peace: The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Modern Middle East
  40. Russia in Search of Itself
  41. African Politics and Society: A Mosaic in Transformation
  42. State Legitimacy and Development in Africa

    未来
  43. Futuring: The Exploration of Tomorrow
  44. Macrohistory and Macrohistorians: Perspectives on Individual, Social, and Civilizational Change
  45. Shaping the Next One Hundred Years: New Methods for Quantitative, Long-Term Policy Analysis
  46. Who Will Pay?: Coping With Aging Societies, Climate Change, and Other Long-Term Fiscal Challenges
  47. Global Crises, Global Solutions
    全体
  48. Biomimicry: Innovation Inspired by Nature
  49. Fantastic Voyage: Live Long Enough to Live Forever
  50. Amish Society

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2006.01.04

[書評]小林秀雄の流儀(山本七平)

 昨年といっても先月のことだが、ふと思いついたように同年に出た小林秀雄全作品〈別巻1〉「感想」(参照)を取り寄せて読み始めた。小林秀雄の古典的な主要著作については私は高校生時代にあらかた読み終えており、その後はぼつぼつと「本居宣長」(参照)を読んできた。二十歳の青年だった私は小林秀雄の著作によってその後の精神的な年齢の確認をしてきたようにも思う。今になってみると、いわゆる古典的な著作はなるほど小林秀雄の若いころの作品だなと、まるで年下の人の作品のように思えるが、半面「本居宣長」は遠く起立した巨大な岩山のようにも思える。精神の年を重ねていくことの指標のようにそこにある。
 が、その道程に欠けているのは「感想」のベルクソン論であることは随分前からわかっていた。この作品は小林秀雄自らが封印していた。そしてその意思はある意味では尊重すべきだろうし、読まなくてもいいものでもあろう。当時の雑誌を取り寄せて読むのも難儀なことだ…しかしそれを言うなら「本居宣長」の雑誌掲載時のもう一つのテキストも同じ難儀ではある。
 「感想」をとりあえず一読し、そしてその意義(封印の意義)もある程度了解したものの、これもまた巨岩に近いものであり、小林秀雄の五十代の主要作品として私の五十代の課題ともなるのだろう(生きていられるなら)。
 というところで、そういえば、今回の全集では〈別巻2〉「感想(下)」(参照)に事実上遺稿となった未完の「正宗白鳥の作について」がありそれもついでに通し読みしながら、しばし物思いにふけった。

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小林秀雄の流儀
 私の父は正宗白鳥に会ったことがあり、その思い出を私は直に聞いている。祖父も白鳥の作品は折に触れて読んでいたと言っていた。そうしたこともあって、私は白鳥の作品をいくつか読んだ。小説は何も心に触れるものはなかったが、随想はある意味で決定的ななにかを含んでいた。簡単に言えば、彼の秘密とその最期である。
 さらにそういえばと、山本七平の「小林秀雄の流儀」(参照)を書架から取り出して読んだ。読書としては三度目くらいになるのだろうか、ある意味で現状もっとも優れた小林秀雄論とも言えるのだが、同時に山本七平が小林秀雄の文章の魔力に呪縛されたようになっており、読みづらい本である。そのせいか、山本七平の選集とも言える山本七平ライブラリーからは外されたのだが、おそらく山本七平の内面をもっとも映し出す書籍でもあるだろう。そのことは、彼の自伝とも言える「静かなる細き声」(参照)の標題が、旧約聖書のエリヤの故事に由来するのは当然としても、小林秀雄のドストエフスキー論によって山本七平が着目したことに由来するからだろう。なお実際の標題は息子山本良樹によるものではあろう。
 散漫な文章になったが、今回「小林秀雄の流儀」を読み返したのは、小林秀雄の最後の白鳥論と山本七平の思いを顧みたかったからである。だが、結論から言えば、やはりと言ってもいいのだが、語られていない。「感想」収録の「正宗白鳥の作について」で小林秀雄が正宗白鳥の内村鑑三論にあれだけ言及していて、しかも山本はその内村の系譜のクリスチャンでありながら、そこには触れていないのはむしろ不思議には思えた。
 しかし、考えてみれば、「小林秀雄の流儀」はある意味で小林秀雄が何を語らなかったという問題であり、そこには当然、山本七平がなにを語らなかったが重ねられている。
 以前「小林秀雄の流儀」を読んだときは、七平さん(私は生前二度ほどお会いした)が小林秀雄の「本居宣長」をバイパスしようとしているなと思ったものだ。彼は本書で宣長については二十年したらなにか言えるかもしえないと仄めかしもあった。だが、再読して、それは仄めかしでも韜晦でもなかったのだなと思った。なるほど彼にその年月の寿命があるわけでもなかったとして、やはり「本居宣長」を強く胸に秘めて語らなかったのかもしれない。
 もちろん、語らないということは単なる沈黙ではなく、なぜ語らないかについて逡巡する饒舌であると言っていい側面がある。その饒舌は当然、文章としての構成に危機を与えるものであり、十分な作品なり著作なりにはまとまりえないものがあるだろう。だが、そのプロセスの苦労というか、まさにベルクソンの認識のコアにある努力のようなものが、人の精神の中年以降の成長を魅惑してくるものでもあろう。

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2006.01.03

シリウスとシリウス暦のこと

 正月でブログなんぞ覗く人は少ないだろう、とはいえ、あまり退屈なエントリを並べるのもなんだし、かといって、「鬼門は丑寅」とあるように、鬼は丑寅、つまり、牛と虎のアマルガム、なので、頭に角を生やし腰に虎のパンツを履いているだっちゃみたいなトリビアを書いてもさしてウケないであろう、とかつらつら思いつつ、とりあえず昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究(栗本慎一郎)」(参照)を書いてアップロードしたものの、間を置かず、あ、そうかと思った。なーんだという感じである。とはいえ、昨日のエントリはとりあえずそのままにしておこう。
 あ、そうかと思ったのは、シリウスである。なんでシリウスかというのを前のエントリではとりあえず放置しといたが、なんのことはない。引用した部分で栗本先生がちゃんと指摘しているように、ペルセポリス全盛の時代はシリウス暦だったからだ。シリウスを計測して暦としていた。つまり、宇宙の時間を計測するのはシリウスが原点だった。だったら、シリウスが一番重要に決まってるじゃん。あったりまえ。しまったな、自分で言っておきながら、つい中華的コスモロジーに引っ張られたなというわけだ。
 太陽暦を使い、しかもシリウスで暦を計測するなら、神殿の役割はまさにシリウスを観測のために存在する以外ありえない、なんて誰でもわかりそうな話ではないか。ただ、その延長にある陰謀論じゃない日本古代史の議論は多少奇怪なものになるのだろう。つまり、応仁天皇陵もペルセポリスのゾロアスター(ミトラ)教の神殿と同じく、シリウス観測の神殿的な役割を持っていた、と。
 そう書くだけで、すでにトンデモ的世界に足を突っ込んでるじゃんとか言われそうだが、言うまでもなくと言いたいのだが、前方後円墳というのは「墳」が付くように墳墓ということで確かに埋葬者もいるのだが、あの建造物はでっかいお墓でしょで終わり、というのは近代の発想に過ぎず、実際は、あれは、なんだかよくわからない何かなのだ。というかあれだけでかければなんらかの神事の場でもあったには違いないだろう。たしかできた当時は白石で覆われていて湾港からもワクテカに見えたことだろう。
 応仁天皇陵がシリウス観測遺跡というなら、シリウス暦をその時代の日本人が知っていたか?そのあたりとなると実証的なサポートは不能であり、穏当なところでは、シリウス暦が日本古代にあったでしょというのはちょっとむりめ。だが、冬至の深夜にあそこでシリウスを仰いだのではないかという感じはする。追記(同日):天体ソフトで冬至深夜表示してみたところ、日本だと当然ながら二〇度の傾きにはならない。なので、厳密な計測遺跡ではないのだろう。
 そういえば、最近シリウス暦の話をどっかで読んだっけと思いだし、ああ、うるう秒の関連だ、といきなし、その二語でググったら出てきた。”SEIKO DESIGN YOUR TIME. うるう秒とは”(参照)である。追記(同日):コメントで指摘していただいたが、この記述のシリウス暦の表記はユリウス暦との混同がある。


 「うるう年」は現在の暦のクレゴリオ暦(1582年に導入=1年は365.2425日)の元となった先代のシリウス暦(紀元前49年に導入=1年は365.25日)から始まり、すでに十分に定着しているが、「うるう秒」は1972年から始まった新顔だ。
 ちなみにシリウス暦の前に古代エジプトで使われていた暦では、1ヵ月を30日としていたため、年末に5日間の調整日を設け「働くのは良くない日」として祭日にしていたという。おおらかで、うらやましい暦だ。

 というわけで、いわゆるエジプト暦は我々が現在使っているグレゴリオ暦の原形となった。たしかユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のエジプト遠征のときローマにもたらされて、まずユリウス暦となったのではなかったか。いずれにせよ、この意味で、我々の現代の宇宙の時間もシリウスに起源を持っていると言えないこともない。
 シリウス暦についてウィキ先生をみても事実上情報はなかった。英語の Solar calendar にも情報はなく、ユリウス暦にもさして情報はない。シリウスについても日本語のウィキには情報はないが、英語の Sirius (参照)には多少関連した話がある。

Historically, many cultures have attached special significance to Sirius. Sirius was worshipped as Sothis in the valley of the Nile long before Rome was founded, and many ancient Egyptian temples were oriented so that light from the star could penetrate to their inner altars. The Egyptians based their calendar on the heliacal rising of Sirius, which occurred just before the annual flooding of the Nile and the Summer solstice. In Greek mythology, Orion's dog became Sirius. The Greeks also associated Sirius with the heat of summer: they called it Σεριο Seirios, often translated "the scorcher." This also explains the phrase "dog days of summer".

 そういえば、類似の話は「星の古記録(岩波新書)」(参照)にもあった。

赤い犬シリウス 全天でいちばん明るい恒星、冬空にらんらんと青く輝く天狼星、おおいぬ座の主星シリウスは、ギリシャ神話によれば狩人オリオンにつきしたがう二頭の猟犬のなかの一頭である。古代のエジプトでは、夏至のころ日の出前の東天にはじめてこの星が見えた日をその年の初日とした。このとき、太陽は地平線下九度ほどにあった。この日からかぞえてほぼ一定日ののち、ナイルは増水して流域に肥沃な土壌をもたらした。そこではシリウスは「犬」と呼ばれ、シリウスの初見はその増水を知らせる犬の叫びとされた。

 エッセイは項目タイトルのように昔のシリウスは赤いという伝承を追ったもので、気になる人は読んでみるといだろう(結論はないが)。
cover
シリウス・
コネクション
人類文明の
隠された起源
 つらつらと関連のまともなソースを見ていくのだが、「シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究」(参照)で栗本慎一郎がいうような、シリウス暦とミトラ教の関係はわからなかった。
 シリウスについて正月だしマジでトンデモ本を堪能したいという人は、「シリウス・コネクション 人類文明の隠された起源」(参照)を読まれるといいだろう。

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2006.01.02

[書評]シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究(栗本慎一郎)

 最初におことわりしておくべきだが、栗本慎一郎「シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究」(参照)についてはこのエントリではあまり触れない。どう評価していいかわからないからだ。

cover
シリウスの都 飛鳥
日本古代王権の
経済人類学的研究
 アカデミックに見れば、トンデモ本の類であろう。またごく一般書として見ても議論も文体も整理されていない駄本といった印象も受ける(編者はパーソナルな洒落を削除すべきだった)。しかし、本書で描かれている指摘について、総じてトンデモ説として看過するには、あまりその代償が大きいかもしれない。少なくとも、三の論点がある。副題のように、日本古代王権の経済人類学的研究という経済人類学のアプリケーションの課題、加えて、シリウス信仰以前と以降の二つである。いずれにせよ、これらをどう扱っていいのかは方法論的にもやっかいだし、対象の措定ですらあまりに難しすぎる。シリウス信仰という限定はないが、三点目の問題は、渡辺豊和「扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史」(参照)のほうがわかりやすい。ただし、ゾロアスター教とミトラ教の考察は栗本のほうが優れている。
 いずれにせよ、そういう次第で、このエントリは昨日の「極東ブログ: 門松は死と再生のゲートかも」(参照)の続きのメモとでもいうべきものであり、そこに同書の、ごくわずかな関連を記しておきたいというくらいである。
 「シリウスの都 飛鳥」では神殿方位が真北から二〇度西に傾くという問題を、シリウス信仰として見ている。ペルセポリスなど古代ペルシャの神殿位置について論じるにあたり、前段でシリウス信仰と暦についてこう言及している。

冬至のペルシャでは、新年は冬至の真夜中、今で言う十二時に迎えた。
 ペルシャの国教は、ゾロアスターが創始したアフラマズダーを崇拝する三アフラ教(アフラマズダーのほかに二つのアフラ神がある)及びマズダ教だったが、基本は太陽信仰ということでありながら、その宗教はしばしば折衷的で、暦はシリウスの観測を軸にしつつ「副太陽」であるシリウスをも、崇拝の対象にしていた。儀礼もそうである。副太陽という意味は、昼間の一番明るい星は太陽なのだが、夜間で最も明るい星がシリウスということである。シリウスは太陽系から8・7光年の距離にある新しい星で、古代日本でもオオボシ(大星)と言われていた。ゾロアスター教以前からあるミトラ教の諸派では最高神アフラマズダーに次ぐティシュトリア神とはシリウスのことである。何よりも、暦はシリウス暦だった。その意味で、人は「光」の根源を太陽よりシリウスに感じていたのだ。

 このあたりの詳細について知らないのだが、所謂中華的な世界観からは出てこないものがあり、栗本が指摘しているように、大陸=中国と捕らわれないほうがいいだろう。
 神殿位置についてだが。

 紀元前五百年頃、ペルセポリス(北緯29度57分、東経52度22分)の冬至の真夜中、今でいう十二時にシリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝いた。この方向に向かって、新年を告げるシリウスを遙拝するとすると、遙拝する者の真後ろ(後ろの正面)は真北から20度西に傾くことになる。

 このあたりのシリウス信仰だが、栗本はこれが後代、妙光、妙見信仰となり、さらに阿弥陀信仰、弥勒信仰に結合していくと見ている。
 私も、栗本ではないが、二十代から三十代にかけて奈良・紀州・近江などをあてどなく彷徨って古代・中世の遺物を見てまわったが、私は、妙見信仰が日本に深く隠されているという印象を強くもった。
 問題は、妙見菩薩が北斗七星の神格化でよいとすれば、また北辰菩薩ともいうなら、北極星ないし現在のこぐま座の北極星つまりポラリスを指すというのならわかる。が、なぜシリウスなのか。そこが今ひとつわからない。
 ところでこのエントリを記そうとしたのは、北から西へ二十度ではなく東へ二十度の問題である。つまり、昨日のエントリで触れた丑寅の意味だ。これについて、栗本は奇妙な印象だけを本書に記している。蘇我馬子の墓とされている遺跡について触れ、その破壊についてこう述べている。

(蘇我氏にとって)後年、日本において後に東北の方向、つまり艮が、不吉な方向になっていくことと関係はないだろうか。それとも、艮はこれ以前から不吉な方位だったのだろうか。おそらく、これ以後からと思えるが、今のところ、私には分からない。
 別の考えかたもある。東に方位を振ること自体にも(逆に)聖なる意味があるということだ。広い意味では蘇我氏に繋がる奥州藤原氏の四代のミイラが納められた毛越寺の金色堂が、真北から20度東に傾斜した方位で建立されているからだ。ただ、これもミイラの収納所だから、死の世界と関わっているのかもしれない。

 昨日のエントリを酔狂にも読まれていれば、艮(丑寅)が死と再生の方位であることはすでに触れたとおりなので、このあたりに栗本の日本史の欠落が感じられる。しかし、当の問題、つまり、真北から西に20度とそれに対するがごとき東20度の意味はわからない。
 あるいは、乾(戌亥)ということであろうか。
 これらを決するのは、コスモロジーの考古学とでもいうべき学問がタイポロジーとして成立していなくてはならない。さらに具体的に言うなら、中華的なコスモロジーと北魏的なコスモロジーが経時的にどういう構成になっているかということだ。
 ただし、方法論的には非常に難しい。古代遺物はそのマテリアルなのかアプリケーションなのかをどう区別していいかがわからないからだ。
 だが、この学問がありうるなら、古代王権というものの権力の実態であるその呪術性を明らかにするのだろうとは思うし、恐らく、日本中世の天皇制の再構築はこの呪術の産物であり、そしてさらに民衆側に起きた浄土信仰もおそらく、この呪術性の同一のシステムであったことだろう。
 アウトライン的には妙見信仰、光と影、死と再生、夏至冬至といった諸相から攻めることになるのだろうか。
 余談だが、日本はアジアにあって、唯一、妙見信仰・ミトラ教的な太陽のコスモロジーのなかで近代化を遂げた。なんとなくだが、その連関がすべて日本はアジアではないということを示唆しているのではないだろうか。

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2006.01.01

門松は死と再生のゲートかも

 あけましておめでとうございます。ま、そゆことで、今年も。っていうか、今年いっぱい続くだろうかと懸念しつつ、ブログ足かけ四年目を迎える。
 話は正月ネタの雑談。少し思うことあって、その下調べメモがてらの話をなんとなく書いておく、という以上の意味はない。きっかけはとりあえず、正月でもあり門松としておく。
 ウィッキ先生が何か言っているかとみると、まあありがちな話が書いてある(参照)。


 門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる松や竹で作った飾りのこと。松飾りとも言う。
 古くは、木の梢に神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがある。かつては松に限らず榊、椿、楢などの常緑樹なら何でも良かった。鎌倉時代から竹が一緒に飾られるようになった。
 平安時代に中国から伝わり、室町時代に現在の様式が決まったという門松。

 マイペディアはもうちょっと含蓄のある話にしてある。

 正月門口に立てる松。門木,お松様とも。本来は年神を迎えるための依代で,ナラ,ツバキ,トチノキ,スギ,竹,ホオノキ,ミズキ等も用いられる。12月13日に山から採ってくるのを松迎えという。期間は7日や小正月までとされ,小正月にこれを焼く風も広く行なわれている。

 いずれも年神の依代説であり、手元の『日本を知る小辞典』(世界思想社)でも概ねその説としているが、明治以降にできた近代的な民俗学的な定説なのではないか。同書には、門松が普及したのは、明治時代の文部省唱歌によるのだろうと推測している。実証は難しいだろうが、そのあたりが真相ではないか。とすれば、現在日本の門松の風習というのは天皇制や君が代、日の丸と同様に西洋文化遭遇による近代化反応の偽物の一つでもあるだろう。しかし、その話にはそれ以上踏み込まない。
 気になっているのは、松の象徴である。先に引用した一般的な解説例ではどちらも、常緑樹ならよしということで松の特定性はないとしている。しかし、これは民俗学もまた近代偽物である悪影響のように思える。
 兼好法師も徒然草に松はよいものだとしているように、松は日本人の趣向にも会うし、中華的な趣向にも会うだろう。確か琉球の儀間真常も松の移植などをしていた。が、松の象徴性はもっと日本の中世文化というか呪術的世界にとって決定的なものではなかったか。
 そう思わせるのはまず歌舞伎の松羽目物の連想がある。話を端折るが、松羽目物は能・狂言のオマージュであり、起源は当然に能になる。そしてこの能の舞台、というか、能の劇的世界は「松」の象徴によって成立しているととりあえず言えるだろう。話が短絡するが、元旦の門(ゲート)の象徴がこの能と同じ世界であるということの意味がとりあえず課題として浮かんでくる。
 ここで松の象徴に対応するもう一方の極が「正月」という時間のシンボリズムである。では、正月とは何か? この象徴性を日本の伝統の文脈で問うなら一義に十二直となるだろう。ウィキを引く(参照)。

 十二直(じゅうにちょく)とは暦注の一つで、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉のことである。
 暦の中段に記載されているため、「中段」「中段十二直」とも呼ばれる。「直」には「当たる」という意味があり、よく当たる暦注だと信じられていたと考えられる。

由来
 北斗七星は古代から畏敬の念を持って見られた星座の一つであるが、この星の動きを吉凶判断に用いたのが十二直である。
 昭和初期までは、十二直が暦注の中でも最重視されていたが、最近では六曜や九星を重視する人が多くなり、以前ほどは使われなくなっている。


 なかなかこれはよい指摘で、現代日本人は細木数子だかなんだか知らないが、近代以前の占術と暦法を六曜や九星がメインだと勘違いしている人が多くなってきているが、そうではなく、十二直が重要になる。
 十二直では北斗七星の動きが重要になる。

 柄杓の形をした北斗七星の柄に当たる部分(斗柄)が北極星を中心にして天球上を回転することから、これに十二支による方位と組み合せて十二直を配当する。


 冬至の頃には斗柄が北(子)を指す(建(おざ)す)ので、冬至を含む月を「建子の月」という。

 ウィキにはこの件についてこれ以上記さず、わかりにくい。もう少しまともなリソースはないかと見ると、「国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば 中段」(参照)がよい。

 古くから中国では、一定の位置にあって動かない北極星を中心に1日1回転する北斗七星に興味を示していました。そして、北斗七星のひしゃくの部分(斗柄、剣先星)が夕方どの方角を向いているかをその方位の十二支に当てはめて各月の名を決め、暦に記しました。これを月建(げっけん)といいます。冬至(旧暦11月)には、斗柄が真北(十二支の子の方角)を指す(建(おざ)す)ため、建子の月と名づけ、同じように、十二月は丑、正月は寅…という要領で各月を名づけました。
 そして、その節月と同じ十二支を持つ最初の日を建とし、以後順に、除、満…と配していきます。例えば1月の月建は寅なので、1月節(立春)後の最初の寅の日が建となり、次の卯の日には除、辰の日には満…と順に配当します。原則として十二直は12のサイクルですが、毎月の節入りの日のみ、その前日と同じ十二直を配しています。

 とりあえず重要なのは、一二月が丑、そして、正月が寅、ということだ。
 当然、門松は、丑から寅の遷移のゲートに立つことになる。その意味で、門松のコスモロジックな意味は、「丑寅」であるということはできる。
 加えて、冬至が太陽の死と再生の象徴でもあることから、「極東ブログ: サンタクロース雑談」(参照)で多少触れたが、クリスマスは太陽信仰のミトラ教によるもので、その死と再生から後の救世主の誕生に擬された。これを、同じコスモロジーを共有する十二直の世界観に置き換えれば、「丑寅」は死と再生の意味を持つはずだ。
 本論に戻ると、むしろ話は逆で、「丑寅」がなぜ「松」なのか、ということになる。というか、ここでようやく、門松の意味が問えることになる。そして、そこには、死と再生のシンボリズムが関連していることだろう。話が粗くなるのだが、恐らく、松羽目の元になる能の松の空間とは死から生への、劇ゆえのたまさかの、再生の空間なのだろう。余談だが、橋懸かりは死から再生へのブリッジであろう。
 とすれば、正月とはまさに、能の空間に擬されているために、松がゲートに配されていると見てよいのだが、問題はなぜそれが松なのか依然わからないことだ。
 この問題の解については、吉野裕子が「カミナリさまはなぜヘソをねらうのか」(参照)で、松の旧字が、木偏に八白と書くことで、八白の木と解され、九星の八白の方位が丑寅であるという説を上げている。
 そうなのだろうか。私には、よくわからない。松の旧字は、私には「木偏に八白」ではなく、木偏に八口ではないかと思える。あるいは俗字か。
 しかし、吉野説の松が八白の木であるなら、その呪術の体系が中世以前に存在していただろうし、その呪術の体系は、「極東ブログ: キトラ古墳の被葬者は天皇である」(参照)でも少し触れたように、日本の王家の呪術に関係してくることになる。

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