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2006.12.29

アルファブロガーなど雑感

 数日で2006年が終わる。どういう年だったか自分に問うてみてうまく焦点が浮かばない。このブログについて言えば今年で三年が経過した。エントリ数もたぶん初夏のころ千を超えた。自分なりに感慨があったが、そうしたことを振り返ってここにエントリの形で書いてみたいとは思わなかった。うまく言えない疲労感のようなものもあった。秋頃、体調を崩したこともあって一日一エントリを書く気概は抜けたのだが、顧みるとこの三年は気概のようなものを自分なりには持っていた。
 そうした一つのきっかけとなったのは、FPN主催の「アルファブロガーを探せ 2004」という企画で、論壇系のアルファブロガーとして選ばれたことだった(参照)。嬉しく思ったことは確かだが、困惑もした。「あんなくだらねないブロガーがアルファブロガーなんてちゃんちゃらおかしい」という趣旨のコメントもすでにいただいていたし、たぶん耳を澄ませばもっと聞こえることだろう。

cover
アルファブロガー
11人の人気ブロガーが
語る成功するウェブログの
秘訣とインターネットのこれから
 私がその時思ったのは、自分がアルファブロガーだという達成ではなく、一つの原点としてみようということだった。そこから自分ができる限りでいいから、アルファブロガーになってみようと。もちろん、そう努力してなれるものでもないが、努力というのか意志というのは、その本質は、宣長先生の言うように倦まずたゆまぬことが肝要なものだし、自分の生きた時間のなかにそうした石碑のような何かをもう一つ作ってみたいとも思った。
 思い出すことがあった。私は高校時代皆勤賞を取っている。こっそりと意志を持ち努力をした結果だが、誉められたいとは思わなかったし、そうした賞が存在することも知らなかった。卒業式間近に校長先生に呼ばれてこっそり賞状をもらった。こういうのを大っぴらに誉めてはいけない時代になったのでねと彼は微笑んだ。
 話をFPN主催「アルファブロガーを探せ」に戻す。今確認したら、今年2006のアルファブロガー選出の投票締め切りは来月二〇日まで(参照)とのことだ。今回は投票に加えて以下のように選考されるらしい。

 なお、今年は単純な人気投票ではなく、皆さんに投票いただいたブロガーをノミネート候補として、サイドフィード、ライブドア、はてな、テクノラティ、日本技芸などの企業の方々にもご協力を頂き、多角的な分析をした形で結果発表をする予定です。

 どんなブロガーが選ばれるのか、私のまったく知らないブロガーかもしれないなと興味深い。
 なんか先輩風を吹かしたような物言いでむっとされるかたもあるだろうが、どんなブロガーでも、よほどのことがなければ、一年は継続された人がよいと思う。ブログの世界では、私のように匿名のブロガーが多い。匿名だと無責任に言いたい放題を語るものだと批判されることも多い。だが、最低でも二日に一エントリくらいのペースで一年継続されたブロガーはそのエントリの総体がそのブロガーを定義しうるし、いわゆる匿名とは違うものになるだろう。
 私もできるだけ多くの人にブログを勧めたい。ふと思いつく理由は二つ。一つは、人の脳というのは、どうやら出力的にできているらしいということ。書いて表現する・出力することで知識が組織化されるようだ。書いてみることで自分が何を考えているのかがはっきりする。もっとも人様に見せるものを書くなら考えをまとめてから書けという意見もあるだろう。それでもブログのエントリというのは、思考の生成過程的なものでもいいのではないか。
 もう一つの理由は、エントリが蓄積されることで、自分を客体化することだ。言ってることがころころ変わってもそれでいいとは自然に行かなくなる。過去のエントリには、それなりの一貫性が求められる。また間違ったことを書いたらそれがきちんと残ることで自分の限界が見える。自分探しをする人なら、一年ブログを書けばそこに文章で客体化した自分がいることがわかる。
 実際にブログを始めて、ある程度注目されるようになると、というか注目されるということ自体が反感を持つ人を吸い寄せることでもあるので、心ない罵倒のコメントなどをもらうことになる。これはとても嫌なものだし、嫌なものだよということはブログを一年くらい書いてない人には本当のところは通じない。反面、その頃には、本当のところが通じるブロガーを見つけるセンスが身に付く。

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「ネット」カテゴリの記事

コメント

確か、「ウエブ進化論」だったか、ブログの効用として(いやWEB2.0の効用だったかな?)として、WEB2.0は思考の高速道路を引くのだが、その先に大渋滞が待っている、と梅田氏は書かれていたのを思い出します。

なんで、私がこのような話を持ち出すのかというと、私はある著名な仏教学者と精神科医と面識がありますが、彼ら二人は一切ブログなどのネット上で発言などしません。一度なぜなのか尋ねたことがありますが、我々の意見など彼らにとっては初歩レベルに過ぎず全く参考にならない。というんですね。

なるほど、渋滞を過ぎトップレベルに入った人はそうなのかと凡人の私は恥じ入った次第でした。
それと同時に実際にはかなりの分野において発信しているブロガーというのは実際にはその分野のトップレベルには到達していない人しか書いていないのではないか?と私は真剣に疑っているのですが。

投稿: F.Nakajima | 2006.12.29 22:00

>それと同時に実際にはかなりの分野において発信しているブロガーというのは実際にはその分野のトップレベルには到達していない人しか書いていないのではないか?と私は真剣に疑っているのですが。

 それは、疑う以前の「当たり前」のことでしょう。本物は、わざわざブログで発言しない。「言えば金に成る事しか」知らんのやから。ミクシでも、やらない。ここのご主人だって、自分が実際に見聞して吟味して「言えば爆弾」になるような発言は、絶対しないでしょ。

 たとえ卑近といえ、ポエム入ってるような適当な発言といえ、「サプライズ」に相当するような発言やったら、関係者や「気を揉む人」が怒るに決まってるじゃないですか。

 そういうのを「避けて」万人(?)の耳目に届こうとするような・届かせようとするような曖昧な発言やったら、それは結局「入門編」でしかない。最後は、自分の意思で。自分の力で。ただ前に進むしかない。

 そこが「我々の意見など彼らにとっては初歩レベルに過ぎず全く参考にならない」のと、ちゃうんかと。

 だからこそ、そういうもんだと割り切るからこそ、「そのために言う」という姿勢が求められるんじゃないですか? 姿勢・市井・至誠・私製の意見てのは、そういうもんでしょ。


 割り切り重要。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.29 23:59

 俺らは入門編。幼稚園の先生。先へ逝ったら、さようなら。そういう姿勢が、これからのブロガーには求められると思いますよ? 先へ逝ってしまう人…平たく言えば女性(おばちゃん)ですけど。そういう連中には見捨てられると思ったほうがいい。結局、個々人の「心のひだ」にまで食い込むような親身になった意見なんか吐けないわけですから。

 そういう状況って、一般社会的に言えば「底辺産業」ですよ。金にならない。身にならない。やっても無意味。そう「思われる」ことこそ重視すべし。その上で、俺らの「底辺レベル」は、こんだけ高いぜ? と。そういう意味での発信を、すべき。ブログが終わるとするなら、来年でしょう。そう見てます。

 客の見る目は厳しいですよ。もうとっくに、2,3歩先を逝ってますよ。気付かないのは、おっさんだけ。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.30 00:05

 客商売を「経験」と思ってる人は、結局最終目標であるところの「個人」の心は、絶対掴めまへん。
 お前さんは誰の心を掴みたいねん、と。そういう処からいま一度じっくり考えて吉。誰に、何を、どう言うねん、と。どう振り向いて貰いたいねん、と。そこを真剣に考えていきたい。

 ってか、それ、もう「言葉の世界」じゃないよね。行動有るのみ。実行最強。そういうことかと。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.30 00:09

F.Nakajimaさんの意見も当たっています。

しかし、当たっているけど正解じゃありません。たまたま当たっただけ。
正解は、「トップレベルに入った人」には、2種類の人がいるということ。ブログを書く一流人、ブログを書かない一流人。おそらく、ブログを書く人はより早く成長する。おそらく、ブログを書かない人は、「もうこれ以上の成長は求めていないのだ」と心の中心でぼやいているのだ。ブログを読んで参考にならないのは、読む側に問題がある。参考になるブログの探し方を知らないだけだ。やり方を知らないのは問題だ、と僕は言いたい。

F.Nakajimaさんの意見も当たっています。もういちど、強調します。
確かに、一流人は、セミナーの講師としての仕事が忙しくて、ブログを書く必要もないし時間もありません。ただで書く必要もないのですね。

しかし、Web2.0の時代には,有料セミナーという儀式が無くなるのかもしれない。
逆に,セミナーが無料化され、ブログが有料になる?

投稿: ペンギン | 2006.12.30 00:11

いつも見させてもらってます。
「倦まずたゆまぬこと」身にしみます。
来年の目標にしようかな。
何を「倦まずたゆまぬ」にするかが問題ですが。
ギリシャ語にしようかな。
バカみたいなコメントですみません。

投稿: iya_honto | 2006.12.30 00:33

切込隊長さんが言われていることですが、これは既にマーケティングの世界では常識のことなのかもしれませんが、ネットで過ごす時間の長い層には実は高所得層はほとんどいないということに尽きるんじゃないでしょうか。

ネットが好きな人間は(含む私)、ネットでの世論を「現実の世論」と勘違いしがちですし、その典型が天下り廃止バトンがだったと思いますが、bewaadさんが喝破されたように、実際には何千・何万のブロガーがネット上のみでバトンを回しても、残念ながら現実の政策決定に関する影響力はゼロだと言って良いように思います。

はてな界隈を見ていて思うことですが、はてなで受けるネタ(=ブックマークが多いネタ)は、明らかに現実の世界とは異なるある種の嗜好性を見せており、やはり現実世界の常識と我々ネットフリークの世界の常識は違うように感じます。

弾さん・bewaadさんがwinnyで言われた、「あちら側」と「こちら側」という議論にもそれは表れています。

リアルで非常に高い権威を持つエスタブリッシュメント層の専門家が出てくることはないまま、ブログは終焉を迎えたと言って良いと思います。

SNSが隆盛を誇る中、既にブログは頭打ちかPVを減らす局面に突入しています。

ブログは、現実世界ではまだ知名度のない人のある種のプロモーションの手段、あるいは一般人のエンターテイメント、日記・備忘録という位置付けが妥当なんだろうと思います。

リアルで権威を持つ人間の住む世界とネットの世界は相当な断絶があるのではないか、私も残念ではありますが、ハナ毛さんの意見に賛成です。

切込さんが言われるように、ネットやブログというのは、私も含めてあまり時間価値の高くない人の娯楽に過ぎないという位置付けがマーケティングの世界では定着しつつあるように思います。

あれだけ騒がれたアフィリエイトにしても、実はほとんど儲からないということはアルファブロガークラスのPVの持ち主ならよくご存知なのではないかと思います。

投稿: ネットに関する大いなる誤解 | 2006.12.30 01:27

「ネットに関する大いなる誤解」さんの投稿を読んでみて思った。
やっぱりそうかもな〜。
ブログを書く二流に、三流が群がるような。

でも、陽転思考で・・・
三流は、一流を参考にできるが、真似は出来ません。というより、言うは易し行うは難しだから三流人は、テレビには出れなけれど半歩先にいることは間違いない二流人のブログを読み、モデリングすれば良かろう。それで、良いではないかい。

でも、冷めた意見の方が賢く見えることは確かだ。
・・・

投稿: ペンギン | 2006.12.30 02:34

ブロガーをあまり卑下する必要はないよ。一流だとか、二流だとか、あげくのはては三流だとか、おかしいですよ。「ある著名な仏教学者と精神科医」は、多分そこいらのほどほどブロガーとそうたいした差はないとおもいますよ。数はそれほどないけれど、とても良質なブログを見つける楽しみ、作る楽しみをもっと肯定的にとらえたら?

投稿: 私 | 2006.12.30 03:50

まぁ思うんだが、エロい人も自分の分野で日々考察は続けてる訳だよね、アンテナ広げて。
それをブログのような形で残さなかったり、公開したりしなかったり。
そこに意義を認めたり認めなかったり、ネットへの適正もあるだろうし、一概に言えないんじゃないかな。

専門的な見地から得る益はなくても、表現や見え方はフィードバックされる訳でしょ?
逆に利用者の立場になれば、ライバルや隣接する分野のブログはクズで役立たないという事なのかな?そうは思わない。

本当に大事な事は、語らない。
分かる人が察すれば良い、噛み砕いて自分の所で自分の言葉で考察を続ければいい、という事じゃないかな。
「全部教えろ」というのは無理だしょ、そりゃ。
無意味に疲れるだけの馬鹿は相手にしたくないだろうし。

投稿: トリル | 2006.12.30 04:17

ネットってダメダメ3流選手が一生に一度だけ打った逆転サヨナラ満塁ホームランが集積されていくってところもあると思います。すごーく大げさに言えば量子力学を発見した学者たち的な。一流の人たちをアインシュタイン的だとして。

投稿: 天魔 | 2006.12.30 09:43

例えば、利害の相克が正直さを嫌うのなら、「隠語の辞典」みたいなものはあった方がいいでしょう? そういうことではないかなあ……と。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2006.12.30 13:49

一貫性の件。職歴ディスコグラフィー賞罰のように人格profileを簡便に作成できる仕組みは“web2.0”なのだと思います。
だとするとアルファーブロガーの称号は「最もよく信頼を表現できたもの」に与えるべきなんでしょうか。それは面白いと思いますが、表面的にはブログはやはり単にシンプルなCMSで、サイトのPVで評価されるのがありがちというか自然なのかも。

オフトピの専門家不在の件。相場では相場師が仕事をするものだと思うのでそういうものかと。ただ、そういった情報のトレーダーとかナビゲーターとかが無自覚なのではないかと思うことも。本屋の店主が知ったかぶりのような皆本屋にお伺いをたてるような。

投稿: papepo | 2006.12.30 17:00

うだうだ書いてるけど、とどのつまりは『権威主義』かよ
って突っ込みが該当するコメントを数える気にもなりません。
誰か数えて教えてくれませんか?論理のエロい人

投稿: marco11 | 2006.12.30 22:49

すみません。なによりもまず、三年間のブログ運営、エントリアップの労をねぎらって感謝の意を表さなきゃいけませんでした。
本当に、ありがとうございます。まだすべては読んでいませんが、私もいずれすべて読むことでしょう。そういう人多いと思います。きっと中学生や高校生だって読んでます。大正生まれの方も読んでいるでしょう。みな何かを得て、学んで帰ります。
そういうブログが最初のアルファブロガーになったということが、日本のインターネットの歴史や文化にもたらす意味は、非常に大きいと思います。あまりにも大きすぎて、人々が理解する頃には、ファイナル弁当先生はおろか、僕もいないかもしれませんがw

投稿: marco11 | 2006.12.30 22:57

 なんていうか。高く見積もりすぎは良くないよ。何事も。私とかそうと割り切って「うんこ」だの「ハナ毛」だの勝手に卑下しまくってるけど。そこまでやる程のもんじゃないにしても、そんなに価値のあるもんでもない。ブログとか、私もそうなんで人のこと言えませんけど、基本は「与太話」「無茶ツッコミ」ですから。そうと割り切りつつ、個々の意見は玉石混交どころか石コロ満載なんだけど、それを「あえて拾って」「磨く」ことに意味がある、みたいな。そのへんの石ころだって、自分ちに研磨機があれば、磨けば絶対それ相応の価値になるでしょ。

 「そこにこそ」意味があるって感覚じゃないと。駄目かもよ? あるものをあるまま受け取って、やれ正直だの不誠実だの知識の有無だの私の言う事を聞いてるのかどうなのかだの、そんなの言い合ったってしょうがないんだよ。そこに拘りすぎたら、結局誰かの吐いた暴言に「いちいちマナー」とか「とりあえず常識」とか、そういう方面での規制しか掛けられなくなって。そういうのが面倒だからmixiでまったりとか。

 あまり根源的な解決には至らない。

 方向性の違いなんかもね。閉じたコミュニティで「全員が正直者」って前提で話して鵜呑みにしまくるか、開かれたコミュニティで「誰が何言ってんだか分からない」中から自分主義で取捨選択するか。

 そういうことかもナと思いますけどね。

 前者のほうが、訴求力高いと思いますけどね。後者サイドってさ。観る側の耐久力が凄く要求されるじゃん。何言われてもネタだと思え、みたいな。そりゃ無茶だろう、みたいな。ある種の気違いしか生き残れませんよ。

 ぶっちゃけ、外出て気違いがふらふら歩いてるのを小一時間飽きずに眺めるくらいの精神力が欲しい。そんな感じ。そういうのをじっと見られない人は、居ないほうが身のためかもね。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.31 06:07

>はてなで受けるネタ(=ブックマークが多いネタ)は、明らかに現実の世界とは異なるある種の嗜好性を見せており、やはり現実世界の常識と我々ネットフリークの世界の常識は違うように感じます。

 横槍すみません。界隈が違うと言ってしまえばそれまでですけど、ブログの世界って「じいさんばあさん主体の家族経営で細々やってる街の本屋さん@売り物はエロ本・アダルトDVD・宗教系読本」界隈の現実が拡大的に繁栄してるような。そういう状況だと思ったほうがいいかと。

 そういった本屋さんを覗いても、100%エロオンリーってことは無くて、辞書も地図も漫画も小説も、揃うなりに揃ってるでしょ? 古い物だって、神田の古本屋の1,2軒分くらいのネタなら揃ってるかもしんない。でも、紀伊国屋書店みたいに何でもかんでも大量かつ(街の本屋さんと比して)上質に揃ってるって訳じゃあ、ない。

 そういう界隈の常識なんだ、と。そこを理解しないまま「ネットすげえ、何でもある?」と思うのは、危険ですよ。

 狭い世界ですよ。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.31 06:18

ブログって括りで考えんな
ネット上のテキスト、文字情報っていう括りで考えろ

って誰か権威のある人の口から言ってやってほしい

投稿: marco11 | 2006.12.31 15:19

>ブログって括りで考えんな
>ネット上のテキスト、文字情報っていう括りで考えろ

>って誰か権威のある人の口から言ってやってほしい

というコメントの後に書くことは傍ら痛いのですが、

もし、ブログというくくりで考えるならば、コメント欄では、管理者との交流がなされ、TBにはTBで答えるという、ハーバー・マス的なユートピアな言論空間が成立してからのことではないでしょうか。

ネット上のテキスト、文字情報っていうくくりで考えろというのは、2ちゃんねるもブログもインテグレートする機能がなく、対話から生まれる言論の昇華がまったく起きない現状を把握すべきという指摘ともいえます。

ブログはインディーズな言論の場であって、4流論壇ではない。
インディーズ音楽は安いマイクを使っているから、音質は悪い。だが、音楽性は関係ないし、安いマイクに気をとられて音楽性を見失う評者は浅薄といえる。

ブログ空間は、編集者が介在しないから、誤字脱字、乱文も多い。しかし、確かな言論者はいるものです。
私は、誤字脱字、乱文、実名でないことだけで、コンテンツの内容を認めない人たちを浅薄だと思っています。

真鍋かおりなどの商人ブロガーを排除することではじまったのがアルファブロガー。
アルファブロガーがアレフブロガーになったのが昨年。

それが今年は明確にITエバンジェリックな色彩を強めるようですね。
そのようなことをしなければ、アルファブロガーという求心性を求められないと絶望した人たちの危機感に先見性を感じるスポンタであります。

ユーザーフレンドリーではなく、スポンサーフレンドリーなランキングづくりに何の意味があるのか、私にはまったく理解できません。

投稿: スポンタ | 2007.01.01 07:57

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