教育基本法改正雑感
教育基本法が改正された。すでに別エントリ「極東ブログ: 教育基本法の改定に関心がない」(参照)で書いていたように私はこの問題に関心がない。なぜこんなことがメディアで話題になるのか不思議に思うし、率直に言って根幹はべたな利害対立だろう睨んでいた。
だが、どことどこの対立なのかが私にはわかりづらかった。極めて単純な構図にすれば、祭り騒ぎの旧左翼的勢力と国側の対立に見える。が、国側というのが曲者で官僚は別の意味で左翼(国家主義者)に近い。他方の祭り気分の右派勢力は張り子のごときもの。こんなものもどうでもいい。具体的な局面でどういう利害対立があるかだけが重要になる。が、私は現場にいないせいもあり、よくわからなかった。恐らく教育委員会に関わる利害対立なのだろう。
こうした過程で未履修問題だのタウンミーティング問題だのNHKの国際放送問題だのけたたましくどうでもいいネタが沸き上がってくるのだが、誰が仕掛けているのやら。多少気になって追ってみるとタウンミーティング問題は共産党、でも電通バッシングはなし、とかいま一つわからない。他も錯綜している部分もある。いずれにせよどうでもいいやという気分になる。こんなことを言うとまた元気な一言居士様たちがお出ましになるのだろうが、表向きの愛国心批判とかは左翼版木口小平のラッパに過ぎず、動いたのはその配下くらいで国民の大勢は動かず……いやここはちと微妙なものがあるな。
ちなみに愛国心問題については、ちょっと確認してみるとこんな感じだ。
民主党案(参照)
同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。
改正案第二条五
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
この二つの差を論じる意味があるとは私には思えない。
教育委員会に関わるどのような利害対立があるのか? そもそもそれがなぜ教育基本法の改定に関係するのか。そのあたりが愛国心だののボーガスを除いたあとの焦点なのだろうが、およそ教育基本法なんていう教育勅語みたいなものがべたな教育行政に関わるわけはない。そこは何らかのフックのみで実体は後続の関連法の改定と現場の力学になるだろう。とすれば取り敢えずフックはどこか。おそらく司法的には全く無意味とはいえないフックだろうが。
その前に、成立した改正法の文面は「第164回国会における文部科学省成立法律案 教育基本法案」(参照)でいいのか。ざっと見るに「極東ブログ: 教育基本法の改定に関心がない」(参照)にも関連するが、およそ教育の根幹たる私学については以下のごとく薄い。
(私立学校)
第八条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。
私学の国家からの独立に干渉する部分はないように思える。やはり教育基本法というのは基本的に国家セクターというか義務教育をスコープとしていると見てよい。自由主義国家の国民には些末な問題である(というか国家が教育に関わるなよ)。すでに「極東ブログ: 東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ」(参照)でふれたように中学校ですら私学にシフトしているのだから問題は小学校かということだが、実際には高等学校が問題なのではないか。というのは事実上日本では高校が義務教育化しており、しかもこの部分での私学シフトが今ひとつ弱い。というか公立高校が頑張り過ぎ(高校を民営化しろてば)。とはいえ、この高校問題については今回はこれ以上立ち入らない。
フックに戻る。フックは次の部分であろう。教育行政つまり機構上の問題だ。
(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。
この新規定がどのような含みを持ち、教育委員会のレベルでどのように利害対立を起こすのか? そこだけが事実上の争点なのだろう。そこが知りたい。
そうした問題意識を持っていたせいか、先日偶然聞いた八日付けの宮台慎司のポッドキャスティング(参照)の話が興味深かった。正確に言うと話自体はそれほど興味深いわけではなく、その関連から描かれるところが興味深いのだが。
宮台の話でもさっさと愛国心問題ボーガスは捨てられ、争点は教育の分権化・権限委譲が問題なのだとしていくのだが、やや奇妙な展開に思えた。彼は問題は地方教育行政法だとし、この改正においては自民党も民社党もある種合意があったはずだとしている。そうなのか?
現状の教育に関わる権限の構図についてだが、彼は、箱物は地方自治体、人事権は都道府県が握る、と説明する。このあたりで私はよくわからない。地方自治体と都道府県が分離されるわけもないので、とすれば市町村対都道府県なのか。そういうふうな話のようだ。彼は、都道府県レベルでのトップの教育長というのは、かつては文部省(文科省)天下り役人だったというのを前提としている。もちろん天下り状態は解消されたが文科省は復活を望んでいると彼は見ている。
宮台はこの先気になる言及をしていく。人事権についてはやる気になれば地域が決められるとして荒川区と杉並区を実現例としている。東京都の人事権を区レベルが取得できたわけだ。現状の教育行政では学校の上に教育委員会という事務方の教育長が人事権を握るが、荒川区・杉並区モデルでは、区長が校長選出の人事権を持つことができた。あるいは区長が委託した理事会が学校の経営を担うことになる。
で、教育基本法改正はその分権化にとって是か非か?
![]() 人生の教科書 よのなかのルール 藤原和博 宮台真司 |
そもそも論でいえば、都道府県と市町村は地方自治体としては対等の存在なのでそういう区切りかなとも私は疑問に思えた。もっとも、実態については宮台が示したスキームでよいというか……。私がひっかかったのは是非の問題よりも、杉並区立和田中学校校長藤原和博のことだ。教育分野についてのディテールについて宮台は藤原から情報や指針を得ているだろう。この話は、ビジネススタイル”「教育委員会」とは”(参照)が詳しい。とても重要なことが書かれている。
自治体には5人程度の「教育委員」がいて会をなし、その「教育委員会」の代表が「教育委員長」である。表面的にはこの人たちが、その自治体の教育政策のすべてを決めることになっているから、ひとたび教育問題が起これば、責任者はこの「教育委員会」だということになる。
しかし、実態はいささか異なる。
教育委員は学識経験者ではあっても、教育行政の専門家ではない。実際の教育行政は自治体の1、2フロアは占めるほどの人員を擁した「教育委員会事務局」が担う。そのヘッドが教育委員の1人でもある「教育長」だ。この「教育委員会事務局」のことも教育委員会と呼ぶから混乱が起きるわけだ。
つまりGHQが想定した教育委員会と、我々市民がふれている教育委員会とは別で、実態は「教育委員会事務局」であり、その事務局長の権限が問題なのだ。
会社で言えば、自治体の首長(区役所なら区長、市役所なら市長)は社長に例えられる。会社でいう「役員会」のメンバーは、自治体の場合、通常、4人で構成される。首長の他に、助役(副社長)と収入役(専務取締役財務担当、昔の出納長)、そして教育長(さしずめ常務取締役教育事業担当)である。ほとんどの政策は、実際にはラインの長である教育長に率いられた教育委員会事務局が文科省や都道府県教委の顔色を見ながらつくってしまうから、教育委員の活躍の余地は極めて少ない。
単純な話にすると、この教育長が文科省の出先機関として国家管理しているというのが公教育の問題の根幹だということになる。
それが現状だ。
では、教育基本法改正案はこの状態を変えるのか?
藤原の話でもそこがよくわからない。
下手の理詰めで考えるなら、現状そのようにして文科省が教育現場のファーム化に成功しているならルールの変更は不要だろう。
旧左翼の祭り騒ぎを見れば、この改正は文科省による権力強化を狙ったかのように見えるが、実際杉並区教科書選定問題での旧左翼の祭り騒ぎを見ると、彼らは分権化を望んでいるとは思えない。
話は尻切れになるが、現実ではなんだこりゃ的な”シュタイナー教育実践の小学校、承認 千葉・長南”(参照)のようなことが実現される。
芸術の要素を採り入れたシュタイナー教育で、文部科学省の学校設置基準や学習指導要領に沿った小学校が初めて承認された。千葉県長南町の「あしたの国ルドルフ・シュタイナー学園小学校」(仮称)。設立代表を務め、シュタイナー教育の研究で知られる早稲田大名誉教授の子安美知子さん(73)は「公教育の一翼を担っていきたい」と話す。
開校は08年4月の予定で、当初は1、2年生各1学級(定員32人)で発足する。07年度は1年生だけのフリースクールを運営し、開校時に編入する。
学校の特徴として、子安さんは(1)同じ学級担任が6年間持ち上がる(2)児童は教科書を使わず、教科書に沿って指導する教師の話をノートにまとめる(3)テストはせず学力を点数化しない、などを挙げる。子安さんは「思春期を迎えるまでの子どもに大切なのは、大人との間で安定した精神と豊かな感情を養い、他人の話に耳を傾けられる力をつけること。それを土台に学力をつけ、人間力を育むのが理想」と話す。
こんなのもアリというなら、教育に国家管理が今後強化されるということもないようには思える。
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コメント
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http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061120/p1#c
先生なかなか気が合いますね
投稿: marco11 | 2006.12.16 16:14
けふのてんさく
>およそ教育基本法なんていう教育勅語みたいなものがべたな教育行政かかわるわけはない。
→およそ教育基本法なんていう教育勅語みたいなものがべたな教育行政に関わるわけはない。
※全体的に開きすぎ。漢字当てるトコはちゃんと当てや。
>「極東ブログ: 東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ」(参照)でふれたように中学校ですから
→「極東ブログ: 東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ」(参照)でふれたように中学校ですら
※怪獣さんいらっしゃ~い。「デ ス ラ !」
内容は、どうでもいい。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 16:48
まだ上のほうが直っとれへんで? >弁当王
キッチリすんねやったら最期まで丁寧に直さなあかんやろ。
あと、直したときの挨拶はどないしてん? 筋は通しや?
どおでもええとか言うのんは、それからやで?
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 21:58
>この二つの差を論じる意味があるとは私には思えない。
その通りだと思います。反対理由は、どれもへ理屈、反対だから反対の域を出ません。
但し、説明が長くなるので結論だけ言えば、理由はともかく反対運動は必要であり意義があった。止めてしまうことが問題と思います。
勝手ながら、トラバさせていただきました。良かったら拙ブログにも遊びに来てください。
投稿: ベンダソン | 2006.12.16 21:59
この文章の主題とはずれるかもしれませんが、「杉並」に一定の意味があるように「千葉・長南」にも一定の意味があるように思えます。
>上の人
漢字を使うか使わないかはいろいろあるわけですが、新聞的には、主語・述語・形容詞・形容動詞には漢字を使い、それ以外は極力漢字を使わない、というのが原則だと思われます(述語というか動詞でも、補助動詞は漢字を使わないはずですが)。ちなみに「関わる」は役人言葉では「係わる」がよく使われています。「関わる」と「係わる」に明確な線引きができませんから、「かかわる」でよろしいのではないかと。
投稿: 元・千葉県民 | 2006.12.16 22:12
「かかわる」を開きっぱなしにしとくと、前後の脈絡・音韻次第では 子 供 が 読 め な い ん だ yo ! 明確な線引きが出来ないんだったら、しろyo! それが知性の使い道でしょうが。楽すんな。
何の為におべんきょしとるんや。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 23:52
道逝くおんなのこがまんこ開きっぱなしにしてたら注意するに決まってんだろうがyo!
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 23:54
ひらがなの いみ わかって いってんの か?
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 23:56
センス無さ杉。いい歳こいたオッサンがチラリズムとかやるなよ。気色悪い。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.16 23:59
>(というか国家が教育に関わるなよ馬鹿)。
…と、馬鹿マンが申しております。
そんなこと言ってると、馬鹿馬鹿まんこが出てきてぐちゃぐちゃにしちゃうyo!?
こういう喋り方、分かる? 子供は見なくていいんだけど、厨房以上老衰寸前まで、(洒落心のある人なら)見たら分かるレベル。そういうの開発しようぜ。世の中高齢化社会なんだからさ。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.17 00:35
こういうの見て読んで感じて、笑わなくてもいいけどニヤッとしなくてもいいけど、ただただ「そういうもんだ」と思える境地にキッチリ導いてあげないと、マズいんだよ。世の中。そういうセンスがまるで無いクソバカが主導権握ったら、逝くとこまで逝かないと収まりつかなくなるでしょうが。
んだから、日本人は内心毛唐を毛嫌いしてるんじゃないかと。あいつらトコトン逝くから。
まあ、毛唐が好き、で、のめり込んでもいいんだけどさ。別に。
美しい日本の教育と言うのは、下衆に言えば、そういうことなんだよ。そこを知れ。そういうこった。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.17 00:43
ハナ毛さん、こんにちは。ご指摘ありがとう。小さい文字校についてはご指摘がなくてもちょこちょこと直していたりして、その範囲に思ってました。また、「かかわる」は開くかなとも。しかし、ちょっと考えなおして、馬鹿マンの削除と合わせて、ここは「関わる」としました。こういう言い回しは翻訳語調なんでできたら避けたいものですが。とかとか。いずれにせよ、挨拶の遅れはごめんなさい。
投稿: finalvent | 2006.12.17 07:13
だってそりゃ、しゃーないでしょ。おいちゃんパーワーアプーしちゃったんやから。定型通り定石通りに話進めたら却ってアレな方面で作戦展開してるんやから。そういう場合、定石から見て異端でも、現場指揮官の裁量で勝手に変えていいズラよ。そこを認めるのが文民統制やないの。ええねんええねん。頑張ってネ。
あと、挨拶とかええねん。そんなんやったら堅苦しゅーてしゃーないやん。言葉の絢やん。気にせんでええねん。とかゆーて。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.17 09:14
こどもかいじゅう ハナ毛は そろそろ 力尽きて 付いていけなく なるかも しんないね
投稿: ハナ毛 | 2006.12.17 09:16
文科省は、教育基本法改正によって、全国知事会が要求した教育の分権化(つまり教育行政を知事のもとにおくこと)をブロックしたということです。つまり、「教育は、・・・この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(教育条件だけでなく教育内容も含めて法律で規定し、その法律は文科省がつくる)とするとともに、「教育に関する施策を総合的に策定し、実施」する権限を確保する。これで、その財政保証措置である国庫負担制度を維持できる、というわけです。
第2条の教育目標に定められた教育理念は、ほとんど実定法としての内容をもっていないのでどうにでもなる。従って、近年強力な主導性を発揮している政府権力とこの面では妥協し、その「治教一致」的傾向を逆に利用して、文科省の教育行政の総合的施策官庁としての地方に対する主導性を確立した、ということだと思います。
また、これによって教育委員会制度がどういうなるか、ということですが、これは独立行政委員会としての性格から首長の権限が強化される方向に向かわざるをえない。(このとき教育委員会制度の基本理念である「教育の住民統制」は、学校選択制に見るような「市場統制」にシフトしていく)。もちろん義務制の場合は都道府県ではなくて合併後の広域自治体の首長にです。といっても、学校経営のノウハウも金も市町村にはないですから、これを文科省が総合的政策官庁として専門的にあるいは財政的に支えていくという体制になります。従って、現行「地方教育行政法」はこの方向での抜本改正を余儀なくされると思います。
旧左翼がどうして反対するか。いうまでもなくそれは都道府県単位に組織化された組合組織の解体につながるからです。同時に県教委や校長会を含めた教員閥組織の解体にもつながる恐れがあります。今後の議論の中心は、以上の利害関係をベースに公教育の公共性・共同性を主張する立場と市場統制主義をとる立場のせめぎ合いになると思います。
改正教育基本法がこの時どんな役割を演ずるか、これが政治との妥協の産物(それもかなり政略的な)として生まれたものであるだけに、しばらくは教育が政治に翻弄される季節が続くのではないでしょうか。改正教育基本法が教育界にとってその傷痕を印す墓標とならなければよろしいですが。
投稿: tikurin | 2006.12.17 20:51
俺の墓標に名は要らぬ、とか北斗の拳みたいな潔い馬鹿が出るのを祈るばかりですな。
投稿: ハナ毛 | 2006.12.18 20:28
右翼にしろ左翼にしろ、教育によって国民を自分たちの意のままに育てようと言う欲望は一緒。
少なくとも教科書検定なんて無くせばいいのに。
投稿: 木村 | 2008.10.31 13:45