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2006.12.27

ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル

 この間というかこの数年ハイデガー「技術論」のゲシュテル(Ge-stell)の視点から情報技術や超国家性について折に触れて考えているのだが、うまくまとまらない。そんなことを書くのはつらいし、およそ読みに耐えるものでもなかろうと思っていたのだが、なんとなく年越し前に少し書いておきたくなった。
 ハイデガーの「技術論」は一九六三年に発表されたもので、その後七〇年代から八〇年代、九〇年代と、いわゆるテクノロジー対本来の人間という枠組みで問われてきたように思う。子細に見るなら、七〇年代はサルトル流実存主義の系譜、八〇年代にはニューアカ的な例えばデリダの背景的な後期ハイデガー論とも関係しているだろう。九〇年代には浅薄にジャーナリスティックなハイデガー論も起きたが、今となっては収束したかに見える。現在、ハイデガー「技術論」がどのように問われているのか、もはや時代に問われることはないのか、よくわからない。自分にとっては、インターネットの登場以降の情報技術の関係でハイデガー「技術論」のゲシュテルが気にかかっている。

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ハイデガー入門
竹田青嗣
 ハイデガーについて手っ取り早く知るには、後期哲学までを俯瞰した竹田青嗣「ハイデガー入門」(参照)が簡便かと思う。ただ、竹田のハイデガー観は彼のフッサール的な視点のせいか初期ハイデガーに重きを置いているため、後期像が見えづらい。また前期についても木田元「ハイデガー『存在と時間』の構築」(参照)が指摘しているように七〇年代的な実存主義的な理解は文献学的に是正されるべきなのだろう。ただ、この木田の読み直しから後期ハイデガー像がどう描かれるかなのだが、入門書的な「ハイデガーの思想」(参照)はやはり前期の「存在と時間」に焦点が当てられている。哲学を学ぶという点では一つの手順としてやむを得ないのだろうが、後期ハイデガー「技術論」の今日的な意味を考えるには迂遠すぎるし、おそらくハイデガーが晩年意図したところでもないだろう。
 竹田の入門書ではこうまとめられている。

 ハイデガーは一九六三年に『技術論』を刊行する。これは一九五〇年前後におこなった一連の講義がもとになっているが、その概要はつぎの通り。
 まずハイデガーは、技術は技術の本性と同じものではない、と言う。では「技術の本性」とは何か。それを表わすのは「ポイエシス」という言葉だが、これはもともと「出で・来・たらすこと」(=その本性を露わにさせる)という意味を持っている(アレーテイアやピュシスと同じ構造だ)。すぐ分かるように、「ポイエシス」は「ピュシス」の概念と深く繋がっている。「フューシス(注 ピュシスのこと)は最高の意味においてポイエシスである」。

 技術の本性はポイエシスであるという理解に誤りがありそうにも思えるが、もう少し続ける。

 もう詳しい説明は不要だと思うが、ハイデガーによれば、もと「ギリシャ人の意味において」は、「ポイエシス」、「ピュシス」、「アレーテイア」、そして「テクネー」という言葉はすべて根本的な意味において連通管のように底でつながっていた。それはすべて、「ほんらいあるもの」をその本来性において「出で・来・たらす」、「露わにする」、「隠されないさまにする」といった意味をもっていた。ところが、

 ここでハイデガーの技術論が引用されるのだが、その前に、竹田はこの本来性をスタティックに見ていることに注目しておきたい。ハイデガーは言う。

近代技術を終始支配しているこの露わに発くということは、しかし今では、ポイエシスの意味における出で・来・たらしの形で展開されているのではない。近代技術のなかで統べている露わな発きとは、自然にむかって、エネルギーとして搬出され貯蔵されるような、エネルギーを供給すべき要求を押し立てる挑発(ヘラウスフォルデルン)なのである。

 竹田はこう解説する。

 いまや農夫の仕事でさえ、近代的な意味での「挑発」になってしまった。「挑発」とは、自然を、人間の観点から、一方的に人間に役立たせるために利用すること、を意味している。しかもそれだけではない。自然は形而上学的な(つまり人間中心主義的な)視線の中で、「挑発」の対象とするものだが、そのことはじつは、「人間自身の方がすでに自然エネルギーを搬出するように挑発されている限りにおいてのみ」可能になっているのである。そうハイデガーは言う。
 つまり、近代技術の本質は、「人間」-「自然」の双方がともに全体的な「挑発」の対象となっている構造として、はじめて理解できる、ということになる。近代技術のこのような本来的な構造を呼ぶのに、ハイデガーは「立て・組」(ゲシュテル)という言葉を示す。

 この竹田の理解も微妙なところだ。彼は、総じて、挑発は人間対自然の関係性に置かれ、その上でそれらを支配する全体構図として理解しているようだ。また彼はハイデガーの技術論を、「存在と時間」における本来性と非本来性との対立と類似の構造のなかに流し込み、自然と人間に介在する技術の本来性をハイデガーが問うているのだというふうにまとめていく。

こうして人間が近代的に歪められた技術の本性、「挑発」=「立て・組」を棄てて、「真理」を露わにするもの」として技術の本来性に目覚めるべき道すじをもつ、というストーリーは、人間が「頽落」した世人自己を棄てて、「本来的」的な実存の可能性に目覚めるのと同じ構造になっていることが分かる。

 ここまでまとめられると、私は竹田のゲシュテル理解が違うのではないかと思えてくる。私は、ゲシュテルそれ自体が存在のダイナミックな開示性であり、そのなかに人間と自然が仕組まれていると解釈したい。比喩的な言い方をすると、私たち現在の人間はガンダムスーツのようなゲシュテルのなかでどのように自覚するかということだろう。
 竹田のような理解によるハイデガー「技術論」的な世界からはすでに今日的な視点や問題意識は見えてこない。ただ、竹田のフッサール的なコギトからの視点からは、それ自体を超越的に包み込むダイミックな存在の歴史というものは無根拠なおとぎ話に見えることだろう。
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ハイデガーの技術論
加藤尚武
 疑問を原点に戻して、ハイデガーの「技術論」とは何か?
 この考察・再考に役立つのが、原文対訳の多い加藤尚武編「ハイデガーの技術論」(参照)である。まえがきはこうだ。

 この本は、ハイデガーの技術論をすこし本格的に研究しようとする人のための入門書である。ハイデガーのドイツ語を読みこなす練習書という意味もこめてある。ドイツ語を習っていない人は、ドイツ語をまったく無視して読んでいただいて差し支えない。それでもハイデガーの技術論が言葉の意味をしっかり押さえ込んでいかないと読めないという性質のテキストであることが分かるだろう。手っ取り早くハイデガーの技術論について要点を知りたいと思う人は、そういう手引き書は存在しないし、存在しえないことを思い知るべきだと思う。

 確かにそういう趣があり、哲学の授業を丹念に学ぶ喜びを感じさせる本でもある。ただ、この本で編者となっている加藤尚武自身のゲシュテル理解がこれでいいのか、こう言うと僭越なのだろうが、私はやはり疑問に思える点はある。しかし、それについてはここではふれない。
 本書ではゲシュテルは「徴発」と訳されている。戦時の意味を込めている。

 ハイデガー自身、「兵士の召集」とか「軍事物資の調達」とかいう日常語と近い意味で、このゲシュテル(Gestell)という言葉を使っている。

 そして加藤はその先に炭坑採掘機械がゲシュテルと呼ばれていたという経験談からこの語の語感を語る。
 私の関心事は二つである。一つはゲシュテルと情報技術の関係である。もう一つはゲシュテルと国家の関係である。
 ゲシュテルは、自然が内包するエネルギーを徴発するというイメージでまず描かれている。だが徴発されるのは自然のエネルギーや資源だけではない。ハイデガーの原文を受けた加藤の説明を借りる。

 この文章は「シュテレン」(stellen)づくめで書かれているが、この「シュテレン」の元締めが「ゲシュテル」(徴発性)である。
 たんに資材を調達するだけではなく、世論とか、意見とか、文化とかまで調達し、取り立てていくというあらゆるものを駆り立て、取り立てていく見えない力が働いている。誰かが私腹を肥やすために世論操作をしているということをハイデガーが言いたいのではない。近代技術の文化の根底には調達のための調達、取り立てのための取り立てという奇妙な性格がある。

 徴発の対象は、情報であり大衆の関心でもある。ここで、いわゆる情報化=マスメディアとして新聞・テレビ、そして対価されるコマーシャルメッセージを考えれば、それらがすべて商業主義や特定のイデオロギーに情報と大衆の関心を徴発するゲシュテルであることがわかる。
 だが現在の私たちはこのゲシュテルの上に、Googleのような奇妙なゲシュテルを見つつある。ここでいうGoogleは象徴でしかないのでべたにGoogleでなくてもよい。いずれにせよ、ネット検索技術や情報共有技術というものもゲシュテルとして露わになりつつある。これらは、旧メディアとしてのゲシュテルと現象面で対立しているのか、ゲシュテル自身の別の発現なのか。おそらくゲシュテルそれ自体の新しい発現なのだろう。ではその意味、つまり人間によるその存在了解はどのようにありうるのだろうか?
 もう一つの関心、国家と超国家の関係もまさにGoogle的なもので比喩的に描きやすい。その前に。随分と考えたのだが、国家がその経済成長なりでゲシュテルの発現を内部に生み出すのか、ゲシュテルそれ自体が国家を生み出すのか? 加藤尚武編「ハイデガーの技術論」には轟孝夫の関連した興味深い論考がある。私としては、ゲシュテルが国家を生み出すのだと考えてよいように思う。つまり近代国家を特徴付ける国民皆兵それ自体がゲシュテルの現れなのだろう。
 このゲシュテルは世界なかで各国家を対立的に生み出していく。だが、他方現在Google的な超国家の情報機構は本質的に国家を超える徴発(ゲシュテル)として現れている。これはいったい何なのだろう?
 単純に言えば、Googleが世界を支配しようとしているのだ、というように単一帝国的な志向を持つゲシュテルと理解することもできるだろうし、そうした警告も少なくない。だが、GoogleというゲシュテルはGoogleという単一の機械である必要もなく、それらが均衡しても特異な発現が止まるわけもない。やはり国民皆兵的な徴発性を無化するゲシュテルとなっていくように見える。
 ハイデガーの「技術論」の視野に、こうした情報を駆り立てるゲシュテル、国家を開くゲシュテルということがあるだろうか? ただ、この裏側で、国家と結託した貨幣操作技術としてのゲシュテルが大きく動いているのも事実だ。

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コメント

近代欧州でポイエーシスというとシェリングがまず思い浮かぶ。この問題、彼の「主観的自然」観から導出されるところもあるやに思うが、論理展開は難しそうな。
それと野暮ながら、本文1行目の「Ge-tell」は「Ge-stell」かしらん。

投稿: makitatsuyama | 2006.12.28 01:01

私見ですが、ハイデガーのゲシュテル概念を理解するためには、古代ギリシャにおけるテクネーとロゴスとの関係を理解する必要があります。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』がもっとも端的に示しているように、古代ギリシャではテクネーはあくまでのロゴスに従属しているものであると理解されていました。そしてハイデガーの技術観も、あきらかにこのテクネー観を引きずっています。たとえばハイデガーは「技術の本質は技術的ではない」と述べるわけですが、それは技術の本質はロゴスであるとハイデガーが考えているからです。そしてゲシュテルに形而上学の完成をハイデガーが見て取るというのも、それがロゴスの論理を徹底して体現していると考えているからです。
ハイデガーが『存在と時間』の冒頭でプラトンの『ソピステス』からの引用をおこなっていますが、『ソピステス』はゲシュテルの問題にも大きな光を投げかけてくれると個人的に思っています。詳細は述べませんが、『ソピステス』は形而上学におけるロゴスが、同時に「ある」と「ない」というデジタル的な最小限の離散的単位と表裏一体である事を示しています。このことが、ゲシュテルと情報技術を結び付けて考えることの必要性を裏付けているように思います。
ハイデガーのゲシュテル概念が意味をもつのはデジタル技術に基礎をおいた情報技術においてである、と主張しているフランスの技術哲学者にベルナール・スティグレールという人がいます。残念ながらその主著である『技術と時間』1,2,3巻の邦訳はありませんが、ちょうど、そのスティグレールについて書いた文章をブログに載せたところでした。ゲシュテルあたりに触れる議論にはそこでは触れられていませんが。
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061222
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061226

投稿: voleurknkn | 2006.12.28 04:35

私は「形而上学入門」しか読んだことがありませんし、哲学は認識論と存在論しか興味がないのでちょっとついていけません。但し一言だけ。

>比喩的な言い方をすると、私たち現在の人間はガンダムスーツのようなゲシュテルのなかで

このような比喩を使う場合、現代時評にすこしでも興味のある人間なら「モビルスーツ」という言葉が一般名詞化しているのをわかっているはず。スターウォーズであのような感想を洩らすのは恥じゃないですが、ガンダムのように人口に膾炙しているものまで半解レベルなのは人文系ブログとしては少々問題かな。

投稿: F.Nakajima | 2006.12.28 23:07

↑最近寸評マンと化してますな。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.28 23:28

↑重箱隅だが、正論ではないか?

投稿: トリル | 2006.12.29 03:13

>比喩的な言い方をすると、私たち現在の人間はガンダムスーツのようなゲシュテルのなかで

初投稿にして横レスとなってしまうのは甚だ恐縮ですが、終風先生が仰ったようなゲシュテルとして機能した「モビルスーツ」の代名詞といえば、作中では正に「ガンダム」なのですから、「スーツ」は余計だったとしても、間違ってはいないと思うのですが、いかがでしょう?
また私見ながら、ゲシュテルについて。澁澤龍彦の言うオブジェなんかが、適当な解釈のような気がします。アレゴリカルな視線によって聖化(ノスタルジア化)された対象の強烈な引力、それをハイデガーはゲシュテルと呼んだのではないか? と。以上、ヨタでした。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2006.12.29 14:08

↑トリ蔵どの。

 んにゃ。別に否定はしてないよ? 重箱隅のそのまた重箱隅を楊枝の先っぽで突付いただけにゃ? んだから、その楊枝の先っぽにトリ蔵どのが物申したにゃ。素直にへし折られたほうがいいですか?

投稿: ハナ毛 | 2006.12.29 17:29

↑そんな門じゃ折れやせんじゃろう、竹林みたいなもんなんだから。

ナカジマさんも、言外身近に何かあるんじゃ路ね。
例えば、小学生の愛娘が最近冷たいとか・・・
相手して欲しそうなんだから、適当なレベルなら普段のご愛好に感謝して、突っ込み・合いの手入れるべき、と思うたのよ、私も。

投稿: トリル | 2006.12.29 17:36

 今度から【ポエムこっからスタート】【ポエムここまで】とか書いといたほうがいいかな? 来年あたりから、そういう方向性で逝くわ。
 現実8割ポエム2割くらいの按配で混ぜたら絶対気付かない(気付いたとしても悪いほうへ解釈する)ってコッチは分かってやってるけど。やるだけやってひっくり返して、種明かしをしないのは卑怯かもしれんので。「12月23、24日の件」については、あとでゆっくり種明かしするよ。今日仕事納めだったんで、考えとかまとまらなくて書ききれんのよ。そういうことで。

 弁当日記とか覗いたら、酷い罵詈雑言と失望の渦で、さ。おいちゃん笑っちゃった。それと同時に、超ガックリ。人類皆平等。みんな、どんなに斜に構えてるつもりでも、心の底では正義感に満ち溢れたいい人なんだなって。感動しました。そういう心のひだを炙り出す意味でも、適度に馬鹿なほうが、いいかなって思っちゃった。

 皆さん頑張ってネ。そういうことで。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.29 17:36

↑トリ蔵どの。

 ご明察。折れません。なんたって竹槍三等兵ですから。何遍も言ってるべ。弱いけど、折れんのよ。最新兵装の米軍でも、ベトコンは倒せなかったでしょ。そんな感じ。古いね。例えが。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.29 17:39

私の母はテレビゲーム全般のことを「ファミコンゲーム」と言います。「ピコピコ」と言っていた頃に比べたらずいぶんな進歩です。

投稿: 天魔 | 2006.12.29 20:08

皆さん、私の心情を深読みしすぎのような。。。
単に、ガンオタ(までは行ってませんが)の律儀な訂正だったんですけど。

ついでにガンオタならよりらしく語ってみましょう。

>ゲシュテルとして機能した「モビルスーツ」の代名詞といえば、作中では正に「ガンダム」なのですから、「スーツ」は余計だったとしても、間違ってはいないと思うのですが、いかがでしょう?

ガンダムの「仮想世界」で最初に「モビルスーツ」と言う概念を形作ったのは「ザク」であり、「ガンダム」ではありません。現実世界のアニメの歴史上、そしてアニメをダシにして現実世界の思想を語るには「ガンダム」というある特定の機体を核にして語るのは難しいですね。実際には「モビルスーツ」という概念まで戻して語る、というほうがやりやすいです。

投稿: F.Nakajima | 2006.12.29 21:37

>皆さん、私の心情を深読みしすぎのような。。。

 ちゃうねん。深読みしすぎなのは、自分の心やねん。あんたの心を読んでるんと、ちゃう。あんたの発言をモチーフに、自分を言うてるだけやねん。それ見てどうとか思うんやったら、そら「そこが」あんたと私らの越えられん溝やねん。そういうこっちゃ。

投稿: ハナ毛 | 2006.12.29 23:50

良いネタをありがとう。
正直、ハイデガーじゃコメントしずらいじゃん。
何かシンクロにシティーでもあれば良いんだけどさ。
誰かが人柱にならないと(笑)

で、ナカジマ先生はガノタだと。
インプトしました。
ハイラインのスツームツルパーまでは行かなくて良いという主張でFA?

投稿: トリル | 2006.12.30 04:01

>ハイラインのスツームツルパーまでは行かなくて良いという主張でFA?

あああ、掃除している手が止まる。

「宇宙の戦士」?面白いけどただの右翼系エンターテイメント。巻末の討論を読んでいると思想的にもう時代遅れは否めないし、パワードスーツの設定にしてもかなり大雑把。
但し、SFを抜きにして米軍内部の気質・思考(特に海兵隊)を理解する初歩としてはお勧めします。

投稿: F.Nakajima | 2006.12.30 09:24

>現実世界のアニメの歴史上、そしてアニメをダシにして現実世界の思想を語るには「ガンダム」というある特定の機体を核にして語るのは難しいですね。実際には「モビルスーツ」という概念まで戻して語る、というほうがやりやすいです。

確かに難しいですね。終風先生に倣い、加藤氏の説明を借りると、

>この文章は「シュテレン」(stellen)づくめで書かれているが、この「シュテレン」の元締めが「ゲシュテル」(徴発性)である。
 たんに資材を調達するだけではなく、世論とか、意見とか、文化とかまで調達し、取り立てていくというあらゆるものを駆り立て、取り立てていく見えない力が働いている。誰かが私腹を肥やすために世論操作をしているということをハイデガーが言いたいのではない。近代技術の文化の根底には調達のための調達、取り立てのための取り立てという奇妙な性格がある。

おそらくゲシュテルは、仮想敵というセンスに根ざしている(だから「ガンダム」でもいいかなあなんて思うんですけど、これは蛇足ですかね)。


投稿: 夢応の鯉魚 | 2006.12.30 13:34

finalventさん、こんにちは、

昨日、「禅をオートバイ修理技術」についてTwitterでつぶやいておりましたところ、m_um_uさんから、ヒントをいただいて、あらためてこのエントリーを読ませていただきました。

http://twitter.com/m_um_u/status/5201309397

そのときのリストを作ってみました。

http://togetter.com/li/467

ハイデッガーのゲシュテルとパーシグ(「禅...」の著者)のとで、どう比較いていいかすらわかりませんが、関連があるような気がします。ピュシスとは、確か「生成」という概念を含んでいるのだと思います。

よく勉強してまいります。大変なヒントをいただきました。ありがとうございます。

投稿: ひでき | 2009.10.28 16:40

私の著作物もよろしければお読みください。私の思考法が現代哲学に堪へ得るものなのかを貴君に判断して頂けますと幸いです。下記の本を宜しければお読みください。
『幽閉、若しくは彷徨〈第一部〉』
http://amzn.to/dMtudW

投稿: 積 緋露雪 | 2011.04.04 05:53

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受信: 2007.05.25 23:26

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