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2006.11.30

カラーテレビの思い出(ずっこけ)

 自民党復党議員問題を書こうかどうか考えてやめた。復党議員に投票した有権者はどう思っているのだろうか。政策じゃなくて人柄で選んだんですからということか。で、ぼんやりカラーテレビのことを思い出した。
 このところいざなぎ景気(参照)を超えたという話をよく聞く。いざなぎ景気は、一九六五年から七〇年にかけて五年近く続いた好景気のことで、ちょうど私の小学生時代に相当する。ああ、あれが発展途上国の好景気というものなのかとなつかしく思い出す。好景気というわりには、今の生活水準からすると貧しいものだったなという思い出もあるし、それでいてなんか毎年のごとく家を改築してたような記憶もある。
 三種の神器(参照)の話はもううんざりなので先に進めるとして、いざなぎ景気のころは、3Cというのがあった。カラーテレビ、クーラー、カーである。と、ふと英語でこれをなんて言うのかとまどった。カーは Carでいいだろう。cdr のわけはない。クーラーは、coolerのわけはない。和製英語なのか当時の米語とかにあったのだろうか。air conditioner にはなにか口語があったか。カレーテレビは、color television set だろうか。意味的にはそうだが、米語ではどう呼んでいただろうか。もっとも今では、そんなふうに「カラー」と呼ぶわけもない。
 ウィキペディアを覗いてみた(参照)。歴史的な記述はあまりない。


カラーテレビとは、映像に色がついているテレビ放送あるいはそれに対応した受像器のことである。日本で登場したばかりのころは「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。

 「総天然色」という言葉は懐かしい。真実の色というわけでもないが。

カラーテレビ放送の搬送波では輝度と色差の信号が送られ、受像器で両者を合成しカラー画像を作る。輝度の信号はそれまでの白黒放送に相当する。白黒テレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、下位互換性を保っている。

 このあたりの技術を最近の技術者たちは知っているだろうかとちと思う。これはなかなか面白い。最近のデジタル技術というのがよくわからないのだが、HTMLなどはRGB色空間だが、カラーテレビの色空間はYCbCr色空間というのを使う。
 YCbCrというのは、輝度信号がY、色信号の青味成分がCb、赤味成分がCrで、この三成分を合成する。ということは、Yだけ取り出すと白黒テレビになる。日本が採用しているNTSC方式だと、輝度信号の副搬送波に色信号を変調させている。懐かしいなぁ、CCITT。
 で、これをRGBに変換するには、次の式を使う(8ビット表現のときは色に+128)。

Y = 0.29900 × R + 0.58700 × G + 0.11400 × B
Cb = -0.16874 × R -0.33126 × G + 0.50000 × B
Cr = 0.50000 × R -0.41869 × G - 0.08131 × B

 まあ、式自体はとりあえずどうでもいいんだが、このなんとも微妙な係数がどっから出てきたかというと、人間の色知覚は輝度変化に敏感だが色変化には鈍感という心理学的な特徴をもっているからで、そのあたりの実験値からこの係数が出てきている。実験をなんども繰り返して、こんな塩梅ではなかろうかというのが技術であり科学でありCCITTだったというわけで、なんか私はそんな歴史の空間のなかに技術屋の父親とすごした少年だった。
 この手の話はもう切り上げようと思うのだが、ついでなんで、この近似値は次のようになる。

7 × Y = (2 × R + 4 × G + B)

 つまり、人間の目というのは、緑色が青色より四倍明るく感じ、赤い色が青色より二倍明るく感じるようになっている。なので、基本ソフトが落ちたときはブルースクリーンにするし、ブログの背景には緑色を使うんじゃないよということがW3Cで決められている。
 こんな技術もうどうでもいいでしょとか思っていたのだが、この色空間はJEPGにも採用されているので、工学というのは無駄にならないものだなと思う。
 これに反して、カラー印刷の世界は昔は、色分解の天才的な職人がいて、今ならNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」とかに出演してうんたら言いそうなんだけど、こちらの技術はほぼ完全に廃れてしまった。神業的な技術でも跡形もなく消えてしまう技術がある。そういえば、植字工などはどうだろうか。
 そういえばで思い出すのだが、二十代のころだが、たまたま私がアスキーを持っていたらどっかのオヤジさんが、そいつらには泣かされたねという話をしてくれた。常識破りのデザイン持ってきて刷れっていうのだというのだ。愚痴かと思ったら、そうではなくて、そういう熱気に負けてチャレンジしてみたくなったよ、おまえもがんばりなという話であった。
 あー、カラーテレビの思い出の話でも書こうと思ったのだが、話がずっこけ(死語)てしまった。

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2006.11.27

牡蠣のオリーブオイル掛け

 簡単クッキングの時間ですよ。牡蠣のおいしい季節。今日は、牡蠣のオリーブオイル掛け。牡蠣を乾煎りして塩で味付け、オリーブオイルを掛けるだけという、まじシンプルな一品。
 素材は、加熱用の牡蠣。量は適当。多いほうがいい。一人で食うだけだからそんなに要らない? いいからできるだけ買え。お、こりゃうまそうというのを選べ。生食用のは買うなよ。
 そると、塩。塩はうるさいこと言わない。私が使うのは岩塩。アルペンザルツ。「極東ブログ: 塩の話」(参照)もご参考に。
 そしてオリーブオイル。オリーブオイルは極上を使え。ここで味が決まる。極上ってなんだという話は、「極東ブログ: [書評]アーリオオーリオのつくり方(片岡護)」(参照)などを参照のこと。わからんかったら、五〇〇ミリリットル一五〇〇円くらいので偉そうな感じのエクストラバージンを買え、と。
 牡蠣は水洗いする。水はできるだけ切る。できたらクッキングペーパーで水気を取る。
 フライパンはテフロンの安物でよい。
 中火にしてフライパンに牡蠣を入れる。

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 しばらくすると泡と一緒に水気が出てくる。

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 ここで塩を振る。量は牡蠣の量を見て適当に。たくさん振るとしょっぱくなり、少ないとシオタラン。塩は出てきた水分に溶かすようにする。
 フライパンを揺すりながらしばらくすると、水気が飛んでくる。牡蠣はぷっくりとしてくる。でも、牡蠣あんなに入れたのにというくらい少なくなったような感じがするが気にしない。
 粗方水気が無くなったら火を止めて、オリーブオイルをひとまぶし。フライパンを揺すりながらオイルを全体に回す。

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 これでだいたいできあがりだし、もう食ってもいいのだが、できたら、皿に盛って冷やす。冷えたところで、オリーブオイルをもう一回し。この最後のオリーブオイルがうまさの秘訣。
 できあがり。シャルドネなんかでどうぞ。
 ということなのだが、たくさん作って余ったら、もうちょっとオリーブオイルを足して瓶に入れとけばそのまま牡蠣のオリーブオイル漬けになり、日持ちする。

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2006.11.26

バブルという時代を思い出す

 日経新聞のコラム春秋の今日の話題がバブル時代のことだった(参照)。枕はホイチョイ・プロダクションズの来春の映画「バブルへGO!!~タイムマシンはドラム式~」(参照)である。


 800兆円まで膨れ上がった債務に悩む財務省が秘策の発動を決断した。極秘裏に完成させたタイムマシンで1990年の日本に女性工作員を送り込み、バブル崩壊を阻止するという。しかし好景気にわく東京を初体験した彼女は浮かれ気分に取り込まれ……。

 公式サイトの釣りはこう。
 街中が浮かれ、踊っていたバブルの絶頂、狂乱の1990年3月の東京を舞台に、当時のファッション、文化、風俗を満載!
 人類史上最もハイテンションだった時代の男女が織りなす、底抜けに明るくノー天気で、恋愛あり、活劇あり、親子の絆ありの、グッとくる王道エンターテインメントを壮大なスケールで、笑いいっぱいに描きます!!

 あの時代を映像で見るだけでもなんかすごいものがありそうだ。面白い映画になるかもしれない。
 春秋はこんな話で締めていた。

若い人から「バブルって、いい時代だったそうですね」と真顔で聞かれたことがある。不況しか知らない世代に、あの時代の空気を説明するのは意外に難しい。喧噪(けんそう)に紛れ見えなくなったもの。消えた街。人生を狂わせた人々。崩壊後の混乱。「バブル」という言葉につきまとう苦さも、きちんと伝えていきたい。

 私も最近バブルを知らないと言う三十歳過ぎの人に遭遇した。え?とか思ってしまう私は来年五十歳。ちょっと考えなおすと、今の三五歳以下の人は大人になって世の中に出てからバブルというのを見たことはないのだ。あれから随分時が経ったか。
 ウィキペディアの「バブル景気」(参照)を見るとバブルの時代は年代的にはこうらしい。

バブル景気(ばぶるけいき)とは日本の経済史上で1980年代後半~1990年代初頭にかけてみられた好景気である。指標の取りかたにもよるが、概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月間を指すのが通説となっている。

 当時私も株少し持っていたので覚えているが、「日経平均株価は1989年の大納会(12月29日)に最高値38,915円87銭」が印象的だった。あれはすごい光景だったな。長谷川慶太郎が、これから日経平均五万円時代だとか息巻いていたし。
 九一年にはバブルは崩壊しはじめたのだが、と自分の歳と関連つけて思い出すと、三四歳か。会社を潰しにかかるころでバブルに踊っていたという感じでもない。その前、三十歳を超えた当たりで父親が死に、堰を切ったように身近な災難がやって来た。バブルがちょうど潰れたあたりではなんだか人生から解放されたような感じでよく旅をした。あれから遅れてITバブルがやって来た。立ち話でン万円貰えた時代だ。もう少しうまい立ち回りもあったかもしれないとも思うがすべて過ぎ去ってしまった。
 二十代の終わり、八〇年代後半、よい思い出があるかというと、若造なのであまり銭もないせいかしょぼかった。が、マッキントッシュに百万円。引っ越し一度に百万円だったな。
 仕事にかまけてよく夜の都心で食い歩いたか。六本木とかで外人と遊んでいたのはまだバブルが始まる前だったので地味といえば地味だった。その後、コンサルめいてバブルの片隅を覗いたこともあるが巻き込まれはしなかった。
cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 総じて、バブル時代というがそれほど庶民には関係なかった。バブルは基本的に不動産に限定されていたわけで、「ウォルフレン教授のやさしい日本経済」(参照)が指摘するようによく統制されたものだった。
 不動産関係のオヤジはぎらっとして若い女性と遊んでいたので、あの時代に青春だったお嬢さんたちが今の負け犬世代なのではないか。私より十歳下の世代。来年からは彼女たちも四十代になる。
 ネットを見ていたら「教えて!goo バブルの時代というのは」(参照)というのがあり、読んでいるといろいろ思い出す。

【男性】当時一番景気がよかったのが、不動産(地上げ屋)さんで、のちに「バブル紳士」と呼ばれる。
スーツ・・・アルマーニ Vゾーン広めのダブル(日本人にはムリ)
ネクタイ・・・ヴェルサーチ まっ黄色、まっ青の柄物それも大柄
小物・・・金ムクのロレックス ダイヤがまぶしい
特徴・・・ゴルフ焼けでまっ黒だが、左手だけ白い(手袋で)

【女性】 バブル前期
洋服・・・体にピタピタの金ボタン付きスーツなど
化粧・・・太い眉毛に青みがかった濃いピンクの口紅
髪型・・・ワンレングス
小物・・・スカーフ・太いベルト・チェーンベルトなど
特徴・・・アッシーくん(足=運転)、メッシーくん(飯=ごはん)、ミツグくん(貢=プレゼント)を自在に操る
前期に流行ったディスコは、マハラジャやトゥーリアあたり。
後期にはジュリ扇ギャルが出現しました。(ジュリアナのお立ち台で羽扇子片手に踊り狂う)


 あのころ深夜近い時刻だったが新宿ワシントンホテル前にぞろっとアッシー君が並んでいたのを思い出す。自分はすでに三十歳のオッサンになっていたので、随分若い子たちだなと横目で見て、もらったタクシー券を握りながらタクシーを捕まえるのに難儀していた。

私はその頃まだお子ちゃまでしたが、バブルといったら女子大生がすごかったですね(>_<)

ワンレンにボディコンに毛皮を着て、ブランド品に身を固めた女子大生自体がブランドのような!
ものすごいチヤホヤされてたような…(髪型はソバージュも流行りました。)


 飯を食うのに髪を抑えているのをX攻撃とか言うのだったか。
 バブルとは関係ないが、あの頃を境にいつのまにか日本人女性の美人が瓜実顔ではなくなったような感じがする。
 バブルが終わってしばらくしてオウム事件の時代になった。私は本土を遁走してしまった。流れた先の沖縄ではそれはそれで熱い時代が始まっていた。

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2006.11.25

レバノン、ジュマイエル産業相暗殺を巡って

 レバノンで二一日反シリア派のジュマイエル産業相が暗殺された。事件の真相はわからないがこの時点で気になることをメモしておきたい。
 基本的な構図は、レバノン内の親シリア派対反シリア派の対立である。二年前のエントリ「極東ブログ: レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える」(参照)でもふれたが、シリアはレバノンに軍を置き事実上支配していた。
 が、このシリア軍がレバノンから撤退したことでレバノン内のヒズボラへの重石が消えたような状態となり、先日のイスラエルとの小競り合いに発展した。他、関連の話は「極東ブログ: シリアスなシリアの状況」(参照)や「極東ブログ: レバノン危機の難しさ」(参照)など。
 反シリア派は大雑把に言って親欧米派と言っていいだろうし、ジュマイエル産業相はマロン教徒なのでキリスト教的な欧米からの親近感もあるのだろう。ただし、マロン教徒がすべて反シリア派というように宗教対立で読めるものでもない。
 ジュマイエル産業相の葬儀は二三日ベイルートで営まれ、反シリア派が十万人集結した。親シリア派でもあるヒズボラへのレバノン国民の反発を強めた形になったようだ。共同”レバノン産業相に別れ 首都で葬儀、10万人参加”(参照])より。


 シリアの支援を受けているとされるレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは、シリアの関与が強く疑われている元首相暗殺の国際特別法廷設置の国連最終案を承認したシニオラ内閣の決定を批判。閣内でのシーア派閣僚を増やすよう要求し、街頭での大規模行動を呼び掛けるなど圧力を強めていたが、産業相暗殺を機に、これまで防戦気味だった反シリア派が巻き返した形となった。

 シリアが関与したと疑われる要人の暗殺はハリリ元首相暗殺を含め数名に及び今回の暗殺も単発的なものではないが、この時期べたにジュマイエル産業相をシリアが暗殺するものだろうかという疑問は特に陰謀論趣味でなくても思い浮かぶだろう。暗殺直前にハリリ元首相国際法廷設置が議論されていたことも気になる。朝日新聞一四日”ハリリ氏暗殺、国際法廷設置に同意 レバノン”(参照)より。

 事件の捜査は現在も進行中だ。国連の調査委員会は、05年までレバノンに軍を駐留させ間接支配していたシリアの関与を示唆する報告書を出している。法廷設置に積極的な米国は、法廷をシリアの影響力排除にも利用しようとしているとみられる。シリアは事件への関与を否定している。
 レバノンではヒズボラなどの親シリア派が、閣僚ポストの割り当て増などを求め、系列閣僚の辞職戦術などで揺さぶりをかけている。先に辞意を表明したヒズボラなどシーア派5閣僚に続き、キリスト教徒の親シリア派のサラフ環境相が13日、辞意を表明した。
 親シリア派は内閣改造や内閣総辞職を求める街頭行動も辞さない構えを見せており、政局は緊迫している。このため、シニョーラ首相は今週に予定されていた来日の延期を決めた。

 こうした空気だったのだが、ジュマイエル産業相暗殺で反シリア派を活気づかせることになった。あまりに鮮やかな転換すぎてどうも腑に落ちない。だからといって反シリア派が仲間を自派を活気づけさせるために連続暗殺しているというのはありえない話ではある。陰謀論的な推測をする気もないのでこの話はここまで。
 直接関係するわけではないのだが、やや関連して気になることがある。単純な構図で描くと、レバノンにおいてヒズボラは親シリア派とされているのだが、そのあたりの対立はどうなっているのだろうか。
 シリアのムスリムの半数はスンニ派であり、政府はかつてのイラクと同様にスンニ派バース党が権力をもっている。彼らが米国統治下のイラクに関与していたということは、米国中間選挙後の米国イラク政策から見ても明らかだろう。ベーカー元国務長官早速シリアへ動いた。AFP”ベーカー元国務長官らがシリア当局者と接触=米紙”(参照)より。

【ワシントン18日】米紙ニューヨーク・タイムズは18日、シリアのムスタファ駐米大使の話として、イラク政策の洗い直しを進める米国の超党派独立委員会「イラク研究グループ」のメンバーであるベーカー元米国務長官≪写真≫がシリア当局者と数回にわたって協議したと伝えた。

 この報道が一八日。数日後、シリアとイラクの関係は修復されることになった。朝日新聞”イラクとシリア、四半世紀ぶりに関係正常化”(参照)より。

 米国では中間選挙での共和党敗北を受け、これまで対話を拒否してきたシリアやイランを含めた包括的なイラク政策づくりが模索されている。シリアとすればこうした動きに反応してイラクとの国交を回復することで国際的な孤立状態を打開し、米国の「テロ支援国家」指定解除などにつなげたいとの思惑があるとみられる。

 とりあえず米国とシリアの関係は微妙に保たれて、さらにチェイニー事実上大統領はまたまたサウジに飛んでサウジ・スンニ派の取り込みも進んでいる。残る問題はイランでありシーア派だ。このあたりになにか理由でもあるのか国内報道からよく見えない。
 イラクは内戦状態に近い状況にあり、日本のジャーナリズムでは単純に米軍の問題だけを取り上げるのだが、内戦というからには二極があり、大雑把に分ければ、スンニ派親シリアとシーア派親イランという構図があるのだろう。もうちょっと言うと、イラクの混乱が話題になるのだがクルドはあまり話題に上らない。クルドは事実上独立を果たしたかのような状態だし石油も囲い込んだかのようだ。問題は南部の石油をかつての権力層であるスンニ派がどう分け前を取るかという争いにありそうだが、このあたりの露骨な状況も報道からは見えない。
 いずれにせよ事実上の対立はイラクにおけるシリア勢力とイラン勢力であり、シリア側のほうはとりあえず抑えたとして、イラン側の動きはどうか。朝日新聞”イランとイラク、首脳会談へ シーア派組織解体など協議”(参照)より。

 イラクのタラバニ大統領が25日にもイランを訪問し、アフマディネジャド大統領と会談する見通しであることが明らかになった。イラク政府高官が20日、AP通信などに語った。イラクで悪化する宗派対立や、シーア派民兵組織の解体問題などが協議されるとみられる。会談が何らかの成果を上げれば、これまでイランとの対話を拒否してきた米国の姿勢に影響を与える可能性がある。

 イラクの治安問題の大きな課題のひとつはイランが関与しているとみられるシーア派民兵組織だ。邦文で読める最近の記事ではJANJAN”世界・イラク:治安を悪化させる『死の部隊 - death squads』”(参照)がある。

 イラク内務省所属の秘密特殊部隊が、バグダッドで誘拐・拷問・虐殺を繰り返しているとの証拠が次々と出てきている。そして、この部隊を支配するのは、シーア派民兵組織、死の部隊(death squads)であるという。
 バグダッドでは9月、1,536体もの遺体が死体安置所に運び込まれた。イラク健康省は先月、1日に250体まで収容できる新しい死体安置所を2箇所に設置する予定であると発表した。一方、イラク住民は政府が今後さらに多くの殺害に関与していくものと懸念している。
 誘拐事件の犠牲者の1人(匿名)は「警察の特殊部隊が関わっている事件は現在、バグダッドの至るところで発生している」とIPSの取材に応じて答えた。
 (標的となっている)スンニ派有力政党の『イスラム党』は、政府や米軍との関係が深い残虐な民兵組織を強く非難した。一方、米軍は殺害に関与したことはないと否定している。

 JANJANにもその雰囲気を感じるのだが、ネットをざっと見回したところこうした死の部隊を煽っているのは米軍だという陰謀論もあるようだ。イラン攻撃の口実にしたいというストーリーらしい。死の部隊はイラク内務省にまで組織を伸ばしているのは事実のようだが、そのあたりをどう読むかは難しい。
 死の部隊(death squads)については、最近欧米ではテレビの特集番組などで注目されているようだ。”Truthdig - A/V Booth - ‘The Death Squads’”(参照)より。

Watch this chilling, full-length documentary (produced by UK’s Channel 4) showing Shiite militia groups waging a campaign of ethnic cleansing in Baghdad. It contains footage and details never before seen in the West. Watch it, and read the accompanying article.

 欧米ではこれは民族浄化、つまり、ジェノサイドにつながる文脈で注視しているようだ。
 話が散漫に長くなったが、このエントリを書き出すにあたって一番気になっていたのは、ジュマイエル産業相暗殺前、一七日付けInternational Herald Tribune”Previously unknown group warns of 'Shiite death squads' preparing to attack Sunni Muslims in Lebanon”(参照)である。

BEIRUT, Lebanon: A previously unknown extremist group has warned that "Shiite death squads" acting under Iranian religious edicts are preparing to attack Sunni Muslims in Lebanon.

In an Internet statement, the group, called the Mujahideen in Lebanon, also lashed out at Hezbollah, accusing the Iranian-backed militant Shiite Muslim group of aligning itself with "Lebanon's Crusaders" to eliminate the country's Sunni community.

The group urged Lebanon's Sunnis to prepare to defend themselves in the face of "Shiite death squads."


 シーア派死の部隊(death squads)はジュマイエル産業相暗殺前にレバノンのスンニ派への攻撃を準備していたようだ。
 イラクの治安の大きな問題の一つシーア派死の部隊は、レバノンやシリアとも関連の構図にありそうなのだが、はっきりとは見えてこない。

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2006.11.21

沖縄県知事選雑感

 沖縄県知事選挙についていろいろ思うことはあるが特にブログに書くことはないような気持ちでいた。しかし、昨日現地の話をいろいろ直に聞いていろいろな思いが少し溢れた。我ながら矛盾しているなとも思うのだが、簡単にメモしておこう。
 知事選について仲井真弘多が候補に立つまでの過程というか、いや糸数慶子がすったもんだしてようやく候補に立つまでの過程には関心を持った。が、その後は関心を失った。糸数が落選すると確信していたからだ。そして実際にその通りになった。私がそう望んでいたというわけではない。私は沖縄で政治活動をしたことはないが、糸数さんとは直接会ったこともあるし、今回の選挙でいえば私が沖縄で知り合った人は彼女の支持者のほうが明らかに多い。もうちょっと正直に言うと、糸数がようやく立った時点で、やったな橙鯨、GJ、おめーはただのわたぶーじゃない……まあそんな感じがした。
 選挙速報はワッチしなかった。その必要もないと思っていた。夜なんとなくラジオをつけて仲井真当選を聞いた。あ、そ、とか思ったのだが、ふと票差が気になり、そして票差を見て驚いた。仲井真34万7303、糸数慶子30万9985。私は僅差と見た。なるほどいわゆる革新側が浮かれていたのも宜なるかな、というところだったのか。
 昨日現地の人に僅差だったねと話すと、別に仲井真側の人というわけでもないが、大差でしょとかも言われた。その語調に、君まだ沖縄のこと分かってないねをまた感じた。まあ、そうだろう。
 私が僅差と思ったのは投票率にもよる。64・54%だった。稲嶺二選の前回〇二年は57・22%であり、差は7・3%。すごく増えたというわけではないが、この差に偏りがあれば、選挙は逆転した可能性はある。ではこの差が仲井真を利したか糸数に利したか、そこをどう見るか。共産党まで巻き込んだ民主党の共闘路線の強みということなのか。この問題は現地の空気を離れた自分ではよくわからないのだが、おそらくどちらかといえば仲井真を利したように思う。
 それでも糸数票が多い。昨日の本土大手紙の社説などを見ると、沖縄県民は基地問題よりも経済振興を選んだというトーンで書かれているし、本土朝日新聞などがそう書くと、おめーら内心うちなーんちゅをダシにしてんだろ、とかむっとくる。が、それが間違いとだけは言えないのだが、負け惜しみを言い散らすよりも、糸数票の多さの意味をどちらの陣営も考えたほうがいい。
 選挙というテクニカルな部分できわどい言い方をすれば公明党を崩せば仲井真は落選しただろう。本土側から見ると公明党は自民党の寄生でありキャスティングヴォートでありその大きな構図からは沖縄でも同じなのだが、それでも沖縄の公明党は基地問題が大きく沖縄の人の心を打てば別の動きを示すところがある。沖縄では公明党というくくりよりもうちなーんちゅのくくりが大きい(自由連合については私は沈黙したい)。今回の選挙では共産党を組み込んでも沖縄公明党の内部の人の心をうまく取り込めなかったようにも思えた。
 糸数擁立が間違っていたかという線で考えてみると、これも難しい。これもずばり言ってしまえば、糸数を候補に立てたのは裏の人々が操りやすいからだろう。私は、率直に言えば、山内徳信を立て大田県政の構図を初心に戻って立て直すべきだったように思うが、しかしそうすれば結局大田県政時代の混乱のようになってしまったか。
 この問題について私には矛盾がある。私はかつて沖縄県民だった意識としてはどちらかといえば大田県政を支持していたが一期の稲嶺に投票した。私はある沖縄の古老の思いと活動にうたれたからだった。沖縄のむずかしさを実感した。
 自分のそうした矛盾した思いからすると、そして現状ですら小沢民主党を支持する自分からすると、たとえば、長島昭久衆議院議員を私は支持するのだが、それでいて今回の選挙についての意見にはなかなか素直には聞き取れない。長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』”面舵いっぱい! 方向転換する勇気”(参照)より。


沖縄で「反基地」を掲げて6派連合を組んで、左のエースといわれた糸数女史を立てて戦った。それで、敗れたのだ。
つまり、野党共闘路線は破綻したといわねばなるまい。
驚くなかれ。すべての市町村で野党候補は与党候補に負けている。
しかも、基地の抱える宜野湾市や嘉手納町では票差が拡大しているのだ。
もはや、現実から乖離した「反基地」一辺倒では、沖縄の民意は動かない。
それが証拠に、与党候補は無党派の4割に食い込んだ。
かくて、私たちに残された選択肢は方向転換しかない、と思う。

 それはあまりにナイチ的に今回の選挙を見過ぎている。沖縄にはあまりに沖縄固有の問題が多く、そしてそれはなかなか語られない部分が多すぎる。
 

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2006.11.19

チョムスキーとチェイニーと

 秋も深まりというわけではないが、イラク戦争についてつらつらと考えることが多くなった。米国中間選挙の結果を機に、日米ともにジャーナリズム的にはイラク戦争は間違った戦争という空気になっている。いや歴史的にもそういう評価が固まるだろうか。問題があったのは統治であって開戦ではないという議論は、だから間違った戦争ではないという反論にはならないだろう。イラク戦争が間違った戦争なら開戦そのものも間違っていたと、朝日新聞や小林よしのりのように息巻くほうが理が通っているようにも思える。私にはむずかしい問題だ。
 米国政治の辛辣な批判者でもあり、いいだももの訳書からの馴染みでもあり、私も沖縄にいたとき米軍問題で支援のメールをもらったこともあるが……そうチョムスキー御大はイラク戦争についてなんと言っていたか。
 ネットに”ZNet Iraq Noam Chomsky Interviewed"(参照)があり、その翻訳”ノーム・チョムスキーが語る イラク侵略戦争の真実”(参照)もあった。訳文のほうが読みやすいので引用する。日付は二〇〇三年四月一三日。


あれから今までつづく経済制裁のために、[100万人もの]人びとが死に、社会が荒廃しました。同時に、サダムが支配力を強めています。人びとが生き延びるためには、食料や生活必需品を(実に効率よく)配給する彼の体制に依存するしかなかったからでした。こうして、イラクの民衆が蜂起する可能性は、経済制裁によって摘み取られました。

 気になるのは、経済制裁で死んだとされる人数が百万人とされていることだ。原文にはそのような記載はない。

The murderous sanctions regime of the following years devastated the society, strengthened the tyrant, and compelled the population to rely for survival on his (highly efficient) system for distributing basic goods. The sanctions thus undercut the possibility of the kind of popular revolt that had overthrown an impressive series of other monsters who had been strongly supported by the current incumbents in Washington up to the very end of their bloody rule:

 訳者が勝手に補ったのかもしれないが、そういう批判をしたいのではない。私もそれに近い数値の記憶があるが、はっきりとしない。
 この経済制裁とは、同時に石油・食糧交換プログラムでもあった。石油・食糧交換プログラムはフセインの独裁を深め、かつイラク民衆を苦しめるための世界システムとして機能していた。チョムスキーはここでは語らないが、石油・食糧交換プログラムは国連と仏露の不正の温床でもあった。この問題は当ブログで執拗に扱ってきた。
 石油・食糧交換プログラムをどうすればよかったか、それを制裁という問題だけに絞るなら、チョムスキーの回答はこうだ。

経済制裁がなければ多分サダムも[他の怪物たちと]同じ最後を迎えたことでしょう。デニス・ハリデイとハンス・フォン・スポネックがずっと指摘してきた通りです。[イラクで国連による石油食料交換プログラムを指揮していた]このふたりはイラクのことを一番よく知っている西洋人です(けれど、彼らの書いたものを見つけようと思えば、カナダやイギリスなど、どこか外国を探さなければなりません)。

 つまり制裁がなければ民衆蜂起が起きて独裁者は倒されていたというのだ。
 私はここで少しだけ苦笑する。たぶんそうはならかっただろうと思うからだ。現状と似たアノミーを起こしていたのではないだろうか。この点については別の見解もあるだろう。
 チョムスキーの話にはイラク戦争がなぜ引き起こされたかという考察もある。

最初の質問にもどりましょう。侵略の理由の一つは確かに、世界第2位の石油資源を支配することにあります。[軍事研究者の]マイケル・クレアが言うように、[石油で]「世界経済の喉元を押さえる」ことができれば、世界を支配する上で、アメリカの地位はさらに強力になります。彼によると、この長期目標を達成することが、侵略の主要な動機でした。しかしそうすると、時期の説明がつきません。どうして今でなければならないのか。

 私はチョムスキーのこの洞察が正しいと考えている。ただ引用だけ見ると、イラクの石油を米国が支配しているかのようにも聞こえるが、チョムスキーはそこまで阿呆なわけはない。これは石油市場を支配するという意味だ。そしてこのことは、チョムスキーのレトリックを外すなら、端的に石油市場を意味している。石油が市場から通常の商品として調達できるという状態そのものが、チョムスキー的には米国による石油支配である。
 私は皮肉を言っているつもりはない。チョムスキーの考えが間違っていると言うわけでもない。私が考えていることは、その市場なくして日本は存立できないだろうという思いだけだ。そうでなければ、現在の中国がやっているように原油の囲い込みに日本も奔走しなければならない。それが達成されれば、あるいは中国がそれを達成すれば、米国による世界の石油支配は終わる。日本はどうなるか。
 考えのスジがそのままイラク戦争を肯定するものだと先読みしないでいただきたい。そう直線的には考えていない。というのは、日本という国は、その石油市場から富を生みだし結果的に米国という帝国を支える世界システムに組み込まれている。それは米国が日本を支配するシステムもであるし、その支配とは、自由主義なりグローバリズムというものと同質であろう。単に言い方を変えてみるという程度のことだ。
 話をもう一コマだけ進める。チョムスキーの問いでもあり、私も疑問に思っていたのだが、なぜあの時期だったのか? チョムスキーはそれなりの回答の試みをしているが私は納得していない。
 私は、これはチェイニーの心の問題ではないかと思う。日本のジャーナリズムも米国のジャーナリズムを真似てブッシュ大統領をよく叩くが、彼はある意味でチャーリーブラウンのようなものでたいした脳というか能があるわけでもない。本当の米国大統領はチェイニーである。セプテンバー・イレブンのテロなどチェイニーにとってはイラク攻撃の口実でしかなかった。
 ということで、つらつらとこのところ湾岸戦争時代のチェイニーの活動を振り返る。興味深い。たとえば九〇年八月四日読売新聞記事”サウジアラビアに侵攻すれば、イラク本土の空爆も/米大統領言明”より。言うまでもなくこの記事のブッシュ米大統領はパパ・ブッシュのほう。

ブッシュ米大統領は三日、イラクがもしサウジアラビアに侵攻した場合、サウジの支援要請があれば「できることは何でもしたい」と述べ、軍事介入に踏み切る考えを公式に認めた。大統領はこれに先立ちチェイニー国防長官から、万一の際の軍事作戦の説明を受けた。当局筋によれば、その中にはサウジに対する兵器類の提供、海上封鎖、イラク本土への空爆などが含まれていたという。
 また米国務省報道官は同日午後「クウェートに侵攻したイラク軍はサウジ国境八―十六キロにまで迫った」と述べ、深刻な懸念を表明した。イラクは五日を期して撤兵するとしているが、米政府は「我々の要求は即時・無条件の撤収だ。まだ多くの疑問があり、事態を見守らねばならない」(大統領報道官)と依然、警戒的な姿勢を保っている。

 このあと、チェイニーはサウジアラビアの守護神のように東奔西走する。八日”対イラク 米、サウジに派兵 戦闘機や兵4000人 多国籍部隊構成へ”では。

 サウジアラビアが自国の基地に米軍の派遣を受け入れたのは前例がない。クウェートを占領したイラク軍のサウジアラビア侵攻に備える抑止力になると同時に、国連安保理決議による各国の対イラク経済制裁、石油輸送海上封鎖作戦計画と並び、軍事面からもイラク軍クウェート撤退へ圧力をかける包囲態勢の準備が整ったと言える。
 米海軍は七日、空母サラトガを米本土から地中海に出発させており、約十日後には、イラクをとりまく海域に空母三隻(艦載機合計約二百機)を含む三十隻の艦隊が結集、サウジ派遣部隊と合わせ、米軍にとってベトナム戦争以後最大の戦力集結になる。このほか、ソ連、英、仏などの軍艦約十隻もペルシャ湾に到着しているという。
 これに先立ち、ブッシュ大統領は六日、サウジアラビアにチェイニー国防長官を派遣した。長官はファハド国王らとの会談でイラク軍による同国侵攻の脅威が切迫していることを示す情報資料を大量に持ち込んで米軍受け入れの説得につとめた。

 湾岸戦争のときのフセイン大統領の目的はサウジの支配ではなかったかと私は考える。そして、チェイニーもまたそう考えていた。
 チェイニーにとっては、このころからサウジを脅かすイラクフセイン大統領を除去することが、事実上生涯の目標となったのではないか。
 ではチェイニーは虎視眈々とその機会を待っていたのかというと、そういう単純なものでもない。九〇年九月一八日読売新聞記事”バグダッド空爆発言の空軍参謀長を解任/チェイニー米国防長官”より。

米国防総省は十七日、マイケル・ドゥーガン米空軍参謀長(53)を同日付で解任したと発表した。同省によると、同参謀長は、さる十六日付のワシントン・ポスト紙とのインタビューで、湾岸危機がイラクとの戦争に発展した場合、イラクのサダム・フセイン大統領を標的とするバグダッド空爆が必要であり、これが、イラク軍をクウェートから撤退させる唯一効果的な手段であると述べていた。国防総省筋によれば、チェイニー国防長官は、この発言に激怒し、「同参謀長には、このようなコメントをする権限はない」として、異例の解任に踏み切った。同長官は、ブッシュ大統領とも解任問題を協議、大統領も同意したという

 あの時点で空爆などできるわけがない。だが、チェイニーの激怒の理由はそれだけだったのだろうか。
 先日解任されたラムズフェルドはチェイニーの上司であったこともあるし、その後も事実上の師弟関係にあった。ラムズフェルドがやれると言うならチェイニーもしかたないとしてイラク戦争が始まった……ということはないだろうか。
 言及するまでもないが、チェイニーの娘メアリーは同性愛者である。イラク戦争にも反対していた。チェイニー・パパはそうした娘も受け入れていた。私はこの娘の存在はチェイニーという人の存在の矛盾を表しているようにも思う。

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2006.11.16

胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもね

 この話も書くまでもないかと思ったけど、どうも基本の構図が分かってないのか分かっていて必死だな勢力もいるのか……まそれはないでしょとは思うけど、先日の朝日新聞記事”中国共産党、党大会代表を増員 候補者も増やす”(参照)を読みながら、胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもねという話をフカシておこうかなと少し思った。
 ちなみに記事はこう。


 来年後半に開かれる中国共産党の第17回党大会に出席する代表選びが始まった。13日付の中国各紙によれば、党員数の拡大を受けて代表数は2220人に増える。代表になるための候補者も増やして、「幅広い意見を反映させる」(党組織部)という。

 これがどういうことかというと……という話にもなる。
 こんなことは多少なりとも中国ワッチしている人には当たり前じゃんではあるけど、陳良宇第16期中国共産党中央政治局委員、前上海市党委員会書記(参照)が九月二四日に汚職ということで潰されたあたりで、中国権力の構図が一気に潮目を変えた。そのあたりの変化がじわっと世界のメディアにも影響しだしているようすがどうもわかってねー人が多いような気がする。まあ、そこまで話を進めず、陳良宇だが、ウィキペディアの説明がわかりやすい。

その間も陳良宇は汚職撲滅をアピールし、解任5日前の9月19日にも市党委常務委員会を主催して「中央の指示に基づいてやれ」との演説もしていた。ところが24日に党中央政治局会議で「社会保障基金の不正使用」「地位を利用した縁者の優遇」などの嫌疑により、党委書記など上海市の一切の職務は免職され、中央政治局委員、中央委員の職務を停止された。党委書記は市長で常務副書記の韓正が代行。 規律委員会が陳良宇解任後上海汚職疑惑を調査しているが、後になり陳氏の側近が新たに調査対象になるなど疑惑が拡大の一途をたどっている。

 別に陰謀論とか言わなくてもこれはついに上海閥追討の最終フェーズになってきたということで、こう続くのも理解しやすい。

陳希同以来となる政治局局員の失脚だが、理由が「汚職」である点や、大物の庇護下で「独立王国」を建設している点などが極めて類似している。中国共産党の政争の道具がイデオロギーから汚職のなすりつけに変わったことを印象付けるものである。

 さらっと書いているが、これはけっこう含蓄が深い。政治局局員の失脚であることと、大物の庇護下という点が重要だ。簡単にいえば、天安門以降、天安門事件を奇貨として膨れた上海閥の解体が始まる。なお、この事件の余波については、イザ!”中国汚職疑惑拡大「上海閥」切り崩しへ、 書記解任は序章”(参照)が詳しい、まとめは次のように穏和だが。

消息筋は、今回の事件について、来年の第17回党大会で権力基盤を強固にする必要に迫られている胡主席が、反腐敗闘争を掲げ、「上海閥」に切り込んだと指摘する。対日外交同様、胡主席が主導権確立のため、江前主席につながる上海閥の弱体化を意図したとの見方だ。

 闘争の構図は同じくイザ!”北京・伊藤正 上海閥からの奪権に着手”(参照)がわかりやすい。

 胡錦濤政権といいながら、実体は上海閥支配が続いてきた。現在の指導体制や路線は02年秋の第16回党大会で決められたが、それを決めたのは江沢民前政権であり、トップ9人で構成する政治局常務委員会の過半数は上海閥が占めた。
 来年秋の第17回党大会で、初めて胡錦濤氏独自の体制ができる。その前哨戦は8日から開く党中央委員会総会(6中総会)であり、これを前に胡氏には上海閥との「闘争」が必要だったと中国筋は言う。

 具体的に政治局常務委員会のメンツを並べるとこうだ(参照)。

胡錦濤 中共中央総書記、中華人民共和国国家主席、中共中央軍事委員会主席、中華人民共和国中央軍事委員会主席
呉邦国 全人代常務委員長
温家宝 中華人民共和国国務院総理
賈慶林 全国政治協商会議主席
曽慶紅 中華人民共和国国家副主席 中共中央書記処書記第一書記
黄菊  国務院常務副総理
呉官正 中国共産党中央紀律検査委員会書記
李長春 意識形態を主管。
羅幹  中央政法委員会書記

 で、来秋にはこういう構図になるだろうと推測されている。

胡錦濤 バッチグー
呉邦国 全人代常務委員長
温家宝 中華人民共和国国務院総理
賈慶林 引退か?
曽慶紅 引退か?
黄菊  引退
呉官正 引退
李長春 意識形態を主管。
羅幹  引退

 温家宝はすでに胡錦涛寄り。李長春はむしろアンチ上海閥。上海閥は呉邦国だけといってもこのオッサン・エンジニアみたいな人。残るはあと一年足らずで、江沢民派の賈慶林(参照)とべたな江沢民派の曽慶紅(参照)の追い込みか、と。
 ほいで、上海閥の穴ですでに事実上埋まっているのはこのあたり。

李克強 遼寧省委書記
劉延東 中共中央統一戦線部部長
李源潮 江蘇省委書記

 他の穴も中国共産主義青年団(共青団)など胡耀邦チルドレンで固めることになるだろう。
 ということは、今見ておくべきことは。来秋の中国共産党の第17回党大会まで、上海閥が窮鼠猫を噛むの行動に出てくるか?
 というか、昨年の反日暴動がその窮鼠の類だったのだろう。とすれば、その構図をつっぱねて胡錦涛政権の最大の支援者だったのは小泉元総理だったかもね、である。
 権力の委譲がうまく行くとして中国はどうなるか。基本的なところでは胡耀邦路線に戻るのだろうと思う。日本にも友好的になるだろう。
 あと、今回の米国議会選挙の米国民主党の勝利は、中国の現政権にとっては余り好ましいものではない。そのあたりで、本音では日本を引きつけておきたいだろうが、これまで上海閥が使ってきた日本の反日勢力ではちと使えねーなということになってきているのだろう。むしろ、日本には朝日新聞とかにも胡耀邦人脈が濃そうなので、へぇ、ほぉとかいった弾がこれからメディアから出てくるんじゃないか、フィナンシャル・タイムズみたいに。

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2006.11.14

フィナンシャル・タイムズが支持する安倍改憲論

 このネタは不用意な誤解を招くかと思ってスルーしていたのだが、週刊新潮(2006.11.16)に「日本の改憲を支持した『フィナンシャル・タイムズ』」という小記事があった。日経新聞か朝日新聞でこのフィナンシャル・タイムズ社説は翻訳されたのだろうか。見落としたか。ネットをざっくり見ているわりには、改憲論とか安倍首相というと脊髄反射的に騒ぎ立てる勢力があるのに特にそうも見えないので、まあ、一様にスルーってことでひとつ、となったのかもしれない。ま、私もそれでいっかぁと思ったのだが、週刊新潮の記事を読んでいて、もしかして、記者はオリジナル社説読んでないかもという印象を持ったので、簡単にブログっておくのも悪くないだろう。あー、言うまでもないことだが、私はウィークな改憲反対論者ですよ。
 切り出しとして週刊新潮の記事だが。


 靖国問題は、”曖昧戦術”で乗り切り、中韓との関係改善に成功した安倍首相。すっかりタカ派色を薄めているが、憲法改正については別のようだ。首相就任後初の新聞単独インタビューとなった英フィナンシャル・タイムズ(FT)との会見でこう話したのだ。
<私の任期は1期3年まで、自民党総裁は最長2期まで在任できる。その期間内に私は会見の実現を目指すつもりです>

 というわけで、我ながらうかつにもへぇと思ったのだが、改憲の意志を明確にしたのはフィナンシャル・タイムズ会見が初めてだったのだろうか。れいの「美しい国へ」とやらでは触れてなかったっけ(ざっと読んだだけ)。

「これまでは”改憲を政治日程に乗せる”と言ってましたから、今回の発言は一歩踏み込んだものです」
 と政治部デスク。おまけに、FT紙は2日付けの社説で、
<憲法を改正したいという安倍首相の意図は理にかなったもので、長く待ち望まれていたことだ>
<9条はすでに実体を失っている>
 と安倍宣言を全面肯定。首相は少なくとも改憲について英高級紙の支持は取り付けたのである。

 とまとめているのだが、この記事は、「政治部デスク」とやらのメモから起こしたものか。
 オリジナルは”Japan's constitution”(参照)である。
 まず気になるのは、週刊新潮記事にFT社説からとして引用された該当部分の照合だが、<憲法を改正したいという安倍首相の意図は理にかなったもので、長く待ち望まれていたことだ>については次の部分だろうか(他に見あたらない)。

Mr Abe's intention to rewrite, within his maximum six years in office, the constitution imposed by the US occupation forces in 1946 is sensible and overdue.
(試訳)
安倍氏が首相在任中の最長六年間で米国占領化の一九四六年に押しつけられた憲法を書き換えたいと意図するのは、理にかなっているし、遅すぎた。

 週刊新潮の引用のクリッピングが恣意的な印象を受けるのだが、実はこの部分は以下の部分に続く。

Shinzo Abe, who has replaced Junichiro Koizumi, is indeed a nationalist, and any revision of the constitution now will certainly mean watering down the eternal renunciation of war enshrined in Article 9.

Such fears, however, are misplaced. Mr Abe's intention to rewrite, ......
(試訳)
小泉純一郎を継ぐ安倍晋三は確かにナショナリストであり、現状では憲法のいかなる改定さえ第九条で神聖視されている戦争永久放棄を骨抜きにしかねない。そのような恐れは、思い違いである。安倍氏が……


 安倍宣言を肯定というより、むしろフィナンシャル・タイムズのほうが第九条とその改定を冷ややかに見ていることがわかる。
 もう一点、<9条はすでに実体を失っている>はどうか。

On the military side, the promise in Article 9 that "land, sea and air forces, as well as other war potential, will never be maintained" has already been flouted, although a verbal figleaf to cover up the reality of Japan's powerful navy, army and air force is maintained by calling them the "Self-Defence Forces" and restricting them to non-violent roles in international peacekeeping operations.
(試訳)
軍事面については、第九条に約束されている「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」はすでに侮蔑された状態にある(has already been flouted)。しかも、日本は強力な海軍、陸軍、空軍を「自衛隊」と称して保持しているし、国際的な平和維持軍として非戦闘的な役割に限定しているとはいえ、アダムとイブの恥部を覆うような言葉のイチジクの葉で恥ずべき実像を申し訳程度に覆っているにも関わらずそうなのだ。

 ちょっと意訳が過ぎたかもしれないけど、floutedやfigleafの語感を強調してみた。いずれにせよ、フィナンシャル・タイムズの指摘はむしろ日本人の道徳性の欠落を示唆しているように思われる。つまり、実体を失っているということ以上の指摘である。
 むしろ、なんでフィナンシャル・タイムズはこんなに乗り気なのだろうか。週刊新潮の記事では、安倍政権がフィナンシャル・タイムズのお墨付きを取り付けたみたいなフカシでごまかしているが、記事を最後まで読め、だ。問題は中国なのである。

China, having focused almost obsessively on Yasukuni, will now find it hard to complain about modest revisions to a 60-year-old constitution provided Mr Abe does not actually visit the shrine.
(試訳)
中国は強迫神経症的なまでに靖国問題を焦点にしてきたが、今となっては安倍氏が靖国神社に参拝しない限り、六〇年目の憲法改定にいちゃもんを付けるのは難しいだろう。

 つまり、靖国問題をバーターに持ち込めば、中国は日本の改憲を呑むよとフィナンシャル・タイムズは言っているのである。
 中国市場に乗り出したいと画策を続けているフィナンシャル・タイムズの立ち位置とここで言われている中国とは上海閥であると考えるなら、中国の現政権の一部から、日本の改憲はスルーしまっせのシグナルが出ていると読んでいいのだろう。なぜか、とまでは考察したくもないけど。

【追記 2006.11.16】
コメント欄にて、同社説の翻訳があることを教えてもらった。

日本の憲法 フィナンシャル・タイムズ社説(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

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2006.11.12

中国アフリカ協力フォーラム関連

 今朝の日経新聞の社説”中国、アフリカ外交の功罪”(参照)が興味深かった。朝日新聞と同じく日経新聞はすっかり中国様にヘタレだと思っていたが、そうでもないふうだった。話は先日北京で開催された「中国アフリカ協力フォーラム」の関連で、欧米紙ではこの日経の社説にあるように「資源確保を狙って中国は人権抑圧国家を援助している」という批判が掲載されていた。
 そういえば三日付け朝日新聞の関連記事”中国・アフリカがサミット 北京に48カ国首脳集結”(参照)はヘタレというべきかよくわからないが微妙な文脈を書いていた。


 アフリカ53カ国のうち中国は48カ国と国交を持つ。対アフリカ接近は90年代半ば以降に勢いを増した。経済成長に伴う資源確保が狙いだ。今年1月に発表した対アフリカ政策文書では、「政治的条件をつけずに援助を続ける」ことを柱の一つに掲げた。
 例えば長く内戦が続いた産油国アンゴラ。日米欧は復興に向けた支援国会議を立ち上げ、透明度の高い援助をしようとしたが、アンゴラは「自由度の高さから中国の援助を選んだ」(アフリカの外交筋)。「世界最悪の人道危機」とも言われるダルフール紛争を抱えるスーダンでは、大型油田開発に携わる中国が、国連が検討した対スーダン制裁措置に一貫して反対している。

 この話はここでぶっち切れて後段に続くわけではない。なので、どう解釈していいのか微妙な話なのだが、文脈的には、ダルフール危機についても、アンゴラ同様スーダンにも、政治的条件をつけずに援助を続けた結果だから、国連でもスーダン制裁に中国はきちんとじゃましてやったよーんということなのか。おい、それでいいのか。
 その点、日経社説のほうはダルフールというキーワードを出さないまでも、かそけき批判の視点があった。

 住民虐殺で国際的非難を浴びるスーダンや「圧政国家」(ライス米国務長官)との批判も受けるジンバブエなどへの援助拡大は、国際社会の対中イメージを損ない、長い目で見て中国のためにもならないだろう。中国の進出が目立つスーダンやナイジェリアなどでは、中国人労働者が流入する一方で現地の雇用拡大につながっていないという。政権抱き込みに偏りすぎると、相手国の国民の反発を招く結果にもなりかねない。

 この程度でも、ダルフール危機とスーダンの問題が中国との関連で報道に出てきただけましかもしれない。本来ならもうちょっと日本のジャーナリズムも踏み込んでもらいところだが、どうもこの手の話を極力嫌う勢力があって、私も閉口する。
 参考までに、無用な誤解を減らすべく、リベラル色の強いガーディアン”Scrambling to Beijing”(参照)を引用する。

As happened with the European powers in the 19th century, the red flag is following trade that has grown to a staggering $50bn this year. China's clout in many countries is enormous: it buys 70% of all Sudanese exports; Angola has just overtaken Saudi Arabia as China's biggest energy supplier.
(試訳)
あたかも一九世紀列強のように、中国貿易には赤旗がつきまとい、今年は五百億ドルにまでなった。これらの国々おける中国の影響力は桁外れのものになりつつある。中国はスーダンの輸出の七割を購入しているし、中国の大口エネルギー供給者としてアンゴラはサウジアラビアを抜いている。

 というあたりを先の朝日新聞の記事の注釈として読まないといけない。というか、反米的な視点を持つガーディアンですら以下のようにコメントせざるを得ない。

Economic interests are dictating political stances. Like the US during the cold war, China is at ease with African dictators who are relieved not to be pressed to live up to other peoples' standards. Once Washington sustained Zaire's kleptocratic Mobutu. Now Beijing's intimate links with Sudan and Zimbabwe, and its diplomatic efforts to block their censure over Darfur and human-rights abuses, give comfort (and weapons) to Omar al-Bashir and Robert Mugabe, against the grain of western policy - and against the interests of ordinary Africans.
(試訳)
経済的な利害は政治を語るものである。アフリカの独裁者たちはその国民を通常の生活水準に達成しようはしないのに、中国は、冷戦時の米国のように、こうした独裁者と懇意になっている。米国政府はザイールの泥棒政治家モブツを支援したが、今や中国政府はスーダンやジンバブエ政府と親密になっている。ダルフール問題や人権蹂躙へ非難を制圧する外交努力によって、スーダンのオマル・バシル大統領やジンバブエのロバート・ムガベ大統領に安らぎと(そして武器)を与えている。こうした外交は欧米風ではないし、普通のアフリカ諸国の国益にも反するものである。

 本来なら日本もこうした文脈でどういう立ち位置にあるのか、議論くらいあってもいいだろう。っていうか、議論はあってもよいという別のナンセンスな話題に盛り上がり過ぎだってば。
 ところでこのところのダルフール危機についてはどうか。依然問題は混迷を深めている。チャドにまで深刻に及びそうだ。十一日付のワシントンポスト”Next in Darfur”(参照)を読んで悲しい気持ちになった。

The world's leaders may hope that the problem of Darfur will go away if they close their eyes long enough. But the reverse is likelier. Darfur's violence is spilling into Chad and could precipitate the collapse of that country's government. It is also contributing to the risk of renewed north-south fighting. If there is no solution in Darfur, the world will witness Darfur-like atrocities elsewhere on a scale appalling to imagine.
(試訳)
世界の指導者たちは、彼らがしばらく目をつぶっている間にダルフール問題が解消すると願っているのかもしれない。しかし、現実はその逆になりそうだ。ダルフールの暴虐はチャドに及んでおり、その政府を崩壊させかねないものなっている。同時に、衆目を集める南北問題の危機を増長させることになる。ダルフール危機が解消されないなら、世界は、ダルフールで起きているような虐殺を、ここかしこで見ることになるだろう。しかも、それは身の毛もよだつほどの規模で起きるだろう。

 とはいえあまり悲劇的なことを想像したくはない。というか、日本人にはなにかそうした悲劇性は無縁のような感じもあるのだろう。
 中国をバッシングすればいいというわけではない、というか、中国のこの動向とアフリカとの関係に日本はもっとなにかできないものだろうか。

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2006.11.11

ソルゴー

 田畑の見える風景を散歩するのが好きで、電車やバスを乗り継いで見に行く。いくつか気に入った道順があり天気などに合わせて気の向くままに選ぶのだが、先日キャベツ畑の収穫を見かけた。初夏のころだったか、この畑には黍が植わっていたのを思い出した。
 あるいは高梁だっただろうか。芽吹いた春頃はなにか麦の一種かと思った。大麦若葉は健康食品にもなるそうだし。だがそうでもない。麦といえば、麦踏みというのは最近はないのだろうなとか思いながらその畑を通り過ぎた。
 しばらくして次に見たときは小学生一年生くらいの背丈に伸びつつあり、高梁かと思った。高梁など植えるものだろうか。そういうニーズがあるのだろうか。昔父が高梁をどうやって食うか、酸味をどう抜くかと熱心に話してくれたことがあった。高梁といえば、私が三十代の前半一時期高梁酒に凝ってこともあった。頭を空にする散歩には向いた空虚な思いがいろいろよぎった。
 高梁のようなその植物には小さな穂も見えた。いずれ収穫するのだろうと奇妙な期待を抱いたのだが、その次の機会には無惨に刈り取られていた。およそ収穫というふうはない。ただ刈り散らかしてある。何事か。次の作物の作付け時期に間に合わなかったのだろうか。そのうちキャベツ畑になった。
 この機にキャベツを収穫している農家の人に訊いてみた。以前この畑で植えていた黍のような作物はなんだったのですか、と。すぐに答えが貰えた、ソルゴーというのですよと。あれは肥やしにするために植えるのですとも説明してくれた。
 そういう農法があるのか。農家や農業のことは普通の都会人より知っていたつもりだった自分だがまったく知らない。最近の農法だろうかと疑問に思いつつ、帰宅してからネットで検索した。ソルゴーについてはいろいろ情報があった。
 読売新聞記事にずばりのものがあった。”春レタス収穫ピーク JA岩井の農家500世帯が生産=茨城”(2000.4.16)より。


 JA岩井市園芸部所属の農家約六百世帯のうち、五百世帯がレタスを生産しており、作付け面積は二百八十ヘクタールに及ぶ。昨年度のレタスの販売実績は三十一億三千万円。春レタスでそのほぼ半分を占める。
 春レタスの収穫が終わると、農家は畑の地力を回復するためにソルゴーという飼料作物を栽培するなどして、秋レタスの栽培に備える。

 キャベツでも同じなのであろう。ここではソルゴーは飼料作物とあるが、元来は家畜の飼料であったのだろう、とすればこうした農法は外国から広まったものだろうか。
 こうした植物の利用法を総合して緑肥と呼ぶらしい。ルーラル電子図書館の同項目より(参照)。

緑肥作物としては、クローバ、ソルゴー、イタリアンライグラス、エンバク、小麦、ライムギなどがあげられる。田んぼのレンゲや菜の花、畑のキカラシなど、景観作物を兼ねた活用も広がっている。マリーゴールド、エビスグサ、クロタラリアなどのセンチュウ対抗植物も、すき込んで緑肥として利用される。

 クローバーやレンゲを挙げて緑肥というのはわかりやすい。たしか季語に紫雲英田というのがあった。奈良当麻寺のお練りのころのレンゲソウの田んぼは浄土を思わせるものだった。
 同項目には緑肥として以外の効能についても言及がある。

 おもな効果は土壌有機質の増加、土壌物理性の改善、雑草抑制で、減農薬・減化学肥料をはかることにあるが、最近は、バンカープランツとして天敵をふやす効果も期待されている

 気になっていろいろネットを見ていくと、ソルゴーで茄子の畑を囲んだら害虫が付かなかったという話もあった。
 沖縄で赤土流出を防ぐのにもソルゴーを使うという話もあった。考えてみれば、野生化したウージ(サトウキビ)もそんな役に立っていることもあるだろうな。

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2006.11.09

ラムちゃん、バイっちゃ

 ラムズフェルド国防長官が辞任することになった。中間選挙で共和党が敗北したことによる事実上の解任である。事ここに至ると、ブッシュ大統領もというかチェイニー副大統領もラムズフェルドをかばいきれないというのはあるだろうし、この成り行きは想定外というほどでもないだろう。中間選挙とはこういう傾向を持つものだし、与党敗北についてもともと米政府と議会の関係が伝統に戻ったというか平時に戻ったわけで、してみるとこれまでの議会の状態が事実上戦時だったのだなと再確認する。
 朝日新聞の社説などでは早々に大義なきイラク戦争そのものが間違いであり、米軍はイラクから撤退せよというふうな論調で飛ばしていたが、実際のところ米民主党もこれまでみたいになんでもフカシの状態から政治責任の主体となったわけで、イラク問題への対処にそう大きな変更はないだろうというか、アフガニスタン統治のミスをベタに繰り返すわけもない。
 民主党寄りに見えるニューヨーク・タイムズはなにか言うかなと思って社説を眺めてみると、”Rumsfeld's Departure”(参照)があり、標題を私の世代の言葉で訳すと……「ラムちゃん、バイっちゃ」といったところか。
 それほど刺激的な内容ではないが、なかなかよい社説だった。というか、ラムズフェルドというレスラー(それは若いころ確かに)をよくとらえていた。彼は冷戦時の軍をいかに縮小すべきかということに心を砕いた男だった。が、もちろん、失敗はしたのだが。


Before he presided over the Iraq invasion, Mr. Rumsfeld promised that as secretary of defense he was going to transform America’s military so it was prepared to fight the conflicts of the 21st century. Mr. Bush has cited the progress being made on that front as one of the reasons he wants Mr. Rumsfeld to stay. But -- in a familiar pattern for this administration -- the changes have been more rhetorical than real.
(試訳)
イラクに侵攻する前のことだが、ラムズフェルド氏は国防長官として、米軍を再編成し、二十一世紀型紛争に対応できるようにしようとした。ブッシュ氏はラムズフェルドが閣僚に残る理由としてその進展を掲げていたものだった。しかし、この政府の常として、変化というのは現実的というより言葉の上だけのことに過ぎなかった。


Truly transforming the military would have meant trading in expensive cold war weaponry, like attack submarines and stealth fighters, for pilotless drones, swifter ships and lighter, more mobile ground forces. Mr. Rumsfeld never had the interest -- or the political will -- to take on that fight. Instead, he bought peace with Congress and the military brass by holding down the size of ground forces in order to continue paying the ballooning cost of unnecessary weaponry. He created a smaller, more mobile force that was too small to successfully pacify Iraq
(試訳)
軍再編成が本来意味していたものは、冷戦時の過剰な軍費をやめることだった。例えば、攻撃用潜水艦やステルス戦闘機といったものを、無人飛行機、高速船、軽量で動きやすい陸上兵器といったものに変えることだった。ラムズフェルド氏はそのための政争には関心を持たないか、政治的な意志を持たなかった。代わりに、議会や軍官僚と協調し、不必要ともいえるほど軍費を膨張させ続けるために地上部隊を縮小した。彼は小規模で機動力の高い軍を作ろうとしたが、小さくなりすぎて、イラク統治を成功させることができなかった。

 そういうことだよな、ラムちゃん、と思う。
 日本のジャーナリズムの多くは、イラク戦争自体が間違っていたからイラクの混乱が今日ありその原因はラムズフェルドという軍事の責任者にあるのだとしているが、米国の世論はむしろイラク統治のまずさを問題にしている。というか、統治における米兵の死を問題としている。そして、なぜイラク統治がまずかったかといえば、ニューヨークタイムズは、地上軍が小規模過ぎたからだというのだ。
 昨今の経済学では軍需によって景気回復はしないということになっているのだったか。ただ、ラムズフェルドが冷戦後の軍産共同体と向き合ったとき、彼のビジョンはある説得力を持っていたのだろうし、ファースト・トライアルのケースが最悪だったのかもしれないともちょっと好意的には思う。というのは、イラク統治以外にも、冷戦後世界と軍事には残された問題があり、それにはなんらかのビジョンが必要になることは確かだから。

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2006.11.08

イラク・フセイン元大統領死刑判決について大手紙社説への違和感

 イラクのフセイン元大統領への死刑判決が五日に出たことで、昨日は日本の大手紙もそれぞれ社説で扱っていたが、産経新聞社説を除いて奇妙な印象を持った。
 まず事実関係の確認からだが、今回の判決は、通称「ドゥジャイル事件」と呼ばれている、一九八二年にドゥジャイルで起きたシーア派住民一四八人を虐殺したとされる事件についてだ。問われている裁判判決の最初のものでしかも一審に過ぎないのだが、各紙社説は死刑判決が出たことでこれで裁判は終わったかのような論調を示していたように思われた。
 朝日新聞社説”フセイン判決 疑問はぬぐえない”(参照)では事実認識に決定的な間違いはないが、次の文脈からはこの裁判の限定性また裁判というものをよく理解してないように思われた。


 もう一つの大きな疑問は、ほかにも問われるべきことがあるのではないかということだ。住民らの弾圧、虐殺などの罪を問うのは当然としても、元大統領の最も大きな罪は対イラン戦争やクウェート侵攻、そして今回のイラク戦争を招き、多くの命を失わせたことだ。
 大量破壊兵器の開発に走り、近隣国を侵攻した引き金は何だったのか。背後にどのような国際的駆け引きがあり、どこで判断を誤ったのか。イラク国民にとっても、国際社会にとっても、この責任をこそ問いたいのではないか。

 毎日新聞社説”フセイン判決 歴史の評価に堪える審理を”(参照)も朝日新聞と同じ論調なのだが、この裁判の限定性をもう少し理解しているようだし、論調の基本部分の矛盾について次のように多少自覚的だ。

 今回の判決は、82年にバグダッド北方のドジャイルで起きたシーア派虐殺事件(犠牲者約150人)に関するものだ。2審で判決が覆らなければ元大統領は絞首刑になる。起訴された案件ごとに判決を出す方式だが、既に死刑判決が出たため、他の裁判の審理や起訴に至っていない事件調査が形がい化する可能性もあるという。

 裁判が形骸化するかどうかは可能性として見るのではなく、具体的な報道で追っていかなくてはならない。別の裁判は継続中だ。
 読売新聞社説”[フセイン判決]宗派間抗争をあおりはしないか”(参照)も基本線では朝日新聞や毎日新聞の社説と変わりないのだが、次の点について私は具体的なことを知りたいと思った。

 気がかりなのは、判決が早々と確定した場合のことである。刑が確定すれば、大統領評議会の承認を経て30日以内に刑が執行されることになる。
 フセインの罪状は、イラン・イラク戦争中のクルド人虐殺のほか、化学兵器使用や90年のクウェート侵攻・併合など多岐にわたる。早期処刑が行われた場合、これら歴史の真相が十分に究明されないままになる恐れがある。

 この解説はどこまで正しいのだろうか。というのは、私が読んだなかでこの件の社説で評価できる産経新聞社説”フセイン死刑判決 一日も早く「法の支配」を”(参照)では次のように説明している。

 イラク高等法廷は2審制で、無期懲役以上は自動的に控訴審での審理が行われるため、フセイン被告の刑の確定は先のことになる。また訴追対象事件が10以上にも上るため、同被告の刑の最終確定はさらに先に延び、すべての司法手続きが終了するまでには何年かかるかも不明だ。

 私の印象では産経新聞のこの指摘が正しいように思われる。
 ところで私が今回の判決にそれほど関心を持たないのは、現在進行中の「アンファル作戦」の裁判のほうにより関心を持つからだ。VAO”Saddam Back in Court for Genocide Trial”(参照)より。

Dressed in his now familiar black suit and white shirt, Saddam sat in silence as a series of witnesses described the alleged atrocities during the so-called Anfal campaign that prosecutors say killed more than 180,000 Iraqi Kurds in 1987 and '88.

アンファル作戦とよばれる虐殺疑惑の証言が続く中、お馴染みの白いワイシャツと黒いスーツを着て、サダムは黙って座っていた。検察によれば、一九八七年から八八年にかけて一八万人ものイラク・クルド人が殺害されたとされている。


 イラク・フセイン元大統領によるとされる二十万人近い虐殺を問う裁判が、現在進行している。
 「アンファル作戦」の裁判については八月二二日産経新聞記事”クルド人大量虐殺事件の初公判 フセイン被告 人定質問拒否”(参照)では次のように伝えていた。

 検察側は、1100人にのぼる証人を準備しているとされ、全員が法廷で証言すると裁判は相当長期化するとみられる。

 ネットを見渡すと毎日新聞記事”フセイン判決:刑確定時期は不透明 政治的な駆け引きに”(参照)が同日の社説とややそぐわずに詳しい。

 88年2月から8月にかけてイラク軍が北部クルド人居住区で実施したこの作戦では18万人が殺害されたとされる。クルド人勢力にとって、旧政権による犯罪を立証することは民族の悲願とも言え、アンファル作戦の審理を終えないままでの早期の死刑執行には消極的とみられる。

 新聞各紙社説も、表層的な状況論から今回のドゥジャイル事件の判決を見るのではなく、より大きな規模の「アンファル作戦」裁判との関連でこの問題を論じるべきではなかったか。

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2006.11.07

386スパイ事件メモ

 この問題をブログで取り上げるべきか少し悩んだ。特に私なりの見解というのはないことと、国際的な文脈でどのようなニュースになるかという位置づけがよくわからないからだ。しかし奇妙に心に引っかかってくるので簡単に記しておこう。日本国内では一部「韓国政界スパイ事件」と呼ばれているが、韓国では「386スパイ事件」という呼称が定着しそうだ。先月末に韓国で話題となった。
 比較的当初の報道である朝鮮日報”【386スパイ】民主労働党幹部2名逮捕、3名拘束 ”(参照)による話を引用したい。いきなり386世代というキーワードで始まる。


 386世代(1990年代に30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)の元活動家ら3人のスパイ容疑事件を捜査している国家情報院と検察は26日、米国市民権保持者であるチャン・ミンホ容疑者(44、米国名マイケル・チャン)が1989年から93年の間に北朝鮮でスパイ教育を受け、忠誠の誓いとともに朝鮮労働党に入党した後、10年間にわたり固定スパイとして活動した容疑を確認した。
 国家情報院はチャン容疑者に取り込まれた民主労働党前中央委員のイ・ジョンフン容疑者(42)と事業家のソン・ジョンモク容疑者(42)が最近まで国家機密を収集し、北朝鮮の工作員などに提供していた容疑についても捜査している。

 私がこの事件で気になったのはこの米国籍のチャン・ミンホ(Chang Min-ho)容疑者についてだが、英米側のニュースソースからは特記すべき背景が読めなかった。なので、とりあえず粗方の関心は失った。
 日本国内のニュースでは産経新聞”民主労働党幹部、北のスパイ容疑で逮捕 韓国政界に衝撃”(参照)がやはり日本向けという感じがしないではない。

親北朝鮮で知られ韓国では唯一の社会主義政党、民主労働党の幹部らが北朝鮮のスパイ容疑で逮捕され、韓国社会に衝撃が走っている。学生運動出身で逮捕歴があるが、金大中、盧武鉉両政権下で“名誉回復”を果たし、補償金まで受け取っていた。幹部らは与野党のほか、青瓦台(大統領府)にも太い人脈を持っており、国家機密漏えいの容疑がかかっている。活動家出身の民主化勢力が多い盧政権だけに政界を巻き込んだ“スパイ事件”への拡大も懸念されている。

 後続の記事としては同じく産経新聞”韓国政界スパイ事件 北の地下組織「一心会」メンバー 大統領選挙介入狙う?”(参照)がある。

 これまでの捜査では、チャン容疑者は中国や東南アジアで北朝鮮工作機関「対外連絡部」の要員と13年間で十数回接触し、対南工作(韓国への政治工作)の指令を受け資金も提供された。民主労働党幹部には韓国与野党の個人情報や政界動向を、他の容疑者には韓国の市民団体情報の収集などを担当させていた。
 捜査当局は小型メモリーチップやコンピューターなどを押収、暗号で書かれた50近い北朝鮮への「報告文」の解読を進めている。この中には北朝鮮の核実験に関する韓国政界の情報を収集していた様子や保守系野党の大統領候補についての調査結果が含まれていた。報告書には5月末の韓国統一地方選で、野党候補を落選させる方策や市民団体を動員して「反米闘争」を拡大させる策謀も記載されているという。

 率直な印象を言えば、この米国籍人がノーマークであったとは思えない。
 この事件はどのように展開していくだろうかと注視したが、十日以上経過してもそれほどには大きな騒ぎになっていないような印象もある。
 この間の気になる展開は事件追及の要たる金昇圭国情院長の辞任だが、これは盧武鉉大統領による更迭のようだ。中央日報”386スパイ「逮捕から3日で…」金昇圭国情院長の退陣なぜ?”(参照)にはこうある。

「国情院長変われば捜査に影響」=特に国情院の核心関係者は「盧大統領との面談を青瓦台側で先に要請したものと聞いている」と伝えた。それで国情院側は自ら辞退というより更迭だと見ている。留任の可能性をほのめかした青瓦台がスパイ集団事件が政界全般に拡がる兆しを見せると金院長を呼んで辞意を表明する型式を踏むようにしたというのだ。盧大統領と金院長の面談は元々11月1日だった。

 事態にはいろいろ込み入った話もあるようだ。大筋では朝鮮日報コラム”「韓国はいつ崩壊してもおかしくない」”(参照)が正論のように思えるが、私の問題意識はそこにはないので引用は控えよう。
 話を冒頭に戻す。この事件というか事態が「386スパイ事件」というように、386世代をターゲットにしているという点がどうも心にひっかかる。386世代については先の朝鮮日報の記事にも解説があるが、六〇年代生まれの韓国人を指す。私は五七年生まれなので、やはり十年からの世代ギャップがあるので、同級生の在日や同級生の韓国人・朝鮮人のイメージからはうまく理解できない。同世代から上の韓国人・朝鮮人にはそれほど外国人的なイメージはないが、386世代からは単純に外国人という感じがする。(余談だが、昔の朝鮮語は漢字ハングル混じりだったように思う。そして日本語と朝鮮語は同じく膠着語なので、書き言葉についてはいわゆる「てにをは」を置き換えるだけでだいたい意味が通る。というか、父の世代の朝鮮人はみな日本語が事実上読めた。)
 確かオーマイニュースは韓国では386世代を中心とした政治運動的な性格をもっていたかと思う。そのあたりの動向がこうした、386世代に敵対する動きにどう対応しているのか、今ひとつわからない。日本版のオーマイニュースは現在でも存在しているのか検索したらあった。関連キーワードで記事を検索したがこのニュースは取り上げていないようだった。

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2006.11.04

チーズの雑談

 チーズについては以前書いたことがあるような気がして検索すると、「極東ブログ: フェタチーズ」(参照)だった。


 チーズは一時期各種食いまくったことがあるのだが、フェタなんかも歴史的にはモッツァレラチーズみたいなものではないか、というかトルコの濃いヨーグルトというかサワークリームなんかもみんな似たようなものなのではないかとも思う。
 今回ようやくフェタはギリシア限定ということだが、ロックフォールはすでにフランス産に限定のはず。こちらについては、そのほうがいいだろう。いわゆる青カビチーズと上質なロックフォールは、え?というくらい味も香りも違う。ゴルゴンゾーラもそう。スティルトン? それは食べてないのでわからん。

 その後もスティルトンは食ってない。チーズは以前各種取り寄せて食っていたのだが結局よくわからん。というかワインと同じで、なんとなく自分なりに了解した感じがしたので、各種食ってみるというのはやめた。その後はなんとなく好みのを食う。チーズについては基本的に乳製品なんで、ミルクがしっかりしてないとダメなんだなぁというのが食いまくりの後の自分なりのひとつの結論だった。
 ウォッシュタイプはいろいろ食った。丸い木枠みたいのに入っているタイプが多く、暖めてめてとろっとさせてスプーンで掬って食うと旨いというのだが、まあ、旨いには旨いけど、結局ウォッシュタイプは自分には合わないなと思った。なんつうか、あれです、人の体臭の微妙な匂いみたいななにかがあって、どっちかというと人間嫌いっぽい私は苦手。ちなみに私はレバーパテとかも苦手。血の匂いが苦手というか。
cover
ゴルゴンゾーラ
(楽天・レクリューズ)
 くっさいチーズは全部だめかというとそうでもなく、青カビものは昔から好き。ドレッシングとかも大好き。で、以前に書いたけど、上質なロックフォールやゴルゴンゾーラとかだと、青カビチーズは青カビチーズなんだけど、なんつうか高貴な香りっていうか、へぇと思った。乳質も違う。こういうブランドの品質は維持されたほうがいいのだろう。
 カマンベールもちゃんとしたブランドのは旨かった。現在ではカマンベールの名前は限定されいるから、ちゃんとしたのが選べる。これも最初へぇと思った。もろに乳質のうまさがある。ただ、白カビ系は、北海道なんとかでもけっこう美味しいなと思うしよく食べる。個人的にはバラカという馬蹄形のチーズが好きだ。
 シェーブルはよくわからないのだが、私は山羊臭いものがけっこう好きなので買う。こんとこ秋深まり冷えてきたので夜中に赤ワインにちょっと飲みつつ摘んでいるのが、何だろ、……サンモールというのだ。よくわからないけど、板のないかまぼこみたいな形状で、中の状況がなかなか微妙。つまり、均質じゃなくて、とろっとしたころ、乾いてきたっぽいところっていうか熟成に差があるのが面白い。シェーブルだとあと灰まぶしみたいののも好き。シェーブルとオリーブの塩漬けと焼き鰺オリーブオイルかけでもあれば、私はけっこう幸せ。
 クリームチーズはそこいらのスーパーで売っているキリというのでけっこう満足。朝食用というかパンに載せて食う。適当にロンドレとかブルサンとかローテートする。他に朝食では、エダムとかゴーダとかも。
cover
エメンタール
(楽天・MeatGuy)
 二十歳になったばかりのころハーフの先輩のところで食わしてもらったゴーダチーズがうまくて結局自分もその生活習慣が伝染した。彼はというかガールフレンドの北欧系の彼女の趣味なのか、すげーでかいカーリングの弾みたいなゴーダをスライスしてくれた。アルプスの少女みたいな映像ではよく見かけるけど、あれはどっかで売っているのだろうか。まあ、買っても食いきれないなと思いつつ、いつか一升餅みたく背負ってみたいなと思っている。トムとジェリー風エメンタールもでかいの買いたいな。
 駄文を書いてて思いだした。もう十五年くらい前か、ソノマとかいう会社だったか農場だったか手紙をやりとりしてチーズを十キロ単位で送ってもらう段取りができた。ところが土壇場で日本に送れないとかいうことになった。検疫かなんかだろうか。まあ、普通個人が十キロ単位でチーズを海外から買うわけもないし、実際買っていたらどうするつもりだったのだろう。友だちに配っていたか。と思い出すに、アメリカもけっこう乳質のいいチーズが多い感じだった。ワインもそうだが米国の農産物というのはけっこう旨い。
 ついでに思い出す。沖縄で暮らしているとき、そんな話を米兵としていたら、そうアメリカのチーズはおいしいというのだ。で、どさっとチーズをもらった。クラフトの。
 常備系のチーズだとグラナパダーノ。パスタをゆでてバターを溶かし、それからこいつをどっさり削って撒いて食う。もんくあっかっていうくらい。味というか風味はパルメジャーノ・レジャーノのほうがいいといえばいいのだけど、私はけっこう乳質がよければいいじゃんなのでグラナパダーノが好きだ。なんかケチをつけるようだけど、スーパーとかで売ってる小さな紙の筒に入っているパルメジャーノの粉末って、あれは本当は何からできているのか?
 小泉元総理の干からびたチーズで有名になったミモレットだがこれも三年熟成とか食ったことがある。フルーティっていうのはわかったけど高額なんで、グラナパダーノの削りかすでもかじっているだけで最近は満足……とはいかなないか。ミモレット買いに行くか。
 なんか変な話になってしまったが、あとマスカルポーネ。ガラスコップにパンをちぎって、それに甘いエスプレッソをかけて匙つついて、その上にどばっとマスカルポーネ。表面にココアの粉。じゃーん、手抜きティラミス、あがり。でも、これかなり旨いですよ。卵黄とか入れたりとかしなくても十分旨いと思うが。

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2006.11.03

高校必修逃れ騒ぎは誰が得するのだろうか

 高校の世界史履修漏れ問題だが、私にはよくわからない問題だし、すでに「極東ブログ: 高校の世界史履修漏れ雑感」(参照)でも書いた以上はないと思っていたのだが、どうも、率直にいうとムカつく。なにがムカつくかというと「救済」という表現だ。なんでこんな問題にいちいち「救済」というのだろうか。知らぬ高校生は被害者なので、被害者救済ということなのだろうか。確かに、学校側が組織的に行なったもので高校生は被害者だというのはわかる。しかし、結局履修時間を五十時間にするということが「救済」なんだろうか。というか、被害というのは、表面的には卒業できない被害の可能性ということなのだろうが、実際には入試前にそんなのやってられるかよ被害ということなのだろう。私の感覚では、こうした議論がどうも感覚的に受け入れられない。が、所詮、私の個人的な感覚というだけで、社会的に合意するなら、そして私の利害に関係しないのだから、どうでもいいことではあるのだろう。
 だが。どうも腑に落ちない。いったいこの問題はなんなのだろう? 現時点で突然そんなに大きな騒ぎになることなのだろうか。気になって過去の関連ニュースを先日調べてみたのだが、例えば九九年にこういう事件があった。 読売新聞”県立高での必修未履修 「再発防止へ強く指導」 県教育長が議会で陳謝=熊本”(1999.6.23)より。


 熊本市内と菊池郡内の県立高校二校で世界史など必修科目を未履修のまま生徒を卒業させていた問題で、佐々木正典・県教育長は二十二日、県議会文教治安常任委員会で「あってはならないことで、心配と迷惑をおかけした」と陳謝した。


 今月上旬、熊本市内の私立高校で三年間にわたって世界史を未履修のままにしていたことが表面化。その後、県立高校でも同様に必修科目を履修させていなかったことが相次いで分かった。

 世界史について組織的な履修漏れが「相次いで分かった」とある。もう一例、これは〇一年。読売新聞”必修科目の未履修問題 13高校でも判明 受験に不必要で外す?=広島”(2001.9.15)より。記事が短く重要なのであえて全文を引用する。

 県立海田高で学習指導要領で必修科目になっている世界史の代わりに日本史を履修させ、生徒の調査書などでは世界史を履修したと偽って記載していた問題で、県教委は十四日、別の県立高十三校でも必修の世界史、倫理などの未履修があり、海田高と同様の処理がされていたと発表した。県教委は、卒業までに履修するよう指導した。
 県教委によると、新たに判明したのは広島皆実、呉宮原、三原、尾道東、尾道北、福山葦陽、廿日市、世羅、府中、庄原格致、高陽、広島井口、安芸南の各校。必修科目を履修していない生徒は、延べ二千九百十四人に上るという。必修になっていても受験に必要でない科目を授業から外したとみられる。

 この時の規模は「延べ二千九百十四人に上る」という。しかもこれは特定の高校だけのことではない。しかし、この時もそれ以上問題にならない。
 これでこの問題は収束したと考えるべきだろうか。むしろ、その後は、事実上公然の黙認だったと見るほうが妥当だと思える。
 今回の事態は富山県立高岡南高校の高校側からの声がきっかけとされている。読売新聞”3年生197人卒業ピンチ 必修「地理・歴史」全員履修漏れ/富山県立高岡南高”(2006.10.24)より。

 富山県立高岡南高校(篠田伸雅校長、生徒数557)で、3年生の全生徒197人が、2年時に世界史など地理歴史教科の必修科目を履修していなかったことが24日、わかった。生徒の要望に応じ、大学受験に特化した授業を行ったためで、年度内に補習授業を行わないと卒業できない事態となっている。同校は同日、県教委に報告し、対応を検討している。

 規模的にはたかだか二百名といったことであり、しかも一校に限定されている。なぜ、それがこんな日本全国馬鹿騒ぎになったのだろうか?
 どうにも解せない。
 二日の読売新聞社説”[必修逃れ救済]“騒動”で見えた高校教育の課題”(参照)でもこう指摘がある。

 今回の騒動は一体何だったのか。その検証作業が必要だ。
 必修逃れは5年ほど前にも広島、兵庫などの高校で発覚した。文科省は各教委の担当者を集めた会議で口頭指導するだけで、全国調査などは行わなかった。
 必修逃れは、多くの高校で「公然の秘密」として次年度に引き継がれ、教委には虚偽の履修届が提出されて来た。
 その教委も「知らなかった」では済まされまい。必修逃れの高校の校長が後に教育長になったところもある。

 つまり、事実上公然の黙認だったわけだろう。
 とすればなぜ富山県立高岡南高校の報道からこの騒ぎが発生したのだろうか。富山県立高岡南高校で何が起きていたのだろうか。いや、履修漏れについてではなくどのようにこれがメディアに伝搬したのかということだ。先の記事によるとこうらしい。

同校によると、昨年度の授業内容を決める際、生徒から「受験に必要な科目以外は勉強したくない」との声が出たため、各教科代表の教諭でつくる会議で相談。篠田校長も了承し生徒に地理歴史教科の履修科目を選択させたところ、197人のうち165人が世界史を選択せず、残る32人は世界史A・Bのみを履修した。

 まず、履修漏れの原因は、生徒である(”救済”対象の生徒だな)。そして教員会議で民主的に決定し、校長が承諾し、布告したところ、生徒も大歓迎。
 なんかこの構図って近代日本のアレと似てねーかとも思うが。
 そして、発覚の経緯だが、わからない。何かがあって、それから同校は「県教委に報告し、対応を検討した」という事態から一応マスコミに漏れていく。しかし、マスコミに漏れてもかつての例では問題にもならない。地方のベタ記事で終わった。
 何があったのだろうか。
 初期の報道に関わると見てよさそうな北日本新聞社の二五日の記事”虚偽の教育課程編成表を提出 高岡南高校”(参照)によると、「今回のようなケースは過去にはなく、現在の二年生からは一部の教員から「おかしい」との声が出て要領通りに戻ったという」とのことだ。
 つまり、一部教員が発火点なのだろう。民主的な決定に違和感を持っていたということだ。
 そして、ここからもわかるし関連の記事を追ってもわかるが、富山県立高岡南高校は今年だけの措置だったようだ。
 履修漏れカリキュラムが出来た由来は、生徒側としては、他校のようにしてほしいと意識表明だったのだろう。学校運営側については、この履修漏れカリキュラムは前校長が作成したもので、現篠田校長の赴任は平成一七年四月なので、意識のズレがあったかもしれない。
 いずれにせよ、いったいなぜそんな薄いところから全国規模で発火したのだろうか。
 産経新聞”地理歴史履修1科目…授業70回分不足 富山の県立高校3年生卒業ピンチ”(2006.10.25)には気になることが書かれている。

 高岡南高校のケースについて文科省では「学校運営に問題がある学校の典型」として県教委を通じて指導している。

 関連事実がよくわからないで、少し大胆な推論をしてみる。違っている可能性も高いが。
 富山県立高岡南高校の履修漏れカリキュラムは、他校並にして欲しいという生徒からの要望で、いわばそれが地方の進学校なら当たり前の空気で教員たちも民主的に合意、御前会議でも、校長は諾とした。たぶん、この民主主義的な合意には威圧感もあったのではないか。ところがそこへ兎がやってきてじゃない新校長がやってきて、なんだコレ?というところに一部の教員もようやくおかしいと声を出せるようになり、教育委員会に持ち上げた。普通なら、ここでつぶすはずだが、それがさらに上に持ち上がり、文科省に届いた。文科省はこれを「学校運営に問題がある学校の典型」、つまり、ティピカルケースというか、日本権力的に言えば、見せしめケースに決定した。で、まず地方からマスコミに着火させ、数年前の事件や教育現場を知らなそうなマスコミに焚きつけ、うまい具合に炎上させた……ということではないか。
 問題は炎上のメカニズムの推測より、このネタが文科省にいつ届いたかという点ではないか。この時期さえわかれば、今回の馬鹿騒ぎのからくりがかなりわかる。つまり、文科省がどのように時期をみて関与したかだ。
 推論でしか言えないが、おそらく着火者は文科省だろう。文科省にはどのような意図があったのか。簡単に推論でつながるのは、自分たちが決めた教育要領を地方の分際で無にしやがってくぉのぉ怒り、そして、軽いところで見せしめ、ということだが。
 が、そんだけだろうか。どうも時期的に安倍政権とその官邸側の教育再生会議との権力構図に関係があるとしか思えない。ここでも問題は文科省がいつこのティピカルケースを認識したかにかかっている。
 難問事件を解くには、刑事コロンボの公理がよく適用できる、こんなふうに。「私はバカだから単純に事件というものを考えるのですよ。犯人の意図はなんだろう、とね。」
 高校必修逃れ騒ぎは、いったい誰が得しただろうかというあたりから、構図を描き出すべきかもしれない。公明党のあたふたの図もどうも利害に関係しそうなのだが、そのあたりの話もあまり見かけないように思う。

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2006.11.01

フリー・ハグ(FREE HUGS)

 フリー・ハグ(FREE HUGS)。直訳すると「無料の抱擁」だろうか。「ただで抱いてあげる」という感じもある。フリーという言葉には自由の意味合いがあるので、「ご自由に私を抱いてくれ」という感じもあるか。街中で、二行で書いたこのプラカードみたいのを掲げて、見知らぬ人が同意したら、そのまま(もちろん着衣のまま)抱き合う、という社会運動だ。言葉でうまく説明できないのだが、ユーチューブの映像を見ると誰でもすぐにわかると思うので、このエントリの末につけておく。
 なぜ見知らぬ人が抱き合わなければならないのか。それ以前に社会運動? いやそれはちょっと違ったかもしれない。ウィキペディアを見ると、Free Hugs Campaign (参照)としている。英語の「キャンペーン」という言葉だとちょっと軍事行動的な意味合いもあるかもしれない。ウィキペディアの解説だと、なぜ?の理由は、Random act of kindness(親切を示す無作為の行動)(参照)というのの一例だそうだ。昔あったダイインみたいな政治性もなく、昔あったストリーキングのような反体制的なものでもない。
 フリー・ハグについてのウィキペディアの解説を読むと、始まったのは二〇〇四年ということだが、特記してあるように、この広がりはユーチューブの影響が大きい。たしかに、街中で抱き合うというのは、そう言葉で言われているのと、映像として見るのとでは印象がかなり違う。というか、この映像は見る人にある種の感動を与えると思うし、そのように意図されているふうでもある。そう悪い作りの映像ではないが意図的な操作を感じないものでもない。
 実際にはこの映像がオーストラリア発であったようで、フリー・ハグもオーストラリア発と受け止められているようだ。映像の主人公は自称ホワン・マーン(Juan Mann)という人らしい。”Free hugs priceless in a culture of violence”(参照)に記事がある。米国では先月一五日の人気番組「シックスティ・ミニッツ」で有名になったようだ。
 これを中国で実践しようとしたグループがあったというニュースを今日見かけた。ロイター”見知らぬ人との抱擁キャペーン、中国では冷ややかな反応”(参照)より。


中国では、街で見知らぬ人と抱擁(ほうよう)するオーストラリア発祥の「フリー・ハグス」運動に対し、冷ややかな受け止め方が一般的なようだ。この運動への参加者が警察の質問を受けるなど、一部では混乱も出ている。現地メディアが30日に報じた。

 中国に対するなんらかの政治的な意図があるのかもしれないが、他にも、韓国(参照)やイスラエル(参照)でもフリー・ハグの活動のようすがユーチューブにあるので、それほどどういうことでもないのかもしれない。たぶん、日本でも一部ではすでに実践しているのではないか。もっともブログを見渡した限りでは、話題はあるが実践はまだのようだが。
cover
The Art of Hugging
William Cane
 ところで、抱擁というと日本語では重たい言葉だが、英語のハグは子供でもよく使う。ハグ・ミー。日本の子供の「だっこー」に近いのかもしれない。ただ、このあたりの、アイ・ミス・ユー、ハグ・ミーというあたりの感覚は中国人と限らず、日本人にはついてけないものがある。
 東洋人一般がそうかというとそうでもないようだ。以前岡田英弘先生の講義でモンゴルの人々の話を聞いたが、人の出会いでは熱烈に抱き合うらしい。考えてみたら、隣の国のキムさんと隣の国のプーチンさんも、どちらもよろしいオッサーンだが、熱烈に抱き合っていたのを以前テレビで見た。っていうか、社会主義にはありがちな光景でもあったな。
 そういえば現在ではどうか知らないのだが、八〇年代にはエンカウンターグループというのが流行っていたことがあった。この中には統制された状況下で見知らぬ人とハグするというレッスンが含まれていることが多い。関連書籍を読むにこれは日本人にはけっこう衝撃的な体験でもあるようだが、もともとは米国発のもので、米人にとっても強い印象をもたらすようだ。偏見的な言い方だが、フリー・ハグとか見ていてもそれがいわゆる外人同士なら文化的にそんなものでしょというふうに見る日本人も多いだろうが、あながちそうでもなさそうだ。

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