カラーテレビの思い出(ずっこけ)
自民党復党議員問題を書こうかどうか考えてやめた。復党議員に投票した有権者はどう思っているのだろうか。政策じゃなくて人柄で選んだんですからということか。で、ぼんやりカラーテレビのことを思い出した。
このところいざなぎ景気(参照)を超えたという話をよく聞く。いざなぎ景気は、一九六五年から七〇年にかけて五年近く続いた好景気のことで、ちょうど私の小学生時代に相当する。ああ、あれが発展途上国の好景気というものなのかとなつかしく思い出す。好景気というわりには、今の生活水準からすると貧しいものだったなという思い出もあるし、それでいてなんか毎年のごとく家を改築してたような記憶もある。
三種の神器(参照)の話はもううんざりなので先に進めるとして、いざなぎ景気のころは、3Cというのがあった。カラーテレビ、クーラー、カーである。と、ふと英語でこれをなんて言うのかとまどった。カーは Carでいいだろう。cdr のわけはない。クーラーは、coolerのわけはない。和製英語なのか当時の米語とかにあったのだろうか。air conditioner にはなにか口語があったか。カレーテレビは、color television set だろうか。意味的にはそうだが、米語ではどう呼んでいただろうか。もっとも今では、そんなふうに「カラー」と呼ぶわけもない。
ウィキペディアを覗いてみた(参照)。歴史的な記述はあまりない。
カラーテレビとは、映像に色がついているテレビ放送あるいはそれに対応した受像器のことである。日本で登場したばかりのころは「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。
「総天然色」という言葉は懐かしい。真実の色というわけでもないが。
カラーテレビ放送の搬送波では輝度と色差の信号が送られ、受像器で両者を合成しカラー画像を作る。輝度の信号はそれまでの白黒放送に相当する。白黒テレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、下位互換性を保っている。
このあたりの技術を最近の技術者たちは知っているだろうかとちと思う。これはなかなか面白い。最近のデジタル技術というのがよくわからないのだが、HTMLなどはRGB色空間だが、カラーテレビの色空間はYCbCr色空間というのを使う。
YCbCrというのは、輝度信号がY、色信号の青味成分がCb、赤味成分がCrで、この三成分を合成する。ということは、Yだけ取り出すと白黒テレビになる。日本が採用しているNTSC方式だと、輝度信号の副搬送波に色信号を変調させている。懐かしいなぁ、CCITT。
で、これをRGBに変換するには、次の式を使う(8ビット表現のときは色に+128)。
Y = 0.29900 × R + 0.58700 × G + 0.11400 × B
Cb = -0.16874 × R -0.33126 × G + 0.50000 × B
Cr = 0.50000 × R -0.41869 × G - 0.08131 × B
まあ、式自体はとりあえずどうでもいいんだが、このなんとも微妙な係数がどっから出てきたかというと、人間の色知覚は輝度変化に敏感だが色変化には鈍感という心理学的な特徴をもっているからで、そのあたりの実験値からこの係数が出てきている。実験をなんども繰り返して、こんな塩梅ではなかろうかというのが技術であり科学でありCCITTだったというわけで、なんか私はそんな歴史の空間のなかに技術屋の父親とすごした少年だった。
この手の話はもう切り上げようと思うのだが、ついでなんで、この近似値は次のようになる。
7 × Y = (2 × R + 4 × G + B)
つまり、人間の目というのは、緑色が青色より四倍明るく感じ、赤い色が青色より二倍明るく感じるようになっている。なので、基本ソフトが落ちたときはブルースクリーンにするし、ブログの背景には緑色を使うんじゃないよということがW3Cで決められている。
こんな技術もうどうでもいいでしょとか思っていたのだが、この色空間はJEPGにも採用されているので、工学というのは無駄にならないものだなと思う。
これに反して、カラー印刷の世界は昔は、色分解の天才的な職人がいて、今ならNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」とかに出演してうんたら言いそうなんだけど、こちらの技術はほぼ完全に廃れてしまった。神業的な技術でも跡形もなく消えてしまう技術がある。そういえば、植字工などはどうだろうか。
そういえばで思い出すのだが、二十代のころだが、たまたま私がアスキーを持っていたらどっかのオヤジさんが、そいつらには泣かされたねという話をしてくれた。常識破りのデザイン持ってきて刷れっていうのだというのだ。愚痴かと思ったら、そうではなくて、そういう熱気に負けてチャレンジしてみたくなったよ、おまえもがんばりなという話であった。
あー、カラーテレビの思い出の話でも書こうと思ったのだが、話がずっこけ(死語)てしまった。
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