« ヨム・キプール(Yom Kippur) | トップページ | 難病と社会支援についてごくわずかに »

2006.10.04

ペンシルベニア州アーミッシュ学校襲撃雑感

 米国時間で二日の、ペンシルベニア州アーミッシュ学校襲撃のニュースを聞いて衝撃を受けた。私自身の衝撃の核は、その残酷な犯罪もだが、アーミッシュのコミュニティが襲われるということにあった。そのあと、テレビではなくネットを通してだがこの問題について日米メディアの扱いをなんとなく見てきた。日本人にとってアーミッシュというのはどう見えるのだろうか。変な宗教というかカルトっぽく見えるのだろうか。普通の米国人にとってはどうなのだろうか。そんなことが気になった。私の印象に過ぎないが、普通の米国人にとってアーミッシュはいわば心のふるさとというか、自分では実践できないが信仰の原点のように感じているのではないだろうか。
 事件について邦文で読める報道はCNN”アーミッシュの学校で5人を射殺 米ペンシルバニア”(参照)が詳しいように思えた。


ペンシルバニア州ランカスター郡のアーミッシュの学校に2日、銃を持った男(32)が侵入し、少女ばかり3人を縛ったうえで射殺、8人にけがを負わせた。男は直後に自殺した。


ロバーツ容疑者はさらに、911(日本の110番にあたる)に電話し、10秒以内に警察官が立ち去らなければ銃を撃ち始めると宣言。この数秒後に、容疑者は乱射を始めた。その後、警察官が突入し、容疑者の死体を発見したという。

 余談だが日本の110番が米国では911番なので9・11は偶然にせよ米国人の心に強い印象を残している。
 アーミッシュのコミュニティは同記事でも触れているように、「電気の使用を含む近代的な生活様式を拒み」というものである。なので電話も存在しない。記事での電話のやりとりには当然いろいろと不都合があったようだ。
 今朝になって英米のニュースをみると、AP系”Amish schools not likely to modernize”(参照)や、USAトデイ”Amish seclusion shattered by school slayings”(参照)では、電話もないアーミッシュの非現代文明的な生活では十分なセキュリティを保持できないし、犯罪を誘発しかねないというあたりが強調されているようだった。
 また、BBC”US killer in sex abuse confession”(参照)やニューヨークタイムズ”Gunman May Have Planned Abuse ”(参照)などでは今回の事件の性犯罪的な側面を捉えている。この文脈は日本でもわかりやすいかもしれない。
cover
アメリカ・アーミッシュの人びと
「従順」と「簡素」の文化
 アーミッシュについては、先日NHKラジオ「心の時代」で、「アーミッシュに生まれてよかった」(参照)の訳者であり、「アメリカ・アーミッシュの人びと―「従順」と「簡素」の文化」(参照)の著者でもある池田智の、アーミッシュ・コミュニティでの滞在経験談を通しての考察が興味深かった。
 彼の話のなかで意外に思えたことが二つあった。一つは、アーミッシュについては、例えばウィキペディアの同項目(参照参照)などが詳しく記しているので十分にその生活状況がわかっているのかと思ったがそうではなく、現在でもよくわからないことが多いという指摘だった。もう一点は、先の一点とも関係しているのだが、アーミッシュ・コミュニティの拡大・人口増加は今世紀に入ってからということだ。私はアーミッシュのような歴史の遺物のようなコミュニティは、シェイカーがそうであったように、早々に消滅していくものとばかり思っていた。シェイカーについてウィキペディアを見たら日本語版には項目が書かれていない。英語版ではShakers(参照)に簡素な説明がある。

The Shakers, an offshoot of the Religious Society of Friends (or Quakers), originated in Manchester, England in the late eighteenth century (1772). Strict believers in celibacy, Shakers maintained their numbers through conversion and adoption. Once boasting thousands of adherents, as of 2006 the Shakers number four people living in Sabbathday Lake, Maine.[1]

 考えてみれば、シェイカーたちは純潔を守った人々なので子供が増えていかない。それに対してアーミッシュのコミュニティというのは、子供を産み育てるということが本質的に組み込まれているのである自然状態が維持されればコミュニティは大きくなっていく傾向がある。このあたり、持続可能な文明ということでは現代文明とアーミッシュとどちらが存続しやすいかとあのおり考えた。その後「極東ブログ: [書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所)」(参照)で触れたが、ランド研究所による人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊の本のリストにAmish Societyが含まれていて、なるほどと思ったことがある。
 アーミッシュなどメノー派やシェイカーなどクエーカーの派生については、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)ではプロテスタンティズムの倫理の主流としては扱われていないわりに、諸派(デノミネーションズ)としてクエーカーについて多く言及があり、註などにはメノー派への言及もある。ヴェーバーのプロ倫は資本主義の精神の成立への興味深い理論にはなっているが、ヴェーバー自身には同時発生した諸派のエートスに対して微妙な思いがあったようだ。

|

« ヨム・キプール(Yom Kippur) | トップページ | 難病と社会支援についてごくわずかに »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

>余談だが日本の110番が米国では911番なので9・11は偶然にせよ米国人の心に強い印象を残している。

↑狙ったんじゃないの? 宗教系犯罪に走る人ってそれでなくても粘着気質が多いし、粘着気質の人は日付や記念日に凄く拘るよ。ちなみに織田信長が比叡山を焼き討ちしたのは9月12日。数年前のその日、何かがあったわけで。あと、総見寺(安土城内)にお参りすればご利益あるとされた日は、5月11日。その日は信長の誕生日。

 そういうもん。

投稿: ハナ毛 | 2006.10.04 11:26

 俺様の誕生日をお祝いすればご利益(現世利益)あるぜって言い切っちゃうところが素晴らしい(笑)。

 世間の人間がアッと驚くような真似を仕出かす人間てのは、世間の常識で考えて ハァ? と思えるような感覚を保持したり実践したりするもの。
 そういう人間の行動を解釈するときに常識や認識を当て嵌めると、大抵間違うと思うんですけどね。どうなんでしょ。

投稿: ハナ毛 | 2006.10.04 11:32

>それに対してアーミッシュのコミュニティというのは、子供を産み育てるということが本質的に組み込まれているのである自然状態が維持されればコミュニティは大きくなっていく傾向がある。

先日CBSの60ミニッツでやってましたが、やはり同コミュニティ内での婚姻が続き、血が濃くなってくるのが問題になっているようで、数万人に一人とかいうような遺伝病が数千~数万倍の率で発生しており、いろいろと問題になってるようですな。
ま、あんまり関係ないですけど。

あと、滞米時代に甘いお菓子に辟易してるところ、アーミッシュが路上で売ってるケーキは自然食材由来のものばかりで、日本人向きでした。

ま、アーミッシュと一口に言っても、馬車から、実際に車に乗ってるような人、インターネットや携帯を使っている人まで、地域や分派(?)したコミュニティによって随分差があるようですが。

投稿: 取りすがり | 2006.10.04 12:53

アーミッシュは、現代技術をすべて拒否しているわけではなく、遠くに出かけるときは飛行機や交通機関を使ったりしているという記述がwikiにもありますね。
彼らにしてみると、“能動的な取捨選択”ということなのでしょう。

プロ倫は、歴史記述としては物凄く面白いけど、“プロテスタンティズムの倫理が資本主義の精神になった”という核心部分の因果関係については、眉唾だなと思ってしまいます。まぁ定義の問題だといわれればそれまでなんですが。

投稿: 木星人 | 2006.10.04 13:52

そうそう。先日CBSドキュメントでやってましたよ。
アーミッシュに多発する先天性障害の話。
やはり長年近親婚を繰り返したことで血が濃くなったのが原因とされているようです。
結構衝撃的な内容でした。

投稿: | 2006.10.04 17:36

映画「ヴィレッジ」のモデルになった人たちですよね。

なんだか、因縁の深そうな事件・・・

投稿: osyo | 2006.10.04 22:16

 アーミッシュ云々とは別次元で、単なるいじめ問題から発展した恨み(逆恨み含む)だったら大ズッコケの予感。

 日本だけじゃないだろ。ガキがひでぇ真似するのは。

投稿: ハナ毛 | 2006.10.05 00:45

 宗教やってる集団って、極端なんだよね。
 ある程度(というか一般社会と比しても)立派な大人がいる反面、いい歳こいてどーしょーもねえガキもいっぱい居る。その辺の落差が、さ。一般社会だってあるっちゃあるけど、私が見る限りだと宗教関係者はひでぇって感じ。
 良くも悪くも、どっかの誰か(それこそ、神でもいい)に率いられないとどうしょうもねえんじゃねえの? と言いたくなる感じか。
 嗚呼密集とか実態よりもイメージのほうが超先行して世間に認知されてるし、ホンマモンの実態は如何ばかりかってのをキチッと検証してほしいよね。

 ガキ時分のいじめとか、日本の田舎並みかそれ以上に強烈だと思うんですけど。とかく考え方の違う連中を許さないのがガキの本分。殺しても恬として羞じないのは日本の実態を見ればおおよそ分かるでしょ。それが、一村丸々宗教とかやっちゃって「ある意味お墨付き」な状態でしょ。村のあり方に疑問を抱いちゃったり迂闊に外の世界に憧れちゃったり、単に村の連中と気が合わないだけみたいな人には、恐ろしく住みにくい環境なんじゃネーノ? 温厚平穏な部位ばっかり取材して「こぉんなに平和なんですよぉ」ばっか言ってないで、いわゆる「暗部」をキッチリ知っといたほうがいいんじゃないかと。

 んで、やっちゃったキチガイおやじの言い分にも光を当てていただきたい。多分何も言わないうちに葬られるんだろけどさ。
 んでもって、調べても結局何にも無くて単なるキチガイの暴走でしたとか言われて俺がっくしに5ペソ。

投稿: ハナ毛 | 2006.10.05 02:27

アーミッシュは、医療に関しては近代技術をどれぐらい受け入れるんですかね?

こういう文明拒否に対し亀裂が入るのは最近は「近代医療」か「高等教育」だと思うので。

これは外から無理やり強制的に入るときも、いい大義名分となりますからね。

投稿: Gryphon | 2006.10.07 05:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/657/12143343

この記事へのトラックバック一覧です: ペンシルベニア州アーミッシュ学校襲撃雑感:

» アーミッシュ的「伝統と文明の共存」:馬車のウィンカー [岩茸Blog-篠笛ManiaX]
母の英語クロスワードに付き合っていて、「アーミッシュ」という伝統社会について少し [続きを読む]

受信: 2007.01.12 20:31

« ヨム・キプール(Yom Kippur) | トップページ | 難病と社会支援についてごくわずかに »