« 菊花紋章、雑談 | トップページ | 小泉純一郎がやり残したこと »

2006.09.25

日の丸についてのトンデモ私説

 最初にお断りしておくが、以下はトンデモない話であって、きちんと主張しているわけではない。いつかきちんと主張したいと思っていたが、関心も薄く成りつつあり、関連蔵書は処分したし、貯めていた資料ももう散失してしまった。もう自分の人生で展開する機会もない。ただ、余興みたいにブログに書いておくくらいはいいだろう。
 日の丸とは蛇の目(ジャノメ)である。それが私が日の丸について二十代の後半に考えた推論で、大筋では吉野裕子の学説と絵巻の史学的な考証でなんとかなるかなと思ったが、その後の民俗学の動向を見ていると吉野裕子学説はあまり顧みられているふうでもない。が、アマゾンを見ると復刻は多く、読者は少なくはないのだろう。

cover

日本の蛇信仰
 蛇の目というからには蛇の古代信仰に関連する。ということで「日本人の死生観―蛇・転生する祖先神」(参照)や「蛇―日本の蛇信仰」(参照)が主要著作になる。これらは詳細にはいろいろ問題があるだろうが、大筋ではこれでいいのではないかと私は思う。さらに吉野学の源流近くには「隠された神々―古代信仰と陰陽五行」(参照)という衝撃的な書籍がある。近年復刻された。高校生にも読める書籍なので知識人なら一読を勧めたいものだが。
 日の丸は字義通りに太陽信仰とも受け取れるわけで、トンデモ蛇の目(ジャノメ)説はそれを否定しているかのようだが、そうではなく、吉野が蛇について議論しているように、元は太陽であるが太陽とはコスモス的な蛇の目であるということだ。つまり日輪から日の丸に直結しているのではなく、蛇の目を経由しているということ、直接的には蛇の目が起源であるということだ。蛇の目は猫の目のように反射光によって光ることもあるからなのだろう。
 蛇の目は一旦神物として鏡に転じる。古代において鏡はコスモス蛇の目であった。神物の鏡は太陽の反射光を持つことが重要であって、物を写すことは日本の古代呪術においては二義的なものである。駄洒落のようだが、吉野も指摘しているが、「かがみ」とは蛇を示す「かが」の「み」であろう。あるいは「かがの目」かもしれない。「かが」が蛇を示すことは「やまかが」の語に残っている。
 吉野はさらにこのコスモス蛇信仰とその目としての「鏡」の信仰を三輪山に結びつけている。三輪山自体を巨大な蛇とみなしているのだ。たしかに、あれは蛇がとぐろを巻いているように見えるものだと私も現地になんども行って思った。
 三輪山の信仰は現代の古代史的な研究からははっきりしてこないが、これが実際に飛鳥や河内を起点とした場合、海から太陽=コスモス蛇が出現するのは、伊勢にあたる。おそらく伊勢神というのも三輪山信仰に関連する蛇神の系列なのだろう。吉野はさらに額田王がそうした神官に関連しているとも示唆していた。その後、いわゆる天皇家に統合された神話からすると鏡は三種の神器の一つとなるのだが、おそらく三種の統合になんらかの意味があったのだろう。
 余談だが、天皇については近代的には万世一系の血統とかいう輩が多いが、南北朝の歴史などを見ればわかるように、天皇の正統性は三種の神器にある。昭和天皇の語録などを見ても彼自身も三種神器を非常に重視していることがわかる。なぜ、天皇の正統性が三種神器という「物」なのかについて私はきちんとした議論を読んだことがないが古代史にその理由が隠されているのだろう。
 トンデモのついでに放言すれば、天武天皇時代に天武天皇という特殊な王の出目と正統性から出来た仕組みではないかとも思う。兄とされる天智天皇はおそらく初代の天皇であろう。昭和天皇自身の発言にも天皇家の起源を彼が七世紀であると認識していたが、合理主義の彼は合理的に理解していたのだろう。天智天皇は先に触れた額田王=鏡神官と関連があり、天武天皇はその権威も統合的に掌握したという象徴ではなかったか。剣は実質神道を創作した中臣家の関連であろうか。
 吉野裕子は、日本の古代信仰であるコスモス蛇と鏡については論じているが、そこから蛇の目起源としての日の丸については考察していない。彼女が想定しえないわけもないので、口をつぐんでいるか否定しているかであろう。冷静に考えれば否定しているのだろうと思うのだが、それにしては中世における日の丸の基本が金色であり、コスモス蛇の目=鏡以外には見えない。
 ウィキペディアの日章旗(日本の国旗)(参照)でも紅色への変化について触れているが、日の丸の原型は金の丸である。

世界的に太陽が赤で描かれることは珍しく(太陽は黄色、また月は白で現すのが一般的である)、日本でも古代から赤い真円で太陽を表すことが一般的であったというわけではない。例えば高松塚古墳、キトラ古墳には東西の壁に日象・月象が描かれているが、共に日象は金、月象は銀の真円で表されている。また711年(大宝元年)の文武天皇の即位以来、宮中の重要儀式では三足烏をかたどった銅烏幢に日月を象徴する日像幢と月像幢を伴って飾っていたことが知られるが、神宮文庫の『文安御即位調度之図』(文安元年記録)の写本からは、この日像幢が丸い金銅の地に赤く烏を描いたものであったことが確認されている。これは世俗的にも共通した表現であったようであり、『平家物語』などの記述などからも平安末期の頃までの日輪の表現は通常赤地に金丸であったと考えられている。

 ラッキーストライク的な赤玉になることについてはこう説明している。

対して赤い真円で太陽を表現する系譜は、中国漢時代の帛画に遡る(上の日像幢と同様に内側に黒い烏を配するものである)。日本での古い例としては、法隆寺の玉虫の厨子の背面の須弥山図に、赤い真円で表された日象が確認される。また平安時代においても密教図像などに見出される表現であり、中国から仏教とともにもたらされた慣習であると推測される。こうした表現が原型となり、白地赤丸の日章旗が生まれたと考えるのが妥当であろう。

 いずれにせよ白地赤丸の出現と変化には別の理由があるのだろう。あるいは水平線に登る朝の陽が赤く見えるからだろうか。
photo
古代フェニキア船
船の目に注目
 私はこれは難避けの呪札のようなものではなかったかと考えている。そして、何の難避けかといえば、海難であろう。このあたりの変化の史料をいろいろ旅して探したものだったが確定的なことは言えない。
 船には難避けの呪物が欠かせない。そのなかで、船に付ける目はけっこう典型的な呪物であり、この呪物は太古の地中海からインド洋へと広がっているようだ。その系統がどこかで日本につながったのではないかと思う。
 近代の日章旗の起源は公的には島津にある。

また江戸時代後期には薩摩藩の船印として用いられており、開国後は幕府が日本国共通の船舶旗(船印)を制定する必要が生じたときに、薩摩藩からの進言(進言したのは薩摩藩主、島津斉彬だといわれる)で日章旗を用いることになった。一般的に日本を象徴する旗として公式に用いられるようになったのはこれが最初であるとされるが、戊辰戦争時には官軍が菊花旗、幕府側が日章旗を用いており、国旗として扱われるようになったのは明治以降である。

 ここでなぜ薩摩藩が日章旗を船印としたかについてだが、これは琉球絵巻などを見れば誰でもわかることだが、すでに琉球が日章旗を船印として利用していた。もともと薩摩の富は琉球からの、広義の搾取と言ってよいだろうし、文化的には薩摩の文化は琉球の下位にあったと私は考えている。
photo
琉球八曲屏風より
日章旗と船の蛇の目
 簡単にいえば、日章旗というのは、琉球の旗なのである。もともと日本国は、琉球国を併合しているので、昔の東欧風にいえば、国号は日本琉球国となるべきものであるが、そうはならずとも琉球の旗が日本に嗣がれているのは興味深い……というあたりは現状ではトンデモ説であるが。
 では、琉球の旗はどこに起源を持つのか?
 この調査もいろいろやって懐かしいが確たることが言えない。概ね、倭寇の文化が起源であろうとは思う。もともと琉球の王朝は倭寇の権力にフェイクとして中国的な文化をかぶせたものだろうと長年沖縄に暮らしながら考えていた。現在の沖縄ではある意味で琉球的なアイデンティティが観光産業にも合うことからいろいろ擬古的に復権しているが、華僑の覆いを除くと、室町時代というか倭寇の時代の文化が見えてくる。舜天源為朝落胤伝説はもちろん伝説ではあろうが、その伝説が生まれる核たるものは後の徳川政府・薩摩政府による併合のための下準備であったとは考えづらい。すでに沖縄本島には日本中世の時代に各種の神社ができていることや、阿弥陀信仰が行き渡っていることからも同じ歴史文化的なものだろう。
 日章旗が倭寇に起源を持つなど、公的に言えばトンデモ説だろうとわかっているが、私は密かに倭寇の呪物が嫌いではない。日本は江戸時代海に隔てられて鎖国であったというのが近代日本による日本の史観であるが、そうではないのだ。海こそがダイレクトに人々を結びつけるものだった。日本は海に囲まれていたからこそアジアのなかに開いていたのである。
 古代においてもなぜ伊勢の太陽信仰があるかといえば、あれは伊勢の地の古代水軍の名残であろう。おそらく壬申の乱まではあそこに水軍があったに違いない。大津皇子が伊勢に出奔するのも父のように水軍を動かしたかったからではないか。いずれにしても、海の人として開かれた日本人だから日の丸があるのだろう。伊勢の神の好物も海産物である。

|

« 菊花紋章、雑談 | トップページ | 小泉純一郎がやり残したこと »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

日の丸の起源について、ダイナミックな推論で、大変面白かったです。

投稿: うみおくれクラブ | 2006.09.25 10:32

蛟信仰は水神=農耕文明=南方系。
龍信仰は実は放牧民=北方系の産物だったような。

つまり、太陽=蛇の目のように形態の類似で統合して解釈しちゃうと、原初の発生の違いがわかんなくなる可能性が高いと思います。

投稿: ■□ Neon / himorogi □■ | 2006.09.25 11:49

「太陽→日の丸」の単一路線でなく「太陽→蛇の目→日の丸」の変容路線ですか、これは面白い、こういうエントリ、好きです。天武のところでの変容のアナロジーも感じてしまい、それも面白いと感じた理由かもしれません。三輪山って、そそられるものがありますよね。なんちゅうか、エロいです。

投稿: 藤沢生活 | 2006.09.25 12:26

吉野裕子いいですね。
太陽が右目で月が左目とかいうのはどこでしたか。
加門七海をインドネシアあたりにパラシュート降下させれば、謎はとけるかも。
スーリヤが訛って「空」になったり、神道=シンドゥ=ヒンドゥなアジアの海。
 

投稿: ハリマオ | 2006.09.25 19:02

 ユニオン・ジャックももとは海賊旗ではありませんでしたっけ。 古来海賊とは航路を征する文化の担い手的性格も持っていたのですから。

投稿: 血苺 | 2006.09.25 20:01

 山の人間は旗いらねえよ。というのが山っ子であるところの私の見解。海の人は旗や幟をつけて目立つようにしないと、すぐ遭難しちゃいますからな。

 で。加賀(かが)の国ってのは、蛇の国ですか? とか言って。トンデモ序でにその辺に話が伸びると面白いですな。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.26 04:26

>関連蔵書は処分したし、貯めていた資料ももう散失してしまった。

↑私もそうだから、というか私がそうだから言うんだけどさ。蔵書の類は遺品になるまで取っとかなきゃダメでしょ。いやさ。私も貯めるだけなら万冊持ってんだけどさ。漫画込みで。定期的に5%程度放出して入れ替えして、結局20年以上持ち続けてるのは数限られるんよね。んで、なんか読みたいなって思ったときに限って手元に無くて、後でガックシくるわけよ。

 歳月とかあんまり関係ないっちゅか、むしろ歳月経つほど取っとけ路線で逝ったほうがいいと思うけどね。だいたい20年スパンかな。自分的に「取っときゃ良かった~」って思うのは。

 自分がいらねって思っても、人が喜ぶと思うよ。古い本は。
 とっとけとっとけ。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.26 04:56

面白いです・・・蛇の目から日の丸。
蛇と、歴史や神話が相性いいのは、世界中でも同じですね。
最近平凡社ライブラリから出たR&D.モリス/著「人間とヘビ」が出て読んでいたのですが、「ヘビ」系の訳本は嫌われてなかなか日の目をみなかったらしいですね。
蔵書も処分されてしまえば、終わり。ブログでいろいろ知ることが出来るのは嬉しい限りです。

投稿: 八葉 | 2006.09.29 20:18

一度だけ山の中で、ヘビがぐるぐる巻きになっているのをみたことがあります。そのときは、春先の少し寒い朝方だったのですが、体のほうは平面的に巻いていて、頭だけ少し平面から出ている様子で、鎌首的なものではありませんでした。
イメージ的なものであるとは理解できますが。ちょっと気になったので。

投稿: きりかぶ | 2006.10.05 22:36

はじめまして
同じ考えの方をみつけて、ホッとしました。
私も日の丸の起源が蛇の目だと考えています。
昨年、文章が完成したのでHPにアップしました。
題名は「日輪と蛇の尻尾」です。
興味をお持ちいただけたらお読みください。

http://firstoil.s1.bindsite.jp/text.html

文章には書きませんでしたが
日の丸は3つの由来があるのではないかと考えています。
アポロ>太陽
ディオニソス>蛇
エロス>????(琉球の船乗りのお守り)
????はすぐに公開すべきではないと思い、書きませんでした。
いかがでしょうか?

投稿: SRI | 2011.01.21 21:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日の丸についてのトンデモ私説:

« 菊花紋章、雑談 | トップページ | 小泉純一郎がやり残したこと »