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2006.09.18

農地改革メモ

 ぼんやりと戦後史のことを考えていることが多くなってきているのだがその一環で農地改革のこともときおり考える。農地改革については二つの思いが錯綜する。一つは学校で学んだ、なんというか農奴解放みたいなお話。もう一つは私の母方が庄屋の系統だったので近親者からの体験的な話だ。その二つが入り交じる。もっともそうした錯綜感は農地改革に限らない。私は基本的に戦後民主主義の申し子みたいな人なのでGHQによって日本は解放されたと原点としては考えるのだが、五十年近く戦後の後の日本人として生きてみると違和感は多い。
 農地改革について当然一時期の政策としては成功としか言えないだろう。だが、大局的には失敗だったのではないかという思いがあり、そのあたりをきちんと社会学的にまとめた書籍などないものかと探すのだが、知らない。ないわけもないだろうに。簡単に読めるウィキペディアの同項を読むと(参照)私が中学校時代に学んだこととさして変わらない話がある。


 敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。
 当初、農地改革に対するGHQの姿勢は当初は消極的であったともいわれるが、当時の農相である松村謙三は貧農救済の立場を優先し、より厳しい改革を断行する(ちなみに松村自身の所有の土地も対象とされた)。
 これにより、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ(事実上の没収)、小作人に売り渡された。これは、全国的に行われ実に7割余りの農地が地主から小作人のものにかわった。日本の農家はこれによって基本的に自作農となった。自分の農地になったことにより生産意欲が湧き、日本の農業生産高は飛躍的に増進した。

 GHQと日本政府側の関係について踏み込んで書かれていないが、概ね記述は嘘ではない。読売新聞”戦後体制 農地改革=下”(1998.12.25)には、当時の小作の体験談もある。

 山形県余目町の農業、池田利吉さん(75)は、その時に自分たちの農地を手に入れた。今も売り渡し書を大事に持っている。
 池田さんは二十五歳で農家の養子になった。聞けば、祖父は小作地さえなかった状態から、やっと一・五町歩(約一・五ヘクタール)を借りるまでに汗水流して働いたという。「田んぼを買い、家を建て、土蔵を造るのが夢だった。小作地が自分の家の土地になり、とにかくどの農家より収入を増やそうと頑張った」。池田さんは往時をこう振り返る。
 農地改革によって、農村経済は戦前と比べよくなった。一世帯あたりの年間所得でみると、五〇年が二十一万円だったのが、六五年には八十三万円に上がった。小作料の負担がなくなり、農機具への投資も増えた。生産性も旧農林省の統計によると、五〇年―五二年を一〇〇とすると、六五年には一六〇に上昇した。

 ざっと読むと農地改革の成果のようだが、所得の増加と生産性の向上が比例していないことに気が付く。記事はこう続く。

 機械化が進むにつれ、農村人口は減少した。総務庁の産業別就業人口統計で五〇年と六五年を比較すると、農業人口は全体の45%だったのが23%に低下し、対照的に製造業人口は16%から六五年には24%に増加した。農村から流出した労働力が工業地帯を支えた。大内力・東大名誉教授は「高度経済成長は、農地改革がプラスに作用したからといっていい」と総括する。

 これはいったいどうしたことだったのだろうか。小作が自作になることで収入が増えて万歳という光景ではない。むしろ農地が放棄されていく一端のように見える。この記事では農機具投資が増えたことが問題の端緒のようにも読めるがそもそも機械化した農機具を小規模自作農が分散して持つメリットがあったのだろうか。なにより、大内力の発言が私にはよくわからない。
 持論とまでまとまらないのだが、農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者ということではないのだろうか。いわゆる看板の「農地改革」とはほど遠いのではないか。
 そうした思いのなか、先日ラジオで農地改革について、えっと思う話を聞いた。農地改革で開放された農地は一九四万ヘクタールだが、すでに二五〇万ヘクタールが改廃されているというのだ。単純に考えれば、農地改革は無駄だったということではないのだろうか。このあたり、冒頭述べたのように私の祖先の関連もありそうした思いも少し混じるのだが、小作たちは農地を転用とまで言うのは語弊があるかもしれないが、その子供たちの住居地に変えたりしていた。道路になって巨額の利を得た人も少なくない。農地が失われていくようすは私も見てきた。
 話は少しずれるのだが、農地改革はボトムでは農地委員会が実施してきた。これが一九五一年に農業委員会になる。以前「極東ブログ: 教育委員会は本質的に地域教育の点では欠陥組織」(参照)で触れた教育委員会のように農業委員会もGHQに起源を持つ組織と言っていいだろう。この農業委員会が現在も存在する。読売新聞社説”地方自治体 画一的な組織が問い直される”(2005.07.04)によるとこうだ。

 現在も市町村は農業委員会を原則設置しなければならない。農地がない、あるいは農地面積が一定の基準より小さい市町村は設置を免除されているが、全国の市町村の5・8%に過ぎない。
 全国に6万人近い非常勤の農業委員がいる。地方議会の総議員数並みの数である。年に約170億円(2000年度)の報酬が支払われている。
 農地の不正転用などに関与した農業委員が逮捕される例も少なくない。
 全国市長会は「業務処理件数の減少で形骸(けいがい)化したり、農家が少ないにもかかわらず、各戸の農地面積が大きいため設置している場合もある」として、選択制を主張している。地域の実情に応じ、弾力的な制度に見直す必要があるだろう。

 それから一年が経つが制度の見直しがあったようにも思えないし、社会問題としてさして取り上げられたふうでもない。が、たぶん市町村合併で農業委員会は全体には縮小しているのだろう。

【追記(2006.9.19)】
 bewaadさんより貴重な示唆をいただいた。ありがとう。

 ⇒農地改革の光と影 : bewaad institute@kasumigaseki(2006-09-19)(参照

 実はエントリを書きながら、「農地改革によって、農村経済は戦前と比べよくなった」とは経済学的に見て言えないだろうと思っていたが、そのあたりはきちんと述べることはできなかった。
 他、ご示唆の点については以下を含めて概ね納得できるものだった。


したがって、「農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者ということではないのだろうか」との問いに対しては、農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう労働者と消費者の抑制であったと答えることができるでしょう。

 このエントリであえて曖昧に書いたのだが、私の関心は開放された農地の転換と富の創出の問題だった。農業委員会について後半で触れたあたりで、HPO:機密日誌さんのように問題点の匂いを嗅ぎわけられたかたもいらっしゃったが。

 ⇒HPO:機密日誌 - 成功した革命としての2.26事件(参照

 bewaadさんのご指摘の文脈では次の部分に相当する。


まず、日本の農地面積は2005年で約470万haですから(この数字は、日本の農地面積には、採草・放牧地等を含まないということなので、わざと低くなるよう農地を定義している気がしないでもありませんが)、農地改革で解放された194万haとその後改廃された250万haはまったく重ならないこともあり得、これだけで「農地改革は無駄だった」というのはいかがなものか、とジャブを。

 さしあたっての問題は農地改革で開放された194万haとその後改廃された250万haの重なり具合についてで、まったく重ならないという客観的なデータが出れば私の疑問はまったく解消する。おそらく、実態はかなりヘクタール単位でみるとそれほど重なっていないだろうと思うが、重要なのは重なった部分がどのように富に化けたかという点だ。
 単純に言えば、農地改革で事実上無料に近い金額で取得された土地が、農業委員会というしかけを介して、宅地や道路に転じさせることで発生させた富の問題だ。これは日銀が札を刷るかのようにあたかも無からカネが創出できる仕組みだったのではないかと思う。

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コメント

手持ちの資料がないので恐縮なのですが、
農業収入の増加と生産性の違いについては、
生産者米価の値上がりを考慮すると釣り合いがとれるのでは、
ないでしょうか。
1950~1965年の間に生産者米価は2倍以上になっていますから、生産性が1.6倍になれば、農業収入は(粗利ベースで)3.2倍以上にはなるのでは?

あと、農地が減っていく現象は、都市部においては地価高騰があったので早かったとは思いますが、全国的に進むのは、生産性向上&食の多様化による米余りが進み、減反政策などが行われてからの方が大きいような気もします。

投稿: とむけん | 2006.09.18 13:05

 農業収入が(誰しも)8~10倍とでも言うなら話は別でしょうけど、2,3倍でどっちがどうだと言われても大した差じゃないですね。目くそ鼻くそ。

 生産性の向上で農業収入が騰がった→人間のやる気ってスゴイ理論も、軽く精神主義入って気持ち悪いだけでしょう。
 戦前主流(というより、それしか無い)牛馬農耕がどれだけ大変か分かってない。収入が10倍になるくらいじゃないと、敢えて続けたくはないでしょうに。

 農作業そのものが余りにに重労働過ぎて、当時、それこそ工場働きのほうがより良く見えた(収入がそんなに伸びなくても農業よりはマシって意識が相当あった)から農業崩壊が進んだんでね。寄生地主のせいだけにしてもしょうがない。

 というより、農業崩壊を加速させた「だらしなさ」に一定の歯止めをかける意味で、地主の存在はむしろ重要だったでしょうに。今でも居るでしょ。会社に席置いて各種社会保障が付いてるから、辞めたいけど辞めない(られない)って会社員が。家族のためだ何だって言い訳はするけど。そういうのは昔から居た。んだから、地主が脅しすかし込み込み(←日本人は滅多にやらない。やるのは大陸人で、んだから「農奴」的世界観が出るわけ)で、ある一定の「職場を確保」する行為がないと、農業の発展がどーたら以前に、皆辞めちゃうでしょ。

 現代日本人の中でも結構特殊な「きまじめ日本人」のポジションから俯瞰すると、それはそれで偏った見方になるもんでしょ。意外と多いのよ。ダメでだらしない日本人。
 ってか、私に言わせりゃ、そっちが主流。そういう人の往き越しに目を向けないと、世の中のことは半分どころか3分の1も分かんないかと。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.18 15:36

http://www.tabiken.com/history/doc/O/O159L100.HTM
1941年から二重米価制が採用されたことにより地主価格と生産者価格(地主価格+生産奨励金)の格差が拡大し,小作人は在村地主の自家飯米以外はすべて政府に供出することによって事実上小作料の一部は代金納となり率も低下した。1945年産米の最終価格は地主55円・生産者300円となった。

http://www.tabiken.com/history/doc/O/O157R100.HTM

全国の農地解放の対象面積は買収地面積181万町歩と所管換土地面積18万6,000町歩をあわせた199万6,000町歩であり,農民に対して197万5,000町歩が売渡されたことになる。この解放土地面積は農地改革前総耕地面積の39%にあたる。これによって小作地率は農地改革前の45.9%から改革後には8.3%に激減した。さらに未墾地買収が135万町歩とその売渡75万町歩,牧野買収が45万町歩と売渡41万町歩も対象となった。なお,買収農地の平均反当価格は田662円,畑235円であり,この代金支払は一時払金と農地証券をもって行われ,後者は前者の4倍以上であった。また,残存小作地における小作料も低率金納化された。当初の小作料率は田では25%,畑では15%と最高額が規定されていたが,戦後の激しいインフレーションによって最終的には闇小作料を含めた実収小作料率は10%未満となったのである。

TONY'S HOME PAGE アントニーF.F. ボーイズ
日本における農業とエネルギー日本語版PDF
http://www9.ocn.ne.jp/~aslan/

1945年収量204.67kg/10a

1945年産米の最終価格は地主55円・生産者300円となった。

204.67×300/60=1023.35

平均反当価格
田662円

投稿: msx | 2006.09.18 17:05

>> 農地改革で実現されたのは高度経済成長に向かう
>> 労働者と消費者ということではないのだろうか。

第2回目の市民革命としてのアメリカ南北戦争が南部奴隷解放と抱き合わせで実現されていった様相と、非常にパラレルなものであるという歴史観を、個人的にはもっています。

投稿: てけてけ | 2006.09.18 19:51

農地解放というのは公職追放・財閥解体と並ぶ日本の社会システム変革のために行なったのであって、別に農業生産性向上のために行なったのではありません。

で、
http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub516.html

http://www.ritsumei.ac.jp/~yamai/sotsuken02/matsuoka.pdf#search='%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9%20%E6%AF%94%E8%BC%83'

http://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n276.htm

http://www.noukai.net/mouchoto.htm#8

他にも山のようにひっかかりますし、図書館へ行けば、この分野の研究書は社会学のスタンダードですから山積みにありまっせ。

投稿: F.Nakajima | 2006.09.18 19:53

>農業崩壊を加速させた「だらしなさ」に一定の歯止めをかける意味で、地主の存在はむしろ重要だったでしょうに。今でも居るでしょ。会社に席置いて各種社会保障が付いてるから、辞めたいけど辞めない(られない)って会社員が。家族のためだ何だって言い訳はするけど。そういうのは昔から居た。んだから、地主が脅しすかし込み込み(←日本人は滅多にやらない。やるのは大陸人で、んだから「農奴」的世界観が出るわけ)で、ある一定の「職場を確保」する行為がないと、農業の発展がどーたら以前に、皆辞めちゃうでしょ。

へえ、日本の地主ってずいぶん人道主義者だったんですねえ。

http://www.gld.mmtr.or.jp/~hiroh/rekishi/kindai/kindai2.htm

その他小作争議と検索すると、非常に人道的な話がいろいろでてきます。何しろ小作料の利率は60~75%という恐ろしく低い数字だったそうですから。

投稿: F.Nakajima | 2006.09.18 20:34

本エントリーに関連して「極東ブログ: 教育委員会は本質的に地域教育の点では欠陥組織」(参照)が紹介されていますのでコメントしておきます。我が国の教育委員会制度において、市町村に教育委員会が義務設置されたのは昭和27年のこと(それまで義務設置は延期されていた)で、その目的は、当時、都道府県と5大都市中心に設置されていた教育委員会制度のもとで勢力伸長著しかった日教組勢力を、市町村単位に教育委員会を設置することで分断掣肘することにありました。しかし、この「独立性」の強い教育委員会制度に対する自治体側の不満は大きく、そのため、政府は、昭和31年に「教育委員会法」を抜本改正して、教育委員の公選制を廃止して自治体の長の任命制とする。教育委員会の予算執行権を自治体の長に移すなど自治体側に一定の配慮をするとともに、文部省→都道府県教委→市町村教委へと下降する教育行政の中央集権的指導体制を確立しました。(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」)また、この体制を財源的に担保するものが国庫負担制度でした。こうして市町村教育委員会制度は「無用の長物」視されながらも今日まで維持されてきたのです。その主たる理由が日教組対策をはじめとする教育行政の中央集権統制であったことはいうまでもありません。従って、その必要性に疑問が投げかけられたとき、自治体側に「教育の地方分権」の回復を求める声が大きくなるのは当然です。近年の義務教育国庫負担制度をめぐる文科省と地方自治体の対立の原因はここに胚胎しています。ところで、最近、安倍氏が「教育バウチャー」制度を提起したとの報がなされていますが、これは、従来地方自治体財政に組み込まれてきた教育財政を、新たな国庫負担制度に再編する意味も持っています。また、これは形骸化久しい教育委員会制度を「学校経営」を実質化するシステムに改変する契機ともなると思います。しかし、この提起がそうした生産的な議論につながれば結構ですが、それが単なる文科省の学校経営の統制力強化に終わる可能性も決して少なくありません。我が国の「教育委員会制度」の歴史については『我国における教育委員会制度の研究』(長田三男、尾形利雄 共著 大空社s61)が参考になります。

投稿: 渡辺斉己 | 2006.09.18 20:42

>へえ、日本の地主ってずいぶん人道主義者だったんですねえ。

 (当時としては)全然人道的でしょ。争議があったんでしょ? それすら無くて武装地主が小作人を虐殺したり戦国時代のように他国を侵略して奴隷を徴収して地主に買わせた訳じゃない。そこまでいけば、非人道的だと思いますがね。

 小作利率がどうこうにしても、現代サラリーマンが自身の売り上げに対してどれだけの報酬(給与)を貰ってるのか考えれば、そんなに酷いわけでもない。場合に依っては、現代のほうが酷いことだってあるし。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.18 21:00

 江戸以前は相当酷いと言うなら納得ですけど、江戸~明治大正期の農村はそこまで酷いわけでもない。地域性にも依るけど。北陸から東北にかけての農村が生活苦から逃れたのは昭和30年代以降のことですし。そこを例に取れば、確かに農村解放は成功でしょうね。で、中部以西だと定期的に冷害に襲われるわけでも無かったので、備蓄等は自前でやるって感覚が結構一般的。自然災害や凶作に備えて各自が(隠し田込みで)自前の生存措置を取るのが普通でしょうと。そういう感覚。

 東西格差の問題にも繋がるかもしれませんね。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.18 21:06

>各自が(隠し田込みで)自前の生存措置を取る

 ここに関してのえげつない話であれば、無学な私でも伝承で聞く限りは心得ていますし、土地の境界線争いの類であれば、今でも時たま耳にしますね。まだやってるよって感じでしょうか。
 東西・陰陽で農村の形態ってのは結構違うんでしょうな。どう違うのかは知りませんけど。

 土地成金が出て云々という件であれば、
>農業収入が(誰しも)8~10倍とでも言うなら話は別でしょうけど、2,3倍でどっちがどうだと言われても大した差じゃないですね。目くそ鼻くそ。

 ↑このへんの感覚が、人を動かすんでしょう。今時どんなに頑張ってもどうしょうもない遊休地を抱え込んでるところへ、数十倍の値で買い上げてもらえるわけですから。そりゃ流れるでしょ。
 うちの近所にも、ダムや道路の造成でいきなり数億円規模の小金持ちになった連中が居ますよ。特に遊ぶでもなく、株式投資でもやるか銀行に高利回りを約定させて「ひっそり」暮らしてるみたいです。現代の寄生地主ですかね。

 世の中、なかなか皆で汗水たらして働くようには逝かないもので。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.18 21:18

> 農村から流出した労働力が工業地帯を支えた。大内力・東大名誉教授は「高度経済成長は、農地改革がプラスに作用したからといっていい」と総括する。

この部分を見ると、農地改革が小規模自作農の機械化を促し、それによって農村でも現金収入の必要性が高まり、その結果、農村が出稼ぎや離農による安価な労働力の供給源になった、というストーリーが見えてきます。

イギリスの産業革命を髣髴とさせますね。

そういえば、昨日のエントリのgap yearも、イギリスのgrand tourに起源をもつものだそうで。
もっとも、grand tourは、貴族子弟教育の“仕上げ”だったと思いますが。

投稿: 木星人 | 2006.09.19 00:33

アメリカにおける南北戦争の、社会科学の視点からの意味合いは
<北米大陸全土への、市場経済化>です。

ですので、

>> イギリスの産業革命を髣髴とさせますね。

イギリスでその時期に進められた出来事も
アメリカであの時期に進められた出来事も
そして、日本で農地改革以降に進められた出来事も
わりにパラレルな視点でもって理解をすすめて
大きくズレてしまうことは無いと思います。

投稿: てけてけ | 2006.09.19 01:49

 で。次はどうなるんですかね? 私にゃ大体の目星は付いてますけど。余人の見解もお伺いしたい。

 他所様の過去を見て私のところにも来た、みたいな発想をしてるようでは仕方ないんですな。

投稿: ハナ毛 | 2006.09.19 02:32

現在trackbackを諸事情あって停止しているので、取り上げたことをこちらでご報告させていただきます。ご高覧いただければ幸いです。
http://bewaad.com/20060919.html#p01

投稿: bewaad | 2006.09.19 05:12

グリーンベルトに芋植えたせいで農地解放時無くなったことを思い出した。

投稿: | 2006.09.19 12:27

とりあげていただきありがとうございます。

すみません、でも、気になって仕方がない記事中の言葉がありません。

「敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。」

ここで、「寄生地主」は「既成地主」の打ち間違いではないでしょうか?

投稿: HPO機密日誌 | 2006.09.19 13:53

寄生虫の寄生でしょ

投稿: msx | 2006.09.19 17:42

はじめまして
この問題について研究してる方のPDF見付けたので張ります。
http://www.fcronos.gsec.keio.ac.jp/wp2004/wp04-005.pdf#search=%22%E7%8E%89%E7%9C%9F%E4%B9%8B%E4%BB%8B%22

投稿: たぬき | 2006.09.19 19:08

農地改革と農地転用には直接的な関係はさほどないかと。
スプロール化を防げなかったことは農業の想定外のことですし。

農業のみで生活していくことが困難だったことは、農地改革をせずに(比較的)大規模な農家が多くてもさして変化はない…というか農外収入が少ないのならより影響が大きく現れ、都市への集中と地方の荒廃がより進んだだけなのでは(韓国や中国のように)。

投稿: テンペ | 2006.09.19 22:36

幼少の頃、ある私鉄の駅を降り、それから30分ほど歩いて田舎の親戚の農家によく遊びにいったのであるが、その親戚の者が「戦前は、あの駅からずっと、住んでいるこの家までが全部自分の土地だった」という話を子供心に、漠然と聞いていたものだ。「隣の家は戦前は小作だった」という話もよく聞いた。

戦後63年、昨今の農業の疲弊と日本人の精神的疲弊を思う時、マッカーサーが仕掛けた「農地改革」という日本破壊の時限爆弾が、今時分になって爆発したのではないか、との思いが募る。教育制度の改革しかりである。その思いは、憲法九条に対する信仰を打ち砕き、何とも言えない悔しいい思いへと通じて行く。戦後、信じさせられてきたもの全てが目の前でがらがらと崩壊していく気分は愉快なものではない。

投稿: 憂国 | 2008.08.03 13:08

農地改革によって小規模農家を多く作り出して、生産効率を低下させ消費者負担の増大を招いたのは、大失敗である。
減反選択制により、小規模農家が撤退し、大規模農家に集約されて、反農地改革が進むことを期待したい。

投稿: 農業改革 | 2009.02.08 15:01

(地主が自ら耕作しない農地を)農地改革で事実上無料に近い金額で取得された土地は、取得者が自ら農業をするという前提であったはず。
だから、自ら耕作をしないようになれば、前の所有者に(取得時価格で)返却するのが当然だと思う。耕作放棄でも、道路になるときでも、家を建てるときでも。
ナチスが美術品を収集家から略奪した、といわれているが、非常に低いが対価は支払っていた。それでも、今は、前の所有者に返却している。これは、耕作しない農地について当てはまる。


投稿: 大隈 | 2009.02.26 21:26

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