サンフランシスコ講和条約についてのメモ
結局私は苫米地英人の本は全部読んでいる……あ、違うな、「大好き!今日からのわたし。 ~愛される心とからだををつくる秘密の呪文集」(参照)は読んでいない。というかその続きで「脳と心の洗い方 『なりたい自分』になれるプライミングの技術」(参照)もパスでいいかなと思ったが、書店で見かけたのでぱらっと見ると最終章にサンフランシスコ講和条約の話があったので買って読んでみた。
![]() 脳と心の洗い方 「なりたい自分」に なれるプライミングの技術 |
そこで実際にSan Francisco Peace Treatyの英文原文を読んでみますと、条約が効力を発する翌年四月二八日をもって終戦を宣言する第一条(a)に続く、独立を認めたとする第一条(b)の文面は、"The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over Japan and its territorial waters. "となっています。これは、日本語訳では「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」と訳されています。
訳文は確かに「日本国」の独立を認めた文言にも読めます。ところが、原文はJapanese peopleと小文字でpeopleと言っているのであり、これは「日本人」「もしくは日本の人たち」と訳すべきでしょう。「日本国民」と訳すのは誤訳です。
とあるのだが、私はこれは「日本国民」でいいのではないかと思うし、英語の場合はpeopleの冒頭文字を大文字することで意味を変える慣例も文法もないはずだ。
続いて、苫米地はsovereigntyは「自治」という訳語がよいとして。
ですから、「連合国は日本の人民による日本とその領海の十分なる自治を認める」程度が本来の翻訳でしょう。
とするのだが、私はあまり違いがわからない。ただ、これに続くJapanについての認識は興味深い。
条約のJapanは「日本国」ではなく「日本」と訳すべきところを、日本語訳のほうで、「日本国」という独立国が認められたかのような訳し方を意図的にしているだけです。
少なくとも、主権国家の定義である「国内統治権」と、「対外主権」の二つのうち、半分の統治権しか認められていないことは間違いないでしょう。
この対外主権(最高独立性)についての苫米地の指摘はそうかなという感じもする。
話はもう一点ある。
驚くべきことにサンフランシスコ講和条約の最後の一文は、こうなっています。"DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951, in the English, French, and Spanish languages, all being equally authentic, and in the Japanese language. " この一文を発見して私の正直な感想は「やられた!」です。もしかしたらこのことに気がついた日本人は五五年たって私が最初ということなのでしょうか?
苫米地の指摘は、この条約の正文は英語、フランス語、スペイン語の三語のみであって、日本語は参考とされているだけだというのだ。そして苫米地訳をこう付けている。
訳せば、「一九五一年九月八日にサンフランシスコ市で成立した。英語、フランス語並びにスペイン語各版において全て等しく正文である。そして、日本語訳も作成した」と書かれているのです。
どうなのだろうか。私の拙い英語の感覚だとそうは感じられない。むしろ、対日条約なので、英・仏・西が同一でこれに対して日本語版があるというように思える。ちなみに、この訳文は衆議院で正文として承認されているようだ。
関連して、少し長いのだが、これまでの極東ブログの内容にも関連するので。
一九五一年九月七日に吉田茂主席全権は、サンフランシスコ講和会議でのスピーチで以下のように語っています。"It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and reinstate us as a free and equal member in the community of nations." sovereigntyを「主権」という言葉であえて私が訳せば、「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と自由を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員として再参加させるものである」ぐらいになるでしょう。
スピーチを通して英文で示唆されているのは、日本の人々は、帝国主義より軍部に取られて失っていた主権を、この連合国との条約のおかげで取り戻すことができたので、世界のコミュニティに参加できるようになります、という意味合いです。
苫米地のこの解釈は多少正確ではないのではないか、と思うのは「軍部」ではなく「政府」に取られていたという点だ。また、「取られていた」というのも貸借の関係にあるはずだ。これについては「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)や「極東ブログ: 日本憲法は会社の定款と同じ」(参照)を参照していただきたい。
苫米地はさらに次のように考察しているが、この点については妥当だろう。
ところがこれが、そうではなく、当時の内閣は「連合国の占領から、この条約で日本国が独立国家としての主権を取り戻した」といった意味合いで訳し、国会に報告しています。これも誤訳です。吉田茂首相のスピーチを全文読みましたが、文章からアメリカ人によって書かれたものであることは明らかで、その日本語訳を吉田茂首相は読み上げただけというのが真相です。米国側公文書館の資料ではそう記録されています。
余談だが、小林よしのり関連と言っていいのか、一部でサンフランシスコ講和条約第一一条の訳が問題になっているようだ。
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
承認された訳は次のとおり。
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。
目下の話題は、judgmentsの訳語が「裁判」であるのは誤訳で「諸判決」とせよということらしい。私は日本語として「裁判」には「裁判結果」が含まれるのだから、たいした違いが感じられないが、ようは極東国際軍事裁判の判決は受け入れたが、その裁判自体を受け入れたわけではないと小林よしのりなどは主張したいらしい。よくわからないのだが、極東国際軍事裁判の正当性をすべて日本国は受け入れたはずだということへの反対論のようでもある。
私にはそうした議論の重要性がよくわからない。いずれにせよ、この第一一条だが。
第十一条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない
ようは、極東国際軍事裁判所の判決によって執行された刑について、日本が主権を回復したからって勝手に執行取りやめとかするんじゃないよ、というだけのことではないのか。とすれば、受刑者の存在しない今、もう終わった話ではないかと思うが。
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コメント
この本読んでいないので詳細はわかりませんが、
"sovereignty"という単語を記載している以上、国内主権と対外主権を分けて前者しか認めていない、という主張は成り立ちません。この単語をwikipediaなどで調べればそのような解釈ができないのは明らかです。苫米地氏には"sovereignty"という単語と"governance"という単語の意味の違いを説明してください。とお願いしたいですね。
投稿: F.Nakajima | 2006.09.09 18:57
「裁判」と訳すのか「判決」と訳すのかという論争は、
> ようは、極東国際軍事裁判所の判決によって執行された刑について、日本が主権を回復したからって勝手に執行取りやめとかするんじゃないよ、というだけのことではないのか。とすれば、受刑者の存在しない今、もう終わった話ではないかと思うが。
まさに、↑のように理解するのか「特定の歴史観に拘束される」のかという論争です。そういう意味で極東さんは小林とおなじ主張をしています。
というか、近代国家がこの歴史解釈を正統としなさい!と決めることなんかあり得ないし、独立したんだから共産主義だろうが皇国史観だろうが好きにすればってな問題だと思うのですが。。
投稿: きゃべじん | 2006.09.09 19:00
>極東国際軍事裁判の判決は受け入れたが、その裁判自体を受け入れたわけではないと小林よしのりなどは主張したいらしい。よくわからないのだが、極東国際軍事裁判の正当性をすべて日本国は受け入れたはずだ
これは法律論としておかしな話です。裁判におけるJudgementあるいは判決というのは有罪もしくは無罪の二つの結論しかありません。被告が判決には部分的に納得できない部分があるが判決自体の効力は認める。といった恣意的な解釈はできないのです。判決を受け入れた段階で被告の意思がどうあろうと判決に書かれた全ての項目を認めるというのが法解釈の基本です。それがいやならその部分の事実認定のやり直しを求めるか、判決自体を認めない。という選択肢しかあり得ません。
>近代国家がこの歴史解釈を正統としなさい!と決めることなんかあり得ないし、
あり得ます。法律や外交条約などは一定の歴史解釈を基にして制定・解釈されていますし、司法でもそれを基にして判決を出しています。
投稿: F.Nakajima | 2006.09.09 21:36
英語の文章として素直に読めば「all being equally authentic」は「in the English, French, and Spanish languages」だけにかかり「in the Japanese language」にはかからない、という苫米地解釈になる。
「sovereignty」については F.Nakajima さんに一票。
元の文の前後の文脈を見ないと分からないけど、「日本の人々は、帝国主義より軍部に取られて失っていた主権を、この連合国との条約のおかげで取り戻すことができた」という解釈は無茶苦茶であるように見える。「It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom」をそのまま読めば「取られていた」相手は「軍部」でも「政府」でもなく戦後の占領軍でしょう。敗戦によって失った主権を回復する、という意味に取るのが一番自然では。
「judgement」は「判決」と訳す方が原義に近いかな。どっちにせよ受け入れる主体は「政府」であろうから、我々「people」が受け入れる義務までは無い。
「受刑者の存在しない今、もう終わった話」については、後で、受刑者は国内法の犯罪者に当たらないと国会決議して、遺族にも恩給を払ってるんじゃなかったっけ。安倍氏が今でもそのリクツを使ってるからそういう意味では終わってない。
投稿: 欣 | 2006.09.10 00:14
こんばんは!
私は基本的には、プログ主さんの最後の見解(受刑者の刑の執行の問題で且つ終わった話し)に賛成です。
条約の11条文言を「裁判」と訳すか「判決」と訳すかの問題も確かにあります。この条約の解釈しだいで「東京裁判」全体の正当性を受け入れたこと(「裁判」ということになれば)に一見なりそうですね。
しかし、「東京裁判」は、戦勝国が敗戦国を裁いた超法規的な裁判、(1)その条文「解釈」や(2)その「正当性」云々を論じるのはナンセンスだと思います。各国の力戦略・外交戦略によって克服すべき問題だと考えます。
(1)の条文解釈については、国際法(条約等)は、国内法と異なり、法解釈を決定する絶対的機関(国内法の最高裁とかのような)存在しない。(2)の正当性については、戦勝国が敗戦国を戦争の延長として裁いたもので、法理論を超えたところでなされた裁判です。そのような裁判の法的正当性を議論することはナンセンスと考えます。
各国それぞれの立場・思惑で「東京裁判」をまだ終わっていないと蒸し返したい勢力もあれば、 逆に「終わったこと」としたい勢力もあり、今現在は、まさにそのパワーポリティックスの真っ只中だと思います。
投稿: Gくん | 2006.09.10 02:33
はーい!みなさん!!
おのおの方の「心の問題」で、
良いのではないでしょうか?
投稿: けろやん。 | 2006.09.10 07:28
逆に考えれば、というか結果的には、受け入れる(accepts)ことで日本が連合国を赦免(amnety)することの宣言になるのでは。
そもそも「東京裁判」は不法なものだから、日本が受け容れを宣言しなければ連合国の不正義が、そのまま残ることになる。
投稿: by-passer | 2006.09.10 07:35
講和条約で受け入れたから独立できた、という理屈がよくわからないんですが。
じゃあ今日本政府は東京裁判の解釈を否定すると言ったら独立取り消しになるんですか?講和もやり直し?
政治的思惑は兎も角として外国が歴史解釈を押しつけるなんてことできるの??
たしかに当時は不承不承東京裁判にしたがったふりをして独立を果たしたかもしれないけど、そもそも長期占領自体が不当なのだし、いまの日本国はいちおう独立国なのだから自由に解釈すれば良いのでは?
なんだか「憲法9条」にあるから戦争反対とか言っているのと同次元の議論のような気がする。
投稿: パイカル | 2006.09.10 11:16
>そのような裁判の法的正当性を議論することはナンセンスと考えます。
それは国際法上正しい解釈です。但し、いったん正当性を受諾したものを取り消すとどこに問題が発生するのを考えて見てください。
>いまの日本国はいちおう独立国なのだから自由に解釈すれば良いのでは?
日本は先の講和条約で東京裁判を受諾し、講和条約に調印しました。さて、では
>今日本政府は東京裁判の解釈を否定すると言ったら独立取り消しになるんですか?講和もやり直し?
にはなりません。が、戦後のありとあらゆる外交関係の基礎になっている講和条約を否定するんですから、これまで戦後60年間築き上げてきたその後外交関係の覚書や条約の類のうちかなりのものを廃棄しなければならないでしょう。もちろん他国との外交関係は全て一旦ちゃらです。しかもこちらが一方的に廃棄宣言するのですから他国との関係悪化は必至です。そこからどうやったらもう一度外交関係を再構築できるのか、私にはさっぱりわかりません。
投稿: F.Nakajima | 2006.09.10 15:10
裁判という名前がついてますが戦犯処刑は基本的に戦争の延長線上にあるものでしょう。靖国神社が戦死者と戦犯を同列に扱うのはそういう意味。ポツダム宣言で日本軍の武装解除を受け入れさせたあと、講和で正式に戦争が終結するまでの間に連合軍が日本の軍人政治家を監禁・殺害したということであって、11条の裁判受け入れは連合軍が空襲原爆や戦闘行為で日本人を殺したことの責任追及を日本政府がやらないのと同様の話だと思います。
投稿: ● | 2006.09.10 18:02
やっぱりわからないなあ。
講和条約は廃棄するつもりない。でも東京裁判はむちゃくちゃだし、控訴もできない。それを一言一句永久に正しいことにする義務があるといっても国民としては納得できないんじゃない。条約の具体的処分は受け入れても「解釈」は自由なのじゃないの。身体は拘束されても心は自由だ、なんてね。
今後東京裁判の歴史観にそぐわない条約が結ばれても東京裁判の歴史観に違反しているから無効とはならないでしょう。
投稿: パイカル | 2006.09.10 22:56
こんばんは!
「東京裁判」は、敗戦国日本に対し、戦勝国が責任を追及し、その結果を日本国・日本人もしぶしぶそれを認め、講和条約を経て主権を回復しました。
私個人としましては、東京裁判とSF講和条約は、敗戦直後の日本に「総括」(この言葉好きではありませんが)と”けじめ”を付けた点で、過小評価も過大評価もすべきでなく、それなりの役割があったと考えたいです。
投稿: Gくん | 2006.09.11 00:52
別に講和条約を「永久に正しいことにする」義務なんていうものはありません。「納得できない」んだったら条約の廃棄はそれこそ我が国のsovereigntyに属することですから一方的にやればいいんです。
勿論、この国は言論の自由が認められているのですから、「自由に解釈」すればよいのです。
但し、言うのは勝手ですが、その言動や行為の責任は負わねばなりません。やりたいことはやる、しかし責任を負うのはいやだ。というのは単なるエゴです。
>今後東京裁判の歴史観にそぐわない条約が結ばれても東京裁判の歴史観に違反しているから無効とはならないでしょう。
いや、結ぶ前に国会批准の段階でどちらを認めるかで責任論に発展します。勝手に矛盾した条約の並存を認めたら、実際の法の適用段階でどちらを適用するのか問題になります。
投稿: F.Nakajima | 2006.09.11 20:48
バイカルさん、それが戦争に負けるということだと思います。嫌なら負けてはいけないのでしょう。
投稿: na | 2006.09.12 18:03
こんにちは!
私も、バイカルさんの”抵抗”する気持ちはわかります。
”勝負は時の運”という言葉もあるとおり、最近は、さすがに先の大戦について、戦勝国・敗戦国の関連での議論は薄れつつあるように思います。 今は、被害者感情の主張(中韓など)が台頭して来ている印象を私は受けます。
投稿: Gくん | 2006.09.14 11:43
まあ、右側の皆さんは東京裁判に「不満」を持っているようですが、サンフランシスコ講和条約で日本国は「文句有りまへん」と言ったから、アメリカに抗議しても「サンフランシスコ講和条約で解決した。日本国が承諾した」と言われて、終わりだね。これも、「日教組、左翼の責任」ですか??
投稿: 隼大好き | 2010.08.10 00:05