栃ノ華はどうしているだろうかと思っていた
十九日から始まった大相撲台湾巡業が昨日終わった。成功裏に終わったようだ。興業としては七十年ぶり。言うまでもなく前回は日本統治下のこと。そのころからの相撲好きもいるだろうが、台湾ではNHK(ワールドプレミアム)を通して相撲が見られるので戦後のファンも多いだろう。そういえば、引退した栃ノ華はどうしているだろうかと思っていた。
六月七日の毎日新聞夕刊に”人模様:70年ぶり台湾巡業「楽しみ」--元十両・栃ノ華の劉朝恵さん”という記事があり、元気なようすが少し報道されていた。
劉さんは、相撲ファンの父親の勧めで春日野部屋に入門し、80年5月に初土俵を踏んだ。しこ名は、台湾の正式名称「中華民国」にちなんで名付けられた。最近は外国人力士の活躍が目覚ましく、今年の夏場所では三役以上を5人が占めるほどだが、当時はまだ、外国人力士は珍しい時代だった。85年5月に十両に昇進した。
その後についてはごく簡単に触れられていた。
十両を通算13場所務め、けがのため87年の9月場所を最後に引退。その後も日本に在住し、今年1月に台北に戻ってきたばかり。「巡業を機会に台湾でも相撲ファンが広がれば」と期待している。
記事には日本に在住とあるのだがそうなんだろうか。昨日のNHKのラジオで聞いた現地の日本人会の人の話では、現在はビジネスマンとして友人の会社の副社長をされているとのこと。現在でも一五〇キロの巨漢らしい。今回の巡業ではいろいろと解説役としてメディアにも登場したそうだ。
毎日新聞の記事では当然GHQ漢字で「劉朝恵」とあるが簡略漢字でなければ「劉朝惠」であり、グーグルニューズの台湾版・香港版でこの名称で検索すると、いくつか関連のニュースが出てくる。聯合新聞網”台灣力士第1人》劉朝惠 塊頭猶在”(参照)には近影と最近のインタビューがあった。ヤフーの翻訳をベタに引用する。
劉朝恵は、今年、やっと妻が台へ帰って定住することを持って、差し当たって台中に1個の生物科学技術会社は副社長を担当して、差し当たって仕事はすでに相撲とかかわりがなくて、ただ「体の型」からやっとぼんやりと昔風貌を見つける。
奥さんは日本人なのだろうか。いずれにせよ、台湾に定住するということ、仕事はバイオテクノロジー関連なのだろうなと察する。
しかし劉朝恵は行き来を笑いながら雑談して、ただ実は「長く作ることを学ぶ」が厳格である相撲生活はともに過ごしにくくて、いままで到達したことがある日本が相撲を学ぶことの台湾人の8、9人、大半は因が耐えることができないことであり先輩は「卒業」をしつけてそれで早めて、劉朝恵は「意志の力」に依っていて、台湾の「相撲の第1人」になる。
栃ノ華以外にも台湾出身力士がいたようで、この話はいわゆる辛抱が大切といった話だろう。
今回の巡業を機会に台湾でもいっそう日本の相撲人気が高まるように思う。
そういえば、韓国で相撲巡業があったのは二〇〇四年。一九四三年の「中国・満州・朝鮮巡業」以来で六十一年ぶりということであった。この巡業も現地では歓迎されたが、韓国には韓国の伝統競技「シルム」があるといった話題もあった。関連の記事は、「極東ブログ: 韓国の大相撲興行にふれて」(参照)で書いたことがある。今読み返すと、今ならこういう書き方はしないかな。
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コメント
今読み返して今ならやる書き方を提示するとベター
投稿: ハナ毛 | 2006.08.22 18:20
そういえば福建省出身の清乃華さんはちゃんこ屋を経営されているそうです。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/taberu/067.html
投稿: kok | 2006.08.22 20:51