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2006.08.01

小二女児プール死亡事故に思う

 小二女児プール死亡事故は痛ましいかった、で、済む話というわけでもない。ブログ、「大石英司の代替空港」のエントリ”業務委託と供に責任も丸投げ ”(参照)に共感する部分は多い。


 私が親だったら、8連装ミサイル・ポッド付きレールキャノンで……、いやここはやはりアプサラス3で焼き尽くすか、それは痛みを感じないし、やはりビグザムのクローで市の担当者を踏み潰すね。4、5人に責任取って貰いますね。まさか子供が遊ぶプールで、そんな危険な状況が放置されているなんて思いもよらないですよ。

 大石先生の華麗な修辞の先には、責任追及と背景にある無責任な社会構造への批判がある。ただ「そんな危険な状況が放置されているなんて思いもよらないですよ」なのかというと、そうとばかりも言い切れない。
 昨年の読売新聞記事”学校プールの安全対策 排水口は大丈夫?”(2005.07.03)では、学校プールについてではあるが、排水口の危険性について紙面を割いて扱っていた。

 学校のプールで排水口に子どもが足を吸い込まれる事故が毎年のように発生している。ところが、安全管理が不十分なまま排水口が放置されているケースの多いことが最近の調査でわかった。関係機関はプールの管理者に対して「排水口のふたはボルトやネジでしっかりとめてほしい」と呼びかけている。
 プールの排水口は、通常、格子状のふたで覆われている。しかし、何らかの原因でこのふたがはずれ、子どもの足などが吸い込まれると、水圧がかかって引き抜くことが困難になる。危険を知らない子どもたちがふたを外して遊んだりするケースもあるとみられる。

 この記事では主に学校のプールを話題としているので排水口も小さいと想定されているのだが、危険性が低いわけではない。

 同協会のまとめでは、1966年から昨年までの間に、全国のプールで約60件の吸い込み事故が発生し、事故に巻き込まれた子どもの多くは死亡している。昨年は新潟県内の町営プールで小学生が死亡したほか、茨城県内の高校でも生徒が一時重体になる事故があった。

 排水口の構造の問題などもある。また古いプールで事故が発生しやすいようだ。学校のプールについては、排水口の実態調査に加え一九九六年に当時の文部省の通達があり、危険性についてはそれなりによく知られているようだ。公共プールについては文部省管轄ではないだろうから管理面はどうだっただろうか。
 ざっくりと過去の同種の事件を見直すと、排水口による事故は少なくはない。気分が重くなってくるような記事がいくつもある。
 先日二十日の読売新聞”旧横越の小6プール死 地検は控訴せず=新潟”(2006.07.20)では、二〇〇四年のプール排水口事故の裁判を扱っていた。

 旧横越町(新潟市)の町民プールで2004年7月、遊泳中の小学6年男児(当時12歳)がふたのはずれた排水口に吸い込まれて死亡した事故を巡る裁判で、新潟地検は19日、業務上過失致死罪に問われた当時の町職員2被告に対する新潟地裁判決(罰金50万円)について、控訴しないことを決めた。

 この裁判の過程を簡単に眺めてみたが評価に苦しむ。この事件での排水口の吸引力はそれほど大きなものでもなかったようだが、排水口が小さく、その吸引力が弱いとしても、溺死誘因の危険性は大きい。

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「時事」カテゴリの記事

コメント

こういう事故の一番の問題は蓋が外れていたことですね。
蓋は吸い込み面積を広くし単位面積あたりの吸引力を弱くする用に作られていますので、
蓋があればこういう事故はまず起こらない。
外れないように埋め込めばいいのにと思うけど、清掃時に外す必要があるのですかね。

ちなみにプールの大きさが同じであれば、排水口が小さいとむしろ吸引力は強いです。

投稿: うps | 2006.08.01 17:21

finalventさん
お久しぶりです。

わたしはかつて六本木の回転ドア事故のときのあなたの「雑感」を批判しました。そんなことがあって、今回の事故での貴方らしい見解を読みたくてお邪魔しました。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/03/post_51.html

私は、管理側の杜撰さの程度の差はあるかもしれませんが、事故の本質、安全軽視の管理という点では、今回もまったく変わらないと思います。

そういう意味では、「何でも安全だという信仰は間違いだ」というあなたの論調が、今回も成り立つはずです。

また、子供が排水溝を覗きにきたかもしれない(英語でいうと、Head firstだ)ということも否定しきれません。

さらに、プール排水溝の事故は回転ドア事故よりも親たちに知られています。

そう考えると、あのときのfinalventさんの論調は、今回の事故のほうが相応しいように思えます。

回転ドア事故のときのfinalventさんの論点を一部採録します。

> エスカレーターの乗り方もなっていないわ、地下鉄で電車を待つにもラインを出る。歩道はさっさと歩かない。親はどういうしつけをしているのかと思った。ある意味で、都市部で住んでいても、都市を生きるという生活習慣ができていないのだろう。そんなこともあって、この事件でも子供の行動の問題が背景にあるのでは、と思ったわけだ。

> こうした事件の再発を防ぐという問題で見るなら、こうした企業側・警察側の安全対策では解決されはしない。もし、そう考えるならそれは間違った安全神話を信仰していることになる。一義的には、子供の安全は、親や付き添いの大人が考えなくてはならない。(そしてそれにはセンスが必要になるのだ。)

> ドアというものが元来西洋の文化そのものであるのに、その文化性は日本に定着していないのだな、と思う。

今回の上記の文章では、これらの論調は全く影をひそめています。私の凡庸な意見と変わらないといってもいいでしょう。貴方らしい論点は、流れるプールでは適用できないのでしょうか?

もし宜しかったら、前回の回転ドア事故と今回の流れるプールの事故とで、根本的にどこがどう違うのか、ご教示くだされば幸いです。文化の問題とするか、技術の問題とするか、視点を切り分けるポイントを知ることは、現代に生きる親として必須のことかと存じますので。

投稿: late_mhk | 2006.08.01 17:47

late_mhkさん、こんにちは。うまく噛み合ってないかもしれませんが、二つのことがあります。一つはlate_mhkさんの前回のご指摘で私が随分考えを変えたということがあります。経緯はlate_mhkさんがリンクされたエントリに加え、以下のエントリもご参照ください。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/03/post_53.html

なので。

>貴方らしい論点は、流れるプールでは適用できないのでしょうか?

そういう論点を保持しているわけではありません。

>そういう意味では、「何でも安全だという信仰は間違いだ」というあな
>たの論調が、今回も成り立つはずです。

現在はそうした論を採っていません。

では現状ではどう考えているか。こうした問題はシステム的に安全なければならないということです。

その意味で。

>私は、管理側の杜撰さの程度の差はあるかもしれませんが、事故の
>本質、安全軽視の管理という点では、今回もまったく変わらないと
>思います。

に異論はありません。もう少し私の心情を述べるなら、late_mhkさんに誤解されている印象はあります。

もう一つはブログを続けながらタッチーな問題はあまり刺激的に書かないようにしているということがあります。嫌味な趣向にしたいわけではありませんが、注意して私のエントリを読まれるかたは、誤字・脱字の発見の後で、ちょっとした私の思いに気が付かれることがあるかもしれません。今回のエントリも二カ所ほどそうした痕跡を残しました。というか元のエントリの下書き部分をいくつか削除しました。

あまり刺激的にならず、ちょっとだけ振り返ってみます(削除部分の戻しではありません)。一つは管理体制の問題です。学校プールは文科省下ですが市民プールはどういう管轄だったのだろうか。文科省のようであれば管理体制はよかったのだろうか。その疑問です。もう一つは旧横越の小6プール死の裁判経緯における責任追及の問題です。こんなにも責任は軽いのかというと公が責任の所在を明確にしていないように思えたことです。ただ、そう私が追求できるのか、誰を無意味に責めているだけではないのかというのが慎んだ理由です。

late_mhkさんのご指摘の文脈に戻ります。すでに気が付かれたかと思いますが、今回は事件の客観的な部分についての考察をエントリでは避けました。というのは、late_mhkさんがご指摘のようにHead firstというか子供にありがちな関心行為の可能性が否定できなく思えたのです。ただ、それは可能性の一つに過ぎませんし、それをエントリで書くことで不用意な誤解を招きたくはないと思いました。

>もし宜しかったら、前回の回転ドア事故と今回の流れるプールの事故
>とで、根本的にどこがどう違うのか、ご教示くだされば幸いです。文
>化の問題とするか、技術の問題とするか、視点を切り分けるポイント
>を知ることは、現代に生きる親として必須のことかと存じますので。

文化か技術かというふうにな切り分けでは考えていませんでした。ただ、しいていうなら、ドアの扱い方には文化があります。欧米人はドアの扱いをマナーとして学びます(このマナーは危険を避けるためです)。これに対して、プールの対応には文化があるか、よくわかりません。私の世代では、川遊びをしたものですが、川遊びには文化があり、その危険を避ける行為は教えられたものです。

「前回の回転ドア事故と今回の流れるプールの事故とで、根本的にどこがどう違うのか」については、late_mhkさんの意図されていることと違うのかもしれませんが、私はこう考えました、メディアの通知と私たちのメディアへの対処です。私の認識間違いかもしれませんが、ヒルズ回転ドアの事故以前には事故報道はあまりありませんでした。もちろんゼロではありませんが、通常の回転ドアはヒルズ回転ドアとは異なるためか重大な事故報道は見かけませんでした。これに対して、排水口による事件報道はエントリでも触れたように毎年繰り返されていますし、過去の死傷者数もかなりの数です。

つまり、排水口事故については、これだけメディアで報道されても実際の管理には結びついていないのだと思いました。

投稿: finalvent | 2006.08.01 18:39

引用エントリ乙。で、コメントの方が長いと。自分で消化してない話を無理に書くのはや・め・れ。プールで水でも浴びてろ、と思うぞ(占い)。

投稿: アノレファブロガーズ | 2006.08.01 19:47

 まあフツーに。排水溝の周辺で事故っていうか不具合が起きた場合、

 早急に直す。早急に直せない場合、運営を中止する。
 部品・道具を取りに逝く時は人を残して見張りさせる。
 別の柵を用意するなどして手軽に進入できないようにする。

 このへんは、まず常識でしょ。
 ぶっちゃけ挟まれて死ぬ子供の過半数は馬鹿だから、そういう手立てを取ったとしても、面白半分で進入しちゃうかもしれない。
 でもまあ、施設管理側としては、そんなの承知の上で「手軽に飲み込まれないための措置」を講じるのは、常識の範疇。

 施設運営側がどんな経緯を説明するのか知らんけど、多分、上記↑のような手立ては何一つ取って無いだろーなと思いますな。
 言うだけ野暮(火に油)で、ひたすら平身低頭してたほうがいいんじゃないかと。迂闊に説明すると、とんでもねー実態が明らかになりそうでつね。

投稿: 私 | 2006.08.01 21:33

 事故は、予想外のところで起きるのは当たり前。こういったケースでは、蓋が外れないようにするのはもちろんですが、外れても吸い込まれないようにするのがより本質的な対策でしょう。例えば、蓋が外れたらポンプが自動停止する仕組みです。しかし、緊急停止が頻繁に起こるようではパロマのように安全装置に細工してしまうケースが出てくる訳で、その辺をどうするかの方が重要な問題のような気もしますがどうなんでしょう。
 安全第一で考えれば、吸水するのではなく、オーバーフローするする水を回収して送水するシステムであれば、吸い込まれる事故は起こりえないのでは。

投稿: 名無し | 2006.08.01 21:57

今日、今回の事件を受けて調査を行った団体ことをテレビで見ました。たしか千代田区の教育委員会だったかな。
そこの調査結果では「学校のプールは子供がいる間は給排水しないので排水口は安全だよ」というものでした。

言われて見れば水泳競技で使うプールに吸引力を持った排水口はありません。(少なくとも競技中は)

今回事故が起きたのはいわゆる流れるプールってやつですね。
私も子供の頃今回のプールと似た機構の排水口に張り付いて遊びました。
経験上から言っても古い機構のプールであることは間違いないですね。
水中というただでさえ人の生存が不可能な場所にある人間の入ってしまうスキマなのに、吸い込んだときの検知機構も排出機構もない。
同型のプール一斉改修が必要なんでしょうが、そういう声がないのは圧力ですかね。まさかとは思いますが。

投稿: hamanako | 2006.08.01 22:34

finalventさん
詳細なお返事ありがとう御座います。

六本木ヒルズ回転ドアの事故について、finalventさんがその後さまざまな考察をされたことがよくわかりました。あとから書かれたものも、熟読させていただきます。

私が先の回転ドア事故に対してもった怒りは、「安全」を技術化する営為が失われつつあることへの憤りでした。そのため、事故の内容やそれまでの事故履歴も明らかにならないうちから上がった、「親の責任」論や「安全信仰に依存するな」論は、私には『「安全」を技術化しなくてもいい』論にきこえ、とても我慢ならなかったからでした。

その後、関係者による真摯な事故調査が行なわれ、事故の本質的な原因が明らかにされたことを、NHKのドキュメンタリー番組で知りました。

結果、事故の本質は「人がはさまれても人を殺さないように」基本設計されていたものが、日本に導入されて、大型化、ステンレス化など設計変更されて、「人がはさまれたら人を殺してしまうように」なってしまったことが判明したそうです。

回転ドアの容量、強度、スピードetcといった属性の実現は技術的に踏襲されていても、「人を殺さない」という属性は、設計変更とともに抜け落ちてしまっていた、とのことでした。

わたしは、こうした事故解明の過程を知り、大きな憤りを感じるとともに、私と同じような危惧を第一線の技術者の方々も抱いていたことを知って、とても安心したのでした。

すなわち、どんなことが起こっても「回転ドアは人を決して殺してはいけない」「流れるプールは決して人を殺さない」、という技術(マネジメントを含めた広い意味の)を放棄してないことを知ったからです。

その日初めて雇われた高校生アルバイトが監視員をやっていても「人は絶対殺さない」プールをつくりましょう。誰が悪いという刑事責任の問題よりも、「人を殺さないプール」をどうやって作るかということが一番大切です。ビルオーナーや市長さんは、これからの発注仕様書には「絶対に人を殺さない」という要求品質を書き込むべきです。

これを、注意力怠慢とか手抜きとか言ってる限り、こうした事故はなくならないでしょう。どんなボンクラが扱っても「人は殺さないプールをつくる」。マネジメントを含めた広い意味での「安全の技術化」、これを実現することが一番大事だと思います。

わが国がものづくりに燃えていた頃、「安全」と「品質」はともに高めあう両輪として技術進歩がなされてきました。しかし、何時の頃からか「安全」と「品質」は切り放され、「安全」は技術の問題ではなく心構え(修身)の問題に貶められてしまいました。もしかすると、「安全」はコストパフォーマンスの阻害要因になってしまったのかもしれません。

「不安全」の結果責任、命の弁償コストを今の100倍くらいに吊り上げることも、もしかすると、「安全の技術化」の一つかもしれません。1970~1990頃に較べて最近は、命の値段が相対的にそうとう軽くなってきたのではないでしょうか。

投稿: late_mhk | 2006.08.01 23:12

late_mhk 様
1970~1980中頃の話です。川遊びをしていた同級生の弟が溺死しました。バイトに自転車で行こうとしていた小学校の同級生がダンプに轢かれて即死しました。16歳でした。バイクで安全運転をしていた高校の同級生が自動車に引っ掛けられて亡くなりました。19歳でした。
PL事故は防止されなければなりませんが、本質的に生は死と隣り合わせです。誰も安心しきることは許されません。その点だけはお忘れなく。

投稿: | 2006.08.02 00:32

状況と形態が異なる、回転ドアと流れるプールを同列にして当該エントリーを論ずることには、少々違和感を覚えますが(汗、…それはともかくとして、何か「はてぶ」で話題になっているので、妙にダブって感じるのかもしれませんが、PL法対策とかISO9000とか、企業のコンプライアンスが表面で整備しつつある一方で、過剰なアウトソーシングとかフリーター常用とか、業務内容や雇用形態が、ものすごい速さで変質していく状況なかで、従業者の職業的意識が、その人達を供給するバックボーンも含めて、どんどん貧困化というか、許容を超えて瓦解し始めているんじゃないかと…。

投稿: uiui | 2006.08.02 07:12

今後作られるプールは今回の事故を教訓として問題なく作られるのではないでしょうかと、ただ危険が潜んでいる既存のプールはどうなんでしょう。事件が改修動機になればよいのですが。
「あの穴にだれか吸い込まれたら面白いことになるかも」などと思う子供がいてもおかしくないですし、無邪気に安全柵をはずしてみて、わくわく待っていたとか、想像するに恐ろしいことです。

投稿: kakipi | 2006.08.02 08:38

late_mhkさん。
「人を絶対に殺さない」施設、装置、器具を、開発する側、運営する側が模索するのは人道的に正しいとは思いますが、現実を冷静にみてみると、川や海で溺死、山で遭難死、木登りしていて落下骨折死、その他諸々、子どもの生活と死とは隣りあわせです。
私の知人、そして親族の中にも、不慮の事故で命を落とした子どもがいますし、「絶対に殺さない」ことは現実問題として不可能なのです。
たとえば、自転車に乗っていて坂を転落して大けがするなんてことも家族にありましたが、自転車は「決して危険じゃない乗り物であるべき」でしょうか?

late_mhkさんが熱意をもって宣言されるお気持ちには賛同しますが、そこが全産業の営為の起点になるべき!とまで思いません。
たとえば、川で子を亡くした親と、流れるプールで子を亡くした親。
前者はPL法を問えません。川の管理社に責任をとってもらうこともできない場合が多々あります。強いていうなら、親の責任かもしれませんが、本質的に誰の責任でもない、どうしようもない事故というものが常にあるにも関わらず、PL法が適応できる先にだけ、無限責任を求めるというのはどうなんでしょうか…

とはいえ、私としては、今回の問題は人災に近いと思っています。
過去に似たケースで子どもが死ぬか重篤な状態に巻き込まれており、それを回避するには、ささやかな改善・注意を徹底しさえすればよかったからです。プールを作り直す必要はありません。吸水・排水口周辺に限って徹底した安全性を高めればよかったのに、それがなされていなかったことが大問題でしょう。
子どもは危険なものを面白がり喜ぶ生き物です。子どもが多い施設で、子どもたちが給水口付近で遊ぶことを根絶させられない以上、「吸い込まれない仕組み」を同時提供すべきだった、と思っています。

投稿: H.T | 2006.08.02 12:22

これはどう見ても人災でしょ?「防ぐことが出来た」事故ですもんねぇ。川で云々ていうのと同列ではないでしょう。

あと、社会構造が崩れてきてるとかってのもこじつけ感がありますね。いつの時点と比較してそんなことが言えるんだと。

ただ、危険に対する意識というか、「こうしたらこうなるから危ない」ってな想像力が全般的に欠如しているような気はしますね。

蓋が外れているのを知りながら、管理側も利用者も使用を中止しなかったという点が一番問題なんじゃないですかね・・・。

投稿: nana | 2006.08.02 14:03

 よく考えてみると、プールの内壁側から金具が取り付けてあるんですね。なんで? って感じ。内壁側から取り付ける工法が安くつくんですかね?

 内壁に金具取り付けてボルトで固定って、そりゃ外れるでしょ。

(水流)→→→ │
   (内壁) │☆←(ボルト固定

↑要は、こういう形でしょう? 水圧考えろよって感じ?

(水流)→→→ │
   (内壁)☆│←(内壁がボルト・金網を支える形

↑こうは成らないんですかね? 水圧が強いとコンクリが傷むとか耐久力がどうとか問題あるのかもしれんけど、「ボルトが外れるのが危険」なら、外れにくい工法を採用すればいいわけで。

 なんでそーやらなかったんですかね? 無知な私には謎ですな。

投稿: 私 | 2006.08.13 07:16

☆上から見た図

内壁↓ ↓内壁
  │☆│←←←(水流)
  │☆│←←←
   ↑鉄板・金網を挟み込む

 ↑こういう工法だってアリでしょ。なんでそーしてないの? とも。やっぱ、事故起こした工法のほうが安くつくからですかね?

投稿: 私 | 2006.08.13 07:19

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受信: 2006.08.04 04:16

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