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2006.08.15

終戦メモ

 今朝の読売新聞社説”[終戦の日]「『昭和戦争』の責任を問う」”(参照)を読んで困ったもんだなと思い、いやいやそんなものさと明るく笑って忘れることにするか苦笑に抑えるべきかちと迷ったのだが、考えてみれば憲法私案の読売新聞なんだからどうでもいいやということにしたものの、さすがにこの一点はどうなんでしょと思ったことがあったので、簡単にメモ書きしておきたい。


 また、同じく「A級戦犯」で、終身刑の判決を受けた賀屋興宣蔵相には、日米開戦時の閣僚だったという以外の戦争責任は見当たらない。しかも、開戦には反対していた。
 逆に、戦争を終結に導いた“功績”がしばしば語られてきた鈴木貫太郎首相にも、「終戦」の時期を先送りして原爆投下とソ連の参戦を招いたという意味での戦争責任があった。

 読売様によると、開戦に反対した賀屋興宣は無罪で、終戦に尽力された鈴木貫太郎が有罪ですか。私は天を仰ぐ。まあ、男の人生というのはそんなものかいう一般論でもあるが、さすがに隔世の感はあるな。
 ウィキペディアにも面白いことが書いてあるかなと覗くと懸念した方向とは別だった(参照)。

その後の天皇臨席での最高戦争指導会議(御前会議)で、鈴木は従来の多数決にせず、いきなり起立した。陸軍大臣・阿南惟幾が鈴木の行動の裏にあるものを直感して止めようとした。鈴木が御前会議の慣例を破って、天皇の和平を望む発言を引き出そうとしている、と悟ったのだ。鈴木は阿南の制止を無視し、「陛下の思召をもってこの会議の結論にしたいと存じます。」という言葉を搾り出した。天皇は涙ながらに、ポツダム宣言受諾の心情を吐露した。鈴木は天皇の口から直接意見を言わせることで、大戦争を終わらせた。

cover
昭和史の
謎を追う〈下〉
 「その後の天皇臨席」の日時がこの項目から読み取れないが八月九日深夜である。「昭和史の謎を追う〈下〉」(参照)の終戦史再開(上)で補足すると次のようだった。

 八月九日深夜の最高戦争指導会議構成員(六巨頭に平沼枢密院議長を加えた)による御前会議は、無条件降伏を要求しているポツダム宣言の受諾をめぐり、国体護持(天皇制の保全)だけを条件とする東郷外相と、四条件(自発的武装解除、連合軍の進駐拒否、戦犯を処罰しない、を加えたもの)付きを主張する阿南陸相の意見が対立し、東郷を支持する米内、平沼と、阿南を支持する梅津参謀総長、豊田軍令部総長が三対三で分かれた。
 多数決なら鈴木が票を投じて四対三となるところだが、首相は進み出て聖断を仰ぎ、天皇は外相案に賛成すると述べ、ひきつづき開いた閣議も、この結論を承認した。

 阿南派を巧妙に排除する鈴木貫太郎の機転のように思われるがそうではなかった。

 さて、ここで登場した「聖断」は、前年夏頃から木戸内大臣を含む重臣の間でひそかに検討されていた秘策で、鈴木のとっさの思いつきではなかった。ただし、聖断には憲法上の根拠はなく、御前会議も法制的裏付けのない懇談の場にすぎないという弱点があった。

 平沼の去就には後日譚があるが省略するとして、これを機に阿南陸相夫人実弟竹下正彦中佐らはこの動向を覆すべく十四日午前十時にクーデターを計画するが不発に終わった。梅津参謀総長が同意しなかったためである。不穏な動きは他にもあるが省略。
 が、直後梅津に動きがあったという流れが出た。

 その梅津が変心してやる気になった、との情報が原中佐から竹下の耳に入ったのは、十四日の十一時ごろである。意気消沈していた竹下は気を取り直し、「兵力使用第二案」を急ぎ起案して、御前会議のため宮中に入っていた阿南陸相のもとにかけつける。

cover
日本のいちばん長い日
 結果は有名な「阿南を斬ってからやれ」ということで阿南がその場を収めた。ちなみにこの夜、阿南はポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で「一死、大罪を謝す」(参照)として自刃。絶命したのは翌十五日。三島由紀夫のように介錯があれば切腹は短時間で死ねるものだが、そうでないととても痛いし苦しい。よい子はまねしないように。
 鈴木を断罪した読売新聞様は阿南については疑問もなく断罪で済むかもしれないが、歴史を考える者にしてみると阿南の評価は難しい。
 「昭和史の謎を追う〈下〉」では面白い視点を出している。

 ところが数年前、親泊朝省大佐(大本営報道部員)が九月三日の自決に際して上司の報道部長あてた遺書が、茶園義男によって発見された。この遺書には「国体護持ができぬ事を明瞭知りつつ奸賊をさえ斬る機会を有たなかった憾み――天なり命なり……聖将阿南閣下の後を慕わせていただき度いと存じます」とあり、今も健在の上田少将はこの「奸賊」が米内海省を指すと認めた(『増刊歴史と人物』一九六八年、の茶園稿)。

 阿南は米内を斬れとも口走っていたらしいが、阿南に立ちふさがったのは米内光政であったか。

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コメント

一寸したトリビアです。
 我が国の状況との余りの違いに苦いものがこみ上げてきます。


http://primordial22.blogspot.com/2006_03_01_primordial22_archive.html 3月15日

投稿: bogusworld | 2006.08.15 17:24

 細かいことはよく分からないので印象。

陸相→頭悪そう。意固地。義理人情・約束事・筋目を重んじる。
海相→頭良さそう。拘らない。理論・彼我の情勢判断に優れる。

 こんな感じ。日本の田舎だと、海相型より陸相型のほうがウケるわね。救いようの無い馬鹿であっても、性格分類が陸相型なら、それだけで許されちゃったりして。

投稿: 私 | 2006.08.16 15:38

どういうタイミングでどういうポジションにいたか、ということとその人の持ち味とバックにしている組織のくみあわせ、ということで・・・

 米内さんも日本型ですよ。阿南さんも頭イイですよ。

 世論を気にし、むしろそれについては気が弱いくらい、というのはどちらかというとほんとうは陸軍。どちらがより多くの国民(召集兵士も含む)と普段顔をつきあわせて暮らしているかを考えればすぐわかるでしょう?
駐屯地は各県に散らばっていましたし。

 それから米内光政は第二次上海事変の拡大を推し進めたり、シナ事変の収束を強く陸軍参謀本部が進言したときに時の内閣の一員としてそれを潰しています。また本当に踏ん張るべき時にはすかっと肩すかしをしています。
 たとえば大東亜戦争開戦に向け、きな臭くなってきたときに政治的に海軍省を対抗勢力として纏めるべき時に山本五十六を連合艦隊の長官に送り出して『これでウヨクの暗殺からのがしてやれる』なんて考えていたらしいし。体を張って開戦を止める気はなかったのでしょうな。

 じっさい、海軍がやれない、と言わなきゃ陸軍だってあの戦争を始める気もなかったし、東条英機は戦線を広げすぎるのには最初から反対で(せいぜい後の絶対国防圏ぐらいまでしか考えていなかった。補給線が維持できない!ことを根拠に)それをむりやり広げたのは統帥権の独立を楯にした海軍。

 正直、陸軍がバカっぽい、と印象でいっていいなら海軍だって相当のいい加減な得体の知れない連中だと私は思ってます。

投稿: toumeinahito | 2006.08.20 15:06

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