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2006.08.16

時代小説 黄宝全

 手すさびに時代小説を書いてみた。もちろん、文学的価値なんかないけど。

「時代小説 黄宝全」
 盧溝橋事件の知らせを電報で聞いた時、蒋介石はそっけなく私に視線を向けて戻した。部下たちは気が付かなかったようだが、私にはその意味はわかった。その後、彼は私を呼んで「なるほど、日本と戦うことになったわけだ」と言った。
 私は「そのために閣下の軍事顧問としてドイツから派遣されています」と答えた。蒋介石はわかっているという表情をした。西安事件の翌年にこうなった。これが抗日を飲むということなのだ、選択の余地はない、飲まなければ消されるだけのことだ、蒋介石の無言の思いは伝わってきた。
 「日本人と戦うのはいやですか」私はあえて訊いてみた。彼は私のそういう外国人らしい率直さが気に入っていたからだ。蒋介石は答えなかった。ややうつろな表情は東京のことを思い返しているかのようだった。彼は士官学校予備校振武学校を終え高田の陸軍歩兵聯隊で見習い士官をしていた時に辛亥革命が起き、中国に戻った。
 「宝全」とドイツ名でなく彼の名付けた中国名で私を呼び「私が日本と戦えば誰が得をするか日本人はわからないのか」と言った。私の答えを求めているわけではなかった。一九三七年七月。盧溝橋事件は日本の対支一撃という暴発に過ぎなかったが、幕は上がった。
 八月、日本軍は上海に及んだ。予想していたことであった。蒋介石はドイツが用意させた塹壕戦で勝てると強気なそぶりを崩さず平然と事態を受けれているかに見えた。が、心中には疑念もあり、ふとした折りに私を信頼してか問いかけた。「日本人はなにを求めているのか。満州国の承認を求めているのではなかったのか。」
 二年前、蒋介石は大使を通じてまだ外相だった広田弘毅と会談していた。日本は、日中提携三原則として、排日停止・満州国承認・赤化防止を持ち出した。会談の席の後、蒋介石は広田に伝えた、「広田さん、排日停止と赤化防止はいいでしょう。しかし、日本が中国に対して満州国を承認しろというのはどういう了見なんですか。満州が日本の傀儡国家だと世界に向けて日本が主張しているのと同じですよ。満州についてはすでに通郵協定も設関協定も結んでいるというのに。」
 広田は苦笑するだけだった。中国にしてみればこれを受け入れる意味のないことを広田は了解しているようだった。
 上海戦は予想外に崩れた。蒋介石は私に「ドイツ人ならこの事態をどう見えるかね」と訊いた。軍事顧問としての私には皮肉な響きもあった。
 私は蒋介石にこの事態への見方を変えるべく答えた。「ドイツの東部にシュレージエンという土地があります。オーストリア継承戦争の結果、ハプスブルク領のシュレージエンはプロイセンへ帰属することになりましたが、他国はこれを認めません。その時代を連想します。欧米人から見れば、日本は満州と中国の国境を明確にしたいのだと理解するでしょう。」
 蒋介石はぼんやりと聞いていたが、もう少し話を聞きたいようだったので、提案を切り出してみた。「よろしければ私たちから和平交渉を切り出しましょうか。第三国が和平の証人になれば日本も考え直すでしょう。」
 蒋介石は許諾した。私は早速駐中ドイツ大使トラウトマンに和平交渉にあたるように本国経由で打診した。
 ドイツ本国はすぐに承諾した。ドイツにとって重要なことは、蒋介石の軍隊が強まり、ソ連国境に緊張をもたらすことだ。ソ連軍がドイツに対して手薄になることが好ましい。ドイツでは日本の軍事活動に対する官製デモまで実施された。少しでも日本を中国から引かせておくのが得策である。
 トラウトマンは広田外相に接触し、広田は駐日ドイツ大使ディルクセンに和平斡旋を要請した。日本側が提示した内容は大筋で以前の日中提携三原則と大して変わりのないしろものだった。
 十一月。日本軍が南京に迫りつつあった。
 十二月一日。よくない情報が密かに私のもとに入った。日本の大本営は南京総攻撃の認可を現地軍に与えたというのだ。命令ではないのかと確認させたが、攻撃命令ではない。
 トラウトマンによる交渉は難航したものの、十二月二日、蒋介石は日本案を受諾し、さらに和平会議を提案した。
 十二月八日、日本は受諾の確認をした。広田外相は中国受諾の旨、天皇に上奏した。これで、盧溝橋事件から始まる一連の騒動は終わることになった……
 しかし、二日後、十二月十日、日本軍による南京総攻撃が開始された。
 なぜだ。日本から提示された条件をすべて飲み、和平交渉が終了したのに攻撃が始まるのか。
 蒋介石は疲労の色を深めながら私に静かに言った。「私は君やトラウトマンに騙されたということかね。」
 私は即座に否定した。

【参考】
「日本人と中国人」(参照
「現代中国と日本」(参照

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コメント

ソ連が日露戦争を根に持ってたように、ドイツも第一次大戦の日本参戦と海外領土の奪取を非常に根に持って、中国サイドを半ば公然と支援してました。三国同盟も実態はかなり怪しい。
アメリカも義勇兵という名の軍事介入(ベトナムと同じ手練手管)してたし、日本はそれまでの軍事的成功ゆえに実は世界からかなり警戒されていたのですねー。
少なくとも今、日本を本気で警戒しているのは、特亜と(利害の多くを共有するがゆえに)米くらいだろうけど。

投稿: ■□ neon / himorogi □■ | 2006.08.17 01:00

手慰み或いはお遊びにしても、もう少しデティールをあげれるようにしてほしいです。
ドイツの思惑ですか?
三国同盟が曖昧というのは同意するし、WW1の意趣返し的心情も多少働いただろうというところまでは同意できますが、自分は、ドイツ側は単純に将来の中国権益と通商利益を鑑みての関与と思います。
そのための売り込みはあっても、中国側に全面的に日本と事を構えることは、望んでまではいなかったと思います。
日本側も、中国ほどではないにしろドイツ製武器は結構購入してますし、ヨーロッパでの対ソ関係上も極東での圧力が、あまり分散することは好ましいとまでは思わなかったと考えます。
もっとも第二次上海戦における北支からの戦線に日本が手こずるようなら、この自分の考えは変わってきますが。
ドイツ本国としては「お手並み拝見」という感じではなかったのでしょうか?

投稿: トリル | 2006.08.17 02:31

『日本人と中国人』読み返しました。有利な講和条件を飲ませて戦争目的を達成したのに、戦争をやめない不可解な日本というのが、後の世界中に喧伝される残虐な日本像の核になっているという説は新しい発見でした。(一度読んだことがあるのに…すっかり看過してましたね。)残虐行為はなかったというつもりは私にはありませんし、事実あったとも思いますが、残虐行為の黙示的な描写にばかり血道をあげて、もっと根本的な問題となる事実がすっかり忘れ去られているというのはどういうことなのか、考えさせられます。

投稿: iya_honto | 2006.08.17 02:47

>ドイツ本国はすぐに承諾した。ドイツにとって重要なことは、蒋介石の軍隊が強まり、ソ連国境に緊張をもたらすことだ。ソ連軍がドイツに対して手薄になることが好ましい。ドイツでは日本の軍事活動に対する官製デモまで実施された。少しでも日本を中国から引かせておくのが得策である。

これは、理解するにはムズな複雑系ですね。どこの、中ソ国境のことでしょうか? 何か典拠をお持ちで?

投稿: 無知男 | 2006.08.17 03:08

 読んだじゃなくて「書いた」なんですなあ。人生いろいろ。

 「私は」で始まる箇所が多いんで、主人公(?)・黄宝全に感情移入できないと厳しいですね。人物の足取りとか周辺状況の描写をもう少し増やして、なるべく感情移入できるような前段を整えてもらえると、面白いですな。

 で。

 ここに書かれた文面自体に、これといった注文はござんせん。面白そうな話だと感じました。おわり

投稿: ハナ毛 | 2006.08.17 03:28

NHKの番組をみるまで、ファンケルハウゼンの事、あまり考えたこともなかったです。かつて頭の隅をかすめたような記憶はあるんですが(塹壕戦)、ともあれ、それじゃあ日独同盟は何だったのかということになりますな。

投稿: worldnote | 2006.08.17 14:08

黄宝全と洪秀全は引っ掛けですか?

投稿: ハナ毛 | 2006.08.18 01:42

カテゴリの話ですが、時代小説っていうと、どうしても明治以前のイメージなんですが。
時代小説カテにはいらない、あやふやな明治は山田風太郎が明治小説としてとりあげて、ジャンル化してますね。

そこをあえて時代小説というところに諧謔があるんでしょうか?
是非、昭和小説というジャンルを造っていただきたいです。

投稿: nattai | 2006.08.18 11:44

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