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2006.08.13

統帥権についてささやかなメモ

 今朝の朝日新聞社説”「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える”(参照)は私には新味のないつまらないお話に過ぎなかったのだが、文中唐突に現れる「統帥」という言葉にひっかかった。この言葉は現代日本においては日常語ではない。大衆紙の社説に使うのであれば、もう少しくだいた表現になるべきではないかと思うのだが、そうできない、あるいはそうしたくない含みを感じた。


 実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。

 戦後のGHQ統治に天皇の権威が必要ゆえに免責されたというのが歴史の解釈を超えて歴史の事実のように書かれているが、そんなことに目くじらを立てるものでもない。気になったのは、「昭和天皇は陸海軍を統帥し」という文言が何を意味しているかという点だ。
 「統帥」について字引を引くと意味は明瞭である。大辞林より(参照)。

とうすい 0 【統帥】
(名)スル
軍隊を支配下におき率いること。
「天皇は陸海軍を―す/大日本帝国憲法」

 親切に用例までついている。だが、朝日新聞社説は「昭和天皇は陸海軍を支配下におき率い」と書き換えることはできただろうか。たぶんできないだろう。この問題はれいのやっかいな統帥権問題に関係するからである。
 統帥権問題の中心たる「統帥権」だがウィキペディアをひくと存外に微妙な説明が掲載されている(参照)。

 統帥権(とうすいけん)とは、軍を統括する権能をいう。大日本帝国憲法(以下明治憲法)下では第11条により天皇が持ち、戦後では自衛隊法第7条により内閣総理大臣が持つ。
 明治憲法下では、天皇の権能(大権)は、特に規定がなければ、国務大臣が補弼することとなっていたが、憲法に明記されていなかったが、慣習的に軍令については、国務大臣が輔弼せず、統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)が補弼することとなっていた。

 話を先回りしていうと、この「とは」論が間違っているのではないかとも思うが、さしあたって気になるのは第二段落である。素直に読めば、戦前・戦中の天皇には軍を統括していないことになる……と書いて、少し勇み足だった。ここで問題になるのは、「国務大臣が補弼すること」というのが何を意味しているかだ。
 これに関連してたまたま社会学者の宮台慎司の解説を”YouTube - 左翼はずっと嘘をついてきた”(参照)で聞いたのだが、彼は統帥権を「軍令部の補弼」としていた。
 そこで補弼とはなにかだが、先と同様に大辞林を引くと明快であるとともに一貫している(参照)。

ほひつ 0 【▼輔▼弼/補▼弼】
(名)スル
(1)天子の政治をたすけること。また、その人。
(2)旧憲法で、天皇の権能行使に対し、助言を与えること。
「国務各大臣は天皇を―し其の責に任ず/大日本帝国憲法」

 単純に読み取れば、大日本帝国憲法下では、補弼とは大臣の助言に過ぎず、天皇は助言を勝手に判断できるかのように読める。さすがだな、三省堂、とも思うが字義のレベルでの一貫性はあるのだろう。
 問題は、では、補弼が歴史的にどうようなものであったかということになり、この先は辞書の議論ではないかのようだが、広辞苑はもうちょっと踏み込んでいる。

ほ‐ひつ【輔弼】
①天子の政治をたすけること。また、その役。
②明治憲法の観念で、天皇の行為としてなされ或いはなされざるべきことについて進言し、採納を奏請し、その全責任を負うこと。国務上の輔弼は国務大臣、宮務上の輔弼は宮内大臣および内大臣、統帥上の輔弼は参謀総長・軍令部総長の職責であった。「―の任」

 重要なことは、その助言・進言者が全責任を負うとしている点で、つまりは、天皇には責任を追わないことになっている。統帥上の輔弼についても、大日本帝国憲法のロジックでは同じことになる。しかし、この問題についてはやはり歴史学・憲法学に立ち入ることになるのでここではそれ以上踏み込まない。
 ウィキペディアの解説に戻ると、やや奇妙に読める解説がある。「憲法に明記されていなかったが、慣習的に軍令については、国務大臣が輔弼せず、統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)が補弼することとなっていた」ということで、ここの解釈が難しい。ウィキペディアの解説というか、特定の立場の見解だと私は考えるのだが、この問題の根幹を大日本帝国憲法の「缺陥」としている。余談だが、この項目の英語の対応は"Chain of command"だがなにかの間違いであろうか。
 この統帥権問題についての議論にはテクニカルな問題が多いのだが、私のような素人がいつも疑問に思うのは、統帥権のコアとなる意味の了解である。ちょっと刺激的な言い方をすると、このコアの部分が理解されていないのにテクニカルな議論が盛んになっているように見える。
 ではそのコアとはなにかなのだが、私の理解は小室直樹と山本七平の対談集「日本教の社会学」にべたに寄っている。なお、同書は復刻されているのだろうか?
 小室直樹は日本の軍というものに触れて、こう続ける。

小室 ですからそういう意識があればこそ「統帥権の独立」というものは徹底的に誤解されたんですよ。「統帥権の独立」とは、まず、軍隊を国民から隔離することであると。それからさらに、軍部が勝手なことをしてもよろしと、そこまで誤解したんだから、どうしようもないんですね。「統帥権の独立」ということが意味をもつための第一の必要条件は、政府と軍部とのあいだの密接な協同(コーディネーション)にあるのです。

 ちょっと聞くと違和感があるかと思うが。これを小室は詳しく解説している。

小室 歴史的にいいますと、統帥権の独立とは、ビスマルクとモルトケとウイルヘルム一世の関係から出てきたのです。ビスマルクは鼻っ端が強いから、用兵の内容までもいちいちくちばしを出すんだそうですよ。ところがモルトケは、「おまえは外交の天才かもかもしれないけど、戦争のほうはおれにまかせとけ」と。いっさい作戦内容には容喙させなかった。しかしながら、国家的見地に立った大国策、大戦略に関しては、モルトケはビスマルクに絶対服従。

 対談で山本七平が日華事変について触れたのに対して。

小室 近代戦というのはそういうものじゃなくて、クラウゼヴィッツもいっているように、軍事は政治外交の延長であるという理解から出発します。ゆえに軍部は統帥権が独立していようがなかろうが、総理大臣の命令には絶対服従するというのでなければ意味がないわけです。だから、内閣の方針として「戦争やめろ」といったら、ピタッとやめる。ただし、統帥権が独立している場合は、総理大臣といえども、軍隊の動かし方の内容に関してはひと言も発言できない。そういう意味なんですよ、本来。

 繰り返しになるが、軍事は政府(総理大臣)下の外交の延長であるが、軍事活動内容は政府から独立しているということで、だからこそ、統帥権の独立が意味をもつための第一の必要条件が政府と軍部とのあいだの密接な協同(コーディネーション)となる。
 そして、小室の指摘によれば、日本における「統帥権の独立」問題は、そのコア概念の誤解から始まっていた。あるいは意図的な曲解であり、それを「統帥権の独立」というふう一般的な概念で捉えていいのか、疑問を促す。

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コメント

 統帥権が昂じて陶酔権になりましたとさ。

投稿: 私 | 2006.08.13 23:02

もともと中世から日本には下克上とまでは言わないでも、統帥というものを少し杜撰にしておこう、という知恵なのか悪癖なのかがずっと根底にあって、逆にそこをガチガチに縛るのは傲慢みたいな共通理解があることが問題のような気が。

投稿: ■□ Neon / himorogi □■ | 2006.08.14 00:11

 ↑ガチガチに縛るとまで言わないにせよ、キッチリ仕上げる程度のことすらやってないのは、問題かもしれませんね。


 トップが権威と権力の双方を兼ね備えないことで、無責任体制があることで「崩壊がない」つうのが、ある意味求心力なんじゃないかと。
 大陸国家みたいに責任とって国崩壊とかなっちゃうと、逃げ場の無い島国日本だとホントに血で血を洗う虐殺戦とか起きちゃうでしょ。

 織田信長の比叡山焼き討ちくらいしか、日本には虐殺戦の歴史が無い。
 「虐殺戦の歴史が無い」のは、その国家にとって大きな信頼源だと思いますが。どうなんでしょ?

投稿: 私 | 2006.08.14 01:18

山本七平が著作のどこかで、「統帥権が独立してなければ部隊ごとに特定候補を応援して選挙のたびに内乱になりかねない」だから自由民権運動の側こそ「統帥権が独立していること」を強く要求した、と指摘されていたと思います。

投稿: KU | 2006.08.14 06:14

山本七平が統帥権のルーツを調べていたら、明治の自由民権運動家の植木枝盛、啓蒙主義者の福沢諭吉が盛んに統帥権の独立を叫んでいたことを知り、裏切られた気持ちになりショックを受けたとの事。あとで冷静になり、植木・福沢の真意を調べてみたら、政治が軍を不当に私物化し、政争に利用しないように、つまり、第1師団が板垣退助を支持し、第2師団が大熊重信を支持するというように、一時期の中南米のように選挙のたびに内戦が起こらないようにする、軍の作戦を遂行する権限、つまり統帥権は天皇の大権とし、政治家の物にしないようにすることが、統帥権の独立に要請されていたのだと、『一下級将校の見た帝国陸軍』で山本は言及しています。

投稿: iya_honto | 2006.08.14 09:40

補足すると、同書で山本は、作戦にタッチできない政府は、予算を握ることで軍をコントロールすればよかったのだというようなことを言っています。それが戦前は、「臨時軍事費」という形で軍が自分たちで勝手に予算を組めるようになってしまったため、政治によるコントロールが出来なくなってしまった、と山本は続けています。ここのくだりを読むと、戦前戦中は軍が政治団体・圧力団体化し、軍が不当に政治に介入していったのだなあと思います。

投稿: iya_honto | 2006.08.14 10:15

 朝日が問題にした「統帥権」とは、国民の前にいかんともし難い形であらわれた、実体としての暴力的な統帥権で、スマートな説明ができないものに既に変質しちまったものですね。
 finalvantさんはそれに、そもそも由緒正しき「統帥権」を対置させようとしています。しかしそれは単なる言葉遊びです。

 finalvantさんがなすべき第一は、由緒正しき「統帥権」がどのような政治(歴史)過程を経て、説明の仕様がないモンスターのような「統帥権」に変質しちまったかを、貴方にしかない鋭利な知性のナイフで解析することです。
 朝日新聞が如きにそれを求めて、あなたはその任務を放棄するのですか?

 モンスターのように変質した暴力システムを、スマートに説明することを、貴方は言葉の上で求めています。リベラリストの獲得(ええ)恰好しいをオチョクッているあなたも、朝日よりちょっと上位になりたい獲得恰好しいを、楽しんでいるにすぎません。

投稿: 無知男 | 2006.08.14 18:35

小室氏は「近代戦というのはそういうものじゃなくて、クラウゼヴィッツもいっているように...そういう意味なんですよ、本来。」
と発言していますけれども、ドイツもこれを理解していなかったか、あるいは曲解していたように思います。

ただ、このように理解したとしてもあの条文では十分に「誤読」が成り立ちうるように思いますし、「缺陥」の謗りは免れないのではないでしょうか?
そもそも「軍事は政治外交の延長である」であると考えるならば、軍事と政治にそれぞれ別個に天皇に最終的に責任を負う人物が存在するというのも理屈に合わないように思います。
ここについては、法務大臣と検事総長の関係を定めた検察庁法「法務大臣は検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」
をもとにして参謀総長(軍令部総長)をクッションとして内閣総理大臣が軍令についても最終責任を負うことにすべきではなかったかと考えます。

投稿: hdk | 2006.08.14 19:26

finalventさん、こんにちは、

遅レスですが、「日本教の社会学」の復刊はまだまだすすんでいなようです。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2490

まぁ、ウェブを探すとかなり内容の要約は載っている状況ではありますが、さびしい限りです。

http://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file1_structure/file1000_structure_top.html

オークション等でも結構高値のままですね。

http://search.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%C6%FC%CB%DC%B6%B5%A4%CE%BC%D2%B2%F1%B3%D8&auccat=0&alocale=0jp&acc=jp

投稿: ひでき | 2006.08.25 13:56

つまり、統帥権を独立させたのがまずかった、という昭和史の反省について、統帥権の独立という考え方がどこから生まれたかということをドイツのビスマルクとモルトケの関係から説明して、統帥権の独立とは、軍事は政治外交の延長という考え方を前提に、軍事作戦・用兵に関しては軍人に任せるというのが、統帥権の独立の意味だと小室氏は言っているのです。
ということは、明治の政党や民権活動家が、軍と政党とが結びつくことを避けるために統帥権独立を主張したというのは、あながち間違いではなかったということになります。問題は、それがなぜ「司法・立法・行政・統帥の四権分立国家」となり、ついには「日本軍人国」が「日本一般人国」を占領したかのような状態になったか(その最後の総仕上げというべき秘策が、議会から予算権を奪取すること、つまり、政党解散による議会の実質的無力化=大政翼賛体制の樹立だった)ということです。
その原因の一つとして、明治憲法が行政府(内閣および首相)についての明確な規定を欠いていたために、歴代内閣が国務と統帥の調整に苦労したことが指摘されますが、山本七平の創見は、軍部ファシズム(氏は「統帥権・臨時費・実力者・組織の名誉」をその四本柱としている)の底に、「死の臨在による生者支配」があり、この思想は、帝国陸軍が生まれる以前から、日本の思想の中に根強く流れており、それは常に、日本的ファシズムの温床となりうるであろうと指摘している点にあります。(『一下級将校の見た帝国陸軍』)
『現人神の創作者たち』がなぜ書かれなければならなかったか、その理由がここにあります。

投稿: 渡辺斉己 | 2006.08.26 16:04

渡部昇一氏は『日本史から見た日本人・昭和編』で、政府が軍を押さえることができなくなったのは、昭和5年の統帥権干犯問題が起こって以降のことであること。これは、明治憲法に行政府(首相・内閣)についての明確な規定がなかったため、行政府が軍をコントロールできなくなり、日本が二重政権となり、国家としてのリーダーシップがとれなくなったためであるとしている。
 ではなぜ、昭和5年までは統帥権干犯問題など起こらなかったのに、これ以降問題とされるようになったかというと、大正14年の軍縮で四個師団を廃止された陸軍がロンドン会議でさらに軍縮されることを恐れ、その対策として、陸軍大臣の軍の編成大権は参謀総長の統帥大権にかかわるという憲法解釈を採り、ロンドン条約を結んだ浜口雄幸内閣を統帥権干犯問題で追及することにしたためであるという。
 これが、それまで地下に潜っていたある種の「思想・情念」に火をつけることとなった。浜口雄幸首相が狙撃されて死亡し、続いて3月事件、満州事変、10月事件、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件と続く。これらの事件の首謀者は、「革命無罪」のごとく取り扱われ、5.15事件の被告には全国から減刑嘆願書が届く。昭和維新が叫ばれ、天皇機関説は国体の本義に悖るとされ、ついに議会は息の根を止められた。
 山本七平は、このような情況の変化をもたらした要因の中で、特に、こうした流れを心情的に支えた、ある種の「思想・情念」の存在に注目しているのです。これが、内政・外交における合理的判断を狂わせた。また、その「思想・情念」は、一種の「殉教の美学」を伴っており、これが「死の臨在による生者支配」による人間の生物的限界を無視した甚だしい人命軽視と言論封殺をもたらしたといっているのです。 
 こうした判断は山本七平の信仰に関わるものですが、しかし、本書(『一下級将校の見た帝国陸軍』)の結びで、「戦場に架ける橋」のエピソードを紹介しながら、人間はこの「死の支配」を克服する力を、「心のどこかで、無条件に信じている。それが信じられる限り、パンドラの箱を開けたに等しいどのような世界にも、一つの希望があるのであろう」といっています。以上、先の私のコメントを補足させていただきました。
 

投稿: 渡辺斉己 | 2006.08.28 02:20

渡辺斉己さん、いつも的確なコメントありがとうございます。この問題を丁寧に見つめておられるかたがいるのだということだけでも励まされるものがあります。少し勇気を出してしばらくしたらイザヤ・ベンダサンが何を言いたかったかという部分を山本七平と切り離した形で問うてみたいと思っています。たぶん、彼(ベンダサン)はGHQに深く関係しているように思えます。
 このエントリの文脈で言えば、ロンドン会議の軍縮が歴史的にとても重要な意味を持つということを私も考えていました。
 話は「死の支配」ですが、歴史の文脈ではないのですが、山本七平がそれをどう自身で捉えていたか「山本家のイエス伝」(山本書店:山本七平・山本れい子・山本良樹)の最終章で深く考えさせられたことがありました。

投稿: finalvent | 2006.08.28 10:51

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