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2006.08.07

[書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)

 私はカレル・ヴァン ウォルフレンについて「日本 権力構造の謎」(参照上)以来の愛読者で考えてみればもう十五年以上にもなる。当時の空気を思い出すと、市民派の新しい理念の可能性を秘めながら、改憲や差別問題にも屈しない姿はすがすがしく思えたし、小沢一郎を明確に支持したのもスジが通っていた。彼は日本史・東洋史についての知識は乏しいものの、逆に欧米人の考え方の根幹のようなものをくっきりと見せてくれた。彼から私が学んだ最大のことは、市民と社会が敵対するとき国家が市民を守らなければならないということで、それまで私は吉本隆明風に国家という共同幻想は曲線を描きながら死滅することを理念とすべきだと思っていた。が、まさにその曲線の部分で自分なりに西洋の考えかた特にルソーの一般意志論などを考えなおした。今思うと九〇年代だなと思うし、三十代の尻尾で自分もぶいぶいしていたと思う。

cover
もう一つの鎖国
日本は世界で孤立する
 ウォルフレンについての私の違和感は、基本的なところでは、ネオコンという思想についてであった。ネオコンについてはいわゆるネオコンと政治哲学的な部分があり、ジャーナリズム的に簡単に割り切れるものではないし、この議論に突っ込むだけの知見は私にはない。だが、大筋のところで私は、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり 歴史の「終点」に立つ最後の人間」(参照上)で言うようにヘーゲル的な歴史の終焉の最終過程ではないかと思った。なお、フクヤマは最近この考えを否定している。
 この問題はセプテンバー・イレブンからイラク戦争、いわゆる「テロとの戦い」という流れのなかで理解され、日本など非英米圏の知識人は子ブッシュとネオコンの間違いという形で議論されることが多く、日本ではそれが表層的に左翼的な言説と結びつくように思えるのだが、そのまさに表層性において根幹たる思想的な批判を形成していないように私には思えた。
 ウォルフレンもまさに非英米圏の知識人として「ブッシュ/世界を壊した権力の真実」(参照)から「アメリカからの“独立”が日本人を幸福にする」(参照)において、そうした子ブッシュ=ネオコン思想という枠組みから日本の立ち位置を論じ、そしてそれは結果的に外部的な小泉政権批判という形に結びつくのだが、「世界の明日が決する日―米(アメリカ)大統領選後の世界はどうなるのか」(参照)を注意深く読めば、ウォルフレンが子ブッシュ=ネオコンをそう表層的に見ていないことはわかるし、その決した明日についてウォルフレンがどのように語り出すかということに私は関心を持ち続けた。が、「世界が日本を認める日―もうアメリカの「属国」でいる必要はない」(参照)は私はピンボケの印象を受けた。
 ウォルフレンは私のような読み方をしてきた読者にとっては、日本の内在について西洋的な市民原理性においてどのように批判が構築されるべきかという課題が主軸にあるだが、しだいにウォルフレンはあたかも彼自身がブッシュの鏡像のように日本を外在的にどういうふうな駒として動かすかという視点を語り出してしまった。
 私は、前回の郵政民営化衆院選だが、二人の意見を聞きたいと思った。一人は吉本隆明であり、もう一人はウォルフレンだった。吉本は「家族のゆくえ」(参照)において小泉支持という明瞭な形ではないが郵政民営化の方向性だけは消極的に是認していた。私はこのブログを始める一つのモチーフとして吉本隆明とどう自分が決別していくかといことがあったのだが、この三年間、方向は逆で吉本の巨大さが別の形で理解できるようになりつつある。ウォルフレンについては新聞などで口頭で語ってるものを見たが、ようするにあの選挙は自民党内部の権力シャッフルで意味はないとしているだけだった。私はおかしいと思った。自民党の権力シャッフルという見方は取りえないことはないが、問題はそこではない。まさに日本の経済体制の大きな変化をどう見るべきかという点だった。という以前に、日本を内在的に語らないウォルフレンを訝しく思うようになった。
 この訝しさは今回の「もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する」(参照)という口述のような小冊子でかなり明瞭になった。
 本書は明瞭な中国擁護論であり、子ブッシュ=ネオコンが世界の危険であるという主張になっている。ただ、子細に読むと非常に曖昧な著作にも思えた。
 本書に対する個別の突っ込みや批判はいくらでもできる。私にとっての最大の問題点は、中国の内在的な人権で問題でも軍拡でもない。まさにウォルフレンがある程度頼ろうとしている国連を使って中国が国際的に結果的な非人道的な行為をまき散らしている点にある。端的に言う。中国が拒否権を使わなければダルフール危機はもっとましな対応が取れたのではないか。あるいは常任理事国としてもっと積極的にこの問題に関わることができたのではないかということだ。この問題を私が深刻だと思うのは、それはルワンダ・ジェノサイドについて人類が依然対応できないこと、様々な見解があるが20から40万人という無辜の人間が国家権力によって虐殺されたことだ。私はこの間の世界上の問題という点で、イラク戦争よりダルフール危機のほうが重要だと考えている。
 この問題に本書のウォルフレンはまったく口をぬぐっている。そう私が言えば、人道面した子ブッシュ派ネオコンとでも非難されるのだろうか。
 しかし、本書を全体として読み終えたとき、その価値は依然大きいし、ウォルフレンのこの著作は私にとって今だ愛読書となるだろうと思った。というのは日本の将来においてもっとも重要な問題についてはきちんと指摘しているからだ。
 問題は彼が言うところの「新ブレトンウッズ体制」の崩壊である。日本はすでに事実上米国の属国さらに傭兵国家と化していくだろうから、米国債を売ることはありえない。だが、中国はいつか売るだろう。現在の巧緻にも見える中国の経済運営を見ていると韓国のような間抜けなことをしないせよ、長期的に対米プレザンスを取り始めるだろう。ウォルフレンは米国の軍産共同体の自律的な動向を問題としているが、私にはそれ自体が中国のこの対応への布石に見える。
 ウォルフレンは本書で日本の左翼が言いそうな薄っぺらな小泉靖国参拝批判を述べているようだが、私は最大限ウォルフレンを好意的に見たい。というか、そこに本質的な問題はない。また、子ブッシュ=ネオコンもこの大きな経済の潮流の連鎖現象ですらあるだろう。
 自分にはわからないことであるが、経済通の方から見れば、中国が米国債を売るということはありえないトンデモですよアハハということだろうか。そうであればそうした議論を読んでみたいと思う。その一点がクリアなら、ウォルフレンを私はもう読み続けることはないだろう。

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» 中国は米国債を売るか [マクシミリアンの日記]
表記の通り、終風翁がお題をお出しになったので、ちょっと考えてみましょうか。と言っても独自の見解があるわけではないので、いろいろと参考にせざるを得ないのですが、細部に異論はあるし、経済学徒からすると余計なこと考えすぎだとは思いますが、私としては基本は関志雄....... [続きを読む]

受信: 2006.08.08 17:45

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