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2006.07.16

「奮って御参加下さい」とか

 学力低下問題にはあまり関心はないのだが、今日の読売新聞社説”[読み・書き・計算]「基礎学力向上への指導法を探れ」”(参照)の次の話にはちょっと首を傾げた。


 「挙手」を「けんしゅ」と読む(小5)、「奮って」を「奪って」と書く(中3)などの誤答も多かった。

 「挙手」を「きょしゅ」と読めたとしてその意味がわかるということではないだろう。その意味がわかるということは、ただ「手を挙げる」と解することに加え、「では、賛成のかたは挙手をお願いします」といった日本語の状況を理解しないといけないはずだ。
 というところで、「手を挙げる」と書くべきか、「手を上げる」と書くべきか、をきちんと学校では教えるのだろうか。「手を上げる」と書かせておいて、「挙手」をそれと並行で教えるとしたらそれは矛盾してないか。
 とかいいながら「手を挙げる」ではなく「手を上げる」と書くべきだろう。では、「挙手」はどう教えるのか?
 そういえば、先日「人力検索はてな」で次の質問があった(参照)。

 「成果をあげる」の「あげる」は、漢字で書くと、「上げる」「揚げる」「挙げる」など、どれになりますか?
 推定ではなく、確信のある方の確実なご回答をお待ちしております。

 確信のある回答は集まったか?
 回答には、goo辞書の参照(参照)があったが、こういうことだ。

(ウ)利潤やよい成果をおさめる。《上・挙》
「多額の利益を―・げる」「好成績を―・げる」

cover
漢字と日本人
 結論を言えば、「上」でも「挙」でもいいというのだが、では、日本語としてどっちがより正しいのだろうか? あるいは「挙」でもいいところは「上」でもいいのだろうか。そんなわけはない。「国を上げて」とか「犯人を上げる」はまずいだろう。どっかに使い分けの法則があるはずだ。「式を挙げる」は挙式からだ。しかしとすると挙手から「手を挙げる」になり、振り出しに戻る。
 もともと訓というのは日本語であり、漢字になじまないものだと、高島俊男先生の「漢字と日本人」(参照)のようにわりきってもいいのだろう。
 話がずれる。
 そういえば、私が小学生のとき、「魚」を「さかな」と読んだらバツだった。「魚」は「うお」としか読めないというのだ。「さかな」は「肴」だとも教わった。でも、いつのまにか、「魚」は「さかな」と教えられているようだ。
 しかし、と考えあぐねるのだが、訓は「うお」と「さかな」で、音は「ぎょ」ということか。音は、呉音・唐音・漢音があるから複数あってもいいが、訓は大和言葉というか訳語で、それが「うお」「さかな」と並列するのはアリなんだろうか。アリとすればどういう原則なんだろうか。
 日常語では「うお」とは言わないしなと思っていたが、沖縄で暮らしていると、うちなーぐちでは「いゆ」である。「うお」の音変化であろう。うちなーぐちは言語学者の大半がとんちんかんなことを言っているが、やまとの室町時代の言葉である。やまとことばとしては「うお」でいいのだろう。広辞苑で「さかな」の古語を見ていると、やはり全部「肴」をあてているので、「うお」と「さかな」は古語では別だったのだろう。
 さらに話が反れる。
 先日、太平記を読んでいた。二十三巻で、美濃の守護土岐弾正少弼頼遠がこう言っているのだが……。

頼遠は酔ひも廻つてゐたらしいが、これを聞いてからからと打笑ひ、「何院といふか、犬といふか、犬ならば射て落さう。」

 この「犬」のところをどう読ませるのだろうか。「いぬ」であろうか。すると、「なにいんというか、いぬというか、いぬならばいておとそう」と読ませるのだろうか。ここは「院」と「犬」が駄洒落になっていないとおかしい。ということは、「犬」は「いん」と読むのであろう。というのは、室町時代の日本語を保持するうちなーぐちでは、「犬」は「いん」である。通常は「いんぐゎ」ではあるが。
 話は些細なことになったようだが、この「院」とは、魚を「さかな」と訓じる現代日本人としては「天皇」を意味するといってもいいだろう。だが、「天皇」とは諡である。そしてであれば、神皇正統記で親房は奇妙なことを言っている。冷泉院を指し、

此御門より天皇の号を申さず。又宇多より後、諡をたてまつらず。

 とあり実は天皇制とやらは万世一系どころではない。欠損がある。幕末に日本史を整理してその時点で諡を補っただけのことだ。
 話が散漫になったのでオチはないが、日本語についての学力というのは、まさに日本をどのように理解しているか、古語と古人の言葉をどう受け継ぐかに関わることだし、それ自体が愛国心そのものでもあろう。大人が日本の国とその文化と言葉を愛しているなら、子供もいつかそういう大人に成長するだろうと思う。

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コメント

「手を挙げる」という場合、"立候補"のような場合にも使いますから、"挙げる"には、なんらかの意志といった感じがあるように思います。

「手を上げる」とかくと、"暴力を振るう"という意味合いの方に使われるているように思いますが、気のせい?

投稿: うに | 2006.07.16 17:51

>古語と古人の言葉をどう受け継ぐかに関わることだし、それ自体が愛国心そのものでもあろう。(後略)

 室町どころか、明治大正・戦前昭和の言葉遣い・用語ですら分からないのが普通では?
 あえて愛を持ち出すならば、殆どの局面に愛は無いか、極限まで0近く薄まってるものかと。
 愛の用法が若干違うような肝。

投稿: 私 | 2006.07.16 20:44

「上げる」→上に移す
「挙げる」→示す

なので
「手を上げる」は、手を上方へ移すこと
「手を挙げる」は、手を(見えやすいように)示してあげること

投稿: てけてけ | 2006.07.16 21:20

>うにさん
「あげる」というのが大和言葉(やまとことば)です。
使い分けはないのが本来の日本語で、歴史の中で使い分けができてくるはずのところ、支那語という先進文明を受け入れてしまったために「支那人のように」使い分けをし、志向の枠まで支那人になってしまった。
それは日本人にとって不幸であったというのが高島先生のご意見であったかと。

終風先生は日本人を中国人の共通点を指摘されておいででしたのでこのエントリもさらに続く事を期待します。

投稿: mori | 2006.07.16 21:24

ですので、例えばdesuga

「利益を上げる」ならば、利益の額面を増大させる
ということですが
「利益を挙げる」ならば、(赤字やトントンでなくて)誰の眼にも明らかな
くらいの状態で営業成績などが
利益であることを示している

……という使い分けが、それぞれにはやはり
  あるのではないでしょうか :D

投稿: てけてけ | 2006.07.16 21:33

小学校2年生の頃か、「他」という字は「ほか」とは読まない、「ほか」と読むのは「外」だと習った。
と言うよりも、他の読みを、ほかだと答えたら先生に叩かれたから今でも覚えているだけかもしれないが。

常用とかそういう存在を知らない小学生の時分に覚えたものだから、例外なくそうなんだと思ってしまったのは、今思えば浅はかなのだが。
「他」を「ほか」とは読まないと主張したらさんざん馬鹿にされた覚えがある。
泣きながら教材を破いた覚えもある。
あの時は親も勘違いしてるんじゃないかと喚き散らしたような・・・あー、恥ずかし。

お陰で文献すら疑ってかかる論理思考に傾いたが、こと文学に関しては非常に曖昧さを重視するようになってしまって。
いわゆる通じれば何でもいい、ってやつです。

しかし、記憶ってのは納得することで覚えることが多いはずだから、時が過ぎても挙手を覚えているということは、すなわち経験的に挙手を知っているということになるんじゃないんだろうか。
同じことは外国でも言えるはず。
日本人には言葉の違いが理解できない、と言うやつね。

落とし所の無い発言になってしまった・・・orz
でも、言葉ってのは突き詰めれば人の感性によるもので、同じ単語でも意味のとり方がちぐはぐだったりする。
ようするに、今の小学生は上辺の情報で生きてて、経験が足りねーんだろうな。って思うのだけれども。
そんな私は未だに10代の若造だったりして、日本の日本語の何たるか、なんてものが継承出来てるかって言うと、首をかしげずにはいられない。
日本や日本語は好きだけど、それは、結構適当な言い方をしても、案外相手に私の言わんとしている事が伝わるからだったりする。
いやー、難しいよね、ほんと。

投稿: ぬー | 2006.07.16 21:46

感覚ですと手を上げるはたあだの行為そのもの。手を挙げるは挙手というニュアンスを感じます。
成果をあげるは成果とは会社のことを考えると数字で見えるものならば、上げるがいい気がします。

投稿: ebi | 2006.07.16 22:24

鈴木孝夫の受け売りですが、漢字の訓読みが廃れたら、明治時代に量産されて今でも大量に使われてる漢字語の意味が不明確になると。
「考古学」って、字面で意味がわかりますよね。字面で意味がわかるのは訓読みがあるから。
「蛋白質」という小難しい用語も「卵白質」なら、一発で了解できるのは「卵」が「たまご」と読めるから。
「蛋」は、中華料理でならお馴染みかもしれませんが。

だいたい、漢和辞典を引くときも「訓」で引くのが一番速いですしね。でも「訓」を知らなけりゃ引けないか。

投稿: cru | 2006.07.16 22:38

沖縄語が室町時代の日本語ってのは確かな話ですか?
どういう歴史的経緯?
方言周圏論?

投稿: cru | 2006.07.16 22:44

私がけっこうヘンだなぁと思うのは、ワープロ(パソコン)の普及にともない、なんでもかんでも漢字を使おうとする傾向です。たとえば、「頂きます」なんて書く人が多いですが、私はこれは直感的にヘンだと思います。「下さい」なんてのも「ください」でいい気がします。「出来る」はやっぱり「できる」でしょう。「殆ど」は「ほとんど」。
「支那」は当て字に思われます。「シナ」あるいは「しな」と文字では表記とすべきでしょう。わざわざ「支那」と書くことで、何かを取り逃がしているように思えます(蛇足ですが、発音上は「支那」か「シナ」かを意識する必要はありません)。「意外」と「以外」の変換ミスをスルーする人は多いです。手で文字を書いていたら「思考」を「志向」と書くなんてあり得ないです。それから味噌の「噌」の時は間違ってます。「噂」とか「鱒」とか……。広辞苑をご参照ください。ほかの言語はよく知りませんが、日本語は欠損が多い気がします。

投稿: kechida | 2006.07.16 23:25

現代中国語でも「魚」は「yu」ですから、「いゆ」はその系統かと。
そう考えると「うお」は訓読かどうか?

>先の「金日成」のコメント、錯誤でした。ご容赦ください。

投稿: sh | 2006.07.17 00:18

琉球方言は、本土方言の「ハ行」の子音がp音になって
いたりすることから考えて、奈良時代以前に本土方言
と分岐したものと考えられていると思います。この
標準的な理解が間違っていると考えられる理由は
何ですか?

投稿: s.y. | 2006.07.17 01:03

 犬童(いんどう)さん、という苗字の方、おられますな。
 古い家系の方なんでしょうな。

投稿: 私 | 2006.07.17 04:41

 印藤・犬藤(いんどう)さんも、おられますようで。
 たぶん、↑同系列なんでしょう。
 日本の言葉は奥が深い。

投稿: 私 | 2006.07.17 04:44

正しい読みができると辞書が引けるという利点がありますね。読めなくて辞書を引けない、言い回しが浮かんでこない、Googleで調べられない、痛感します。

投稿: よみ | 2006.07.17 11:45

>>↑の方
Firefox使ってれば、ドラッグ→右クリ→web検索で出来るし、
それ以前にどのブラウザ使おうが、コピペ→ネット辞書で事足りますよ。

ただし、辞書引くのが億劫じゃない人は、物足りないと感じるかもしれない。
なんというか、角川類語辞典や広辞苑で丸一日暇つぶしできてたときのワクワク感がないというか

投稿: | 2006.07.17 13:01

今、小中学校等では「日本語」と言う科目があるのかしら?「国語」と言う科目で勉強していると、言葉を相対化出来ず、他国の言語も訳分けらんことになって・・・
その辺から、押さえて行かないとならないんじゃないな。

投稿: わ | 2006.07.17 13:30

↑ 末尾の訂正 ならないんじゃないかな。
 「か」が抜けてました。 ふぅー

投稿: わ | 2006.07.17 13:37

「うお」と「さかな」ですが、泳いでいるものは「うお」、食べるものは「さかな」と意識せずに分けて使っています。魚釣りは「うおつり」であり「さかなつり」とは読みません。同じようなものに牛もそうです。四足で歩いていれば「うし」であり肉になれば「ぎゅう」と読みその逆はありません。私の言語圏は大阪の淀川水系で「摂津」に近いです。言語圏を明確にしないと、大阪といった場合に言語的には摂津、河内、泉州に大きく分類されるからです。圏外の人にはすべて関西弁なのでしょうが、どの方言をバックボーンとするかは思考の上で重要だからです。
訓読みというのも、子供の頃は、「やまとことば」といいならっておりました。漢字と読み、意味、日本語との関係は簡単には解けませんし、だからこそ面白いともいえます。教育の問題ともなると、面白がってもいられませんが。漢字の問題については京都大学の和辻教授の本が平易で、わかりやすいので興味のある方はご一読を。

投稿: めねた | 2006.07.18 09:47

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