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2006.07.25

ゲド戦記の謎

 ゲド戦記の映画化というかアニメ化ということもあって、この物語の話題を耳にすることが多くなった。ゲド戦記については、どうしても気になることがあり、ある種難問に直面して行き詰まる。その心のひっかかりを率直にちょっとメモ書きしておこう。以下、この物語を読んでないかたにはスポイラーがあるのでご注意。
 ゲド戦記は私のような読者にしてみると、三巻「さいはての島へ」で終わった物語であった。しかしそれで本当に終わったのかというと、「極東ブログ: こわれた腕環(ゲド戦記2)アーシュラ・K・ル=グウィン」(参照)で触れた二巻の意味合いが難しい。ストーリーテリングとしては二巻は三巻と不整合ではないのだが、テーマとして見るなら三巻で一巻と二巻のテーマが統合されてはいるとは思えない。特に二巻に提出された大きな問題がある(女の本質について)。なので、その部分だけこのブログであの特定の時期を背景として書いた。
 ところがゲド戦記はその後十六年後に「最後の巻」が書かれた。これはなんと言っていいのか言葉に詰まるが、とりあえずは驚くべき展開だった。三巻の栄光として暗示されたゲドは四巻では実際には半死半生の無力な人間になってしまっていた。それでいてストーリーの時間では三巻はなめらかに四巻に接続し、そしてある意味で見事に二巻を統合した。
 ここで突然変なことを言うのだが、私の人生の自分にとって謎はゲド戦記の一巻、ゲドと呼びかける影の出現に象徴されている。あの影の出現が私の人生の原点に起こった。ゲドの物語は私の人生の暗喩になってしまったし、私にはゲド戦記をそう読むしかできない奇っ怪な物語になった。人生においてなぜこんな物語に出会うことになったのか。さらに四巻の無力なゲドは四十歳過ぎた私の無力と絶望にきれいに重なることにもなった(もっとも私は大賢人たることはなかったので遙かに些細な存在であるが)。
 四巻の謎、私にとっての謎の一つだが、カレシンがゲドをゴンドに連れてきた理由は、標題のように「帰還」ということもだが、おそらくテハヌーのためであったということだ。四巻の終わりは暗示深い。


ゲドはコケばばの家の戸口にさっきから腰をおろしていた。彼は朝日のあたるなか、ドアの柱に頭をもたせかけて、目をつむった。「なぜ、わたしたちはこんなことをするのだろう?」ゲドはつぶやいた。
 テナーはポンプからきれいな水を洗面器に汲んできて、顔や手を洗っていたが、終わるとあたりを見まわした。ゲドはすっかり疲れきって、朝日のなかば仰ぐようなかっこうで眠り込んでいた。テナーは戸口ゲドの傍らに腰をおろすと、その肩に頭をもたせかけた。わたしたちは余備の人間なのだろうか、とテナーは思った。余備の人間であるというのは、どういうことなのだろう?

 ここで「余備の人間」という奇妙な問いかけが出てくる。意味がよくわからない。
 予備ということかもしれないが、何かに備えた、そういう定めのような存在ということだろうか。そして、その何かはカレシンとテハヌーに関係していることは疑いないので、「最後の巻」がこれで終われるわけもなかった。
 さらに十一年後「アースシーの風」が書かれる。
 ゲドの存在感はこの物語に重たいトーンを投げかけているのだが、ゲドは最後に少し登場する程度だ。が、そこでゲドはこう呟く。

「わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ。」ゲドは言った。

 これはテナーの次の問いかけの答えだった。

「みんな行ってしまった。もうハブナーにも西方の島々にも竜は一匹も残っていないわ。オニキスは、あの暗がりもそこにいた影たちもみんな光の世界とまたひとつになったので、今こそ彼らは自分の真の国を手に入れたんだって言ってる。」

 ゲドの答えにある、世界を壊してしまったということは、三巻のゲドの達成を指すとしていいだろう。とすれば、五巻において、三巻のゲドの達成は根底から否定されるためのものだったということになる。
 そんなことがあるのだろうか。うがった見方だろうか。
 しかし、三巻においては、ゲドの力は魔法の力でもあった。しかし、四巻から五巻へのダイナミズムは、竜(カレシンとテハヌー)の力と、魔法を超える力の出現だった。その意味で、五巻までの物語の全体構造において三巻のゲドの達成は根底から否定されているという整合はある。あるにはある、とりあえず、としていいだろう。
 ただ、どうも自分にはっきりとそこが自覚はできない。
 テハヌーが竜となるという暗示もよくわからない。四巻の印象ではテハヌーは女の大賢人になるという暗示がしくまれているようにも読める。
 五巻の「影たちもみんな光の世界とまたひとつになったので」はゲドの出現である一巻の再起的な話のようでもある。
 この物語を一つの大きな全体として受容するとき、三巻までの完成は単純に否定されるのだろうか。三巻の、つまり、ゲドという存在の意味が、五巻において見直したとき、私には正直に言ってよくわからない。

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コメント

Sci Fi チャンネルの仕事
http://www.scifi.com/earthsea/
が、あまり好ましいものではなかった様子
http://www.slate.com/Default.aspx?id=2111107&MSID=42B8DFDE8F8C42A3907D2D4AE315A3ED
ですので、それに比べれば
好意的に受け取られるのではないでしょうか>宮崎アニメ版

投稿: てけてけ | 2006.07.25 21:15

ゲドを演じた Shawn Ashmore はともかく、
オランダ系カナダ人の父と中国系インドネシア人の母との間に
産まれたハーフである Kristin Kreuk
http://kristinkreuk.hzik.com/earthsea/0.jpg
が、テナー役を演じるというのは、僕のイメージ通りの
はまり役ですので、番組を観てみたい気がします。

投稿: てけてけ | 2006.07.25 23:20

第4巻と第5巻については、自分の著作についての二次創作をやってしまったように感じられます。「夜の言葉」で見られるフェミニズムに合ったストーリーに無理矢理ねじまげただけであって、準創造を行ったものとは思えません。性についての考え方が根本的に変わったという評論を書きまくったあげくに、性に関することをテーマとした続編を書くというのは、最初から整合性を放棄しているも同然だと思います。

投稿: atsurao | 2006.07.25 23:30

 日本の作家さんだと、ガンダムとか往年の週刊ジャンプ作品とかそうだけど、最初テキトーな大雑把な枠組みだけ作って自分らの描きたいようにキャラ作って走らせて、キャラが勝手に走って客引きできるようになってから物語性を追求してみたりするってのはよく在ることですが。

 外人さんは、そういう真似をせんのですかね?

 なんか、外人さん=キチンと考えて作ってる人、みたいなニュアンスというか先入観というか、そういう空気が感じられますな。

 最初に精緻な筋立て作りすぎると後で話が伸びなくなって困るから、↑みたく大雑把なやり方のほうがいいんだって言われたことなら、よくありますな。今は昔の話ですが。

投稿: 私 | 2006.07.26 02:12

前から感じているのですが、原題と日本語のタイトルがものすごく違いますよね。

http://www.amazon.com/s/ref=br_ss_hs/104-1785005-9319146?platform=gurupa&url=index%3Dblended&keywords=earthsea

「余備の人間」は、原語でどうなっているのか興味深いです。

投稿: ひでき | 2006.07.26 10:21

And to go to the manor house. The old man will die now. The grandson might live, if the house is made clean He had sat down on the doorstep of Moss’s house. He leaned his head back against the doorjamb, in the sunlight, and closed his eyes. “Why do we do what we do?” he said.

Tenar was washing her face and hands and arms in a basin of clear water she had drawn from the pump. She looked round when she was done. Utterly spent, Ged had fallen asleep, his face a little upturned to the morning light. She sat down beside him on the doorstep and laid her head against his shoulder. Are we spared? she thought. How is it we are spared?

She looked down at Ged’s hand, relaxed and open on the earthen step. She thought of the thistle that nodded in the wind, and of the taloned foot of the dragon with its scales of red and gold. She was half-asleep when the child sat down beside her.

be spared のようです。

投稿: dianoia | 2006.07.27 21:41

dianoiaさん、こんにちは。原文の参照ありがとうございます。be spared だと、「保護されている」というニュアンスがあるようにも思えますね。

投稿: finalvent | 2006.07.28 07:02

主人公はあれんなのになぜ<ゲド戦記>か。 

投稿: あああ | 2006.08.01 09:52

今日、第4巻を夢中で読みました。・・・正直、自分にとって第1~3巻は、つまらないとは言わないまでも、読むに耐えなかったけれど、今回はすんなり読めました。
どうも、著者が第1~3巻までは、わざと(?)自分を男性として擬人化して、頭の中で、物語を「作っていた」ように思えます。・・・つまり、どこか文字通り「ファンタジー」なんです。
ところが、第4巻は、テナーつまり一人の女性の視点から歴史なるものが語られている点が、非常に興味深かったです。だから、「事実」として読みやすいんだと。そう思いました。
あと、テルーの存在ですが、彼女が最初から「傷つけられた者」として現れるのがすごく面白かったです。彼女には、狂った実の父母しかいない。・・・いや、正確には、そんな赤ん坊を聡明なゲドとテナーが育ててゆく訳ですが。最後でテルーは、女の大賢人となる暗示のように、私にも読めました。第5巻、第6巻が楽しみです。

投稿: ジュリア | 2010.02.08 22:48

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