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2006.07.27

[書評]「昭和東京ものがたり2」(山本七平)

 時折戦前の天皇機関説について考えることがある。いろいろ議論はされているし史学的な研究もないわけではない。ただあまりしっくりきたことはない。
 ウィキペディアにもこの項目があった(参照)。そう悪い解説でもないし、重要な天皇機関説事件(参照)についても比較的詳しいと言ってもよさそうだ。が、つまりは後代からは歴史というものはこう書かれるということでもある。
 山本七平の「昭和東京ものがたり2」(参照参照)では、彼がその時代を生き、そして後年またその時代を振り返って、なんというか不思議な考察を加えている。


つくづく不思議だなと思うのが、実は「天皇機関説」なのである。この問題の経過を私が知ったのは、実は戦後のことで、攻撃の対象となった一木喜徳郎とその高弟美濃部達吉の説、いわゆる「天皇機関説」がG・イェリネックの国家法人説を帝国憲法に応用して成立した説だなどとは、当時、知るわけがない。この点では庶民同様「機関説」と「機関車」の区別がつかない一人であった。
 ただ、貴族院でこの説を菊池武夫が激しく攻撃した背後には政争があった。簡単にいえば、だれかが、だれかを、引きずり下ろして失脚させ、自分がその地位に昇りたいと思っていたという点は、庶民は相当に正確に嗅ぎわけていたことを、資料を調べたときに知ったのである。私は驚いて、正直にいってなぜ庶民が、おそらく当時のエリートが蔑視していた庶民が、これほど鋭くその実態を見抜いたのかわからなかった。
 私は国会図書館に行って、庶民が「嗅ぎわけ」のヒントとした記事がどこかに無いかかと探したみたが無い。なくて当然であろう。それはその人が心底に秘めていることで、取材に応じて語るようなことではない。もちろん推測した記者はいるかも知れないが、「彼の心底を探ればかくかくしかじかである」などと書くことは、昔も今も、できるわけがない。何の証拠もないし、何のうらもとれないからである。
 ではなぜ庶民のカンはそれをつかみ得たのか。それは非常に単純な原理、人間には権力欲があり、権力が目の前にちらつけばどんなあさましいことでもする。昨日までの主張も平気で捨てられる動物だということを知っていたからであろう。これは現在でも変わらない。そのことを昔の庶民は、「情報無知」であるがゆえに、今よりはっきりと意識していたということである。

 歴史学的にはこうした問題は扱えない。だが、歴史というのは人間が生きているなかで進行しその思いは人への信頼のなかで嗣がれる。
 具体的にこの事件について山本はこう解説する。

 ではだれが「天皇機関説問題」を「演出」しているのか。庶民はそれが平沼だと思っていた。もっとも庶民のカンによる「流言蜚語」が果たして正しかったのかどうか。これは今ではわからない。というのは表向きには何の資料もないからである。ただ斎藤内閣が平沼の「空中楼閣」で倒れ、その後で後継総理を天皇に奏請するとき、慣例に基づいて、元老西園寺公望、牧野内大臣、一木枢密院議長、前・元首相による重臣会議により岡田啓介と決定していたことはわかっている。そして元首相といっても、田中・浜口・犬養はすでにこの世にはなく、若槻前首相がいるだけで、彼はすでに民政党総裁を辞任しようとしていた。こうなると実際の決定権は西園寺・牧野・一木・斎藤の四人である。
 この中で平沼を推す者は一人もいなかったらしい。と言ってもだれも会議の内容は知らないのだが、その顔ぶれはみな「司法ファッショ嫌い」である。そのため彼は総理になれず、そこでまず美濃部機関説を攻撃し、彼の師でその説の「根元」ともいえる一木喜徳郎にゆさぶりをかけようとしていた。これはうまい手で、この手で一木喜徳郎を追い落とせば彼は枢密院議長になれる。そして追い落とすぞと威嚇するだけなら一木喜徳郎は彼を枢密院から追い出すために総理に推すであろう。庶民はこれを「平沼の王手飛車取り」と思っていた。彼は最終的に目的を達し、枢密院議長にも総理大臣にもなった。

 もちろん、歴史というのは流れを持っている。後代からすれば関係ない問題に見えるものでも渦中では繋がりの空気を強く感じることができる。「天皇機関説問題」の前には帝人事件(参照)があった。「司法ファッショ」である。事件は検察のでっちあげで最終的には全員無罪となった。これを引き起こしたのは平沼騏一郎であろうというのは今日歴史の通説と言っていいだろう。彼は司法官僚出身でもあった。もちろん庶民は平沼の野望を知っていた。ウィキペディアの同項目にはこうある。

平沼は自分が枢密院議長になることを期待していたが、元老、西園寺公望の反対で副議長のまま置かれたことを恨み、倒閣を図ったという。

 おそらく山本が驚嘆をもって指摘するまでもなく、当時の庶民にしてみれば、「天皇機関説問題」とやらなんであれ、なにか政争の問題があればそれを仕掛けたやつがおり、それは達成してない野望を持つやつだという察しはあったことだろう。
 庶民の知恵が活かされ、司法ファッショを嫌う立憲政治が維持できれば、平沼騏一郎の登場を阻止できたかもしれないというのは歴史のイフにすぎないが、同じような歴史が繰り返されるときそれは鏡となる。
 当時議会は美濃部達吉の「天皇機関説」を圧倒的に支持した。しかし、それでも歴史は混迷に向かって動いた。
 引用が長いがもう一カ所同書を引用しよう。菊池武夫の攻撃の話に続く。

 そしてこれに対して弁明および反駁を行った美濃部達吉の演説は、貴族院はじまって以来の名演説といわれ、大拍手で終わっている。いわば論戦では美濃部の勝ちなのだが、実は、勝ち負けが問題っではなかった。ついで衆議院の代議士で陸軍予備少将の近藤源九郎が美濃部を不敬罪で告発した。いわば資料で追う限り平沼は全く表面に出ていないのである。だが、庶民の受け取り方は違っていた。そしてこういう庶民のカンは今ではなくなってしまっているらしい。

 そして、なくなって久しい。

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コメント

無くなって久しいなら発掘・復古すれば宜しいだけのこと。

投稿: 私 | 2006.07.27 19:31

もしかして王手飛車取り、でしょうか。
このコメントはご覧になったあとで消していただけると幸いです。

投稿: バカヤマびと | 2006.07.27 23:55

「昭和東京ものがたり」には教育勅語をゼスチャーで表現する(「朕」で股間をさす)話や、台湾人の「親日家」が毎日教育勅語を息子に朗読していると思ったら「日本の天皇『でさえ』これだけ立派なことを言ってるのだからお前らはもっとしっかりしろ」と諭していたなど、昭和の庶民もしくは山の手の中流のの、あまり語られなかった部分が残されていて面白いですね


ところで引用部、
>彼は枢密院議場になれる
という部分は「議長」でしょうか?言わずもがなの指摘ですみません

投稿: Gryphon | 2006.07.28 04:23

バカヤマびとさん、Gryphonさん、誤字のご指摘ありがとうございました。コメントをもって修正歴に代えます。

投稿: finalvent | 2006.07.28 07:00

>不敬罪
尾崎咢堂は「売家と唐様で書く三代目」とやって不敬罪に問われたんでしたっけ。実際に三代目で帝国は潰れてしまった。「陸軍予備少々」これはいいですね。中将にたりぬ少々かな。原文知りませんが。

投稿: そらり | 2006.07.28 10:05

 つまり、「大日本帝国憲法第11条に天皇の「統帥権」の定めがあり、天皇自身は無答責とされ、そのため統帥事項については統帥機関の権能が三権(立法、行政、司法)を超越するものと解釈されたために、軍の独断専行を阻止できなかった」という理解の仕方について、山本七平は、そうした解釈は当時の法学界においても議会においても承認されたわけではなく、まして庶民はさっぱりわからず、むしろその背後に司法ファッショの平沼いることを見ていたといっています。「国体の本義」とか「国体明澄」とかいった当時の言葉も「さっぱりわからなかった」といっています。にもかかわらず、美濃部達吉の『憲法撮要』等の著書は発禁となり、不敬罪で告発され、議員辞職させられた。つまり、理論的に破綻し内容のない空疎な言葉であっても、当時の時代状況の中で、これらの言葉が人を沈黙・強制あるいは抹殺するだけの力を持ちえたということで、その背後には(平沼の思惑を超えた)「天皇親政」や「一君万民」という言葉に象徴されるところの一種の平等主義イデオロギーがあり、それが当時の国家社会主義思想と結びつくことによって大政翼賛会的全体主義国家ができたといっています。(『昭和天皇の研究』)山本七平の最大の功績は、この復古的な「天皇親政」「一君万民」思想の思想的系譜を明らかにしたことにあり、それが明治維新という日本史唯一のイデオロギー革命を成功させた後、明治の立憲君主体制に圧迫されて地下に潜り、昭和になって、地下にたまったマグマが地表の裂け目から噴出するごとく大爆発を起こした、つまり昭和を明治の反動と見ているのです。では戦後われわれはこの思想の呪縛を脱し得たかというのが山本七平の問いで、戦後の日本人の全体主義国家に対する憧憬を見る限りそうはいえない。そこで、この無意識の思想を思想史的に解明し対象化することによってその呪縛から脱せんとしたのです。そのための第一歩は、意見の相違を”不敬罪”に引っかけ脅迫・沈黙させるようなことをしない(尾崎行雄)ことではないかと思います。

投稿: 渡辺斉己 | 2006.08.04 02:38

渡辺さん、こんにちは。この問題がまた今の日本に問われはじめているという憂慮を持ちます(昭和天皇象の変化と共に)。

投稿: finalvent | 2006.08.04 08:05

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やったー。九万六千行のCSVのファイルができたYO! といっても11年×365.25日×24時間のデータの羅列だけどな EXCELで開けないけどTeraPadでなんとかなるからいいです とはいえここまで来るとVBAでいじれないので一年分ごとに生成して 手動で貼り付ける以外にしかたあるまい(´・ω・`)... [続きを読む]

受信: 2006.07.29 01:03

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