« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006.07.31

[書評]沖縄ダークサイド

 宝島のムックで「別宝Real 沖縄ダークサイド」(参照)が出たのは二〇〇四年七月。沖縄で八年暮らしていた私としてはふーんという感じではあった。企画倒れということはないし、こういう本があるのはどっちかというといいことなんだが、ちと取材が甘いな薄いなという感じはした。執筆陣が微妙というのもあるし、書けないことも多いのだろう。

cover
沖縄ダークサイド
 沖縄の日差しは強く影も濃い。ダークサイドっつうなら「ランタナの花の咲く頃に(長堂英吉)」(参照)の世界や、一見ダークには見えないけど沖縄の言論界みたいのからから事実上シカトされているような「美麗島まで(与那原恵)」(参照)に描かれている人脈なども別の視点から描けないとか……しかしそんな話ではナイチ受けはしないか。
 このムックもこれで終わりかと思っていたら、二年後文庫本で「沖縄ダークサイド」(参照)が出たのだが、帯はこうある。

LD関連事件
野口英昭氏はなぜ沖縄で死なねばならなかったのか!? 「癒しの島」の欲望と打算に迫る!

 この間の話題として沖スロじゃなくて、野口英昭怪死事件の話が追加されていた。が、この事件について直接的に考察されているわけではないわりに、背景についてはしっかり書かれているので、ネットなどで飛び交っていた珍妙な説に対するリテラシーを養うことはできる。野口氏の投資組合に関連して”「癒しの島」の利権の構造”では。

さらに、同社設立時の出資者の中に、リキッドオーディオ・ジャパンの名があることも興味を引いた。リキッド社は、東証マザーズ上場第一号として脚光を浴びながら、暴力団絡みのスキャンダルに塗れて”ベンチャーバブルの闇”を象徴とする存在となった企業である。
 これらの情報をふまえ、例えば某週刊誌は二月一〇日号に次のように書いている。<沖縄では小泉内閣が推進する構造改革特別区の「情報通信特区」や「金融特区」の地域が指定されてIT企業の進出が相次いでいる。ライブドアは小泉改革を利用して沖縄での”闇ビジネス”を拡大したとみらられており(中略)事件の背景には、小泉政権下でふくれあがった巨額のIT政治利権の存在がクローズアップされてくる>

 という某週刊誌の話を示してから、こうきちんと批判ている。

 たしかに、沖縄には「情報通信特区」や「金融特区」に指定されている地域がある。しかし、小泉内閣がこれらの施策に力を入れているかのような書き方はいただけない。これらの特区は、米軍基地負担のインセンティブとして沖縄側が政府に要求したものであり、小泉内閣が特段の関心を示してきたものではない。野口氏が上場を手がけた件の企業のように、県外資本が特区に進出し、さまざまな優遇策を上手に利用している例はあるが、現状では必ずしも大きなうま味を生んでいるとは言えず、「巨額のIT政治利権」とはほど遠いのが本当のところだ。

 というわけでライブドアだからIT系といった薄っぺらなネタはさておき、とはいえ「沖縄利権」の問題がないわけでもなく、全体構図の要領よい説明のなかには示唆的な話も含まれていた。

 沖縄のカジノ予定地は、最初県南部の糸満市が浮上、続いて現在の浦添が有力になった経緯があるのだが、実は恩納村も、推進派内部で「第三候補」として名前が上がっていた事実はあまり知られていない。
 果たして、ライブドアに関わる諸々のウワサやUSENの動きの背景に、いま新たに生まれようとしている「カジノ・ビジネス」への思惑があるかどうか――その真相が見えてきた時、「沖縄利権」の新たなる姿が、われわれの前に現れてくるはずである。

 たぶん、というかかなり、そうなのだろう。
 利権に関連してダークでない部分ではこの十一月の県知事選が重要になる。すでに現地沖縄では琉球新報”県知事選で3氏、出馬に含み”(参照)で「11月の知事選で、民主党県連の喜納昌吉代表は」といった愉快な話はさておき、っつうか”候補7氏を確定 知事選野党代表者会議”(参照)。与党側でも”西銘氏、再び固辞 与党内に待望論根強く”(参照)のように混迷している。こうした構図にも「沖縄ダークサイド」はなかなかよいレファ本になる。
 ところでこのエントリ関連でネットを見てたら下地幹雄のミキオブログっていうのを発見。以下の二十二日のエントリ”若さの秘訣は・・・”(参照)はとてもグッドでした。

 今日、マクドナルドで朝食を食べました。
 一緒に食べたメンバーは、平均年齢80歳、元気の秘訣はと聞くと「マック」ですと答えます。
 20年間毎日マックで朝食を取っているとのことであります。
 凄いとしか言いようがありません。
 普通ならば、朝は和食とおっしゃりそうな年齢であるはずなのに、マックが好きだということであります。
 若さの秘訣は、「既成概念にとらわれることなく、あらゆることにチャレンジすること」だともお話しされていました。

 アギジャビヨー。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.07.30

 晩飯に冷凍食品の中華でもと買いに出てスーパーの入り口に立つ。またお盆用品が並んでいる。新暦盆の後は月遅れであろうか。それにしては早い。旧盆はというとまだまだ先。いやいやようやく明日が七夕である。墓掃除しろよ。
 いつになく人が多い。人に囲まれると私は魔法にかけられたように呆然とすることがあるが、スーパーの入り口でちょっと我を忘れ、盆花の、こう言ってはいけないのだが、神社裏の色町のような、きつい彩りを見ていた。
 遠い死者を祀るときはこんな彩りが良かろう、と下段を見ると常緑樹が切りそろえて売られている。まさか、よもや、と思ってみると、疑念を持つまでもない、榊である。榊の葉なんてものが売られているのかとまた呆然とした。

photo
 榊を買う人がいるのか。いるのだろう。盆花を買う人もいるのだ(盆花といっても禊萩ではない)。アパート、マンション暮らしとなれば榊を庭に植えるわけにもいかない。当たり前のことだ。が私は驚いた。
 売られている榊の葉を見ながら実家の庭の榊のことを思った。秋には紫の実がなり、鳥がついばみに来る。子供の頃あの実の紫を紙に染ませて乾かし、リトマス紙のように使ったことがある。連想がいろいろ沸く。そういえば二上山にも榊があったな。二度登った。夕暮れ時にあの山に一人残されると霊気漂う感じだった。
 榊は言うまでもなく神木である。字を見てもわかる。木に神で榊だ。日本語のサカキは……と自分の記憶を辿る前に字引を引いて、ほぉと思う。大辞林には「栄える木の意」とある。ほんとか。広辞苑を引くと「境木の意か」とある。異界の境の木というのも奇妙に穿った釈に思える。私はというと、単純に、源氏物語ではないが、賢木と読み下していた。賢き木である。あなかしこ。ゆえに神木という理解であった。
 榊が神木というのは元々は常緑樹であるからなのだろう。日本の山は、一部の地域を除けば、広葉樹林であり、そのなかで常緑樹の榊は目立つので貴ばれたのではないだろうか。

大伴坂上郎女、神を祭る歌一首 並に短歌(万葉3・379)

ひさかたの天の原ゆ
生れ来たる神の命
奥山の榊の枝に
白香つけ木綿とりつけて
斎瓮を斎ひ掘りすゑ
竹玉を繁に貫き垂り
鹿猪じもの膝折り伏せ

手弱女の襲取り懸けかくだにも吾は祈ひなむ君に逢はじかも


 榊の生うるのは万葉の時代から奥山なのだと改めて思うのだが、奥山とは、とここでもまた辞書を引いてみたが、人里離れた山、奥深い山、深山と詰まらぬ釈しかないが、これは超えるべき有為の奥山でもあろう。有為は有為転変に原義を残すが無常の尽きるところでもあるのだろう。となれば、榊とは境の木か。
 盆の起源はそれが盂蘭盆の略であるように仏教というよりは粟特人(参照)の風習であろう。異界観もそれに近いものだったのだろう。榊に担われる常緑樹の信仰は何に由来するのだろうか。
 そういえばとウィキペディアをひいてみたら榊の項があり(参照)、意外な話があった。

近年、店頭に並ぶ神棚用のサカキは、日本の業者が中国で栽培し輸入したヒサカキが大半をしめている。

 そうなのか。
 スーパーのもヒサカキだったか。

店頭に並んでいるサカキとヒサカキを見分けるポイントは葉のふちで、葉が小さく、ふちがギザギザならヒサカキ、表面がツルツルしていて、ふちがぎざぎざしていない全縁ならサカキである。

 縁にギザのないのがサカキらしい。「極東ブログ: カネは天下の回りもの」(参照)みたいな話だな。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.07.29

レバノン危機の難しさ

 イスラエルとレバノン内ヒズボラの紛争が激化している。前回「極東ブログ: 軍服もどき」(参照)を書いたときは私としてはガザ地域の紛争に力点を置き、ヒズボラとの紛争についてはここまで悪化するとはあまり想定していなかった。ただ、産経新聞の記事を引用しヒズボラの背後にシリアとイランが動いているとなると話は全然違うだろうなと思っていた。
 その後の経緯のなかで、私の関心はシリアとイランが今回どのようにヒズボラの行動に関わっているかに向いたのだが、エントリに書けるほど確たるソースなり分析というのは見かけなかった。むしろ、そんなの当たり前でしょという感じの議論も多いのだが、慎重を期したいというのと、シリアと米国の関係について「極東ブログ: シリア制裁発動」(参照)でも触れたがそう簡単に割り切れないものがある。
 世界の平和を希求する日本国国民としてはとにかく停戦あるべしということだろうし、国内報道もそうした流れをまず錦として掲げる。そして現状を見ればまずイスラエルが空爆を止めるべきだというテーマになり、そこからお話ができあがる。そしてそれはお誂え向きにイスラエルを擁護する米国批判ということになり、諸悪の根源はブッシュということで、FAとか。
 まあそんなものだろうと思って新聞社説やNHKでの解説などを見ていたのだが、今回は多少トーンが違い、イスラエルの心情なりや米国の戦略を読み取ろうとする解説も目に付いた。日本での中近東報道も成熟しつつある。
 大手新聞社説で一番冷静に見ていると思えたのは昨日の日経新聞”米欧不一致で遅れるレバノン停戦”(参照)だった。標題は米欧批判のように見えるが内容はリアリズムに近い。


 イスラエルの作戦の目的は可能な限りのヒズボラの軍事的な弱体化であり、最低限の目標はイスラエル領内へのロケット弾攻撃を不可能にさせるようレバノン南部国境地域を緩衝地帯にすることだろう。
 主要国首脳会議(サンクトペテルブルク・サミット)が軍事行動の自制を求め国際部隊派遣構想が浮上した後、米国はすぐに仲介外交に動かなかった。ヒズボラがイスラエル攻撃能力を保持したまま停戦するのでは将来に禍根を残すとする米国は、イスラエルに作戦遂行の時間をある程度与えたものと解釈できる。
 イスラエルは緩衝地帯を確保すれば、自ら占領せず後は盾としての国際部隊に委ねる計算だ。その点で今後のシナリオはかなり明白だろう。即時停戦を求め、国際部隊派遣に積極的な欧州諸国も、ヒズボラと自ら対決するリスクは避けたいから、派遣時期はイスラエルの作戦遂行が進んでからという本音がうかがえる。

 このシナリオについて日経は直接批判を加えているわけではない。むしろ、これで「シナリオは見えてきたが、問題は時間だ」として被害を最小限に抑えるしかないというまとめにしている。
 確かに子供まで巻き込む目下の被害に目をつむれと言えるわけもないが、ここでイスラエルを暴発させない仕組み作りが重要だろう(イスラエルの暴発がなにをもたらすかは言うまでもない)。
 ただ「緩衝地帯」なりが実現してもヒズボラは射程六〇~一〇〇キロのミサイルを保有すると見られるので、現実的には何か別ものが想定されているのだろう。たぶん、過去の失敗も顧みずイスラエルは大規模な地上戦に踏み出すのではないか。
 この間私がもう一つ読み違えていたなというのは、イスラエルによる国連レバノン暫定軍監視所への空爆だ。当初誤爆だろうと思っていたし、イスラエルもそう主張するのだが、いくつか状況を見ると(標識もあり連絡も取っていた)、これはアナン国連事務総長の見解が正しい。読売新聞”「計画的に標的にした」アナン国連事務総長が非難声明”(参照)より。

 アナン国連事務総長は25日、レバノン南部ヒアムで国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の施設がイスラエル軍の攻撃を受け、停戦監視要員が死亡したことについて「衝撃と深い悲嘆」を表す声明を発表した。
 声明は、攻撃が国連施設を「明らかに計画的に標的にした」と非難。イスラエル政府による徹底調査と、国連の施設や人員に対する攻撃の中止を要求した。

 イスラエルはばっくれるのだろうが、ここまで国連を脅す必要がなにかあったと考えるべきだし、その部分がよく読めない。”レバノン危機:イスラエル空爆、国連の中国人死亡”(参照)でも伝えるが今回の死者には中国人が含まれてたので、中国としても強い不快感を示している。
 話が散漫になるが、全体の遠い背景としては、シーア派イランの孤立があるように思う。アラブ世界の多数は穏健なスンニ派なのでそうした穏健勢力の育成を計っていくことが構造的な問題の緩和になるのではないか、遠回り過ぎるかもだが。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2006.07.27

[書評]「昭和東京ものがたり2」(山本七平)

 時折戦前の天皇機関説について考えることがある。いろいろ議論はされているし史学的な研究もないわけではない。ただあまりしっくりきたことはない。
 ウィキペディアにもこの項目があった(参照)。そう悪い解説でもないし、重要な天皇機関説事件(参照)についても比較的詳しいと言ってもよさそうだ。が、つまりは後代からは歴史というものはこう書かれるということでもある。
 山本七平の「昭和東京ものがたり2」(参照参照)では、彼がその時代を生き、そして後年またその時代を振り返って、なんというか不思議な考察を加えている。


つくづく不思議だなと思うのが、実は「天皇機関説」なのである。この問題の経過を私が知ったのは、実は戦後のことで、攻撃の対象となった一木喜徳郎とその高弟美濃部達吉の説、いわゆる「天皇機関説」がG・イェリネックの国家法人説を帝国憲法に応用して成立した説だなどとは、当時、知るわけがない。この点では庶民同様「機関説」と「機関車」の区別がつかない一人であった。
 ただ、貴族院でこの説を菊池武夫が激しく攻撃した背後には政争があった。簡単にいえば、だれかが、だれかを、引きずり下ろして失脚させ、自分がその地位に昇りたいと思っていたという点は、庶民は相当に正確に嗅ぎわけていたことを、資料を調べたときに知ったのである。私は驚いて、正直にいってなぜ庶民が、おそらく当時のエリートが蔑視していた庶民が、これほど鋭くその実態を見抜いたのかわからなかった。
 私は国会図書館に行って、庶民が「嗅ぎわけ」のヒントとした記事がどこかに無いかかと探したみたが無い。なくて当然であろう。それはその人が心底に秘めていることで、取材に応じて語るようなことではない。もちろん推測した記者はいるかも知れないが、「彼の心底を探ればかくかくしかじかである」などと書くことは、昔も今も、できるわけがない。何の証拠もないし、何のうらもとれないからである。
 ではなぜ庶民のカンはそれをつかみ得たのか。それは非常に単純な原理、人間には権力欲があり、権力が目の前にちらつけばどんなあさましいことでもする。昨日までの主張も平気で捨てられる動物だということを知っていたからであろう。これは現在でも変わらない。そのことを昔の庶民は、「情報無知」であるがゆえに、今よりはっきりと意識していたということである。

 歴史学的にはこうした問題は扱えない。だが、歴史というのは人間が生きているなかで進行しその思いは人への信頼のなかで嗣がれる。
 具体的にこの事件について山本はこう解説する。

 ではだれが「天皇機関説問題」を「演出」しているのか。庶民はそれが平沼だと思っていた。もっとも庶民のカンによる「流言蜚語」が果たして正しかったのかどうか。これは今ではわからない。というのは表向きには何の資料もないからである。ただ斎藤内閣が平沼の「空中楼閣」で倒れ、その後で後継総理を天皇に奏請するとき、慣例に基づいて、元老西園寺公望、牧野内大臣、一木枢密院議長、前・元首相による重臣会議により岡田啓介と決定していたことはわかっている。そして元首相といっても、田中・浜口・犬養はすでにこの世にはなく、若槻前首相がいるだけで、彼はすでに民政党総裁を辞任しようとしていた。こうなると実際の決定権は西園寺・牧野・一木・斎藤の四人である。
 この中で平沼を推す者は一人もいなかったらしい。と言ってもだれも会議の内容は知らないのだが、その顔ぶれはみな「司法ファッショ嫌い」である。そのため彼は総理になれず、そこでまず美濃部機関説を攻撃し、彼の師でその説の「根元」ともいえる一木喜徳郎にゆさぶりをかけようとしていた。これはうまい手で、この手で一木喜徳郎を追い落とせば彼は枢密院議長になれる。そして追い落とすぞと威嚇するだけなら一木喜徳郎は彼を枢密院から追い出すために総理に推すであろう。庶民はこれを「平沼の王手飛車取り」と思っていた。彼は最終的に目的を達し、枢密院議長にも総理大臣にもなった。

 もちろん、歴史というのは流れを持っている。後代からすれば関係ない問題に見えるものでも渦中では繋がりの空気を強く感じることができる。「天皇機関説問題」の前には帝人事件(参照)があった。「司法ファッショ」である。事件は検察のでっちあげで最終的には全員無罪となった。これを引き起こしたのは平沼騏一郎であろうというのは今日歴史の通説と言っていいだろう。彼は司法官僚出身でもあった。もちろん庶民は平沼の野望を知っていた。ウィキペディアの同項目にはこうある。

平沼は自分が枢密院議長になることを期待していたが、元老、西園寺公望の反対で副議長のまま置かれたことを恨み、倒閣を図ったという。

 おそらく山本が驚嘆をもって指摘するまでもなく、当時の庶民にしてみれば、「天皇機関説問題」とやらなんであれ、なにか政争の問題があればそれを仕掛けたやつがおり、それは達成してない野望を持つやつだという察しはあったことだろう。
 庶民の知恵が活かされ、司法ファッショを嫌う立憲政治が維持できれば、平沼騏一郎の登場を阻止できたかもしれないというのは歴史のイフにすぎないが、同じような歴史が繰り返されるときそれは鏡となる。
 当時議会は美濃部達吉の「天皇機関説」を圧倒的に支持した。しかし、それでも歴史は混迷に向かって動いた。
 引用が長いがもう一カ所同書を引用しよう。菊池武夫の攻撃の話に続く。

 そしてこれに対して弁明および反駁を行った美濃部達吉の演説は、貴族院はじまって以来の名演説といわれ、大拍手で終わっている。いわば論戦では美濃部の勝ちなのだが、実は、勝ち負けが問題っではなかった。ついで衆議院の代議士で陸軍予備少将の近藤源九郎が美濃部を不敬罪で告発した。いわば資料で追う限り平沼は全く表面に出ていないのである。だが、庶民の受け取り方は違っていた。そしてこういう庶民のカンは今ではなくなってしまっているらしい。

 そして、なくなって久しい。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2006.07.25

ゲド戦記の謎

 ゲド戦記の映画化というかアニメ化ということもあって、この物語の話題を耳にすることが多くなった。ゲド戦記については、どうしても気になることがあり、ある種難問に直面して行き詰まる。その心のひっかかりを率直にちょっとメモ書きしておこう。以下、この物語を読んでないかたにはスポイラーがあるのでご注意。
 ゲド戦記は私のような読者にしてみると、三巻「さいはての島へ」で終わった物語であった。しかしそれで本当に終わったのかというと、「極東ブログ: こわれた腕環(ゲド戦記2)アーシュラ・K・ル=グウィン」(参照)で触れた二巻の意味合いが難しい。ストーリーテリングとしては二巻は三巻と不整合ではないのだが、テーマとして見るなら三巻で一巻と二巻のテーマが統合されてはいるとは思えない。特に二巻に提出された大きな問題がある(女の本質について)。なので、その部分だけこのブログであの特定の時期を背景として書いた。
 ところがゲド戦記はその後十六年後に「最後の巻」が書かれた。これはなんと言っていいのか言葉に詰まるが、とりあえずは驚くべき展開だった。三巻の栄光として暗示されたゲドは四巻では実際には半死半生の無力な人間になってしまっていた。それでいてストーリーの時間では三巻はなめらかに四巻に接続し、そしてある意味で見事に二巻を統合した。
 ここで突然変なことを言うのだが、私の人生の自分にとって謎はゲド戦記の一巻、ゲドと呼びかける影の出現に象徴されている。あの影の出現が私の人生の原点に起こった。ゲドの物語は私の人生の暗喩になってしまったし、私にはゲド戦記をそう読むしかできない奇っ怪な物語になった。人生においてなぜこんな物語に出会うことになったのか。さらに四巻の無力なゲドは四十歳過ぎた私の無力と絶望にきれいに重なることにもなった(もっとも私は大賢人たることはなかったので遙かに些細な存在であるが)。
 四巻の謎、私にとっての謎の一つだが、カレシンがゲドをゴンドに連れてきた理由は、標題のように「帰還」ということもだが、おそらくテハヌーのためであったということだ。四巻の終わりは暗示深い。


ゲドはコケばばの家の戸口にさっきから腰をおろしていた。彼は朝日のあたるなか、ドアの柱に頭をもたせかけて、目をつむった。「なぜ、わたしたちはこんなことをするのだろう?」ゲドはつぶやいた。
 テナーはポンプからきれいな水を洗面器に汲んできて、顔や手を洗っていたが、終わるとあたりを見まわした。ゲドはすっかり疲れきって、朝日のなかば仰ぐようなかっこうで眠り込んでいた。テナーは戸口ゲドの傍らに腰をおろすと、その肩に頭をもたせかけた。わたしたちは余備の人間なのだろうか、とテナーは思った。余備の人間であるというのは、どういうことなのだろう?

 ここで「余備の人間」という奇妙な問いかけが出てくる。意味がよくわからない。
 予備ということかもしれないが、何かに備えた、そういう定めのような存在ということだろうか。そして、その何かはカレシンとテハヌーに関係していることは疑いないので、「最後の巻」がこれで終われるわけもなかった。
 さらに十一年後「アースシーの風」が書かれる。
 ゲドの存在感はこの物語に重たいトーンを投げかけているのだが、ゲドは最後に少し登場する程度だ。が、そこでゲドはこう呟く。

「わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ。」ゲドは言った。

 これはテナーの次の問いかけの答えだった。

「みんな行ってしまった。もうハブナーにも西方の島々にも竜は一匹も残っていないわ。オニキスは、あの暗がりもそこにいた影たちもみんな光の世界とまたひとつになったので、今こそ彼らは自分の真の国を手に入れたんだって言ってる。」

 ゲドの答えにある、世界を壊してしまったということは、三巻のゲドの達成を指すとしていいだろう。とすれば、五巻において、三巻のゲドの達成は根底から否定されるためのものだったということになる。
 そんなことがあるのだろうか。うがった見方だろうか。
 しかし、三巻においては、ゲドの力は魔法の力でもあった。しかし、四巻から五巻へのダイナミズムは、竜(カレシンとテハヌー)の力と、魔法を超える力の出現だった。その意味で、五巻までの物語の全体構造において三巻のゲドの達成は根底から否定されているという整合はある。あるにはある、とりあえず、としていいだろう。
 ただ、どうも自分にはっきりとそこが自覚はできない。
 テハヌーが竜となるという暗示もよくわからない。四巻の印象ではテハヌーは女の大賢人になるという暗示がしくまれているようにも読める。
 五巻の「影たちもみんな光の世界とまたひとつになったので」はゲドの出現である一巻の再起的な話のようでもある。
 この物語を一つの大きな全体として受容するとき、三巻までの完成は単純に否定されるのだろうか。三巻の、つまり、ゲドという存在の意味が、五巻において見直したとき、私には正直に言ってよくわからない。

| | コメント (9) | トラックバック (8)

2006.07.24

「者」の点はいつ消えたのだろう

 書棚の奥の本を取ろうとしてぼろっと「日本の漢字・中国の漢字」(参照)が落ちてきた。戻す前にぱらとめくったが運の尽き。そういえば、と少し考え込んでしまった。「者」という漢字について。


 現在の漢和字典は、字解のあとに熟語を掲げて解説するとき、その字が語頭にある語だけ並べる。このやりかたで行くと、例えば「者」という字のように、それが語頭に立つ熟語例を見ないものについては、説明が一字の説明だけに終わることになる。その結果、この字の説明は、とかくむずかしく、中国語や漢文訓読によほど通じた人でなければ理解がむずかしいものになる。

 というわけで、あるべき説明の試みが続く。一読、なるほどねとも思うし、これは違うんでないのとも思う。いずれにせよ、こういう解説はスポラディックにやってもなとは思う。
 gooの辞書で「者」を検索すると、わけわかんないにはなる。

しゃ 【者】
〔「其者(それしや)」の略〕その道の者。玄人(くろうと)、特に芸者・遊女。


もの 2 【者】
〔「もの(物)」と同源〕人。古来、単独で用いられることはごくまれで、多く連体修飾語を伴って用いられる。
「家の―を迎えにやる」「若い―」「おまえのような―は勘当だ」「だれか試してみる―はいないか」「―は極(いみじ)き臆病の―よ/今昔 28」
〔「人」に比べて卑下したり軽視したりするような場合に用いられることが多い〕

 学校ではどう教えているのだろう。漢文を学べばそれなりに知識の補充にはなるか。
 などと思いつつ、なにか心にひっかかるなというのがあって、ふと思い出した。点だ。あの点は何処へ?
 私が何歳のころだろう。小学生の頃だろう。父に宛てた葉書を見ると「者」には必ず点が打ってあった。けっこうな大人がみんな「者」に点を打っていた。なんでこんなところに点が打ってあるのかと、随分疑問に思ったものだった。
 私の父母は信州人なのだが、「小諸」の地名の「諸」にも点があった。
 あの点は何処へ?
 もちろん、GHQ漢字で書体を整理したとき、この点は要らないでしょ、みたく取ったのではないか。まったくGHQのやることはひどいもので、おかげで現代日本人は、大と犬と太の区別も付かなくなったし、氷と水の区別も付かなくなってしまった……。
 戦後教育から「者」の点が消えたのだろう。とすると、点の無い者は、昭和十五年生まれくらいからか。だとすると「年号年齢早見表 極東ブログ・リソース」(参照)を見るに今年六十六歳くらいか。まだ七十歳の人は「者」に点を打っているだろうか?
 あの点は、何時打つのかも子供心に疑問だった。最後だろうか。百隠曰く、太神宮の太の字に点を打つのが神道の秘訣というが、仏法の点はどう打つぞ、ではないが、「者」の点はどう打つぞ。
 わかんない。台湾では打っていたはず。関係ないけど台南では檳榔も売っていた。そういえば儂のことを「弁当」と呼ぶ者があるが、弁当とはな。台湾では「便當」であった。
 台湾のサイトを覗くと者に点を打っているのではないか?
 覗いて見て、びっくりした。いや、ちゃんと打っているのだよ。ほれ。

 まあ、そうでしょと思ったのだが、ユニコードだと点が消えるみたいだ。ビッグ5だと点が出てくる。いつたいだういうことなのでせふ。野嵜さんにでも尋いてみませふか。
 ユニコードで旧字体と自動的に入れ替えちゃうことがあるのは、Google先生とか使っていて知っていたが、こんなことがあるのか。というか、星港あたりでは点は消えているのだろうか。
 点の由来はなんだろと、金文(参照)を見ると、点がくっきりと見える。篆文を見ると点はない。
 もしかしてこの点は「おいかんむり」の一部かと……そんなわけはない。考・孝の金文を見てもなんだか由来が違う。
 わからん。しかし、これを機に機のように私は者にもこっそり点を打とうかな。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2006.07.22

米産牛肉輸入再開、雑感

 米産牛肉輸入再開がこの二十七日に決定された。これに昨日ラジオで聞いた話を含めて少しメモ書きしておきたい。
 米産牛肉輸入再開については今日付の読売新聞”米産牛肉、輸入再開27日決定…現地査察「問題なし」”(参照)にこうある。


 BSE(牛海綿状脳症)の特定危険部位である背骨の混入で米国産牛肉の輸入を再停止した問題で、農林水産省と厚生労働省は27日に輸入再開を正式決定する方針を固めた。
 両省が米国に派遣していた調査団が21日、日本向け食肉処理施設35か所の現地査察を終了し、再開に向けて深刻な影響を与える違反などが見つからなかったためだ。

 背景にはいろいろ議論があったがこのエントリではそこは触れない。
 国内的にはというべきかネットの風景ではというべきか、米国牛肉への不信は大きいように見受けられる。反面カナダ牛の問題への指摘はあまり見かけない。ニュースはあった。十四日付けCNN”カナダで7例目のBSE感染牛を確認”(参照)より。

カナダの保健当局は13日、同国内で7例目の牛海綿状脳症(BSE)感染牛を確認した、と発表した。同国西部アルバータ州の乳牛で、生後50カ月。カナダ食品検査庁(CFIA)は、感染牛の処理は確実に行っており、食用や飼料用に混入することはないと述べている。

 カナダの牛は米国民も食べるため、生後三〇か月以下の牛や牛肉の輸入に限定されている(日本は二〇か月)。
 メキシコ産牛肉や中国産牛肉について現在日本では規制がない。BSEを含めた実態がよくわからないのだが、なによりその総量や流通が素人の私には見えない。
 というような関心を持っていたのだが、庶民感覚として例えば私が食べる牛肉は全部といってほどオージービーフである。その国内市場の実態がどうなっているのか気になっていた。
 ラジオの話の受け売りなのだが、日本が米国産牛肉を禁止する以前の二〇〇二年度時点の輸入牛肉については、四九パーセントがオーストラリアで、四五パーセントが米国であったようだ。この比率は薄ら私の記憶にもあり、だいたいフィフティ・フィフティなら米国経路を潰してもなんとかなるのだろうと思っていた。と同時に当時、オーストラリアではこれを機会に日本向け牛肉を増やすべきか悩んでいたという話も聞いていた。あの時点では、オーストラリアとしては日本の米国牛禁止が短期的なものであると想定したらしく、増産の体制を取るのが恐かったようだ。それでも今考え直すと、ある程度の余剰はあったのだろう。
 その後米国産牛肉はゼロとなり今日に至るのだが、二〇〇五年度ではオージービーフが八八パーセントにまでアップしたらしい。これは生活実感にも合っている。逆に言えば、大丈夫かメキシコ産牛肉・中国産牛肉という懸念は一二パーセント内の問題だということになる。それほどたいしたことはないとも言えるし、あるいは流通経路が特定されるのかもしれない。
 オージービーフについては、結局この三年間で徐々に増産体制に切り替えたということになるのだろう。日本側の対処は意外に巧妙なものだなという印象を持つ。
 これで今回米国産牛肉輸入解禁となるのだが、これをオーストラリアがどう見ているかというと、かつてフィフティ・フィフティ状況の再現という予想はなく、それほど脅威とは見ていないようだ。それなりの市場調査の上での予想なのだろうが、これも日本の庶民生活の実感としてはそうなるように思える。ということは、今回の米国産牛肉輸入解禁は日本の市場全体からするとごく名目的なものだろうし、日本が米国産牛肉の市場となるのはかなり先のことになるのだろう。
 国産牛肉はどうなっているのか? よくわからないのだが、輸入牛肉八八パーセントのオージービーフは国産牛肉を含めても五〇パーセントを超えたそうだ。ということは、二〇〇二年時点と二〇〇五年時点の国内牛肉マーケットが同じなら、この間国産牛肉は若干の伸びにとどまったということだろうか。これも庶民的感覚でいうと、高級肉が国産という棲み分けの期間だったような気がする。
 特に話のオチもないのだが、表向きのこの間の米国産牛肉の禁止というのは、BSE問題がというより、牛肉市場の構造変化のための猶予期間だったんじゃないかという印象もある。

| | コメント (6) | トラックバック (4)

2006.07.21

昭和天皇靖国参拝発言、雑感

 昭和天皇靖国参拝発言について簡単に思うこと書いておきたい。最初に疑問に思ったのは、この文書の出現の経緯である。私が見た最初の報道は日経”昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ ”(参照)であり、それには次のように「日本経済新聞が入手した」とある。


 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。

 その後、朝日新聞”昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀”(参照)でも見かけ、ネットで読む分にはこちらのほうが記事の量は多い。が、出現の経緯について触れていなかった。富田朝彦氏の親族からどのように報道機関に流れたのかについてジャーナリズムは沈黙しているように思えるのが訝しい。あるいは経緯の報道はすでにあるのか。
 内容からはすぐに「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」(参照)を連想する。寺崎日記に描かれる昭和天皇像と齟齬もなく、またかねて徳川義寛・侍従長が発言している主旨(参照)とも齟齬がない。
 今朝の産経新聞社説”富田長官メモ 首相参拝は影響されない”(参照)にあるように説としては想定されていたことではあった。

 天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。

 その意味で今回の史料は後者の説を補強することになるだろうし、恐らく昭和天皇自身の言葉であろうと推測される。
 が、寺崎日記が出現した経緯を思い出していただきたいのだが(というあたり知らない世代もネットには多いのであろうが)文藝春秋が発掘から発表までの経緯の責を担った。そうすることで史学対象になりえた。同じふうに考えれば、今回もこのメモの全文が最初にきちんと提示されなくてはならないだろう。
 実際史料としてみるとやや奇っ怪な印象を受ける。以下、検討に必要なので画像を掲載する。
 先の朝日の記事で見たオリジナルは以下のように提示されていた。

photo

 産経新聞”昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感 ”(参照)掲載の全体写真を見ると、この部分だけメモに貼り付けていることがわかる。さらに、朝日新聞の掲載部分がトリミングされていることがわかった。

photo

 天皇の発言とされる文脈が知りたいのでネットを探すと、以下のようである。

photo

 朝日新聞がトリミング・アウトしたのは次の文章のように読める。


前にあったね どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったか
藤尾(文相)の発言.
=奧野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚のことと思う
単純な復古ではないとも.

 これに朝日新聞のトリミング「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」が続くのだが、全体の文脈が掴みづらい。
 こうした文書はきちんと全体が校訂され、歴史学者の基礎的な検討が入ったのち、史料として提出される類のものだと思える。
 今回の事態で、さらに二つほど違和感を覚えたことがある。一つは、連想される寺崎日記の位置づけだ。今朝の読売新聞社説”[A級戦犯合祀]「靖国参拝をやめた昭和天皇の『心』」”(参照)に驚いた。

 90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で、昭和天皇は松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。

cover
昭和史の謎を追う
 このくだりがあたかも史実のように語られているのだが、寺崎日記の背景を読売新聞社説子は知らないのだろうか。この件について関心のあるかたは、「 昭和史の謎を追う〈下〉(秦郁彦)」を一読されたい。
 とはいえ、読売新聞社説が引用した有名な箇所はおそらく昭和天皇自身の考えを反映していたとは言えるだろう。つまり、彼は三国同盟について疑念とある種の怒りを持っていたようだ。特に寺崎日記では松岡洋右に厳しい。

松岡は二月の末に独乙に向かひ四月に帰ってきたが、それからは別人の様に非常な独逸びいきになつた。恐らくは〈ヒトラー〉に買収でもされたのではないかと思はれる。


一体松岡のやる事は不可解の事が多いゝが……彼が他人の立てた計画には常に反対する、又条約などは破棄しても別段苦にしない

 今回の富田長官メモもその系統にあり、であれば、A級戦犯がという問題より、昭和天皇の私人としてこの特定の人物に対する忌避の強い思いと読むほうが妥当に私には思われる。 そのあたりが二点目の違和感だった。
 いずれにせよ、この天皇発言とされるものについては、歴史学者の検討が含まれた、まとまった書籍なりで読んでから考え直してみたい。

| | コメント (74) | トラックバック (13)

2006.07.20

東京が世界の中心なのかも

 「東京が世界の中心なのかも」とか書くと釣りですか失笑とかなりそうだが、今週のニューズウィーク(日本版)7・26”さあ新メガロポリスの時代へ”を読むと、そんなことを考えさせられた。極東ブログ的な関心のスレッドで言うと、「極東ブログ: 進展する世界の大都市化」(参照)に続く。
 中心というのが最大規模を指すなら、「東京が世界の中心なのかも」ではなく、マジで中心としか言いようがない。先の記事の話から見るとこうなる。

ボストン・ワシントン・NY   5480万人
大東京圏  5470万人 
上海・南京   5050万人 
欧州低地地帯  5000万人
大ロンドン圏  4910万人 
シカゴ・ピッツバーグ  4500万人 
大ソウル圏  4300万人 

 ボストン・ワシントン・NY圏に東京が微妙に負けているけど、ほぼ同格だろう。地域的に見れば、日本の場合、これに中部日本(大阪・名古屋)3610万人がほぼ隣接するのだから、最強と言っていいのではないか。もっとも、大阪ですかの溜息は「極東ブログ: 夕張市自治体破綻、雑感」(参照)とか見るとあるが。
 それにしても、地方がなんだかんだとか言っても結局日本は大東京に国の人口の半分近く集約したことで、事実上最強のシフトを固めていた。傍の国から見ると、恐ろしい国だなという感じがするのではないか。ちょっとノドンを打ち込んでみたくなるくらい。この大東京で足りないのは、消費と若い人の活力か。でも、爺・婆パワーがそれを十分に補って席巻したりして……いや、これも案外マジで。日本人訳もなくみたく長生きしているし。


 日本は国というよりも、大東京圏を中心につながり合った巨大都市圏のようだ。地図を見ていると、日本の三つの主なメガロポリスが、人口1億人以上の巨大な一つのメガロポリスに思えてくる

 日本はこれから人口縮小にはなるが、クリティカルな領域にすぐ突っ込むわけでもないので、二十年スパンでこの構造が維持できるだろう。
 ニューズウィークの記事の議論のほうに戻ると。

 中国の経済は急成長しているが、繁栄しているのは国全体ではなく上海など東部の一部地域だけ。同様に、インドでハイテク産業が栄え、雇用が増えているのは、主にバンガロールからハイデラバードまでの限られた地域だ。
 世界の繁栄の原動力となっているのは国ではなく、活力に満ちた地域といっていい。

 この地域のようすがわかるように経済力を高山に見立てた地形図ができてそれが記事にも掲載されているのが非常に面白い。

 そこで私たちは新メガロポリスの世界地図を作ろうと考えた。人工衛星がとらえた画像を見れば、宇宙から見える地表の光で各地域の輪郭はわかる。そこに、人口や経済力などのデータを盛り込んで地図を作った。

 この地図は記事には一部掲載されているがネットにはないものか?
 いずれにせよ、世界の実態というのはこういうことなのかというのが一目でわかる。
 数字からは突出と地域内の分散がよく見えないが、例えば大ソウル圏といっても突出はなく実は韓国(南朝鮮)をほぼなだらかに覆っている。また、大ロンドン圏などもそれに近い。突出した集約度からすれば東京がダントツである。
 中国については、この一部の繁栄は他の部分の労働の流入で成り立っているのだから、それだけまだまだ余力があるともいえるし、それってマジこいて問題ではないかとも言えるかもしれない。いずれにせよ、国の割で考えていくと見えないことは多くなってきている。
 こうした巨大都市がイコール繁栄と消費かというとそのあたりは難しい。記事ではつまらんオチが付いているが本質的な問題というか、日本への課題でもあるのは、巨大都市が未来の富を産む構造になっているかということだ。
 「文化の中心地」みたいな与太話はさておき、新しい産業構造やエネルギー問題にこうした構造がどう対応するのだろうか。
 それ以前に、日本人がほぼ自覚してないのにこんなものを作り上げる日本の底力というのは、さらにその慣性というか延長として、何をもたらそうとしているのか。もしかして、出会い?

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2006.07.19

パロマ湯沸かし器死亡事故、雑感

 パロマ湯沸かし器死亡事故についてよくわからないのだが、存外に世間の話題になっているようで、新聞の社説でも取り上げられるようになった。この問題について私は特に考えもまとまらないが世相のブログということで少しだけ雑感を書いておこう。
 いつからニュースになったのか、とりあえず今回の世相面での表出の発端を見ると、十四日の経産省の発表のようだ。十四日付け時事”パロマ製湯沸かし器で15人死亡=CO中毒、事故原因を究明へ-経産省”(参照)あたりがネットから見える最古の記事のようだ。


 パロマ(名古屋市)が販売した瞬間湯沸かし器4種で1985年から2005年までに一酸化炭素(CO)中毒が17件発生し、15人が死亡していたことが14日、経済産業省の調べで分かった。同省は、パロマと機器を扱うガス事業者に対し、当該機種のほか類似3機種の点検の実施と原因究明を指示。他メーカーでも同様の事例がないか調査に乗り出した。

 私がこの時点でなんとなくラジオで聞いたのは、被害者遺族の疑念追求の話だった。そのあたりはどうなっているのかと調べ直すと十五日付けの読売”「パロマ」事故多発判明、母の執念による再捜査が契機”(参照)が見つかった。

 「息子の死の真相が知りたい」――。パロマ工業製ガス湯沸かし器で一酸化炭素中毒事故が多発していることが発覚するきっかけは、今年3月、ちょうど10年前に起きた死亡事故を巡って、息子を失った母親が警視庁に再捜査を依頼したことだった。

 一遺族の問題提起が今回の話題の発端になっていたようだ。毎日”パロマ 無念の10年なぜ今ごろ 遺族の怒り捜査動かす”(参照)にはもう少し詳しい話がある。

 東京都港区のマンションで一人暮らしをしていた敦さんが死亡した当時、健二さんは警視庁赤坂署から死因について「心臓発作ではないか」としか聞かされていなかったという。今年になって、息子の友人の勧めもあり、当時の監察医務院の医師に問い合わせたところ、「死因は一酸化炭素中毒。それも考えられない濃度。事件性がある」と教えられたという。
 今年2月から3月にかけて警視庁に原因究明を訴え出た。再捜査のきっかけだった。
 健二さんは「警察は10年前に事件性を把握できたのではないか。なぜすぐに捜査をしなかったのか納得がいかない」と批判。

 当時に気が付かないものだろうかと疑問に思っていたが、中日新聞”母の思い通じ再捜査 パロマ製ガス湯沸かし器事故”(参照)にはこういう情報がある。

 1996年3月、松江市の自営業山根健二さん(57)の長男敦さん=当時(21)=が東京都港区の一人暮らしのマンションで遺体で発見された。ギタリストを目指し高校中退後に上京。仕事も軌道に乗った矢先の訃報(ふほう)だった。赤坂署は死因を「心臓発作」と説明。発見が死後1カ月後ということもあり、母の石井聡子さん(53)は敦さんの顔を見ることができず「母として息子に申し訳ない」と後悔し続けた。

 遺体が発見されたのが死後一ヶ月後。このことが警察の対応のまずさに影響していのかもしれない。しかし、検視はきちんとされていたようだ。

 それから10年が経過した今年2月、悩んだ末「息子の写真を見たい」と署に問い合わせた。同時に監察医務院の医師にも連絡をとると「通常では考えられない高濃度の一酸化炭素中毒だった」との説明を受けた。「息子は病死じゃない」。署に何度も電話をかけ、真相究明を訴えた。

 この事件について言えば、明白に警察の落ち度と言っていいだろう。
 ここで少し考えるのだが、この事件は、死者二十人と言われる今回のパロマ湯沸かし器死亡事故発覚のきっかけであって、その事件の中心部分ではないのかもしれない。死者が集中しているのは一九八五年から九〇年製造の機器のようだ。毎日”パロマ事故 85~05年に27件、20人死亡…会見で”(参照)とある。

パロマは14日、80年から89年に製造した屋内設置型の「半密閉式瞬間湯沸器」4機種で17件の事故が発生し、15人が死亡したと発表していたが、その後の調査で、同じ機種から新たに秋田、福岡など5都道県で10件の事故と死者5人が判明した。これで事故は8都道府県に拡大した。

 事件発覚のきっかけになった山根敦さんの事故は一九九六年だが、この期間の機種だったのだろうか。
 この事件は現状考えられているよりもっと裾野の広い問題を秘めているのかもしれないと思った。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2006.07.17

3+2×4をどう読む?

 学力低下問題に関心ないとか言っておきながら昨日のエントリの続きのような話。今度は算数。産経新聞”3+2×4=20? 四則計算、小6の4割誤答”(参照)で、標題のような誤答をする生徒が多いという話題。


 一貫した論旨の展開や数学的な思考が苦手な小中学生が多いことが14日、国立教育政策研究所が実施した学力テスト(特定の課題に関する調査)の結果で明らかになった。「3+2×4」(正答は11)という基本的な四則混合計算では小5の3分の1、小6の4割強が誤答し、深刻な計算力不足がうかがえる。国際調査で学力低下を示す結果が相次ぐなか、現在進められている「ゆとり教育」(現行の学習指導要領)の見直し作業にも影響を与えそうだ。

 新聞的にはだから困ったもんだという話なのだろうが、私は、「3+2×4」をどう読ませているのだろうかと疑問に思った。昔、家庭教師をしていたころ、数学が苦手な子に数式の読み方を教えたことがある。読めないものはわからないというところで学習がブロックしているように思えたからだ。
 数式には意味がある。意味があるものは文章で表現できる。だから、「3+2×4」も読み下せるわけである。漢文と同じ。読み方も漢文と同じで、白文素読と返り点などを付けて読み下すかであろう。
 で、「3+2×4」を、「3・たす・2・かける・4」と読み下すと間違い。読み下しだと、「3・に・2・かける・4・を・たす」であろう。読み下すことができれば計算はできる。というか、読み下しでパージングも行われる。ちなみに、なでしこ(参照)で「3に2掛ける4を足して表示」とやったら落ちた。
 では白文素読的に読めるか?読んでよいのかとなると、よくわからない。
 いずれにせよ、教育の場では、数式を読み下しさせればいいのではないか。「3+2×4」を「3・たす・2・かける・4」という読み下しで子供が表出すれば間違いのプロセスが明示される。読まないでいると、思考のプロセスがわからない。
 ただおそらく、数学ができる子とそうでない子の差は、こうした数学という言語をそのまま、英語のように外国語として理解する能力なのではないか。ジョン万次郎が作った英語の教科書を見たことがあるが、英文に返り点などがついていた。そういう教育もありなんだろう。
 話がずっこける。昔岡田英弘先生の講義で、先生が冗談で漢文のようなものを書いて、これは何語だかわかりますかと訊かれたことがあった。生徒がきょとんとしていると、英語ですよ、と英語で読み下した。なるほどなと私は思った。先生が言われるのは、漢文と中国語は違い、漢文というのは英語も表現できるということだった。
cover
数と計算の意味がわかる
数学の風景が見える
 数式のこうした読み下しについて、あまり書籍で読んだことはないのだが、野崎昭宏先生が監修された「数と計算の意味がわかる―数学の風景が見える」(参照)では考慮されていた。

 2たす3は5
 つまり2+3=5
であるが、これを読むとき
 2と3を加えると5
と言う人と
 2に3を加えると5
 という人がいる。どちらも5には違いないが、イメージは微妙に違う。

 として図で示し。

とのほうを合併、にのほうを添加と呼ぶことにする。

 として概念を分けていく。
 些細なことのようだが、恐らく数学をきちんと学んでいくときには、こうした差をきちんと理解することが重要なのではないかと思う。
 プログラムをやっている人なら、仮にだが、オペレーションとオブジェクトのメソッドの差は感じられると思う。

add(2,3)
というのと
a = new Number(2);
a.add(3);
という感じだろうか。

 冗談のようだが。
 野崎先生の監修の本では、37℃+37℃は?という例もあった。とんちのようだが、重要な問いではある。他に、なぜ1に同じ1が足せるのかという疑問もあった。
 愚問に聞こえるかもしれないが、代数学の基礎にはこうした愚問が横たわっているし、むしろ数学という学の基礎を問う思考を含んでいる。
 もちろん、目下の問題は、3+2×4=11とする子を増やせということなのだろうし、それには、読み下しさせるのがいいのではないかと思う。

| | コメント (29) | トラックバック (4)

2006.07.16

「奮って御参加下さい」とか

 学力低下問題にはあまり関心はないのだが、今日の読売新聞社説”[読み・書き・計算]「基礎学力向上への指導法を探れ」”(参照)の次の話にはちょっと首を傾げた。


 「挙手」を「けんしゅ」と読む(小5)、「奮って」を「奪って」と書く(中3)などの誤答も多かった。

 「挙手」を「きょしゅ」と読めたとしてその意味がわかるということではないだろう。その意味がわかるということは、ただ「手を挙げる」と解することに加え、「では、賛成のかたは挙手をお願いします」といった日本語の状況を理解しないといけないはずだ。
 というところで、「手を挙げる」と書くべきか、「手を上げる」と書くべきか、をきちんと学校では教えるのだろうか。「手を上げる」と書かせておいて、「挙手」をそれと並行で教えるとしたらそれは矛盾してないか。
 とかいいながら「手を挙げる」ではなく「手を上げる」と書くべきだろう。では、「挙手」はどう教えるのか?
 そういえば、先日「人力検索はてな」で次の質問があった(参照)。

 「成果をあげる」の「あげる」は、漢字で書くと、「上げる」「揚げる」「挙げる」など、どれになりますか?
 推定ではなく、確信のある方の確実なご回答をお待ちしております。

 確信のある回答は集まったか?
 回答には、goo辞書の参照(参照)があったが、こういうことだ。

(ウ)利潤やよい成果をおさめる。《上・挙》
「多額の利益を―・げる」「好成績を―・げる」

cover
漢字と日本人
 結論を言えば、「上」でも「挙」でもいいというのだが、では、日本語としてどっちがより正しいのだろうか? あるいは「挙」でもいいところは「上」でもいいのだろうか。そんなわけはない。「国を上げて」とか「犯人を上げる」はまずいだろう。どっかに使い分けの法則があるはずだ。「式を挙げる」は挙式からだ。しかしとすると挙手から「手を挙げる」になり、振り出しに戻る。
 もともと訓というのは日本語であり、漢字になじまないものだと、高島俊男先生の「漢字と日本人」(参照)のようにわりきってもいいのだろう。
 話がずれる。
 そういえば、私が小学生のとき、「魚」を「さかな」と読んだらバツだった。「魚」は「うお」としか読めないというのだ。「さかな」は「肴」だとも教わった。でも、いつのまにか、「魚」は「さかな」と教えられているようだ。
 しかし、と考えあぐねるのだが、訓は「うお」と「さかな」で、音は「ぎょ」ということか。音は、呉音・唐音・漢音があるから複数あってもいいが、訓は大和言葉というか訳語で、それが「うお」「さかな」と並列するのはアリなんだろうか。アリとすればどういう原則なんだろうか。
 日常語では「うお」とは言わないしなと思っていたが、沖縄で暮らしていると、うちなーぐちでは「いゆ」である。「うお」の音変化であろう。うちなーぐちは言語学者の大半がとんちんかんなことを言っているが、やまとの室町時代の言葉である。やまとことばとしては「うお」でいいのだろう。広辞苑で「さかな」の古語を見ていると、やはり全部「肴」をあてているので、「うお」と「さかな」は古語では別だったのだろう。
 さらに話が反れる。
 先日、太平記を読んでいた。二十三巻で、美濃の守護土岐弾正少弼頼遠がこう言っているのだが……。

頼遠は酔ひも廻つてゐたらしいが、これを聞いてからからと打笑ひ、「何院といふか、犬といふか、犬ならば射て落さう。」

 この「犬」のところをどう読ませるのだろうか。「いぬ」であろうか。すると、「なにいんというか、いぬというか、いぬならばいておとそう」と読ませるのだろうか。ここは「院」と「犬」が駄洒落になっていないとおかしい。ということは、「犬」は「いん」と読むのであろう。というのは、室町時代の日本語を保持するうちなーぐちでは、「犬」は「いん」である。通常は「いんぐゎ」ではあるが。
 話は些細なことになったようだが、この「院」とは、魚を「さかな」と訓じる現代日本人としては「天皇」を意味するといってもいいだろう。だが、「天皇」とは諡である。そしてであれば、神皇正統記で親房は奇妙なことを言っている。冷泉院を指し、

此御門より天皇の号を申さず。又宇多より後、諡をたてまつらず。

 とあり実は天皇制とやらは万世一系どころではない。欠損がある。幕末に日本史を整理してその時点で諡を補っただけのことだ。
 話が散漫になったのでオチはないが、日本語についての学力というのは、まさに日本をどのように理解しているか、古語と古人の言葉をどう受け継ぐかに関わることだし、それ自体が愛国心そのものでもあろう。大人が日本の国とその文化と言葉を愛しているなら、子供もいつかそういう大人に成長するだろうと思う。

| | コメント (19) | トラックバック (0)

2006.07.15

Deed Poll(ディード・ポール)

 ラジオ深夜便を聞いていたらオーストラリアで近年改名する人が増えているという話題があった。改名は届け出だけで比較的簡単にできる。現状ではずば抜けて増えているというわけでもなく、妥当とされる理由も特にないようだ。話ではこの制度をDeed Pollと呼ぶという程度に簡単に触れていたが、そういえばこれは私には以前から疑問だった。
 私事だが昔学校で勉強をしていたときカナダ国籍の講師が講議の終わりに突然、次回はかみさんがやりますよとか言って、なんじゃそれと思ったのだが、次回アルビン・トフラーのかみさんみたいな人が出てきて講議をしていた。なんかよくわかんねーなと思ったのだが、このかみさんの姓がだんなと違っていた。よくある別姓ではなく、だんなの名字の頭にドイツ語名だろそりゃみたいのが付いているのだ。ミドルネームかなんかかと思って聞いてみたら結婚したとき改名したのよとのこと。旧姓を旦那の姓の前にくっつけたそうだ。合理的でしょ、子供はこの姓なのよと続くのが、世の中わけわかんねーのいるよなには当時相当に慣れていたので、ふーんそりゃいいとか答えてしまった。
 後、コモンウェルスではDeed Pollというのがあって改名はけっこう普通らしいと知ったのだが、カナダもそうだったのだろうか。あるいはあのご夫妻カナダへの移民だったのだろうか。
 ちらとネットをひくと、ブログ「えるざの英国日記アネックス」に”ダブルネーム”というページがあり、こんなエピソードがあった。


 えるざも旦那さまも、結婚前は割と珍しい名字を持っていました。結婚に当たって、「どちらかが名字を変えなければならないのはもったいない(?)」と言うことで、二人の名前をくっつけてしまうことにしました。ちなみに国際結婚の場合は日本でも夫婦別性が認められていますが、こちらも「せっかく二人が一緒になるのだから」と、二人で一つの名前を作ることに決めました。
 具体的にどういうことかと言うと、例えば「田中さん」と「スミスさん」が結婚して、「田中スミス」または「スミス田中」にしてしまおうということです。

 こういうのけっこう普通みたいですね。
 記事には簡単ですとの話に続いてこうある。

さてイギリスで名前を変える手続きですが、日本在住の旦那さまはまず「Deed Poll」なる書類をインターネットでダウンロードしました。これを持って地元の公証役場へ行き、目の前で書類にサインしたことを証明してもらいます。旦那さまは今後の手続きを考えて公証役場へ行きましたが、職場の上司や同僚でも良いようです。要は証人がいればいいわけです。

 これがDeed Pollというやつ。
 オーストラリアでの改名はとちと調べたらクイーンズランド州の解説ページ”Registering a change of name”(参照)がすぐにめっかった。改名なんて簡単だし自由にしていいよみたいな話に続いて、Deed Poll廃止の説明がある。

As from 1 February 2004, you will no longer be able to change your name by deed poll in Queensland. However, you may be able to register a change of name on the ‘Change of name register’ which is maintained by the Registry of Births, Deaths and Marriages.

 Deed Pollは廃止になったけど、名前の登録はできますよということだが、私がわかんないのはここだ。結局簡単な登録で改名ができるということだが、Deed Pollとどう違うのだろうか?
 そういえば、アラビアのロレンスことThomas Edward Lawrence(参照)だが、三十九歳のときにDeed Pollで改名し、Thomas Edward Shawになっている。この制度はけっこう古くからあるのだろう。
 英語版のウィキペディアにはDeed Pollについて解説(参照)があり、それなりに詳しいのだが、いまいちわからない。

A deed poll is a legal document binding only to a single person or several persons acting jointly to express an active intention. It is strictly speaking not a contract because it only binds one party and expresses an intention instead of a promise.

The most common use is a name change through a Deed of Change of Name (often simply referred to as a Deed Poll). Deed polls are used for this purpose in countries including England and Wales, the Republic of Ireland, Northern Ireland, New Zealand, some States and territories of Australia, Hong Kong and Singapore.


 契約というのは二者で成立するものだが、一者だけで公的に有効な意思表明の文書というのがDeed Pollの原義のようだが、ここにも説明があるように実際には改名の手続きに使われるようだ。
 ところで字引を見ると、平型捺印証書とあるのだが「捺印」ではないだろうし、どうも全然理解されていない訳語のようでもある。あるいは、日本でもDeed Pollのようなものがあるのだろうか。
 こういうのがわかってないってことは私は抜本的に英米法に無知ってことなんだろうと思うので、歴史背景とその背景の哲学がわかっている人がいて、ご親切なかたでしたら、教えてくださいな。

photo
Deed Poll
署名とシール(印)
photo
Deed Poll

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.07.14

軍服もどき

 エントリのテーマが絞り込めないので雑感に近いだがこのところの世界情勢を薄目で見ながら軍服もどきのことを時折考えていた。まずは目下日本で話題の北の金さんだがあのファッションはファッションなのか軍服もどきなのか。私は詳しく知らない。父っつあんの金日成を思い出すと金持ち金さんよろしく恰幅よく背広が似合っていた。彼の場合は多分に伝説であれ実戦に関わっていたので軍服はマジでもあっただろうが、息子の金さんにはまるで軍歴はない。父っつあんとその軍の老人たちは、彼の目からすればうるさい存在だろうし、そこににょきにょきと生えてくる軍エリートというのはどういうふうに見えただろうか。金さんの軍服もどきファッションはそういう背景があるのだろうか。江沢民も胡錦涛も軍の文脈になると中山服なのか軍服もどきを着ざるをえない。みなさん軍人でもないし。
 テポど~ん(参照)以降、金さんの消息が不明というふうなニュースもある。チキンな金さんが隠れるときはマジーチキンブイヨン状態なので、この状態が長引くと国内的にもろくでもない状態なのだろう。というか、北朝鮮の国家意志について再考する必要はあるだろう。
 話が飛んで。イスラエル状況が悪化していると伝えられている。実際悪化しているのだろう。ガザの問題に局所化されず、イスラエル軍兵士拉致事件というのもあるのだがよりによってレバノン侵攻を始めた。「二正面作戦」?んなあほな。金曜日は基本的にニュースを見ないことにしているのだが少しは沈静化の方向があるかと思ったら逆で産経”イスラエル首相、レバノンへの攻撃強化命令”(参照)によれば、オルメルト首相はびんびんである。彼は軍服もどきを着ているわけではないが、北の金さんとか江・フランケンシュタイン・沢民さんなんかと同類のように思える。
 イスラエルの状況に自分が詳しいわけでもないが民意の大局の流れを見て思うのはイスラエル国民が世論として目下のオルメルトの判断を支持することはないと思う。というか、オルメルトは軍部との関係でそうせざるを得ないのではないか。ただ、この産経の指摘は気にはなる。


 13日付イスラエル紙の中には、ヒズボラがシリアと関係が深いことから、シリアが何らかの形でイスラエルとの対立を表面化させ、アラブ側がイスラエル包囲網を形成するとの警戒感を示す論評も出ている。
 イスラエルとしては、兵士と囚人の「捕虜交換」に応じた場合、第2、第3の拉致事件が発生しかねず、安易な妥協はできない。

 ちょっと陰謀論に足を突っ込むのはなんだが、パレスチナ側のハマスはぶいぶい言っているわりには国際的な対応に統制が取れているわけではないし、パレスチナ人は案外損得に賢いので地味な和平努力の継続でぼちぼちでんなの成果が期待できないわけでもないだろう、と私は思う。そうだとすると、そういうのは嫌という非統制勢力が爆走するのは世の常だし、そうした勢力を「これは使える」にするのもありがち。
 シリアがらみのスジがあるのなら、そのあたりはそれなりのスジで叩くとして、現状は悲惨だが、オルメルトもハマスも周期的な動きをするのではないか。悲観的な楽観論だが。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006.07.13

コンベクションオーブンとスロークッカー

 ココログ投稿できるのかテ・ス・ト。
 先日日記にしょろっと料理のコツみたいなしょうもないことを書いた(参照)。要点は、料理なんてものは二十分以上も手間かけるもんじゃないよということ。料理が好きな人もいるだろうし、母の手作りとか嘘くさいこと言う人もいるけど、実際の生活、夕食作りに二十分以上もかかるようだと嫌になってしまう。やってられるかよ。やってらんなきゃ、外食とか中食とかデパチカになる。というわけで、日頃の食事なんてさっさとやってできるだけ健康な食い物で嫌いでないレパートリーを巡回するだけ、でいいと思う。
 それでも、できたら、ということで、鍋とフライパンは厚手のしっかりしたン万円のがいいと思うし、浄水器もン万円のがいいだろうとは思う。できたらということだけど。そんなのに併せてコンベクションオーブンもお勧めした。
 

cover
デロンギ
コンベクションオーブン
 「デロンギ・コンベクションオーブン」だが、私が使っているのは旧型。東京に引っ越すきっかけで買った。すぐにスイッチの部分が壊れて修理したらまた壊れた。やっぱあれだなイタリア製電化製品のオンオフはコンセントだなということで、そんなふうに使っている。で、何に使うか。いろいろ使える。スコーンとかクッキーとか焼くのもいい。チキンも丸ごと焼ける。チキンの丸ごとっていうのは意外と安いものだよ。スタッフィングに悩むようならレモン丸ごとでもいい。レモンの表面をフォークでグシグシとさしてそれをチキンに詰めて外側を塩・コショウ・油を適当に塗って焼く。他に、スーパーとかで買って冷たくなった天ぷらの温めにもいい。無駄な油も抜ける。ピザもナンも焼ける。特にピザは焼き石を使うからカリっとうめーよ。と、いろいろ使えるし、普通のオーブンより立ち上がりが速いのも手軽。で、そんななかで特にお勧めしたいのが焼き魚。これのコンベクション・モードで焼いた干物は旨いです。鰺の干物とかだと二百二十度十五分くらい。ちなみに鰺の干物を簡単に作る方法もあるがまたの機会に。それから普通の焼き魚も同様にできる。今の季節だとイサキの塩焼きがグッドです。粗塩して小一時間おいて焼く。塩がしみるように串でブチブチやるといいと思うが。で、この粗塩小一時間は調理にはとりあえず含めない。
cover
スロークッカー
タイマー付煮込み名人
 冒頭の話に戻って、料理のコツで、あまり兵器を増強させるのもなぁと思ってスロークッカーのお勧めはしなかった。案の定、ぶくまコメントで二十分じゃ煮物できないじゃんとか言われた。いやいやできるんだってば。というわけで、「スロークッカー」を使う。便利。昨日はこれでソーキを煮た。ソーキっていうのは豚のあばら肉。作り方は一回鍋に水からゆでて沸騰させてから取り出す。あく抜きですね。この手間十分くらいなもの。そしてスロークッカーに投げ込み煮ること二時間ほど。この間なんもすることなし。柔らかく煮えたら、適当に味付けしておしまい。つまり手間は前後の二十分。シチューとかもできる。おでんもできますよ。魚の煮物とかには向かないけど、野菜とお肉はこれでことこと煮ると旨い。スープ系はバッチグーです。それからよくやるのが、鶏ガラと塩と米を水を適当に入れておくと、というか半リットルの水に米は半合ぐらいか、夜中に入れとくと朝には広東粥ができる。
 料理器具は増やさないほうがいいと思うので、お好みで。ちなみに、料理器具でなにが要らないかって炊飯器。「極東ブログ: 米の研ぎ方・飯の炊き方」(参照)を再読あれ。

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2006.07.10

北朝鮮問題でのロシアの影

 エントリの前に。ココログが先週末から事実上利用不能状態に陥っている。そして今週は大規模メンテナンスということで、事実上エントリアップが不能になる。もしかすると、ココログ自体が終了ということになるかもしれない。
 北朝鮮のミサイル実験問題については、現時点では、先日の「極東ブログ: テポど~ん」(参照)に加えることがあまりないのだが、九日付けのテレグラフ”Russia secretly offered North Korea nuclear technology”(参照)が多少気になった。以下、話は陰謀論臭いのでそのあたりは適当にフィルターして理解していただきたい。
 テレグラフでの話は標題のとおり、「ロシアが秘密裏に北朝鮮に核技術を提供していた」ということで、北朝鮮のミサイル技術の背景にも旧ソ連(ロシア)があるのだがそこに直結しているわけではない、とりあえず。核技術以外にはIT技術での繋がりはありそうだ。
 陰謀論的に言うと、黒幕はロシア、ということになるのだろう。現実のロシアは一枚岩ではないのと、なにかと複雑な問題があるが、仮にそうだとするとロシアにどんなメリットがあるのか。


Sources close to the proposed sale of the equipment - which would have civil and military uses - said that it was evidence of Russia's secret support for its Soviet-era ally, which was once a bulwark against Chinese influence in the Far East. It was reported that the North Korean military interest in the exhibition stemmed from the dual purpose of many of the products and technologies on display.

 冷戦構造の再現というスジらしい。いかにもロシア嫌いなテレグラフっぽい暗示だが、一般に冷戦というと西側対ソ連ということだったが、極東地域では、ここでも触れているように、対中国的な意味合いがあった。
 日本側から見ていると、右派も左派も独自に勘違いしているようだが、長期ビジョンで見ると、ロシアの最大の脅威は中国であり(人口論的にも圧倒される)、それが極東に大きく展開してくる。その意味で、極東に対して、中国や日本への重圧の構造を作っておくのもロシアにはメリットになりうるし、このメリットは米国とも共通利益となる。極東のエネルギーはずるっと対米向けにしてもよいのだし。
 もともと北朝鮮というのは、ソ連の傀儡国家として創作されたものであり、金正日自身もソ連人であった。このあたりのごく普通の歴史的な背景というは日本などから見えるよりは大きいのかもしれない。
 話は多少余談に逸れるが、別件でシガチョフ事件(参照)のソ連側のジャーナリズムの扱いを自動翻訳などを使って見ていたのだが十分な情報はなかった。この事件は現状ではビザールな事件ということになっているのだが、老眼風薄目で見ると、まったく違った陰謀論的な図柄が見えてこないでもない。
 日本では右派左派ともに中国に対してあまりに過剰な関心を持っているようだが、北朝鮮とロシア関連の部分に奇妙な盲点があるかもしれない。

| | コメント (8) | トラックバック (2)

2006.07.08

消費税一%引き下げ、でもカナダ

 七月一日からカナダでは消費税が一%引き下げになった。そう、下げ。消費税っていうは一度上げたら上がり続けるものかと思ったが、そうでもないってことがあるのだなとちょっと奇妙な感じがした。日本国内のニュースではあまり伝えられていないようだが、どうなのだろうか。もっとも、この話、多少留保が付く。
 一%なんかたいしたことないじゃんというのはあるかもしれない。24 Hours Vancouveというサイトの”News: Tax cuts sell, but who's buying?”(参照)を読んでいるとこれって些細だよねという感じ。


Perhaps you saved a few pennies on a coffee and doughnut at Tim Horton's today.
(たぶん、今日からティム・ホートンズのコーヒーとドーナッツで数ペニー分倹約できる。)

 たいした税の引き下げではない("So much for taxes going down.")とも言えるかもしれない。余談だが、ティム・ホートンズ(参照)っていうのはカナダだよなと思う。日本から見ているとカナダが独立していてしかも通貨が米国と異なるのはなんでしょとか思うが、こんなところに意外といってはいけないかお国柄というものはある。
 今回の消費税引き下げは、カナダの保守化の影響かもしれないと思っていると、こうもあった。

Welcome to the new Conservative Correctness, where a favoured lifestyle gets you the big breaks.
(新しい保守派の政治的に正しい世界へようこそ。ここでは優遇された生活様式があなたに大きな変化をもたらします。)

 苦笑するところだが、こうした保守派の政治的に正しい世界というのがじわっと先進諸国には広がりつつあるようにも思える。
 今回の消費税引き下げについては、記事としてはざっと見たところ、The Vancouve Sun”Conservatives' tax relief insignificant for most”(参照)がわかりやすい。気になる人は英文だが読んでおくといいかもしれない。話としては、たいしたことないよねということではあるが。
 それにしても、これから日本は最低でも二%ほど消費税が上がることになるだろうし、それはたいしたことないとはたぶん言えないだろう。
 ここまでざっくりと消費税と書いてきたのだが、カナダの消費税の仕組みは日本とはかなり違う。MapleTownの”消費税は2種類!”(参照)がわかりやすい。

カナダにおいては日本の消費税に相当する税金として、カナダ連邦政府の物品サービス税(GST)と州税(各州によって異なる)の2種類がある。それぞれ物品や食事、サービス、宿泊料等について課税される。

 今回引き下げになったのはGSTのほうだ。これとは別にPST(州税)というものがあるので、一%でも僅かな引き下げがさらに霞んでしまう。
 それでもカナダは偉いなと思うのは、このページにもあるが、生活の最低限の部分には適用されない。

GSTとして課税されないものもある。
  • 野菜類や基本的な食材
  • 処方箋の薬、風邪薬などの医療品
  • 医療、歯科、健康などのサービス
  • アパートの賃貸など居住費
  • 中古住宅の購入費 (新築には課税される)
  • 市内交通機関のバス、スカイトレイン、フェリー
  • 法律補助関係
  • 銀行のサービス
  • 教育費 (ほとんどの大学やESLの授業料など)


 さらに、税の一部を払い戻すリベート制度がある。
 日本の政府税調もこうしたことを知らないわけではなく、考慮はしているらしい。でも、たぶん無意味でしょう。
 ところで、ティム・ホートンズで倹約できる数ペニーというのはいくらかなと思い、そういえばペニーとか使っているのかとも思った。英辞郎を見るとこんな例文もある。

【名-4】 〈米・豪・NZ・カナダなど〉1セント銅貨{どうか}◆【略】p.
・ A penny is worth one cent. 1ペニーは1セントに値する。

 ペニーというとポンドに対応するように思っていたので、ちょっとあれ?という感じがするが、一セントということでいいのだろうか。ウィキペディアにも「1セント(penny) 」とある。
 ということろで、カナダドル(参照)の現在はどうなっているのかGoogle先生に聞いてみると「1 Canadian dollar = 0.898796 U.S. dollars」ということで、おやま、加一ドルがいつのまにか、米九〇セントにまでなっているわけか。ついでに豪州はと見ると「1 Australian dollar = 0.743 U.S. dollars」という感じ。
 さらについでに英国は「1 British pound = 1.83600 U.S. dollars」というか、「1 British pound = 211.89277 Japanese yen」ということ。先日英国にシャンプーを注文したとき、二百円を随分超えたなと思った(ポンド貯金もちょっとあるのだけど僅かなのですっかり忘れていた)。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006.07.07

[書評]心の探究(佐々木孝次)

 佐々木孝次「心の探究」(せりか書房)はアマゾンではもう見かけなかった。文庫本化していることもないと思う。初版は一九八〇年なのでそう古い本でもなく、古書店などでは比較的容易に見つかるだろう。サブタイトルに「精神分析の日記」とあるように、ラカン派の著者がフランスでラカン派の精神分析を七十二回に渡り受けていた足かけ二年を扱っている。
 私は折に触れてこの本を読み続けてきた。そうしなければならない内的な理由があるからだ。この本以外では出会うことのない恐ろしいインサイトに自分の精神を晒さなくてはならなかった。気が付くと、今の自分が佐々木が分析を受けていた年齢を超えている。
 精神分析とは、単純に言ってしまえば、疑似科学であろう。そこで終わりとなればいいのだが先日のニューズウィークに蘇るフロイトの記事があったが(それはそれなりに浅薄なものだったが)、フロイトはそう容易く葬り去られはしない。理由はある意味で明解である。


なるほど、精神分析の理論についても、それはつまるところ、人間のこころについての気のきいた話の体系であって、そこで言われていることが本当であるかどうかはけして検証できない、こう言う人もいる。けれども、分析の言葉には少なくとも約束があって、概念相互の関係を確定していこうとする共同の努力がある。

 本書はまさにその努力をそのまま、ほとんどむき出しに近いかたちで見せている。理論と実践はどのような関係にあるのか。

 面接者は、私がフロイトやラカンやその他の分析家の書物を読んでいて、理論に通じていると言う。私の方では、自分の貧弱な知識をすっかり忘れてしまうことこそ大切だと思う、と言うと、面接者は、そういうことは必要ないし、できるわけもないと言う。そして、知識から現実への移し換え(la transposition)が、この分析の大きな課題のひとつである、と言う。

 問題はこの移し換えられた現実とはなにかということと、移し換えられない知識を生きている状態とはなにかということだ。この変調(transposition)には当然有名なラカンのテーマがある。がそれを言うだけでは虚しいのだが。

 妻は私に対して、あなたには何かがかけている、と言うことがある。私には、感じが良いとか悪いとか、自分の感じ以外にものを判断する基準がない、と言うのである。私は長いあいだこのことについて考えていたが、最近になって自分に欠けているのは、つまるところ父であろう、と考えるようになった。これは、自分には現実の、生身の父がいないのとは少し意味が違う、人間のこころのなかに当然あるべきひとつの働きである。もう少し抽象的に言うなら、それはこころのなかに内面化された掟の働きだと言ってもよいし、さらに大文字のPを持つ父(Pere)だと言ってよい。自分のこころは、この父との関係が希薄であるために、その場その場の感じ以外に頼るべきものがない。

 こうした問題を日本人論に結びつけるのは安易だろうし、また日本人については本書でラカンが非常に難しい命題を突きつけている。が、この部分の引用を続けたい。

別の言い方をすると、感じを支配して、自分の判断を統一的に構成する働きがこころに生じてこないのである。私は、自分のこのような傾向の危険性について、ますます強く感じてきている。それはつまるところ、快と不快の波に何の抵抗もなく身を任せることであり、快に向かおうとする傾向に、ただ盲目的に従いながら、それに対してこころのなかには何の歯止めもない。あらゆることが自分の環境しだいで、許されれば快、許されなければ不快で、自分の不快の全てを周囲の他人のせいにする。しかしこれは、出口のない堂々めぐりである。

 この快について、仮に動物化というなら、佐々木の思いから少しそれる。この快は、母的なものと結びつきいわば幼児としての全能感に関連付けられている。その全能感が、成人して性的な関係のなかで反復するという問題でもある。
 佐々木は、後のいわゆるラカン学の解説書ではあまり触れなくなったが、本書では、この母的な問題のなかに恐ろしい権力の構図の可能性を思い描いているのだが、このエントリではこれ以上に触れない。
 精神分析は心の問題を解くというものでもない。佐々木はきちんと後期フロイトの死の衝動の重要性を認識している(彼は「死の本能」と記しているが)。

フロイトが、それほどうまく理論化することができないのに、どうしてもこれを捨てることができなかった反復強迫や死の本能の現象は、そのような、だれにも明らかに見てとれながら、しかもきわめて頑固で、最終的には謎にも満ちた事態を指しているのだろう。ヒステリーにしても、強迫症にしても、分析が成功したさいに取り除かれる症状は、それ自身はごく部分的、表面的なものである。

 おそらくかつての米国的なフロイト理解はこの後期フロイト的なペシミズムをうまく受容できなかったか、あるいは心の問題に還元することで人生の課題、つまり死がその衝動として現れるまさに死というものに向き合うことを避けるようなトリックに陥っていってしまった。
 本書については、もしかするともう一つエントリを書くかもしれない、いつか。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2006.07.06

罪深いという感じ

 エンロンの元最高経営責任者ケネス・レイが五日に死んだ。六十四歳。心臓発作である。うっ、という感じで苦しみながら、そのまま死んでしまったのだろう。過酷な米国のビジネスマンにありがちな末路とも言えるのだが、これだけの悪業をされるとなんだか天罰下るみたいな印象もある。もっとも人生というのはそういうものでもないし、まして「鏡の法則」なんてカルトまがいの知恵でどうとなるものでもない。
 それでも、ケネス・レイの死に様を見ると、なんとも、こう言うのは品のないことなのだが、罪深いという感じがする。罪といっても、クライム(crime)じゃなくて、ギルト(guilt)よりも、スィン(sin)という宗教的というか西欧キリスト教的な罪だ。

cover
罪物語
STORY OF SIN
 クリントン元大統領がれいの問題で追及された映像をたまたま見ていたときも、私は、ああ、罪深いと思った。世の中には悪人はたんといるし、私なんかもそれに数える人だっているだろう。だが、悪人というのと、罪深いというのはちょっと違う。なんと言っていいのかわからないが、その人の存在からじわ~っと罪の匂いがする。しかし、日本人だとあまりそういう感じがする人はいないように思う。きっこのブログとかで諸悪の根源とか叩かれている面々を思い浮かべても、それほど罪深いという感じはしない。
 うまく言えないが、西洋人特有のものなんだろうか。随分以前のことだが、私もしらばらくマクロバイオティックスをやっていて、ついでにというか桜沢如一のフランス紀行みたいなエッセイなども読んでいたのだが、彼は、西洋人を称して、実に罪深い人間だ、心の奥に業が貯まっているみたいに言っていた。もっとも桜沢のことだから、その原因は肉食とずばり切ってしまうだけなのだが、私もちょっと欧米人の内面を覗く機会があったが、そうだね、肉食やめたらとか言いそうになってしまいそうだった。
 罪深いっていうのはそう西洋人限定というものでもないようにも思う。なんというのだろうか、男も女もある種のセクシーさを維持している人からは同時に麝香の匂いのような罪の匂いがじわっとすることがある。塩野七生だったか、人を殺したことのないような男や女はセクシーじゃないと言ってのけていたことがあったかと思うが、そんな感じだ。
 別段日本人論がしたいわけではないのだが、罪の懊悩というのを抱えて生きている日本人の大人というのはあまりいないような気がする。
 と、森有正を思い出す。私は高校生時代森有正のファンでもあって、彼に一度会いたいと強く思ったことがある。と、思ったころに亡くなられた。森有正の相貌も文章も、日本人には珍しく、じわーっと罪がにじみ出ている。彼の晩年書いたものというか説教集だったか、人が死に際して一番の障碍は罪だと言っていた。罪があるから心安く死ねないのだとも。まあ、キリスト教的な枠のなかでの言及にすぎないのだが、そういうものを抱えて生きていくってことがあるんだろうなとは思った。逆に、渡辺一夫もよく読んだが、あまり罪という感じはしなかった。どさくさで言ってしまうけど、悪を気取っていた澁澤龍彦にも、連想が続くが花田清輝にもそんな感じはしなかった。
 もっと私が強く影響を受けた人たちの相貌をいろいろ思い出すと、しかし、どことなく罪の匂いがあるような気がする。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006.07.05

テポど~ん

 このエントリを書いている時点ではテポドン二号であるかどうかの確認は取れていない。たぶん、そうらしいということ。そしてそうだとしたら、最初からスカッド、ちゃう、スカなミサイルであったのではないか。燃料入れちゃったから日本海に廃棄しちゃえ、と。
 他数発はスカッドとノドンらしい。スカッドは中華圏では欠かせない爆竹の類として、ノドンはまじで飛ばすと日本の大都市に安らぎの木陰を提供している公園くらいは吹っ飛ばせる。当たるとやだよねという感じ。
 要点は米国がどのくらい予知していたか、また北朝鮮にどのくらいの認可を与えていたかということだが、実態が上に書いたようなおちゃらけに近いなら、北朝鮮と米国、うふふ、お二人って仲がよいのね、ということなのだろう。米国がお招きしたウッキーなお客さんも帰ったわけで面々のメンツもちゃんと守ったし。
 これで日本の世論が多少なりともキィィとかお怒りになると、仲のよろしいお二人とか、とりあえず当面は中国様とかそしてたぶん韓国さんとかの国益にも合致するということだろうか。みんなパーティの席にすわりましょうよ、と。
 ただ、日本人として相当にむかつくのは、テポドン二号は米国まで飛ばないからぁというので、じゃ米国でもOKというとき、ノドンが間違って日本にどんと当たって最悪数百人くらい死んでもしかたないかという前提的な了解はあったのだろうな、というあたり。無防備マンでは日本は防衛できないし。この手の暴発の危険性に日本は絶えず晒されるという時代にはなったのだろう。現実ってやつですかね。
 ある国が他国から見て、どう合理的に考えても変だというような行為をしているときは、その国の内政の問題を他国が勘違いしているだけということが多いものだが、今回はどうか? 金正日体制に問題があるか、ということだが、過去の経緯を見ていると、チキンな金さんは事があるたびに行方をくらますのだが、今回はそういう兆候もないようだ。北朝鮮国内的に対外的にも目に付くような奇っ怪な事件が起きているわけでもない。金正日体制にはそれほど問題はないのだろう。まあ楽観かもしれないが急性アノミーのような事態が発生がするよりはましだろう。余談にそれがちだが、金王朝的には焦眉の課題は次王朝をどうするかということ。三世にどう継ぐか、いやもっとちゃんと言うと、正男君をどう復権させるかということで、たぶん中国様の鼻息ふんが重要だろう。ただ、三世といってもこの王朝は世代間の軋轢がかなりありそうだし、どうもよくある権力の委譲というスキームにはならないような雰囲気。
 今後の動向だが日本は依然打つ手なし。しいていえばこれ以上ミサイル部品を輸出させないことか。米国はさして困ってもいない。韓国は……少し冷静になってくださいな、と。ロシアは面々の顔色伺い。で、中国様。
 中国様としては、対米的な手前、北朝鮮にこれ以上ミサイル商売をさせたくはないだろう。内心ふざけんなという感じではないか。そのあたりをうまくツンツンとできる外交力が日本にあればいいのだけど、難しいか。北朝鮮も韓国も東北部の第四省にはなりたくないだろうし、存亡をかけた必死の工作が、今、広大な宇宙に始まろうとしている。

| | コメント (10) | トラックバック (4)

2006.07.04

進展する世界の大都市化

 ネタとしてはちょっと古いが先月発表された国連ハビタットの人間居住委員会による”State of the World Cities 2006/7”(参照)関連の話を少し。話を端折るために、ティップス的にまとめたマーキュリーニューズ・コム”Most of the world will live in cities by 2007, U.N. says”(参照)からネタを適当につまみ食い。
 現在(〇五年)時点世界の人口は六十四億五千万人。内、ほぼ半数の三十一億七千万人が都市に暮らしている。来年には都市人口がその他の人口を上回るらしい。こうしたことは人類史始まって以来のことなので、現代という時代の本質は、都市化がグローバル化するということなのかもしれない。
 一千万人を越える巨大都市は二十を越えるが、都市巨大化の進展の速いセクターは五十万人から五百万人くらいのところ。
 こうした都市化の傾向が続けば二〇三〇年には世界人口は八十一億人となり、さらにその三分の二の五十億人が都市居住者となると予想されている。またこの時点では、全ヨーロッパの人口(六億八千五百万人)はアフリカの都市人口(七億四千八百万人)に凌駕される。
 簡単に想像付くことがだ、こうした拡大を支えているセクターはアフリカとアジアである。と同時にそこからさらに想像しやすいことだが、そこでの都市というのは先進国のそれではなく、水道や下水道が十分に整備されていない状態が前提になる。さらに劣悪な巨大スラムが出現するだろう。国連ハビタットの人間居住委員会は特にそのあたりを警告している。現状でも都市での若年層の病死者は地方より多いらしい。
 なぜ都市化が進むのかだが、基本的にそういうものだというのに加え、アフリカなどでは農業の失敗というのも挙げられている。確かに農業が持続できれば都市への流入は少ないのかもしれないのだが、現実的にはそうではない施策が私などには想像も付かない。
 日本のネットの風景を眺めていると、テロとの戦いはいかれたブッシュの妄想だ的な議論が目に付くが、テロとの戦いというのは必然的に都市化の問題と関連している。だが、そのあたりの考察というのはあまり見かけたことがない。
 いずれにせよ、こうした巨大な動向というのは、政治的な力でどうなるというものでもないのだろう。人類の半数が都市人になるということは、本質的に国家の意味も変えることになるので、まだまだ歴史の終焉というのはないのかも。私が生きて見る世界ではないのだろうが。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006.07.03

ベトナムで期待されている新しいバイオ・エネルギー

 ベトナムで期待されている新しいバイオ・エネルギー、それは、ナ・マ・ズ、らしい。ナマズというのは、アレだ、ブログなんかの検索によく使われるやつ……じゃなくて、漢字で「鮎」と書くやつ……でもなく、「鯰」である。英語でいうと、catfrogである。学名は、Silurus asotus。伝統的な捕獲法では瓢箪を使う。だが、昨今では養殖しているらしい。

cover
世界のナマズ
 メコン川流域で養殖し、その近在で加工し、ヨーロッパやアメリカに送る。アメリカでは鯰といったら有名な御馳走である。英語のことわざに、There are no eyes in a catfish but barbs(ナマズには目がないが、ひげがある)と言われるほどだ。この南部の伝統料理は明治維新の志士たちが伝えたものらしい。
 で、話は、ナマズ・バイオ・エナジーだが、今日付のロイター”Firm to make biofuel from catfish fat”(参照)に詳しい。

HANOI (Reuters) - Vietnamese catfish processor and exporter Agifish plans to turn catfish fat into fuel to run diesel engines, a company official said on Monday.
(ハノイ・ロイター ベトナムのナマズ加工輸出会社アジフィッシュは、ナマズ脂をディーゼル・エンジンを駆動する燃料に転用する計画をもっていると、同社役員は月曜日に語った。)

 二〇〇七年には年間一万トンものマナズ・オイルをベトナム国内向けに生成するとのこと。自国で石油が産出するのにもかかわらず、地球に優しいナマズ・オイルに着目している先見性は世界各国から注目を浴びている。
 中近東産油国で支持を受けるアルジャジーラも今日、”Catfish power for diesels
”(参照)として報道。その試みに強い関心を持っているようだ。背景には、現在の石油産油国といえどもナマズ・オイルに人類の環境に優しいエネルギーへの期待を抱いているからなのであろう。
 ナマズ・オイル開発の経緯については、コラコラコラム: ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第62号(参照)が詳しい。

植物性オイルは既に世界各地で古くからバイオ燃料として使われてきているが、Thienさんはイギリス・オックスフォード大学大学院で学ぶ子息から、ナマズの脂肪で転用できないかと勧められ、研究に入ったそうだ。「元々、製品に関する膨大な知識と、それに息子が提供してくれた資料によって今回のナマズ脂肪の軽油への転化が成功したのです」とThienさん。

しかしながら、研究初期段階では思いもよらぬハプニングの連続で複雑な仕組みであった為、実験道具を自らいくつもこさえ実験に実験を重ねたのだという。又、彼の下で働く開発チームの技術者Vu Tran Quocさん、An Giang大学の農学博士Vo Thi Dao Chiさん、そしてChi博士の愛弟子Nguyen Quynh Nhuさんなどから開発協力を得、産学連携チームとなって研究を追い求めた。


 プロジェクトXベトナム編があれば、感動を呼ぶことは間違いない。こんな感じだろうか。

 カンボジア国境近くのメコン川のほとり。
 チエンさんはじっと夕日の沈む西を見つめた。
 私の人生はナマズに始まり、ナマズに終わる。
 一日一六〇トンのナマズの加工中に出る一〇トンの油は
 家畜肥料に売っていた。
 最近は売れ行きが悪い。
 「とうちゃん、これをバイオ燃料として売るんだ」
 オックスフォード大学に学ぶチエンさんの息子は言った。

 うーん、続かない。

追記(翌日)
翻訳ニュースが出てました。
ナマズの脂肪を生物燃料に ベトナム | Excite エキサイト : ニュース
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081151942797.html

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006.07.02

夕張市自治体破綻、雑感

 今朝方、メロンを貰った。これは夕張市についてエントリを書けというなんかの神様の思し召しであろうか。しかし、夕張市自治体破綻については、話がどうも腑に落ちない。わけわかんないという感じだ。ま、それでもブログってみる。
 報道などを見るに問題は、基本的には、予算書に記載しない一時借入金が三百億円に達し、これを自転車操業にしていたのが原因である。それはわかる。夕張市の標準財政規模は四十五億円なのだからどう考えても異常な事態だ。
 わからないのは、これだけの額がチェックできなかったのだろうかということ。それはありえないとしか思えない。北海道庁と総務省はわかっていたのだろう。特に北海道庁は夕張市がむちゃな地方債発行をしているとわかっていて認可した経緯がある。
 そう考えると、北海道庁と総務省はどうするつもりだったのだろうか。いや、それが今回の結果ということなのだろうか。
 こうした隠れ借金は夕張市だけではないのではないかと思うが、そのあたりの後続の報道はあまり見かけない。こんなものちょいと2ちゃんねるに書けば一斉に火がつくと思うが、そんなこともないのだろうか。
 私事だが以前沖縄で暮らしていたころ、地域の財政にちょっとだけ関心をもったことがあり、そういえばと思い、財政難の地方団体のリストがあるはずと調べると、昨年十一月九日の読売新聞記事”[どうする地方](2)財政再建への道 危機続く、自治体破綻”に「全国の財政難の市 ワースト23」というリストがあった。


◇全国の財政難の市 ワースト23
(平成15年度 経常収支比率100以上)
1 北海道夕張市 109.8 炭鉱閉山による税収減と、閉山対策事業に伴う公債費増大
2 大阪府高石市 109.7 人件費比率が高く、下水道整備費もかさむ
3 福岡県山田市 107.6 炭鉱閉山以来の構造的な財源不足と、生活保護費など増
4 大阪府泉佐野市 106.6 関西空港関連事業による公債費増
5 大阪府守口市 106.1 施設職員数が多く人件費比率が高い。生活保護費なども増
6 奈良県御所市 105.6 景気低迷による税収減。人件費負担が大きい
7 大阪府摂津市 105.4 モノレール関連事業などで公債費増大。下水道整備費も。
8 和歌山県御坊市 104.9 火力発電所などの固定資産税減と、国からの地方交付税減
9 大阪府四條畷市 104.3 企業が少なく、税基盤がぜい弱。施設整備などで公債費増
10 高知県室戸市 103.5 主要産業の遠洋漁業の不振に伴う税収減
11 北海道三笠市 103.1 炭鉱閉山対策事業費による公債費増
12 大阪市 102.5 地価下落による固定資産税減と、生活保護費など急増
13 北海道歌志内市 102.2 炭鉱閉山事業による公債費増
〃 大阪府池田市 〃 税収減。施設職員多く、人件費比率が高い
〃 兵庫県芦屋市 〃 阪神大震災の復興事業費に伴う公債費増
16 鹿児島県阿久根市 101.7 漁業不振による税収減。地方交付税、補助金の減少
17 奈良県大和高田市 101.6 人口減少と高齢化に伴う税収減。ハコモノ建設で公債費増
18 大阪府豊中市 101.3 バブル以後の税収減が激しい人件費比率も高い
19 神戸市 100.9 阪神大震災の復興事業に伴う公債費などで3兆円超の市債
〃 大阪府泉南市 〃 関西空港関連事業による公債費増。人件費比率も高い
21 大阪府門真市 100.8 施設職員数が多く、人件費比率も高い。生活保護費など増
22 北海道赤平市 100.6 福祉施設直営による人件費負担と、炭鉱閉山対策事業
23 大阪府東大阪市 100.2 税収減が激しいうえ、生活保護費などが大幅増

 なーんだ、不正なんかしなくても夕張市が一位じゃん。
 と笑う場合でもない。ワーストのリストを見ていると団栗の背比べといった感じもあるので、不正規模によっては上位ランク外から次なる破産自治体は出てくるのだろう。その意味で、今回の問題はとりわけ夕張市固有の問題というのはあったのだろう。
 特に、夕張市にしてみると、それまで手厚い地方交付税が得られる元になっていた産炭地域振興臨時措置法が二〇〇一年に失効したことは大きな打撃だっただろう。予想できないことではないにせよ。
 さらにその元になったのは、産炭地として栄えていたのがさびれたから。現在は往時の人口の十分の一になったという話も聞く。老人の比率が高いとも聞くがと、ネットを見るとちと古いが、北海道の高齢化率の状況(参照)のデータがあった。

人口 高齢化率 高齢化伸び率
泊村 2,122 35.8 0.1
神恵内村 1,312 35.6 -0.7
積丹町 3,409 33.3 0.9
三笠市 14,323 32.7 1.3
夕張市 15,948 32.6 1.5

 夕張市は惜しくも高齢化率で五位だが、入賞の自治体は規模が小さく高齢化伸び率も小さい。ま、これは問題外の部類だろう。すると、ここでも実質最悪は夕張市ということになる。
 高齢化が進んでいる地方自治体が活気を取り戻すのは難しいものだなと、当初こうした表を見ていて思っていたのだが、エントリ書きながら、ちと考えが変わった。
 日経”夕張市の実質赤字288億円・昨年度分、道が中間報告”(参照)によると、「赤字の内訳を見ると普通会計が145億円、観光など公営事業会計で130億円など複数の会計にわたる」とのこと。それはあまりにむちゃくちゃ。なんでこんなむちゃが突っ走れたのか?
 これって、老人たちの暴走、なんじゃないのか?
 後藤健二市長についてちょっと調べてみると、二〇〇三年の統一地方選挙で初当選。助役から市長になった。市職員としての経歴は四十年にわたる。市行政は裏の裏まで知っている人物。
 とすると、今回の隠れ帳簿がいつ開始されたのか気になる。
 今回の問題の構造的な背景は、産炭地域振興臨時措置法をもとにした地方交付税が二〇〇一年同法の失効に伴い廃しされたことにある。隠れ帳簿がもし後藤健二市長が助役の時代に存在していたなら、その隠蔽としての市長選だったんじゃないか。そしてそのことをよーくわかっていた人々たちでことが進めめられていたのでは……陰謀論? ま、この隠れ帳簿の経緯を明らかにしてもらいたいもんだとは思う。

| | コメント (25) | トラックバック (5)

2006.07.01

橋本龍太郎の死、雑感

 橋本龍太郎が死んだ。享年六十八。平均寿命から考えると十年は早いような気もするが、古来希なりとする七十に手が届くくらいまで生きたら幸運の部類だろう。
 橋本龍太郎は、死なれてみてると、印象としては「晩節を汚す」という感じか。汚職と中国女性スパイのスキャンダルを払拭する間もなし。それも政治家としては無念だったろうが、そういう世間の悪評というより、彼自身の一番の無念は一九九八年参議院議員選挙の敗北を受けて辞任を表明したことだろう。ここで人生の勝負は決まった。二〇〇一年、森総裁後任の自民党総裁選に出馬して小泉に負けたのは滑稽というか悲哀というかよくわからん。勝ち目があると思ったのだろうか。
 九八年参院選敗北の理由は失政である。結果として失政になったということかもしれないのだが。
 橋本は前年公共投資を削減し、国債の発行額を減らした。歳出削減である。同時に、消費税を三%から五%に引き上げ、二兆円の所得減税も打ち切った。医療保険制度改革で医療費負担も二兆円引き上げた。計、九兆円の国民負担。つまり増税。
 彼の指導力と見るむきもあるだろうが、当時の大蔵省の意向に沿っただけではないか。大蔵省にしてみれば、九六年の実質成長率は三・四%と、バブル後遺症は終わり景気は上向きになったということなのだろう。
 結果はひどいものだった。経済成長率は落ち込み、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と連鎖して潰れ、金融破綻が起きた。
 橋本龍太郎の実質的な政治人生が九八年で終わったように、日本も再び暗い世界に沈んでいった。
 デフレを甘く見過ぎたということか、大蔵省も大したことないですねということか、私にはよくわからない。が、教訓は得た。今、また十年近く前のことをやれば、また日本は沈むかもなということだ。
 そういう意味で、橋本龍太郎の失政は日本人を賢くしたと思う。そうでなくちゃ、浮かばれないよな。
 以前、たまたまなんかのテレビで、橋本龍太郎の娘さんの話を聞いたことがある。父は立派な人ですときりっと言ってのけた。実の娘に尊敬される父であったのは間違いあるまい。鈴木宗男もそうだが、娘の誇りとなるような男というのは、それだけで立派、あっぱれである。

| | コメント (13) | トラックバック (4)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »