« 国民による国民のための国民の政府 | トップページ | スキナー(Burrhus Frederic Skinner)と日本国憲法 »

2006.06.06

人気、人形、人情、人数、人間、人民(にんみん)

 昨日のエントリ”極東ブログ: 国民による国民のための国民の政府”(参照)でいろいろ愉快なコメントをいただいた。歴史認識についてはゆるりと議論すればいいし、他の意見の相違の類は面々のおんはからいにするがよろしかろう、多事争論ではあるが、にしても基本的な部分でテキストが読まれてないっていうか、昨今の人は言葉の持つ歴史の感覚っていうのはなくなっているのかなと思うことはあった。特にこれ。


どうせ「人民はアカっぽい」とかいう意図を込めてるんだろうが、ミエミエ。finalventなんてミラーワールドでモンスターに喰われちゃえ。

 妄想メソッドやんとか言わない。左翼って私の知らない本心とか批判してくださるのがテンプレだし、その土俵は野暮過ぎ。そんなことはどうでもいいのだけど、”どうせ「人民はアカっぽい」”という発言にちとびっくりこいた。エントリを読んで貰えばわかると思うけど、「これは近代日本の造語ではないのか?」という近代の歴史時間の感覚が伝わらないのだろうか。「革命」が易姓革命の「革命」から来ているわけではないと補足までしたように、こうした近代造語は明治期のものでしょうっていうのが伝わらないのだな。
 「人民」という造語・訳語が明治期に創造されたとすると、山路愛山(参照)とかを思うに、明治時代であっても後期だろう。しかし、「人民の人民による人民のための政治」はリンカーンだし、福沢諭吉なんかに近い時代の地層に属しているだろう。
 いずれにせよ、左翼用語だから批判しているのだろうというありえない妄想ミラーワールドのfinalventはモンスターに食われるが吉。
 なんだかなと思ってみたものの、あ、そーかと思い至った。いやいや妄想メソッドでもなんでも多事争論で喚起されるものはあるもんだ。「人民」って「じんみん」じゃないな、「にんみん」だな。日本語の「にんみん(人民)」が西洋文化訳語的に利用され、音変化し「じんみん」となったのだろう。こういうのはよくある。「人身(にんしん)」「人畜(にんちく)」「人事(にんじ)」「人道(にんどう)」「人徳(にんとく)」「人馬(にんば)」「人面(にんめん)」。余談だが私の子供のころはまだ万葉集を「まんにょうしゅう」と読んでいる人がいたもんだ。
 宣長先生秘本玉くしげに曰く。

むかしより外国共のやうを考ふるに、広き国は、大抵人民も多くて強く、狭き国は、人民すくなくて弱ければ、勢におされて、狭き国は、広き国に従ひつくから、おのづから広きは尊く、狭きは卑きやうなれども、実の尊卑美悪は、広狭にはよらざることなり、そのうへすべて外国は、土地は広大にても、いづれも其広大なるに応じては、田地人民はなはだ稀少なり、唐土などは、諸戎の中にては、よき国と聞えたれども、それすら皇国にくらぶれば、なほ田地人民は、はなはだ少くまばらにして、たゞいたづらに土地の広きのみなり、

 「人民」という言葉は、「田地人民(でんちにんみん)」というふうに日本語としては使われてきた言葉で、むしろそう考えると、定訳「人民の人民による人民のための政治」がおそらく明治時代に与えたインパクトが想像できる。
 宣長先生は実際はけっこう近代人だが、「人民(にんみん)」の語はいつからあり、どのような意味の変遷をしていたのかと見るに、いずれ呉音だから仏教だろう。法蓮華経安楽行品には「王、兵衆の戦ふに功ある者を見て即ち大に歓喜し、功に随つて賞賜し、(中略)を與へ、或は種々の珍寶(中略)瑪瑙、珊瑚、琥珀、象馬、車乗、奴婢、人民を與ふ。」とあり、奴婢に対する王の所属の概念ではありそうだ。儒学・儒教の線はなかろうというのも論語では「民人」としている。
 さらに見ていくに、神皇正統記にこうある。神皇正統記というのは昨今のウヨサヨ誤解しまくっているがかなり面白い本である。

他人の田種をさへうばひぬすむ者出て互にうちあらそふ。是を決する人なかりしかば、衆共にはからひて一人の平等王を立、名て刹帝利といふ(田主と云心なり)。其始の王を民主王と号しき。十善の正法をおこなひて国をおさめしかば、人民是を敬愛す。閻浮提の天下、豊楽安穏にして病患及び大寒熱あることなし。寿命も極て久无量歳なりき。民主の子孫相続して久しく君たりしが、漸正法も衰しより寿命も減じて八万四千歳にいたる。

 これって「民主」という言葉にも大きく関わるわけなのだな。つうか、日本の民主主義というのが天皇主義と調和するというのは依然べたに神皇正統記の世界つうことか。がびーん。

|

« 国民による国民のための国民の政府 | トップページ | スキナー(Burrhus Frederic Skinner)と日本国憲法 »

「語源」カテゴリの記事

コメント

明治人が感じたであろうインパクトの示唆など面白いエントリーでした。先日以上に面白い。
「人民」という語を「アカ」が採用したこと自体がこの流れの上にありそうな。

でもコメントは余りつかないだろうなぁ。

投稿: こむ | 2006.06.06 13:17

このあたりの時期の「造語の一覧」そのものを研究されているような方って、いないものなのでしょうか。そんな切り口でまとまっている辞典のようなものがあれば、個人的には非常に興味があります。

投稿: 学生 | 2006.06.06 14:01

「人民」それ自体では何でもなくても「民主主義」乃至は「共和国」とくっつく事で胡散臭くなるのでは。


ごめんなさい。
ジョークです。

投稿: 名無し | 2006.06.06 14:06

加藤哲郎 先生による、この寄稿文
http://www.ps.ritsumei.ac.jp/assoc/policy_science/083/08307.pdf
が、とてもよくまとまっていて参考になると思います。

投稿: てけてけ | 2006.06.06 14:09

ども、です。これこれ。:-)

投稿: 学生 | 2006.06.06 14:15

マジレスエントリーか・・・ネタに釣られてこんなのが出るなら、たまには良いカモね。
勉強になったよ、面白かった。

「中韓への反論」とか特集号は良く吐けたらしいし。
暴言応酬よりはずっとマシ。

投稿: トリル | 2006.06.06 19:32

ブレインストーミング頑張ってますね。ご苦労さん。

投稿: 私 | 2006.06.06 20:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人気、人形、人情、人数、人間、人民(にんみん):

« 国民による国民のための国民の政府 | トップページ | スキナー(Burrhus Frederic Skinner)と日本国憲法 »