奈良母子焼死事件の印象
奈良県田原本町の医師(四七)の家がその長男の放火で全焼し、母子三人が死亡した事件について、この手の事件がいつもそうであるように、私は関心を持っていなかった。事件の概要すら理解していなかった。少年の父親も焼死していたと思っていたくらいである。たまたまラジオを聞いていて、父親が存命であることを知り、知った途端、事件の印象は激変した。私のその印象は率直に言って妄想に近いものだろう。これが事件の真相だとはまるで思わない。この事件には外面的にはそれほどのミステリーはなく、事件の核心は少年の心の中にある。私はその少年の心を洞察するわけでもない。できないし、率直に言ってあまりしたくない。そして、このことは、本当は書かないほうがいいのかもしれないが、簡素にだけ書いておこう。
最初この事件をなんとなく知ったとき、少年はなぜ家出しなかったのかと思った。自分のなかに殺意を抱えるより、憎む対象と無関係になりたいと私などは思うからだ。もう一つ思ったのは、この事件は、たぶん古典的なフロイト理論的で説明されるものだろうなということだった。だが、その部分はあまり考えたくなかった。考えても妄想としか言われ得ないものだろうし。
私は今年四十九歳になる。この父親に近い。私がもし三十歳ころに結婚して子供があれば彼または彼女は成人に近い。自分の思いはそうした複雑な父親の内面にどうしても向かうが、正直に言って、ただ苦いようなつらいような思いがするだけで混沌とする。この父親の人生の課題は息子とこれから向き合うことなのだろうが、それがどれほどつらいことか。人生というのは人にそこまでつらいことを強いるものなのかと思う。
回り道していないで妄想的な私の印象を語ってこのエントリは終わりにしよう。私は、いつも事件というのをブラックボックスとして見る。ブラックボックスというのは入力と出力だけが見えるものだ。そうしてこの事件を見ると、入力側に少年の殺意があって出力に継母とその子二人の死がある。私はこの死がブラックボックスの機能なのだとまず考えてしまう。そしてその発想を入力側で解釈させると、この事件はその出力、継母子を殺害することが目的ではなかったかという仮説がどうしても浮かぶ。そして、ここから先は妄想である。少年のなかでその殺意を促す無意識があったのだと。その無意識――内面からの命令は誰の声かといえば、少年のなかに形成された心的な母親象ではなかったか。
事件の報道を聞くと、当初少年は父親を殺すはずだったが失敗したとも言われる。父を殺せなかったのも、そしてこの放火事件が父を生存させるようになされたのも、少年の無意識の意志ではなかったか。繰り返すまでもなく私の妄想であるが。
私はあまり宗教的な世界観というものを持たない。来世も輪廻転生も死後残る霊魂というものも信じない。が、人の無意識のなかには、こっそり来世への信頼や輪廻や霊魂があることも私は知っている。人はなにかを自分の意志でするかのようだが、無意識のなかの他者の命令であることが多い。あまりこう言うべきではないが、親に死なれることはつらいものだが、同時に無意識のなかで命令を下していた親という無意識との別れの契機になるし、自分の人生を歩むというのはそうした心の中の他者の命令に背いていくことではないかと思う。
この事件で父親が長男を持ったのは彼が三十歳のころである。すると初婚は二十代の終わりであったのだろう。少年の実母が生別したか死別したか知らない。それが少年の心に映ったのがいつかも知らない。少年は実母の言葉にすら触れたことがないかもしれない。
少年が継母と出会うのは十歳のころである。継母は三十歳になったばかりくらいである。少年が十二歳くらいちょうど思春期のただ中に継母に長女が生まれる。そのことが少年にどういう心象をもたらすのか、自然に私は心を寄せるものがある。
ここでエントリを終える。一つだけ言い忘れた。この事件の悲劇的な結果は多分に偶然だろうと思う。普通の人もかなりの愛憎を抱えて生きていても、それが事件となって現れることは、偶然があまりないことで、守られている。
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コメント
親父が憎いというより(それもあるけど)、フツーに継母と継子が憎かったんでね?
親父に喧嘩売ろうとしたけど失敗した、とか。
正面からガツンと言って(行動して)どうにかなるタイプの子じゃ無さそうでしょ。
そんで、(継母に)告げ口されてムカついた、とか。
これ、殺してくれ殺意向けてくれって言ってるようなもんだ。
膂力にモノを言わせられないようなタイプのヤツほど、告げ口陰口の類を憎むよな。
自分も、そういうベクトルでしか動けないから。
唯一の武器を奪われたような感じがして、ヒジョーにがっくしくるもんさね。
用意周到に外堀から埋めていくタイプの子と見たね。>犯人像
投稿: 私 | 2006.06.25 11:45
ほぼこの少年と同じような境遇を持つ者として、思春期になって、継母が父との子を産むということが、無性に恥ずかしくて、友達にも隠し通したい思いであった。そして、そんな状況にいる自分から逃げたいと何度も思った。家庭という場は、自分とは無関係な世界、でもそこに私は生活していかなければならない、と悟ることは辛かった。
継母と父、そしてその間に出来た自分と半分血の繋がった兄弟たちが作る家庭での疎外感がきっとあったのであろう。有名進学校での、成績争いによる挫折に追い討ちをかける様な父からの攻撃による屈辱。親の期待に答えられないもどかしさ。
この少年には、思い切り家族の悪口を聞いてくれる人が必要であった。そして、運命は半分諦めて受け入れ、忍耐し、早く自立できる大人になって自分の世界に生きることに夢をもたせることを語ってあげれる大人がどこにもいなかった。少年は、お勉強ばかりで、心を癒してくれ、辛い思いを乗り越えていく自分を励ます言葉がどこかに書いてある本にもめぐり合えなかった。
私は、殺意だけは抱くことはなかったけれども、50歳を超えて父亡き後、継母を好きとは思えないけれども、縁あって人生を付き合ってきたという愛情に近いものをもって介護している。
少年の犯した罪を思う時、彼の救いを神様は用意しているのだろうか、そして、父と子の恢復はこの世であるのだろうか。降り注ぐ雨を窓に見ながら、心がとても痛む。
投稿: KY | 2006.06.26 10:50
エントリと直接関係ないことお尋ねしてすみませんが、
>来世も輪廻転生も死後残る霊魂というものも信じない。
>が、人の無意識のなかには、こっそり来世への信頼や輪廻や霊魂があることも私は知っている。
finalventさんのお好きな小林秀雄は(著書の中で時折言及していますが)本当にそれを信じていたと思われますか?
投稿: hs | 2006.06.27 01:39
hsさん、こんにちは。この問題は非常に難しいです。ただ、あえて是非で言うなら、信じていたと言っていいでしょう。「感想」は読まれましたか?
投稿: finalvent | 2006.06.27 08:29
私もこのような父親に育てられましたから、この子の心理が良く分かります。私の家にもICUみたいなものがありました。このような父親、そして家庭というのは体験したものでなければ分からない世界です。(ちなみに、私は30代半ばにして始めて、自分のいた世界の異様さを理解できました。)
管理人さんは「何で家出しなかったのか?」と疑問を抱かれます。私も今ではそう思えるのですが、その当時は考えこそすれ、決して実行できませんでした。
なぜかというと、まず単純に父親が恐ろしいからです。そもそも、「子供の家出」とはまた「家」に帰ってくることが前提です。ですが、家出をして帰ってきたら、顔に泥を塗られた父親から、どのくらい酷い暴力・侮辱を受けるか分からないのです。(こうした父親は自己イメージを異常なほど大切にします。警察や学校から連絡があれば「自分の家庭に問題がある」とは考えず、「恥をかかせたお前が問題」と考えるのです。)
彼らは外傷が残るようなことはしません。子供が絶対逆らえない部分で、他人にも正しいと主張できる行為で、真綿で首を締めるように子供を苦しめるのです(「睡眠時間を削る」「テレビを一切見せない」「持ち物を全て検査する」など、信じられないかも知れませんが・・・。)
痕が残るように殴ったりもしません。よく叩くのは毛髪があって腫れても分からない、頑丈な頭蓋骨に守られた頭です。(叩くのが彼らの美学を汚すのなら、髪の毛を掴んで引きずったりします。)とにかく知能犯なのです。
また、家出を後押しするのは、家族以外の人=他人への一般的信頼ですが、こうした子供は「決して誰も自分に関心を持ってくれない」と固く信じているのでまず無理です。
これは小学校から高校まで、虐待まがいのことを受けていながら、周囲の人間は(肉親でさえも)誰も彼を助けてくれなかったことが原因で育つ「根源的な人間不信・疎外感」です。
このケースのような父親(そしてそれを許す家庭)の何が「犯罪的」で「悪」なのかを、こうしたケースに遭遇しない多くの一般家庭に育った人に説明するのは大変難しいです。なにせ外見は全く立派な家庭なのですから。
投稿: MOMO | 2006.06.27 16:34
>こうしたケースに遭遇しない多くの一般家庭に育った人に説明するのは大変難しいです。
そんなこたねえべな。相手の理解力にもよるべな。程度の差こそあれ暴力受けた家庭の子はいるべな。その家庭の子に話して聞かせれば、も少し薄まった家庭の子に話が届くべな。ほんでまたも少し薄まった人のところに薄まった按配で届くべな。 そげなもんで十分ずらよ。
そうやってわかんねえやつにはわかんねえよってな態度を取るところが
>周囲の人間は(肉親でさえも)誰も彼を助けてくれなかったことが原因で育つ「根源的な人間不信・疎外感」です。(引用)
でな。
それじゃあいかんよ。とか言うべな。
投稿: 私 | 2006.06.27 20:49
>この問題は非常に難しいです。ただ、あえて是非で言うなら、信じていたと言っていいでしょう。「感想」は読まれましたか?
ご返事ありがとうございます。
「感想」は残念ながら、読んでいません。
前提から言うと、小林秀雄について、
たとえば「私の人生観」で釈迦の空観に対する、非常に鋭い見解を述べたと思えば(仏教者で空観について、こういう捕らえ方をしている方はどのくらいいるのでしょう?)、他方では、「信じること知ること」などにみられる、素朴な宗教感覚のようなものを表明していたりと、ちょっと不思議な感じを持っていました。
で、当代随一の小林秀雄読みだと思っているfinalventさんが、このエントリのような見解を表明なさったことに、結構な衝撃を受けた、というのがあの質問を書いた理由なのでした。
投稿: hs | 2006.06.27 23:15
>>「私」さんへ
あなたの意見は全くのナンセンスです。
「体験したことのない人には分からないものがある。」
それだけのことですよ。
「そうやってわかんねえやつにはわかんねえよってな態度を取るところが」と書いていますね。逆に聴きたいですが、それを「態度」(つまり、すねている、自己閉鎖的)としか見れないのはなぜですか?(あなたは、全ての体験が他者と共有できると信じているんですか?それこそ全くの「妄想」ですよ。)
「いっぱしの人格者ぶったそういう物言い」は、個々のケースを無視した無責任な言い方です。
逆に、あなたは心理学関連の書物を全く読んだことがないか、そうところに書かれているケース、携わっている人々を全部否定していることになります。御立派ですね。あなたはさぞかし素晴らしい人格者・心理研究者なんでしょうね!
こういう態度をとる人間がいる限り、この種の不幸はなくならないでしょうね。
もしかしたら「私」さんが、自分の受けた悲惨な経験を言語化・克服できていない一番不幸な人間かもしれませんが・・・。
投稿: MOMO | 2006.06.28 01:48
継母は悲惨な人生だね。
自分の子供でもないのに育ててやって、そいつに殺されたわけだ・・・。自分の本当の子供と共に・・・。
やりきれないだろうね。
投稿: 通りすがり | 2006.07.01 22:18
週刊誌(文春か新潮)によると、事件が起こった日、父親は当直ではなかったらしい。どこに行っていたかは謎。行き先は警察に口止めしていたそうです。(母親は実家に大反対されてまで、この父親と結婚したそうです。)
知れば知るほど、明らかに「健全」の範疇を逸脱した家庭で父親を中心とした強欲・自己中心的・グロテスクな人間関係が見えてきます。(きっと当の少年自身も、報道されるまでこんな家庭環境に生きているとは思わなかったでしょう。)
なお、少年は学校に相談したが、取り合ってもらえませんでした。
「>こうしたケースに遭遇しない多くの一般家庭に育った人に説明するのは大変難しいです。
そんなこたねえべな。相手の理解力にもよるべな。程度の差こそあれ暴力受けた家庭の子はいるべな。その家庭の子に話して聞かせれば、も少し薄まった家庭の子に話が届くべな。ほんでまたも少し薄まった人のところに薄まった按配で届くべな。 そげなもんで十分ずらよ。」
という意見が如何に「思い込み」「非現実的」かの証左です。
よく聞かれる論調に「自分の子供でもないのに育ててやったのに」というのがありますが、人間性の成熟度が見える言葉です。
そもそも、子供に関心があるなら「育ててやって」とは言わないでしょう。
きっとこうした感想を持つ人にとって「育てる」ってのは本音は「飼育」なのでしょうか?家畜とどう違うのでしょうか?
是非、自分のお子さんにも「お前は育ててやってるんだ」と言ってあげて下さい。お子さんがどういう反応を示すか、よく御自身の体験と踏まえて御覧になられれば宜しい。
母親や2人の子供が死んだのは不憫です。
結果的に殺したことになったのは裁かれるべき行為です。
ですが、それはこの事件の一面でしかありません。
(仮に長男が自殺していたら、きっと「少年哀れ」「鬼継母」とか言われたのでしょう。)
もし、そのことを分からなければこの手の事件は今後も必ず起こり、この継母・実子のような被害者がでます。さもなくば、餓死や虐待死がおこるでしょう。
投稿: MOMO | 2006.07.03 13:29