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2006.06.07

スキナー(Burrhus Frederic Skinner)と日本国憲法

 池沼とかブレーンストーミングとか言われているし。どさくさ紛れに今回はかなりトンデモかもしれないがこの間考えていた日本国憲法の謎について書いておこう。結論を先にいうと、日本国憲法にはスキナー(Burrhus Frederic Skinner)(参照)の思想が込められているというもの。仮説だ、もちろん。誰か他にこのことを研究している人がいたら教えてくださいませ(井の中の蛙?)。
 バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner)は一九〇四年生まれの米国の心理学者。その立場は行動主義心理学(参照)と呼ばれている。日本版のウィッキペディアには行動主義心理学についてごく簡単な解説がある。


行動主義心理学(こうどうしゅぎしんりがく)は、意識は客観的に観察することができないので、刺激や反応といった観察可能な概念によって人間の行動を研究していこうとした心理学の一派である。

 とりあえずそういうことだが、スキナーと言えば日本ではオペラント条件づけ(参照)が有名なので、スキナーの思想というのは、もし彼に政治思想があるなら、そういうものの延長であるかと考える人が多いのではないか。あるいはスキナー箱の忌まわしいエピソードなどを思い描くかもしれない(チョムスキアンとか)。そういう連想もあながち間違いとも言えないかもしれないが、むしろスキナーにとっては人間の行動の基礎原理自体が前提としてオペラント条件づけのように捉えられていた。
 スキナーの政治思想については、英語版のウィキペディアのPolitical Views(参照)が簡素にまとめている。

Political Views
Skinner's political writings emphasized his hopes that an effective and humane science of behavioral control - a behavioral technology - could solve human problems which were not solved by earlier approaches or were actively aggravated by advances in physical technology such as the atomic bomb. One of Skinner's stated goals was to prevent humanity from destroying itself.

 人間と人間の間の諸問題を解決する行動技術としてのコントロールという考え方に着目してほしい。このやや珍妙な考え方こそ、日本国憲法の前文に該当するとしか私には思えない。「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)からあえて引用しよう。コントロールというキータームが目立つようにした。

【第5文】
We, the Japanese people, desire peace for all time
 私たち日本人は常時平和を望み、

and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship,
 人間関係を制御(コントロール)する高い理想というものを深く意識して、

and we have determined
 以下のことを決定事項とした、

to preserve our security and existence,
 私たちの安全と生存の保持は、

trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
 平和を愛する世界の国民の正義と信頼に委託しよう、と。


 日本国憲法は、人間と人間の間の諸問題を解決する行動技術としてのコントロールが強く意識されている。コントロール(制御)という技術的な視点が一般的な法学的な文章とは異なり、非常に奇妙な印象を与えている。
 ここで、先のスキナーの政治思想についてだが、人間の諸問題を解決するのは技術であるという発想に加え、原子爆弾のような技術では人間の諸問題は解決されないのだとされていることに留意してほしい。スキナーは、威嚇を人間のコントロール原理としては捉えていない。彼が理想というか究極の目的としたのは、人類が人類を滅ぼさないためにはどうしたらいいのかという実践的、具体的な課題=理念だった。当然、この理念こそが人間と人間の間のコントロールの究極にあると延長して考えられ、まさにそこが日本国憲法のこの第五文と同じになっている。
 先の英文の先ではこうなる。

Skinner saw the problems of political control not as a battle of domination versus freedom, but as choices of what kinds of control were used for what purposes. Skinner opposed the use of coercion, punishment and fear and supported the use of positive reinforcement.

 人間と人間が滅ぼし合わないようにするには、自由のために生死をかけるのではなく、コントロール技術を用いるべきだというのだ。そして、そのコントロールというのは威嚇や恐怖でなく「ポジティブなリインフォースメント(positive reinforcement)」というのだが、これは人間と人間との関係性の文脈にあるのだから「善意と相手の信義の確認と再確認」と言ってもいいだろう。ここでも、日本国憲法の第五文の理念がそのまま浮き出ている。
 私はトンデモなことを言っているのだろうか。嘲笑するのはブログのご自由にだが、その前に日本国憲法の原文・英文とスキナーの思想を照合してからにしていただきたい。
 私にはスキナー思想と日本国憲法のコントロール原則は、偶然の一致だとはとうてい思えない。この思想は、一般に言われる平和思想ではなく、人間行動をいかに外在的にコントロールするかという技術的な思索の一つの結果である。
 この一致がもし偶然でないならば、前提として日本国憲法が成立した時代とスキナー思想の時代が合致する可能性を見ていかなくてはならない。
 スキナーの生涯で目立つのが、彼による理想世界の小説的Walden Two(参照)だがその出版は一九四八年。なので、これは日本国憲法が公布された一九四六年より後となる。Walden Twoが単純に日本国憲法に影響したということはありえない。むしろWalden Twoは日本の戦後教育的な気味の悪さを持っている。
 Walden Twoがべたに日本国憲法へ影響ということはありえないが、それでも日本国憲法とスキナー思想には同時代的な近接性があるとは言える。当時の最先端的な科学思想・軍事思想として、スキナーの思想がなんらかの経路で日本国憲法に取り込まれているという可能性はある。

Additionally Skinner felt behavioral technology would offer alternatives to coercion, good science applied right would help society, and we would all be better off if we cooperated with each other peacefully. Skinner's novel has been described by Skinner as "my New Atlantis" referring to Bacon's utopia.

 戦後の日本国とはそうしたNew Atlantisとなるように仕組まれていたのではないか。そしてその失敗はまさにスキナー思想の末路という点でもほぼ同型になっている。

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コメント

「領有権=財産権、施政権=信託」を読ませていただきました。我々が奇妙に感じる西欧あるいは米国の政治思想と日本国憲法がおくいくつかの前提が一致する、せざるをえないということと理解してよろしいのでしょうか?

それはさておき、「コントロール」の問題ですが「アイ、ロボット」という映画で扱われる「人を守ろうとするためには、人を制御しなくてはならない」という矛盾点の話を連想しました。

この矛盾を乗り越える、乗り越えさせることこそが、メビウスの輪のように見える西欧の政治思想の任務なのだと信じます。そして、この輪のねじれを飛び越えたことのない我々日本人が甘くみてしまいがちな点なのだと思います。

投稿: ひでき | 2006.06.07 17:10

>池沼とかブレーンストーミングとか言われているし。

 やーいやーい。気にしてやんのー。どうでもいいよぉーだ。

 頑張ってね。

投稿: 私 | 2006.06.07 20:55

>>本文

 ダメ。全裸。

投稿: 私 | 2006.06.07 22:27

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