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2006.05.07

老人の風貌

 今日で連休は終わり。天気図を見ると低気圧が日本を縦断しているようなので関東などは午後には少し荒れるかもしれない。今日東京に帰る人たちは少し難儀するだろうか。話は、前回の「極東ブログ: 連休の感想」(参照)の続きのような話。あまり意味のない雑談である。しいて言えば、老人の風貌について。
 リュックサックを背負った老人の列を、醜い、見られたもんじゃないと書いたところ、コメント欄などで、誰に迷惑をかけているわけじゃない、いいじゃないか、そういう批判はすべきではないというふうなコメントを貰った。という理解は誤解かもしれないが。
 ブログをしながら思うのだが、エントリよりもいただいがコメントが優れていることが多い。特に特定の専門領域に関わることなどで識者の適切なコメント、しかもマスメディアには出にくい貴重なコメントをいただくことがあり、それはなんというか、そういう声が出る場であることにブログの意味があるだろうと実感する。エントリは「私」が強すぎるが、ブログ全体は「私」だけのトーンでもない。また、できるだけ庶民感覚で忌憚なく書いているつもりでも、もっと素直な意見に出会うこともある。今回もそうなのかもしれない。
 リュック老人をそれはそれでいいじゃないか、誰に迷惑かけるわけでもなしはそれはそれで正論だと思う。電車のなかでの携帯電話通話は迷惑だが、では若い娘さんの化粧はどうか。迷惑かけてない点は同じだが、私はみっともないと思う。そのあたりの美観のようなもの、その社会的な意味というのはどうなんだろうか。美観なのだから、私的な領域というのは当然なのでそこで終了ということだろうか。
 前回のエントリを書いてから、ぼんやり昔のことを思った。昔というのは私がまだ子どものころのことだ。あの頃も老人がいた。昨今の老人向けファッションなんてものはなかったし、そもそも着ているものが貧しかった。マジで醜いとしかいいようのない老人・人々もいた、と思うが、自分の記憶のなかでは、不思議とその人の美観の表明というよりあるいはその人の美観の崩壊というより、ある時代の反映だったように思える。話が少しそれるが、私が中学生くらいまで街中にはよろしからぬ映画の、どう見てもこれはないでしょ的なポスターが充満していた。駅のホームにすらあった。そうした街の光景は醜いとしかいいようがないのだが、記憶のなかで不思議な陰影を持っている。子どもだったからというのもあるだろう。
 私が子どものころの老人は醜かったか。素直に言うつもりだが、記憶のなかの老人たちには、その大半に老人の風貌というものがあった。着ている物でも、浴衣の尻をからげたような風体ですら、なにか風流があった。凛としていたということはないのだが、今思い出すと、皆、なにか視線が違っていた。遠くのようなものをゆっくり見ていた。視線が柔らかった。所作に無駄がなかった。立ち居が、老人で身体が弱っているのに、それなりに無駄なく動いていた。私の祖父母たち、明治生まれの日本人だなと今更に思うが、老人の美のようなものはあった。子どもを可愛がるというふうはなかったが、子どもを自然に守っていた。
 それが崩れたように思ったのが、二十年くらい前だろうか。私の二十代が終わり三十になるころか。父が六十少しで死んであまり老人の風体を見せずに消えたこともあり、彼が生きていたらという老人の風景に関心を持ったからかもしれない。
 あれっと思った二つのことがあった。一つは銭湯の老人だ。私は当時銭湯が好きでよく通っていたのだが、老人のマナーが崩れだしたという感じがしていた。老人の裸体などというのは美しいものではないのだが、みな公共空間のなかでその分をわきまえていた。水の使い方にも歩きにも風呂の出入りにも無駄がなかった。ばしゃっというのはあるのだが、それは身体を洗った最後の締めの伝統芸のようなものだった。が、そうした老人が変わってきたと銭湯で思った。その後、私はわけあって銭湯には行けなくなった。その後は知らない。
 もう一つは、それより後になる。街の自転車の老人が危ないと思う機会がふえたことだ。歩道をふらふらと老人が自転車に乗っている。今では見慣れたが、次第に増えていくその光景は奇妙に思えた。もちろん老人だって自転車に乗る。というか、おそらく膝や腰の痛みで、歩くより自転車が楽なのだろう。しかし、これが危ないのは確かだ。いずれ社会問題になるだろうと思ったが、それから十年以上も経つが特にどうってことはない。この間、自転車が事実上存在しない沖縄で暮らしていて戻ってから、さらにその悪化した状況に唖然としたが、さすがに慣れた。
 老人はかくあれとかは思わない。確かに社会に迷惑をかけなければいいのだろう。でも、自分としてはリュックサック老人は醜いという感じがする。ということろで、話が錯綜するのだが、そういえば沖縄から東京生活に切り替えたころ、東京の老人は身綺麗だなと思っていた。電車などに乗ると、沖縄のオジー、オバー風な人はいないという意味だ。
 沖縄のオジー・オバーも言われているイメージほどの老人ではない。むしろアメリカ世時代の青春なので、泡盛は好かんウィスキーが旨いというオジーのほうが自然のようにも思う。それでも、さすがに一群のオジー・オバーターには、人間の威厳が滲む風貌がある。
 とエントリに特に結論はない。あーせーこーせーとか言うわけでもない。ただ、概ね、私が子どものころにあった老人たちには美があったなと子ども心に思ったし、その思いの視線から離れることはないだろう。もちろん、昔のほうが良かったとは思わない。昔の老人のほうがつらく悲惨だった。今の時代のほうが時代としてははるかにましだと、それは確実に思う。

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「雑記」カテゴリの記事

コメント

老いの型を見失ったということでしょうか。あの世代は一度過去を否定した(させられた)わけで、抹消した(させられた)空白を漂っている・・・、という言い方は失礼ですね、それぞれに型を模索しているのでしょうか。

投稿: Sundaland | 2006.05.07 07:47

昔は良かった、今の~は、的な記事を読むたびに、
本当に周りが変化したのだろうか、と思います。
学生の私からすると、老人に対して特に思いません。
はっきりというと、老人が目に入らない。
見えているけど、視てません。
意識するなら、近所に住む子供によく話しかける、
気の良いおじいちゃんぐらいです。
finalvent さんが子供の頃も、本当に老人を視ていたのでしょうか。
見えていたものを時が美化しているでしょう。
何より、子供の感受性でものを視ると、世界は別物です。
(大人と話をしていると、本当に何も視ていないとよく分かります。
 私も最近は大人に近づいてきていますが。嘆息。)

投稿: 棚旗織 | 2006.05.07 08:03

手仕事の差、歩く量の差だよ。

頭だけのひとは、頭の冴えが鈍くなれば、醜くなるだけ。

投稿: noneco | 2006.05.07 08:27

きっこさんが、お遍路さんをとりあげていたけど、
歩くことで、ひとつコツというか、大切なことを最近わかった。
「粗末なものを食べて日々歩く」こと。
これをすると、内臓脂肪がすっかりとれる。

で、もうひとつ。
今の老人と昔の老人では、内臓脂肪の量が絶対違うはず。

投稿: noneco | 2006.05.07 08:42

ついでに、

黒崎&UME両氏は、skypeで話し合えばいいのに…

コメント欄にしても、ブログにしても、先入観が強く入るし、
私自信、読み手の自由にしていたから、
実体とのずれは、ひどくかけ離れたしね。

ネットの先入観は、かなり暴走していると思うぞ。
石垣さんも、たぶん、暴走しているし、
ま、散人さんだって、信じていないかもしれないし。
ぐらいにしておいて、

とにかく、コメント欄に居心地が悪くなったし、
回復しないだろうし。


で、今悩んでいるのは、私もskypeできるようにするかなぁと。
で、少しずつおしゃべりした方が、
コメント欄より楽しいだろうなとも。

つまり、映画みて、ブログに書いたり、
だれかがブログに書いたりしたことにコメントするより、
アールグレイを飲みつつ、skypeでおしゃべりする。
で、「あの映画は、糞だ」っていっても、
知らない誰かを傷つけたりしないし。

いいかげん、誰かが傷ついたり、傷つけているのは、読みたくないし。

ああ、やっと、エントリーにも関連したことで。
バイ!

投稿: noneco | 2006.05.07 09:32

ついでに、なぜ、すぐ導入できないかというと、
1998年製のパソコンで。あはは。
英語モードでインストロールできて、
ま、動いた。けど、激遅い。

つまり、出費がきついと感じつつ……

投稿: noneco | 2006.05.07 09:38

単純にその人個人の、
「他人を気にするのか」と
「他人に気にさせるのか」の
重要度の差では。

服装・行為の多様性が広がったから、ともいえますし。

まあ、余丁町のご隠居さんみたいな見当はずれな持論をまくしたてるだけの「老人」にはなりたくないものですが。

投稿: テンペ | 2006.05.07 11:39

こんにちは。当該エントリーとあまり関係がないんですが、nonecoさんのエントリーを
http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20060507/1146973310
で引用しました。問題あればご指摘を。

投稿: BigBang | 2006.05.07 13:15


nonecoさんのエントリー X
nonecoさんのコメント  ○

投稿: BigBang | 2006.05.07 13:17

逆に風貌が良くなったと感じられる世代はありますかね?

投稿: Iwase | 2006.05.07 19:35

ま、願望としては、老いてもカクシャクとして、若しくは凛として欲しいわな。
またそうありたい。

そういや、finalventさんも近々そういうお年にはなられるんですよね。

そういう意味でしょうかね。

投稿: トリル | 2006.05.07 22:01

> Iwase
おれ今33歳だが自分が若かった頃に比べると若いのの見映えの平均値は劇的に向上している。みんな産まれたときから金に不自由してなさそうなオサレな感じのオーラが漂ってる。
つか日本だけじゃなくて東アジア全般にレベルアップしてる。って外国に暮らしてたんで特にそう感じたのかも。

投稿: き | 2006.05.07 22:49

今、リュックは年寄りの自立した生活には必需品なのです。まずリュックは両手が自由に動けます。若い人と違って反応速度が遅いので安全な行動には出来るだけ両手が自由になっている必要があります。年寄りは背中が曲がりやすいのですがその予防矯正にリュックで行動するのはリハビリにもなるのです。年寄りが外出する時出来るだけまわりに迷惑をかけず自立した生活の為外出する時に怪我(ちょっとしたつまずきでも簡単に骨折し寝たきりから認知症へと陥るケースも多いのです)を防ぐ
アイテムがリュックなのです。リュックをしている方たちの状況が今ひとつ良くわかりませんが、寝たきり防止グッズと思ってやってください。若い世代に出来るだけ頼らずに頑張ってるなと思って下さればありがたいのですが。
 確かに明治生まれの人には今の人にはない品格がありました。強烈な個人主義というのでしょうか。自分のまいた種は自分で刈り取っているといった。自分のやったことにはよくも悪くも自分が引き受ける気概を持っていました。どんなクソ爺さんでも婆さんでも人のせいにして逃げることはせず、自分の性のトラブルは敢然と引き受けてクソ爺くそ婆をとおして生き抜いていました。大正生まれになるとなぜかきゅうに社会や他人に責任転嫁をする人が多くなり明治生まれの人のように背筋が伸びた人がすくなくなり姿勢も悪く品格も落ちていました。
 昔老人ホームで働いていた時の印象ですが。戦後生まれとなるとどこまで落ちているやら自分の将来が恐ろしいです。

投稿: R | 2006.05.08 00:56

最近の老人は群れるよね。

あと、あの日は韓国人スターの集まりかなんかあったんじゃなかろうか。

投稿: cyberbob:-) | 2006.05.08 05:44

こんにちは。トリルさんから「finalventさんも近々そういうお年にはなられるんですよね」とコメントをいただきましたが、ええ、それを念頭に考えています。目に見えた父の世代を自分が明確になぞる年代になってきました。つまり、壮年から老い、死のコースがくっきりと見えつつあります。

投稿: finalvent | 2006.05.08 05:59

生きてるだけで人には迷惑がかかる。
迷惑をかけなきゃ良いではすでに迷惑をかけている。
もしかしたら迷惑かな、という視点が多くの人からはかけていますね。

投稿: | 2006.05.08 19:13

最後に否定はしてるけど、でもこれは昔は良かった病の一種だなー

投稿: | 2006.05.09 12:33

自分が物心を付けた時代の環境・風景をプロトタイプとしてしまうのは良くも悪くも人間の性なんでしょうね。昔は良かった病は人類の存在する限り永遠に続く連鎖じゃないでしょうか。

投稿: drp | 2006.05.09 14:03

昔は良かった、てのは「病」なんだ・・・。ふーん。

投稿: 私 | 2006.05.12 00:50

ってか、人口総数に比べて老人が増えただけのことでしょう。

投稿: neko | 2006.05.17 07:23

なんかさぁ、オウムのことでなく、
別なことで大問題になるかもよー。

私も信用されないかもしれないし。

Bigbanさんに、なんか、
頃合をみて。
アドバイスしてあげたらーー。

知りたいという気持ちはよくわかるけどさ。
絶対に無理だと思うぞ。

別にBigbanさんだけなら、自分でやっていることで、
自滅するのだし、ほっておくしかないのだろうけど、
ただなぁ、ネット界の、大汚点だな。

R30チンから何か聞いているなら、
もうわかっているのかもしれないけど、
ま、先にR30チンに聞くのが早いかも。

投稿: noneco | 2006.06.07 12:34

あーーー、むかつく。

>泉さんとかそのブログに地表に降りてきてないのだよ。

Bigbanさんがいる限り、降りてこられないの!
Bigbanさんが歩いていく先々、みんな天界にいくの!!

考えてみなよ。

松永さんは結核だけど、
結核が原因で、
逃げ回っているわけでないはずだぞ。
もし、結核でなくても、
逃げ回るのだよ。

松永さんほど、ネットを煽動するのがうまい人間が、
自分自身も、あるいは他人を使ってでも、
なにもしないというのは、何だ?

たしかに、友愛力がある人間なら、解決できる。
でも、トリルさんだって、
Bigbanさんを知ったら、固まるよ。

私のカンチガイならいいけど。ったく。

投稿: noneco | 2006.06.07 13:08

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» 誰かが傷ついたり、傷つけているのは [月も見えない夜に。]
極東ブログのコメント欄から。 ※こういう引用はアリでしたっけ?問題あればコメンテータの方、もしくはfinalventさん、ご指摘を。 黒崎&UME両氏は、skypeで話し合えばいいのに… コメント欄にしても、ブログにしても、先入観が強く入るし、 私自信、読み手の自由にしていたから、 実体とのずれは、ひどくかけ離れたしね。 (中略) で、今悩んでいるのは、私もskypeできるようにするかなぁと。 で、少しずつおしゃべりした方が、 コメント欄より楽しいだろうなとも。 つまり、映画みて、ブロ... [続きを読む]

受信: 2006.05.07 13:13

» 道筋 [人生とんぼ返り]
一応このブログは閉めたのだが、なんとなく書く事にする。はてなの方も閉めたし、このブログでは、正真正銘最後の投稿になる。コメント欄も閉めておく。「やめるんですか」「そうなんですよ、それは」などという、馬鹿げたやり取りはしたくないからだ。 さて、私の記憶の中で、大きな存在感を持っている人間が二人いる。二人とも七十を過ぎており、整体を生業とする人だった(片方は正確に言うと違うが)。片方の人には子供の頃から世話になっていて、体が弱り他の患者を診なくなってからも、時々自転車に乗って往診に来てくれてい... [続きを読む]

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