ダーウィン空爆戦死日本兵銘板除幕式
朝日新聞や読売新聞にも掲載されているのかもしれないが、昨日カウラで開催されたダーウィン空爆戦死日本兵の銘板除幕式について、ネットで見られる記事は共同”豪で日本兵18人の銘板除幕 空爆の死亡、公式確認”(参照)と日経”豪で元日本兵18人の墓銘碑を除幕”(参照)の二点だった。話は共同のほうがわかりやすい。
第2次世界大戦中にオーストラリア北部のダーウィンへの空爆で死亡し、無名戦士として埋葬されていた旧日本軍兵士18人の名前がオーストラリア政府により公式に確認され、26日、東部カウラの日本人戦没者墓地で遺族らが出席し18人の名前が刻まれた銘板の除幕式が行われた。
同記事では「キャンベラ在住の歴史家ロバート・パイパーさん(59)」が戦死者の名称確認作業に尽力されたことも簡単に伝えている。
日経の記事では銘板に記された兵士の関係者の話が中心になっていた。
広島市から参列した山崎光子さん(91)は「戦後60年を経てようやく弟の遺骨の所在がわかり、ほっとしています」と語った。
山崎さんは今回墓碑に名が刻まれた赤松清・一等飛行兵曹(当時25)の姉。赤松さんは1942年11月の豪北部の都市ダーウィン空爆の際、搭乗機が撃墜され7人の搭乗員とともに戦死した。山崎さんは「弟がどこに眠っているのかわからず、ずっと心にわだかまりがあった」という。
九十一歳という年齢に歴史を重みを感じる。
戦死者名についてはすでに四年前に判明していた。当時は十九人となっていた。無名戦士は三十一人おり、残りもある程度絞り込みされている。
判明に尽力されたパイパーさんについては、読売新聞”豪に眠る無名日本兵19人の名、近く墓碑銘に 歴史家の調査で判明”(2002.09.03)に詳しい。なお、記事に記載はないが墓碑銘の起案もハイパーさんによる。費用はオーストラリア政府が担った。パイパーさんはパイロットの経験もある。
パイパー氏によると、十九人は一九四二年十一月二十二日から二十三日にかけて豪州北部のダーウィンを爆撃した海軍第七五三航空隊の赤松清・一等飛行兵曹や高橋三郎・飛行兵長ら。パイパー氏は元豪国防省職員で空軍史の研究部署に十五年間在職。妻の美佐子さん(49)の父親が元日本陸軍のパイロットだったこともあり、九四年に国防省を退職後は大戦中の日豪関係や戦史などを調べている。
カウラにダーウィンから移転した日本人無名戦士の墓があることは知られていたが、二、三年前、日本の防衛庁防衛研究所に日本軍の爆撃出動記録があることが明らかになり、ダーウィン方面の偵察機に乗務していた元日本軍兵士(故人)や防衛庁の協力を得て、豪州側の撃墜記録と照合することで十九人の名前を突き止めたという。
![]() カウラの風 |
ダーウィン空爆ではオーストラリアに約九百人の死者を出したことなどもあり、オーストラリアは長く反日の空気もあった。今もそれがないわけではない。しかし、今回の除幕式はオーストラリアの退役軍人会が主催したことは、友好の強いメッセージでもある。
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コメント
豪在住の者です。5年ほど住んでいます。
ニュース検索でココを見つけました。パソコンは本当に便利ですね。
豪内での対日感情について興味があったのでとても参考になります。ありがとうございます。
ハイパーさんのまとめをまだ目にしていませんが、信用のおける証拠の上にまとめられていることを願っています。韓国、中国のように信用性の薄い証拠を元に主張されてはたまりませんから。
投稿: | 2006.05.30 12:20