暗殺のランデブー(ドイツWDR・NHK)
ケネディ暗殺の謎を探るという主旨の、七日NHK・BSで放映されたBS特集 「暗殺のランデブー」- ケネディとカストロ -(参照)が面白かった。率直なところ当初、高校生向けノビーさんの愉快な「決定版 2039年の真実(集英社文庫)」(参照)みたいな、またかよかもという予断を持っていたので、たらっと見始めたたのだが、冒頭から、従来の陰謀論あるいは陰謀解説的なものとは違うトーンで引き込まれた。スポイラーになるかもしれないし、私の読み違いかもしれないが、私はこのドキュメンタリーを見てむしろ法的にはオズワルド単独犯説でよいと思うし、歴史はよい選択をしたのだというふうに受け止めた。そして、ドキュメンタリー作品の手法としても優れていたと思う。
話の概要としてNHKの釣書を引用しよう。
その真相について様々な推測がされてきたケネディ暗殺事件について、当時のFBIの主任捜査官や、キューバサイドのスパイなどの証言によって、新たな事実を探る。
カストロはキューバ危機以前から、アメリカに強い敵意を持っていたと見られている。一方、アメリカは、ピッグス湾侵攻の失敗をきっかけにカストロへの敵意を強め、少なくとも8回に及ぶ暗殺未遂を続けていた。
この作品を、ケネディ暗殺についてのキューバ説と読む人もいるだろう。そのあたりは、人によっていろいろな受け止めかたはあると思う。私としては、オズワルドとキューバの関わりはこのドキュメンタリーで明白になったとは思えない。そして、その要所は、一にロランド・クベラにかかっているし、この作品の主人公は、当時FBI主任捜査官だったローレンス・キーナンよりクベラであろうし、作品の最後の、老いたクベラの後ろ姿はある明白な印象を視聴者に残すだろう。
ネットをざっと検索すると毎日新聞に紹介記事”テレビ:「暗殺のランデブー」 ケネディVSカストロ、新たな証言--NHK・BS1”(参照)に紹介があった。記事ではないが記者は若いのではないか。あるいは、私より上の、当時岡林信彦が「さとうを苅りにキューバに行くぜ」世代かもしれない。いずれにせよ、ジョンソンとフーバーの政治的な決断のトーンを見落としている(紹介記事なので書けないのかもしれないが)。それは端的に言えば、キューバの影はあったが、あの時その真相を明らかにしてもどうしようもなかった。その決断を彼らがしたことは良かったことだろうということだ。
ネットリソースでは”「蟻の兵隊」監督からの便り:ケネディ暗殺の謎に迫る”(参照)も興味深かった。制作にはNHKも関わっていたようである。が、プラネット・アースのような分担は見えない。
今日は朝9時にNHKの編集スタジオに入って、ドイツのプロダクションとNHKが国際共同制作したドキュメンタリーの日本語版づくり。4月にハイビジョンで放送したものをBS1でも放送することになり88分の番組を前編、後編に分ける作業を行った。明日MAを行い、あさって仕上げる。
ドキュメンタリーの手法としては、これはすごいなと思ったのだが、インタビューで語るどいつもこいつも嘘こいていることが自ずとわかる仕立てになっていて、嘘を吐く人間というものの、人間の本質のようなものを描き出している点だ。そこにはなんというのか、真実のストーリーの憶測も真実の証言なんかも信じない、すげーリアリズムを感じた。
ケネディ暗殺は私の世代には、東京オリンピックや、お目々の超特急ひかり号とならんで、生涯の刻印となる映像であった。そのあたり、もう少し書きたい思いもあるのだが、また古い話ですかと言われても、な。
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コメント
>真実のストーリーの憶測も真実の証言なんかも信じないリアリズム
何一つ信じられないという前提に立つことがリアリズムという矛盾、かつそう書かなければいけないのがリアリズムであるということに同意します、ところで、古い話、私はぜひ読みたいっス。
投稿: 正午 | 2006.05.12 15:05
>ドキュメンタリーの手法としては、これはすごいなと思ったのだが、インタビューで語るどいつもこいつも嘘こいていることが自ずとわかる仕立てになっていて、嘘を吐く人間というものの、人間の本質のようなものを描き出している点だ。
少なくとも「言葉」に関して言えば、そういうもんでしょ、としか。
投稿: 私 | 2006.05.13 13:10
「話す」は「放つ」、言葉に必要以上の意味を付託して依存してないんですよ。単に「放つ」ための道具としか看做していない。言葉の持つそういう一面性を「嘘」と思ってしまう人間性。「嘘をつく人」は、そんなのせせら笑ってるでしょう。
それが、リアリズム。
投稿: 私 | 2006.05.13 13:13
そういった個々のリアリズムを、番組制作という形で遠巻きに観察することによって「暴き」「笑う」。それをまた遠巻きに眺めるやつが、視聴者のいやらしさを「暴き」「笑う」。それをまた…、それをまた…、と無限連鎖。
しまいにゃ、どっかの誰かが「どうでもいい」って言い切って、そこで連鎖終了かと。誰が言うのやら。
投稿: 私 | 2006.05.13 13:27