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2006.05.13

[書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護)

 昭和文壇の三角関係恋愛劇、中原中也、長谷川泰子、小林秀雄。そのピヴォット、長谷川泰子自身の語りによる一冊。私は小林秀雄の愛読者で、この劇にも強い関心をもっていたが、この本は読み落としていた。一読、村上護の仕事がすばらしい。

cover
中原中也との愛
ゆきてかへらぬ
 今回読んだのは文庫本による復刻。初版は一九七四年。オリジナル・タイトルは「ゆきてかへらぬ 中原中也との愛」、とこの文庫版の逆。そのまま愛がかへらぬという洒落に読める。なぜ今頃復刊といぶかしく思ったが、文庫の最終ページに新編中原中也全集の広告、「生誕90年・没後60年を期して30年ぶりに全面改訂の全集!」とあり、その祭の一環なのだろう。
 一読して面白かった。なぜ今まで読まなかったのか悔やまれたかというと、そうでもない。五十歳にも近い自分にしてみると、もう彼らの二十代の惨劇は、「ああそういふものか」と見える部分もあるし、今の自分にしてみると三十歳くらいの女はかわゆく見える。本書で長谷川泰子を別に性的な対象ということもなく養っている初老の男の象がいろいろ出てくるが、経済に余力があったら、長谷川泰子のような女がいるなら、なるほどちょいとサポートしてみるかという酔狂な男はいるだろう。まあ、そんなところに今の私は共感して少しトホホな感じもした。
 そういえば変な話なのだが、昔と言っても私が三十少し過ぎた頃、悪友のいた頃、キャバクラというのかよく知らないが(あまり経験ないのだ)、酌をしてくれる二十代後半のお姉さんのいる飲み屋なのだが、私は無粋をかこって女と向き合っていたが、なんかのおりに女が中原中也のファンだというのだ。ほぉ俺は小林秀雄のファンだよ。共通の話題といったら長谷川泰子だな、まだ生きているんだそうだよ……という話になった。女はよくこの恋愛劇を知っていて驚いたが、江藤淳の「小林秀雄」は読んでないようだった。あれには当時自殺しかけた小林の文章があるよ、などと言うと、女は長谷川泰子に著作があると言うのだった。が、それが「我が闘争」という題だそうだ。そんな本あるのか? あるわよ、と続くのだが、「ゆきてかへらぬ」以外にまだあったのだろうか。中原中也の「我が生活」の間違いではないのか。わからないな。あの女はこの世界のどこに生きているだろう。このブログ見てますか、ハロー。
 今時の若い人がこの恋愛劇に関心を持つかわからない。「含羞 我が友中原中也(モーニングKC)」(参照1参照2)が出たのはまだ八十年代ではなかったか。アマゾンを覗くと中古売ってプレミアが付いているが私にはそれほど面白くはなかった。
 長谷川泰子の語りを読みながら、小林秀雄の妹高見沢潤子が、「兄小林秀雄との対話―人生について(講談社現代新書 215)」(参照)にも表れているが、なぜ泰子に憎悪に近い思いを持っていたのか、わかるようなわからないような不思議な感じがした。長谷川泰子と小林秀雄の関係がどうなのかというのに小林の母や妹など女たちがどういうポジションにいたのか、いろいろ思った。
 端的に言えば、長谷川泰子を狂気に導いたものは小林秀雄の天性のなにかであることは間違いなく、後にまさに「ゆきてかへらぬ」(参照)となる中原中也の本質を見抜いていたのも、それに匹敵する狂気を抱えていたのも小林秀雄だった。彼の終生のテーマというか、「本居宣長」(参照)の冒頭、折口信夫に「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」と語らせたものは長谷川泰子との狂気の愛であっただろうし、ドストエフスキーの著作のなかに見ていたものもそれだっただろう。
 なぜ女と狂気の関係性になかに入っていたのか。そこに意識はどのようにありうるのか。江藤淳はこの問題を「父」として語っていたが、今私は思うのだが、違うだろう。もっとどろっとしたなにかだ。「Xへの手紙」(参照)の、あの有名なくだりに近い。

 女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた。と言っても何も人よりましな恋愛をしたとは思っていない。何もかも尋常な事をやって来た。女を殺そうと考えたり、女の方では実際に俺を殺そうと試みたり、愛しているのか憎んでいるのか判然しなくなって来るほどお互の顔を点検し合ったり、惚れたのは一体どっちのせいだか訝り合ったり、相手がうまく嘘をついてくれないのに腹を立てたり、そいつがうまく行くと却ってがっかりしたり、――要するに俺は説明の煩に堪えない。

 それはある意味では本当だが、嘘でもあろう。もっともっとどろっとしたなにかだ。

 女は男の唐突な欲望を理解しない、或は理解したくない(尤もこれは同じ事だが)。で例えば「どうしたの、一体」などと半分本気でとぼけてみせる。当然この時の女の表情が先ず第一に男の気に食わないから、男は女のとぼけ方を理解しない、或いはしたくない。ムッとするとかテレるとか、いずれ何かしら不器用な行為を強いられる。女はどうせどうにもでなってやる積もりでいるだからこの男の不器用が我慢がならない。この事情が少々複雑になると、女は泣き出す。これはまことに正確な実践で、女は涙で一切を解決して了う。と女に欲望が目覚める。男は女の涙に引っかかっていよいよ不器用になるだけでなんにも解決しない。彼の欲望は消える。男は女をなんという子供だと思う、自分こそ子供になっているのも知らずに。女は自分を子供の様に思う、成熟した女になっているのも知らずに。

 これがどういうふうに意識に映えるか。「考えるヒント(文春文庫)」(参照)の『井伏君の「貸間あり」』に近い。あれだ。

 「貸間あり」の映画を見ていると、画面に、長々と男女の狂態が映し出される。これには閉口したが、見物は誰も閉口しているに違いない、と思った。これは、趣味や道徳の問題ではない。もっと端的な基本的な事柄なのだ。誰もこんな映画を見ていられないと感じているのだ。画面から来る一種の暴力に誰の眼も堪えられず、或る不安を我慢している。この不安のうちには、一かけらの知性も思想も棲むことは出来ない。私は、しきりにそんな事を思った。なるほど、画面に現れる人々の狂態は、日常生活では、誰もごく普通な自然な行為である。ただ、私達は、自分の行為を眺めながら行為する事ができないだけの話だ。実生活の自然な傾向は行為せずに眺めることを禁じている。

 と、この先に文学の工夫のようなことを小林は語るのだが、その脳裏にあったものは、疑いもなく泰子との狂態であっただろうし、泰子の、この口述を読むと、その奇妙な狂態の共犯の意識の関係性のなかに二人がいたことがわかる。端的に言えば、泰子は中原への愛より、小林との関係が戻ることを確信していたのだ、と私は知る。泰子がこの口述で思想だの文学だのというとき、その陰影は小林との狂態のトーンを持っていると私は思う。
 もちろん、現実にはそうはならなかった。小林は狡猾だったし、長谷川に幸運か不運はあった。
 と、書いてみたものの、うまく言葉にならない。
 正岡忠三郎については、「ひとびとの跫音(中公文庫)」(参照上参照下)を読まれたし。今日出海の父について、長谷川は地霊学としているが、これは神智学のことである。などなど、ディテールについてもいろいろ言いたいこともあるが、うまく言葉にならない。

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コメント

私は、この本を読んで以外な気分がしています。私の場合は最初にこの一件について読んだのが白洲正子の「青山二郎とは何者だったのか」でしたので、一つの事件に対しても見る人が違うとここまで印象が違うものかと感心します。

投稿: F.Nakajima | 2006.05.14 10:03

>あの女はこの世界のどこに生きているだろう。このブログ見てますか、ハロー。

きっこさんだったりして! あはは。

石垣さんも、ネットで見え隠れする存在になるといいのかもよ。
石垣さんをはじめ、ネットの長老隠者がふらっと現れるような公開されたエリアがあればいいのにね。
若いのは、ちょっとネットでRPGしすぎ。現実はゲームじゃないのだよ。
不可解で因縁めいていて、常に運命の輪が歯車のように、複雑に絡み合っている。
これは、現実の友情や恋愛、そして裏切りを体験しないかぎり絶対に見えない。
人が、いかに醜いことをするのかもね。

投稿: noneco | 2006.05.14 10:56

《長谷川泰子が長谷川泰子を演じてみたい》


はじめまして長谷川泰子です。

中原中也ファンの方から、よくお声をかけられます。
ただ、同姓同名というだけの事ですが、
ネットでひいても、だいたい、中原中也さんの方の長谷川泰子さんんか、私のことが一番上のページが出ます。
二期会のソプラノですが、オリジナル作品を制作して公演をさせていただいております。いつか、 

 『ゆきてかへらぬ』

という作品等を題材に製作して、
長谷川泰子が長谷川泰子を演じてみたい、と思っています。
ところが、そう夢みている内に、なんと私は51歳になってしまいました。

 まあ、卒塔婆小町の様に変身して別の人に演じてもらって
その場合は、語り部になればいいかな、とも考えます。
 よろしければ、私のページにもいらっしてみてください。
 
           長谷川泰子

投稿: 長谷川泰子 | 2006.05.18 16:25

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