植田重雄、逝く
朝のラジオで田村高廣が亡くなったと聞いてネットで確認したところ、併せて植田重雄の死を知った(参照)。十四日のことであったそうだ。
直に学んだこともなくお会いしたこともないのだが、いつも心のなかで植田重雄先生とお呼びしていた。お別れ会は日本キリスト教団早稲田教会でとのことだが、やはりカトリックではなかったのかなと少し思った。そうした面についてはあまり知らない。
死因は胃がんとのことだが、八十三歳、天寿に近いと言ってもそう間違いではないように思う。年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版(参照)を見るに、大正十二年か十三年の生まれ。吉本隆明とほぼ同じ世代の人になる。
とすれば、昭和三十五年には三十七歳ということになる。書架にある植田重雄「旧約の宗教精神」をお書きになったのは、三十六歳ころであったか。しばし感慨に打たれる。
早稲田大学出版部から出た同書はすでに古書店にもないか、あるいは意外と今だに販売されているか。先日、銀座の教文館に寄ったところ古書かと思われる良書が当時の値段のままに販売されていて、カネとスペースがあったらいくつか全集を買い占めたい世俗の欲望に駆られた。
ネットをひくと、ビーケーワンに情報があり(参照)それを見ると、発行年月が一九七二年である。私の所蔵の三版と同じだというところで、しばし植田とある検印を見つめた。と同時にしおりにしていた第121回紀伊國屋ホール名画鑑賞会のチケットに青春時代を思った。
同書をめくって熱い思いがこみ上げてくる。
イスラエル人の場合、「認識する」「知る」を表す語は、「ダアアート」(da'at)とか、「ヤーダー」(yada')などで示している。しかし、この認識はけっして、事物の本質の認識ということではなく、そこには体験的な内容を持っている。ヤーダーの場合、直感する、体験する、場合によっては出合うという意味をもつ。この語のニュファール形では「啓示する」という意味がある。旧約聖書においてはもともと「知る」ことは、自己の体験をはなれて成り立つものではない。彼らの目ざしているのは、存在の本質とか、存在の普遍化にあるのではなく、自己と他の存在が関係を結ぶことによって生ずる出来事が問題になる。体験することは、ある一定の距離を保って客観的認識を獲ることではない。少なくとも自己が動揺させられ、精神的な感動を与えられることによって生ずる実存的な内容を問題にする。実存にたいし窮局に働きかけるものは、人間の意志である。
私は少し古典ヘブライ語を学んだことがある。ほとんど忘れて些細なことを覚えている。間違いかもしれない。ヤーダーには男女の交わりの意味があるはずだった。やまと言葉の、相見ての後の心にくらぶればの見るにやや近いかもしれない。やまと人にとって見ることは今の日本人のように視覚において見ることではなかった。観想とも違うものだった。古代イスラエル人にとってのヤーダーの知とは情熱的な男女の交わりのなかに置かれる知のありようだった。そのなかで相互に意志としての存在を確認するような、そんななにかだ。
イスラエル最大のラビと呼ばれるアキバの伝説を思い出す。アキバは無知な羊飼いであったという。が、ある娘に惚れた。結婚したかったが、その娘の父の約束だったか、立派なラビとなって戻れと言われた。アキバはラビとなり弟子を連れて娘に再会するとき、娘はアキバを抱き寄せ弟子は眉をひそめたというが、アキバは弟子をいさめたという。私の記憶違いかもしれない。また、いわゆる旧約聖書となる聖書の編纂にアキバが関わったのだが、その折り、雅歌を聖典に含めるか議論があったという。偉大なラビ・アキバが決めることになり、彼がこれを聖典とした。雅歌は聖書の神髄であることをアキバは知っていた。あるいはアキバによって私たちはそれを知ることになる。
あなたの口の口づけをもって、
わたしに口づけしてください。
あなたの愛はぶどう酒にまさり、
あなたのにおい油はかんばしく
あなたの名は注がれたにおい油のようです。
それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
ソロモンに擬された歌謡のなかに神と人のヤーダーの知の原型があり、それがのちにキリスト教では教会と信者の関係の比喩となる。余談だが、エーコの「薔薇の名前」(参照)の主人公の愛欲のテキストは雅歌のパロディで書かれている。
こんな話をすれば、植田重雄先生は眉を顰まれるであろうか。
先の引用はこう続く。
意志の主体は自己であり、人格存在にほかならない。人格(προσωπον)は顔を意味し、ローマにおいて人格(Persona)は、俳優の面を指したものらしく、やがて人間の全存在のもつ価値をあらあわす概念となった。これに反しイスラエル人の場合、顔といった視覚的、造形的な意味はなく、つねに向けている面すなわち何ものかに向かっている存在としての行為の主体を表現しているのである。
こうした実存観は、マルティン・ブーバーの哲学を連想させることだろう。しかり、その「我と汝・対話(岩波文庫)」(参照)の卓越した翻訳は植田重雄によるものだ。
![]() リーメンシュナイダー の世界 |
しかし、私はその先生の精神の探求と慰めに背いて生きてきたと思い返す。ヤーダーの本質は情交であるとほざく、下品でデーモニッシュな私は、先生の静謐なる世界には住めもしない。
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コメント
松永さんは、健康の方ヤバイのか? やだな。
やっぱりこのままサナトリウムに直行がいいのかも。
生活保護の申請とか、代行してくれる弁護士の先生とか登場するのだろうか?
あと、女をなめてかかっている鼻の下を伸ばしているオトコの多いこと!
さっさか見切りをつけないと、自身を傷つけることになるよ。
道を誤った巫女ほど手のつけようもないし。
御輿のように担ぎ上げて、困ったものだ。
独力で好き勝手にやらせておくしかないと思うけどね。
ああ、やっぱり、宗教力の欠如なのかなぁ。
投稿: noneco | 2006.05.19 10:58
いろいろごめんなさい
投稿: jiangmin | 2006.05.19 12:09
松永さんは、結核が治ったら、巫女好きも治さないといかんかもね。
か、はっきり安全保証された巫女さんを大切にするか。
いっそのこと、キリスト教の宗教学者になるために、
大学に入りなおすのも吉かも。
あと、せめて、巫女さんみたいな看護婦さんと出会っていればよいな。
あ~、ばかばかしくなってきた。
こうも現実面がボロボロなのかということを、
改めて教えられた。
投稿: noneco | 2006.05.20 06:43
で、石垣さんは、
琉球のノロにたぶらかされたクチか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3
うーむ。ニホンのネットは、そういうことだったのか。
これからの、ニューテーストは、
ブログの女王でなく、ブログの巫女だ。
オウムには、麻原よりスゴイ巫女がいたのかな?
興味深い。
たぶん、教団の外にいたのかもしれない?
投稿: noneco | 2006.05.20 06:52