高学歴になるほど就職しづらい
今週のニューズウィーク日本語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。
有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している
まあ、そんな話。
いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。
では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈しておくのが良い。なにより私の存在は社会的にはかなりどうでもいいものだ……でも、大学を離れたころは自分がいかに矮小な存在かと頭でわかっていても、「あははは、俺は社会のゴミ」と現在のように明るく達観していたわけでもないので、現在大学院などで学究に志している人は、就職に大きな不安を持っているのだろうと同情する。そうした不安は未来に質を持っているので、いずれ十分な歳月がすべてをファイナンスしてくれるだろうが。
単純に言えば学問の価値と社会の価値は違う。社会はその構成員のサービスの交換で成り立っているのだから、それに見合うサービスが提供できなければその存在価値はない。社会的個人の価値を決めるのは社会のシステムであって、その個人の属性と化した学歴などではない。では、スキルは?と連想が進むが、現実社会でのスキルというのは社会に出てみないと身に付かない。もちろん、例外もある。が、例外の人は悩む間もなくちゃんと食っていけているものだ。たいていの人は例外にはならない。
ニューズウィークの記事は学歴に着目しているが、日本の場合が特にそうだが、大学は青春の場でもある。洒落のようだが、三十代から四十代になってみると、学問なり社会人なりとしてそれなりに成功していても端的に言えば家庭的というか個人の内面的な生き様としては崩壊しているというか索漠としている人々が目立つようになる。運命というのもあるので、なんらかの結果そうなったというものではないのが、なんとなくだが青春なりというものの始末の付け方に関連はしているだろう。生きるというのはけっこう難しい。幸福というのは金銭なり名声なりとイコールでもない。
記事で面白かったのは、高学歴な人々が職を得られないというのは、高度な資本主義社会にとってある程度一般的な傾向なんだなと思わせるあたりだ。国家の施策でどうとなるものではないのかもしれない。
高学歴者の就職難民化は、先進国共通の問題だ。韓国では大卒以上の失業者が33万人超に達し、ドイツでは年間の新卒数に匹敵する23万人の大卒者が失業する。ブレア政権が大学進学率の向上を推進したイギリスでは、単純労働の仕事しか見つけられない高学歴者が社会問題化している。
もちろん日本というのは、大卒から一斉に就職というまるで一連の流れのように大学と企業・社会が連結する特殊な国なので、そうした点の考慮は必要だろう。が、傾向としては、資本主義社会の発展と高学歴者の就職難には関連があるのだろう。
アメリカでは事情が違うようでもある。それはそれなりに特例かもしれないが。
ただ、専門性を生かせない企業側の画一的な採用や処遇に問題があるという専門家も多い。外資系求人サイトを運営するCCコンサルティング代表のリチャード・バイサウスは、「社外の知識や経験を重視する外資系企業に比べ、日本の中途採用市場はまだ未成熟だ」と言う。
確かに、学士より修士、修士より博士が就職に不利という逆転現象は、専門職の採用や処遇にたけたアメリカには見られない。
記事は日本版のみで書かれたのではないかと思うので、こうした指摘が米国全体に当てはまるとは言えないかもしれないが、米国はそれなりにうまくやっているという印象はある。なので、日本の高学歴者就職難が問題なら、社会の方向性としては米国型に向かうしかないのだろうと思う。が、ブログとかでぶいぶいしているインテリ小僧からそうした認識(米国型がよい)は私にはあまり伺えない。たぶん、日本はそういう点で米国型にはならないのだろう。むしろ、学歴と高級公務員志向が結合し、さらに問題を深めていくような気がする。
話が逸れるのかもしれないが、大学というのは、労働者を調節する社会施設でもある。日本の現状だと大学生がバイトに勤しむかのようだが、それですら正規雇用にバッティングするわけではない。そう考えてみると、現状大卒者・高学歴者の就職が難しいというのは大学の持つ労働者調節機能がより高度化しただけなのではないだろうか。そして、それはある意味で正常な社会機能に向かっているのではないか。
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