ユダの福音書
昨日キリスト教に関するトリビアみたいなニュースが日本でもちょっと話題になった。例えば、読売新聞”ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読”(参照)。
米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。
イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。
解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。
とのことだが、多少聖書学を学んだことがある私の印象としては「真実ならば」というのはありえないと思う。というか、それ以前に、ユダの裏切りとされている行為そのものが史学的には確立してないと思うのだが、昨今のこのあたりの新説を追っていないのでよくわからないといえばわからない。
福音書が伝えるイエス像については史実という点では現状でも皆目わかってないのではないか。かろうじてイエスは実在したと言えそうだということと、それがローマの政治犯だったという二点以上にはなにも史学的にわかってないはずだ。その意味で、福音書が描くイエス像は基本的には神話であるし、ブルトマン(参照)の非神話化というのは、ありゃ神話でしょというのが前提になっているし、そのあたりの学問成果が崩れることはないだろう。
というかこのユダの福音書という文書はキリスト教の史実やその神学という文脈より、グノーシス主義(参照)の研究資料というのが基本だろう。
報道の元になっているナショナル ジオグラフィックの日本語のネットソースは”1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開 ユダに関する新説を提示”(参照)である。
この手の物に関心を持つ人間としては、まずナグ・ハマディ写本(参照)を連想する。ナショナル ジオグラフィックのサイトでもこの点への言及がある。多少引用が長いが。
写本の文章は、古代エジプトの言語であるコプト語のサイード方言で書かれています。その記述内容と言語的な構造を調べた著名な研究者は、写本の宗教的概念と言語学的特徴はナグ・ハマディ文書にそっくりだと指摘しています。1945年にエジプトで発見されたナグ・ハマディ文書も、やはり初期キリスト教時代に作られたコプト語の古文書群です。チャップマン大学聖書・キリスト教研究所(カリフォルニア州オレンジ郡)のマービン・マイヤー教授とドイツ・ミュンスター大学のコプト語研究者スティーブン・エメル教授は、写本の文章には紀元2世紀に流行したグノーシス派特有の思想が色濃く反映されていると語ります。後にコプト語に翻訳された『ユダの福音書』のギリシャ語の原典が作られたのも、ちょうどそのころです。
古文書学による筆跡の分析でも、この写本とナグ・ハマディ文書はきわめて近い関係にあることがわかったとエメルは言います。「研究者として何百ものパピルス写本を見てきましたが、これは間違いなく、典型的な古代コプト語の文書です。100パーセントの確信があります」
専門家はこの5種類の鑑定結果から、問題の文書は紀元300年ごろに作られた写本であると結論づけました。
つまり、今回の発表が写本ということでそれ以前にオリジナルがありそうな含みを感じる人もあるだろうが、ある程度のこの分野に関心を持つ人間としては「写本の文章には紀元2世紀に流行したグノーシス派特有の思想が色濃く反映されている」というあたりから成立年代はイエス時代からかなり離れていると感じるだろう。
トマスによる福音書 |
ナグ・ハマディ写本ということでは、「トマスによる福音書(講談社学術文庫)」(参照)が有名だ。というかこれこそ世紀の大発見だったし、ここからキリスト教とグノーシス主義の関連(さらにマニ教との関連)の研究が進んだ。今回の「ユダの福音書」はその文脈からは副次的なものではないかと思う。もっとも写本復元の技術としては重要というのは別のことだが。
「トマスによる福音書」についてはウィッキペディアの日本語の項目がある(参照)。
ナグ・ハマディ写本は、カトリックから異端とされたグノーシス主義の文書群を多く含み、「トマスによる福音書」にもグノーシス主義的な編集の跡が見られる。「トマスによる福音書」を四福音書など他の資料と合わせて研究することで聖書成立史を解く鍵になるという見解や、語録という形式はQ資料として想定されていたものと共通であり本来のイエスの言葉をよく伝えているという見解などがある。また、オクシリンコス・パピルスの中からも「トマスによる福音書」に共通する内容の文書が見つかっている。
私などがトマス福音書に関心をもったのは、私がQ(参照)に関心を持っていることがある。そのあたりの話は長くなりそうだし、死海文書写本について愉快な話とか、P・K・ディック(参照)のヘンテコな思想とかもまた何かの機会があれば書くかも。
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コメント
Qについてのエントリ、期待しています。
投稿: synonymous | 2006.04.08 11:46
P・K・ディックについて読んでみたいです (伏
投稿: バカヤマびと | 2006.04.08 12:23
>死海文書写本について愉快な話とか、
今、yahooで「あれ」のキャンペーンやってますから「愉快な話」というのが「あれ」関連でなければいいのですがw
投稿: F.Nakajima | 2006.04.08 12:47
「ユダの福音書」も「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」という書き出しからして、トマスやQ見たいな語録福音書なんでしょうかね。
ひょっとするとQ研究に新たな光を当てたりして。
投稿: 後藤寿庵 | 2006.04.10 22:57
バーバラ・スィーリングについても解説をお願いしたい。
投稿: 三島八雲 | 2006.04.12 23:30
このニュース一聴して、リアル版「ティモシー・アーチャーの転生」(P・K・ディック著)だなと思ってしまいました。
その小説ではキリスト教はキノコでラリったカルト集団だったという設定でしたが…
日本人は(僕も含めて)どうしてもキリスト教の神学的な論争には疎いんですけど、
こういう話って世界的には未だに重要なファクターなんですよね。
今って中世だっけ?と思わされることしばしです。
投稿: ronzo | 2006.04.17 17:00
はじめまして。
ハーベストタイムというキリスト教番組を制作している中川健一牧師が
http://htblog.exblog.jp/1765914/
でユダの福音書に関してコメントしています。
興味のある方は見てください。
投稿: 私はクリスチャン | 2006.07.29 12:52
先生が聖書学を学ばれていたとは、びっくりです。
よろしければ、聖書学を学ぶきっかけについてお聞きしたいです。そして学ぶことで内部的になにがどうなったのかに興味があります。
自分は高校(プロテスタント系)時代から、信仰についてちょっと踏み込んだ話になると、最後には「君はグノーシスだな」と言い捨てられてきました。どの組織からも受洗しなかったことを、本当の意味で誇りに思えるようになったのは、つい最近のことです。ユダの福音の発見も勇気になったような気がします。僕は単純な人間なので、すべては権威と自分の折り合いの問題だったのかもしれません。
いつ誰が呼び始めたのかもう覚えていないマルコというあだ名の影響か、一番好きな福音書はマルコですw。
僕のなかでグノーシスというと、キリスト教の異端です。狭義のグノーシスなんでしょうね。ユングとか、どうなんだろうとも思います。面白いですけどね。でもそれなら、エリック・サティとか、薔薇十字のほうが、もっと面白いと感じますね。
エントリお待ちしています。とりとめのない書き込み失礼いたしました。
TBにある「イエスのビデオ」良かったら買ってくださいw。
投稿: marco11 | 2006.12.18 10:20