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2006.04.10

[書評]家族のゆくえ(吉本隆明)

 吉本隆明の新刊書を読むことはないだろうと思ったが、二月に出たらしい吉本隆明「家族のゆくえ」(参照)を書店で手に取り、ぱらっとめくるとこれはという思いがあった。即買って読んだ。吉本の本を買って読みふけるというのは何年ぶりだろうか。
 一読後だが非常に微妙な部分が多いので数回読んでから感想でも書こうかと思ったが、他にブログのネタもないので簡単に書いておきたい。

cover
家族のゆくえ
 最近この言いかたが多いのだが、この本もまた若い人が読めばトンデモ本だろう。知的な人にとっては噴飯という印象があってもしかたない。本当に吉本隆明が老いてボケてしまったという評すら正当かもしれない。たとえばこんなくだりだ。

 一方、現在は昔とちがって、結婚なんかしなくても性的な生活はわりあい満たされるようになっている。そういう風潮がだんだん強まっている。だから、べつだん結婚をしなくても性的な欲求不満は募らない。そこで結婚しない女性が増えてきて「晩婚化」にますます拍車がかかっている。
 これが「男女同権だ」といって少し男をバカにしてきたことの帰結だが、こうした流れは生涯出生率の低下だけでなく、もっと重要な問題にかかわっている。それは子供の性格形成、こころの成育にかかわる問題だ。

 ぶっと吹いてしまう人も多いだろうと思う。そしてこの先、母親は赤ん坊が満一歳半くらいまで育児に専念しろという話に続く。さらにその先はちょと笑い話としてしか受け取れないような展開にもなる。
 と、揶揄のように言うのは容易い。爺さんもう時代じゃないよというのもある。だが、私はどっちかというと、吉本さん老いにかこつけてかなり言い切ったなというふうに思った。
 「今の時代は女が男をバカにしている」というのは酔客の放言というくらいにしか響かない。が、男はこの手の問題をある側面で真剣に考えているものだ。なんだか私も老人力を借りてろくでもないことを言いそうになるが、男というのはそそられなくなって立つべき時に立つくらいな気概がないとなぁ、みたいなけっこう深刻な思い詰めというのをもっているものだ。そこはバカにされてはなるまいぞと思っている……というな意識それ全体が滑稽なのだが、これはちょっとどうしようもないなという次元である。
 社会の中では黙っているし、おいそれブログなんぞに放言できないけど、ああ、これはどうしようもなあという性のアイデンティティにまつわることは多いものだ。そしてこの「男」の意識は、父性的な意識でもあり、実際の家族の意識である。と、男の側で書いたが、恐らくこれの近似の思いが女性にもあるだろう(たぶん、女性の性の問題は結婚がなくても性の満足が得られるといったほど浅薄ではないだろう)。
 まあ、そういう分野の言葉というのはオモテには出てこないし、言えば、必然的にとんでもない話になる。ただ、その微妙な部分を吉本さんはかなり言い切ったなという感じがした。老という視点から人の性の人生を見るとこう見えるかという感じでもある。
 この本はよく読むと、実は国家論にもなっていて、しかも、え?と思われるような最後の吉本を暗示する言及もある。例えば、国家の必然性というのを彼は最後に、そのままありのままに否定しまうかもしれいない気配がある。
 一読後心にひっかかるのは、彼が地域性と呼ぶもの、それには歴史性も含まれうるのだが、それは小さな意味での国家の幻想ではないかと私は疑う。そのあたり、あと数回読んで私は考えてみたい。

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コメント

“地域性=小さな意味での国家の幻想”なのだと思います。このへんは、都心へ一時間という土地にいると感じることが多々あります。国家よりも人工的ですらある気もしてます。外してるに違いないのだけれど、映画『遠雷』の石田えりの乳房を思いだし、この本、読んでみたくなりました。良い書評をありがとう。

投稿: Fujisawa | 2006.04.11 09:06

ボケはお前だ。
吉本隆明の名を口にするな。

投稿: kafka | 2007.01.19 06:56

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