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2006.04.29

中国の石油消費はそれほど伸びない?

 ラジオで聞いた話で別ソースの裏を当たってないのだが、原油高なのになぜ日本はパニックにならないのかというテーマの関連で昨年の中国の石油消費の話があり、へぇと思うことがあった。そのあたりをちょっとメモ書き風に。
 昨年(〇五)の中国の石油消費量は一日当たり六六〇万バレル、内輸入は二五五万バレル。で、一昨年(〇四)は消費量一日六四三万バレル、内輸入は二四六万バレル。一応伸びてはいるのだが、それほどでもない。三%くらい。そんなもん?
 比較に、二〇〇四年十一月二十四日付けだが、マネログ「石油消費大国となった中国 <HSBCの中国情報>」(参照)にはこんな話がある。


 中国は1993年に石油純輸入国になりましたが、昨年の統計を見ると、中国の石油消費量は年間、約2.6億トンとなっており、日本を抜き、アメリカに続く世界第2位の石油消費国となっています。また、石油輸入でも、中国は年間約9,100万トンを輸入しており、これも、日本に次ぐ規模となっています。本年上半期の中国の石油輸入量は前年同期比約40%の伸びで、下期は景気抑制策で輸入ペースが鈍化すると見込まれますが、今年の中国の石油輸入量が1億トンの大台を超え、30%を超える伸びになるのは確実とみられています。

 つうわけで、なんか〇四年末の話だと三〇%の伸びってことで、ラジオでの三%という話とはと随分違う。
 ソースが違うのかもしれないし、そもそもラジオでの話は間違っているのかもしれないしなどなどはあるが、それでも、あれれなくらいな中国の石油消費の鈍化があるのではないか。ということで話を進めるというか、ラジオでの話をなぞる。
 なぜ中国の石油消費が伸びなくなったのか。理由とされる説明は単純で、高いから、だそうだ。で、中国様はこの事態をどう考えているかというと、これでいいのだ、らしい。年率七%経済成長をさせてかつ四%ずつ石油消費量を減らすというのだ。うぁ、さすが中国様でなくちゃ吹けないお話、ぷうぷう。
 どういう理屈で吹くかというと、まあ話を聞こうじゃないかなんだが、エネルギー効率が日本の九分の一ということらしい。すげー無駄やってんだから、その無駄をスリム化すれば大丈夫というのだ。ほほぉ。
 普通に考えると愉快な法螺話としか思えないのだが、結果はそう遠からず見えてくるのではないだろうか。ってわけで、北京オリンピックまではなんとか愉快な夢を。
 顧みて、日本。なのだが、原油高騰といっても先物の場合で、実際に入ってくる石油の価格は違うし、現状の高騰はどう見ても投機です、なので、むしろ七〇ドルで高止まりしてくれればタールサンドとか開発できてよさげとか思うのだが、そうはならないだろう。
 実際のところ日本にとって原油高は価格上昇への要因にはなるのだが、その分、円高、っていうかドル安なんでそのあたりであんじょうやっとくれってことになるのだろうか。昨今の空気だとバーナンキ僧正もドル安ぴょーんとか言いそうで、その分まだまだ日本にカネが入ってくるのだろうか。エネルギー効率いいしとか。
 よくわからないが、なんか奇妙な構図が始まろうとしてる感じはする。

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2006.04.27

[書評]ミス・マナーズのほんとうのマナー(ジュディス・マーチン)

 最近なんとなく聞いた若い人の陰惨な恋愛沙汰のニュースにしばし考え込んだものの、特に何も言えないなと思って忘れることにした。もっとも忘れたわけではない。書庫の整理をしていて、大切な「ミス・マナーズのほんとうのマナー」を手に取り、ふと読みふけっていて思い出してしまった。
 この本は、米人がマナーのあり方についてなにかとミズ・マナーズに問いかけるという本だ。こんな質問も載っている。


親愛なるミス・マナーズ
 わたしは十六歳の女の子です。好きな男のができちゃって、好きだって打ち明けたいんだけど、その勇気が出ないの。こういうことになると、すごく気が弱いんです。
 それから困っちゃうのはその人が近くにいると、わたしって目茶苦茶おしゃべりになることです。(中略)彼にも、ほかの人にも、自分をコントロールできない女の子、なんて思われたくありません。

cover
ミス・マナーズの
ほんとうのマナー
 ネタか。みたいな話だし、文体も「赤頭巾ちゃん気をつけて」時代のパロディかみたいだが、とりあえずそういうツッコミはなし、と。
 これにミス・マナーズが答える。

 あなたがまずおぼえなくてはいけないのは、その人にはっきり好きだと打ち明けたいという気持ちをコントロールすることですね。これはなかなかむずかしいことですが、おぼえておけば、大人になってから役に立ちますよ。

 いい回答だなとしばし感慨。四十九歳にもなってみると、まずベストな回答の切り出しとしか思えない。十六歳の娘にこう語る大人の女がいなくちゃいけないよ。「おまえさんはまだまだ大人になってないよ」と言える大人の女が社会にはいなくちゃいけない。
 好きだなんて告白すればいいもんじゃない。子供じゃないんだからさ、っていうか、大人になるために、恋愛するために、まず、そういうことを学べと。
 彼女の回答は同書ではやや珍しく長い。こういう話も加えている。

 愛は不確実なものです。とくに現代ではね。だから「自分がほんとに好かれているかどうか」無理に聞き出すのは間違いです。

 そして恋の駆け引きを学びなさい、と。そういえば、八〇年代はユーミンがそんな説経節を延々と説いていたものだった。

 相手のピッチを上げさせたければ自分のほうがスピードを落とす、というより、立ち止まるしか仕方がありません。どっちつかずの態度というのが、求婚期間の最高の刺激剤です。結婚してからこういう態度をとるのは、まったくいただけませんけれどね。

 というわけで、この本はユーモアを学ぶための最良の書だとも言える。
 こういう質問もある。うっかり今の恋人を過去の恋人の名前で呼んでしまった。
 彼女の回答はきびしい。

 未来の恋人を探すんですね。
 こういう間違いはいとも簡単におかしてしまうものですが、これを帳消しにすることは、絶対にできません。ダーリン、という便利な呼び方があるのはなぜかわかるでしょう。

 あははという感じだが、「絶対に」に絶対的な響きはあるし、まあ、それは絶対にと言っていいくらいかなり妥当なものだ。人生は、けっこう、しょっぱい。
 こういうユーモアと人生と恋愛への対処のしかたを少女期にまた少年期に多少でも学べば、それはありえないだろというような悲劇も避けられる……そう思いたい。実際は、そうではないのかもしれないが。

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2006.04.26

チェルノブイリ事故報道がわからない

 チェルノブイリ事故報道がわからない。なにがどうわからないのか少し書いてみたい。とりあえず二点に絞る。なお、イデオロギー的な意図はまるでないので誤解なきよう。
 まず、被害規模。で、以前のエントリは「極東ブログ: チェルノブイリ事故の被曝死者報道について」(参照)。この後日譚のようなニュースが例えば朝日新聞”将来の推定死者数、9千人に修正 チェルノブイリ事故”(参照)。


 被曝(ひばく)によるがん死について、IAEAとWHOは10年前の会議で約9000人との予測を発表した。昨秋の発表では、そのうち、低汚染地域に住む600万人余での被害想定について「科学的に証明できていない」として死者推計数を約5000人減らしたが、「低く見積もりすぎ」と批判が相次いだ。再度議論の末、低汚染地域を被害想定対象に戻し、死者推計数も約9000人に戻すことになったという。

 このニュースがいろいろわかりにくいのだが、「科学的に証明できていない」状況が変更されたふうではないと思う。また、WHO報告の科学的な根拠が変わったということもないと思うのだがどうなのだろうか。
 この後日譚的報道を受けて、二十二日読売新聞社説”チェルノブイリ 事故の教訓を希望につなげたい”(参照)はこういう作文を書いている。

 事故直後、犠牲者は数十万人との推計もあった。しかし、世界保健機関(WHO)や国際原子力機関(IAEA)などは昨年、事故が原因で死亡したのは約60人で、がんによる死者は今後、4000人とする報告書を公表した。
 これに対し、もっと被害は大きいとの批判が相次ぎ、今月、推計の対象地域を拡大して、今後の死者を9000人に修正した。いずれにせよ、人的被害は当初予測を大きく下回りそうだ。

 結局、「人的被害は当初予測を大きく下回りそうだ」が科学的に言えることで、そうではない文脈との整合がうまくついてないまま、ニュースは多層的に流れているのだろうか。
 朝日の先の記事では次の言及もあるが、やはり理解しづらい。

 被曝死者数は、広島・長崎の被爆者データを基に推計するのが一般的だ。しかし、チェルノブイリ事故による被害は、じわじわと被曝が進むだけでなく、食べ物などを通して体内に蓄積された放射性物質による内部被曝の影響もあり、本来同じには扱えない。こうした低線量放射線による被害推計には、まだ明確な科学的裏付けがない

 五千人増えた部分はその食物などを含めた低線量放射線なのだろうか。
 いずれにせよ、科学的な推定部分の報道がはっきりしないのと、ニュースはニュースで別の文脈を走っているような印象を受ける。もっとも、このニュースに限らないのだろうが。
 もう一点。二十五日付け毎日新聞社説”チェルノブイリ 事故の影響に終わりはない”(参照)が全体どうにも素っ頓狂な作文に思えるのだが、特にここで、うっぷすとつぶやいてしまった。

 事故は特殊な実験に伴う原子炉の暴走によって起きた。原子炉の爆発で広島型原爆の数百発分にあたる放射性物質が放出され、一部は日本でも検出された。原発職員や消防士、救助作業にあたった約20万人に加え、周辺住民数百万人が被ばくしたといわれる。

 うっぷすは「事故は特殊な実験に伴う原子炉の暴走によって起きた」なのだが、これってFA(ファイナル・アンサー)? どうも私の記憶のなかで暴発が起き始めた。というか、この作文に限らず、二十年記念の話では事故原因についての記述が抜けているというかぼけているように思えることが多いのはなぜだろうか。
 少しサーチしていくと、JANJANの記事”矮小評価と「幕引き」への抵抗:チェルノブイリ事故20年」”(参照)に出くわす。JANJANだしねということで読むのだが、ここに三点の原因説が指摘されている。

 チェルノブイリ原発事故は、冷戦末期の1986年、独立前のウクライナでおきた。その原因はこれまで、1・運転員による規則違反(1986年ソ連政府報告)、2・原子炉の構造的欠陥(1991年シテインベルク報告)、3・地震誘引説などが想定されており、依然として明確にはなっていない。どうして鎮火できたのかもいまだ不明である。ウクライナのNGOは、これまでの健康被害者が3~4万人に上ると推定している。

 ということで原因説が三点上がっているが毎日新聞説「特殊な実験に伴う原子炉の暴走」ではない。
 ウィッキはどうか? 「チェルノブイリ原子力発電所」(参照)が詳しい。まず、状況はこうらしい。

事故を起こした原子炉は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉、RBMK-1000型(ソビエト型)という型式の原子炉である。 発端は、原子炉が停止して電源が停止した際、非常電源に切りかえるまでの短い時間、原子炉内の蒸気タービンの余力で最小限の発電を行い、システムが動作不能にならないようにするための動作試験を行っていたが、炉の特性による予期せぬ事態と、作業員の不適切な対応が災いし、不安定状態から暴走に至り、最終的に爆発した。

 よく読むとわかるが原因とは言い難い。それはウィッキの記者も理解しているらしく、この先に関連がある。

この爆発事故は、運転員の教育が不十分だったこと、特殊な運転を行ったために事態を予測できなかったこと、低出力では不安定な炉で低出力運転を続けたこと、実験が予定通りに行われなかったにも関わらず強行したこと、実験の為に安全装置をバイパスしたことなど、多くの複合的な要素が原因として挙げられる。後の事故検証では、これらのどの要素が欠けても、爆発事故、或いは事故の波及を防げた可能性が極めて高いとされている。

 総じて複合原因とはいえそうではある。ということは、この事故は例外的な事故だったということなのだろうか。だとすると、一般的な教訓より特例としての教訓という枠組みで考慮しなければならないようにも思う。
 もう少し引用を続ける。その理由があるからだ。

当初ソビエト政府は、事故は運転員の操作ミスによるものとしたが、のちの調査結果などはこれを覆すものが多い。重要な安全装置の操作が、運転員の判断だけで行われたとは考えにくく、実験の指揮者の判断が大きかっただろうと考えられる。

 これが妥当だとすれば、JANJAN記事の第一説は崩れる。すると第二説、構造欠陥か? よくわからないが、それなら未来に向けた問題としてみれば比重は小さくなる。そういうことなのか。ただ、昨今の記事や解説ではそれを見かけない。
 残るは、毎日新聞が示唆するような、けったいな実験をやっていたか、地震……地震?
 ウィッキにも記載がある。

事故から20年後の一部報道によると、暴走中に「直下型地震」が発生して爆発したとされている。

 その地震報道とやらはなんだ? なのだが、私はこの報道の記憶がある。ただ、二十年前ではない。ネットを探すと、コピペだがロイターの記事が見つかる。”Chernobyl Earthquake”(参照)である。

Reuters 23-JUN-98
By Peter Starck

COPENHAGEN, June 23 (Reuters) - A television documentary highlighting a possible link between a small earthquake and the Chernobyl nuclear disaster 12 years ago won first prize in a competition arranged by the European Environment Agency.

Director Bente Milton received a prize of 25,000 Danish crowns ($3,660) on Monday for ``The Secret Factor'' -- a 58-minute film establishing that a tremor with its epicentre less than 12 km (seven miles) from Chernobyl took place just before the world's worst civilian nuclear accident.

``The earthquake has never been mentioned in any of the official explanations,'' Milton told Reuters by telephone.


 やや陰謀論的に"The Secret Factor"と語られていたものだった。この件については、セプテンバーイレブンの愉快な陰謀論のように解決しているのだろうか。
 そうフカシとも思えないのは最近こういう話も見かけた。”Chernobyl: a warning to the world”(参照)より。

Engineers believe that an earthquake registering six or more on the Richter scale could cause the stone coffin to collapse. If this were to happen, large clouds of radioactive dust would again be released. The Chernobyl region has been hit by an earthquake of such magnitude once every century on average.

 案外あそこは地震地域なのではないか。そうではないならそうではないという話も読んでみたい。
 いずれにせよ、偶発性や未知の要素がまだありそうなのだが、それはそれとして、毎日新聞社説のような剛速球が飛ぶのはなぜなんだろうかという違和感はある。

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2006.04.25

ソロモン諸島の暴動

 ソロモン諸島での暴動について背景がよくわからないのだが、なんとなく心にひっかかるニュースだった。
 事の発端は、昨日付読売新聞”新首相選出巡るソロモン諸島の暴動、緊張状態続”(参照)によれば、首相選挙への不満ではあったようだ。


 暴動は国会が今月18日、リニ前副首相を首相に選出したことが引き金。下馬評で有利とされていた対立候補のジョブ・タウシンガ氏が選出されなかったため同氏支持者らが怒り、怒りの矛先は島の小売業をほぼ独占する中国系住民に向かい、数十軒の商店や飲食店、商業ビルが立ち並ぶ中華街のほぼ全体が略奪され、放火された。

 とりあえずそういうことなのだし、元記事をリンクで読んでもそれほど詳細な話はない。つまり、なぜ首相選挙への不満が中華街が略奪・放火の対象となったかについてはまるでといってもいいほど触れられていない。人民日報ではたまたま国会に中国人街があるからみたいな雰囲気を漂わせてはいる(参照)。
 他の国内ソースもそんな感じで、なにか書けないことなんだろうかなとは思う。華人の歴史を多少なり知っている人ならいろいろ思うことはあるだろうに。
 今回の暴動もだがもう一つ、あれれ?という感じがしたのは、中国政府の対応である。中国政府が華人を救うのは当たり前ではないかとか突っ込まれても困惑するのだが、要は、この華人たちの国籍は中華人民共和国てやつ、つまりピープルズの付くほうの中華民国なのだろうか。人民日報のお仲間朝日新聞昨日の記事”政府、ソロモン諸島の華僑・華人249人を特別機で避難”(参照)ではこう伝えている。

 華僑・華人159人が23日、チャーター機2機に分乗して、騒乱の影響を受けたソロモン諸島を離れ、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーに到着した。中国政府が同諸島から24時間以内に避難させた華僑・華人はこれで249人になった。

 なぜ中共がこの話に出てくるのだろうか。また、どのように華僑・華人とやらを判別したのだろうか。つまり、パスポート?
 もちろん、被害に遭った人間の救済は先決問題なのだが、それにしても、華人認定や国外退出という選択はどういうロジックなのだうか。
 中国情報局”ソロモン暴動で華僑など249人避難、大陸移送も”(参照)によれば、「249人の中には香港籍の20人も含まれている」とのことなので、してみると概ね今回救済の対象となったのは中共市民権が判別の理由だったと見てもよさそうだ。が、同記事には「ソロモンには1000人の中国系住民が住んでいるとされる」との興味深い話もある。残りの住民はチャイナタウン外にいたということだろうか。チャイナタウンというものを知っている人間には常識的にはそうは考えにくい。
 ニュースと全体の様相は例えばVOA”Hundreds of Ethnic Chinese Flee Troubled Solomon Islands”(参照)のほうがわかりやすい面がある。もともとソロモン諸島は英連邦でありエリザベス二世を元首として仰いでいる(参照)。ということから、以前の暴動のときも豪州軍が治安にあたった。今回もそれの類似のようだ。
 確認ついでウィッキペディアを見ていたら人種構成の話もあった。

人種構成は、メラネシアン 93%、ポリネシアン 4%、ミクロネシアン 1.5%、ヨーロッパ人 0.8%、華人 0.3%、その他 0.4%。

 華人は少ない。九六%がクリスチャンでもあるそうだ。
 VOAのニュースに戻ると暴動の背景についてはこう言及がある。

Opponents of the recently appointed Prime Minister Snyder Rini have claimed he used money from wealthy Chinese businessmen to bribe his way into power.

 よくある話であり、歴史は繰り返すの話でもあるし、華人にとってはそういうものだということかもしれない。
 同ニュースを読み進めて、なんとなく引っかかっていたことについて、ほぉ、これかぁと思ったことがあった。

Many political and regional analysts say the allegation of Chinese attempt to influence local politics is rooted in the rivalry between mainland China and Taiwan, a self-ruled island that China considers its own.

For years, Beijing has tried to isolate the Taipei government, and now only a handful of small countries, including the Solomon Islands, recognize Taiwan diplomatically. The Beijing government has tried to woo many of these countries to switch recognition to the mainland.


 というわけで、チャーター機だのというパフォーマンスには対台湾対策という背景もありそうだ。もっともそのあたりの読みは各地域の華人社会によっていろいろ違いはあるだろう。そういえば、アラブ圏にもアフリカ圏にも華人社会ができつつあるのだがと……といろいろ思う。

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2006.04.23

ブッシュ・胡錦涛会談はなんだったのだろう

 ブッシュ・胡錦涛会談はなんだったのだろう。二十二日付け朝日新聞社説”米中会談 試される「利害共有者」”(参照)が記すほどとぼけた話でもあるまい。


 イラク戦争で「単独行動主義」の失敗を味わった米国と、国際的な地位を上げたい中国。両者の協調が形を伴ってくれば、春霞(はるがすみ)は消えて初夏の青空が広がるだろう。そう期待したい。

 朝日新聞の冗談はさておき、CNN”ブッシュ大統領、胡首席と首脳会談 妨害行為に遺憾表明”(参照)を見るとやはり成果と呼べるものはなかったようでもある。昨今の課題としては、イラン問題が焦点になるだろうに。

ハドリー米大統領補佐官(国家安全保障担当)は首脳会談後、CNNとのインタビューで、両首脳がイランの核問題について「よく話し合った」と強調。「両首脳は、イランの核武装が地域の安定を脅かすとの認識をあらためて確認した」と述べた。

 ブッシュと胡錦涛はイランの核について何を話したのだろうか。
 というところで、そもそもイランの核を育ていたのは中国だったなと思い出す。しかし、なぜか最近そういう報道を見かけなくなった。
 〇三年六月一一日読売新聞”イラン、未申告ウラン「中国から輸入」”ではこう伝えていた。一段落の短い記事なのであえて全文を引用したい。

 イランが1991年に国際原子力機関(IAEA)に未申告のままウランを輸入していた問題で、同国のアガザデ副大統領兼原子力庁長官は10日、「ウランは中国から約1・8トン輸入した。(イラン中部の)イスファハンに原子力関連施設を作る目的だった」と述べた。副大統領はまた、「(輸入ウランは)全量が保存されている」と説明、核兵器への転用疑惑を改めて否定した。(アンマン 久保哲也)

 それから三年経つのだが、そのウランの行方はよくわからない。国際原子力機関(IAEA)の元に管理されているのだろうか。
 というところで、ウランを輸出側の中国だが、その中国が今やウランをオーストラリアなどに求めているのが現状である。この間エネルギー事情が大きく変わって輸出国から輸入国へ転換、というようなお話だったらいいのだが、そうではないだろう。つまり、中国がイランに輸出したのはウランだけというわけはなく、技術も付いていたはずだ。
 さらに話が遡るが九八年三月一四日読売新聞”中国、イランとウラン製造で秘密交渉/ワシントン・ポスト紙報道”にはこうあった。

十三日付の米紙ワシントン・ポストによると、米国と中国が昨年十月の首脳会談でイランの核開発計画への協力中止で合意した後、中国がイランに対し、兵器用ウランの製造に役立つ数百トンの化学物質を輸出する秘密交渉を進めていたことが発覚した。

 探すと、この手の話はついセプテンバー・イレブン前にはよく見かけたものだが、このところあまり見かけないようにも思う。
 端的に言えば、イランの核を育てていたのは中国だったわけだが、その中国が現在の中国内のどういう権力と対応しているのか。
 ブッシュ・胡錦涛会談で、いくらのんきなブッシュさんとはいえ、こうした背景を米国が知らないわけもなく、まして昨今のイランの強行姿勢に関連して中国にきちんと釘を刺すことをしてないとも思えない。
 そういえば、竹島問題で日韓の衝突を回避すべく日本側をくじいたのは、毎日新聞”竹島問題:衝突回避 土壇場一転決着”(参照)ば米国だったそうだ。

 「米国から圧力がかかった。このことは首相官邸にも伝わっている」
 谷内正太郎外務事務次官のソウル派遣が決まった20日、政府筋はこう語り、米政府が日韓対立への懸念を非公式に伝えてきたことを認めた。東アジアは中国の台頭と北朝鮮の核開発という不安定要因を抱えており、「米国の同盟国同士でけんかするのはまかりならぬということだ」と別の政府関係者は分析する。

 李承晩ラインの李承晩を育てたのは米国なんでそんなものかということかもしれない。あるいはあれがマッカーサー・ラインだからか。とはいえ、米国は案外細かいところで気を使っているのかもしれない。

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2006.04.22

形と実態

 ブログでいうところのネタにもならないのかもしれないが、最近ときおり考えることがあるので、書いて「形」にしてみたい。話は、形と実態ということだが、哲学的なことではない。卑近な話に近い。
 ブログのある種濃い層ではこのところ話題だった、某有名ブロガーがアレフの信者だった話だが、と「某有名ブロガー」なんて書く必要もないのだが彼自身に焦点を当てたいわけでもないので仮にそうしておく。
 この話、アレフの信者だったことを内緒にしてブログ活動をしていたが、アレフの信者であることがバレた、ということなのか、改めて考えるとよくわからない。というのは、アレフの信者であるばそれを明言することがブログ活動の条件になるわけでもないからだ。もっとも、今回の問題は、実際にはそういうことではなく、現実の政治に関係があり、そのあたりでいろいろブロガーが考えなくていけないことがあった。なので、どういうふうに問題を設定するかということが重要にはなる。まあ、そこへはこのエントリではでも踏み込まない。
 いずれにせよ、彼はアレフの信者であることを隠してブロガーとして政治的な関与をしたのか、彼はもうアレフの信者ではないのか。まあ、その形と実態を、他人がどう考えればいいのだろうか、という話だ。
 本人はアレフは退会していると言いたいようではある。では、退会とは何かなのだが、アレフの規定では退会届けを出せばいいらしい。では、彼も退会届けを出せば「形」が付くじゃないかと私などは考える。が、彼は、そういうことは意味がないんだ、まるでわかってないと言いたいようでもあり、おそらく、それは彼にとっては重要な現状認識なのだろう。
 でも、それはたとえば私には伝わってこない。むしろ、「ほぉ、これが退会届の配達証明書の写真ですか、出したのですね」というのだとよくわかる。そして彼が内心実はアレフの信仰やその関連の活動をしていても、社会に見える形があれば、とりあえず私は勧進帳をするにやぶさかではない。
 という時、私はなぜその形に結局こだわっているのだろうか。自問するがいまひとつよくわからないのだ。
 別のエグザンポー。山本七平とイザヤ・ベンダサン。ブログとかでイザヤ・ベンダサンのことを書くとそれがある種の政治的な立場表明に関与するような場合も多いせいか、イザヤ・ベンダサンは偽ユダヤ人だ、正体は山本七平だというコメントが出てくる。そう指摘することでどういう意味があるのか私などはよくわからないのだが、例えば、ウィッキペディアではこう書いてある(参照)。


正体
何人もの人物がその正体なのではないかと言われたが、後には、本を出版した山本書店の店主で「訳者」だとされていた山本七平と、米国人のジョセフ・ローラ、ユダヤ人のミーシャ・ホーレンスキーの共同ペンネームであったとされるようになった。しかし、未亡人や子息によると、事実上は山本の著作であったといい、2004年以降『日本人とユダヤ人』は山本名義でも刊行されている。また、ベンダサン名義の書物と山本名義の書物の詳細な分析が浅見定雄によって行われ、山本の著作であることはほぼ確定していると言える。

 浅見定雄の分析で「山本の著作であることはほぼ確定していると言える」とするあたりがウィッキペディアのお茶目なところというかどうでもいいのだが、前段の話で、「正体」と「著作」がどういう意識で書かれているかよくわからない。
 端的な話。山本七平は生存時イザヤ・ベンダサンの著作権を持っていなかったようだ。私自身は断定できないのだが、山本七平はそう言って当初自身が経営する出版社から出した「日本人とユダヤ人」について、出版社の経営者として著作権を混同することはないですよというふうに言明していた。
 実際のところイザヤ・ベンダサン名で書かれた書籍を誰が書いたかということは山本七平だろうと私も思う。問題は、そのオリジナルアイディアと著作権=コピーライトのホルダーが誰だったのかということだ。つまり、著作者という「形」は著作権者を意味するはずだ。そして、コピーライトの字義通りコピー(書籍)を作る権利のあり方が問われる。
 という線で考えると、イザヤ・ベンダサンという著作権者が山本七平の死後、その権利を山本七平の親族に譲り、それゆえにイザヤ・ベンダサン名の書籍が昨今山本七平名で復刻されるようになったと考えるのがスジのように思うが。そうしたことにこだわる私は別の意図があるのだろうと、本心はなんたらと批判されるのだろうか。
 しかし、著作権という形は法的には有効だし、重要だろうとは思う。その意義を問わないような枠組みのようなものの意味はなんだろうか。山本七平とイザヤ・ベンダサンの思想は同じということなんだろう、というところで、某有名ブロガーの信仰のような話になってくる。
 これは、宗教に関連したことなのだろうか。
 ある人がクリスチャンであるというのはどういう意味だろうか。たしか、アルファブロガーきっこはクリスチャンだと本人が書いていたと私は記憶している。カトリックだったか。で、加えて、現在は教会には行ってないとも。
 さて、こうした場合、クリスチャンとはどういう意味なのだろうか。信仰? 形? カトリックの信者ということは、プロテスタントとは違い、教会に所属している(教会や牧師を信者が養っている)ということでなく、秘蹟を受けているということになる。その秘蹟とは信仰を示すのか、「形」なのだろうか。
 靖国問題も考えてみると、そうした信仰と形に近いようにようにも思える。
 端的に、あなたは死後の世界を信じますか? 私はそう問われたら、信じないよと答えると思う。言葉の形としてそう答えるだろう。死後存続するという霊魂は信じますか?と問われれば、アコージングリーなこと言うなよとなる。ということは、靖国で祀られている実体を私は信じていないということで、それは、私にとっては無だ。というか、ある神道という宗教と自分の関わりが信仰的に問われても答えようがない。信者の問題でしょということだが、つまり、いわゆる靖国問題は私には信者たちの問題でしょという感じがする。
 この問題は国家が関連する形の問題のようにも見えるのだが、そういうなら、形としては靖国神社はやはりただの神社であろう。別に誰かが「新靖国神社」というのを立てて、ギロロ伍長とか祀っても似たようなものではないかと区別のない問題に思える。
 さてこの話、実は、オチをどうしようか考えていた。もうひとつ例を考えていた。結婚という形とその実態ってなんだろう、と。
 数年前だったが、知り合いで、結婚という形を世間様の手前取れないよねという関係をもう何年も続けていたのだが、子供たちの独立に合わせて籍を入れた。形を整えたということなのだろう。どういうことよと彼らに問いつめる気もないし、知人として私に関係するわけでもないのだが、なんかよくわからない問題ではある。で、オチなんだが、いや、そこまで行ってない。でもこのエントリは終わり。

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2006.04.20

米国によるイラン空爆はない

 英語の口語に"Nuke it."という表現がある。英辞郎をひいたら、そのままで訳語が載っていた。


Nuke it.
〈俗〉もうやめだ。◆「核爆弾で破壊する」という意味から

 というわけだ。
 こうした表現は日本人にしてみると不謹慎な印象を受けてもしかたがないものだし、九日読売新聞記事”ブッシュ政権、イラン空爆計画作りに着手 核使用も選択肢”も軽率な理解が日本人にあったとしてもしかたがない面はある。

米誌ニューヨーカー(電子版)は8日、ブッシュ政権が米軍によるイラン国内での極秘の情報収集活動を活発化させるとともに、核施設などへの空爆計画の策定に本腰を入れ始めたと報じた。調査報道で知られるセイモア・ハーシュ記者が米政府関係者などの話として伝えた。

 オリジナルは"THE IRAN PLANS / Would President Bush go to war to stop Tehran from getting the bomb?"(参照)である。また、同種のニュースは九日付けワシントンポストでも報じられた。
 これをネタに田中宇がふかしたコラムが”イランは核攻撃される? ”(参照)だが、いくつかブログを見ていると洒落もわからず真に受けている人がいるような気配でもあり、簡単にコメントしておきたい。田中は以下のように無知をスプレッドしている。

 核兵器は、広島と長崎で使われた後、世界の5大国が「抑止力」として保有することはできても、実際に使うことは外交上許されていなかった。だがブッシュ政権内では「アメリカは国際的な了解事項をあえて破り、核兵器を使うことがあるのだということを世界に誇示した方が、悪の枢軸など独裁的な反米国を抑制できるので良い」という考え方が強く、核兵器を使いたがっている。核問題でイランが譲歩しても、ブッシュ政権は「テロ組織支援」など他の名目に力点を移すことで、いずれイランを核攻撃する、ということである。

 さすが毎回エープリルフールみたいな話だが、ご覧のとおり、この文脈での核兵器とは戦略核兵器である。これに対して、ニューヨーカーの記事を読めばわかることだが、現在話題となっているのは、戦術核兵器である。

The lack of reliable intelligence leaves military planners, given the goal of totally destroying the sites, little choice but to consider the use of tactical nuclear weapons. “Every other option, in the view of the nuclear weaponeers, would leave a gap,” the former senior intelligence official said. “

 日本の政治風土では、戦略核兵器も戦術核兵器も核兵器であることには変わりないという粗暴な議論が平和志向であるかのように語られることもある。確かに現代において兵器自体を考えるなら戦略核兵器と戦術核兵器の厳格な差異は見いだしづらくなり、”Center for Arms Control & Non-Proliferation”の”Briefing Book on Tactical Nuclear Weapons”(参照)でもそうした指摘がある。が、このページの議論でもそうだが、田中宇のように味噌糞を一緒にするような話より、戦術核兵器の現状とその制御をどう考えるべきかとしなければ実際の、組織的な平和の促進にはならない。
 今回のニューヨーカーやワシントンポストの報道だが現状の文脈では原則論なり心理戦といった以上の意味合いはない。米国によるイラン空爆はない。
 ニューズウィーク日本版4・26”イラン空爆は脅しか本気か”が妥当にまとめている。当然ながら、この記事では核兵器は戦略核兵器的な意味合いとなり、バンカーバスターなどは核弾頭つき兵器としてそれと前提上区別されている。

 米政府が中期的な安全保障戦略の改訂版を発表したのは、3月のこと。その中でイランは、核拡散をめぐる最大の脅威と位置づけられている。また、先制攻撃の戦略も再認識されている。だからブッシュが先週、空爆計画の報道は「でたらめな推測にすぎない」と語っても、信じない人もいた。
 しかしイランへの軍事行動に関するブッシュの立場は、4年前のイラクのときとはまったく違う。あのとき米政府は、外交努力に見せかけて軍事戦略を推し進めた。だが今は逆に、軍事努力に見せかけて外交戦略を推し進めている。
 アメリカはなぜ、軍事行動という選択肢をほぼ排除しているのか。第一の理由は、米政府も認めているとおり、イランに関する情報がきわめて乏しいからだ。

 軍事上の戦略の可能性をプランすることと国家のあり方は同一ではないし、各種の軍事オプションは検討されているだろうが、そのこととその実現は単純には結びつかない。
 「極東ブログ: イラン問題が日本のエネルギー安全保障に関わるのか」(参照)でもふれたが、イラン問題は、実質的には米国の単独行動の前に有志連合での動きがあるわけだし、当然EUがこれに大きく関わらざるをえない。そのあたりのスジから見ていかないといけない。

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2006.04.18

どうする?アイフル

 消費者金融アイフル全店舗を対象とする業務停止命令が出たというニュースについて、よくわからないので、散漫な話になると思う。でも、ちょっと書いておきたい。
 このニュースについて、NHKのクローズアップ現代やニュース解説などを見ていると、アイフルの問題あるとされる業務よりも、グレーゾーン金利の問題に焦点を当てていることがわかる。
 グレーゾーン金利については知らなかったわけでもないのだが、ニュースを聞いていて随分世間の空気が変わったものだなと感慨深かった。今年一月に最高裁が出した「みなし弁済」について判決・判断が随分社会を変えたものだ。司法の力は大きいものだなと、とりあえず思った。この話については、日弁連のサイト”「みなし弁済」の適用に関する最高裁判決についての会長声明”(参照)が参考になる。


 本年1月13日及び19日、最高裁判所は、貸金業の規制等に関する法律43条(みなし弁済規定)について、利息制限法に定める制限利息を超過する利息を支払うことが事実上強制される場合は「任意に支払った」とは言えず、有効な利息の支払とみなすことはできないとし、「制限超過の約定金利を支払わないと期限の利益を失うとの特約による支払に任意性は認められない」とする判断を下した。

 払い過ぎ分の返却がその後可能になり、NHKのニュースなどでも多額の金額を返却してもらった人の話があった。
 日弁連のこのページの締めは問題の側面をよく表している。

多重債務者の数は150万人とも200万人とも言われ、破産者は年間約20万人、経済苦・生活苦による自殺者は年間8、000人にも達している。このような状況を直視し、当連合会は、貸金業界に対し、一連の最高裁判決をふまえ、その業務の適正を図ることを強く求めるとともに、今後とも、みなし弁済規定の廃止のみならず、出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律の上限金利を、利息制限法の制限利息まで引き下げることを求める立法運動など、多重債務問題解決の諸活動を行っていくことをここに表明する。

 ニュースを見ているときにも思ったのだが、こうした街金の問題がまさに問題になるのは、多重債務者の問題なのだろう。
 というあたりで、「ナニワ金融道」(参照)を思い出すのだが、すでにこの物語の世界は古い時代のことかもしれない。が、この物語では街金の儲けはまさに追い込みの部分にあった。そうしてきちんとカタにはめるということがポイントなのだなと当時若造の私は世間を見る目を変えた。と、加えて、こうした世界は多重債務を前提として成り立っているようだな、その情報ネットワークもあるだなと知った。
cover
ナニワ金融道
 気取るわけではないが私は街金のお世話になったことがない。連帯保証を食らって「いい勉強させてもらいましたわ」的なことはあるが、なぜ人が街金に手を出すかというのはよくわからない。貧乏ならそれに耐えろと思うのだが、そういうふうにはいかないのだろう。先日、終電を逃して広い街道をとぼとぼと歩いたとき、駐車場に模した街金が多くて驚いたが、それだけニーズがあるのだろう。そうした世界は自分の見えないところでとにかく愕然とある。なら、街金とかグレーゾーン金利が悪いというだけのものでもあるまい。おそらく生かさず殺さずの多重債務者をうまく育成していくことがこの業界の重要な戦略なのだろう。
 そう思っていたので、むしろアイフルの強行な取り立てという話を聞いたときは、それがないとは思わないし(それは想像もできるが)、その戦略では業界がそもそも生きていけないだろう。なんか変だなという感じがしたものだ。
 日経記事”消費者金融、成果主義見直し機運・アイフルは撤廃”(参照)を読むとむしろ成果主義による経営の失敗のようでもある。

アイフルは貸し付けや債権回収の目標を支店ごとに設定し、達成率が悪ければ支店全員の賞与が最大で6割下がる賃金制度を導入していた。関係者によると、目標額を回収できない社員が、やむにやまれず自らのお金で穴埋めする事例もあったという。

 「ナニワ金融道」の世界だとなんとか主人公が一人前の金融人になろうとしているビルドゥングス・ロマンでもあるのだが、昨今の街金はそういう人を育てることができなくなりつつあるのだろう。
 金融業の経営の指針の側面でアイフルはどうだったか。ざっくりニュースを見ていて、読売記事”拡大路線歪み生む アイフル業務停止 総合金融業を志向”(参照)が面白かった。

 金融庁から全店舗を対象に業務停止命令を受けた消費者金融大手のアイフルは、ライバルのアコム、プロミスなどがメガバンクの出資を受け入れる協調路線を取っているのに対し、独立路線で収益拡大を目指していた。福田吉孝社長は、銀行業参入を検討するなどの積極経営を打ち出したが、その一方で、社員教育や顧客対応がおろそかになり、無理な取り立てなどの歪(ひず)みを生んだ可能性がある。

 ひどい言い方をすると、街金というのは実態は銀行の別業務だろうと思っていたので、アイフルの裏の銀行はどうなんだろということでニュースに当たっていた。が、アイフルの場合は、むしろ、逆に銀行を食おうという意志があったのかもしれないな……そのあたりが逆鱗に触れたのかもなという印象はもった。
 アイフルという企業の歴史にも関心をもってちらと調べてみたのだが、なんだかあまり素人の覗き込むような世界ではなそうな、またまた京都のたたずまいがありそうなので、やめにした。

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2006.04.17

木村建設へ本格捜査、じゃないでしょ

 ことわざに「泥棒を捕らえてから縄をなう」というのはあるが、捕らえてから泥棒だと言わせようみたいなことがあっていいのだろうか。木村建設(破産手続き中)木村盛好社長ら同社役員に対する一斉聴取が開始されたというのだがその理由は「粉飾決算の疑い」だけ。なのにこの毎日新聞”耐震偽造:「核心」企業、木村建設へ本格捜査”(参照)の記事はなんだろう?


 耐震データ偽造事件の中核的存在、木村建設(熊本県八代市、破産手続き中)の木村盛好社長(74)ら同社役員に対する一斉聴取が始まったことで、地震に対するマンション、ホテルの安全性を揺るがせた問題が、捜査のヤマ場を迎える。一連の偽造物件の施工者としてコンサルタントや建築主から工事を受注し、姉歯秀次・元1級建築士(48)にコストのかからない設計を強く要求していた木村建設。警視庁などの合同捜査本部は、事件の真相を解くカギはコストダウンを追及した同社の経営体質にあるとみている。

 全然スジが違っているのではないか。記者はなんかの冗談で書いているのだろうか。粉飾決算の疑いがどうして耐震データ偽造事件の捜査のヤマ場になるのだ?
 さらに変な文章が続く。

 ところが、その後、姉歯元建築士と木村建設の密接な関係が次々と明らかになった。同社は、ヒューザー(東京都大田区、破産手続き中)が販売したマンションや、総合経営研究所(総研、千代田区)が開業指導したビジネスホテルで多くの工事を受注していた。

 姉歯元建築士と木村建設の密接な関係というのは業務上当然のこと以上の示唆がなくてこんな書き飛ばししていいのだろうか。また、ヒューザーは民間マンションであり、総合経営研究所はビジネスホテルで系統が違う。というか、いわゆるきっこスキームみたいな諸悪の根源系の陰謀論みたいな推理だと悪が源流にありで総合経営研究所のさらに上流? だとするとヒューザーは傍流になる。なので、木村建設を諸悪の中心に置いてみた?
 引用が多くなるし、またこのニュースについてはこの毎日新聞だけがボーガスというわけではないが典型例なので。

 国会証人喚問で姉歯元建築士は、構造計算書を偽造した「動機」を問われ、「仕事の90%ぐらいを木村建設から請け負っていた。鉄筋量を減らさなければ仕事を一切出さないと言われた」と証言。名指しされた篠塚明・元東京支店長(45)は法令違反の認識を否定したが、「価格競争自体はどの案件にもついて回る」とコスト削減を要求したことを認めた。

 これは確定したのだろうか?
 落ち穂拾い当選の保坂展人がブログ「保坂展人のどこどこ日記」”姉歯・耐震偽装事件の残された謎”(参照)でジャーナリスト魚住昭のコラムを援用して、重要な指摘をしている。

まず、第1の疑問は姉歯元一級建築士の最初偽装物件は、「グランドステージ池上」(昨年12月の証人喚問での姉歯証言)ではないのではないかという点だ。国土交通省に何度問いただしても歯切れが悪い。実は、国土交通省自身が姉歯元建築士による偽装物件の一覧表に掲載している物件に、川崎市のAマンションがある。グランドステージ池上よりも、建築確認申請が降りた時期は早い。しかも偽装も確認されていて、設計・施工は平成設計・木村建設ではない。「グランドステージ池上」から偽装が始まったのであれば、「弱い自分がいた」(姉歯証言)で納得できるが、別の設計事務所・施工業者で偽装物件が存在したとしたら、姉歯氏自身による物語は覆る。

 もしこの点が正しいとすれば、「姉歯氏自身による物語は覆る」とかきっこスキームがやっぱしボーガスでしたとか以前に、警視庁などの合同捜査本部のストーリーがひっくり返り、例えば、という限定が付くが、姉歯単独犯行説(参照)のようなスキームのほうが説得力を持つことになる。
 似たように変なのが、姉歯秀次元建築士の建築士法違反容疑だ。朝日新聞”知人宅で姉歯氏の印鑑押収 建築士法違反容疑で適用へ”(参照)にもあるがこれは別件だろう。

 捜査本部は、当初耐震強度が基準を満たしていないとして建築基準法違反の疑いで調べを進めてきた。しかし、構造計算には複数の方法があり、計算方法によっては耐震強度が基準の1を超えたり下回ったりするケースがあることも明らかになった。こうした事情もあり、不正の立証がより確実な建築士法違反の適用をまず優先したとみられる。
 国土交通省が姉歯元建築士を告発した建築基準法違反容疑では、量刑は50万円以下の罰金だが、建築士法違反(名義貸し)は1年以下の懲役も可能となっている。

 こんなのありか? 「不正の立証がより確実な建築士法違反の適用をまず優先した」って笑いを取っているのか。耐震データ偽造事件と関係ないだろ。朝日新聞がほのめかしているように、懲役も可能というふうに罰を重くしたいという思惑なのか。
 ホリエモン逮捕についてもそうだが、朝日新聞”堀江被告公判 東京地検、証拠を開示 短期決戦へ”(参照)を読む限り、当初のしょっ引きと地検への持ち込みにスジが通っているようには思えない。また、このくだりも失笑するしかない。

一方、手続きの進行は、東京拘置所に勾留されている堀江前社長の保釈に影響するかもしれない。「公判前に争点が明確になれば、証拠隠滅の可能性は減り、勾留の必要がなくなるはずだ」と考える弁護士は少なくない。だが検察側は「主要な証人尋問が終わるまで隠滅の恐れがあり、それまで堀江被告の保釈はない」と強気の姿勢を変えていない。

 まったくホリエモン拘留の理由が私などには納得できない。
 むしろ、アローコンサルティング事務所箭内昇代表の「あえてホリエモン批判への異論を唱える」(参照)の意見のほうがすっきりする。

 そもそも会社法や証券取引法関連の刑事責任の認定は専門家でも難しい。会計上の解釈を伴うことが多いからだ。長銀事件でも関係会社向けの貸出金を不良債権とみなすかどうかが最大のポイントだったが、当時の一般的な解釈ではグレーといわれていた。
 今回のライブドア事件でも、たとえば投資事業組合を使った売買が自己取引かどうかは純粋に法律的にはグレーだ。
 だが、当事者が「粉飾」や「虚偽」を意図していた場合は完全にクロになる。だからこそライブドア事件でも検察はホリエモンに厳しく「自白」を迫っているのだろう。
 しかし、特に金融関連の事件について、金融庁などの告発を待たずにいきなり検察が乗り出し、しかも供述中心の証拠固めで攻め落とす手法には大いに違和感がある。

 話を戻して、耐震データ偽造事件について木村建設から何か出てくると警視庁などの合同捜査本部が確信しているのだろうか。確信しているのだろう。どうしてそんな確信がもてるのか、理解しづらいが、いずれ出てくるものを見てまた考えよう。

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2006.04.15

韓国人看護師一万人を米国へ

 人権関連ニュースでロイター・アラートネットのヘッドラインを見ていたら、向こう五年間で韓国人看護師一万人を米国へ送るという記事があって、な、なんだそれと思わず記事を読み込んでしまった。記事は”South Korea plans to export 10,000 nurses to U.S.”(参照)である。韓国の国家プロジェクトのようでもあるので、朝鮮日報など日本語で読める韓国紙に関連ニュースがあるかとざっと眺めてみたら、中央日報”韓国人看護婦1万人、米病院に就業”(参照)があった。英米系のソースと若干トーンが違うようにも感じられるが日本語なのでこちらのほうが読みやすいので簡単に引用する。


米政府は、看護婦不足を解消するため、今後の5年間、韓国人看護婦1万人を受け入れる方針を決めた。これは1960~70年代、韓国人看護婦がドイツに進出した当時(約1万人)とほぼ同じ規模。

 ベースとなるのは米国における看護師不足ということと、六〇~七〇年代の韓国人看護師ドイツ進出というのも、あーそーなのかという感じがする。こんなニュースもあるし、”ドラマ『チャングムの誓い』がドイツで放送の見込み”(参照)とか。
 ロイター・アラートのほうではディテールの記載がないが、中央日報によれば、主体は韓国産業人材公団とニューヨーク、セントジョンズ・リバーサイド病院ということらしい。が、同病院のサイト(参照)また関連のHRS Global(参照)には、この関連の情報がなかった。契約は十九日以降なのでそれからのアナウンスであろうか。
 韓国人看護師はニューヨーク州の三十六の病院に配属され、実習生として時給二十五ドルを得るというのだが、つまり、実習生なのだな。しかし、グリーンカードへの道も開けているようだ。

HRSグローバル側は「就業する看護婦は自動的にニューヨーク州看護婦労組に加入、労働条件・処遇が保障される」とし「就業から1年内に英語資格試験に合格すればグリーンカードも獲得できる」と伝えた。

 ちょっとなんと言っていいのか言葉につまる。看護師といっても実際は日本の古語でいうところの看護婦でもあろし。
 日本でも看護師不足は懸念されるわけで、近未来にフィリピンから導入ということになるのだろうかという話は以前、「極東ブログ: 日本の高齢者介護問題は外国人看護師・介護士から検討しよう」(参照)にアイロニカルに書いたことがある。現在の心境からするとこうした問題はちょっと書き飛ばせないなではある。
 韓国でそういう問題はないのか。ロイター・アラートのほうでは次のように補足があった。

An official at the Korean Nurses Association said South Korea has more than enough nurses. "Even if about 10,000 nurses get jobs overseas, it wouldn't result in a lack of medical resources in South Korea," Yi Yun-jeong said by telephone.

 そうなんだろうか、と疑うネタがあるわけでもないのだが。
 YONHAP NEWSというところの同種の記事”U.S. to import 10,000 S. Koreans for nurses over five years”(参照)があり面白い補足インフォがあった。

The move comes as the U.S. government encourages its hospitals to import foreign nurses to fill a shortage of about 300,000 nurses. In New York alone, about 30,000 nurses are believed to be needed right now.

 まず、ニューヨーク州だけで三万人の看護師不足が予想されている。米国全体ではどうなんだろうか。それにしても、ニューヨークの看護師のかなりが韓国人という光景にはなるのだろう。

There are currently about 6,000 South Korean nurses working in the U.S. In the last four years, only 320 South Koreans were employed as nurses in the U.S., according to data from HRS Global.

 全米の韓国人看護師は六千人。この四年では三百二十人ということで、そこから一気に一万人?ということなのか。
 非難とかそういうのはまったくないのだが、この状況というかお隣の国の変容についてはなんだか頭の中がはてな?になってきそうだ。

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2006.04.14

教育基本法の改定に関心がない

 教育基本法の改定には私はまったくと言っていいほど関心がない。義務教育は市民生活を営む上でごく最低の知識の伝授さえあればいいし、それ以降は教育とは私学が基本だと考えるので、国家がこうした問題に口を挟むということがまずもって理解できない。もともとこうした法というのは憲法と同じように、国家が義務教育を怠ることがないようにその権力行使を限定し、最低義務の遂行を規定するというだけでいい。そしてその点で現行の教育基本法で欠落しているとも思えない。愛国心云々については、もう勘弁してよという感じだ。愛国心を伝えるのは日本国民の大人の倫理的な義務であり、そんなもの改まって伝えるようなものではない。各人の生き様を通して子供が察するように、そんなふうに大人が生きるだけの問題である。まして日本の愛国心の根幹はその美観である。語るだけ野暮ってものだ。国家の品格とかも薄っぺらな冊子で売るんじゃねーよと思う。
 ネットリソースには今回の改訂をまとめた”現行教育基本法と「教育基本法改正案」の比較”(参照)があるのでざっと見たのだが、「(家庭教育)第十条」とかバッカじゃなかろかと思った。


(家庭教育)第十条
(1)父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとすること。

 こんなのどうでもいいやと思うのだが、どうでもよくないと思うことがある。子供は遊べということだ。初等教育のもっとも重要なことは、遊べ、であろうと思う。
 先日、”極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉本隆明)”(参照)で吉本隆明の新刊書「家族のゆくえ」(参照)についてちょこっと書いたのだが、この本のなかでとても気になっているのが、子供は遊べという彼の執拗とも言える主張だ。

 少年少女期の定義は何かといったら――「遊ぶこと」がすわなち「生活のすべて」である生涯唯一の時期だ。「生活がすべて遊びだ」が実現できたら、理想の典型だといえよう。遊び以外のことは全部余計なことだ。この理想が実現できなければ、おどおどした成人ができあがる。もちろん、わたしもそうだ。これは忘れてはならないことにおもえる。
 「遊び」が「生活全体」である、というのが本質だから、できれば遊び以外のことはやらせないほうがいい。どんな大金持ちの息子であろうと、どんな貧しい家庭の子供であろうと、生活全体が遊びの時期であるという意味では隔たりがない。みな同じだ。


 どの家庭もたいていその邪道を歩んでいると思う。だいたい母親が邪道だし、場合よっては父親だって邪道だとおもう。あるいは小学校の先生も。
 小学校の先生は勉強なんか教えなくて、子供といっしょになって遊んでいればいい。いちばんいい教育は休み時間にいっしょに遊んで、喧嘩の仕方を教えたりキャッチボールのやりかたを生徒に教えてやることだ。絶対それがいちばんいいとおもえる。

 さて、困った。
 私のような吉本主義者には、そりゃそーだ、というだけのことだが、まるで説明になっていない。なぜそれが本質なのか、おどおどとした大人にしないことがそれほど重要なのかねとか突っ込まれたら返答できるか。
 もちろん、具体的な人間の場なら返答ができる。なぜ人を殺してはいけないのかと問われたら、吉本翁は、じゃ、俺を殺してみなとその胸元ににじり寄る。それが返答ではあるだろうし、子供に遊びだけでいいのかとほざく大人には、けっと言えばいいだけのことだ。だが、それがまるで言葉としての答えにはなっていない。
 そういうものなのか。なにか、この問題には言葉の思想としてのカテゴリーエラーがあるのか。そこがよくわからない。
cover
ああ息子
 吉本はこの本のなかで、柳田国男の「軒遊び」という言葉に着目している。簡単にいえば、幼児期から学童期の中間で、親の目からそう遠くない軒で遊ぶという空間の重要性だ。確かに私などもそうした時期があった。そして子供がまさに「子+ども」であり、年長の子が「おみそ」を見ていた。
 野村進のなんでこんな本書いちゃったんだろうという雰囲気の「脳を知りたい!(講談社プラスアルファ文庫)」(参照)を私はハードカバーので読んですぐに捨てたのだが、一つだけ気になったことがあった。どっかの先生が言うに、もっとも優れた幼児教育は子供を子供のなかで育てるというのだ。進化論的に人間はそうできているとかいう補足もあったかと思う。ああ、それもそうかなと思う。
 大人は子供を大人となるべき何かのように見るが、そう見る大人というのはえてしてなんだか間違った存在としてこの世界に置かれている。人間の本来的な可能性というものがあり、それが子供の時代にかいま見せる何かであるなら、そのことに対するもっとも敬虔な姿勢で教育を捉えるとどういうことになるのか。たぶん、遊べ、であろうと思う。

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2006.04.13

イラン問題が日本のエネルギー安全保障に関わるのか

 十一日イランのアハマディネジャド大統領は、イランが低濃縮ウランの生産に成功し核技術保有国に加わったと発表した。ニュースソースとしてはCNN”イランは低濃縮ウラン生産に成功、核技術保有国に 大統領”(参照)など。
 言い分としては原発用核燃料であり平和利用ということだが、濃縮活動の停止を求めていた国連安全保障理事会にとってはこしゃくな一撃となり、いよいよ西側主要国の制裁措置かという流れにはなってきた。
 社説としては産経”イラン核開発 抜け穴ない国際包囲網を”(参照)が扱っていたのだが、ピントがずれていると思う。


 イランの暴走を止めるには、誇り高い同国のナショナリズム、国益、安全保障上の懸念に十分配慮しつつ、国際社会が一致結束してイランを説得し、必要とあれば経済制裁を辞さない国際包囲網を築くことが必要だ。
 しかし、国際包囲網にほころびや抜け穴があれば、効果は生まれない。むしろイランの側を強気にさせてしまう。その抜け穴となる懸念を抱かせているのが、安保理の五常任理事国の中ではロシアと中国である。
 三月末の安保理議長声明は全会一致で採択されたが、そこに至るまでに、両国は経済制裁への言及に反対し、イランの核開発の停止期限を十四日以内から三十日以内に延長させた。
 ロシアはイランの原子力発電所建設に深くかかわり、中国は今年一月にイランが最大の石油輸入先になるなど、両国ともイランとの間には深い経済的利害関係があるからだとされる。

 産経としては国際包囲網とかヘンテコな用語を使っているが中露に視点を置いているということで国連の立場からと見ていいだろう。そして、中露をなんとかすればという甘っちょろいことを言い出しているので、これで産経かよ?という印象も受ける。確かに中露バッシングのトーンは産経のお得意かもしれないが、問題の要点が認識されていない。
 この点「あすを読む」の後釜番組「時論公論」でこの問題を扱った嶋津八生解説員は、国連・国際原子力機関による外交解決、有志連合による制裁、米軍の軍事攻撃という三つの選択肢を示し、実際的には有志連合の制裁となるとしていた。産経社説よりははるかにマシだ。
 具体的に有志連合の制裁とはというと、外交官渡航禁止、輸出禁止、金融機関の凍結といったところで以前のイラクを顧みてその有効性はどうかという問題にもなる。有志連合諸国のなかで反省もあるだろうし、イラク・ケースのような国連という悪の抜け穴もないだろうが、歴史を顧みてもこうした制裁の有効性はそれほどないだろう。制裁と併用する外交のあり方のほうが問われる。
 「時論公論」の嶋津解説員の話だが、この後絶妙にエネルギー安全保障に振れだした。なんだなんだコレはという違和感があった。
 まず、イランの日本向けの原油は総量の二十二%と世界最大というあたりで笑っていいのかただの噴飯物か。嘘ではないのだが、なにを言い出す、オサーンである。ほいで、それが日本側からすれば原油総量の六%となりそこが途絶えると日本はエネルギーに困窮することになると続く。もっとも備蓄で千日は持つと言及しているあたりが可愛い。
 さらに笑わしてくれるのはれいのアザデカン油田開発を取り上げ、日本はこれに二千四百億円を投じるのがフイになると話の展開上、脅す。そして、エネルギー安全保障論が課題になるというお話へ突入。
cover
世界を動かす
石油戦略
 石油危機のころの日本の中東原油依存は九一%で、これが八〇年代には六七%まで落ちたものの現在は八九%と高い。だから、中東が日本の命運だみたいな論である。もうよせよ、と思ったら、石油一般商品論ではなくエネルギー安全保障上の戦略物資論へと転換期が来たのではないかと宣った。石油公団がぷうぷう吹いているのか、NHKの後ろで。
 産経社説ではないが、中国が石油欲しくて世界各国の原油に自主開発で囲い込み路線つっぱしりという状況もあるが、それで原油の一般商品としての位置が転換したとは私には到底思えない。
 日本という国は自由市場さえあれば石油の問題はないのだから、自由市場を守るというのが基本である。他はない。イラク戦争でも米国は石油欲しさに戦争を起こしたとかいうが、米国の石油はむしろ南米に依存しており、本格的な危機は南米の左派化に伴う近未来にある。
 当方もおちゃらけてふかして書いてしまったが、日本が中国様もどきに日本が変貌して原油の囲い込みなんかできるわけもないのだから、取るべき選択肢は少ない。

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2006.04.12

ブッシュ2・0

 テーマが絞り切れていないのと資料(ソース)の整理もしてないので散漫な話だが、このところの国際状況で思うことをメモ書きしておきたい。
 今朝のニュースで伝えられたイタリア総選挙だがベルルスコーニ首相率いる中道右派連合が僅差で敗北した。ロイター”伊中道左派連合、選挙結果覆そうとしていると首相を非難”(参照)ではその微妙な状況をこう伝えている。


 中道左派連合を率いるプロディ元首相は、4月9日―10日に実施された総選挙で勝利を宣言し、内務省が発表した公式結果でも、中道左派連合が上院・下院ともに議席の過半数を獲得したことが明らかとなった。
 しかし、ベルルスコーニ首相は投票に多くの「不可解な」点があったとして中道左派・中道右派両連合による統一政府樹立の可能性を示唆している。

 具体的にどういう動向になるかはわからないが、親米的なベルルスコーニ路線は一旦挫折したと見ていいだろう。
 これで明確に政権交代となると、二年前のスペイン総選挙で親米アスナール政権についで英国以外では西欧側での親米勢力が崩れる。恐らくイタリアのイラク撤兵はスケジュールに載るということになるだろう。単純に考えればブッシュ政権への打撃となると言っていい。
 中道左派連合を率いるプロディ元首相だが、欧州委員長を務めたこともあり、EU重視の姿勢を強化するだろうと思われるが、肝心のEUの動向がまた見えない。このあたりの問題について仏雇用策撤回に関連して今朝の毎日新聞社説”仏雇用策撤回 EU分裂のきしみが聞こえる”(参照)が意外によく書けている。

 フランスでは昨年、北アフリカ系移民層の若者を中心とする暴動が続いた。その背景にも、移民層の高い失業率があった。欧州憲法批准の是非を問う国民投票(昨年5月)で「ノン」が多数を占めたのも、EU拡大を通じて東欧などの安価な労働力が流れ込み、仏国民の雇用が脅かされるという危機感が強かったためだ。
 欧州統合の旗振り役だったフランスやオランダの批准失敗により、欧州憲法の発効は事実上不可能になった。「統合の深化と拡大」をめざす動きは停滞し、EU各国は内向きの傾向を強めたのである。求心力を失ったEUは、分裂と崩壊への道を歩み始めたのだろうか。CPEの撤回劇は、迷走する欧州の姿を象徴しているようにも見える。

 私には「求心力を失ったEUは、分裂と崩壊への道を歩み始めたのだろうか」という表現は洒落ではなくやはり懸念として受け止められる。ただ、フランスの動向についてはサルコジが盛り返した後の動きとして揺れが戻るかもしれないとは思うが、基本的にはフランス内政の問題ではなくそれを取り巻く状況の因子が大きいだろう。
 英国の動向は私には微妙としか言いようがない。個別の問題ではわかるし、以前だったら英国民のようにブレア批判でもしたくなるが、このジョンブルさんのタフなことは近年の歴史で証明済み。
 西欧側から米国、ブッシュ政権側に目を移すと、日本では依然陳腐なブッシュ叩きみたいな論調が目に付くようだが、このところのブッシュ政権の動向はかなり穏当な中道に向かっているように見える。昨日の朝日新聞社説”保護主義 米国の責任は大きい”(参照)でも、論旨はかなり粗いのだが大筋で追えば現状のブッシュを是認せざるをえないように読める。

 世界を見渡せば、資源やエネルギー、通信などの分野で、外国資本に国内産業が支配されることへの警戒感や不満があちこちで強まっている。保護主義や排外主義の誘惑が広がり、南米の選挙では反グローバル化を叫ぶ候補が国民的な人気を集める現象も起きている。
 中国やインドなど新たなライバルが台頭しているときに、保護主義に走って競争から逃げては「米国は停滞した二流経済に向かう」。ブッシュ大統領が1月の一般教書で述べた言葉だ。

 米国から世界全体を見渡しても「保護主義や排外主義の誘惑」といったものは感じらるし、その中で昨今のブッシュ政権はとりあえず現実路線的ではある。
 というところで目下のブッシュ政権の課題かに見えるのは移民問題である。同社説ではこう簡単に触れている。

 もっと厳しく不法移民を締め出す法案が議会にかかっているのも、治安対策ばかりでなく、外国人が自分たちの仕事や生活を奪っているという被害者意識が国民に広がっているからだろう。
 こうした保護主義的な動きを促しているのは、膨らむばかりの貿易赤字だ。05年には初めて7千億ドルを突破した。なかでも中国との赤字は2千億ドルを超える。安価な中国製品が市場を席巻するなかで、中国政府の硬直的な為替管理への不満が高まっている。

 保護主義の主因を「膨らむばかりの貿易赤字」とするのは短絡的にも思えるし、それはそれとして別の問題ではないかと思う。が、「不法移民を締め出す法案」とやらについては、米国を二分するかのような問題として盛り上がっている。この問題は上院下院、共和党民主党というダイコトミーがうまく機能しないのに議論が二分するという奇っ怪な様相を示しているので立ち入って説明するのがうんざりしてくる。
 ただ、単純に言えば、この問題、やはりブッシュの路線、つまり、現状の不法移民を穏和に認可する以外の対処がありようがない。もともと、米国は定期的に徳政令のように不法移民を米国に含み込むシステムがあったと見ていい。これが機能しなくなったのはむしろセプテンバー・イレブン以降の変化で、一期目のブッシュにその意図があったのか、むしろ現状のブッシュの穏和な路線のほうがパパ・ブッシュに近く本来のブッシュ政権ではないかとも思うが、歴史は逆転しない。
 痛みはともなうが現実的にな解決策の選択がないというとき、政治的な議論はあまり現実の解決に役立たないかに見えることがある。余談で言うのもなんだが、日本でも小沢民主党を取り巻く言論もポスト小泉競争でもタメの議論のような構図が浮いているように見える。現実的な解決策が絞られている状況でどのように痛みをバッファするかという実務屋的な言論というか指針があればいいようにも思うが、むずかしい。

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2006.04.10

[書評]家族のゆくえ(吉本隆明)

 吉本隆明の新刊書を読むことはないだろうと思ったが、二月に出たらしい吉本隆明「家族のゆくえ」(参照)を書店で手に取り、ぱらっとめくるとこれはという思いがあった。即買って読んだ。吉本の本を買って読みふけるというのは何年ぶりだろうか。
 一読後だが非常に微妙な部分が多いので数回読んでから感想でも書こうかと思ったが、他にブログのネタもないので簡単に書いておきたい。

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家族のゆくえ
 最近この言いかたが多いのだが、この本もまた若い人が読めばトンデモ本だろう。知的な人にとっては噴飯という印象があってもしかたない。本当に吉本隆明が老いてボケてしまったという評すら正当かもしれない。たとえばこんなくだりだ。

 一方、現在は昔とちがって、結婚なんかしなくても性的な生活はわりあい満たされるようになっている。そういう風潮がだんだん強まっている。だから、べつだん結婚をしなくても性的な欲求不満は募らない。そこで結婚しない女性が増えてきて「晩婚化」にますます拍車がかかっている。
 これが「男女同権だ」といって少し男をバカにしてきたことの帰結だが、こうした流れは生涯出生率の低下だけでなく、もっと重要な問題にかかわっている。それは子供の性格形成、こころの成育にかかわる問題だ。

 ぶっと吹いてしまう人も多いだろうと思う。そしてこの先、母親は赤ん坊が満一歳半くらいまで育児に専念しろという話に続く。さらにその先はちょと笑い話としてしか受け取れないような展開にもなる。
 と、揶揄のように言うのは容易い。爺さんもう時代じゃないよというのもある。だが、私はどっちかというと、吉本さん老いにかこつけてかなり言い切ったなというふうに思った。
 「今の時代は女が男をバカにしている」というのは酔客の放言というくらいにしか響かない。が、男はこの手の問題をある側面で真剣に考えているものだ。なんだか私も老人力を借りてろくでもないことを言いそうになるが、男というのはそそられなくなって立つべき時に立つくらいな気概がないとなぁ、みたいなけっこう深刻な思い詰めというのをもっているものだ。そこはバカにされてはなるまいぞと思っている……というな意識それ全体が滑稽なのだが、これはちょっとどうしようもないなという次元である。
 社会の中では黙っているし、おいそれブログなんぞに放言できないけど、ああ、これはどうしようもなあという性のアイデンティティにまつわることは多いものだ。そしてこの「男」の意識は、父性的な意識でもあり、実際の家族の意識である。と、男の側で書いたが、恐らくこれの近似の思いが女性にもあるだろう(たぶん、女性の性の問題は結婚がなくても性の満足が得られるといったほど浅薄ではないだろう)。
 まあ、そういう分野の言葉というのはオモテには出てこないし、言えば、必然的にとんでもない話になる。ただ、その微妙な部分を吉本さんはかなり言い切ったなという感じがした。老という視点から人の性の人生を見るとこう見えるかという感じでもある。
 この本はよく読むと、実は国家論にもなっていて、しかも、え?と思われるような最後の吉本を暗示する言及もある。例えば、国家の必然性というのを彼は最後に、そのままありのままに否定しまうかもしれいない気配がある。
 一読後心にひっかかるのは、彼が地域性と呼ぶもの、それには歴史性も含まれうるのだが、それは小さな意味での国家の幻想ではないかと私は疑う。そのあたり、あと数回読んで私は考えてみたい。

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2006.04.09

[書評]終風句集 終風且暴(石垣終風)

 この一年毎日日記に書いていた俳句を「終風句集 終風且暴」(石垣終風)(参照・PDF)としてまとめてみた。終風は私の洒落の雅号である。このエントリはそんな話。

cover
終風句集
終風且暴
PDF・372KB
 昨年桜の咲くころふとしたことで一年俳句を書いてみようと思った。今日ぶらっと桜見に行き、そういえば一年経ったなと思い出し、まとめてみた。気が付くと一年ちょっと過ぎていた。
 この一年はとにかく毎日一句作っていた。俳句が好きかというと、なんとも言えない。十八、十九歳のころある俳句結社に所属していたことと、若気の至りで前衛俳句を作っていたことがある。まだ加藤郁乎もわけのわからない俳句を書いていたころだ。高柳重信、金子兜太、阿部完市も気迫があった時代だった。
 加藤郁乎を模倣したことはないが、高柳重信の俳句会に出てぶいぶい言っていたら、会の後の飲み会(といっても十代で酒も飲めなかったが)で高柳重信から「加藤郁乎も、最初は、君みたいなもんだったよ」と言われた。
 詩だの俳句だのといった創作文学は気恥ずかしいもので二十歳になってやめた。というか、そういう文学的な志向そのものを恥ずかしいと思うようになった。小説も書かない。と言っておきならが先日書架を整理したらいくつか短編が出てきて驚いた。忘れていた。
 三十代になったころ洒落のわかる仲間がいたので一時期連歌をよくやった。歌仙である。遊びとしては楽しいものである。宗匠もやった。それも忘れた。今でもやれば楽しいのだろうが、今の歳になってみると、なんとなくおっくうなものだ。
 この一年俳句を作る際、もう創作とかそういう意識はなく、ただぼんやりなんとなく作ることにした。もともと技巧だけの俳句を作っていたのだが、技巧は凝らさないようにした。当然、駄句が多い。駄句ばかりなのだろうとも思う。気にしない。
 そんな感じで日々句を作りながらそれはそれで楽な感じだし、近代俳句が志向した疑似的な文学性から離れて、意外とこれが今の自分の俳句らしいかいう感じもした。
 まとめるにあたってたいして推敲もしなかった。読み返すとこの一年の四季の思いが去来した。まあ、人生の一年、俳句を書いていたことがあったというわけだ。
 もう俳句は作らないと思う。

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2006.04.08

ユダの福音書

 昨日キリスト教に関するトリビアみたいなニュースが日本でもちょっと話題になった。例えば、読売新聞”ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読”(参照)。


 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。
 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。
 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。

 とのことだが、多少聖書学を学んだことがある私の印象としては「真実ならば」というのはありえないと思う。というか、それ以前に、ユダの裏切りとされている行為そのものが史学的には確立してないと思うのだが、昨今のこのあたりの新説を追っていないのでよくわからないといえばわからない。
 福音書が伝えるイエス像については史実という点では現状でも皆目わかってないのではないか。かろうじてイエスは実在したと言えそうだということと、それがローマの政治犯だったという二点以上にはなにも史学的にわかってないはずだ。その意味で、福音書が描くイエス像は基本的には神話であるし、ブルトマン(参照)の非神話化というのは、ありゃ神話でしょというのが前提になっているし、そのあたりの学問成果が崩れることはないだろう。
 というかこのユダの福音書という文書はキリスト教の史実やその神学という文脈より、グノーシス主義(参照)の研究資料というのが基本だろう。
 報道の元になっているナショナル ジオグラフィックの日本語のネットソースは”1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開 ユダに関する新説を提示”(参照)である。
 この手の物に関心を持つ人間としては、まずナグ・ハマディ写本(参照)を連想する。ナショナル ジオグラフィックのサイトでもこの点への言及がある。多少引用が長いが。

 写本の文章は、古代エジプトの言語であるコプト語のサイード方言で書かれています。その記述内容と言語的な構造を調べた著名な研究者は、写本の宗教的概念と言語学的特徴はナグ・ハマディ文書にそっくりだと指摘しています。1945年にエジプトで発見されたナグ・ハマディ文書も、やはり初期キリスト教時代に作られたコプト語の古文書群です。チャップマン大学聖書・キリスト教研究所(カリフォルニア州オレンジ郡)のマービン・マイヤー教授とドイツ・ミュンスター大学のコプト語研究者スティーブン・エメル教授は、写本の文章には紀元2世紀に流行したグノーシス派特有の思想が色濃く反映されていると語ります。後にコプト語に翻訳された『ユダの福音書』のギリシャ語の原典が作られたのも、ちょうどそのころです。
 古文書学による筆跡の分析でも、この写本とナグ・ハマディ文書はきわめて近い関係にあることがわかったとエメルは言います。「研究者として何百ものパピルス写本を見てきましたが、これは間違いなく、典型的な古代コプト語の文書です。100パーセントの確信があります」
 専門家はこの5種類の鑑定結果から、問題の文書は紀元300年ごろに作られた写本であると結論づけました。

 つまり、今回の発表が写本ということでそれ以前にオリジナルがありそうな含みを感じる人もあるだろうが、ある程度のこの分野に関心を持つ人間としては「写本の文章には紀元2世紀に流行したグノーシス派特有の思想が色濃く反映されている」というあたりから成立年代はイエス時代からかなり離れていると感じるだろう。
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トマスによる福音書
 この手の話は日本ではそれほど関心もたれてないと言っていいのかも、とこんなのそれほど日本社会が関心を持つような古典ではないのかも。
 ナグ・ハマディ写本ということでは、「トマスによる福音書(講談社学術文庫)」(参照)が有名だ。というかこれこそ世紀の大発見だったし、ここからキリスト教とグノーシス主義の関連(さらにマニ教との関連)の研究が進んだ。今回の「ユダの福音書」はその文脈からは副次的なものではないかと思う。もっとも写本復元の技術としては重要というのは別のことだが。
 「トマスによる福音書」についてはウィッキペディアの日本語の項目がある(参照)。

ナグ・ハマディ写本は、カトリックから異端とされたグノーシス主義の文書群を多く含み、「トマスによる福音書」にもグノーシス主義的な編集の跡が見られる。「トマスによる福音書」を四福音書など他の資料と合わせて研究することで聖書成立史を解く鍵になるという見解や、語録という形式はQ資料として想定されていたものと共通であり本来のイエスの言葉をよく伝えているという見解などがある。また、オクシリンコス・パピルスの中からも「トマスによる福音書」に共通する内容の文書が見つかっている。

 私などがトマス福音書に関心をもったのは、私がQ(参照)に関心を持っていることがある。そのあたりの話は長くなりそうだし、死海文書写本について愉快な話とか、P・K・ディック(参照)のヘンテコな思想とかもまた何かの機会があれば書くかも。

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2006.04.07

小沢民主党

 民主党代表選について特に予想も書かなかったので後出しジャンケン的になるが、小沢だろうとは思っていた。菅では新味がない。鳩山も代表選はやるだけ無駄だと思っていたようだし、民主党にくっついている立場に立てば一度小沢を立ててみようというのはあるだろう。ただ、票差はそれほどつかないのではないかとも思ったし、菅が代表になるという線がまるでないわけでもないだろうとも思っていた(小沢本人の意思ならそうするだろう)。結果は、小沢百十九票、菅七十二票。意外と開いたなという感じはする。
 小沢支持ゆえに民主党支持の私だが、前回の衆院選は郵政民営化問題について民主党の政策を支持できず異例として小泉を支持した。このブログでも明確に支持を打ち出した。おかげで下品な罵倒や小泉信者だのとも言われた。小泉を支持したらこれで終わりだなとかも言われたが、時が明白にしてくれた部分は大きい。
 ポスト小泉には私はあまり関心ない。メンツでいえば谷垣が妥当だろうし、福田の線でもいいと思う(参照)。安倍や麻生は支持しない。なにより、私は小沢民主党を支持するだろう。民営化問題でも小沢は郵便事業以外は民営化を明確にしていたし、実際のところ小泉路線でも郵便事業は事実上国が保証するので小沢の主張ともそう変わることはなかった。なぜ、あのとき民主党は小沢の声を出さなかったのか。
 というあたりで、この時期になってから小沢も難儀な局面で立つことになったのだなと感慨深く思う。西郷どんの田原坂にならなければいいが。しかし、運というものはある。歴史が過ぎ去ればそれが天命ということになるかもしれない。

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民は愚かに保て
日本/官僚、大新聞の本音
 私が小沢を支持するのは単純に彼自身の言葉を聞き続けたからだ。外野や雑音は多いが彼の直接のメッセージはいつも単純でスジが通っていた。そういう政治家が日本に向くかどうかはわからない。マスメディアはさらに小沢に攻撃をしかけるだろうし、文春ジャーナリズムは田中角栄を潰した強迫からいっそうそうなるだろう。煽動的なきっこのブログみたいなものも小泉バッシングから小沢バッシングに切り替えるだろうか。うへぇと思うが、各種の小沢攻撃は予想される。
 私はウォルフレンの「民は愚かに保て 日本/官僚、大新聞の本音」(参照)を思い出す。細川政権時代のことなので当のウォルフレンも今では考えが違うのかもしれないが。

 私が一番気がかりなのは、舞台裏の調整役としてのキープレーヤーである小沢が、この重要な役割を演じ続けらえるかどうかである。その理由は、彼は責任ある政治家として重要な政治的決定を下さなければならない立場にあることを隠そうとしないために、多くの強力なグループの怒りを買うことになるだろうからである。小沢は政治家として並々ならぬ器量才覚を有している。それゆえに反対しそうな者に対して強い姿勢で臨むため、日本の政治風土のなかでは傷つきやすい。
 たとえばスキャンダルを用いて彼を貶めることだってできる。このような攻撃を仕掛けることは、そう困難ではない。読者も覚えているだろうが、私は、日本の新聞と検察がこの武器を用いて特定の政治家を選び出して、政治生命を絶ったり傷つけたりしていることを批判したことがある。なぜかといえばこのやり方は恣意的であり、誠実さに欠けるからだ。政治家ならほとんど誰でも、いつなりとスキャンダルで連座させることが可能なのである。

 また嫌な光景を見ることになるのかという懸念はある。
 旧社会党系の隠れ蓑としての民主党の勢力は実質反小沢に流れ込むのだろうか。そのあたりはよくわからない。ただ、小沢の本当の敵も動きだすだろうなと思う。というあたりで政治というものへの気力が萎えてくる。
 小沢が潜んでいたこの年月、彼は意外と外交的な活動もしていたようだ。そのあたりの動向が彼を支援するようにシフトするかどうかも気になる。

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2006.04.05

[書評]人生ごめんなさい(半村良)

 書棚を整理していたら、半村良の人生相談「人生ごめんなさい」が出てきて、しばし読みふけった。一九八三年から半年弱週刊プレイボーイに連載されていたものだ。たしか、今東光の人生相談の続編企画かなという記憶がある。
 私は半村良のファンでもあるし、小説に描かれている人情話や人生訓みたいのが、この連載にコンデンスされて出ているように思え、そのためだけに週刊プレイボーイを買って読んでいた(若干嘘もあるか)。たぶん、収録されていないコラムもあるなという感じもしていたが、今では確かめようがない。

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人生ごめんなさい
 この本も何度も読み返し、ついには自分の人生観の一部になってしまった。たぶん、今の若い人が読んでも面白いだろう。すでに絶版のようだが、古書で入手が難しいわけでもなくプレミアもついていない。
 読みながら、そういえば昨今こんな愚問をよく見かけるなというのがあった。いや、愚問でもないか。「なぜ人を殺してはいけないか」というあれだ。半村への相談の視点は少し違うが、「動物を殺して食べても罪にならないのに、なぜ人を殺すと罪に!!」というものだった。それでも昨今の問題と重なる部分はある。
 半村の回答は冒頭いきなりこうくる。

 人を殺すことについて、殺していい場合と、悪い場合があるとしか言いようはありません。

 そうだ。この愚問の回答が迷走するのは、なんとか「人を殺してはいけない理由」をでっちあげようとレトリックを駆使してドツボるからだ。半村はただまず現実を見ている。

 たとえば極悪非道、冷酷無惨な奴が通り魔的に君の家を襲って、兄弟や母親を殺し始めた時、君は相手を殺さずに済むでしょうか。さらにその考えを拡大して、おし進めていくと戦争に突き当たります。つまり殺人というのは、自分や自分たちを守るための防衛行為なのです。だからその集団の外にある人を殺した場合、罪にならないのです。これが戦争でしょう。

 世の中、防衛の戦争も戦争であり戦争はなんたらというわけのわかんない議論もあるが、そんなのはさておき、半村のこの考え方の道筋にはなにか心にひっかかるものがある。引用が長くなるが、こう続く。

 ただしその場合に自分たちと同じグループか、あるいは殺してもいい他のグループか、という判断を自分で出さなくてはいけません。その判断は、人生の中での理性や教養から培われてくるものです。その認識いかんで、卑劣な犯罪者になったり、英雄になったりするのです。

 言われてみれば当たり前のことしか半村は言ってないのだが、これには深みがある。よくある「なぜ人を殺してはいけないか」という問いに対して、それが「それはおまえさんの理性と教養が答えることなんだよ」という明白な構図では昨今は語られないように見える。
 半村がすごいのは、この回答をこう結んでいる点だ。

 人間、敵ならみんな殺していいと言っても過言ではありません。ただし、それをどんどん考えていき、全部自分の味方じゃないかというところまでいったら、しめたものです。

 私は、まったく半村先生がいうように、人生ごめんなさい的な存在ではあるが、若い日にこういう言葉に出会えてよかったなと思う。人が理性を持ち教養を持つというのは、こうした思索を進めていき、全部自分の味方じゃないかと言えるかどうかが問われるものだ。
 半村のこの考え方の道筋に私は吉本隆明と似たものを感じている。さらにいえば、両者のように本当は大衆のなかでひっそり隠れている人間の知恵というものを感じる。人は世間のなかで思索を深め、戦争やそれを回避する深い思想を貯めていることもある。

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2006.04.04

ドミノピザあれこれ

 宅配ピザで有名なドミノピザ創始者トーマス・S・モナハン(Thomas Stephen Monaghan)による構想・資金提供で、フロリダ州に厳格なカトリック教徒の街「アベ・マリア」ができるという話(参照)だが、まあ、日本人にしてみると、ふーん、やればぁ、というくらいの反応だろう。米国の社会に詳しい人なら、ああ、またアレか(参照)と思うだろう。ま、そういうことだ。
 「アベ・マリア」はフロリダ州ネープルズの東方約四〇キロの地域にできる。領域は二千ヘクタールほど。すでに着工され来年の夏くらいからは人が住み始めるらしい。十年後には三万人を超える街になるという話もあるそうだ。街のシンボルはカトリック系アベ・マリア大学。教会はもちろんある。ここに全米一の高さの、といっても二十メートルほどらしいが、十字架を立てるそうだ。もちろん、反対者も多くすったもんだはあるかもしれない。
 話はモナハンなのだが、私はなんとく孤児だと聞いていて、そう思っていた。そしてカトリックの孤児院で育ったから井上ひさしのように敬虔なカトリック教徒になったのだと思っていた。あ、いや事実誤認があるな。
 モナハンだが英語のウィッキペディアの説明が興味深い(参照)。


After his father died, Monaghan's mother had difficulties as a single mother, and Monaghan ended up in a Catholic orphanage. The nuns there inspired his devotion to the Catholic faith and he eventually entered a minor seminary, with the desire to eventually become a priest. He was eventually expelled from the seminary for a series of disciplinary infractions (starting a pillow fight, talking in study hall, arriving late for chapel, etc.).

 四歳のときに父に死なれ母一人で育てきれないということでカトリック系の孤児院に預けられ、若い頃は聖職を志したようではあるが、私ことアリョーシャ・カラマーゾフ五世のように、でもないか、挫折したようだ。当初から敬虔というわけでもないかったということだ。
 え?と思ったのは今日の彼に至るコンヴァージョンは人生の半ばであり、きっかけはC.S.ルイスの著作だというのだ。そりゃナルニア国ものがたり「ライオンと魔女」(参照)じゃないかと私のように思う人もいるだろうが、ちょっと違う。

After reading Mere Christianity by Christian author C.S. Lewis in 1989, Monaghan was shaken by what he considered his sinful pride and ego. He took two years off from Domino's to examine his life and explore religious goals.

 つうわけで、「キリスト教の精髄」(参照)を読んで人生の転機、そして、軌道に乗っていたドミノ・ピザの経営からも二年ほど離れたというのだ。
 でだ、まったくもって恥ずかしい話なのだが、私も若いころ「キリスト教の精髄」は読んだのだよ。さっぱりわかんなかったというか、退屈きわまる書籍で現在内容についてなんの記憶もない。私としてはちょっとお勧めできないのだけど、私の周りの人はけっこう感動してたみたいだから云々。
 話は、だから、ドミノ・ピザだ。英語だと、Domino's Pizza。ドミノのピザ? なんでドミノのピザなのかっていうか、ドミノって人の名前か、と。答えは、ウィッキペディアにあった(参照)。

The origins of Domino's Pizza began in 1960 when Tom Monaghan and his brother James bought a local pizzeria in Ypsilanti, Michigan named Dominick's Pizza. The deal was secured by a $75 down payment and the brothers borrowed $500 to pay for the store. Eight months later, James quit the partnership and traded his half of the business to Tom for a used Volkswagen Beetle. With Tom Monaghan as sole owner of the company, Dominick's Pizza became Domino's Pizza.

 ビジネスの発端は、イプシランティにあるドミニックのピザという店を買い取ったことらしい。それでドミニックがドミノになったというのだが、ま、そういうことらしい。フランチャイズで大きくなって昨年時点で五十五か国七千八七五店舗。この分野全米二位。マスコット戦略がよかったらしいというのだが、ノイド(参照)とか知ってる?
 日本に上陸したのは一九八五年らしい。日本法人のサイトにはこうある(参照)。

A1 日本で最初の宅配ピザはドミノって本当?
いまでは日常的となった宅配ピザですが、日本での歴史は1985年9月にドミノ・ピザ恵比寿店がオープンした時に始まりました。以来およそ20年に渡って多くの宅配ピザチェーン店で利用されているシステムや厨房機器のほとんどが、ドミノによって導入されたものなのです。

 ちなみに、花見会場がわかればそこへの配達してくれるのだそうだ。
 日本の代表はヒガ・アーネスト・マツオ(参照

 1985年に日本でドミノ・ピザビジネスを始めようとしたとき、今日の大成功を誰も予想していなかったでしょう。しかし、私には確信がありました。人と同じことをしていては成功できない。ユニークな発想、ユニークなシステムこそが、21世紀の成功を収めるためのキーワードだと。
 経済の急成長という追い風にも乗って、宅配ピザというユニークなビジネスは、その利便性とスピーディなサービスが時代の要求と人々のライフスタイルの変化に見事に適合し、予想を上回る急成長を遂げました。

 ヒガさんはハワイ生まれ日系三世とのこと(参照)だが、名前から想像するにウチナーンチュでしょう。どこの門中なんだろか。
 そういえば、沖縄で暮らしていたころはよくピザを食べました。ドミノじゃないです。Anthony's Pizzaですよ。

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2006.04.03

[書評]純情きらり(NHK朝ドラ)

 いつまで見続けるかまるでわからないが、NHKの朝ドラ、「純情きらり」(参照)を見ることにした。朝ドラを見るのは沖縄で見ていた「ちゅらさん」以来になる、といって、これもけっこう歯抜けのように見ていたが。で、なぜ、純情きらり?
 いくつかウィークな理由が重なって、ま、見るかなということ。一つ、浅野妙子(参照)が脚本だから。極東ブログ: [書評]秋日子かく語りき(大島弓子)(参照)の「ちょっと待って、神様」がよかったのと、それと「アイ'ム ホーム」がよかったから。四十歳を超えないとわかりづらい人間の哀しみみたいのが現代なのによく描ける希有な作家に思える。

cover
火の山 山猿記
 それと、津島佑子(参照)の作品だから。彼女の作品は一時期まできちんと読んでいた。初期の作品のほうがある意味でニューヨーカーとかに載せてもおかしくない技巧性があるように思えたが、だんだんその父の力みたいなのが突出して不思議に思った。そのせいか、気になっているわりになんとなく避けていた。
 三つ目は、時代。先日、山本七平「昭和東京ものがたり」、「静かなる細き声 山本七平ライブラリー」収録(参照)を読んで昭和初期の時代をもっと庶民的なアングル(風俗とか当時の気風の中)で考えたいと思ったこと。なんつうか、日中十五年戦争史観とでもいうようなものと、素っ頓狂な日本懐古みたいな両極端のなかで、父の時代を見直してみたいなというのがある。
 それで第一回をとりあえず見た。特にどってことはない。さりげなく死の視線とでもいうものが入っていくような予感はある。ま、興味が続くかどうか。
 原作の「火の山 山猿記」()はドラマの展開に合わせて読むかもしれない。
cover
楡家の人びと
 ふと、そういえば、と思い出す。昔銀河テレビとかだったドラマで「楡家の人びと」()を見ながら原作も読んだ。これは読んでおいて、後にいろいろとよかったものだった。

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2006.04.02

民主党の深い闇

 昨日の朝日新聞社説”民主党 迷走の果ての総退陣”(参照)は冒頭「偽メールをめぐる民主党の迷走がようやく決着した。前原代表ら執行部が総退陣し、永田寿康衆院議員は議員を辞める」と切り出したのだが、これで「決着」なのだろうか。朝日新聞は戦前からそうだが事実と意見が混同される傾向がありこれもその一例で、ようするに「決着したい」という意見だけかもしれない。
 事態が急展開したのは三月三十一日。翌日だったらその卓越したユーモアセンスに世間が爆笑して次は何?ということになりかねないのを懸念したのかもしれない。とりあえず単純に考えると同日公表された民主党の調査報告を見れば、前原代表ら執行部の総退陣以外はなかっただろう。”民主党 「メール」問題検証チーム報告書 ”(参照PDF)で注目されるべきは一千万円で西澤孝から情報を買い取ろうとした部分だ。少し長いが重要なので引用する。


①2 月19 日(日)、永田議員は、野田国対委員長に対し、「未明に西澤氏から電話連絡があった。珍しく『情報提供者』から西澤氏に電話があり、高飛びも考えているような状況なので、場合によっては『情報提供者』が持っている様々な情報が入力されているハードディスクやメールの電磁的データをコピーしたハードディスクを売ってもいいと言っている」と報告し、「西澤氏を通じて『情報提供者』と具体的な交渉に入っていいか」と相談した。
②これに対し、野田国対委員長は、金銭の話が出てきたことをいぶかしんだが、「『メール』の信憑性の立証が困難を極めるなか、それが『情報提供者』の存在を確認できる唯一の手段ならば、瀬踏みを掛けても交渉の余地は残した方がいい」と考え、永田議員に対し、「西澤氏と『情報提供者』とハードディスクを保護下に置くことが最優先」であり、「西澤氏と『情報提供者』を職員として雇用して生活を保障することも考える」、「『情報提供者』との交渉には自分が出向く」と述べた。
③また、永田議員は、野田国対委員長に対し、「自分で1,000 万円程度は用意できる」と述べた。これに対し、野田国対委員長は、「必要なら、党でそれくらいは何とか用意できる」と述べた。
④永田議員は、西澤氏に対し、その条件で「情報提供者」と交渉に入りたい旨を伝えた。これに対し、永田議員によると、西澤氏は、「永田議員に経済的に迷惑をかけるわけにはいかない。民主党ならば少しは気が楽だが、それでも受けるわけにはいかない。経済的な負担は自分で賄うから心配するな」と述べた。
⑤西澤氏から金銭の話が出てきたことを受け、野田国対委員長は、原口議員に対し、改めて西澤氏の身辺を徹底的に洗うよう指示した。午後遅く、原口予算委員は、野田国対委員長に「西澤氏の評判がすこぶる悪い」と報告した。それを受け、野田国対委員長は、永田議員に対し、独自の判断と行動は慎み、西澤氏や「情報提供者」とのやりとりは逐次報告して判断を仰ぐよう指示した。
⑥その夜、野田国対委員長は、顧問弁護士から、「偽情報に金銭を支払うことになれば、相手が詐欺罪を構成するので、情報を買うようなことはすべきでない」との助言を受け、交渉を通じた「情報提供者」の存在の確認を断念した。

 報告書では一千万円の授受はなかったとされるが、その真偽が十分検証されたわけでもない。経緯を見ても西澤のカネに対する振る舞いにはやや異様な印象を受ける。特に、西澤からカネの話が切り出されたのに「民主党ならば少しは気が楽だが、それでも受けるわけにはいかない。経済的な負担は自分で賄うから心配するな」という部分は、こうした商売をする人の世界であれば、その埋め合わせは、必ずあるか、すでにあった、という意味だろう。そう考えると納得のいくように思えることが他にもあるが、ここではその問題には触れない。
 カネの授受もだがメール作成の経緯もこれで隠蔽されたことになる。それで済むわけもないので、前原代表ら執行部の総退陣は政治的な「決着」というか代償としてはやもうえない線だったのだろう。
 結局この決着とは何だったか? 大手紙の社説では昨日の毎日新聞社説”前原代表辞任 「未熟だった」ではすまない”(参照)だけがさらっと言及していた。

 永田氏の辞職で懲罰委員会の処分は必要なくなり、メールを仲介したとされる元週刊誌記者の証人喚問は取りやめとなる。民主党の報告書によると、永田氏らは巨額な情報提供料を用意する話もしていたという。このため、この日の決断は「証人喚問を避けたかったのではないか」との疑問も残る。

 なんとしても西澤孝をオモテに出すわけにはいかないというのが、民主党の深い闇に関わっていたのだろう。そこを自民党は見抜いていたわけでもあったし、そこをきちんと突いたわけだが、恐らく自民党してはやりすぎだったのではないか。
 今回のどたばたを見ていて別の面で面白かったのは、民主党を支える地方の動向である。メディアからははっきり見えないのだが、前原じゃ選挙できないというのが痛切な地方の声だったようだ。このことは民主党と限らずどの政党でもそうだが、中枢部のごにょごにょが少し時間的に遅れたかたちで地方で大きな運動になることがある。
 つまらないオチだが、政党の運営というのは大変なものだなというがよくわかる一例でもあった。

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2006.04.01

温家宝のオセアニア歴訪の裏面

 中国のなりふりかまわぬ資源外交というとまず石油やレアメタルが思い浮かぶが、その一環にはウランも含まれている。現状のまま中国が石油・石炭など化石エネルギーへの依存を続けていけば深刻な環境問題を引き起こすこともだが、地球環境保護を名目とした国際外交のカードに対しても弱くなる。世界戦略において弱みを見せるということは中国にとっては耐え難い。もはやエネルギーの需給において原子力の比重を高めることは中国の避けがたい国策となっている。
 今日四月一日にちなんで実施される温家宝のオセアニアを歴訪の主眼も、端的に言えば世界最大の埋蔵量を持つとされるオーストラリアのウラン獲得が主目的であり、その先にはオーストラリアという国家を今後どのように籠絡するかという構想さえも垣間見られる。サンケイ・ビジネスi”温家宝首相、オセアニア歴訪 豪とウラン鉱開発協議”(参照)より。


中国の温家宝首相は四月一日からオセアニアを歴訪する。オーストラリアでは、原子力発電向けのウラン鉱山の共同開発プロジェクトで協議するほか、フィジーでは、中国の呼びかけによる初めての「太平洋島嶼(しょ)国経済発展協力フォーラム」を開催する。

 共同開発プロジェクトというのは実際にはウランの独占的な獲得のことであり、こうした外交からオーストラリアという国のグリップを握ることが目論まれている。

 オーストラリアのハワード首相が首都キャンベラの記者会見で明らかにしたところによると、温首相の訪問時にウラン鉱山の共同開発とウランの対中輸出で協議し、契約調印を行う見通しだ。
 中国はエネルギー需要増と調達源の多様化戦略の一環として原子力発電の増強を進めており、世界のウラン資源の40%が集中するオーストラリアとの関係強化を急ぐ。
 米CNNテレビによるとハワード首相が昨年四月に訪中した際、オーストラリアは平和利用目的のウラン対中輸出を認める核技術関連の協定を両国で策定することで合意しており、ダウナー外相も昨年八月、原子力分野で中国に協力する計画の存在を確認している。

 温家宝の訪問から中豪間の急速な関係改善を見る人もいるかもしれない。が、従来親米的に見えたオーストラリアは徐々に米国から中国へ比重を高める大きな外交の変化が進行していた。理由は、単純に言えば、オーストラリアはこのまま米国と共倒れになるわけにはいかないという認識が豪政府内に高まったことだ。現在の米国の経済状況は、先月八日のフィナンシャル・タイムズ”America's looming fiscal iceberg”(参照)が沈みゆくタイタニック号に喩えたように、すでに非常に危機的なレベルにある。スノー米財務省長官も、国債発行限度額引き上げを議会が承認しなければ利払いの国債追加発行ができず、米国債は債務不履行に陥ると述べ、議会にその緊迫感を伝えているほどだ。オーストラリアはこの危険性、つまりアメリカ経済の破綻から連鎖的に発生する世界不況(参照)というリスクのヘッジとして中国重視政策に大きく舵を切った。もともとオーストラリアは台湾同様総人口で二千万人程度の移民国家であり、経済発展を継続し十四億人を擁する中国に飲み込まれていくのは歴史の必然的な過程であるというのが、中国政府の独自のビジョンでもある。さらに、アジア・オセアニア地域でオーストラリアを飲み込めば、親米国家として際だつ台湾と日本も共に自然に折れ、原子力開発を含め各種の技術も容易く安価に得られるだろうという思惑もある。
 対する米国はというと、東アジア(日本・台湾)とオセアニア地域(オーストラリア)にはすでに見切りを付け、代わりに中国と並ぶ未来の超大国インドを重視してきている。そのことが明白になったのは、先日の、NPT(核拡散防止条約)を無視した異例の核容認というインドへの特別な米国の配慮であった。
 米国はイラク戦争時点の英豪日をコアとした有志連合による世界戦略をすでに棄却し、インドを核大国に育て上げることを目論んでいる。さらに、インドのエネルギー政策全体を原子力中心にシフトさせることで、中国の原子力利用の志向そのものに自然と対立させようと仕組んでいる。こうした米国の新しい中国囲い込みの国家戦略については、キッシンジャーによる”Anatomy of a partnership”(参照)が詳しい。
 しかし、中国にしてみると米国の新世界戦略は早々に挫折している。インドに対する米国の肩入れもすでに中国の手の内にあるからだ。これ関連して、国際ジャーナリスト田中宇”自滅したがるアメリカ ”(参照)の指摘が中国の本音を示唆するようで興味深い。

 中国とインドは、冷戦時代の対立関係を2002年ごろから劇的に好転させ、中印にロシアを加えた3大国で、ユーラシア大陸の新しい安全保障体制を構築し始めている。インドは、中国やロシアと戦略的な関係を築くとともに、アメリカとも友好関係を維持するという、両立ての戦略を採っている。アメリカは今回の核協定に至る交渉の中で、インドに対し、中国との関係見直しを促すような要求を何も行っていない。そもそも最近のブッシュ政権は、台湾の陳水扁政権の独立傾向を批判したりして、全体的に中国に対して腰が引けている。「中国包囲網」は口だけである。

 つまり、米国が中国と対立した国家戦略を維持できるという発想そのものが間違いである。さらに国際ジャーナリスト田中宇は、「世界中で反米が扇動され、アメリカは自滅し、世界が多極化していく」という全体の動向がシンクロナイズし始めていると主張している(参照)。ロケット団(参照)的なやな感じーと呼べるものが進行しているというのだ。
 中国が国際的なプレザンスを高め、同時に世界中で反米が扇動されるという状況の認識は、今回の極東ブログのエントリを含め四月馬鹿に限定されるべきネタとして今後の評価を待ちたい。

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