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2006.03.08

ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話

 ベラルーシの大統領選挙が三月十九日行われる。ルカシェンコ大統領の二期満了に伴うものだ。次は誰か、と言ってみる。ベラルーシの憲法では以前は大統領三選を禁じていた。が、二〇〇四年に三選を可能にする憲法改正の是非を問う国民投票を実施し、賛成多数で承認。なので言うまでもなく、ルカシェンコはまた選挙に出る。出て当選するのかというと、現状ではほぼ間違いない。ということなのでそれほど話題にもならない。
 昨年の一月時点では「極東ブログ: お次はジンバブエとベラルーシかな」(参照)でも少し触れたが、まだ米国の言挙げもあり、つけ込むのかなという雰囲気もあったが、現時点ではもう話題にならない。ロシア近隣国の民主化ドミノが終了し、米国ももう乗り気とも見えない。
 いわゆる西洋型民主主義ということでは問題は多い。最近では二日付け朝日新聞”大統領選目前のベラルーシ、野党系候補の身柄拘束”(参照)に外信があった。


 大統領選の投開票を19日に控えた旧ソ連ベラルーシの首都ミンスクで2日、野党系候補のカズリン前ベラルーシ国立大学長が治安機関に身柄を拘束された。ルカシェンコ大統領の強権的な政治手法への懸念が高まる中、対立候補の逮捕という異例の事態となったことで、国際的な批判が高まることは避けられない状況だ。

 紋切り、テンプレという記事だが、その後、それほどには「国際的な批判が高まることは避けられない状況」とも見えない。
 しかし、国民はその非民主的な状況に反対しているかというと、政府側の各種の弾圧があるのを差し引いてみてもそれほどでもないようだ。「極東ブログ: ロシアとウクライナ天然ガス問題」(参照)でも触れたが、ウクライナのどたばたを見て、ああなりたくないと国民は考えているようでもあり(天然ガスも安価にロシアから供給されている)、なにより失業率は一パーセントというのも、え?みたいな状況だ。もちろんその数値への疑念はあってしかるべきだろうが、実態もそれほどかけ離れたものでもないようだ。
cover
マリア・
シャラポワ写真集first
 ……ってなエントリを書いたのは今朝のラジオでベラルーシの大統領選挙の話があって、そうだったなと思い出したからでもある。ラジオでは、前振りにロシアのテニス選手シャラポワの話があり、それによると、彼女の母親はベラルーシ人でチェルノブイリ原発事故が原因で旧ソ連時代のソ連に移住した。もしあの事故がなければシャラポワはベラルーシ人だったかもしれないというのだ。
 私はテニスにまったくといってほど関心がないが(ゼロではないのは理由があるが)、この話は以前からちょっと気がかりだったので、調べてみた。
 まず、ウィッキペディアだが、チェルノブイリ原発事故の関連の記述はない(参照)。なんでロシア人なのかもよくわかんない記述になっている。

 両親はベラルーシ・ゴメリの出身。4歳の時からテニスを始める。6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

 英語のほうには説明がある(参照)。

Her parents are originally from Homiel, Belarus, but moved to Russia in 1986 in the aftermath of the Chernobyl nuclear accident. Sharapova was born in Nyagan, Russia, the following year. While having Belorussian roots and residing in the USA, Sharapova holds Russian citizenship.

 ちょっと補足的にまとめてみる。
 来年で二十周年になるがチェルノブイリ原発事故がウクライナで起きたのが一九八六年四月二十六日。影響はベラルーシにも及ぶ。
 翌年四月十九日、シャラポワはソ連下のニャーガニ市(ハンティ・マンシ自治管区)で生まれる(参照)。ということは、両親がニャーガニ市に移住してからの妊娠ということなのだろう。
 両親が原発事故以前にいたのは、ベラルーシのゴメリ(ホメリ)市(参照)ということで、この時点ですでに両親は結婚していたのだろうか。たぶんそうなのだろう。ゴメリ市はウィッキペディアにもあるようにチェルノブイリ原発の影響を受けた。

ウクライナの国境付近にあり、チェルノブイリ原子力発電所に程近いソジ川 Soz の右岸に位置する。ホメリ市庁舎の位置は北緯52度44分16.70秒、東経30度98分33.30秒。1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所の事故で大きな被害を被った。

 地図のほうがわかりやすかもしれない。ベラルーシ共和国情報サイト「ゴメリ州」(参照)に地図がある。また次の記載があった。

ゴメリ州はチェルノブイリ原発事故の影響を最も受けた場所でゴメリ、モギリフ、ブレスト州で16万人以上の住民が避難した。

 シャポア父母はその十六万人に含まれていたのだろう。
 その後なのだが、英語ウィッキペディアにはこうある。

At the age of three, Sharapova moved with her family to the resort town of Sochi, beginning to play tennis at the age of four, using a racquet given to her by Yevgeny Kafelnikov's father. At age five or six, at a tennis clinic in Moscow, Sharapova was spotted by Martina Navratilova, who urged her parents to get her serious coaching in the United States.

 シャラポワ嬢三歳のとき、リゾート地、ソチ市(参照)にさらに移住。ウィッキペディアのこっちにはシャラポワの記載がある。

スポーツ設備も充実しており、ソチのテニス・スクールはマリア・シャラポワやエフゲニー・カフェルニコフらを育てた。ロシアサッカー連盟もソチに年間を通じて利用できるナショナルチームの練習施設を建設することを発表した。ソチは2014年冬季オリンピックの開催都市に立候補している。

 ふーんという感じだが、なぜシャラポワ一家がリゾート地に移住したのかはよくわからない。案外三歳くらいで、この子はいつか四回転ジャンプをしますよとか期待をもたれていたのかもしれない。

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