« ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話 | トップページ | ラオホの実験 »

2006.03.10

ココログ頓死記念にブログ論という与太話

 それほど理由を知りたいと思うわけでもないのだが、ココログが昨日からずっと死んでいた。昨日はエントリのアップもできなかった。なので、病欠というわけでもないが、極東ブログはまたしても欠を作った。
 私事だが先日過労で倒れて、ブログ千日回峰行もついに頓挫した。ブログ阿闍梨にはなれないものだった。千日回峰行を二度成した酒井阿闍梨が以前回峰行には必ず難所が来ると言っていたし、覚悟はしていたが、覚悟が足りなかった。阿闍梨の決意には遠く及ばない。彼らは難所を乗り切る決意のためにスイス・アーミー・ナイフを携帯しているらしいし、そういえば、相撲の行司もそうだったが、たしかこちらはゾルリンゲンだったと記憶している。
 ‥‥そんなワケで、私なんぞ一度ブログ行はだめかなと躓いていたので、昨日のココログの頓死も、しかたないかぁ、神も大石先生もサイコロを振るか、くらいの呑気な気持ちでいた。特にエントリのネタものない。といえば、今日もエントリのネタはない。二十年近いニフティのつきあいや、ヘビーユーザーの一人としてココログの悪口をたーんと書いてやろうとも思ったが、大人げない。なにごとも仏業の妨げとなるようなことは洒落であっても慎むべしであろう。
 とはいうもののブログの話でも。

cover
ネットは新聞を殺すのか
変貌するマスメディア
 今週の日本版ニューズウィークのカバーストーリーを見ると「ブログは新聞を殺すのか」とある。ほぉ、湯川さんですか、と思って読むのだが、湯川さんのインタビューはない。「ネット」と「ブログ」の違いはあれ、なんか仁義にもとるなという感じするがそのけっこうどうでもいい感こそ日本版ニューズウィーク編集者の見識なのだろう。釣りはこう。

ネットの急速な進化が名門NYタイムズをも存亡の危機に。
激動の最前線アメリカからニュースメディアの未来を総力リポート

 スポイラーっぽい言い方をするのだが、これって「激動の最前線アメリカ」ということで、このお冠から日高義樹とか落合信彦とか田中宇とかとか出てきそうなへなへな感がどーんだが、どうも米版のオリジナル記事はないようだ。日本版の特集なのだろうか。読んでみると、なんか変なパロディ文章のような印象もある。英題は、Will Blogs Stops the Presses? とあり、これもちょっと変な感じもする。
 関連記事が三本ある。「紙のニュースが燃え尽きる日」(Turbulent Times)、「市民メディアの夜明けが来る」(Power of the People)、「フリーペーパーは脅威か」(How Much Is "Freee"?)。人にもよるのでしょうが、どれも私にはピンとこなかった。標題から予想のつく以外の話もない。
 なんだろこのボケ感は。米国と日本が違い過ぎるし、その違いがまるで考慮されていないからではないかと思う。日本の新聞というのは、紙面を計測してみるとわかるけど、半分は広告である。チラシ広告を折り込むための大きな広告と言っていい。日本の新聞は戸配の広告媒体である。
 そして、紙面的には残りの半分の半分にニュースがあり、その残りが特集とか書評みたいなもの。後者の部分はブログでも足りる。が、NYTなんかではコラムニスト部分が有料になっているように、ゼニの取れるコラムの書ける人は限られている。
 前者がいわゆるジャーナリズムというべきかもしれない。ここは一次情報が問われる。ニューズウィーク日本版でもそこがいかに大切かということで、新聞がなくなればブロガーはイラクに特派員を出すのかというタメの疑問のようなものを出している。
 この手の一次情報についての議論は、最近はあまり見かけなくなったがブログで以前ちょいと話題になった。つまり、新聞は一次情報を扱うけどブログは二次的だというのだ。しかしねぇ。その一次情報たるも半分は記者クラブ・クローズのお上垂れ流しが大半。それに産経新聞と共同通信がいい例だけど、一次情報については通信社があればいいわけで、つまりは一次情報っていうのも新聞というくくりではそれほどどうというものでもない。ついでに言うと日本の新聞の外信ってけっこう海外紙のベタなコピペだったりする。
 と、書いていて退屈になるように、ブログか新聞かというフレームはどうでもいいよになりつつある。実際のところ、日本の場合は、新聞は戸配というインフラがある限り続く。新聞は戸に収納された高齢者向けのメディアということだ。すでに若い世代は新聞を読んでいない。高齢者はけっこう長生きするので、案外このフレームはあと二十年くらいもつのだろうけど、そして瓦解して終わる。というか、新聞が高齢者メディアに変質して、どうでもいいよ感のなかで黄昏を迎えるのだろう。
 問われるべきことがあるとすれば、若い人とジャーナリズムの関係だろう。これは基本的には、無料メディアに収斂していくだろうし、エンタテイメントに収斂していくだろう。ガセでもネタならいいじゃん的な。亀甲おもすれーとか。
 もちろん、そんなのがいいわけはない。本当は誰もが、ジャーナリズムがあるべきような真実の報道を欲しているはずだ、というか、そういうものがないと高度に情報化した社会はうまく機能しない。
 現状ではその、本当って何何何?という部分が、高度なクチコミ化している。ミクシって百万人以上いるのだっけ。いずれにせよ、そういう高度なクチコミのなかで、あいつが言っていたし、あいつも言っていたし、だから、ポーションの青色一号は発癌性があるんだって、ふーんみたいな。
 ホッブズの言う、万人の万人に対する闘争状態という自然状態ではないが、ネットの世界は万人の万人に対するフカシ状態という自然状態になるのだろう。
 そこで真理に対する審級性にコストが払われるかどうかが社会に問われるのだろうが、どうなっていくのかよくわからない。真理に対する責任のコストのようなものが経済活動のなかで欲せられるのか。いわゆるメディア論的にはそのあたりはだめぴょんということで公共放送の有意義性というのが出てきたのではなかったか。議論が巡回する。
 ブログ論とか考えるだけ無駄と思ってあまりこの手の話はする気はないが、考えてみると、若い人たちがどう社会に向うかというところで基礎的に信頼性の高い情報がどう提供されるのか、とても気がかりにはなる。

|

« ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話 | トップページ | ラオホの実験 »

「ネット」カテゴリの記事

コメント

ネットはまだ「ソースは?」なだけマシなんでは。大手マスコミの方が、CMなんかのガセというか詐欺情報の蔓延がひどい上に、無批判に信頼されていて現状危険なように思います。って、そういう話ではないですね。

特亜の偏向報道なんてのは、ネットが正してきた?ホントか?みたいなのはむしろ好ましい青さに思えます。

投稿: Sundaland | 2006.03.11 07:30

同じブツ(Newsweek日本版)について、語っていらっしゃったので、脊髄反射でTBを送りました。

>ガセでもネタならいいじゃん的な。
新聞は、そうなって欲しくないし、ならないと思っています。新聞、ブログそれぞれで配給する”情報”は、別種のもので、棲み分けが出来ていると思います。

投稿: けろやん。 | 2006.03.11 09:14

日本はそうだけど海外の新聞ってどうなんでしょ。
海外の新聞の今後とか
日本が一次ソースの場合の海外の新聞の記事とか。

投稿: 無粋な人 | 2006.03.13 10:38

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ココログ頓死記念にブログ論という与太話:

» http://10000000yenblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_db06.html [10000000円のブログ]
アルファブロガーといえば、私が巡回しているブログのひとつである極東ブログ を覗い [続きを読む]

受信: 2006.03.10 20:16

» [blog]新聞は、滅びゆくテラノザウルス・レックスだろうか? [けろやん。ブログ。]
f:id:keroyaning3:20060310064314j:image ■ブログは、ダビデになり得るか?■   Newsweek日本版(2006.3.15)の表紙で、「ブログは新聞を殺すのか」という惹句が踊っていた。ブロガーではないが、ブログマンな私は興味を惹かれて買った。読んだ。思えばネットは新聞を殺すのか?という議論は、第一期ブログブーム(注1)で百家争鳴の中心命題であった。今度は、ネット内で成長著しい新興拡大勢力であるブログが、新聞キラーとして登場した。刺客は交代したわけだが、ターゲ... [続きを読む]

受信: 2006.03.10 21:26

» コンテンツを作ることで収入を得ることは可能か(特に報道関連) [diary.yuco.net]
表題のようなことが、今までネットで延々と話し合われてきたと思う。これは現時点での自分なりのざっくりとしたまとめ。 湯川氏のポッドキャスティングでR30氏が言っていたことだが、もうテキストを書いて(あるいは他の何らかのコンテンツを作って)収入を得るというのは無理なのか。広告で儲けるかまたはイベント等に集客してそこでお金を取るのが現実的な方法なんだろうか。ついでにそれ以外の集金可能性も考えてみる。 イベントで儲ける これは�... [続きを読む]

受信: 2006.04.13 19:20

« ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話 | トップページ | ラオホの実験 »