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2006.03.11

ラオホの実験

 最近の科学の話題ということでもないが、量子力学パラドックス関連の実験で私が時たま考えることのメモの関連をちょっと書いておく。本当は、ラオホ(Helmut Rauch)(参照)自身の論文にあたるべきなのだろう。が、ここでの話は「「量子力学の反乱」―自然は実在するか?(最新科学論選書)」(参照)の孫引きですよ。なお、基本的な話はネット・リソースとしては「アインシュタインの科学と生涯」(参照)によくまとまっているように思えた。
 ラオホの実験については後で触れるとして、話のテーマは、シュレディンガー方程式における波束の収束はどのように起きるか(という命題が哲学的にナンセンスな可能性はあるにせよ)、ということ。いわゆる観測問題もちょっと関係している。


 さて、ボーアの考えでは、観測の際にミクロの対象はマクロの装置と相互作用したとたんに制御不能な攪乱を受け、瞬間的にフォン・ノイマンが言ったような波束の収縮が起こるとしていた。しかし、前章で述べたように測定過程に量子力学を忠実に適用してみると、波束の収縮はミクロの感覚で言えば非常に長い時間をかけて起こることがわかった。だとすれば、干渉可能な純粋状態から測定後の干渉のない混合状態への移行は、この中間状態を通ることになる。この中間状態では、測定の必要条件である検出は途中まで行われ、干渉も残っているだろう。いわば”半検出・半干渉”の状態である。このときに粒子を見ようとすれば、”半粒子・半波”の状態であろう。ここで、”半”というのはもちろん1でも0でもないという意味で、その中間のどの値でもよい。このことは、測定装置を決めれば(つまり何を見るかを決めれば)、対象は波か粒子かどちらかとしてしか観測されないという相補性の議論に反する。

 いわゆるシュレディンガーの猫パラドックス的にいうと、半死半生状態がわかるというのものだ。
 ラオホ実験、その一。

 ラオホは中性子が波動関数で表される波の性質を持つとしたら、その干渉作用を次のような実験で確かめられると考えた。装置に1本の中性子線を入射し、これをいったん2つに分け、ふたたび合流させる。この合流点に検出装置を置いておく。2つの経路を対称的配置にすると、両方の通路を通ってやってきた波(波動関数)は検出装置で山と山、谷と谷が重なって強め合う。だが、もし片方の通路を通ってくる波の来方だけをずらせば、合流したときの重なりが違ってくるだろう。

 この前提で装置を作成し、各種の干渉を見た。
 で、なにわかったか。

 また、ラオホの実験では中性子線の粒子密度を非常に低くして、中性子が入射してから検出されるまでの間に実験系に存在する中性子の数は平均0.003個となっていた。ということは、観測される干渉は、1個の中性子がそれ自身との間で起こす干渉といっていい。それは1個の中性子が波として空間に広がり、両方の通路を同時に”通る”ことによってできたものである。

 ほぉ。
 町田はこう説明する。

 この実験における位相器の振る舞いは、「ミクロの対象がマクロの装置と相互作用すると、その瞬間に制御不能な攪乱を受ける」というボーアの学説に反している。前章で述べたわれわれ(筆者と並木)の観測理論でいえば、位相器の振る舞いは、検出過程がミクロ的には非常に長い時間をかけて起こっている場合に対応する。

 町田的には、波動関数の収束がゆっくり起きているのだと言う(んなの当たり前とか言われそうだが)。ちなみに、町田・並木理論についてのページもあった(参照)が、上位のページにいくとなんか奇妙。
 ラオホ実験、その二。

 次にラオホのもう1つの実験に移ろう。装置は前と同じだが、中性子を入射するやり方が違う。今度は中性子がポンポンとかたまりになって入ってくるようにする。それも1つのかたまりがちょうど1個の中性子が”粒子”的に空間の狭い領域内にあるような状態にする。
 (中略)量子力学に従うと、このかたまりは空間に広がった一定波長の波が重なったものである。そのいろいろの波長の波を自由に取り出せるはずである。そこでラオホは、干渉を見る検出装置の手前に波長分析器を置き、特定の波長だけが検出装置に行けるようにした。それは量子力学によれば”粒子”的なかたまりのずっと外まで広がっていなくてはならない。

 で、どうなったか。

位相器の厚さを”粒子”的なかたまりの干渉が見えなくなる厚さの数倍にしても、検出装置は干渉をとらえたのである。

 どういうこと?

 このことは、中性子のように電子の2000倍の質量をもち、陽子とともにわれわれのまわりのすべての物質の重さを担っている重い粒子でも、量子力学が予言するとおりの波的性質をもっていることを示した。そして、普通の実験で粒子的にかたまって見えたとしても、本当は波動関数が示す通り空間に広がった”存在”であることを明らかにした。

 で、どこまでそれが広がっているのか?

 ラオホの実験は室内で行われたが、広がりの大きさを制約するものは原理的には何もない。ホイーラーの宇宙規模の遅延選択実験でもこれを利用して、非常に狭い幅の波長だけを選んで観測することにすれば、1個の光子の空間的な広がりはいくらでも大きくすることができる。片方の光を光ファイバーで貯めておく以外に、この手段も併用すれば、干渉を観測できる可能性はさらに大きくなるわけである。ただし、波長の幅を狭くすればそれだけ光の強度が弱くなるから、その点では観測の困難が増すことになるだろう。
 こうしてみると、「1個の粒子の広がり」という言葉も、簡単ではないことがわかる。たとえば、1個の電子を考えるとすると、それは一定の質量、電荷、スピンをなどをもっている。その場合の1個というのは、質量や電荷などが1個分の値をもつという意味でははっきりしている。ところが、同じ1個の電子の空間的な広がりに注目すると、それはもっと複雑な意味を持っている。われわれが粒子の広がっている空間でそれを観測すると、粒子はある確率で見いだされる。その確率は波動関数の2乗だから粒子の広がりは波動関数の広がりで決まることになる。

 つまり宇宙の果てまで? そうらしい。なお、図18aは釣り鐘形のグラフ。

 1個のミクロの粒子は、すべての波長でまとめてみれば図18aのように局在していても、ある波長幅だけで見ればその広がりはずっと大きくなる。そして、波長を1つの数値に限定すると、その波は空間全体に、宇宙のすみずみまで一様に広がってしまう。このような無限の空間全体に広がったものが”1個の粒子”だとするのは、常識ではとうてい受け入れがたいことかもしれない。しかし、量子力学によればまさにそうなっているのであり、ラオホはそれが正しいことを実証してみせたのである。

 ちなみに、この不可分な性質を、私はEPRパラドックスやベル不等式の破れと同じ文脈で理解していたが、ときたまそういうことを書くと、違う、おまえは全然わかっとらんとかコメントをいただく。
 残念ががら、なにがどうわかっとらんのか今に至るまで納得できない。ただ、ラオホ実験のこの量子のビヘイビアというのは面白いものだなと思う。
 とりあえずそれ以上はない。昔は、存在とはなにかということで量子力学やら数学基礎論(自然数は実在するかとか)やらに関心を持った。歳とともにあまり関心はなくなりつつある。
 ネットを眺めていたら「量子測定と記録 遠藤 隆 はじめに」(参照PDF)というエッセイがあり、こう書いてあった。

 量子力学において記録という過程を考慮することが重要であることがわかった.これによって,状態収縮という量子力学の基本原理と矛盾する過程を導入しなくても済むようになる.ただし,このことは状態収縮が起きていないことの証明にはならない.しかし逆に言えば状態収縮が起きていることを観測によって示すことも不可能なのである.なぜなら状態収縮を検知する装置があるなら,その装置は,検知しなかったことによって収縮が起きていないこと,すなわち重畳状態が生じていることを表示することが可能であるが,重畳状態を検知する測定装置が存在しないことは証明されている.したがって収縮を検知する測定装置も存在しない.
 ではなぜ我々の認識は外部世界が収縮していると感じるのであろうか.その理由はわからない.ただ言えることは,外部世界が重畳状態にあっても,我々はそのことを知り得ないということである.これは,人間の認識が常に認識の認識を伴うことと関係があるのかもしれない.観測に伴う記録を常に再読しつつ観測を行うために重畳状態であることが認識できないのではないだろうか.

 この件については、自分なりにというか大森荘蔵的に思うことがあるが、それはまたなにかの機会でもあれば。

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コメント

>>歳とともにあまり関心はなくなりつつある。
一般論として、哲学や思想を語る方々は量子力学を自己の存在とか自由意志と結びつけて考えるのが好きなようですが、finalventさんにも若き日の過ちがあったということですね。
このあたりの話は数式の入っていない一般的な入門書のみによる理解はかなり難しいと思いますし、統計力学を考慮しないとトンデモに陥る危険があちこちに潜んでいます。

投稿: シュレディンガーの蛙 | 2006.03.11 11:48

finalventさん、こんにちは、

トンデモな考え方であるのは承知なのですが、粒子系(?)と観測系の時間のレベルの差が大きな問題ではないかと感じています。観測系は「ミクロ的には非常に長い時間」なので、本来粒子ひとつひとつを短い時間で見るとカオスのような超長軌道を持っていることが、大きな広がりを持ちながら、確率的には狭い空間を占めるように観測されるという解釈ができないでしょうか?そして、マルチフラクタルというのでしょうか、観測という「長い時間」においては超長軌道同士の干渉が起こっているので波的な性質を示すと言えないかとか考えています。熱力学のアナロジーで考えすぎているのかもしれません。

投稿: ひでき | 2006.03.11 13:40

 その一は、粒子は二重スリットを「同時に両方とも」通るという物凄く不思議で感動的ではあるけれど教科書でよく解説されている事実を中性子でも示した(普通は電子を使う)、という以上の事はないように見えます。ファインマンの教科書でより深く解説されていた記憶があります(あまり式を使わずに書かれていたのでオススメです)。
 その二は、すでに解説を書きましたが、有限の拡がりしか持たない局在した(粒子っぽい)波でも、周波数成分に分ければ一個一個の成分は(定義により)無限に拡がってますね、という話。
 finalvent さんが引用している意味で無限に拡がった状態というのは、実際には(原理的に)観測できないというのがミソだと思います。一方 EPR は(原理的には)どこまでも離れた距離でも非局所性を示せます。

投稿: odakin | 2006.03.12 16:58

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